2020年01月29日

クラオタとは、カップ麺好きのようなもの?

 昔、レコードの事を「音楽の缶詰」と呼んだ方(って、確か、フルトヴェングラーじゃなかったかな?)がいらっしゃいます。もちろん、これは録音された音楽に対する蔑視が含まれた表現なのですが、差別感情は抜きにして、録音された音楽を缶詰と表現する事に、私は感服しております。

 まあ、あの時代の缶詰ってのは、いわゆる保存食の事を指しますから、今風に言うなら、「録音された音楽なんて、音楽のカップ麺のようなものだ」と言いかえると、そのニュアンスがよく伝わります。カップ麺に罪はないけれど「カップ麺のようなものだ」と言われると、なんか安物扱いされたような気がして、愉快な気分ではいられなくなります。

 でも、カップ麺は持ち運びが楽だし、お湯さえ掛ければ、いつでもどこでも食べられると、本物のラーメンとは、やっぱり違うけれど、美味しい事には間違いないです。なんと言っても、リアルなお店までラーメンを食べに行く手間暇を考えれば、カップ麺は本当にありがたい存在です。

 そう考えると、録音された音楽が“カップ麺のようなもの”と言われても「まあ、そうかもね」と同意する人がいても不思議じゃないでしょ?

 でね、日本にはクラオタと言われる人たちがいて、この人たちの主食が録音された音楽なわけです。と言うのも、本場の演奏者たちは、たいてい白人だから、日本にはめったにやってこないので、彼らの演奏を満喫しようとしたら、どうしても録音に頼らざるを得ないわけです。これって、近所に美味しいラーメン屋がないので、カップ麺を食べちゃう人と、関係性においては同じでしょ?

 本当は、お店にまで行って食べたいけれど、お店に行くのが大変だから、お店の味を再現したと言われるカップ麺を食べて楽しんでいるわけです。そう考えると、クラオタとは、カップ麺好きのようなもの?と言えるわけです。

 そういう意味では、私はカップ麺大好きクラオタなんでしょうね。自室には数え切れないほどのクラシックのCDが陳列しちゃっているものね。ああ、こんなにカップ麺を並べているなんて、なんと壮観なのかしら!

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 音楽一般

2020年01月28日

映画「キャッツ」を吹替版で見てきた

 ネット(特に海外)では、だいぶ不人気な映画ですが、私は楽しめました。点数をつければ、100点満点の70点ぐらいかな? まあ、若干の不満はありますが、それはそれで楽しく見れました。

 ちなみに私が見たのは、吹替版の方です。ですから、字幕版の方がどうなっているのかは知らない事。その他のキャッツとしては、日本の劇団四季での上演版と、映像版(1998年にロンドンで収録)の2つを知っている事。で、この2つをまとめて言う時は舞台版という言い方をします。という前提で、以下の記事を書きます。

 まず、舞台版と比べると、映画版には、カットされた歌やシーンがあった事と、新たに付け加わった歌やシーンがありました。まあ、これ自体は、映画化されたミュージカルにはよくある話で、媒体の違いもあるので仕方ないと思います…が、しばしばカットされた部分が好きな人もいたりします。

 私に関して言えば「けんかネコ ランパスキャット」の歌とシーンがカットされた事は、まあ仕方ないと諦める事ができます。でもね「劇場ネコ ガス」は、シーンは残されたものの、歌の部分は全部セリフになってしまっていたのが、とても残念です。ガスの歌のメロディーって、なかなかいいメロディーなんだよねえ…。劇団四季版だとガスのシーンの中に、グロールタイガーのシーンが挿入されるわけで、そのグロールタイガーのシーンって、私はとてもとても大好きなんだけれど、そのシーンもまるまるカットされました。まあ、映像版でもグロールタイガーのシーンは無かったし、これが入ると、ストーリーの流れが悪くなると思うので、カットは仕方ないとはいうものの、個人的にはほんと残念なんです。

 歌が一部セリフになっていて残念と言えば「ネコの名前の付け方」と「ネコに話しかける方法」の2曲はかなりの部分がセリフに置き換わっていました。うーん、ちょっと許せない感じがします…。

 ネコたちのキャラクターが舞台版と映画版で異なっているのも、まあ仕方ないとは言うものの、その変更が納得できないのもあるわけで、私的には、映画版では主人公になったヴィクトリアが白猫ではなく、薄いヒョウ柄のネコになっていたのは、かなり残念です。やっぱ、ヴィクトリアは白猫でしょ? あと、舞台版では堂々とした魔術師ミストフェリーズが、映画版ではおどおどした小心者になっていたのは、ミストフェリーズ大好きな

私としては、やっぱり残念でした。

 おそらく、多くの人が問題視するだろう、長老デュトロノミーがオス猫からメス猫へ変更された事は、私はすんなり受け入れました。ただ、舞台版のデュトロノミーは、立派な声でたくさんの曲を歌うキャラなのですが、映画版ではほとんど歌わず、セリフばかり言っていたのが残念です。もっと、デュトロノミーに歌わせてほしかったですよ。

 些細な事ですが、ネコたちが、しゃべる(つまり人格を持っている)ネズミやゴキブリを食べるのは…ちょっとイヤでした。それも、踊り食いだよ。ちょっとグロいよね。

 画面が常に揺れていて、なんか落ち着きがないのが気になりました。また「キャッツ」はダンスミュージカルなので、ネコたちは力強いダンスを踊るんですが、そのダンスがあまり感動的じゃないんですよね。おそらく振り付けに問題があるのではなく、ダンスシーンの撮影に問題があるんじゃないかと思います。つまり、監督さんはストーリーを語るのは得意だけれど、ダンスを見るのはあまり好きではないのかもしれない…って思いました。

 以上が、私にとってのマイナス点です。

 一方、プラス点もあります。

 舞台版には主人公がいません。そのため、ややもするとストーリー展開が散漫になっている印象がありますが、映画版にはヴィクトリアという主人公がいます。そのため、キャッツの世界に入りやすくなるし、ストーリー展開も分かりやすくなっています。

 海外では不評だった、ネコのデジタルコスチューム(つまりCGね)だけれど、私は全然OKでした。あれをネコとしてみれば、グロテスクだし、夢に出てきそうなくらい気持ち悪いのだろうけれど、人間として見れば、全身タイツで猫耳付けて踊るダンサーのようなもので、全然気になりません。

 敵役としてのマキャビティーの扱いも良かったと思います。

 ヴィクトリアの歌う新曲には期待していなかったのですが、案外、良い曲だったので、得した気分でした。

 と言う訳で、私的には70点の評価になったわけです。でも、最初に書いた通り、これはこれでアリだと思うし、私は楽しめましたよ。ロイド・ウェバーが書いた音楽に変わりはありませんからね。で、この映画で「キャッツ」に興味が持てたら、ぜひ劇団四季の「キャッツ」を見て欲しいと思います。私にとって、劇団四季の「キャッツ」は、ほぼ100点満点ですからね。地方に住んでいて、劇団四季の舞台を見れない人は、1998年制作の映像版を見るといいです。この映像版は、私にとって90点なんです。マイナス10点は、グロールタイガーのシーンがカットされている事と、画質が古くて荒い事かな?


 さて、映画の出来とは別に、吹き替えに関して書きます。

 ミュージカルは一般的に、上演される土地の言葉に訳して上演されるのが一般的ですから、今回の「キャッツ」も吹き替えで見るのが、まあ当然と言えば当然ですし、私もそのつもりで吹替版で見たのですが、かなり後悔しています。と言うのも、吹き替えの出来が、正直、あまり良くなかったのです。少なくとも、ディズニー映画の吹き替えと比べちゃうと、てんでダメなんです。

 とにかく、言葉が聞き取れないんですよ。私は内容を知っていますから、このシーンではこんな事を歌っているに違いないという先入観があって、なんとか歌っている歌詞を推測する事ができましたが、初見の人だと、どれだけ歌詞を聞き取る事ができるのかしら? そもそも歌手の技量が低くてきちんと歌えていないのか、作詞家の腕が悪くて歌詞がダメなのか、音響監督の腕が悪くて歌を聞き取りやすく録音できなかったのか、その両方なのか、あるいは全部なのか。とにかく、歌詞の聞き取りに関しては、かなり厳しかったですね。改めて、ディズニー映画のミュージカル吹き替えのレベルの高さを感じましたし、劇団四季の歌手たちの技量の高さを確認してしまいました。

 歌詞がロクに聞き取れなかったので、ミュージカルの山場で歌われる「メモリー」も全然感動できませんでした。あのシーンは、必ず胸アツになるんですが…この吹替版だと、そこまで感情が沸き立ちませんでした。

 これから映画版「キャッツ」を見に行く人は、字幕版の方が良いかもしれません。たぶん、字幕の方なら(歌詞はオリジナルのままですから)胸アツになれるし、泣けるかもしれません。

 それにしても、吹き替えを作る時に、定評ある劇団四季の浅利慶太の歌詞を下敷きにして日本語訳を作ればよかったのに…なぜ、そうしなかったのかな?

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 歌劇

2020年01月27日

声楽の難しさは、見えない難しさ

 声楽を学ぶと感じる事は「見えないモノを学ぶ難しさ」です。

 だから、耳が大切。聴力とは別の“聞く力”が十分にないと、基本的な事を学ぶのすら難しいですし、それどころか(私のように)なかなか上達しません。「百聞は一見に如かず」が実践できない世界なのです。

 この世には、教則本ビデオってのがあります。楽器の入門時に参考にするものです。特に独学者なら必携のものでしょう。私もフルートを始めたばかりの時に一つ買いました。今なら買わずとも、You Tube等に類似のビデオがゴロゴロ転がっていますよね。あの手のビデオを使って、楽器の初歩の初歩を学ぶ事ができます。実際に先生についてマンツーマンで学ぶ事には到底及びませんが、それでも教則ビデオがあれば、なんとか基本の基ぐらいは学ぶ事ができるんじゃないかしらと思います。

 だって、楽器って見えるからね。運指も見えるし、奏法の実際だって見える。見て学ぶ事ができます。乱暴な言い方をすれば、ビデオ講師の真似をすればいいんだから。

 一方、声楽の教則本ビデオってあるのかしら? もしあったとして、何を参考にするのかしら? だって、声楽って、声の出し方も、音程のとり方も、実際の奏法のやり方も、全部見えないもの。あくまでも歌手の感覚で行っているわけで、体内の筋肉をあっちこっち引っ張ってやっているわけだけれど、それは外から観察できないモノだからね。

 つまり、声楽はたとえ教則本ビデオがあったとしても、ビデオ講師の真似なんて、なかなかできないんです。

 「ものまね芸人さんが真似をするような感じで、歌や発声方法を真似ていけばいいんじゃないの?」

 私も一時期、そんなふうに考えたことがありますが、これ、実際はあまり上手いやり方ではありません。と言うのも、モノマネをする感じで真似てしまうと、作り声になってしまうからです。声楽で使う声は自然で無理のない声をベースにするべきであって、決して作り声で歌うわけではありません。そういう意味では、ものまね芸人さんとは違うし、声優がキャラになって歌うのともわけが違います。

 結局は、声を聞いて、それを分析して、筋肉の動きを推測して、その筋肉の動きを真似るようにすれば良いわけだけれど、声だけ聞いて筋肉の動きを推測するなんて、初学者には無理難題だんだよね。

 だから、声楽を学ぶのは難しいのだと思います。

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posted by stone at 04:00| Comment(2) | 声楽のエッセイ