2009年09月16日

歌のヴィブラート、フルートのヴィブラート

 フルートにはヴィブラートというテクニックがあります。もちろん、歌にもあります。

 これらのヴィブラートは、全く同じものでしょうか…と言うと、同じ言葉ですし、その効果もよく似ていますが、また違った部分もあります。

 と言うのも、私がフルートの世界に来て、まず最初に感じたのがこの「ヴィブラート」に関する違和感です。

 多くのフルート初心者の方々が、どうやらヴィブラートに憧れているらしい事。そして、ヴィブラート習得のための練習方法があること。つまり、ヴィブラートって「努力して身につけるべきものであり、熱心に練習しないと身につかないもの」であること。これが実に意外でした。

 不思議に思って、さらに色々と調べてみると、ちょっと前までは、フルートにはヴィブラートという奏法がなく、もしヴィブラートを付けようものなら、周囲から非難ごうごうであったというほど、むしろヴィブラートは忌み嫌われる存在だったこと。そんなヴィブラートを世に認めさせたのはモイーズで、それは20世紀に入ってからの出来事であったこと。もちろん、モイーズも最初はヴィブラートを使うことで、だいぶバッシングを受けたそうですが…。

 で、このモイーズはオペラハウスの仕事が多くて、歌手たちの歌声にあこがれ、彼らの歌声のように笛を吹きたいと思い、歌手のヴィブラートをなんとかフルートで再現しようとして、努力して作り上げたものだそうです。

 一方、歌のヴィブラートって、身につけようと努力するものではなく、正しい発声を身につけると、それに伴って自然と身につくもの。だから、もしも努力するなら、ヴィブラート無しでも、正しい発声で歌えるように頑張るという方向に努力するものです。特に、バロック時代の曲や、宗教曲では、ヴィブラートのない声(または、ヴィブラートの薄い声)は重宝されます。そういう意味では、声楽の世界では、案外ヴィブラートって嫌われ者?かもしれません。

 声楽では、ヴィブラートは自然で正しい発声方法に付随して生じるものであって、それを意識的に身につけようとするのは、ちょっと違うかもしれないし、ある程度上達してくると、ヴィブラートを身につけるでなく、ヴィブラートをコントロールできるように練習すると思います。

 ちなみに、ボーイソプラノが「天使の歌声」と称されて珍重される理由の一つに、ヴィブラートのない声で歌っている事があげられます。少年は体がきちんとできあがっていないので、まだ歌声に自然とヴィブラートが付く事がないので、それゆえ反響の多い教会での歌唱に向いており、そこがもてはやされる理由の一つでしょう。

 とまあ、このように、フルートでは憧れの的であるヴィブラートも、歌ではありふれた技法であり、ジャンルによっては、無い方が望まれるってのがおもしろい。そういうふうに「無い方が望ましい」と思われている歌のヴィブラートへの憧れから、フルートのヴィブラートが始まったというのも、おもしろい。

 さらに言うと、歌のヴィブラートって、横隔膜で付けると言うか、横隔膜の運動で付いちゃうものです。ノドでもそれっぽいヴィブラートをつける事は可能でしょうが、一般的に言って、ノド由来のヴィブラートは禁じ手です。と言うのも、いわゆる“ちりめん”ヴィブラートの正体って、ノドで作ったヴィブラートなんですよね。もちろん、ジャンルによっては、演歌のように、ノド・ヴィブラートを巧みに使う歌唱法がないわけではありませんが、まあ、クラシックの世界では、ノド・ヴィブラートは少数派の話だと思っておいてください。

 そこへ行くと、逆にフルートでのヴィブラートって、ノドで作るんだよね(正しいですか?)。歌に憧れて始めたヴィブラートらしいのに、その習得ではヴィブラートの禁じ手から入ると言うもの「ああ、フルートって違うなあ」と思うところです。

 個人的には、フルートの音にヴィブラートって、必須なテクニックなのかなあ…と思ってます。ヴィブラートをつけるよりも、豊かな響をつけた方が、フルート的には美しいのではないかなあ…と思います。

 が、そういう考えって、通用しないだろうなあ。それにきっと、ヴィブラートに憧れる初心者フルートさんは納得しないだろうし。

 こんな、どうでもいいことを、今日もちょっとだけ、考えてみました。