声楽のレッスンに行ってきました。
まずはMさんとの二重唱「サムホエア」です。とにかく、前回も書きましたが、音域的に低くて歌いづらい曲です。歌いづらいけれど、がんばって、しっかりと歌い出そうとすると、発声のポジションが下がって、バリトンのような声になってしまいます。私はテノールだし、トニーという役もテノールの役。つまり、バリトン声で歌うことはありえ無いわけです。
ついうっかり、バリトン声で歌ってしまった後、キング先生に「なぜ、作曲家がこんな低い音で曲を書いているのかを、考えてください」と言われました。
「この曲はミュージカルの曲です。ミュージカルでは、歌手は、芝居をし、踊り、セリフを言い、色々な事をやって、その上で、歌ってます。つまりミュージカル歌手は、歌ばかりに集中できないのです。だから、作曲家は、そんな歌手を思いやって曲を書いているわけで……つまり、小さな声で歌ってほしいから、低くて歌いづらい音域で書いているんですよ」
なので、いくら低くて歌いづらいからと言って、発声のポジションを下げて、しっかり声を出してしまうのは、実は作曲家の意図に反する事のようし、音楽的でも無いわけです。歌いづらいだろうけれど、発声のポジションは高いまま、やさしく柔らかく歌ってあげるのが、正解のようです。
だから、逆に、メロディが高い音域に行ったなら、思いっきり声を張り上げていいのだけれど、そこで気をつけてほしいのが、バックで奏でているピアノの動き。
ピアノが単なるバッキングなら、歌手も好きなだけ声を張りあげていいのだけれど、ピアノが歌の後ろで旋律を弾いている部分(二重唱の最後の部分がそう)は、いくら歌がfだからと言って、ピアノをかき消すような声で歌ってはいけないのです。確かに、fには「強く」という意味もあるけれど「音楽を前に進める」というニュアンスもあるのです。トゥッティ部分のfは、ピアノの音を消すような声を張り上げるのではなく、音楽を前に前に進めていくような声で、自分の声を響かせながらも、きちんとピアノが聞こえるように歌う事。ここが肝心です。
というわけで、発声の事をよくよく考えて歌う事が宿題となりました。「サムホエア」は、また次回です。
今回のレッスンは「ガンジス川〜」にたっぷりと時間を費やす予定なので、コンコーネは無しです。で、「ガンジス川〜」です。この曲は、いわゆるイタリア古典歌曲という奴です。スカルラッティの作曲ですね。
今回のレッスンの目的は「陽はすでにガンジス川から」を録音し、久しぶりにブログにアップすることです。私もキング先生も気合が入っております。
前回、歌をアップしたのは昨年の10月のヴェルディ作曲の「哀れな男/Il Poveretto」以来(興味感心のある方は、こちらでどうぞ)ですね。なんと9カ月ぶりです。その間、発表会の準備に集中していたからなあ…。
時間ももったいないので、さっそく録音です。とりあえず、テイク1は、歌い飛ばしすぎの乱暴すぎでNGとなりました。テイク2は、途中で私が落ちて、音楽が止まってしまいました。テイク3で、ようやくなんとかお披露目できそうなバージョンが録音できましたので、それをアップします。これでようやく「ガンジス川〜」も終わりです。これからは、ロッシーニ作曲「約束/La Promessa」に集中します。
で「約束」ですが、難しい…。ほんと、この曲は難しいです。色々と難しい箇所はあるのですが、とりあえず、難しすぎて、歌っている途中で力尽きてしまいます。燃料切れ? まずは、そこをどうにかしないと…。
この曲は、とにかく色々とやらないといけない事がたくさんあるので、ついつい歌うのに夢中になって、色々な事のすべてに心が砕けません。本当は、その色々な事を、無意識で処理できるほどに上達していればいいのですが、テク的にまだまだな私は、無意識ではなく、意識して一つ一つの事をやっていかないと、とても歌えない曲なんです。
出来ていない事はたくさんありますが、その一つに、どうやら、息を吐ききる事を忘れがちになり、それが酸欠を引き起し、歌い手(つまり私)をヘロヘロにしてしまっているようです。
歌い手にとって、呼吸は常につきまとう課題です。
本当の初学者は、息を吸いすぎて、アップアップになって酸欠になって苦しむのです。しかし私は、どうやら多少は上達したらしく、“息を吸いすぎる”段階はクリアして、息を無駄に吸うことはなくなりましたが、きちんと息を吐ききる事がまだまだ習慣化されていなくて、ついつい体内に残ってしまった息で苦しむ事になるのです。
体内に残ってしまった息…それは、ガス交換が済み、酸素はほとんど含まれず、二酸化炭素が充満した空気です。つまり、声帯を振動させるための息としては使えるかもしれないけれど、生命体として不要物と言うか、なまじこんなものが体内にあると、新鮮な酸素を多く含んだ空気を吸えなくなる邪魔モノを、ついつい残してしまうのです。
ああ、私は、まだ体内に幾分かの空気が残っている段階で、次の息を体内に入れてしまうのです、詰めが甘いんです…。
最後の最後まで息を使い切れば、新鮮な空気がたくさん体内に入ってくるのに、なまじ息を体内に残したまま、次の空気を体内に入れてしまうものだから、たくさんの空気は入ってこないし、おまけに、吸い込んだ新鮮な空気だって、体内に残った汚い空気と混じり合ってしまうし…実によろしくない事なんです。
人間の肺の容量は有限です。つまり、出した分しか中に入りません。ちょっとしか出さなければ、ちょっとしか入りません。たくさん出しておけば、たくさん入ります。この単純な原則が、実行するとなると、なかなかに難しいものとなるわけです。
私が「約束」を歌っていて、後半ヘロヘロになるのは、疲れてしまうからです。つまり「息が上がっている」からで、その原因はどうやら「無駄な力み」と「酸欠」なんです。「無駄な力み」の方は、おいおい片づけるとして、歌っていて、ドンドン息が苦しくなるのに、自由に呼吸ができずに、新鮮な酸素もたくさんは補充されず、結果として酸欠状態に陥り、それが疲れとなって我が身に襲いかかってくるわけです。
楽器の方には分かりづらいかもしれませんが、歌うという行為は、かなり激しい運動なんですよ。たくさんの酸素を消費します。歌の酸欠は、フルートの酸欠とは、世界が違います。歌の酸欠は…時々、あっちの世界が見えます(笑)。
なので、休符があったり、ちょっと間があったら、寸暇を惜しまず、息を吐ききります。時間が許されるなら、目立たないように(笑)曲の間に深呼吸をしちゃいます。息を吐く時は、それこそ「肺をひっくりかえして、奥の奥にある空気まで出してしまう感じ」で息を吐ききります。
とにかく、息は、吐けば、入るんです。汚い空気を体内から出せば出すほど、新鮮な空気を体内に取り込む事ができ、酸欠が回避できます。
……なんて、理屈は分かっても、なかなか息を吐ききれるもんじゃないです。息を吸いすぎるのは回避できるようになりましたが、息を吐ききるのはなかなか難しいです。
これからは、しばらくの間、息を吐ききる事に留意しながら、この曲の練習をしてみたいです。とにかく、できないところを一つ一つつぶしていかないとね。難しい曲だけれど、逃げないで、ぶつかっていかないとね。
さて、最後に録音した音源について解説(言い訳?)しましょう。
まず、「哀れな男」からずいぶん経っている事もありますが、だいぶ声が変わっていますね。前々から年齢にふさわしくない若作りな声(苦笑)しておりますが、その若作りに一層の磨きがかかり「一体、どこのアンチャンが歌っているんだ?」って感じになっております。
声の若返りはいいのですが、響きが全然足りないねえ。まだ、きれいに響くポイントで歌えていない証拠です。要訓練ですよ。
発声練習を重ねた事で、声が、昔の、若い頃の声に戻りつつあります。思い出してみると、私の声って、すごく軽くて甲高い声だったんだよね。20代の頃に、マリオ・デル・モナコに憧れるようになって、重い声で歌うのがかっこいいって思って「ああ、重い声で歌いたい」と毎日念じていたら(加齢のせいもあるけれど)やがて段々と声が重くなって言きましたが、私の素の声は、こんな感じの軽い声だったんだよね。
こうやって、訓練していく事で、本来の自分を取り戻していくというのは、なんだか、うれしいです。でも、昔は、もっともっと声が軽かったような気がします。だから、訓練を続けていけば、まだまだ軽い声になっていくんじゃないかな〜って気がします。なにしろ、昔は、テノールではなく、メールアルトだったからね(爆)。だから、このまま声が軽くなっていったら、最終的には…性別不明な声になるか? だったら愉快だなあ(って、さすがにこの年令で、そこまで軽くはならないか)。
しっかし、ちっともエロくない声だなあ…。もっと、声に色艶が欲しいものです。
聞いた感じ、まだまだ乱雑な歌い方に聞こえますね。別に乱雑さを狙ったわけではないのですが、まだまだポジションを高いところにキープし続けるのは難しいみたいです。それで、どうしても乱雑な歌い方になっているようです。今後の課題としては、もっと丁寧に聞こえるような歌い方をマスターしないといけません。そのためにも、高いポジションのままでも楽々と歌えるように、自分を訓練しないといけませんね。
ちなみに、この曲は難しい曲かと尋ねられたら、たぶんそんなに難しくはないと答えるでしょ。なにしろ、本当の声楽初学者も歌う曲ですから。
ただ、高声用の譜面で歌っていますので、メロディが五線の上の方に固まっている事と、最高音(高いGです)がやたらと頻出するって事くらいでしょうね。ソプラノなら楽勝って感じの曲でしょうね。上手なテノールだと、すごく良く声が響く曲だと思います。私は…お聴きのとおりです(汗)。
というわけで、そんな私が歌う「陽はすでにガンジス川から」が聞きたい方はこちらへどうぞ。なお、歌詞と対訳は以下をご覧ください。
Gia il sole dal Gange
陽はすでにガンジス川から(すとん訳)
Gia il sole dal Gange,
太陽はすでにガンジス川から昇った
Gia il sole dal Gange,
太陽はすでにガンジス川から昇った
piu chiaro, piu chiaro, sfavilla,
より明るく、より明るく、光り輝いている
piu chiaro, sfavilla,
より明るく、光り輝いている
piu chiaro, piu chiaro, sfavilla,
より明るく、より明るく、光り輝いている
e terge ogni stilla dell'alba che piange.
すべての朝露をぬぐい取ってくれる
dell'alba che piange. dell'alba che piange. dell'alba che piange.
朝露を、朝露を、すべての朝露をぬぐい取ってくれる
Gia il sole dal Gange,
太陽はすでにガンジス川から昇った
Gia il sole dal Gange,
太陽はすでにガンジス川から昇った
piu chiaro, piu chiaro, sfavilla,
より明るく、より明るく、光り輝いている
piu chiaro, sfavilla,
より明るく、光り輝いている
piu chiaro, piu chiaro, sfavilla,
より明るく、より明るく、光り輝いている
Col raggio dorato,
太陽が金色の光で
Col raggio dorato,
太陽が金色の光で
ingemma, ingemma, ogni stelo,
すべての草木を飾りたてる
ingemma, ogni stelo,
すべての草木を飾る
ingemma, ingemma, ogni stelo,
すべての草木を飾りたてる
e gli astri del cielo dipinge nel prato.
野原の天空に星々を描き出す
dipinge nel prato. dipinge nel prato. dipinge nel prato.
野原に描き出す、野原に描き出す、野原に天空の星々を描き出す
Col raggio dorato,
太陽が金色の光で
Col raggio dorato,
太陽が金色の光で
ingemma, ingemma, ogni stelo,
すべての草木を飾りたてる
ingemma, ogni stelo,
すべての草木を飾る
ingemma, ingemma, ogni stelo,
すべての草木を飾りたてる