いよいよ今年も大晦日がやってきました。皆さん、ありがとうございました。
今年の大晦日も、昨年同様、どこにも出かけず、ただただ家でボ〜っとしている私です。息子が小学生のうちは、毎年ディズニーランドやら温泉やらに行ってた我が家ですが、子どもが大きくなると、どこへ行くもの気が乗らず…まあ、のんびり過ごします。昨年の年末は「坂の上の雲」を三年分、一気に見ましたが、今年は、本当に何もありません。ただただのんびり過ごしちゃいそうです。
それでは、例年通り、今年の私を総括してみました。ちなみに昨年の総括記事は、こちらです。
1)声楽の先生が変わった
まあ、今年の最大の事件は、キング先生と別れた事でしょうね。
今年(2012年)の五月の下旬あたりから六月いっぱいまでの【声楽のレッスン&活動記録】を読むと、そのあたりの事が書いてあります。一応リンクを貼りましたが、どれもこれも長文ですから、読むなら覚悟を決めてからの方が良いですよ(笑)。
リアルタイム進行の時は、まだまだキング先生に遠慮があって書けなかった事があります。
ブログの記事では、ガラコンサートの件で、私と先生との間がこじれ始めて、それで決裂した事になってますが、実は違います。ずっとブログでは書かなかっただけで、実は昨年の暮れあたりから、私は先生からイジメられておりました。
そのあたりの事をオブラートに包んだ表現で書いたのが、この記事ですね。
この記事(昨年[2011年]の暮れ)の少し前から、先生が私のレッスンでの指導を放棄されるようになりました。夏に行われた発表会の後始末の件で、私は散々、先生にヤイノヤイノと言ってたので、うとまれたんだと思います。
おまけに、私は歌が上手くなりたいわけで、レッスンでも食らいついていくわけですが、それが気にいらなかったのでしょうね。先生からすれば、いくら教えても上達しない私が面倒くさくなっちゃったんだと思います。実際、上手くなる人はサッサと上手くなるし、上手くならない人はサッサと辞めちゃうか、上達を諦めてお客さんに徹するようになるわけで、私のように上手くならないのに、お客さんに徹しないし、辞める事もしない人ってのも、珍しいタイプなんだろうと思います。
歌の上達は諦めて、客になって、黙って月謝を支払い、雑用を一生懸命やってくれれば、それでいい。
たぶん、そういう事。
でも私は、歌の上達は諦めないし、(上達しないという自覚と負い目はあるので)雑用は喜んでやるけれど、お客じゃないし、雑用をする以上、決して黙ってはいないわけで「あれはどうなってますか? これはマダですか?」と色々と先生がサボっている仕事をせっつくわけです。先生からすれば「勉強しなさい」と親に叱られる劣等生の気分だったのでしょうね。そういう事が重なって、次第にレッスンの手抜きが行われるようになりました。
ブログでは毎回、充実したレッスンが行われたように書かれてますが、あれはほとんど嘘です。レッスンのほとんどは、先生のボヤキとお喋りと誰かの悪口で、レッスンは最後の5分かそこら、ちょこちょこってアリバイ的にやってただけです。明らかな手抜きレッスンが半年以上に渡って行われていたわけです。
おそらく、最初のうちは、キング先生も、私にレッスンを辞めてもらいたいとまでは思っていなかったのでしょうが、色々文句を言われるのはイヤだし、そこでその仕返しとしてレッスンの手抜きを始めたのだと思います。なにしろ私がレッスンを渇望しているのは知っていましたから、ワザとレッスンの手抜きをして、私の困る姿を見て、溜飲を下げていたんだと思います。
なぜ、そんな事をしたのか? キング先生は、私が先生の事を大好きな事は知っていたので、どんなにイジワルをしても、この人なら大丈夫と、安く見くびっていたんだろうと思います。キング先生って、結構、人の事をよく見ていて、色々な人の事を「この人は○○だから大丈夫」って、よく言ってました。で、それってたいてい正解なわけで、他人への観察眼は、なかなか鋭い人なんですよ。
そしてまあ、私とキング先生が、そんなイジワルをする/される関係となった結果、通常の先生生徒関係が、次第に崩れてしまったのだと思います。
結局、キング先生のところを辞めた理由だって、私がどんなに求めても、キング先生の中では、すでに私は生徒の数に入っていないって事を理解したのが、決め手となりました。すでにだいぶ前から、私は先生の気持ちの中では、生徒でもなんでもなく、むしろイジめて、困っている姿を見るのを楽しむ対象になっていた事が分かったからです。
先生のイジメの対象になると、もう救いはありません。
私は歌劇団の団長をやっていたので、実は今まで、先生にイジメられて辞めていった生徒さんやピアニストさんたちを見てきました。相談を受けて、私なりにフォローした人だって一人や二人じゃありません。それを見て知って接してきたので、今度は私がターゲットになったんだな…と理解したわけです。
それで辞めました。
私が門下を辞めて、先生に意見をする人がいなくなったせいでしょうか? あれから半年経つのに、未だにガラコンサートの公式音源が出来上がりません。音源を作るのは先生の役目なんですが、発表会の音源だって、なかなか作ってくれなかった先生です。私が散々文句を言って、その重い腰を上げさせて作らせたという経緯があります。
ガラコンサートでは、それを恐れて、私は最初から業者に委託する事を提案していましたが、先生がそれでは費用がかかる(=先生のギャラが減る)ので、例年どおり自分でやりたいとおっしゃるので、任せたのですが、半年たった今でも出来上がりません。
きっと、誰も文句を言わないのをいい事に、このままとぼけて、サボって、公式音源を作らずにお終いにするつもりでしょう。
私は、当日はトリだったので、ガラコンサートでの他の人の演奏は、何も聞いてないんですよ。どんなに音質が悪かろうが、トラックの頭出しがいいかげんだろうが、ガラコンサートの記録は聞きたいし、公式音源が欲しいんですよ。だって、キング門下での、最後のステージでしたからね。
でも、半年たっても、何の音沙汰もありません。想定の範囲内の事とは言え、オトナのやる事ではないと思います。
それはともかく、今では、キング先生と別れて、良かったと思ってます。
イジメが無くなり、心の平安を得る様になりました。
それに、キング先生の指導の全てがデタラメだ…とは言いませんが、声楽界の常識とは、かなり違う事をたくさん教わりました。先生自身、自分が教えている事が規格外だというご自覚は持っていましたので、私もその信念についていったわけですが、やはり王道から外れたメソッドには、色々とスキがあるものだと思います。
ちなみに、あまりに個性的な指導内容に関しては、ブログには載せていませんので、安心してください。ブログには、私というフィルターを通した、比較的常識的なことだけを載せています。これはブログの性質を私なりに考慮した結果です。
キング先生の個性的な指導法で伸びる人もいるのですが、あまり伸びない人や壊れちゃう人もいるわけです。私はさしずめ“ほとんど伸びなかった”人になると思います。私よりも後から門下になった人たちに、バンバン追い抜かれていきましたからね。私に、キング先生の指導法は合っていなかったのだと思います。なにしろ、私は平凡でつまらない人間ですから、個性的な指導よりも、常識的なメソッドの方が、合っているみたいです。
ですから、個性的なキング先生から、常識的なY先生に変わったのは、良かった事です。
Y先生は、元々、私がファンだった歌手さんです。Y先生が主役をつとめるオペラを見ては「素晴らしい歌手が地元にいるもんだなあ…」と思っていました。そんな歌手さんに、たまたま偶然が重なって、門下に入れてもらえました。
Y先生は演奏の仕事がメインの方なので、レッスンも不定期で回数も少ないし、キング先生と違って“生徒と遊ぶ”なんて事は、しない人なのは残念なんですが、その代わり、指導の方はバッチリです。実に内容は濃いですし、指摘もズバリで核心をついてきます。この先生に師事して成長しなかったら、よっぽど生徒がボンクラなんだろうと思わせるほどです。
まあ、キング先生とは色々ありましたが、こうして今でもブログにキング先生の事を書くくらいですから、散々イジメられたにも関わらず、私は今でもキング先生の事が好きなんだと思います。でも、もう声楽の指導はいいや(笑)。
2)歌劇団を辞めました
…それも、私が歌劇団を辞めると決意する前に、私が歌劇団を辞める事になり、次の団長さんも決まっていました。なんか、言いようもなく、イヤな気分。
私が立ち上げた団、なんだよね。“寂しい”というよりも“取られた”って感じがします。“辞めた”と言うよりも“追い出された”って気分です。
まあ、いいでしょ。過ぎた事はクヨクヨしない。いつでも前向き、ポジティブ・シンキングさ。
3)ピアニストさんを見つけた
キング先生と入れ代わりにY先生が現れたように、歌劇団を失った私の前にピアニストさんが現れました。歌でもフルートでも、伴奏者がいないと人前では演奏できません。でも、アマチュア・ミュージシャンだと、なかなか伴奏者を見つけることが容易ではありません。
でも、気持ちよく伴奏してくださるピアニストさんと出会う事ができました。別れがあれば出会いがあるものです。まるでツバサを手に入れたような心境です。これからは、何かチャンスがあった時に、ピアニストのアテがあるのって、心強い事です。
4)アルテはこれだけ進んだ
今年のアルテは、15課3章のB-durから始め、現在のところ、15課6章のAs-durまで進みました。1年かけて、たったの3章です。アルテ15課は10章ありますから、残りは4章。え? このペースだと、来年になってもアルテが終わらない計算になります。うへ〜、そりゃあ残念だ。
ミニヨン・エチュードは9番から始めて、現在18番と戦っている最中です。1年で10曲のペースでした。曲の方は悪くないペースだと思います。こっちは18番を含めて、残り3曲です。確実に今年中に終わらせてやる〜!
5)ヴァイオリンはこんなもの
ヴァイオリンは、今年は、篠崎教本の118番「王様ジョー」から120番の「ドイツ舞曲」まで進んだところで、教則本をスズキに変えて12番の「習作」でつまづいているところです。
スズキは一つ一つの課題曲が大きくて、なかなか前に進みません。フルバヨのためにスズキに転向した私ですが、最近はフルバヨの活動も無いみたいだし、あってもなかなか活動に参加できないし、この辺りでスズキを諦めて、篠崎に戻ろうかと悩んでいる私でした。
ほんと、どうしましょうか?
6)社交ダンスはこんなもの
社交ダンスは教則本があるわけでないし、昇級試験を受けるでもなければ、試合に出るわけでもないので『ここまで上達しました』と言うのを言葉で表現するのは、なかなか難しいのですが、とりあえず、難しい事は抜きで、とりあえず、ベーシックだけですが、ワルツはなんとか踊れるようになったかなって気がします。あと、たぶん、ブルースが何とかってところですかね。
今年の目標として『どこかのダンスパーティーに参加する事』ってのがありましたが、全然お呼びじゃないです。ダンパどころか、ダンスそのものを挫折してしまいそうな勢いですよ(涙)。
とりあえず、ダンパに行くなら、ジルバやルンバはもちろん、タンゴやチャチャチャも踊れないとマズイでしょうね。でも、これらがカラッキシなんだから、仕方ない。
前途多難っちゃあ、前途多難なんだけれど、優先順位は低い社交ダンスだから、こんなモンでもしゃーないかな。
7)金魚たちの入れ代わり
今年のお正月のメンバーは、サクラ、ヒーチャン、カンロ、ニシキでした。
サクラは、今年も相変わらず元気ですよ。
ヒーチャンのいた“赤い金魚”枠は、今ではハナジロに代わりました。
カンロのいた“濃色金魚”枠は、一度コハクへバトンタッチしたものの、現在ではキキョウへと代替わりしました。
ニシキのいた“三色金魚”枠は、現在はナゴンがいます。
金魚を1年間無事に飼い続けるというのは難しいですね。特に我が家の場合、夏を乗り切れるかどうかが、ひとつのカギになっているようです。
その他の魚介類はと言うと、トートの姿が見えなくなりました。トートの後釜は、まだ入れていませんので、現在、エビはヌマエビが1匹だけいるのみです。
また、ドジョウ界の話をすると、縞ドジョウと、緋ドジョウのカゲムシャが星になってしまいました。この子たちの代わりに、緋ドジョウが二匹入りましたので、現在のところ、ドジョウは、チビ、シッポナ、新入り01、新入り02の四匹です。全員緋ドジョウです。
新入りの緋ドジョウと言っても、そろそろウチに来て半年になりますから、ぼちぼち名前をつけてやらないといけませんね。
7)ダイエットのまとめ
ダイエットは、最後にブログに載せたデータがこれです。
体重:108.0kg[+0.6kg:+4.9kg]
体脂肪率:30.2%[+-0.0%:-0.7%]
BMI:34.1[+0.2:+1.7]
体脂肪質量:32.6kg[+0.2kg:+0.1kg]
腹囲:105.0cm[+2.0cm:+1.5cm]
[先週との差:2012年当初との差]
ううむ、今年は実に肥えた一年でした。ここ数年は、大きな変動なく、なんとか体重100kg以下に押さえていた私ですが、ここ最近はこんな調子です。
お正月って、太るんだよなあ…。ああ、おそろしい。とにかく、来年度中には、100Kgになるように目指すべきなんだと思う。
年いってからのダイエットは、カラダに毒なんですが、ダイエット以上に毒なのは肥満です。太っても地獄、やせても地獄って、まるで「前門のオオカミ、後門のトラ」ってかんじじゃん(汗)。
8)今年も幸せな私でした
2012年の私は、年の始めに、プロフィールの1行紹介で、以下のように書きました。
2012年は「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の精神で行こうと思います。だからまずは『積極的に身を捨てていこう!』と思ってます。イヤな事があっても逃げ出さずに、あえて首を突っ込んでいきたいです。不快なモノや人がいても、遠ざけたり縁を切ったりせずに、あえて関わってみたいです。人生を平穏無事にやり過ごすのではなく、あえてトラブルの中に我が身を投じてみたいです、いやむしろ、場合によっては、自分からトラブルを起こして、修羅場を作り出してみたいです。そして、その修羅場の中から何かを学んでみたい…そう願う一年でありたいです。
イジメられっ子のイキがりの典型のような文章を書いておりますが、まさにこの文章の通り、今年の私は、修羅場をくぐらせていただきました。そして、色々と多くの事を学び、多くのモノを手に入れることが出来ました。
もちろん、ここに書かれたのは、主にキング先生との事を念頭に置いていたわけなんですが、これがうまく清算できて、実にラッキーな一年となりました。
幸せ幸せ。
失ったモノも多いけれど、得たモノはそれ以上だったわけで、差し引きプラスになりました。
体重は増えたけれど、今年も一年、健康でいられました。妻も息子も健康でした。仕事は…忙しかった(汗)けど、これだけ一生懸命働ける場と機会が与えられることは、やっぱり幸せなんだと思います。妻とも仲良く暮らしていますし、リアルもネットも友達が増えました。今年も、だいたい毎日、笑って暮らしていました。
うむ、今年もやっぱり、幸せだったな。
今年は、私の身の回りだけに限らず、友人たちの話の中にも、ネットの話題にも、そして報道などでも、積極的な悪意、無作為な悪意と、色々なタイプの悪意を見る事が多かったなあと思います。これも景気が悪く世相が暗い事が原因なんだと思います。「貧すれば鈍する」と言うか…。
自分の欲求不満を、立場の弱い人間に悪意を向けることで憂さ晴らしをする日本人が増えてきた事を悲しく思います。
そういう意味では、不幸せな人が増えてきたのだと思います。私一人が幸せでも、日本の社会が幸せでなければ、あまり意味がないなあとも思います。祈りが足りない…のかな? もっと、世の中が幸せになるように、祈りを積み上げていかないといけないのかな。そんな事をふと考えました。
それはさておき、 今年も一年間、老犬ブログをごひいきくださり、誠にありがとうございました。また、来年もよろしくお願いします。
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