2013年06月12日

音痴なので音感を鍛えようと思ってますが…どうしたら良いでしょうか?

 …と言うような悩みを、ネットのあっちこっちでよく見かけます。確かに『歌が上手く歌えない』状態を“音痴”と呼称し、その音痴から脱却すべき方法を考え、あちこちに相談した結果「あなたは“音感”がないから“音痴”なのだ。だから、まずは音感を鍛えるべきであり、音感を鍛えれば、音痴は治ります」とアドヴァイスされたり、自分でそのような結論を出し、その結果、音感トレーニングを始めたり、音感の先生(ソルフェージュの先生)について耳を鍛えたりします。

 で、結果として、一向に音痴から脱却できずに、人生の貴重な日々を無為に過ごしてしまうのです。ああ、残念無念。

 なんで、こんな事を書いているかと言うと、私にも似たような経験があるからです。
 
 
 ここのブログを愛読している方なら、百も承知でしょうが、私の歌声は、実に音程が甘いんです。そんな自分を“音痴”と呼称してもいいのですが、そうすると、本当の音痴の方に失礼なので、あえて、そうは言いませんが、でもやはり、私は音程がかなり甘い人間である事は認めざるを得ません。

 音程が甘い生徒であった私に対して、かつての師匠は「あなたは音感が無いから、音程が甘い」と言い、ソルフェージュの教室を探して、さっそく音感トレーニングを受けてきなさいと厳命したものです。それも、ソルフェージュだけを教えて、歌は教えない教室を探しなさいとも言われました。これは、ソルフェージュを学ぶ過程で、発声を変えられることを、声楽の教師として杞憂したからでしょう。

 とにかく、私は、かつての師匠の元、音痴判定をくらい、ソルフェージュの先生を探して、修行してきなさいって言われたわけです。

 で、当時の私は、先生の指示には素直な生徒で、たいていの指示には、それがかなり無茶な指示であっても、黙って従ってきたわけですが、この指示に対しては、本能的に「いや、それ、先生、違うから…」と思ったので、ソルフェージュの先生の元に行きませんでした。

 ちなみに、私には音楽家の友人がそこそこいますので、ソルフェージュの先生を探すのは、そんなに大変なことではありません。友人の一人に「誰か、いい先生知らない?」って言えば、すぐに紹介してもらえます…って、そういえば、かつての師匠は、私にソルフェージュを習いに行けとは言ったけれど、○○先生のところに行けとは指示しなかったなあ。知り合いに、良いソルフェージュの先生は居なかったのか、それも、別の目的があって、私にそんな事を言ったのか、今となっては、分かりません。

 閑話休題。なぜ私は、かつての師匠のアドヴァイスを無視したのか? それは、インプットの問題とアウトプットの問題を分けて考えるべきだと思ったからです。

 音感が無い、または、音感が悪いと言うのは、あくまでもインプットの問題です。ある音(仮にミとしておきます)を聞いた時に、その音がミであると分からないのは、その音と、ミという音の脳内の印象を一致させる事ができないだけの話であって、それはあくまでもインプットの問題であり、多くは意識的にインプットした経験が少ない事から、耳にした音と、脳内の音程のイメージが一致させられないだけです。

 だから、何度も何度も、インプットを繰り返して、音程の印象をきちんと脳に刻み込み、脳がその音程の印象を覚えてしまう事…これを音感があるという状態なんだと思います。そして、その音程の印象を、なんの手がかりも無しでイメージし同定できる人を『絶対音感の持ち主』と呼び、何らかの手がかりから音程のイメージを同定できる人を『相対音感の持ち主』と呼ぶのだと思います。

 音感なんてものは、インプットの精度の問題ですから、いくら音感があっても、音痴は治りません。

 と言うのも、音痴はアウトプットの問題であるからです。

 音痴とは、自分の脳内にある音程の印象と一致する音程の歌声を発声しようとしているにも関わらず、実際に出てくる歌声が、脳内のある音程の印象とは、違った音程の音で歌ってしまうのが、音痴だからです。

 はっきり言っちゃえば、音痴って、歌的に“不器用な人”の事を言います。決して、音感がないわけじゃないんです。

 その証拠に、楽器の達人であっても、歌は歌えませんって人がいますが、楽器の達人に音感の悪い人なんているわけないでしょ。ただ、楽器しかやっていない人にとって、音楽的なアウトプットは楽器演奏であって、歌ではないので、いくら音楽的に優れていても、歌わせると音痴だったりするのは、そういうわけです。

 だいたい、ピアノが弾けるのに音痴って場合、耳が悪いわけでもなければ、楽譜が読めないわけでもなく、ただ単純に歌った経験の少なさからくる音痴だって事は、私が説明せずとも、イメージできるでしょ?

 つまり、音痴って奴は、脳内に音程の印象が無いわけではなく、脳内の音程の印象と一致した歌声を出すのに、苦労しているだけの話なので、脳内の音程の印象と一致した歌声が出せるように訓練すれば、音痴は治るんです。

 ソルフェージュ、とりわけ音感トレーニングの類のモノは、あくまでも脳内に音程のイメージを刻み込むためのモノであって、インプット関係の学習です。音痴はアウトプットの問題なので、自分の脳内にある音程のイメージ通りに発声できるように、肉体的なトレーニングが必要なんです。

 つまり、音痴を直すには、ソルフェージュではなく、肉体的なトレーニングの方がいいんです。

 で、その“肉体的トレーニング”とは何かと言うと、ずばり“発声練習”です。つまり、ヴォイトレね。ちゃんしたトレーナーの元で、発声練習をしていれば、音痴なんて、治ってしまうって寸法なわけだ。

 だいたい、音痴で悩む人って、元々、音楽好きでしょ? 音楽を聴いて楽しめる人でしょ? 音楽を聞いて楽しめる人なんだから、脳内に音程のイメージを持っている人なんですよ。ただ、その人が持っている音程のイメージ通りに、歌が歌えないだけなんです。で、自分のイメージ通りに歌えなくて悩むから音痴であって、って事は、自分の中のイメージはちゃんとしているわけなんです。ほら、インプットの問題じゃないでしょ?

 聞けば、どんな曲でも曲名を当てられるけれど、歌ってしまうと、なかなか曲を他人に伝えることができない…これが音痴の悩みなわけで、つまりインプット系には問題がなくて、単純にアウトプット系に問題を抱えているわけです。

 だから、音痴の人が、ソルフェージュとか、音感トレーニングとか学んでも、音痴はちっとも解消されません。私はそう思ったので、私はかつての師匠のアドヴァイスを無視したわけです。

 もちろん、この事はそれとなく、師匠には伝えましたが、理解してもらえませんでした。

 ただし、かつての師匠の音程関係のアドヴァイスの中で「音叉の音を覚えてしまう」はなかなか有益なアドヴァイスだったと思います。音叉の音(ラ)を覚えてしまえば、その音を基準にして、比較的正しい音程で曲を歌えるようになります。これは私の中に、緩いけれど、相対音感があったからで、相対音感があったからこそ、基準音さえあれば、さほど大きく狂わずに歌えるようになったわけです。

 ちなみに、なぜ発声練習をすると、音痴が解消されるのか?

 それは、発声が悪いと音痴になるかです。まあ、説明的には堂々巡りになってますが、我慢してください(汗)。

 発声が悪い人って、まず、歌うカラダが出来てない人なんです。例えば、腹筋による声の支えが弱いために、歌っている途中で、声を支えきれずに、音程がフラットしたり、揺れたりするわけです。また、無用な場所に力みがあるために、筋肉が過緊張を起こして、声帯やノドなどの、本来伸びるべき部分が伸びずに、そのために、意図した音程よりも低い音程で歌ってしまうなどします。

 ですから、正しい発声方法を学べば、自分の中にある音程のイメージ通りの音程で歌えるようになるわけです。

 ソルフェージュを学んで、耳を鍛えるなら、その後の話です。音痴を脱出して、ある程度は音程正しく歌えるようになったけれど、合唱などで歌うほどには精密な音程では歌えないと言う人には、ソルフェージュや音感トレーニングは必要な事だと思います。と言うのも、発声に問題がなければ、インプットを鍛えて、脳内の音程イメージの精度をあげるとことで、アウトプットの精度も上げることができるからです。

 つまり、歌える人が、より精密で正確に歌うために、ソルフェージュを学ぶなら、とても有意義だけれど、音痴がソルフェージュを習っても、ムダムダムダってことです。

 人が技術を習得するためには、必要なテクニックを、必要な時期に、適切な順番で学ぶことが、大切ってことです。これが教育カリキュラムの基本であり、有益で有効なカリキュラムを組める教師が、良い教師ってわけですね。

 たとえ方法論が正しくても、その提示順番が間違っていたら、何の意味もないどころか、時には逆効果にもなるのです。これ、教育の基本テクね。

 音痴で悩んでいる人は、きちんとヴォイス・トレーニングを受けて、発声方法を見直せば、たちどころに音痴脱出できますよ。頑張ってゆきましょう。

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posted by stone at 03:30| Comment(23) | 発声法のエッセイ