先日、駅前で「アベ政治を許さない」と書かれたチラシを持って、大声で叫んでいる老人の方々をたくさん見かけました。
我が国では、自由に自分の意見を表明する事が許されているわけだし、政治的な行動であっても、現地の警察の許可を取って行う分には全く問題はありません。民主主義で自由主義な我が国日本ですから、そういった政治活動を行う事自体は良いのですが、私が気になったのは、その場で使われている言葉たちです。
まず最初に気になったのは、老人たちが持っていた「アベ政治を許さない」というチラシの文言です。
気になった…と言うよりも、はっきり言っちゃえば「違和感を感じた」というべきでしょう。
どの部分に違和感を感じたのかと言えば、まずは“許さない”という部分です。
この“許さない”って言葉、何となく“上から目線”を感じます。なんか、見下されているような、イヤな気分になる言葉です。エラそう…なんですよね。なんか“許さない”って言われると、上から命令されているような気分にすらなります。『政治的な主張をしている』と言うよりも『我々の命令がきけないとでも言うのか!』と叱られているような気さえします。道を歩いていたら、見知らぬジイサンに、いきなり怒鳴られたような、なんとも不可思議で、イヤな感じを受けたんです。
語感の問題ですが、言葉の使い方として、はなはだ適切ではない使い方だと思います。
さらに思う事は“許さない”って何?って事です。
“許さない”という表現はもちろん“許す”という動詞に否定を表す“〜ない”をつけた言葉です。
“許す”という言葉には色々な意味があります。漢和辞典から調べた代表的な意味を列記すると、以下の様な感じになります。
1)他人の願いを聞き入れる。承諾する。許可する。
2)そのとおりだと認める。同意する。信じる。
3)任せる。託す。あずける。
4)あてにする。期待する。
5)(女性が)婚約する。縁組する。
おそらく、この文言を書いた方は、2)の「認める」、あるいは3)の「託す」あたりの意味で使ったんだろうなあって推測します…が、それでも、どこか、この言葉には違和感を感じるんです。
というのも、いくら言葉の意味が分かっても「“許さない”って何?」って思ってしまうからです。
「アベ政治を許さない」と言ったって、その“安倍内閣”を作ったのは私たちでしょ? 前回の衆議院選挙(2014年12月投票)で自民党を勝たせて、第二次安倍改造内閣を作らせたのは私たちでしょ?
「私は自民党には投票をしていない!」
あの老人方は、きっとそう言うと思いますし、おそらくあの人たちは、違う党に投票したか、あるいは投票自体をしなかったんだろうと思います。
でも、私は老人の皆さん方に言いたいです。確かにあなた方は自民党に投票していないのでしょうが、あなた方以外の多くの日本人が自民党に投票し、その結果、衆議院議員の過半数を自民党や連立仲間の公明党所属の政治家さんが占めるようになり、彼らの中で相談をした結果「次の総理も、引き続き安倍総理にお願いしよう」と決めたから、今、安倍さんが総理大臣をやっているわけでしょ…と。
で、こういうやり方がいわゆる“間接民主制”であり“議会制民主主義”って奴じゃないの? 選挙の結果が、自分たちの主張とは違っていたとしても、そういう手続で決めたんだから、それを唯々諾々と承認し、次の選挙までの政治を彼らに任せるのが、民主主義国家の国民である我々の責務って奴だし、守るべきルールってモンでしょ。で、今回の選挙結果が気に入らなけりゃ、次の選挙でひっくり返せばいいだけの話です。
だから本来なら、「アベ政治を許さない」ではなく「選挙に行こう、○○党/○○さんに投票しよう」と訴えるべき事でしょう。なんか、やっている事のピントがズレていて、違和感を感じます。
今回の一連の安保関連法案反対のデモとか政治集会とか、全国で何人ほどの動員があったかは知らないけれど、9月30日の国会前のデモが、一番大きなデモだと聞きます。で、そこに集まった人たちは約3万人超だという警察発表がありました。日本各地で行われている各種政治集会などを合わせても、日本全国でデモに加わった人の実数って、5万人いるかどうかって人数でしょ? 日本の人口は、1億3千万人ほどだから、デモ参加者は人口の0.04%程度の少数でしょ? デモに参加していない人は、99.96%もいるわけです。もしも、そんな少数者のゴリ押しが通り、サイレントマジョリティーの意見が押しのけられるなら、それって絶対におかしいよ。
少数者の意見に耳を傾け、尊重する事は大切です。しかし、少数者の大声とか、暴力とか、騒乱とかで、世の中が変わるのは、絶対におかしいですし、変えてはいけません。世の中を変えるなら、きちんと選挙を通じて、我々の意見を代弁する代表者を選んで、変えるべきなんです。
私は民主党に投票した事って無いけれど、2009年9月から2012年12月までの3年3ヶ月の間は、民主党が我が国の政権を担っていたわけで、それに対して、私はブツブツ文句を言っていたけれど、彼らが政治の任にあたる事自体は(仕方がないので)認めていました。だって、私は、この政党による国政が、個人的には気に入らなかったけれど、選挙を経て作られた政権ですからね。イヤだけれど、認めるしかないじゃない?
で、一度は選挙に勝って、国政を引き受けた民主党だったけれど、そのあまりのグダグダな政治に国民が呆れてしまったので、次の選挙では、民主党に投票する人が減り、民主党が政権政党でなくなったわけです。つまり、国政を担う人々の事が気に入らなければ、次の選挙で負かせばいいだけの話で、こうやって国民が国政に参加できるのが、民主主義国家の良いところです。
だから、自分が自民党に投票していないからと言って、選挙で決まった自民党政権から出てきた安倍総理を許さないってのは、民主主義政治のルールから逸脱しているわけで、民主主義を否定しているわけで、そりゃあ21世紀に生きる日本人として、ダメでしょ。
「いやいや、次の選挙を待っていたら、間に合わないんだ!」 なぜ?
今回の安倍内閣は、2回目の内閣だよ。安倍総理が最初に総理大臣になったのは、2012年12月に行われた衆議院選挙で自民党が勝ったからだけれど、安倍総理のやり方が気に入らなければ、次の2014年12月(ついこの前じゃん)に行われた衆議院選挙で自民党を負かせば、よかったんです。だいたい、この時の選挙で、しっかり“集団的自衛権”とか“安全保障”とかは、争点にあがっていたじゃないの?
安倍総理の事が気に入らなきゃ、ここで落とせば、よかったんです。チャンスはきちんと用意されていたんです。
でも、この時も自民党が選挙に勝利して、再び安倍総理になったわけで、二度も選挙で勝って、日本人が政治を信託した政党の総理大臣に、許すとか許さないとか…そりゃあ、民主主義国家の国民として、本当の本当に、言っちゃダメな事でしょ。違和感、バリバリです。
言っちゃダメ…と言えば、彼らがチラシをかざしながら、叫んでいた事にも違和感を感じます。
「戦争法案(って、安全保障関連法案の事だよね、言葉は正しく使って欲しいなあ…)反対」にせよ、「子どもたちを戦争に行かせるな」と叫んでいる事にせよ、その内容に誤解があるし、悪意も感じるし、中身をよく知らない一般の人たちをミスリードする意図がある事も分かるし、聞いていてイヤだなとは思うけれど、デモの戦略としては分かるし、そんな嘘八百で騙されてしまう国民ばかりなら、日本という国も、それまでだと思うよ。だから、それに関しては、仕方ないなあ…と思うだけで、文句を言うつもりはありません。
ただ、安全保障関連法案を批判するばかりで、中国が我が国に対して、実際に軍事的威嚇をしている事を、全く言わないのは、実に卑怯なやり口だと思いますし、それは利敵行為であるとも考えます。
実際、日本を侵略する立場の中国と、何でも日本にケチをつけて反対する韓国以外の、世界の諸国は、今回の安保関連法案に関しては、賛成または支持を表明しているわけです。
反対派の人々が言っているように、確かに安保関連法案は憲法違反かもしれません(個人的には憲法違反だと思ってますよ)。でも、世界の常識、グローバルスタンダードから見れば、安保関連法案は常識的な法案だし、必要な法案なのです。つまり、現実を見て発言するならば、安保関連法案について反対するのは全く非常識な行動であって、憲法違反だと訴えるのなら、憲法を現実社会に適するように、むしろ憲法改正のために行動を起こさないといけないのだろうと思います。
閑話休題。政治的な主張を声高に叫ぶのは良しとしても、それらの文言以外に、あの老人の方々は、口々に、安倍総理に向かって「お前は人間じゃなーい!」とか「嘘つき!」とか「バカか、お前は!」とか叫んでいるんですよ。あるいは、安倍総理の顔写真に、ヤギの角を生やしたり、☓を書いてみたりする図案も見かけます。
安倍総理は、総理大臣として、内閣の一員として働いているだけで、あくまでも、立場としては“組織の中の一人”であって、独裁者でもなければ、彼が何もかも決めているわけじゃないのに、なぜ彼らは、安倍総理に対して、個人攻撃をするの? なぜ人格を攻撃するの? なぜ侮辱するの? 一国の総理大臣相手に、そんな暴言を吐いていいの?
政治的主張を述べる事と、他人を侮辱し軽蔑し見下す事は、全くの別物だよ。だから、違和感を感じるわけです。
日本人が中国とか韓国とかに行って、往来で声高に、習近平さんやパク・クネさんの事を侮辱したら、即逮捕監禁でしょ。ヘタすると死刑になっちゃうかもしれない。なのに、なんで、この人たちは、堂々で安倍総理を侮辱するんだろ? きちんとした手続きに則って選ばれた、私たちの総理大臣に向かって暴言を吐くってのは、我々日本人の選挙結果に対して、つまり我々日本人の選択に対して暴言を吐いているわけでしょ? 私は、そこに強い違和感を感じるんですよ。
なんで平気で、自分たちの選挙の結果から選ばれた人の悪口を言えるんだろ? その無神経さと無責任さに、違和感を感じるのです。政権批判をするにしても、もっとスマートなやり方があるだろうに…と思うわけです。
さらに言うなら、なぜ“安倍”という正しい漢字表記ではなく“アベ”というカタカナ表記なのかな? 我が国の首相は“アベ総理”ではなく“安倍総理”だし、各種報道とかでも“安倍総理”でしょ? 日本人なら、誰であっても“安倍”ぐらい読める漢字じゃないの? なのに、なぜ、彼らのチラシではカタカナ表記なの? 難しい漢字じゃないんだから、人名表記は正しい表記にしないと失礼にあたるんじゃないのかな? そこにも強い違和感を感じます。
それに、こんな簡単な漢字ですら、カタカナ表記にする点自体にも違和感を感じます。平均的な日本人には、こんな簡単な漢字も読めないって思われているのかな? なんか、馬鹿にされているような気がします。
そんな違和感だらけの政治的な集会/デモ行動だから、たとえその内容が正しくても、理性で判断する前に、感情で拒否をしたくなります。私の魂が「この人たちの事を信じちゃいけない」って叫んでいるような気がするのです。
政治集会であれ、デモ活動であれ、その手の活動に関して(たとえ私の主義主張と反していても)めくじらを立てる私ではありません。いやむしろ、私だって「戦争反対」だし「平和を守る」ことには、大賛成ですし、アメリカの戦争に巻き込まれるのはごめんです。
しかし、あれこれ違和感を感じさせるようなデモを繰り返していると、私を始めとする一般の国民はひいてしまうんだよね。例えば、SEALsだって、最初こそは注目を集めて喝采も浴びていたけれど、今じゃ彼らを見ている世間の目は、決して優しくないよ。むしろだんだん世間の目も、彼らを“痛い人”“かわいそうな子”として見るように変わってきた事を、当人たちは感じているのかな?って思います。
どんなに立派な主張であっても、その言葉や態度や行動が原因で、一般市民から距離を置かれるようになったら、その運動は成功とは言えないよね。外国では有効な手段であっても、日本には日本のやり方があるわけだから、その点はよく考えないといけないのだけれど。
日本人って、下品な事が嫌いだからね。
郷に入れば郷に従え…日本人なら、そんな事、常識だし、黙っていたって、うまくやるのに…。この人たちは、そこんところがダメなんだよね。彼らのやっている事は、中国の官製反日デモの手法とほぼ同じ。安全保障関連法案に対する反対運動を影であやつっている人って、一体、どんな人たちなんだろうねえ?
選挙の無い国なら、デモも必要だろうけれど、民主主義国家ならば、デモの前に選挙でしょう。民意はデモではなく、選挙で表すものです。それがルールです。それがジャパニーズ・クオリティです。
結論 政治を変えようと思ったら、選挙に行って投票するのが、正しいやり方です。それを、今回のように、選挙の争点になっていた事に関して、選挙後にあれこれ言って蒸し返すのは、民主主義の否定であり、駄々っ子のわがままにしか聞こえません。オトナのやる事じゃないよ。
結論の結論 デモをする前に、選挙に行け!
今回のデモについて考えるべきポイント
今回の安全保障関連法案が廃案になると、誰が利益を得るのか?
あのデモの人たちは、誰の手のひらの上で踊っているのか?
中国のバブルはハジけた。国の経済を一挙に立て直す、とても簡単な方法は何?
日本は1億人を超える国民がいる。数十万人という数は、ごくごく少数。
テレビや新聞の報道では、多数を占める賛成派の意見が報道されないのは、なぜ?
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