昨日は「声楽人が合唱団に入って得る5つのモノ」を書きましたが、声楽人が合唱団に入って合唱を始める事で失うものだって幾つかあります。今回は、そんな“失うモノ”について書いてみたいと思います。
1)自由に歌うこと
声楽は自分の個性を前面に押し出して、自分を表現していきます。一方、合唱では大勢いる歌手たちがそれぞれに自分を押し出して行ったら…当然、音楽はバラバラになってしまいます。声楽では音楽は歌手のモノですが、合唱では必ずしも音楽は歌手のモノではありません。では誰のモノかと言えば…それは指揮者のモノです。合唱では指揮者が絶対的な存在なのです。
ですから、合唱を歌うと言う事は、指揮者に従い、指揮者の楽器となって歌う事を意味します。あくまでも指揮者の意図を表現するために歌います。決して自分の個性を生かした歌い方ではダメです。そういう点では、合唱では歌手に音楽的な自由はないのです。そこを我慢できるか…と言うよりも、そこに喜びを見いだせるかどうかが問題となります。個性の強い人、自己表現をしたい人には合唱は向いていないのかもしれません。
2)自由な時間
(いわゆるアマチュアの)合唱団の練習は、押しなべて長時間に渡ります。声楽人は、声が減る事を恐れて、長時間の練習はしないのモノですが、合唱は違います。合唱では、一回の練習時間が2時間ってのはザラで、これが3時間とか4時間とかいう団も決して少なくないです。また、回数も頻繁にあって、週に1回の練習という団が多いとは言え、週2回という団も少なからずあります。つまり、合唱団に入団すると、趣味生活の時間の大半を合唱に費やさざるをえなくなる事もありうるわけです。
それに加えて、自宅での練習ってのもあるわけで、ほんと合唱を始めると、合唱に時間がみるみると吸い取られていくわけで、その他の事をする自由な時間って奴が無くなってしまいます。
だからと言って、合唱はチームですから、自分だけサボったり怠けたりってわけには行かないのが辛いですね。声楽ならば、所詮は自分ごとですから、そこは自分のペースで練習できるのと較べると、ほんと雲泥の差です。
3)自由な選曲
当然の話ですが、本番等での選曲は、指揮者と団の代表者さんたちの話し合いで決まることがほとんどです。一般団員の意見を聞いて選曲される事って…普通はありません。その合唱団に所属している限りは、次の本番で歌う曲が、たとえ自分の趣味に合わない曲であっても、選曲されれば、それを歌うしかないのです。
気に入らない曲を歌うほどの忍耐力があなたにはありますでしょうか?って話です。
4)スポットライト
実はここが一番切実な問題だったりします(笑)。
声楽は歌手が主役です。しかし合唱は指揮者が主役であって、歌手たちは合唱という楽器の一部で合唱は指揮者の楽器でしかなく、合唱団員はその楽器の一部でしかありません。たとえ演奏が大成功であっても、スポットライトを浴びて賞賛を受けるのは指揮者であって、合唱団ではないわけだし、ましてや合唱団員の一人ひとりにスポットライトが当たることは、決して無いのです。
「注目なんて浴びなくてもいいのよ」という人ならば全然問題ないだろうが、「それではイヤ」という人が…声楽人には少なからずいるような気がします。自分が歌ったのだから、きちんと注目を浴びたいし、ちやほやされたい…そう思う人もいるでしょう。実は私はそのタイプの人です。別にちやほやされたいとまでは思わないけれど、努力に見合う正当な評価と賞賛は欲しいと思ってます。そこをスルーされるのは、なんか納得いかない人です。でも、そういう人って、私以外にもいるでしょ?
5)人を信じる心
声楽人が合唱団に入った場合、嫌な思いをする人は大勢います。ちょっとした嫌がらせから始まり、イジメにまで発展する事すらあります。人間不信になる人もいるし、合唱嫌い、音楽嫌いになる人もいます。
原則的に、合唱人は声楽人が気になります。それが好意という形で興味を持ってくれる人がいるなら、その場合はそれはそれで良いのですが、排除という形で攻撃してくる人も大勢います。これが問題です。
集団原理として、異物を排除するというのは、ごく自然の行いなのかもしれませんが、その結果として、声楽人が合唱を始めると、嫌がらせを受けて、イジメられて、やがて人を信じる心が失われていきます。悲しい事ですが、現実です。
でもきっと、声楽人を快く受け入れてくれる合唱団も、きっとこの世には一つや二つあるはずだと私は信じています。ただ、そんな団体と出会った事はありません。だからでしょうね。合唱から声楽に転向してくる人はわんさかといますが、その逆はあまりいません。
なんとも残念な話です。
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