2017年06月21日

なぜ、優勝と聴衆賞は異なるのか?

 音楽コンクールの話です。

 これから夏本番を迎えると、各地で様々な音楽コンクールが開催されます。

 音楽コンクールにも色々なレベルのものがあり、その審査対象となる音楽家にもいろいろなタイプがあり、コンテスト参加者はそれぞれに真剣で、その姿勢に関して、私は到底チャチャを入れる気持ちにはなりません。熱心さは、誰であれ、見ていて胸熱となるのです。

 で、そんな胸熱となるコンクールが大小様々開催され、そのうちのわずかなモノぐらいしか私は見るチャンスがないのですが、音楽コンクールを見させてもらって、いつも不思議に思うことがあります。

 それは『なぜ、優勝と聴衆賞は異なるのか?』って事です。

 コンクールである以上、参加者たちには順位が付けられます。その是非についても語りたいことはありますが、今回はそれはパス。それについては、いずれまた稿を改めて書くかもしれません。とにかく、コンクールですから、順位が付けられ、1位、2位、3位とか、優勝、準優勝とか、金賞、銀賞、銅賞とか、呼び方は色々あっても、順位が付けられ、格付けがされる事には違いありません。

 この順位を付ける人は、審査員と呼ばれる人で、大抵のコンクールでは、その道のプロの方々が審査員をやります。高名な演奏家たちが審査員を務める場合もあれば、(学校主催のコンクールだと)教授や先生と呼ばれる人たちが審査員を務める場合もあります。

 一方、大抵のコンクールでは、聴衆賞とかオーディエンス賞とか観客賞とか呼んで、そのコンクール本番にやってきた観客たちに「本日,一番良かった演奏者は誰ですか?」などと言った内容のアンケートを取り、それらを集計して、いわゆる聴衆賞を決めます。

 で、たいていのコンクールで、優勝者と、聴衆賞を受賞した音楽家が一致しないんですよね。まず一致しません。まあ、まれに優勝者と聴衆賞を同時に受賞する音楽家もいますが、そんな事はよっぽどの事がない限り、まあまあ、無いです。皆無です。面白いぐらいにダブりません。

 なんででしょうか?

 音楽コンクールには「優勝者は聴衆賞の対象から外す」という取り決めでもあるのでしょうか? それならば私にも理解できますが…そんな取り決めって、有るのかな? もしもそうならば、観客が人気投票をする用紙に一言「聴衆賞は優勝者以外から選ばれます」とかの文言が必要だと思うし、その文言がない以上、それは考えづらいです。

 となると、考えられる事は一つ。プロの目線で素晴らしいと思った音楽家と、観客目線で素晴らしいと思った音楽家は、異なる…って事です。

 プロの目線は(私はプロの音楽家ではないので、あくまでも推測ですが)、演奏の巧拙とか、表現力の豊かさとか、その演奏者の将来性(年齢とか美醜とか師匠筋とか…)とか、そう言ったモノで順位を付けているんじゃないかしら? いわば、その音楽家がコンクール当日までに積み上げてきたものを評価しているわけです。

 一方、聴衆賞は、その日、一番観客を喜ばせてくれた音楽家が獲得します。その音楽家がどれほど巧みな技術を持っているかとか、素晴らしい師匠たちに学んできた事とか、そういったモノではなく、当日の演奏にどれだけ熱を込めることが出来たのかとか、美しい容姿や派手なファッションに加え、オーバーアクションによる演奏をしたとか、なにはともあれ、モノによっては、あざとい部分もあるかもしれないけれど、それでも観客の心をつかんで離さなかった人を観客は評価し“この人がこの日の一番!”って書いていくわけです。

 音楽家を学生であると考え、音楽コンクールが、学校の卒業試験のようなものなら、専門家の先生方による評価で十分であると考えます。しかし、音楽家をエンターテイナーと考え、音楽コンクールをエンタメ界へ送り出す新人発掘の場であると考えるなら、むしろ聴衆に支持された音楽家を高く評価するべきであり、聴衆賞ではなく、むしろそちらを優勝にするべきではないのかしら? なんて、思ったりもするわけです(ケホケホ)。

 違うかな?

 音楽家って、狭い狭い音楽家たちの互助会的な世界の中で生きていくのではなく、我々素人の耳目を大いに集めて、我々に一時の享楽を音楽によって与えるのが生業なんじゃないのかしら? 音楽家は、芸術家であると同時に芸能の人であり、エンターティナーなんじゃないかしら?

 だから私は、コンクール等で、優勝と聴衆賞を異なる音楽家が受賞する事に、強い違和感を感じるわけなのです。

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posted by stone at 03:30| Comment(6) | 音楽一般