2019年09月30日

残暑見舞い申し上げちゃったりします[2019年9月の落ち穂拾い]

 まだまだ暑いのですが、明日から10月、衣替えです。こんなに暑いのに上着を着るの? 密かにビビっている私です。ああ、まだまだ上着を着ると、蒸すよねえ…。


漫画村問題について、ちょっと考える
 先日、漫画村の運営者がフィリピンで逮捕されました。

 漫画村を知らない人のために、簡単に解説すると、漫画村とは、以前存在していたサイトで、有名無名問わず数多くの漫画(コミック)が無料で読み放題というサイトだったのです。読者の側からすれば、最新漫画がいち早く無料で、それこそスマホで読めるわけで、とても便利っちゃあ便利なサイトで、若者を中心に大人気サイトだったわけです。

 このサイトの問題は…って実はたくさん問題点があるのですが、特に大きな問題を取り上げるならば…ここで公開されている漫画はすべて海賊版で、ここのサイトがあげる収益(広告費が主で、その他にもマイニングとかで稼いでいたようです)は、作者や版元には一切いかず、漫画村がごっそり持っていってしまった事です。つまり、盗品で荒稼ぎをしていた事が問題なのです。

 漫画村の読者数やダウンロード数からの推定で、版元である出版社は、漫画村で無料で読まれてしまったために、本来購入されるべき漫画が購入されなかったとして、その被害額を約3000億円に達するという計算をして訴えているそうです。まあ、漫画ってバカ売れしているからね、被害額がそれくらいになっても不思議じゃないというか、出版社にとっては大きな経営の柱だから、そりゃあ色々と手を打ちたくなるでしょう。

 3000億円という数字は一見大きな数字に見えますが、閲覧数だけ購入されていたら、もっと金額が大きくなっても不思議じゃないです。まあ、読者の側からすれば、立ち読み感覚で「タダだから読んだのであって、有料だったら読まないよ」って話になるだろうから、実は被害額としては、そこまで大きな数字にはならないという意見もあります。

 作者の側には著作権というものが存在し、その漫画が有料であれ無料であれ、読まれた段階で、著作権料(実はお値段は任意だったりします)が発生するわけで、作者たちは漫画村に著作権料を求める事ができます…が、今の所は、特に大きな動きにはなっていないようです。まあ、作者さんたちは個人事業主ですから、企業である版元ほど、フットワークが軽くないんだろうね。

 どちらにせよ、漫画村が盗品で大きなビジネスをしていた事は事実であり、自社製品を盗まれて利益を掠め取られていた版元たちは、怒り心頭になっているわけです。

 そんなわけで、世間をお騒がせしちゃった漫画村なわけだけれど、別に人を殺したわけじゃないので、監獄行きになるかどうかは微妙ですね。行ったとしても、割とすぐに出てきちゃうと思います。あれだけ大きな商売をしていたわけだから、案外お金も持っていたとしたら、賠償金をサッサと支払って、大きな顔をして、新しいブラックな商売を始めるかもしれません。

 なんかなーって感じです。

 漫画村というブラックなサイトの存在はもちろん問題だけれど、こういう闇商売が大繁盛してしまう理由の一つには、読者の要求に答えられる合法的なサイトがなかったというのが、一番の問題でしょ。

 かつて、音楽も闇ダウンロードが多数ありましたが、正規なダウンロードサイトが出来たおかげで、闇ダウンロードサイトは、ほぼ撲滅されました。もっとも、その陰で、音楽の価格改定があったわけです。それまで音楽を買うなら、CDシングルが一枚約1000円だったわけで、それがダウンロードサイトで購入するなら、一曲100〜200円だったのです。そこまで安価にすれば、みんな正規なダウンロードサイトから音楽を購入するわけです。

 漫画は今、電子書籍版で、一冊400円から1000円くらいです。この金額では、正直高すぎるんだと思います。いくら紙の本よりも安くしているとは言え、この価格設定では漫画村のような闇サイトに行ってしまうのです。音楽のように思いっきり値段を下げて、一冊100〜200円ぐらいにしたら、後ろめたい気分で闇サイトに行かずに、正規な電子書籍版を購入してくれるんじゃないかしら?

 あるいは、音楽にも配信サービスがあるように、月に500円くらい支払ったら、読み放題にするとか…。それでも、それぞれのサイトが作家を囲い込みしていて「Aという作家は○○サイトから、Bという作家は××サイトから」なんて事をしていたら、やっぱり闇サイトに行っちゃうでしょうね。あと、旧作は読み放題でも新作はダメ…では、やっぱり闇サイトに行っちゃうでしょうね。

 とにかく、出版業界は、かなり思い切った事をしないと、闇サイトは、たぶん、無くならないと思うし、いつまでもいつまでも盗品商売を黙認していく事になると思います。

 もっとも、それだけ値段を下げるとなると、版元の会社をだいぶスリムにしないといけませんね。書籍の売上って、作者の取り分って微々たるもので、その大半は版元のモノなのです。だから、値段を下げるためには、版元の取り分を減らすしかないわけで、版元の取り分を減らすためには、版元の会社規模を小さくして、社員さんの数を減らすしかないと、私は思うわけです。版元さんは、管理部門だけ残して、後は解散しちゃうのが、これからの時代の在り方なんじゃないの?


従軍慰安婦
 「従軍慰安婦」は、千田夏光によって日本を蔑むために1974年に作られた言葉です。戦争中の用語ではないんですね。悪意の籠もった造語です。

 ちなみに、戦争中、売春をする人を「慰安婦」と呼んでいたのは事実です。ただし、当時は売春は合法で、慰安婦(売春婦)は立派に労働者扱いされていた時代で、彼女らには相応の給金が支払われていましたし、辞める辞めないは本人の自由に任されていました。なので、決して蔑むべき存在ではありませんでした。とは言え、下層階級の方々がつく底辺の仕事であった事には間違いがありませんし、現在の水商売同様に日陰な職業であった事も事実です。

 現在のパチンコ屋がほぼ朝鮮系の人が経営しているのと同様に、当時の売春宿の亭主(女衒と呼ばれていました)は、ほぼ朝鮮系の人でした。もちろん、軍とつながりのあった慰安所(売春宿)も、朝鮮系の方の経営がほとんどでした。そこで働いていた女性は、朝鮮系の女性もいたそうですが、圧倒的多数は日本の女性だったそうです。ですから、今更従軍慰安婦がどうのこうのと言っているのを聞くと、女たちに売春させて儲けていたのは誰ですかと、聞きたくなる私です。

 そうそう、売春が非合法とされたのは1954年の売春防止法施行以降です。現在の価値観で、戦前のことを語るのは、大きな間違いであるとも思っています。


障害者? 障がい者? 障碍者?
 障害者に関する表記問題は…難しいですね。

 障害者の方々のうち、障害者と言われるのは嫌だという人がいるので「障がい者」と言い換える自治体もありますが、一方で「障がい者」と呼ばれるのは嫌だ、きちんと「障害者」と言ってほしいという人もいます。

 障害者という言葉は「社会に害を与える者」というイメージがあるのでイヤだという人がいる一方で、「社会に害されている者」というイメージで、むしろ積極的に使っていきたいと考える人もいるわけです。私が考えるに、いくら言葉の表記を変えても、人々の心が変わらなければ、何も変わらないのに…と思っております。

 ちなみに、本来の表記は「障碍者」なんだそうですが「碍」という字は常用漢字表にはないので「害」の字が代わりに使われているんだそうです。なので、公的には「障害者」という表記が正しい表記という事になります。


今月のお気に入り Bluetooth イヤホン Jecoo
 やっぱりこのイヤホン(ヘッドホン)はいいよ。数ヶ月前から使っていますが、使い込む程に良い商品だなと思うようになりました。

 まず、安い。圧倒的に安い。安いのは正義ですね。あと、音が良い。少なくとも出先で音楽を聞く分には十分なほどに高音質です。ケースから取り出せばスイッチオンで、ケースに入れればスイッチオフなので、使い勝手も良い。

 なので、私だけが使っていてはもったいないので、先日妻にプレゼントしてみました。そしたら、速攻で無くされてしまいました。いやあ、ワイヤレスイヤホンだから、超小型でおまけに黒いし…落としたら、簡単に見つからないんだなあ…。そこが欠点と言えば欠点でした(涙)。


今月の金魚
2019年9月20日(金) 緋ドジョウが星になりました。
2019年9月22日(日) 緋ドジョウ2匹と石巻貝20匹が我が家にやってきました。


今月のひとこと
 ブログを引っ越ししてから約半月が経ちました。なんか毎日のようにシステムをいじってメンテばかりしていたような気がします。でもそれもようやく落ち着き始めました。9月はどうやら通常運転ができそうな見通しとなりました。感謝感謝です。(2019年8月31日〜9月5日)

 本日(9/5)は記事のアップが遅くなって申し訳ありませんでした。原因は…不明です。予約投稿がうまく作動しなかった上に、手動でのアップも出来ない状況だったのです。原因が分からないだけに怖いなあ…。ココログじゃあ、予約がうまく作動しなかった事はたびたびあったけれど、手動でのアップが出来ない…という事はさすがに無かったよ。これはサーバーの問題…なんだろうか?(2019年9月5〜6日)

 発表会では…ちゃんと練習通りに、それも極上の出来の練習通りに出来ますように。(2019年9月6〜8日)

 発表会は無事に終了しました。さあ、次はクラシックコンサートだ!(2019年9月8〜13日)

 記事のアップ時刻を午前4時に変更しました。(2019年9月13〜19日)

 日本国が韓国にいじわるをしたせいで、韓国人観光客が前年比48%減となったという報道がありました。まあ、日本からの訪韓観光客も大幅に減っているのでお互いさまですね。確かに訪日韓国人客は減っただろうが、それ以上に他の国からお客様が増えていて、外国人観光客は総数で前年度比3.9%増なんだそうです。韓国人相手の商売をしていたところは別として、特に目くじらたてる事ではないと思います。韓国人観光客が減ったという報道はしても、訪日外国人全体が増えているという事実は報道しないマスコミって何なの?って思います。(2019年9月19〜24日)

 秋…なのかな? 空気も多少は涼しくなってきました…が、なんか毎日がお疲れモードです。夏の疲れが出ているのでしょうか? それとも季節の変わり目にカラダがうまく対応しきれていないのでしょうか? いつでも寝れる。どこでも寝れる。でも、夜は寝れない…って、不眠症じゃないのか?(2019年9月24〜27日)

 仮に地球温暖化という問題が存在し、その原因が増え続ける二酸化炭素排出量にあると仮定するならば、その解決方法は、とても単純で、二酸化炭素を排出している原因を排除すればいいだけの話。では、二酸化炭素の排出原因は何か。それは…発電のために化石燃料が燃えて二酸化炭素が出る!? 乗用車から排気ガスと共に出る!? 森林が減少したために二酸化炭素が増えた!? 個々の現象を見れば、そうなのかもしれないけれど、それらの問題に共通する問題として、人口増が挙げられます。つまり、人間が増えたので、二酸化炭素排出量が増えた! という事になるでしょう。実際、世界人口は増える一方です。ならば、話はすごく簡単で、二酸化炭素排出量を減らすためには、世界人口を減らせばいいのです。世界規模の核戦争を起こすとか、疫病が起こってパンデミックになってみるとか、世界規模の飢饉が起こって、大勢餓死してみるとか…。そうすれば、あっという間に地球温暖化なんて解決する…って事になりますね。なにしろ人間なんて、生きているだけで、二酸化炭素を吐き出す生き物なんだよ。二酸化炭素の排出量の事を考えれば、人間なんて、少なければ少ないほど善で、むしろいない方がいいくらいなんだからね。(2019年9月27〜29日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | その他

2019年09月29日

同性愛者の皆さん方の結婚問題について、私が思うこと

 同性婚を認めろ!と、日本でも同性愛者の皆さん…最近ではLGBTとも言うそうですが、それじゃあ何だか分からないので、このブログでは“同性愛者の皆さん”と書いておきます…が声を大にして訴えるようになり、マスコミもこの問題をしばしば取り上げるようになりました。

 もちろん、これらの報道でも悪役は政府であって、日本国政府が同性婚を認めないから、日本では同性婚は法的に認められないのだ!という論調になりがちです。まるで、政府が同性愛者の皆さん方に意地悪をしているような雰囲気になったりもします。

 ま、実際、日本国政府が同性婚を認めない…というのは、事実だと思いますが、別にそれは意地悪をしているからではなく、憲法に書いてある事に従っているからです。


日本国憲法 第24条 第1項
 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。


 この条文を素直に読むと、次の事が分かります。

 1)婚姻は両性の合意で成立する。両性…つまり、異なる2つの性を持つ者が、それぞれ互いに承知しあう事で婚姻は成り立つ。
 2)婚姻をすると夫婦になる。夫婦とは、夫(男性)と婦(女性)の組み合わせである。婚姻して、夫夫とか婦婦にはならない。つまり、結婚とは、男性と女性とで行う事を前提としていて、同性婚という概念は、そもそも現行憲法には無い。

 つまり、現行憲法を読んでみると、どこにも同性婚を否定する文章はありませんが、同時に同性婚を肯定する文章もありません。それどころか、結婚とは男女で行うモノであるという事が暗に書かれているわけです。

 上にも書きましたが、現行憲法には、同性婚という概念が無いと言えるでしょう。同性婚という概念が無い以上(つまり、結婚は男女で行う事が前提である以上)同性婚を法的に認めるわけにはいかない…という政府の判断は、実に理性的だと私は思います。だって、無いものは無いんだからね。だから別に政府は意地悪をしているわけではなく、ただ単に、現行憲法に不備な点があるってだけの話だと思います。

 とは言え、現実社会では、夫婦同然に暮らしている同性カップルも、それなりの数いる事は事実です。夫婦同然に暮らしているのに、夫婦と同等の法的な権利が与えられないという事実に関しては、もはや目をつぶるわけにはいかないという主張には、うなづくべき点も多くあります。

 現在、同性カップルの法的な立場は、内縁関係にある男女カップル相当なものとして、婚姻関係に準ずるものとして、判例的に認められているんだそうです。つまり、法的には認められていないけれど、裁判所の数ある判例の中では、同性カップルは内縁カップルと同じようなモノとして扱われている…って事です。

 内縁カップルと同等とは…つまり“日陰者”というわけです。

 内縁カップルと同等じゃイヤだ、正式な夫婦として認めろ! これが同性婚を求める人々の気持ちなんだろうと思います。ま、分からないでもないです。だって、内縁関係と同じ「日陰者」、つまり「表に出せない関係」ってわけでしょ? 身内同士の親族会議から外されちゃうわけだし、相続でトラブルって、住み慣れた家を取られたり、共有財産を持っていかれたりするわけで、そりゃあ色々納得いかないよね。その上、最愛のパートナーを看取ることもできないかもしれないのです。

 事実上、夫婦として暮らしている同性カップルを夫婦として認めろという気持ちは、だから、分からないでもないです。

 でもね、私個人の意見を言えば、同性カップルを夫婦と呼ぶ事には違和感しかありません。やっぱり夫婦は、文字面を見ても分かる通り、男女カップルだよね。男々カップルとか女々カップルを夫婦と呼ぶのは、なんか違うような気がします。だから、同性婚についても違和感しかありません。結婚はやっぱり男女で行うモノだよね。

 「そんなのはお前の偏見だろ!」 まあね、偏見かもしれないけれど、これが私の正直な気持ち。偏見と言われようが、夫婦として受け入れられないものは受け入れられないんだよ。

 とは言え、上で書いてように、夫婦同様に暮らしている同性カップルの方々に、法的な根拠がないままで良いとは思ってません。内縁関係と同じ扱いというのは、ちょっと違うような気がします。同性婚に関しては、気持ち的には違和感だけれど、理性的には何とかしないとマズイよねと思ってます。

 じゃあ、どうするべきか?

 憲法を改正して、婚姻の定義を変えちゃえばいいんです。

 「両性の合意」ってのを止めて「両者の合意」とかに変えちゃえばいいし、「夫婦」ってのも止めて、男女イメージのない言葉に置き換えちゃえばいいんです。それこそ「カップル」とか「つがい」とか「配偶者1&2」とかね。

 そうやって憲法を改正した上で、同性婚法的な法律を作れば、当初は人々の心に違和感は残るだろうけれど、法的な問題は無くなる…んじゃないの? で、やがて世代を重ねていけば、そんな心理的な違和感も無くなっていくし、問題は雲散霧消すると…まあこんな感じになると思います。

 現在の日本国憲法ってのは、とにかく内容が古すぎるんです。現代社会に、全然合っていないんです。なにしろ、コンピューターの無い時代、まだ海外旅行には自由に行けなかった時代に作られた、いい具合に発酵している憲法なんですからね。一説には、現行憲法の中で、一番古い憲法は日本国憲法なんだそうです。他所の国の憲法は(アメリカも韓国も…)バンバン憲法を改正しています。

 そんなわけで、憲法のアップデートが必要なのです。そのアップデートが改正ってヤツでしょ?

 同性婚に関してもそうだし、他にも移民関係の法律も、スパイや工作員対策についても、憲法に何も書かれていないから、関連法令が穴だらけなんです。マズイよね。

 死にゆく年寄には関係ない話だと思うけれど、でも、きちんと憲法を改正して、今の時代に合ったものに変え、今の時代に合った法律を作っていかないと、困るのは今を生きる我々と、これからを生きる子どもたちです。子どもたちのために、憲法を今の時代に合った適切なものに改正していかないといけないと思います。

 なので、私が言いたい事は一つです。「同性婚を認めさせたいなら、駄々をこねる前に、まずは憲法を改正しましょう」って事です。

 しかし、憲法9条を改正する以上に、憲法24条の改正って、困難かもしれませんけど…ねえ。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | ダイエット&エッセイ

2019年09月28日

緋ドジョウ2匹と石巻貝20匹が我が家にやってきました

 メトのライブビューイングを見た、その帰り、銀座の金魚屋さんに行ってきました。いや、金魚屋ではなく、正式には熱帯魚屋さんですね。

 銀座の料亭が集まっている人通りの少ないあたりに、かなり大きめの金魚屋さんがあるんです。そこに行ってきたのです。もちろん、目的は、緋ドジョウの購入です。

 ここのお店は、一時期、日本中から緋ドジョウが消えてしまった時期にも、しっかり緋ドジョウの在庫を用意していたというくらいに、かなりしっかりしたお店なのです。今回も行ってみたら、緋ドジョウが実にたくさんいました。選び放題って感じだったので、なるべく大きめの緋ドジョウを二匹くださいとお願いしました。ちなみに、一匹1200円です。お値段は銀座価格です(笑)。

 で、緋ドジョウだけ購入して帰ってもよかったのですが、せっかくですから、貝類も購入して帰りましょう。まずはタニシを見たら…タニシは1匹160円だったし、タニシは金魚もよく食べてしまうので、購入するなら100匹とか200匹とか買わないといけないのだけれど、お店の水槽にはそれくらいの数はいたけれど、タニシ100匹で1万6千円ですから、そんな高価なエサをウチの金魚に与えるのは…贅沢すぎるってわけで、石巻貝を購入することにしました。石巻貝なら金魚は食べませんから、少量で十分です。1匹100円だったので20匹購入しました。

 というわけで、緋ドジョウ2匹、石巻貝20匹を我が家に迎えました。

 新しい緋ドジョウは、以前からいた子よりも、ちょっとばかり大きくて、すごぶる元気です。退色は…食べていたエサが違うせいか、ちょっとばかり違うので、今のところは新旧の見分けはつきますが、やがて同じ色になってしまうだろうから、見分けつかなくなるでしょうね。石巻貝も大きめの子を選んで飼ってきたので、すでに水槽にいる子たちと、もはや区別つきません。

 まあ、そんな感じの我が家の水槽です。それにしても、いずれタニシは、安価なネット通販で購入してやらないといけないだろうなあ…。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 金魚

2019年09月27日

山間部は結構雨風激しく降るようです

 フルートのレッスンに行ってきました。

 私がお教室に入った段階で、先生は行方不明で、姉様だけがいました。なんでも、姉様のレッスンを終えて、私が来るまでの時間で、近所にお買い物に行ってきたみたいです(ま、それもアリだよね)。で、姉様が留守番をしていたわけです。私がやってきたので、姉様がお帰りになり、レッスンの準備をしているうちに、先生がお戻りになりました。

 レッスンはいつものとおり、ロングトーン練習からです。

 今回のロングトーン練習をしながら気づいた事…私って、オオグチを開けてフルートを吹いているんだなあって事です。もちろん、クチビルはしっかりアンブシュアを作ってますが、口内はまるであくびのように、顎関節をギリギリのところで、ガクンと外しながら、オオグチを開いているんですよ。いや、それだけでなく、ノドも外へ膨らませているし、上あごだって、思いっきり上に持ち上げているんですよ。たぶん、めっちゃめっちゃ口腔の容積が大きくなっていると思うんですよ。つまり、歌う時の口内事情に限りなく近い感じでフルートを吹いているんです。

 そんな事をやっている人って、他にいるのかな? たぶん、かなり変わった事をやっているような気がします。たぶん、私がよく音色を誉められることと関連があるような無いような…気がします。

 さて、エルステユーブンゲンは25番と26番。25番は暗譜チャレンジをしたのですが、やっぱりまだまだあっちこっちボロボロです。でも、前回のような音痴な吹き方ではなく、きちんと笛を鳴らした上でのボロボロなので、多少は進歩しているようです。26番は全然暗譜できてません。

 旋律的練習曲は3番です。ちょっとテンポが速くて、目が回りましたが、なんとか吹き切りましたので、合格です。やったね。たぶん、こういう曲調は得意なのかもしれません。で、次回は4番ですが…これ、私の苦手なトリルとか装飾音符とかがてんこ盛りなタイプの曲なのです。ですから、先生からは、まずはトリル抜き(ただし、装飾音符はアリ)で吹けるように練習してくるように言われました。トリル抜きで吹けるようになったら、トリルを加えてみましょうって感じで、二段構えで学んでいくわけです。頑張りましょう。

 40リトルピーセズは29番のモーツァルトの「アレグロ」ですが、実はこの曲、練習しておくのを忘れ、レッスンに行く直前に譜読みをして、数回吹いてみただけで、レッスンに臨みました。そりゃあダメだよね。特に、まだ曲がカラダに入っていないので、3拍子の曲なのに、なぜかうっかり4拍子で数えてしまうという、実に初歩的(?)なミスをしてしまいます。まあ、練習量が絶対的に少ないゆえのミスり方ですね。

 今回の雑談は…山間部は大変だよって話です。先生はご自宅の他に、山中湖が大好きなので、山中湖のホテルによく滞在されているのです。ちょっと昔の話になりますが、お盆の頃に、先生が山中湖に長期滞在していると、台風がやってきたんだそうです。雨風が激しいだけなく、やたらといっぱい警報が出て、地元の人たちは避難をするとかしないとか…まあそんな感じだったのだそうですが、ホテル滞在者としては警報が出ているから言って、どこか別の場所に行くわけにもいかず、ただただ、ずっと嵐のホテルに缶詰になっていたんだそうです。別にホテルに滞在するのが目的なので、天候は関係ないのだそうですが、やはり天気が良いに越した事はないし、いい景色を見ながら、一杯やるのが趣味の先生ですが、さすがに嵐の風景を見ながら、ちびりちびりやっても、なかなか酔えなかったそうです。まあ、そうだよね。


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2019年09月26日

メトのライブビューイングで「アイーダ」を見てきました

 またもや、アンコール上映で、メトのライブビューイングの「アイーダ」を見てきました。今回見たのは、2018年上演版です。つまり、昨年のバージョンですね。メトでは何度も異なるキャスティングで「アイーダ」をライブビューイングしていますので、上演年の確認は大切です。

 で、私が見た上演のスタッフはこんな感じでした。

指揮:ニコラ・ルイゾッティ
演出:ソニヤ・フリゼル

アイーダ:アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
アムネリス:アニータ・ラチヴェリシュヴィリ(メゾソプラノ)
ラダメス:アレクサンドルス・アントネンコ(テノール)
アモナズロ:クイン・ケルシー(バリトン)
ラムフィス:ディミトリ・ベロセルスキー(バス)

 演出はメトの定番のフリゼル版ですから、特に文句はありません。安心して見ていられます。

 さて、今回の上演ですが、これのコメントって…難しいなあって思いました。すごく良いパフォーマンスであると同時に、かなり残念なパフォーマンスでもあって、お勧めしたい気分とお勧めするべきではないという理性が、私の中でせめぎ合っています。

 正直言うと、アイーダ役を歌っているネトレプコは、実に素晴らしいです。どれくらい素晴らしいのかと言うと、ネトレプコが嫌い&苦手で、彼女のパフォーマンスはすべからく下方修正しがちな私から見ても、手放しで絶賛できるくらいに、ネトレプコのアイーダは素晴らしいです。素晴らしすぎます。アイーダだけに着目するならば、この上演は誰にでもお勧めできるし、お勧めするべきだと思います。

 でもね、オペラって主役だけでやっているわけじゃないんだよ。ネトレプコがあまりに素晴らしすぎるために、他の共演者たちとのバランスが全然取れていないのよ。それで、舞台を見ていて、なんともむずかゆい気分になるんです。周りの歌手たちだって、決してヘボでもヘタでもないんだけれど、なんだろ…いわゆる“格下感”がプンプンに出ちゃうんです。

 例えば、アムネリスを歌ったメゾのラチヴェリシュヴィリは、昨今、メトで一押しの若手メゾで、多くの作品で主役を歌っていて、本来なら何の不足もない人なんでしょうが、ネトレプコの隣で歌うと、ちょっとばかり足りない…そこはかとない格下感が出ちゃうんです。ああ、残念。

 でも、まだアムネリスはマシな方です。ラダメスを歌ったテノールのアントネンコは、ちょっとどころではなく、かなりの格下感をダラダラと垂れ流しています。共演者というよりも、引き立て役って感じになっています。これはこれでアリなのかもしれませんが「アイーダ」というオペラは、プリマドンナ・オペラではないので、私的にはかなり残念です。

 唯一、アモナズロを歌ったバリトンのケルシーだけは、ネトレプコと対等に丁々発止しておりました。ですから、第三幕の二人の二重唱は、なかなかの見どころでしたよ。

 合唱はいつもながら見事なものでしたが、オーケストラは若干ドライブ感が不足しているというか、音楽の推進力が足りない感じがしました。そのせいもあって、第二幕のバレエシーンでは、ダンサーの動きの切れが今ひとつに感じてしまいました。

 おそらく、ネトレプコがあまりに素晴らしくて、そのネトレプコの水準に、共演者たちやオーケストラが届いていないために、見ていて不足や格下感を感じてしまうのです。ネトレプコが大した事なければ、たぶん、バランスも取れて、これはこれで満足する上演になったのだろうと思います。だって、冷静に考えてみれば、共演者たちもオーケストラも、メトでなく、他所に持っていけば、上場の出来だろうと思うからです。

 これだけ主役ソプラノが素晴らしいと、返って罪作りだね、

 というわけで、オペラはプリマドンナだと思っている人にはお勧めな上演ですが、オペラは総合芸術だと思っている人にはお勧めできない上演だと、私は思いました。

 私の個人的願望を言えば、指揮を音楽監督のネゼ=セガンにして、アイーダはネトレプコのまま、アムネリスをザジック、ラダメスをカウフマンにしたものを、ぜひメトの舞台で見てみたいと思いました。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 歌劇

2019年09月25日

生意気にリコルディ社版で歌います

 声楽のレッスンです。曲の練習に入りました。

 まずはベッリーニ作曲の「Malinconia, Ninfa gentile/マリンコニーア」です。

 今回私はこの曲を、リコルディ社の楽譜を使って、原調で歌うことにしています。当然、先生の伴奏も原調なわけですが、この曲、日本ではプロアマ問わず、全音版の中声版(三度下がってます)で歌うのが当たり前なので、先生はピアノが弾きづらそうでした。やっぱり弾き慣れた中声版の楽譜にイメージが引きづられるんでしょうね。

 じゃあなんで、私は全音版ではなくリコルディ版で歌うのかと言えば、この曲をレッスンで取り上げた時は全音版を使用し、ちこっとばかりフラストレーションが溜まっていたので、やっぱりスッキリするためにも、リコルディ版で歌っておきたかったからです。

 すでに(調性は違うと言えども)一度レッスンで取り上げた曲なので、まあだいたいは歌えます。問題の箇所(ミドラと上行していく箇所。この曲一番の難所)の練習を何度か繰り返しました。ボヤッとしてても歌えるんですが、そこをボヤッとしたまま歌うのではなく、きちんとテクニックを使って、テクニックが見えるように歌うように指導していただきました。たまたま今回は私自身の体調もよく、声が楽にポンポン出ちゃうので、この難所も難なく歌えちゃうのですが、本番当日の私の体調が良いとは限らないし、発表会の時のように、カラダがロックされた状態になるかもしれません。そんな時はボヤッとしたままでは、この箇所は歌えないわけで、ならば調子の良い時であっても、しっかりテクニックを使って歌う曲を付けておかないといけないわけなのです。

 備えあれば憂いなしだもんね。

 とにかく、跳躍音程は、必ず後頭部を通して発声をし、高音Aに関しては、しっかり鼻の響きを使うことを忘れない事…ですね。

 ビゼー作曲の「Agnus Dei/神の仔羊」も以前レッスンで歌った曲です。前回の時のテンポよりも今回は早めに歌いましょうと決めました。曲調を考えると、ゆっくりめで歌いたいところだけれど、人前で歌うことを考えるならば、あまりゆっくりめで歌うと、声やブレスの持ちが悪くなり、発声に余裕がなくなってしまうので、テクニックを展開できるギリギリの速さまでテンポを上げて歌うようにしましょうって事です。歌いたいテンポではなく、歌えるテンポで歌うってわけっすね。

 私に、もっとテクニックと体力と筋力があれば、理想とするゆっくりめのテンポでも十分歌えるのかもしれませんが、今はそれができないので、理想と現実のすり合わせってヤツをせざるをえないわけです。

 とは言え、曲の最中にあれこれテンポチェンジがある曲なので、ピアニストさんとの合同レッスンの時に、細部のテンポを決める事にしました。

 そうそう、この曲は比較的スローテンポなので、各音符を歌う時に、なるべく次の音符の音程を予感させるように歌った方が歌心ってやつを感じさせることができるというわけで、なるべくそう歌ってみました。特に大切なのは、前の音符の母音と次の音符の子音の音程の連結ってヤツで、これが見事だと、実にいい感じになるわけです。

 最後は、二重唱です。これは発表会で歌った、ヴェルディ作曲「椿姫」の二重唱「Un di felice, eterea/思い出の日から」をもう一度歌うことにしています。

 注意されたのは二点。三十二分音符を大切に歌う事(しっかり息を載せて歌う事)。最後のカデンツァの箇所をちゃんと歌う事、です。特にカデンツァの部分は、リズムと音程の両方が難しいため、リズムを正しく歌うと音程が抜け、音程に注意を払って歌うとリズムがズレるという塩梅で、どうにもうまくいきません。リズムと音程の両立…って当たり前なんだけれど、その当たり前に苦労している私だったりします。はあ…。

 クラシックコンサートは、実はもうすぐなんですよね。四の五の言わず、頑張りますよ。


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2019年09月24日

才能だけで歌えないなら、技術を磨け

 声楽のレッスンの続きです…ってか、レッスンを始めました。

 まずはハミング練習からです。常に声は頬骨の上に載せる事。まずはこれがスタートラインです。でも、ちょっとでも油断すると、すぐに声が落ちてしまいます。いかんいかん。

 そのハミングの感覚を忘れないうちに、発声練習に突入です。声は常に頬骨の上からスタートです。でも、いつまでもそこに声を置いたままではダメです。そこから今度はドンドン後ろに声を引っ張っていきます。つまり、ポジションの高さ(?)は頬骨の上の位置で良いのだけれど、音程の高さに関しては、声の位置をドンドン後ろに移動します。肝心なのは、後ろに動いていくのであって、最初から後ろにあってはダメだし、前のままで移動しないのもダメなのです。発声練習だから上行下降音形を歌うわけだけれど、音程が上行するにつれて声の位置を後ろに動かし、音程が下降するにつれて声の位置は前に…動かさずに、後ろのままキープしていくのです。これを何度もやりましたが、どうも声を前後に動かすのが私は苦手のようです。なんともうまくいかないもんだなあ…。

 でも、これが出来ないと、高音が安定して出せないのだそうで、それを聞いたら頑張るしかないよね。

 まあ、こんな事も歌唱テクニックの1つであって、もちろん歌はテクニックがあった方が良いけれど、別にテクニックを使わなくても、立派に歌っている人はプロアマ問わず、大勢います。むしろ、テノールの場合は、テクニックを使わずに歌えちゃっている人の何と多いことか!

 つまり、才能だけで歌っている人が大勢いるわけです。

 うらやましいねえ。私も才能だけで歌ってみたいけれど、残念ながら、そんな才能は私には無いみたいです。もっとも、そういう才能だけで歌っている人は、老化とともに歌えなくなるわけで、私の年になれば歌えなくなっているのが当たり前だそうで(だからテノールの寿命は、一般的には短いと思われているわけです)、ならば仮に私に才能があったとしても、すでに年齢的に賞味期限切れなので、どっちにせよ、才能では歌えないわけだから、そこは覚悟を決めて、テクニックの習得に励むしかないわけです。

 思えば、キング先生は、歌唱テクニック全否定な人でした。まあ、彼は才能の塊みたいな人だったし、生徒にも、テクニックよりも根性を優先させていた人でしたね。今もあそこにいたら、才能に乏しい私は、全然上達していないだろうし、それ以前に声を壊していただろうなあって思います。根性派のキング先生から、歌唱テクニック優先派のY先生に変わって、ほんと良かったなあと思います。

 歌唱テクニックというのは、歌いづらいところを如何に上手に歌うためのテクニックであって、本来はラクラク歌える箇所で使う必要ないモノですが、Y先生は、たとえ楽に歌える箇所であっても、テクニックを使って歌うことを要求します。どんな箇所であれ、テクニックが見えるように歌うことを要求します。

 出来るんだからいいじゃん…と思わないでもないですが、でもたぶん、それじゃあダメなんだと思います。どんな箇所でもテクニカルに歌う事って必要な事なんだろうなあっと自分を納得させています。と言うのも、簡単なところで、そのテクニックが使えなければ、もっと難しいところでテクニックを使うなんて、無理になってくるよね。でも、難しいところでテクニックが使えなければ、何のためのテクニックなんだって話になってくるわけで、それ故に、比較的楽なところから、テクニックが見える歌い方をしておかないと、自分の首を絞めちゃうわけなんです。

 そんな事を考えながらの発声練習でした。


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2019年09月23日

ボタンの掛け違いが失敗の原因

 声楽のレッスンに行ってきました。

 まずは発表会の反省…と言うか、先生のコメントから。とにかく「リハを失敗しましたね…」って事に集約されるそうです。

 リハ…会場に着いて、ピアニストの練習に合わせて、軽く声を出していったわけですが、それが失敗だったと先生はおっしゃるし、自分でもそう思います。ピアニストに気を使わずに、自分の事だけに集中していれば、良かったんだなあと、今なら思えるんですけれど…。

 とにかく、ピアニストのために合わせるだけで、声そのものは軽く歌おう…なんて考えたのが間違いなのでした“軽く歌おう”と思って、本当に軽く歌えたならよかったのですが、軽く歌おうと思って、実際は“発声的にいいかげんに歌ってしまった”のです。

 先生曰く「スイッチを入れ間違って、それが後々まで影響しましたね」って事なんです。

 どういう事が言えば、我々歌手は、普段生活しているカラダから歌うカラダ(つまり楽器)へ、本番前にカラダを変えていくわけで、その事を“スイッチを入れる”と表現されたのです。

 で、この“カラダを歌うカラダに変える”ためには、それぞれ個人個人でやり方も違えば、変えるのにかかる時間も違うのだけれど、言えることは、普段生活しているカラダのまま歌っては、ノドが壊れるし、声も長持ちしない…ってわけです。

 普段のレッスンでは、歌う前に、たっぷりと発声練習をするわけで、その過程でカラダにスイッチが入るわけなので、特に問題はありませんし、自宅の練習でも、発声練習したり、しなくても、そこは自分でセーブしながら歌っているので、大事件にならないのですが、本番を控えていると、そこが違うのです。

 本番前は、そんなに時間があるわけでもないので、いかに上手に効率よく、カラダのスイッチを入れて、普段のカラダから歌うカラダに変えていくかが、大切なのです。

 人によっては、舞台袖に行って、気持ちを切り替えるだけで、歌うカラダになれる恵まれた人もいるみたいだけれど、そうではなく、朝起きた時から、数々のルーティーンをこなしていかないと歌うカラダにはなれない人もいるそうです。それくらい、人によって、歌うカラダに変えるための手順やら時間やらが違うわけです。少なくとも、私の場合は、気持ち1つでどうにかなるタイプではなく、ある程度の体操とか発声練習とかが必要なタイプのようですが、それをせずに、軽い気持ちで無造作にピアノに合わせて歌ってしまったために、うまくカラダが歌うカラダに変わらずに、しっかりノドで歌ってしまい、ノドを痛め、カラダの各所もほぼほぼ動かないままで出来上がってしまったわけです。

 これを業界用語では“ロックした状態”というのだそうだけれど、そんなロックした状態のカラダになってしまったのが、発表会当日のワタシだったわけです。

 つまり、一番最初のボタンの掛け違いが、当日の失敗の原因だったというわけです。

 なので、今後は、リハと言えども、ピアニストには気を使わずに、まずは自分の発声を第一に考えて、しっかりカラダを動かして血行を良くして、必要な筋肉を事前に動かして準備運動もし、その上でノドに優しく歌えるようにしてから、ピアノと合わせる…という、自分本位な準備をちゃんとしてからリハに臨まないといけない…って事を学びました。

 他人を気を使うよりも、もっとエゴを前面に出していかないと、歌は歌えない。少なくとも私はそういうタイプの歌手であるという事を、もっともっと自覚しなきゃいけないわけです。

 ま、そうなんだろうなあと思いました。

 ちなみに、発表会の歌唱については、発声はダメだったけれど、歌そのものは壊れていなかったですよ…というのが先生の感想です。歌は壊れていなかったという程度で、決して良かったわけではありません。発声がダメなために、ちゃんと歌いきれていない箇所はあっちこっちあったしね。やはり歌は、まず発声だね。発声がダメだと、後はボロボロになるしかないものね。

 そんな注意を受けた私でした。


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2019年09月22日

言い換え言葉は、あまり好きではない

 世の中には“言い換え言葉”というものがあります。そもそもは、元の言葉に差別的な意味があったりするので、別の差別的な意味合いの薄い言葉に取り替えていきましょう…ってのが、最初だったと思います。

 例えば「めくら」とか「つんぼ」。これらの言葉には差別的な意味合いがあると考える人たちがいます。なので、これらの言葉を「目の不自由な方」とか「耳の不自由な方」と言い換えるようになって、だいぶたちます。若い世代の人たちの中には「めくら」とか「つんぼ」という言葉を知らない人たちもいるかもしれませんね。

 しかし、私の個人的な意見ですが、これらの言い換え言葉って、好きになれないんだよね。

 まあ、差別的な意味合いのある言葉を使わなくなったからと言って、人間から差別の心が無くなるわけじゃないし、別の言葉に変えることで、指し示す意味が微妙に違ってしまったりとかするでしょ? 例えば「めくら」ってのは、そもそも全盲の事を指しているわけで、近眼や弱視の人は「めくら」じゃ無いよね。でも、今じゃそれらも全部合わせて「目の不自由な方」なんだよね。それってどうなの?って思うわけです。もっとも、だからと言って「めくら」を使い続けろとは言いません。どうせ言い換えるなら、もっと適切な言葉にしろよって言いたいだけなのです。

 そんな感じで、言い換え言葉があまり好きではない私ですが、最近、よく見聞きする言い換え言葉の中に、やはり好きになれない言葉がいくつかあります。今回は、それらの言葉について書いてみましょう。

1)地域猫

 最初に聞いた時は「なんじゃそれ?」と思いました。いわゆる“野良猫”の事を今では「地域猫」と呼ぶそうです…と書くと「野良猫と地域猫は違います」とのたまう人が出てきそうですが、飼い主がいるわけでもなく、野外で自由気ままに生きていて、人間とは適度な距離にある猫…と言えば、やっぱりそれは“野良猫”でしょ? 

 「地域猫は、地域で面倒を見ている猫の事で、野良猫とは違います」 昔から、野良猫に常習的に餌をやるなどの面倒を見る人って、いるよね。で、近所迷惑になっていたりするけれど、あれは地域の人が面倒見ているけれど、やっぱり地域猫なの? それとも野良猫なの?

 「地域猫は、不妊手術をしています!」 不妊手術済みの野良猫を地域猫と呼ぶのなら、まあそれでもいいよ。でもね、不妊手術をしていようといなかろうと、やっぱり野良猫じゃん。なら、野良猫でいいじゃん。

 愛猫家ならともかく、一般市民レベルでは、あなたたちがおっしゃる地域猫と野良猫の差なんて分かんないよ。耳が切ってある? そんな猫の傷なんてイチイチ気にしないよ。分からないほどの小さな差なら、別に区別する必要なんて無くない?

2)AGA

 ハゲです。禿頭です。薄毛です。

 まあ、ハゲとか禿頭とか薄毛とかの言葉に差別的な意味があると感じる人もいるだろうから、それを言い換えているんだ…という言葉を全面否定するだけのモノを持ち合わせていない私です。実際、「このハゲ!」とか言われると、凹むもんなあ。ハゲって言葉、罵倒語なんだよね。

 でも、AGAは、分かりづらい言葉です。私は、ハゲはハゲなんだから、ハゲでいいじゃんって思ってます。まあ、罵倒語として使われると辛いんだけれど、それはどんな言葉だって、使い方によっては罵倒語になりうるわけだから、ハゲにだけナーバスになっても仕方ないと思います。

 ハゲなんだもん、ハゲでいいじゃん。AGAは分かりづらいよ。

3)自死

 自殺の事です。自殺とは「自らを殺す行い」であるので“自殺”という言葉が適切だと思います。自死とは「自然に死ぬこと」であるので、言葉的には“寿命が尽きて死ぬ”イメージであって、老衰死とかがそれに当たるかなって思います。なので“自殺”の言い換え言葉として“自死”は、かなり違うなあって思うわけです。

 自殺はいかんよ。他人を殺してもいけないけれど、自分を殺すのもいけない事です。自分であれ他人であれ、その人の未来を奪う権利なんて、誰にもないわけで、もちろん、自分にだって無いわけだ。

 自殺は他殺の対義語です。自死の対義語は他死になるけれど、他死って何? そう考えると、やっぱり“自死”なんて日本語って、変だよな。

4)終戦

 1945年に、日本がアメリカに負けた事を“終戦”と呼びます。

 いやいや、終戦じゃなくて敗戦でしょ? って私は言いたいのです。終戦という言葉は、実に他人行儀な言葉です。まるで、自分たちとは無関係な戦争が、いつのまに知らないうちに終わってしまった…みたいな感じじゃん。

 そんな事って、ありえないよね。

 当時の日本人たちが、それこそ総力戦で命がけで戦って、戦った結果、負けたんだよ。それが他人事であっていいわけないじゃん。

 負けたんだよ。だから敗戦というべきでしょ。それを終戦と言い換えることは、負けを認めたくないわけでしょ。でも負けは負け。それを受け入れた上で、胸を張って生きればいいだけの話で、そこをいい加減にしているから、隣国からあれやこれや言われるんだと思うわけよ。

 負けは負けなんだよ。「この前は負けたけど、今度やったら負けないぜ、次はリベンジだぜ!」でいいじゃん。別に実際にリベンジしなくたっていいんだよ。いや、問題解決を暴力で解決するのは21世紀的ではないでしょう。ただ、リベンジしてやるぜという気持ちは大切だと思う。それが無いから、ナメられるんだよ。

 まずは負けを認めよう。その上で、負けを克服していこう。そうでしょ? そのためにも「敗戦」という言葉を堂々と使おう。「終戦」とか言って、負けを認めないのは止めよう。

5)援助交際

 不特定多数の男性に春を売って金をもらう…んだから“売春”だよね。それを“援助交際”と言い換える事に、何の得があるんだか? こういう言葉を言い換えるなんて、むしろダメだよ。売春は売春、そこははっきりしましょう。

 ちなみに、パパ活とか愛人契約とかプロ彼女とかは、金銭の授受を伴うものの、特定の男性との関係なので、売春防止法的には、これは売春とは呼ばないそうな。えー、それはなんか可怪しいよ。売春防止法という法律には、あれこれ可怪しい部分がたくさんあるわけだし、この法律が令和の現代も有効というのが、本当はダメなのかもしれません。まあ、廃止も含めて、法律をきちんと検討しなおす時期に来ているんだと思います。

 カジノは合法で、売春は非合法ってのは、私には理解できないです。カジノと売春ってセットじゃん。カジノを合法化するなら、合わせて売春も合法にしないと、それこそ片手落ちだよね。

 カジノが非合法なら売春も非合法でいいけれど、カジノを合法化するなら売春も合法化しましょう(マジです)。闇社会の人たちに売春業をやらせるからダメなんであって、いっそ、公営施設で売春すればいいのよ。そこで働く売春婦たちは準公務員扱いをして、きちんと身分を保証してあげる。出来ない話じゃないし、いい女が安価で抱けるなら、少なくとも性犯罪は激減するぜ!

 こんな感じで考えているので、納得できない言い換え言葉ってのがあるわけなのです。

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posted by stone at 04:00| Comment(4) | ダイエット&エッセイ

2019年09月21日

“ドジョウたちの具合が良くないのです”+“緋ドジョウが星になりました”

 表題の通り、マドジョウ(普通に食用にしているドジョウ)と、2匹いる緋ドジョウのうち、一匹の具合が良くありません。つまり3匹いるドジョウのうち、2匹の具合が悪いのです。残りの緋ドジョウは元気なのですが…。

 ドジョウに関して言えば、体調の良し悪しは一見して分かります。具合の悪い子の退色は極めて白く、体調が良いと濃いめの退色になります。マドジョウの場合、お腹は透き通るように真っ白に、背の部分も模様がかなりクリアになりました。かなりヤバいです。具合の悪い緋ドジョウに関しては、全然赤っぽい要素はなく、ほぼ白ドジョウになってしまいました。こちらもかなり体調が悪そうです。

 おまけに、この2匹は、時々水槽の中を漂っているんです。漂っていると言うか、流されていると言うか、まるで無生物のような状態になっている事があるんです。おそらく失神しているんでしょうね。野生なら餌になってしまう状態です。

 だからと言って、飼い主として何ができるというわけもなく、ただただ心配するしかできません。ドジョウの体調不良に効く薬なんて無いもんなあ。

 ただ、今までの経験上、ドジョウというのは案外タフなヤツで、金魚なら明日をもしれないぐらい体調が悪くても、ドジョウの場合、その体調の悪い状態で小康状態を保ってみたり、そんなどん底状態から復活する事もあるので、それを期待するだけです。

 ひとまず、頑張れ。ドジョウたち。

 そんな記事を書き終えて、日付が変わって翌日の事、仕事から帰ってきたら、具合の悪かった緋ドジョウが星になっていた…と言うか、みんなに食べられてしまいました(!)。それも、ほぼほぼ食べつくされ、残された皮でそれが分かったのです。うーむ、肉はもちろん、骨や内蔵も食べられしまったけれど、皮だけは残っているんですね。つまり「皮以外は美味しい」という事だったのだと思います。

 まあ、食べたのは、金魚たちだろうけれど…。なんか複雑。ま、弱肉強食なんだけれど…、ほんと、金魚って何でも食べるんだな。


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posted by stone at 04:00| Comment(2) | 金魚

2019年09月20日

まだまだ暑いです

 フルートのレッスンに行きました。

 お教室に入ったところ、いらっしゃったのは姉様一人でした。なんでも、姉様のレッスンが終わって、先生は近くの百均に買い物に行ってしまったんだそうです。で、姉様が留守番をしていたわけで、私が到着したので、入れ替わりに帰られました。

 で、しばし先生を待っていたら、戻られたので、レッスン開始なわけです。

 いつもバッチリなロングトーン練習を終えたら、さっそくエルステユーブンゲンです。実は今回、いつもいつも懸案となっていたエルステユーブンゲンの25番の練習をたっぷりしてきたのです。どれくらいたっぷりかと言うと、おそらくこの曲の練習だけで、前回から5時間はやってきました。もう、自信満々…と言いたいところだけれど、やっぱりあっちこっち薄ぼんやりしているんだよなあ。でも、それでも何とか最後まで通して吹けるほどには暗譜してきました。

 だから「今回は暗譜してきたので、チャレンジします」と宣言したところ、いつもなら一人で(つまりマイペースで)吹かせてくれるのに、今回は先生と合わせて吹くことになりました。当然、ペースは先生に握られているわけで、結果、ケチョンケチョンな演奏になってしまいました。そればかりか、暗譜が不確かな成果、フルートの音色まで最悪状態で、一つも良いところはありませんでした。ああ、もっと暗譜に励まないといけないんだろうなあ(涙)。

 25番がそんな感じだったので、当然26番(こちらも暗譜してきたつもりですが)もダメダメでした。はあ…。

 旋律的練習曲は3番ですが、こちらはまあまあ吹けました。注意されたのは、アクセントとスタッカートの吹き分けです。どちらも音符を強調するのですが、アクセントは瞬間的な音量増大であって音符の長さは変わりませんが、スタッカートは音量的には同じだけれど、その前後に無音の時間を作って目立たせるわけで、同じ強調でも手法が違うわけです。で、その手法の違いをよりはっきりとさせて吹きましょうって事で、そこをクリアすれば、この練習曲は上がりなんだそうです。次回までに課題をクリアしたいですね。

 40リトルピーセズは28番のベートーヴェンの「さらば、ピアノよ」でしたが、こちらは一発合格でした。まあ、途中の転調部分が厄介だなと思って、そこばかり練習したおかげもあって、全体的にスムーズに吹けました。次回の29番はモーツァルトの「アレグロ」ですが、何の曲のアレグロなんだろ?

 今回の雑談は…残暑があまりに厳しかったせいもあって、どうして夏って暑いんだろうって話をしました。特に平成になって以降、夏の暑さはほぼ災害レベルにまで達してしまったのではないかという話をしました。実際、昔の夏よりも今の夏の方が絶対に暑いからね。

 で、その暑さの理由は地球温暖化のせい…ではなく、単純にエアコンの排熱のせいだろうとなりました。建物の中を冷やすために、熱交換をして、高熱を外気に吹き出しているわけで、それが1つや2つならともかく、当地のような小さな町でも、何万何十万という室外機が発熱して排熱しているわけで、そりゃあもう、街中でストーブを焚きまくっているようなもんだから、気温だってバクバク上昇するわな。

 おまけに田んぼが無くなったでしょ? 田んぼって偉大だと思うよ、あれだけ満々と水を張っているわけだから、お日様がカンカン照りになれば、田んぼの水の気化熱で外気を冷やしてくれるわけだしね。おまけに地面がアスファルトでなければ、地面からの照り返しだって、たかがしれているわけです。

 つまり夏が暑いのは、単純に街が都市化して、地面をアスファルトで固めて、エアコンをガンガンに効かせたからであって、それを“地球温暖化”とか言って、他人のせいにするのは、一部の環境運動家やそのお友達たちに踊らされているだけなんだよね。つまり、環境ジゴロたちの商売の片棒を担がされているわけだ。

 それはともあれ、毎日暑くてつらいです。この残暑を一日も早くどうにかしてほしいと…真剣に思うわけです。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | その他

2019年09月19日

先生はブログの事はご承知ですか?

 音楽ブログの定番ネタなんですが「先生に、自分のブログが見つかっちゃったよ、ヤバイヤバイ…」というのがあります。まあ、年に数人がヤバイヤバイと騒ぐくらいに定番ネタですね。

 まあ、それだけ先生に内緒でブログを書いている人が大勢いらっしゃるって話なんでしょうね。

 私の場合、一番最初のレッスンの時に、先生にブログをやっている事を白状しちゃいますし、ブログに書いてもいいかって許可取りをしています。もちろん、ダメと言われれば書きませんが、今までの先生でダメと言った人はいませんので、老犬ブログは続いています。なので“ブログが先生に見つかった! ヤバイヤバイ”って事にはならないし、なぜ“ヤバイヤバイ”って騒ぐのかが分かりません。

 そもそも、先生の許可なくレッスンの話をブログに書いちゃダメでしょ。これは法的にどうのこうのではなく、マナーの問題です。自分の知らないところで、自分の事がネットに書かれていて愉快に思う人なんていないわけで、ブログに書くなら、きちんと書きますと伝えて、先生が読みに来られても大丈夫なように書くべきです。

 ブログって誰でも読める媒体なわけで、その“誰でも”の中には、当然、当事者である先生も入るわけで、そういう意味で、きちんと読者を意識しないといけません。なんでも、好き勝手なことを書き散らせばいいってわけにはいかないのが、ブログです。

 それなりに気を使って書いていますが、レッスン中に先生から「この事はブログに書かないでね」と釘を刺される事があるし、また「この前のブログに書いた事、削除してもらえないかな?」とお願いされる事もあります。書かないでねと言われた事は書かないし、削除してねと言われたら、即座に削除します。

 ブログを読んだ先生から、私の記事に対して「私はそんな事を言ってない」と言われた事もあります。「いやいや、先生、自分ではそう思ってらっしゃらないかもしれないけれど、確かにそういう事をおっしゃってましたよ」と言いかける事もありますが、大抵の場合は素直に「ごめんなさい」と謝って、当該箇所を削除しています。

 まあ、ブログを書いていると色々あるし、多くの先生方は私のブログに思う事はあるでしょうが、それでも皆さん、容認してくださっています。

 ある先生(指揮者さんです)がおっしゃってくださってましたが、音楽家が音楽で自己表現をするように、ブロガーはブログを書くことで自己表現をしているのだから、それはそれで尊重しないといけないんだよ…とのお言葉をいただいた事があります。ありがたいですよね。なので、私は自分の自己表現としてのブログを書いているんだと意識していますし、それゆえに、無闇に他人を傷つけるのはやめようと思っています。傷つける可能性があるなら、黙っている、書かない、口を閉じる…というのが私のポリシーです。表現って、表現するだけが表現ではなく、表現しない事も表現だと思っているからです。

 こう見えて、色々と考えながらブログを書いているんですよ。ふと気づけば、もう12年もブログを書いているんですよね。ああ、ご苦労な事です。


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posted by stone at 04:00| Comment(2) | その他

2019年09月18日

実は半音って遠いんです

 半音ってのは、カラオケ的に言えば「1」です。歌っていて、少し高くてキツイなあ…と思った時に、1つ下げたり、2つ下げたりするじゃないですか? あの時の「1つ」が半音です(2つは「全音」ですね)。
 そう考えると、半音って、そんなに大きな差じゃないと思いがちですが、実際、高くてキツイなあと思った時に、音を1つ下げただけでも、だいぶ楽になります。ギリギリ歌えなかった曲がギリギリ歌える感じです。でも、もっと楽に歌いたい時は、2つとか3つとか、それ以上下げちゃうわけです。下げれば下げるほど、歌うのが楽にはなるけれど、あまり大きく下げちゃうと、曲の雰囲気が変わるし、そもそもカラオケって、デフォルトのキーがすでにオリジナルよりも低く設定されているものも多いので、そんなに大きく音を下げる必要がありません。それに、一部では、オリジナルキーで歌うのがエライという風潮もあり、あまり大きくキーを下げない傾向もあります。
 ま、これがカラオケの世界の発想です。
 ちなみに、私なんかは、逆にカラオケに行くと、音を上げて歌ってます(笑)。だって、そうしないと、歌いづらいんだもん。で、マイク無しで大声で歌って、嫌がられています(笑)。
 で、クラシック声楽の世界だとどうなるのかという話ですが、クラシック声楽でも声の種類によって、移調譜というのが用意されています。オペラアリアは原則的に移調せずに歌いますし、歌曲でも現代歌曲は移調をしないで歌うという風潮もあるようですが、多くの場合、歌曲に関しては、歌手の声に合わせて移調して歌うのもアリです。
 …ってか、むしろシューベルトなどのドイツリートは、原調で歌う人よりも低く移調された譜面で歌う人の方が多くないかい?(かく言う私も、そうなんだけれど)。
 で、クラシック声楽の場合、低く移調すると言っても、1つとか2つとかの半音単位で下げる事は、まずありません。基本的には“中声用”あるいは“低声用”として予め低く移調された楽譜が出版されていますので、これらの楽譜を使用します。
 これらの楽譜を見ると、原調の楽譜と比べ、低くなっている程度が曲によってまちまちです。カラオケ的に言えば、2つ(全音低い)あるいは3〜4つ(三度低い)下げる譜面が多いかな? 中には全然下げていない楽譜もあったりします。
 意外と無いのが、1つ(半音)だけ下げてある楽譜です。ありそうで、なかなかありません。と言うのも、クラシック声楽的に考えるならば「半音低く移調? ありえなーい」となるからです。
 これは、カラオケの音楽(ポピュラー音楽)は平均律の音楽なので、どれだけ全体を高く/低く移調しても、それぞれの音の関係は変わらないのですが、クラシック声楽に限らず、クラシック音楽は、なんだかんだ言って、純正律、またはそれに近い音律で出来ている音楽なので、調性ごとに音楽の雰囲気が異なりますので、移調する際には、似た雰囲気の調に移動するのです。なので、機械的に音を下げるという事はせずに、曲ごとに移調した楽譜を用意するわけです。
 上下に4度(5つ)または5度(7つ)離れて移調するのが、一番雰囲気が近いんだそうです。次3度(3つ)下げるが近いかな? とにかく、音を低い方に移調するにしても、ルールがあるわけです。
 半音下げる(1つ)というのは、クラシック音楽的には全然違う音楽になってしまうので、半音下への移調というのは、まずないのです。ピアノの鍵盤で考えてみれば良いのだけれど、半音違う調性である、ハ長調で使う鍵盤と、ロ長調で使う鍵盤って、ほとんど一致しないでしょ? この一致のしなさ具合が違う雰囲気を作ってしまうのだそうです。
 ハ長調とヘ長調やト長調って、使う鍵盤がほとんど同じじゃない? 雰囲気が同じって、そういう事を言うようですよ。

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posted by stone at 04:00| Comment(2) | 声楽のエッセイ

2019年09月17日

どうしてフルートを学んでいるのですか?

 基本的に笛が好きなんです。小学生の頃は、リコーダーをほとんどオモチャ代わりにしていたくらいです。暇なら吹くし、暇じゃなくても吹くし、とにかく吹くし…そんな感じでリコーダーばかり吹いていました。親には「ピーピーうるさい!」と叱られて殴られていました。

 吹いていたのはリコーダーばかりじゃないですよ。お土産屋さんで購入した篠笛とか龍笛なども吹いてたし、簡易なフルートモドキの楽器も吹いていました。そう、生まれつき、横笛が吹ける人なんですよ、私。なので、横笛、縦笛問わず、とにかく笛を吹いて遊んでいた人だったのです。

 でも、そんなふうに笛で遊んでいたのは中学生ぐらいまでかな? 中学生でギターを始めると、私の音楽的な飢えはギターで満たられるようになり、やがて笛を吹かなくなりました。だって笛だと和音は楽しめないからね。

 やがてギターからキーボード演奏に変わったり、パソコンで音楽をやるようになったり、合唱や声楽をやったりして、色々と私の音楽の幅も広がっていき、一時は笛を忘れていたわけです。

 そんな笛愛を思い出す事件が起こりました。2008年の春、もう10年以上前の話ですが、楽器店で楽譜を漁っていたら、目の端にフルートが見え、なんかもう、いてもたってもいられなくなって、フルートを衝動買いしてしまいました。当時の事は、こちらの記事に書きました。

 本物のフルートを購入したのは始めてですが、すぐに吹けました。一緒に買ってきた曲集もだいたい吹けました。吹けない曲は、笛が吹けない…と言うよりも、楽譜が読めないから吹けなかったのです。なにしろ、当時の私は楽譜がロクに読めなかったんだもの(笑)。

 それで、ちゃんと先生に習ってみようって考えて、今日の私につながっていくわけです。そのあたりの話は、今日は割愛します。

 フルートが大好きだし、衝動買いをするというきっかけで、フルートを吹き始めた私ですが、今改めて、どうしてフルートを吹いているのですかと問われると「フルートが好き」とか「フルートを衝動買いしちゃったから」とか「天のめぐり合わせだから」とか答えますが、最近になって思うに、それ以外の答えもないわけではありません、それも複数の答えがあるわけです。

 例えば…まともに演奏できる楽器の一つぐらい、特技として欲しかったから…かな?

 私は、今までの人生で、あれこれ色々な楽器に手を出しましたが、実はすべて中途半端なんです。そこそこはできるけれど、そこそこしかできないのです。おそらくその原因は、それまでの楽器はすべて独学だったからです。独学だと導く人がいませんからね。それでも上達できる人はいるのでしょうが、私は無理です。怠けちゃう、飽きちゃう、辞めちゃうし…。だから、フルートはきちんと先生に師事をして、きちんと学ぼうと思ったわけです。

 例えば…女性の声が欲しかったから。

 私、歌う人としては“ソプラノの声”が欲しいんですよ。ソプラノで歌いたい。女性の声で歌いたい…と切に願っているのです。だからと言って、女性になりたいわけじゃないんです。単純に、楽器としての“ソプラノの声”が欲しいのです。

 カウンターテナーとかメールソプラノと呼ばれる、女声の音域で歌う男性歌手もいますが、それは私の望む方向とはちょっと違うんです。女声音域の男声で歌うのではなく、あくまでも、女性の声で歌いたいんですよ。

 でも、それは無理。だって男性なんだもん。おそらく性転換手術をしても無理。別に性転換手術をしても声は変わらないし…、つまり、女性に生まれ変わらないと無理なんです。

 とどのつまり、今の人生では何をどうやっても無理…でしょ?

 そんな私の願いの代替品がフルートだったりします。フルートの音色と音域は、ほぼほぼ女声じゃないですか? 私はフルートを吹くことで、擬似的に女声を手に入れている…と思ってます。まあ、代替品なので、言葉を載せることはできないのだけれど…ね。そこは所詮代替品だと思って、諦めています。

 そんな理由でフルートを学び続けている私だったりするわけです。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | フルートのエッセイ

2019年09月16日

どうして声楽を学んでいるのですか?

 私は物心ついた頃から音楽が好きでした。でも家が貧しかったので、ピアノを始めとする楽器を習う事はできず、お金のかからない歌ばかりを歌って音楽への思いを満たそうとしていました。

 でも、歌うとよく親父に殴られました。とにかく、オヤジの前では息を潜めてひっそりしていないと、親父は機嫌悪くなったからね。だから、歌うと言っても、声を出して歌うと殴られるし、殴られるのは嫌だし、でも歌は歌いたいし…ってわけで、よく子どもの頃は声は使わずに息だけで歌っていました。嗄声で歌う? 息だけじゃ歌にはならないし、音程もロクに付かないし、歌うというよりも自己満足の世界だよね。

 中学生ぐらいになると知恵もついて、親父のいない時間は思いっきり歌っていましたが、ウチの親父は基本的に、ずっと家にいるタイプの人だったので、あんまり歌えなかったなあ。

 そんな鬱積もあって、オトナになって家を出たら、毎日歌うようになりました。以前も書いたけれど、合唱団に入ったのも、その頃の話です。ほんと、私、歌いたかったんだよね。

 でも、子どもの頃にロクに歌っていなかったから、オトナになって、いきなり歌いだしても、まともに歌えるはずもなく、合唱団に入れば、自分がいかに歌が下手なのかという現実に直面するしかなかったわけです。あれは悲しい体験だよね。好きなのに、何もできないという無力感は、青年の心をねじまげるには十分なモンです。

 キリのいいところで合唱団を辞めて、声楽の個人レッスンを受け始めた私です。とにかく、歌が上手くなりたかったんだよね。そのためには、きちんとした基礎トレーニングから始めないとダメなんだと思った次第なのです。

 だから、なぜ私が声楽を学んでいるのか言えば、歌が上手くなりたいからであり、失われた子供時代の回復であります。

 もっとも、この時は、一年ほど学んだところで(これも以前書いたけれど)先生が消えてしまったので、私、途中で放り出された形になりました。

 いやあ、心がボッキボッキに折れましたよ。ほんと、当時は歌の神様に、とことん見放されていた私だったんですよ。

 で、人生後半戦に入ってから、ようやく歌の神様のご機嫌が戻ったみたいで、あれこれ状況が整い、キング先生の元で遊んでいただき、今はY先生のところで、ようやくまともに歌の勉強をしていただけているのでした。

 だから声楽を学べる事が楽しいし、幸せだと感じています。願わくば、もっともっと歌が上手になりたいと切に願う私でありました。


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posted by stone at 04:00| Comment(2) | 声楽のエッセイ

2019年09月15日

信じられない人たち

 世の中には色々な人がいます。その中には、私から見て、とても“信じられない人たち”がいます。今回は、そんな人たちの事を書いてみたいと思います。

1)間食しない人
 全然分かりません。でもいるんです、間食しない人って。一日三度の食事だけで生きている人たちがいるんです。ほんと、分かりません。

 間食しないって事は、食事しか食べないわけで、いわゆる菓子類や果実類は、デサートを食べる習慣(大抵の日本人には無い)がない限り、まず食べないわけで、人生において菓子類や果実類と無縁な人生を生きる人がいるって、ほんと、信じられません。

 ポテチにコーラ…とか至福じゃん。渋いお茶にかりんとう…なかなかイケるし、おこたにみかん…ずばり“日本の冬”としか言えないじゃん。

2)喫煙する人
 タバコって、健康面から見たら、ただの“毒物”でしかありません。良い部分なんて、ちっとも無いです。一応、嗜好品となっていますが、それだって、本当に好きで吸っているのか、それとも強い中毒性のために吸わざるを得ないのか、おそらく本人にも分かっていないと思います。

 たいたい喫煙者たちに「タバコって美味しいの?」と尋ねると「美味しいよ」と即答する人の少なさ! たいていは、口ごもってしまいます。それどころか「美味しいわけじゃないよ」と答える人も少なからずいます。美味しくないのに常習するって、それは嗜好品じゃなくて、薬物でしょ?

 理性で考えれば、喫煙という選択肢はありえないし、学校教育で何度も喫煙の危険については教えてもらっているだろうに、それでも喫煙する人がいます。ううむ、全然分からない。全く理解できない。

3)寝坊する人
 起床時間を決めたら、その時間に起きられない人っているようです。そもそも、その時間に起きられないのだったら、その時間を起床時間に決める事自体が間違いなわけだし、そんな間違いを毎日繰り返している事が、私には理解できません。

 きちんと起床できる時間を起床時間にするべきだし、起床時間が定まっているのなら、その時間に起きられるように就寝するべきだし、それじゃあ睡眠時間が足りないよ、というのなら、その短い睡眠時間に対応して生活すればいいだけの話です。

 多少の目覚めの悪さは、目覚まし時計という文明の利器があるわけだから、寝坊をしてしまうという言い訳が、私には分かりません。私も目覚まし時計は使用するけれど、それでも時計が鳴る前に目ぐらい覚ましています。なので、目覚ましが鳴っても起きない…という現象が全く分かりません。

 でも、寝坊する人っているんだよね。

4)遅刻する人
 たぶん、遅刻をする人って、相手をナメているんだと思います。軽んじているんだと思います。だから、時間が守れない。平気で遅刻をするんです。

 不測の事故ってのがあって、やむを得ず遅刻するというのはあります。例えば、電車が止まった、飛行機が飛ばない、道路が封鎖された…等です。さすがにそれは私も容認しますが、それでも自分は、なるべくそういう事態に遭わないように、早目に余裕を持って、現地に向かうようにしています。

 「早く行くと時間を持て余すじゃないの?」 そんな時は、茶店で時間調整をします。

 そういう不測の事故でもなく、ただ単に「寝坊した」「家を出るのが遅くなった」「間に合うように家を出たはずなのに、なぜか遅刻した」という理由で、遅刻を常習する人がいます。

 初回は許しますが、同じ事を繰り返したら、よほど私に旨みが無い限り、私はその人と縁を切ります。

 なめられて、たまるか!

5)アオリ運転をする人
 今話題の人たちです。アオリ運転をする人には二種類の人がいると思います。一つは、車に乗ることでパワーアップしたと感じ、全能感に満ちて、日頃のうさばらしの一環としてアオリ運転をする人。もう一つは、そもそもサイコパス系の人、つまりハングレとか犯罪者予備軍とかです。テレビでよく取り上げられている人は、サイコパス系の人だろうと思われます。

 全能感に満々ちゃう人は、基本的に気が弱い人なんだと思います。それが武器(車は彼らにとっては武器であり鎧なのです)を手にして、思い上がっているわけです。つまり、イキっている陰キャさんなのです。陰キャさんの考える事は、私にはよく分かりませんし、その行動原理も極端から極端なので、ありえないわけだけれど、でも彼らはそう動くんだよね。まさに信じられません。まあ、彼らは反省をするので、きちんと教え諭せば、アオリ運転なんてしなくなるでしょう。

 サイコパス系の人は、おそらくMBD(最近の言葉で言えばADHDだろうけれど、ADHDと言うよりも、やはりMBDなんだろうなあって思います)だと思います。MBDの人の考えなんて、分かんないし、矯正もたぶん無理。関わらないのが一番だけれど、そうもいかないんだよね。そういう意味では、サイコパス系の人によるアオリ運転は、ほぼほぼ天災なのかもしれません。

6)絶対音感のある人
 音を聞いただけで、その音名がさらっと分かる人。いますよね、特に音楽をやっている人には、かなり多くいます。私には、そんな能力はないので、信じられないし、うらやましいです。

 絶対音感の有無は、子どもの時代の英才教育の差と言われます。オトナになってから、いくら努力しても身につかないと言われるのが“絶対音感”です。なので、絶対音感がある人って、私から見れば、同じ人類だとは思えないのです。ほぼほぼ“超人”です。カッコいいです。

 「絶対音感がなくても、相対音感があればいいじゃん」

 私もこれだけの長い期間音楽やっているけれど、相対音感も身についてないよ。ああ、情けない。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | ダイエット&エッセイ

2019年09月14日

発表会、さて後半です

 休憩中に客席に行って、録音機の電池を交換します。今までは、自分の歌を録音するために、自分の出番の少し前の曲から録音していましたが、今回は頻繁に舞台に出るので、客席を出入りしている余裕がないので、発表会全体を録音してしまう事にしました。まあ、発表会全体を録音…と言っても、それをまるごと保存するのではなく、自分たちの部分だけを取り出して保存はしますが、他の人の分はすぐに捨ててしまいます。だって、そうしないとHDDの容量がもったいないじゃん。

 それはさておき、発表会全体を録音するとなると、録音機の方の容量は大丈夫なのですが、電池がもたない事が経験的に分かっているので、休憩の時間を使って、電池の交換を行いました。

 電池も取り替え、後半の舞台に備えて楽屋に控えていました。後半は、自分の出番に加え、いよいよ今回客演するテノールのI先生が2曲ほど歌うので、それは聞き逃してはいけないと思い、先生が歌うたびに、舞台袖から生歌を聞いていましたので、ほんと後半は忙しかったんですよ。

 I先生が歌う姿を近くからまじまじ見て分かった事は…ノドが見事なくらいに脱力されている事と、その分、しっかり声を支えていらっしゃる事です。ううむ、レッスンのたびにY先生に注意されている事を、I先生はしっかりやっている…。Y先生に注意されて(でも出来ていなくて)いる事をしっかりやるだけで(これほどかどうかは別として)しっかり歌えるんだなあ…と良い見本を見せていただきました。

 今回、ノドが痛いのも、リハーサルの時に、声の支えを軽視してノドで歌ってしまったからだし、ああ“脱力と支え”って、ほんと大切だわ。

 それにしても、I先生のカツーンと出る高音は、なぜあんな事が出来るのかは、全く分かりませんでした。打ち上げの席でヒントをいただこうと思っていたけれど、I先生は打ち上げには出られなかったので、結局聞けずじまいでした…が、教えてもらったところで、すぐに出来るわけでもないから、それはそれで良しとしました。

 とにかく、脱力と支えの両立が大切だなって学べた事が、今回の収穫です。あとは、それをどう自分の中で習慣化して、血肉にして、実践していくか…です、それが実は難しいのだけれど。

 さあ、3曲目の順番が近づいてきました。この箇所では、私の前に妻が歌うので、私は舞台袖で妻の歌を聞きます。妻が歌っている時は、もちろん我々のピアニストさんも一緒に舞台に行くので、公式ピアニストさん(つまり、我々以外の方の伴奏を一手に引き受けているピアニストさん)は休憩となります。我々の出番がまんべんなく散らばっているのは、舞台構成上の都合もありますが、我々の出番は、同時に、公式ピアニストさんの休憩時間なわけで、もしも我々が自分たちのピアニストさんを連れてこなければ、公式ピアニストさんは、2時間近くに渡るすべての曲を一人で伴奏しまくるわけで、そりゃあ体力的に大変だよね。仕事とは言え、かなりきついですね。なので、ポツポツと我々が歌う事で、公式ピアニストさんは、休憩が取れるだけで、休憩の回数や時間が少なくても、休憩があるだけで、だいぶ違うでしょうね。

 妻の歌唱が終わり、いよいよ私の最後の出番となりました。


 曲は、ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」より「Una furtiva lagrima/人知れぬ涙」です。うーむ、どうだろ? 実はこの音源が一番アップしたくなかった音源なんですね。だってね、こんな出来だもの。いやあ…練習段階では、もう少しマシに歌えるかなって思っていたんだけれど、本番ではこんな感じです。ノドの脱力に気をつけていたのはいいとしても、大切な息の支えが足りなすぎるんだよね。ああ、やらかしちゃったなあ(涙)。Y先生がおっしゃるには「本番では、練習の時以上にカッコつけて歌おうとして失敗しがちなんだよね」との事です。まさに、その通りです(涙)。やっちまったなあ…。

 ま、これが今の私の実力です。いやあ、現実を直視するって、心に刺さるなあ。

 さて、とにかくやり終えました。歌い終えました。出来はともかく、心は満足です。

 歌い終えたら、さっさと着替えて、急いでホワイエに行きました。だって、発表会が終演してしまったからです。せっかく来てくださった方を待たせちゃいけないからね。すっ飛んでホワイエに行きました…ので、録音機の回収を忘れてしまいました(汗)。私、ほんと、よく録音機の回収を忘れてしまうのだけれど、今回も回収し忘れてしまいました。片付けをしていたY先生が見つけてくださったので、事なきを得ましたが、そうでなければ、今でもホールに置いてあるかもしれない(汗)。

 とにかく、ホワイエに行って、お客さんたちにご挨拶をして、お話をして、誉めていただきました。こんな歳になっても、誉められるとうれしいですね。私は“誉められて伸びるタイプ”ではないので、誉めてもらえなくても、全然平気と言えば平気なのですが、それでも誉められて嬉しくないわけないです。次も頑張ろうって思います。次と言えば…1ヶ月後のクラシックコンサートなんだけれどね(汗)。

 発表会も終わり、打ち上げに行って、ためになる話、どうでもいいい話をたくさんして、門下の結束ってヤツを深めてきました。次の発表会ではオペラの抜粋版をみんなでやろう!と盛り上がりましたが、さてどうなるでしょうか? 実際にオペラをやるとなると、色々と越えなきゃいけないハードルが生じるんだね。でも、私的にはオペラをやりたいです。以前、ボエームをやった時は、大変だったけれど、すごく楽しかったからね。もしもオペラをやるなら、どんな演目であっても、私は頑張るし、きっとすごく楽しめると思うんだ。

 「高音へのアプローチが変わりましたね」とF先生に言われました。自分的には自覚はないし、実際本番ではコケちゃったので、これで良いのかどうか自信はないのだけれど、練習段階では、だいぶ楽に高音が出せるようになりました。このやり方が自分に合っているのなら、もっと突き詰めて安定して使えるようになりたいです。

 それにしても発表会、楽しかったです。所詮は、旦那芸の道楽でしか過ぎないのだけれど、それで人生が充実するなら、そこに越したことはないと私は考えています。ちっともストイックではないのですが、それでも真面目に取り組んでいるつもりです。だって、真面目に取り組まないと楽しくないじゃん。

 来年の発表会にも参加できるといいなあ。それにはまず、健康第一だよね。


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posted by stone at 04:00| Comment(2) | 録音音源付き記事

2019年09月13日

発表会、前半終了!

 さあ、いよいよ声楽発表会が始まります。

 私の出番は2曲目なので、イチベルが鳴ると同時にトップバッターの方と一緒に舞台袖に入って出番待ちをしました。ちなみに3曲目は妻なので、妻もピアニストさんもやってきました。ついでに言えば、4曲目や5曲目の方もやってきたので、舞台袖がすごく混雑してしまいました。舞台袖って広くないから、あまり早く来ちゃうとあっちこっちに迷惑がかかります。さすがに、4曲目と5曲目の方は、楽屋にお戻り願いました。

 トップバッターの方を激励して舞台に送り出して、こちらは心の準備を始めました。とにかく、声を前ではなく上に出して、ホールの力で声を響かせるように歌うこと…この事を第一に考えました。あとは、呼吸を深くして、息をたっぷり吐いて歌うこと。高音部分も力まずに(結局は力んじゃいましたが:汗)、声のポジションを高くしていって楽に発声する事。その程度の事を考えて、舞台に出ました。

 笑顔を作ってキビキビと動いて舞台中央へ。お客さんに挨拶をして、ピアニストさんにアイコンタクトでGOサインを出して、いよいよ歌い始めました。

 歌い始めてすぐに「響声破笛丸は二包飲んでおけばよかった」と後悔しました。やっぱりノド痛いよ(涙)。おまけに、2曲目という事もあるのかもしれませんが、会場の冷房がかなりキツめに入っていて、舞台に向けて冷風が吹いていました。歌っている私の顔、直撃です。ノドの水分が冷気に持っていかれて、かなりつらいです(涙)。

 歌とか演奏って、現地のライブで聞いてもらう分には良いのだけれど、こうして音源にしちゃうと、ライブでは目立たないようなミスもくっきり聞こえて凹みます。昨日の音源を聞いてお分かりかと思いますが、ノドに負担をかけないようにと心がけて、全体的に軽く歌っているつもりだったので、支えがだいぶ弱くなってしまい、ところどころ音程がフラットしているのが目立ちます。特に長い音符でフラットしていると凹みます。ああ、こんな歌を歌っていたんだあ…。高い音は、力むつもりはないのに、ついつい力んでしまうので、声がひっくり返ったり、割れたりしています。ダメだなあ…。まあ、まだまだな箇所がたくさんありますが、これらは“のびしろ”と言いますか“上達の余地あり”と解釈する事にして、今後のレッスンでは、これらの諸問題を改善していきたいと思います。

 とにかく一曲歌い終えた私は、楽屋に戻りました。例年は歌い終えたら、客席に行って、他の皆さんの歌を生で聞くようにしているのですが、今回は3回歌うので、歌と歌のインターバルが短い事と、門下でのコミュニケーション(ってか楽屋話)も大切にしようと思って楽屋に戻る事にしました。楽屋じゃあ、ここに書けないような色々な話をしました。

 そうこうしているうちに、同じテノールのMさんの出番がやってきました。Mさんが舞台で歌っている様子が楽屋に中継されるのですが、みんなクチを揃えて「いい声をしているなあ…」ってつぶやきます。実際、Mさんの歌声って美しいんですね。同じテノールですが、彼は美声で、私はそうではないわけで、声という楽器はそれぞれに固有ですから、他人をうらやんでも仕方ないのですが、それでもちょっぴりうらやましい私でした。

 Mさんの声は、リラックスして聞こえます。フワっとした感じの声なんですね。一方、私の声は突き抜けるタイプの声なので、聞いていて、ちっとも心が休まりません。Mさんはソロも歌う一方で、合唱も歌う人なのですが、私はソロしかできない人なんです。「隣の芝生は青く見える」って事もありますし、無い物ねだりだと分かっちゃいるけれど、私もああいう、聞いていてリラックスしちゃえる声で歌いたいものです。

 さて、そうこうしているうちに、再び私の出番がやってきました。今度は二重唱です。さっそく、舞台袖に控えました。やがて我々の出番となったので、舞台に出て歌いました。


 ヴェルディ作曲の歌劇「椿姫」の第一幕の二重唱「Un di felice, eterea/思い出の日から」です。短い二重唱ですが、かなり歯ごたえのある二重唱です。

 それこそライブじゃ誤魔化せたかもしれないけれど、録音で聞くと、あっちこっちダメダメって感じの仕上がりになっています。うう、凹む…。やっぱり、この二重唱は難しいです。でもまあ、難しい曲にトライする事で、ちょっとは上達するわけですから、常に前向きに挑みましょう。それに歌っている場は“演奏会”ではなく“発表会”ですからね。多少稚拙な歌唱であっても、それを暖かく見守るのが“発表会”ですから、そこに甘える事にします(ごめん)。

 まあ、ちゃんと歌えない事は最初っから折込済みですから、私は落ち込む事もなく『とにかくやりきった、やれる事はやった、全力は尽くした』という思いで舞台が戻りましたが、ピアニストさんはそうもいかず、なんかだいぶ落ち込んでいたみたいです。私的にはピアニストさんにはミスはなかったように思うのですが、おそらく本人にしか分からないミスがあったんでしょうね。それでだいぶ落ち込んでいました。やっちまったミスについては、取り返しがつかないし、リベンジは次回すればいいわけで、ここで落ち込んで、次の曲に影響を及ぼしてもいけないので、今はなるべく落ち込まない事が大切だね。

 なんて事を言っているうちに、休憩になって、第一部が終了となりました。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 録音音源付き記事

2019年09月12日

発表会、本番開始まで…です

 さて、声楽発表会の話をします。

 当日は開場時刻(お客さんが入場する時刻)は13時ですが、当然、その前の時間で、ゲネプロ代わりのリハーサルを行います。

 発表会に参加する生徒さんたちは、広い範囲からやってきます。なので、比較的近所で、比較的若い人たちから、順番にリハーサルをやるのが、ウチの門下のやり方なので、リハーサルの順番はだいたい我々が一番最初となります。今回も我々が一番早いリハーサル順番となりました。

 まあ、我々の場合、歌のリハーサルだけでなく、ピアノのリハーサル(ってか本番のピアノにピアニストさんが慣れる時間)も必要なので、一番最初ってのは、実は有り難いんですよね。一番最初ならば、舞台のピアノさえ準備が整っていれば、早目にリハーサルを開始でき、その分、ピアニストさんの練習時間が取れますからね。

 という訳で、リハーサルを開始しました。

 まずはリハーサルだし、まだ午前中だし、ここで本気で歌って、声を使い切ってしまうのもバカバカしいので、軽めに手を抜いて歌いましょうって感じで歌い始めたのですが、会場はそこそこ広いし、そこの視覚的な広さに惑わされて、ついつい力んで歌ってしまいました。本当は、響きの良い会場なので、そんな必要はないのですが…。

 手を抜いて歌う…つもりだったので、カラダをあまり使わずに、結果、ノドで歌ってしまったので、ノドを軽く傷めてしまいました。馬鹿だね。

 なので、舞台で歌いながら、声を調整しました。とにかく、声を前に出してはダメで、こういう響きの良い会場の場合、声は上に出して、あとはホールの力を借りて、会場中に声を響かせるという感じで歌うのが良いのです。何度か歌いながら、あるいは、妻が歌っている時に客席に降りて、舞台の上の声と、客席で聞こえる事の違いを確認しながら、リハーサルが終わる頃に、どんな感じで歌ったら良いのかを、やっと確認しました。で、最後にダメ元で、響声破笛丸を一包飲んでおきました。

 だから、当日リハって大切なんだな。これで、当日リハで自分の声の響きを確認できなかったら、きっと力んだ声で歌って、曲の途中で声を無くして、大変な事になるはずでした。ああ、くわばらくわばら。

 当日リハを終えて、本番まで3時間ほどあるので、早目のお昼ごはんを食べる事にしました。

 お昼は、本番を控えているので、がっつり食べて満腹になってしまうと、お腹がパンパンになって、歌うのがつらくなるので、軽めに食べようと思っていたのですが、実際は…がっつり食べてしまいました。頭では軽めにしようと思っていても、空腹だと心が頭を裏切るんだよねえ。なので、食べ終わったたら、お腹が苦しくて苦しくて…食べ終わってから後悔してしまいました。

 食事を終えて、いつもなら他の人のリハーサルを見たりするのですが、それどころの体調ではなかったので、楽屋で必死に体操をしました。カラダを思いっきり動かして、血行を良くして、内臓の動きを良くして、便意をもよおして、少なくとも食べた分くらいは出して、少しでもカラダを軽くしようと頑張りました。はい、頑張りは通じて、多少はカラダも軽くなり、なんとか歌えるカラダに戻しました。いやあ、食欲って怖いなあ…。

 全員のリハが終わり、まだ開場まで少し時間があったので、その時間を利用してピアニストさんが練習することになり、その練習に付き合いました。付き合った…と言っても、私は歌いませんでしたけれど。

 で、ピアニストさんの練習も終わり、いよいよ開場となりました。私は楽屋に戻って、舞台衣装に着替えました。いよいよ本番が始まります。

 さて、発表会で私が歌った、トスティの「Il pescatore canta!/漁夫は歌う」の音源をアップします。


 どんな状況で歌ったのかは…また明日書きますが、本来ならネットにアップするような出来じゃあないよね。それは分かっているのだけれど、日頃ブログで偉そうにあれこれ書いているので、そんな私の実力を開示するのって、大切だなと思ってます。「あいつは、いつも偉そうに書いているけれど、こんな程度じゃん」と分かって欲しいというか、そんなに大した人物ではないと知らしめるのも、フェアな行いなんだろうなあって考えて、毎回、恥をさらしています。で、今回も大恥を天下にさらすわけです。だからと言って、私は別にMじゃないよ(笑)。


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posted by stone at 05:00| Comment(0) | 録音音源付き記事

2019年09月11日

響きの高い低い

 よく声楽関係のアマチュアのブログを見ていると、響きの話が出てきます。かく言う私も、ブログでよく響きが高いの低いのと書いてますわな(笑)。

 ところがこの響きの話と言うのは、分かる人には分かるのだけれど、分からない人には全然分からないようだという事に気づきました。それも声楽に興味がない人が分からないのは当然としても、声楽が好きとか、声楽を学んでいますという人の中にも、この響きの高低の話が分からないという人がいるので、私が理解している範囲で解説してみたいと思いました。

 私の個人的な理解だから、間違っていたらごめんなさいね(と、予防線を張っておく:笑)。

 響きの高い低いとは、同じ音程の声でも、明るくて軽い印象の声の特徴を“響きが高い”と言い、もっさりしてさえない印象の声の特徴を“響きが低い”と言います。

 つまり、響きに関していえば、“高い”“低い”は声の特徴として併存するのではなく、“高い”が正義であり正しいのであって“低い”はダメなんです。

 だいたい響きが“高い”と言われて注意されることって、まずありません。注意される時って、ほぼほぼ響きが“低い”時でしょ? つまり声の響きと言うのは高ければ良いのであって、低いのはダメなんですよん。

 と言うのも、響きが高い声の実態は、響きが豊かという事であり、響きが低い声の実態は、響きが貧弱という意味なのです。

 「彼はテノールだから、響きは高くないといけないけれど、私はベースだから、響きは低くてもかまわない」なんて事はないんです。テノールだろうが、ベースだろうが、ソプラノだろうがアルトだろうが、響きは高くないといけないのです。ローバスだって、響きは高くないと、何を歌っているの分からないし、魅力的な声にはなりません。

 音程の高い低いと、響きの高い低いは、直接的には関係ありません。ただ、響きが高い声でないと、音程の高い声は、まず出ないのだけれど…。

 音って、パイプオルガンとかアナログのシンセサイザーとかを見ると分かるけれど、複数の音が組み合わさって、一つの音を作ります。その組合わさり方が美しい音が楽音であって、美しさに重きを置いていない音が噪音なのです。

 で、音楽で使う音(声)は楽音なのですが、その楽音であっても、組み合わされる音の数や種類が豊富なものほど複雑で、美しい音となり、組み合わされる音の数が少なくバラエティーも狭い時は、単調な音になります。この時の、美しい音は“響きが高い”と言われ、単調な音の方は“響きが低い”と言われるわけです。

 オシロスコープの音とか、パイプオルガンのレバー一つだけ引いたような音は、響きが低い音と言えるし、ヴァイオリン等の擦弦楽器の音は響きが高い音と言えます。

 じゃあ、響きが低いと言われたら、どうしたら良いかという件だけれど、単純に口腔内の容積を増やせば、自然と響きは高くなります。つまり、響きの低い声ってのは、クチの中が狭くて、直接的な声って言えます。まあ、そういう声って、マイクのノリは良いので、ポピュラー・ソングでは悪くないのだけれど、声楽向きではないでしょうね。

 あと、緊張感がなく、ダラっと発声していると響きは低くなります。しっかり声を支えないと、響きって低くなりがちなんだよね。これはハミングをしてみると分かります。ハミングをして、クチの中が振動してかゆくなる箇所があるでしょ? これって、声の支えでかゆくなる箇所が変わるって知ってましたか? 

 たとえば、ハミングをして、声が振動してかゆくなるのが、ノドとか下の歯の付近だと、かなり響きが低いんです。上の歯とかでもまだ低い。最低限、鼻腔とかもっと上の部分で振動を感じないと、響きって低くなってしまうのです。

 しっかり支えて、クチの中を大きく広げると、響きの高い声になり、話し声の延長で発声すると、響きの低い声になってしまう…ってわけなのです。

 お分かりでしょうか?


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posted by stone at 05:00| Comment(0) | 発声法のエッセイ

2019年09月10日

メトのライブビューイングで「セヴィリアの理髪師」を見てきました

 ただ今、メトのライブビューイングは、アンコール上映真っ最中です。

 今回の私は、2007年に上映された「セヴィリアの理髪師」を見てきました。2007年と言えば、メトのライブビューイングが始まった年であり、まだまだ番組フォーマットも固まっていなかったのでしょうね、今とはあれこれ違っていました。

 序曲部分のために、簡単なアニメーションが作成され、そこでタイトルや歌手たちの紹介をしていました(そんな手間のかかる事は今ではやっていません)。インタビューは、番組プロデューサーや劇場支配人等の裏方のエライさんが行っていました(今はホスト役の有名歌手たちがやっています)。幕間はひたすら客席を映していました(今は舞台裏の映像を流していて、これが結構面白いです)。

 この「セヴィリアの理髪師」はその年の最後から2番目の上映作品だったので、次回作の紹介はもちろんやっていましたが、次年度の作品の紹介はありませんでした。今なら、この時期だと、もう来年度のラインナップが決まっていて、次年度の演目紹介があるのですが、まだ最初の年だった事もあり、次年度やるかどうかも発表できなかったのでしょうね。

 さて、オペラ本体の話に入ります。

指揮:マウリツィオ・ベニーニ
演出:バートレット・シャー

ロジーナ:ジョイス・ディドナート(メゾソプラノ)
アルマヴィーヴォ伯爵:ファン・ディエゴ・フローレス(テノール)
フィガロ:ピーター・マッテイ(バリトン)
バルバロ:ジョン・デル・カルロ
ドン・バジリオ:ジョン・レリエ

 ロッシーニ歌いのディドナートとフローレスが揃ったスター公演です。いかにもメトっぽい舞台で、これが悪いはずがありません。実際、とてもよかったよ。

 それにしてもスター歌手ってすごいね。歌が上手なだけでなく、舞台にいるだけで衆目を集める力をもっているわけで、実に華がある存在です。オペラそのものを楽しむなら、必ずしもスター歌手は必要ではないかもしれないけれど、スター歌手が出演している舞台は、味わいが1つも2つも違うねえ…。こりゃあチケット代が多少高くなっても見に行きたくなりますね。

 実際の話、メトのライブビューイングは出演歌手の違いでチケット代は変わらないけれど、ロイヤル・オペラのライブビューイングは、スター歌手が出演すると、チケット代が割増になるんだよね。ちなみに、メトの場合は、スター歌手の出演ではなく上演時間がむやみに長くなると(具体的にワーグナーの楽劇などの場合)チケット代が高くなります。一般のオペラだって上演時間は、普通の映画の倍近い時間がかかりますが、ワーグナーの楽劇の場合は、3倍近い時間がかかわるわけで、映画興行的に考えるなら、ワーグナー作品の上映は、チケット代割増でも仕方ないかなって思います。

 それにしても「セヴィリアの理髪師」は捨て曲がないね。キラーソングが惜しげもなく歌われ続けるね。そして、それら一曲一曲がやたらと難しいので、まるで曲芸を見ているような気分になりながら、歌を聞いちゃいます。歌謡性と技巧性の両立とは…やっぱりロッシーニって作曲家はすごい作曲家です。

 舞台装置は扉を多用していて、いかにも演劇的ですが、舞台上に大きな反響板がないので、歌う歌手的にはかなりつらいかもしれません。まあ、観客的には問題ありませんがね。

 そうそう、舞台装置と言えば、まるで宝塚の舞台のような張り出しがあって、オケピの前でもお芝居が行われて、実に面白かったです。オペラではあまり見ない舞台なので、ほんとビックリしちゃいました。

 それにしても、このアルマヴィーヴォ伯爵が『フィガロの結婚』の伯爵になるのかと思うと、なんか感慨深いものがあります。月日は彼をあのような俗人に変えてしまうわけなのですね。

 やっぱ、スター歌手が出演している舞台は、ほんと、楽しくていいねえ。


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posted by stone at 05:00| Comment(0) | 歌劇

2019年09月09日

クラシックコンサートのご案内

 発表会も終わったので、今度はクラシックコンサートのご案内をしたいと思います。PC版をご覧の読者さんたちは、すでに左欄でお知らせ済みですが、左欄はスマホ版の読者さんには読めないので、そのための記事だと思ってください
 日時:2019年10月12日(土)
 場所:茅ヶ崎市民文化会館小ホール
 なんと、約一ヶ月後です。発表会がようやく終わったので、クラシックコンサートの準備にはこれから臨みます(笑)。ちなみに、レッスンは2回、うち一回は歌のみのレッスンで、ピアニストさんを交えたレッスンは、たった一回。なので、それ以外にピアノ合わせを1回ぐらいはして、それで本番に臨む予定です。日にちもないので、頑張りますよ。

 さて、クラシックコンサートそのものは、当日の13時から行っていますが、早い時刻は子どもたちのピアノがメインで、その後は14時頃からオトナのピアノが続き、声楽のパートは16時15分頃からとなり、コンサート終演予定時刻は18時ごろです。

 で、私の出番は、おそらく17時半頃だろうと思います。例によって、最後から2番目の出演なのです(笑)。いやあ、遅い遅い。
ベッリーニ作曲「Malinconia, Ninfa gentile/マリンコニーア」
ビゼー作曲「Agnus Dei/神の仔羊」
ヴェルディ作曲「椿姫」より「Un di felice, eterea/思い出の日から」
 はい、二重唱は発表会と同じ曲目です。他の二曲も、準備にかける時間に余裕がない事もあり、全くの新曲ではなく、レッスンでは取り上げたけれど、人前で歌うのは初めてという曲を選んでみました。これなら仕上げにも暗譜にも時間を掛けずに済みますからね。いかがでしょうか?

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2019年09月08日

X-dayは、2019年11月19日!

 と書きましたが、このX-dayとは「安倍首相が総理大臣として通算在職日数第1位になる日」です。ちなみに、現在の第1位は桂太郎首相(13〜15代総理大臣)です。これが、2019年11月19日をもって、安倍首相が歴代第1位(在職2887日、約7年11ヶ月)になるわけです。

 何はともあれ、おめでたい…と言っていいんだよね? 私が子どもの頃は、日本の首相と言えば、ずっと佐藤栄作首相で、子ども心には「日本の首相=佐藤栄作」であって、首相が交代するなんて、思ってもみなかったんです。その後にも、中曽根首相とか小泉首相とか、割と長く首相をやった人もいましたが、安倍首相がNo.1になるなんて…私が生きているうちに、最長在職日数の首相が現れるなんて、ちょっと感慨深いです。

 ちなみに安倍首相は、一回首相を辞めていますので、連続在任期間としては、まだ第1位ではありません(現在の第1位は佐藤栄作首相で2,798日なんだそうです)が、これも2020年8月23日まで安倍首相が在職していると、連続在任期間も歴代第1位になるそうです。東京オリンピックの終了日が2020年8月9日、パラリンピックの終了日が9月6日だから、パラリンピックの終了日まで首相を続けていたら、確実に歴代第一位になるわけだ。それもまたすごいね。

 まあ、ネットには“安倍首相アレルギー”とも言うべき“安倍”という文字を見るだけで火病る方がいますが、火病るのは個人の自由だし、日本には言論の自由もあるわけだから、どれだけ悪し様に罵ろうと勝手と言えば勝手だけれど、一応、安倍首相は民主主義的手続きに基づく、日本国の選挙システムによって、日本国民によって選ばれた正当な総理大臣であって、彼を罵る事は、我々の民主主義を否定し、我々の選挙結果を軽んじ、彼を選んだ日本国民を罵る事に繋がります。

 選挙というシステムがある以上、日本国民と総理大臣は別の存在ではないんです。つながっているのです。我々日本国民が現在の安倍総理を選び信任しているのです。

 なので、反日に凝り固まった外国や外国人の方が、安倍首相を罵るのは(他国の総理大臣を罵るのは国際的なマナーとしてどうかと思うけれど)アリと言えばアリだけれど、日本人なのに安倍首相を罵る方は、民主主義とか選挙とかを否定しているわけで、そのあたりをどうお考えなのか、私は個人的に知りたいです。

 我が国日本が王政であったり、独裁制であるならば、我々国民と、王様、あるいは独裁者は別の存在であるわけだけれど、民主主義的手続きによる選挙で選ばれた代表は、正当な国民の代表なわけだから、その代表者を罵るのは、その国の人々を罵るのに通じるわけです。

 具体的に言えば、中国や北朝鮮は事実上の独裁制だし、その代表者は民主主義的手続きによって選ばれた国民の代表者ではないわけだから、習近平氏や金正恩氏と、その国民は、考えようによっては、対立する関係にあるわけだけれど、日本の安倍首相や韓国の文在寅大統領は、選挙で選ばれた正当なその国及び国民を代表する人だから、我々が文大統領を小馬鹿にしては失礼なように、外国の方が安倍首相を罵るのは失礼な事だし、ましてや日本人が安倍首相を(冷静に批判や批評するならともかく)感情的に罵るのは、ファシズムなのではないかと思うわけです。

 ちなみに、日本は実は立憲君主制であって、形式的には帝政であるとも言えます。実際、天皇陛下は我々日本国民とは別の存在であって(憲法上は象徴だけれど)我々の代表とは言い難い部分もあるので、天皇批判をする人の心情ってのは、理解できないわけじゃありません。でも、選挙で選んだ我々の総理大臣を否定するのはナシだよね。

 まあ、安倍首相とは言え、全部が正しいわけじゃないし、間違った政策(私は消費増税は間違った政策だと思いますよ)だって行っているわけで、それが気に入らなきゃ、罵るのではなく、次の選挙で別の政党に投票をすればいいだけの話だと思うんですし、それが民主主義のやり方だと思うのです。

 とにかく、通算在職日数第1位になりなんとする安倍首相は、概ね良い首相なんだろうと思うし、そんな時代に生きている我々は、恵まれているんだろうなあって思います。少なくとも、東日本大震災と福島原発事故でグチャグチャだった民主党政権時代と比べたら、本当に良い政府になったなあと、心から思うわけです。

 第一、安倍首相が通算在職日数第1位になっちゃう原因の一つは、直前の民主党政権があまりにだらし無かったからでしょ? あの時代を経験しているから、我々は野党と呼ばれる方々には政権はおまかせできないと学んでしまったわけです。安倍首相を罵る人たちは、民主党政権時代が良い時代だったとでも思っているのかしら? そこらへんも知りたいところです。

 お隣韓国が文大統領な今の時代に、もしも日本の総理大臣が民主党時代の、あのルーピーな方だったら、今頃我が国はどうなっていたのかと思うと、ああ民主党政権じゃなくて、本当に良かったと、心の底から安堵するわけです。

 何はともあれ、X-dayは2019年11月19日なのです。


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posted by stone at 05:00| Comment(0) | ダイエット&エッセイ

2019年09月07日

熱い眼差しは…ひと夏の恋?

 さて本日は声楽の発表会です。たぶん皆さんがこの記事を読んでいる頃、私は横浜でしどろもどろになっている事でしょう(笑)。発表会の件は、落ち着きましたら記事にしますので、しばらくお待ち下さい。

 さて、数日来、ヤヨイの熱い視線を受け続けていた私です。

 そう、ヤヨイなんですよ。この子がある時から、ずっと私の事を見つめるようになりました。金魚水槽は居間にあるんですが、私が居間でくつろいでいる時に、ふと視線を感じると、それはたいていヤヨイの視線だったのです。

 じっと私を見つめるんですよ。妻や息子ではなく、私だけを…。じっと見つめるので、たまに指差してあげると、全身を震わせて反応するんです。いやあ、かわいい。

 いやあ、私はヤヨイに愛されているなあ…なんて思っていたりしました。

 でも、それは単なる勘違いだったんですね。

 水槽の中の水草がだいぶ無くなってしまったので、たっぷり入れてやったら…それ以来、ヤヨイが私の事を見つめなくなりました。いやむしろ、目をそらします。嫌われたのかな? と思って、数日すると、また見つめるようになりました。おお、可愛い…と思って、水草を入れると…また無視をするようになりました。

 つまり、ヤヨイの熱視線は、別に私の事を愛しているから見つめていたわけではなく「水草、無いよ。早く次の水草を入れてよ」という欲求だったわけです。つまり視線の意味は「愛している」じゃなくて「エサをくれ」だったわけです。

 まあ、そうだよね。そういうモンだよね。分かっちゃいたけれど、ちょっぴり残念な気分の私でした。


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posted by stone at 05:00| Comment(0) | 金魚

2019年09月06日

たぶん、曲は得意なんだと思います

 フルートのレッスンに行ってきました。例によって、先生と姉様と私の三人でのロングトーン練習はバッチリでした。

 エルステユーブンゲンは、まだまだ25番と26番です。今回は、全く暗譜作業をしていないので、合格するわけありません。なにしろ、前回のレッスンで新曲を2曲もいただいてしまったので、そっちの譜読みに忙しかったんだから…という“言い訳”を先生の前で堂々と致しました(汗)。しかし、さすがにそろそろ暗譜が完了しないとマズイよなあ…。

 旋律的練習曲は、新曲の3番です。いやあ、難しかった。真っ黒な譜面なので譜読みも大変だけれど、それ以上に大変なのはスラーの跳躍音程だね。上行音程も難しいけれど、下降音程は目から火花が散るくらいに難しいです。すべての音をきれいに吹くには、かなりのブレスコントロールが必要なわけで、まだまだ練習が必要です。

 40リトルピーセズは27番の「アンダンテ」だけれど、こっちは一発合格でした。エチュードはなかなか難しくて簡単に合格できませんが、普通の曲と言うか、この手の合わせものは、たぶん私、得意なんでしょうね。曲自体はそんなに難しくないので、後は落ち着いてピアノを聞いて吹けるかどうかの話です。

 と言うわけで、次回は28番のベートーヴェン作曲の「さらばピアノよ」です。ええと…長い(汗)。結構ちゃんとした曲じゃない。おまけに曲中で転調しておるし…頑張りましょう。

 さて、今回の雑談は、某巨大音楽組織に対する悪口を言いました。いやあ、なんで悪口って楽しいんでしょうか? さすがに悪口なのでネットには書けませんが、品性お下劣と思われても、やっぱり「他人の悪口は蜜の味」っす。

 それはともかく、この記事がアップされる頃は、学生の吹奏楽コンクールも一部の強豪校を除き、だいぶ落ち着いた頃だと思われますが、皆さんのご近所のガッコの吹部はいかがでしたでしょうか? ウチですか、そりゃあ一生懸命にやりましたよ。ただ、それだけです、はい。


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2019年09月05日

ダンクシュートではいけません

 声楽のレッスンの続きです。次は、ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」のテノールアリアである「Una furtiva lagrima/人知れぬ涙」です。

 この曲は、カデンツァ以外はまあまあ歌えています。ただ、フレーズの出だしの音程をより正確にした方が良いと言われました(出だしの音程がちょっとふらつくのです)。そのためには、しっかりと事前の準備が必要だし、それに加えて、ハミングを入れながら歌うと良いでしょうって話です。

 さて問題のカデンツァは、最高音がどうにも不安定ですねって話なのです。高いAが最高音なのですが、ここは音を掴みに行くのではなく、ハヴァロッティのように胸を開いて、クチからビーム砲を発射して撃ち落とす感じで歌うと結果的に良いそうです。

 つまり、パン食い競走ではなく、アラレちゃんの“んちゃ砲”が正解ってわけです。

 私の場合は、最高音に行く前に息が足りなくなってしまって、それで音に届かない事が多いので、息の配分をしっかり考えて歌えば…問題ないはずなんですが、それが難しいのですよね。

 また曲の最後の音は、まるでダンクシュートを決めるようにズバンと言った感じで歌っているので、そうではなくて、ポーンと紙くずをゴミ箱に入れるようにさりげなく軽く歌わないとダメって話です。まあ、静かに消え入るように終わる曲だから、最後を決めちゃダメだよね。

 ここまで歌ったところで、私はだいぶヘトヘトになってしまいましたが、まだレッスンは終わりません。最後はトスティ作曲の「Il pescatore canta!/漁夫は歌う」です。

 もう、ヘトヘトで声も出ない…というのが正直なところだったので、真剣に頑張って歌いました。なので、いつも以上にしっかりとカラダを使って、いつも以上にちゃんと息を吐いて歌いました。でないと、声が出ないし、歌えないんですもの。ほんと、全力勝負だったんですよ。芸術歌曲的には、かなりガサツな歌い方になってしまったと思いますが、結果オーライのようでした。

 幸い、この曲は芸術歌曲でありながらも、どこかカンツォーネっぽい部分もあり、ほぼほぼカンツォーネとして考えるなら、私の歌い方も全然アリってわけで、本番でも惜しみなく、今のように全力で歌うことを勧められました。

 まあ、本番ではアドレナリンが出まくるので、やはり全力で歌うことになるだろうから、それはあまり心配していません。

 とにかく、もう一週間もせずに本番がやってきます。ここまでやってきた事をきちんとやれれば、それでOKという気持ちで頑張ります。応援よろしくね。


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2019年09月04日

まだまだ大変な状態なのです

 声楽のレッスンに行ってきました。まもなく発表会なので、まずは発表会後の年末までのレッスン日を相談しました。何しろ、秋〜年末にかけては、Y先生は演奏稼業に忙しくて、なかなかレッスン日を設けるのが難しいのです。それでも何とか、最低月1回は確保できました。

 さてハミング練習です。きちんと声のボジションを高くして、声を上&前に出しましょうと言われました。続けて行った発声練習では、きちんとカラダを使って、しっかりと声を出すように言われました(ただし、声を鳴らしてはいけないのです)。

 今回のレッスンが発表会本番直前の練習だったので、さっそく曲の練習に入りました。最初は、ヴェルディ作曲「椿姫」の二重唱「Un di felice, eterea/思い出の日から」です。

 スタッカートが付いている部分は、元気よく歌うのではなく、溜息の声で歌うように言われました。溜息ねえ…案外難しいよ(汗)。と言うのも、溜息だからと言って、腑抜けた声はダメで、やっぱりしっかりと息で支えて歌わないといけないわけで、息で支えながらも溜息の声で歌うって、頭で考えると全然分かりません。

 テノールの声の魅力は、カツーンと響く声で歌うか、優しい溜息な声で歌うか…の2つなんだそうで、この二重唱に関しては、カツーンとした声ではなく、優しい溜息な声が求められている…って事なのです。まあ、そう言われればそうかもしれない。

 カデンツァの部分の音程があれこれ違っているのを指摘されました。いやあ、実際のところ、伴奏もないし、よく分かっていないんだよね。もっともっと、丁寧に音取りをして、音自体を暗記しないと歌えないよね。絶対音感があれば簡単なんだろうけれど、今更ぼやいても仕方ないので、がんばって覚えるだけです。それでも、なんとか帳尻は合わせていくわけだけれど、先生的には帳尻だけでなく、全てが合っていないとダメってわけです(当然ですね)。この箇所は、本来は無伴奏なんだけれど、最悪の場合は、ピアノで正しい旋律を弾いてもらう(つまりガイドメロディーを弾いてもらう)のも考えないといけないかもしれませんが、実際ピアノを弾くかどうか、その場のピアニストさんの判断に任せる事にしました。

 カデンツァ以外にも数箇所、音が違う箇所がありましたが、それらは歌っているうちに正しい音程を思い出してきた(笑)ので、何とかなりましたが、カデンツァだけばどうにもなりません。いやー、難しいよね。本番では、いきなり舞台で歌うのではなく、しっかりと事前に歌っておいて、あれこれ思い出してから舞台に上がるようにした方が良さそうです。

 それにしても、本番直前なのに、まだこんなレベルとは…本番が思いやられます。


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2019年09月03日

メトのライブビューイングで「フィガロの結婚」を見てきた

 只今、東京・名古屋・大阪・神戸では、メトのライブビューイングのアンコール上映というのがやっています。で、東京は、ドナルド・キーン氏追悼という事で、キーン氏お勧めのオペラを推して上映しています。で、そんなわけで私はキーン氏お勧めの「フィガロの結婚」を見てきました。

 私が見てきたのは、2014年上演版の「フィガロの結婚」でした。キャスト等は次の通りです。

指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:リチャード・エア

フィガロ:イルダール・アブドラザコフ(バス・バリトン)
伯爵:ペーター・マッテイ(バリトン)
スザンナ:マルリース・ペーターセン(ソプラノ)
伯爵夫人:アマンダ・マジェスキー(ソプラノ)
ケルビーノ:イザベル・レナード(メゾソプラノ)

 特にスーパースターがいない舞台でしたが、アンサンブル系のオペラは、むしろ目立つ人がいない方が良いので、こんな感じの上手い歌手ばかりで固めた上演も、メトっぽくはないけれど、なかなか良い感じです。

 この上演の一番の見どころは、リチャード・エアの演出なんだと思います。舞台セットは回り舞台で、物語の進行に合わせて、ぐるぐる回っていくので、芝居の進行が実にスムーズです。そもそも「フィガロの結婚」はオペラにしては、割と脚本がまともな部類に属します(だから日本人受けするんでしょうね)。で、不足部分を演出で補う事で、演劇とし見ることができるレベルにまで引き上げるわけです。

 それにしても、最近のオペラ歌手には俳優としての資質も求められるわけで、色々大変ですね。ほんの少し前までは、オペラ歌手なんてのは、舞台の中央で棒立ちで歌い、演技力なんて、ほとんど求められなかったのにねえ…。今や、すべての歌手たちが、ドミンゴやカラス並の演技力が求められるわけで、厳しい厳しい。でも、見る側からすれば、それもまた楽しいわけです。

 デブの棒立ち演技なんて、見ててつまらないもんね。

 という訳で、歌はもちろん、演技にも引き込まれながら見ていました。で、私的には伯爵に共感しながら見ちゃったわけです。

 いやあ、伯爵。可哀想…。あの人、あの時代的には普通のオッサンだよね。ちょっと欲張りで、ちょっと浮ついただけの、ただのオッサンでしょ? それなのに、部下たちに良いようにあしらわれて、からかわれて、恥かかされて…。扱いがヒドすぎない? とマジで思ってしまったくらいです。

 共感はしないけれど、感心して見ていたのが思ったのが、ケルビーノ。こういう少年って、いるよなあ…って見ていました。演出のせいか、演技のせいか、ケルビーノという人物にしっかりと血が通っていました。ただ、残念だったのは、着替えのシーン。ケルビーノは少年のはずなんだけれど、胸が豊かすぎて…あのシーンは、ちょっと白けちゃいました。オペラ歌手だから胸を潰すわけにはいかないんだろうけれど、大きな胸は女性の記号だからね、演出家は、そのあたりにも気を配って演出を考えてほしかったなあ…なって思いました。ほんと、あのシーンさえなけれど、もっと芝居に集中できたのに…と思った次第です。

 あと、ほんの端役だし、演じていた歌手の名前も分からないのだけれど、バルバリーナがなかなか良かったんですよ。バルバリーナは、おそらく十代前半くらいの年齢で、ケルビーノに片思いをしている少女で、基本的には「フィガロの結婚」の中では、ほぼほぼストーリーには関わってこない娘です。第四幕の冒頭で、伯爵から預かったピンを無くしちゃうくらいの役割しかなく(アリアもその部分に付いてます)、そのシーンがカットされていても、たぶんオペラは成り立ちます…って程度の役なんです。

 で、このバルバリーナちゃん、演じていたのは東洋人(おそらく中国系の歌手でしょう)で、立派な白人であるスザンナちゃんの従姉妹としては「???」なんだけれど、実におキャンな小娘で、ケルビーノ同様「こんな子、いるよねえ(笑)」と微笑んでしょうくらいに、いい感じの娘でした。

 それと、普通の演出では、ただの意地悪ババアとして演じられがちなマルチェリーナも“恋する(ちょっと年増な)乙女”として演じられていたのは、メウロコでした。ただ、演じていた歌手は、従来どおりのイメージの“太ったオバサン”メイクだったのが残念だったかな? こういうキャラクターにするんならば、伯爵夫人のような美魔女系のイメージで演じた方が良かったんじゃないかと思いました。

 バジオリとか、バルトロとか、クルツィオとか、アントニオとかのオジサン脇役たちは、テンプレートなキャラクターで、これは演出変えてもどうにもならなかったのかな?って感じでした。

 フィガロやスザンナ、伯爵夫人などの主役三人組は、より快活になっていたし、スザンナは、お転婆というか、ちょっとはしたない感じになっていましたが、たぶん年齢設定が若い(十代後半ぐらい?)であるなら、まあ、あんな感じだよね。ただ、演じている人が十代には見えないのが、ちょっとキツイです。

 主役三人に関しては、仕方ないにせよ(実年齢はともかく)もう少し見た目が若々しい方が良いなあと思いました。と言うのも、役として設定されている年齢が、この三人とも、かなり若いのではないかと思われるからです。よくオバサン設定されがちな伯爵夫人だって、たぶんまだアラサーの貴婦人だと思うんですよ。白人って老けて見えがちなので、ほんと、仕方ないんだろうけれど、若い役を演じるなら、若く見えるように、メイクとかもっと工夫してもいいのになあ…って思った次第です。

 というわけで、普通のお芝居として見ても、それなりに楽しめる「フィガロの結婚」でした。歌に関して書かなかったのは、みんな水準以上だったからですよん。


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posted by stone at 05:00| Comment(0) | 歌劇

2019年09月02日

こちらに引っ越しをして半月になりました[2019年8月の落ち穂拾い]

 8月14日の老犬ブログのお誕生日に、長年住み慣れたココログから“さくらのブログ”に越してきました。引っ越しの顛末については、こちらこちらこちらに書きましたので、興味のある方はそちらを御覧ください。

 引っ越しして感じる事は、慣れていたこともあるけれど、リニューアル前の旧ココログはかなり便利なブログだったなあって事です。どこがどうと言えるほどではないけれど、細かいところが色々と良い感じだったのです。そういう小さな良い感じの積み重ねで、とっても良い感じのブログシステムになっていたと思います。

 で、ココログはリニューアルして、ある意味、とても良い感じから普通レベルのブログシステムになったわけです。この“良い感じ -> 普通”という感覚の落差はとても大きかったと思います。その上、当初は、今までできていたあれこれのサービスが準備不足のために出来なくなっていた事もあり、評判ガタ落ちになったわけです。でもまあ、私は他のココログユーザーの方々とは違い、それらについては、不満はあったけれど、仕方のないことだろうと思って諦めていたわけですが…、とある事がきっかけで、スマホ版のページが広告だらけになってしまった事に気づき、それでココログを辞める決心がついたわけです。

 それでも引っ越しのタイミングが8月になってしまったのは、ココログは3月にリニューアルしたわけですが、リニューアルしたところから、6月になるまで、エクスポート機能が凍結されていたからです。つまり、リニューアル後3ヶ月間は、引っ越しは不可能、ココログに縛り付けられていたわけです。ひどいよね。

 で、6月に引っ越し可能になって、引っ越しのための時間を確保し、作業をしているうちに、8月になってしまったので、だったらいっそのこと、お誕生日から新ブログを開始しましょうって事で、このようになったわけです。

 引っ越ししてきた“さくらのブログ”ですが、使い慣れない事もあって、案外不便をしています。今までココログなら簡単にできていた事が“さくらのブログ”では簡単にできなかったり、全然無理だったり…って事もあります。実は“さくらのブログ”って、そんなに便利じゃないのです。便利じゃ無い代わりに、あれこれ手を加える事ができる(HTMLとかCSSがカスタマイズできます)ので、ココログが理系がてんで出来ない文系人間向きのブログシステムだとしたら“さくらのブログ”はカスタマイズが楽しくてたまらない理系人間向きのブログシステムと言えるのかもしれません。

 私自身は理系寄りの文系だと思っていますので、まあなんとかなってますが、それでも面倒な事には代わりありませんし、その都度CSSのソースを読み込んでは、あれこれ書き換えるのも、それはそれでしんどいと感じています。

 スマホ版のページが広告まみれにさえならなければ、たぶん、今でもココログを使っていただろうと思います。それくらい、広告まみれのブログって嫌いなんです、私。


YouTubeの埋め込み動画には気を使う

 私はたまに自分のブログにYouTubeの動画を埋め込みます。スマホ版で見るとあまり気にはなりませんが、PC版で見た時には、YouTubeのデフォルトのソースのままでは、埋め込んだ動画のサイズでは、ブログの画面に収まりきれずに、ロクに見る事ができません。ですから、ソースを書き換えて、サイズを小さくしてから老犬ブログに貼り付けるわけです。

 まあ、そんな作業にも慣れ、ココログ用にサイズを小さくする事にも慣れた私ですが、そのココログ用のサイズで“さくらのブログ”には貼れない事がすぐに分かりました。どうも“さくらのブログ”の画面デザインは、おしなべて遊びの部分が多く、使用できる面積がかなり小さいんですよ。なので、ココログ用のサイズのままYouTube動画を貼り付けるととんでもない事になります。

 まあ、すぐに調整したので、今は過去に貼り付けたココログ用のサイズにした動画も見やすくなったと思いますが、それでもやっぱり、YouTubeのデフォルトのままでは、貼り付けは厳しい感じです。

 YouTubeのデフォルトのままブログに貼り付けたいなら、横側カラム(ずっと両側カラムを使っていました。今は左カラムだけを使っています)を辞めるべきでしょうし、スマホ版でブログを見る方も多くなってきた現在において、PC版でしか見られない横側カラムの必然性にも疑問が無いわけではないけれど、やはり私的には、横側カラムは必要なのです。で、横側カラムとYouTubeのデフォルト値の間で折り合いがつかないならば、これまでどおり、YouTubeのソースの方に手を加え続けなければならないわけで、手間ではないけれど面倒だよなあと思っている私なのでした。


今月のお気に入り ケーブルバイト


 ケーブルバイトとは、iPhoneに充電等で接続するライトニングケーブルのケーブルカバーの一種です。このカバーが各種キャラクターになっていて、iPhoneを充電するためにライトニングケーブルを接続すると、まるで、そのキャラクターがiPhoneをかじっているような感じになって、案外かわいいんです。まあつまり、ファンシーグッズの類だね。

 で、これがなかなか便利なんです。

 私は就寝時に、iPhoneとiPadを充電しますが、同じ場所にiPhone用の充電ケーブルとiPad用の充電ケーブルがあります。それぞれの接続先の充電器が異なる(iPadにiPhone用の充電器&充電ケーブルを差しても充電できません)ので、それを区別しなければいけないのですが、私はiPhone用のケーブルにピカチューのケーブルバイトを付けているので、iPhoneにはピカチューを差せばいいだけなので、実に便利なのです。あんまり便利なので、今はケーブルバイトをつけていないiPhone側にも、何かキャラクターのケーブルバイトを付けようかなと考えるくらいなんですよ。


今月の金魚

 夏は暑いのですが、金魚たちは冷房の効いた部屋にいるので、みんな元気いっぱいです。


今月のひとこと

 私が顧問をしている吹奏楽部さんが県大会に出場することになりました。頑張ったのは私ではなく生徒さんたちなんですが、県大会でもまたまた頑張ってくれることを切望しております。(2019年7月29日〜8月1日)

 あれ? いつの間にか梅雨があけてしまったようです。ううむ、うっかり真夏になってしまったか…。道理で陽の光に殺意を感じるようになったわけだ。今年の夏も、人間も金魚も元気で健康でやり過ごしたいものです。(2019年8月1〜6日)

 避暑地と呼ばれる場所には、案外エアコンがない。エアコンがないから、都会よりも室温が高い。室温が高いから、避暑地のむやみに暑い室内よりも、都会のエアコンの効いた室内の方が、マジ快適だぜ…と、心の底から思いました。ほんと、年寄にはエアコン無しってのはキツすぎるぜ!(2019年8月6〜8日)

 ポケGOフェスは案外国際色豊かでした。私も外人さんとフレンドになったよ(笑)。(2019年8月8〜14日)

 心機一転、こちらに引っ越してきました。ブックマークの変更等、よろしくお願いします。(2019年8月14〜16日

 ええと、毎日の記事の公開時刻を、午前3時半から午前5時に変更します。と言うのも“さくらのブログ”では予約投稿に関して、ココログほど細かい時間設定ができず、どっちみち3時半公開は無理になりました。で、何時にするべきか…ですが、老犬ブログ開設当時は、午前5時半公開だったんですよね。なので、それに近い時刻って事で、これからは午前5時に公開します。ちょうど、朝刊が投函される頃だよね。よろしくお願いします。(2019年8月16〜19日)

 毎日暑くて、昼間は室外に出られない(涙)。休みの日とて、家に引きこもりで、ロクにポケGOもできない(涙)。もちろん仕事中は、なるべく外に出ないように工夫しております。ああ、暑い暑い。(2019年8月19〜21日)

 アマゾンのウィジェットが変更を受け付けてくれない(涙)。何度やっても、元に戻ってしまうんだよね。どうしたらいいのだろうか?(2019年8月21〜25日)

 そろそろ夏が終わってしまう。暑くて厄介な夏だけれど、終わると思うと、どこか名残惜しいものなんだよなあ…。(2019年8月25〜29日)

 テンプレートと言うか、CSSと言うか、とにかくブログをどう見せるかというデザイン部分の話だけれど、私はプロのデザイナーさんたちが用意してくれたアリアリのものを使っています。で、ココログ時代はココログのデザイナーさんたちのものを、“さくらのブログ”になってからは“さくらのブログ”のデザイナーさんたちのものを使っていますが、“さくらのブログ”のテンプレートでは見ずらいというご意見をいただき、あれこれ探してみたのですが、なにかしっくり来るものが見つからず、やむなくデザインを両サイドバータイプのものから、左サイドタイプのモノに変更しました。いかがでしょうか?(2019年8月29〜31日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。


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posted by stone at 05:00| Comment(2) | その他

2019年09月01日

私の好きな懐かしのスターたち その14 ジェスロ・タル

 今年の連載の最後はジェスロ・タルです。たぶん、皆さんはジェスロ・タルの事はご存知ないと思います。1967年デビューで、70〜80年代が彼らの全盛期ですから、昨日取り上げたクイーンと同時代のロックバンドだと思っていれば、ほぼほぼ正解です。もっとも、クイーンはフレディの死後はご存知の通りですが、ジェスロ・タルは2012年まで、メンバーチェンジを何度も繰り返しながらもバンドとして存在していましたし、今現在はジェスロ・タルというバンドは存在しませんが、現在では、イアン・アンダーソンのソロ活動がほぼほぼジェスロ・タルの活動だったりするようです。つまり、未だに活動中と考えてくれても、そう間違いではないというバンドだったりします。

 で、今、バンドと書いちゃいましたが、このジェスロ・タルというバンド、実際のところは、イアン・アンダーソンというミュージシャンのワンマンバンドであって、彼が作詞作曲し、彼が歌い、アルバムコンセプトを考えて…で成り立っているバンドです。なので、バンドもソロも一緒…って乱暴な言い方がまかり通ってしまうわけです。

 さて、日本ではほぼほぼ無名なバンドですが、世界的には、少なくとも20世紀の間は、かなり売れて人気のあったバンドなのです。11枚もゴールドディスクがありますし、アルバムチャートでもトップ20の常連だったほどです。それほど人気があったバンドなのに、なぜ日本では受けなかったのか? 私が思うに、その理由は2つほどあると思います。

 一つは、メインヴォーカルであるイアン・アンダーソンを含め、バンドにイケメンがいなかった事。イケメンどころか、アンダーソンなんて、不潔なブ男だもんなあ…。ヴィジュアル面で整っていたクイーンとは、そこが大きく違います。

 あと、ジェスロ・タルはフルートをフィーチャーした曲が多かった事。なにしろ、イアン・アンダーソンがフルーティストなんだよね。ロックとフルート、こりゃあなんじゃい?と思われても仕方ないし、ロックは男臭い音楽だけれど、フルートって(日本じゃ)女の子の楽器なわけで、そんな女の子向けのガーリーな楽器を、むさ苦しいオッサンがロックバンドをバックに吹いているわけだから、そりゃあ日本人には受けないわけさ(涙)。 ああ、悲しい。

 そんなわけで、彼らの音源を2曲紹介します。彼らの曲は、本当にどれもこれも素晴らしくて、たった2曲に絞るのは困難なのですが、1曲はいかにもロックしている曲を、もう1曲はアンダーソンのフルートがたっぷり聞ける曲をご紹介します。

 最初の曲は、ロックでノリノリな「Locomotive Breath」です。ライブ映像でどうぞ。


 次の曲は、彼がソロになってからのもので、フォーレの「パヴァーヌ」を彼風にアレンジしたものです。


 どちらの演奏もカッコいいでしょ? でもまあ、フルートって極めると、どうしてもクラシックになっちゃう…って事なんだろうなあ。


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posted by stone at 05:00| Comment(0) | 音楽一般