2019年11月30日

民主党は見苦しい[2019年11月の落ち穂拾い]

 ここで言う“民主党”と言うのは、立憲民主党と国民民主党の事で、旧民主党と思ってくれても、まあだいたい同じです。で、その民主党の皆さんが「桜を見る会」を政局化しているんです。倒閣運動!なんだそうですが、この程度の問題じゃあ、倒閣なんて無理だし、せいぜい数週間、日本の政治を止めるのが関の山でしょ。やるべき政治を放り出して、政局に走る。単なるサボタージュでしょ。これこそ、税金泥棒だと私は思うんです。野党政治家が、こんなにくだらない事ばかりしているから、自民党がのさばるんだという事が、なぜみんな分からないんだろ? 日本の政治をよくしたいなら、まず、良識のある真面目で働き者で、きちんと政治をしてくれる野党議員を選出しないダメだよ。

 次の選挙では、みんな、政局家ではなく、政治家を選びましょう。

ドラえもんの新刊が発売だって

 たぶん、マニア向けの商品だと思うんだけれど…
 ううむ、0巻だってさ。なんでも、単行本未収録の古い原稿を集めた内容なのだそうな。当時、ドラえもんの掲載誌が六誌あったそうだから、それぞれの掲載誌で、それぞれ異なる6パターンの連載第一回目があって、それを単行本に収録していたり、まだキャラが固まっておらず、スネ夫がガキ大将なエピソードを収録していたり、表紙を見ても分かる通り、ドラえもんのキャラデザインが、我々が知っているものとは違っていたり…と、まあ、そんな話ばかりを集めて作られたので、0巻なんだそうです。

 つまり、お蔵出しだね。

 ちなみに私は、ドラえもんの連載第一回目ってやつを、リアルタイムで読んでいるんだよね(笑)。なので、変なキャラデザも、キャラたちの性格のブレも、リアルタイムで知っているんだよね。

 プレドラえもん世代な私としては、ドラえもんよりも、オバQの方が親しみやすく感じるんだよね。バケラッタ!

もはやアニメの方がオリジナルって感じがします

 ドラえもんもそうなんだけれど、元々はマンガ原作のアニメであっても、長いこと放送されていると、もはやマンガよりもアニメの方が、より多くの人に親しまれて、今や、原作っぽい地位を獲得しているモノってあるじゃない? アニメを見て、それからマンガを読むと「これじゃない感」が満載されている作品って…少なからずあるよね。

 ドラえもんなんかも、そうだよね。アニメ見てから、原作マンガを読むと、なんか違うよね。

 同様な作品として「サザエさん」とか「ルパン三世」とかも、あまりにアニメに慣れ親しんでいるせいか、原作マンガを読むと、なんかどころか、全然違う感じがするんだよね。

 蛇足 アニメじゃないけれど、石ノ森章太郎原作の特撮モノって、原作マンガと特撮作品って、ほぼ別物だよね。「仮面ライダー」とか「キカイダー」とかって、ほんと、違います。違うと言えば、永井豪の「デビルマン」なんて、アニメは普通のヒーローものなのに、原作マンガは、救いも希望もないディストピアモノなんだよな…。あ、ごめんごめん、今はアニメと原作は寄り添うように作られていますが、昔のアニメや特撮は、テレビ版と原作って、ほぼほぼ別物でしたね。

今月のお気に入り Apple Watch 充電スタンド

 Apple Watchを購入したので、充電スタンドも購入しました。だって、毎日充電するからね。
 充電スタンドはあった方がいいです。以前、iPodを使っていた時は、純正の充電スタンドを使っていたのですが、iPodからiPhoneに乗り換えた時、iPhoneには充電スタンドが付属していなかったのです。まあ、接続端子が小型のライトニングケーブルに仕様変更したのが原因かなって思ってます。だって、あんな小さな端子で本体を支えるのは無理だものね。一応、サードパーティー製のスタンドも探したのですが、当時はあまり良いものがなくて、諦めたんです。

 その後、iPadを購入した時も充電スタンドは…諦めていました。だって、ライトニングケーブルだもの。

 なので、現在、iPhoneもiPadもケーブル直差しで充電しています。直差しで、そこらに転がしています。ちなみにiPhoneのケーブルにはピカチュウのカバーをしています。iPad用のケーブルには何もカバーを掛けていませんので、今度ポケモンセンターに行ったら、かわいいポケモンのカバーを買ってこようと思ってます。

 で、充電ケーブルの直差し生活を続けていると、やっぱり充電スタンドのありがたみをヒシヒシと感じるわけで、Apple Watch用には最初っから充電スタンドを購入してみました。

 やっぱりいいですよ、充電スタンド。私は書斎で充電していますが、これを寝室に置いて、充電中は、小型のクロックとしても使えるんです。便利ですね。

今月の金魚

 みんな元気です…と言いたいですが、ベルとマドジョウの具合が良くないです。それでも頑張って生きているんですよ。

今月のひとこと

 クラシックコンサートの前日あたりから体調が良くないです。睡眠時間はたっぷりで全然眠くないのに、目を閉じたら、一瞬で意識が飛ぶほどに、カラダが睡眠を欲しています。ほんと、体調が悪いんだなあ…と思う次第でございます。(2019年10月30日〜11月1日)

 英語民間検定試験なんて、延期じゃなくて、止めてしまえばいいんだよ。これって、得するのは某教材会社であって、損をするのは受験生なんだよね。受験生ファーストであるならば、他の教科同様に、大学入試センターが作成実施する試験で行えばいいんだよ。それが平等だし、費用も時間も無駄にしなくて済む。業者に甘い汁を吸わせるために、入試制度を改革するなら、それはおかしな話だと私は思ってます。(2019年11月1〜5日)

 具合が悪くて咳き込む時は、龍角散を服用しています。飴じゃなく粉のヤツね。これ、咳止めとして実に優秀なんです。咳はしないに越したことはないので、ついつい愛用しています。(2019年11月5〜6日)

 ついに声が出なくなっちゃいました。正確に言えば「極めて声が出しづらく、無理にだしても“誰、それ?”状態の別人の声」なんです。いかんなあ、どうも声帯まで腫れてきたようです。さすがに、これだけ腫れちゃうと、喋りはもちろん、歌も無理だよね。(2019年11月6〜11日)

 英語に続いて、大学入試テスト(新テスト)の国語が、野党さんたちによって批判批難されています。日本の野党って、めっちゃくちゃな事ばかり言って、与党の揚げ足取りしかやらない、無用の長物のイメージがありますが、今回の新テスト批判に関しては、実にあっぱれだと思ってます。例によって、代案を示さない無責任さはありますが、とにかく、現在予定されている新テストを批判してストップさせる事はとても大切だと思います。新テストは、目的そのものは悪くないのだけれど、やり方は受験生の事を考えていないと思うし、何より利権の匂いがプンプンするのが、私も好かんです。(2019年11月11〜13日)

 総理主催の「桜を見る会」が政局化されています。ああ、こんな政治と関係ない事で時間を使うから、日本の政治は三流って言われるんだよなあ(愚痴です)。それはさておき、立憲民主党、国民民主党、共産党の三党が中心になって追求チームを作って頑張っていくそうだけれど、共産党はまあいいとして、立憲民主党と国民民主党には、この件を追求する資格は無いと私は思います。だって、旧民主党時代にも「桜を見る会」を開催しているからね。自分たちだって「桜を見る会」を開催して利用していたのに、安倍総理の主催だからと言ってイチャモンつけるのは、天に唾吐く行為だよね。とにかく(税金の使い道を透明化するという点では評価できるけれど)国政とはほぼほぼ無関係な事を問題として取り上げて政局化するのは、ほんと、止めてほしいと思います。(2019年11月13〜14日)

 来年度の「桜を見る会」は中止だそうです。政局化を避けた懸命な判断だと思いますが…それでも野党は政局にしたいようです。だから、立憲民主党&国民民主党の両“民主党”はダメなんだと思います。政治家なら政治をしてほしいです。政局をして日本の政治を停滞させるのは止めてほしいです。「桜を見る会」の追求は国会や予算委員会ではなく、国政とは別のレベル、例えば政党間の話し合い等で解決してほしいです。国会や予算委員会で「桜を見る会」について時間を使うなんてことになれば、それこそ“税金泥棒”だと思います。野党の皆さんには、現在の緊迫化した国際状況が何も分かっちゃいないんだと思います。もはや存在そのものが害悪じゃん。日本のためになってないよ。もっとちゃんとした人/政党を野党議員にしないとダメだってば。(2019年11月14〜15日)

 神奈川県警の第一交通機動隊所属の巡査が、振り込め詐欺の“受け子”をやっていたそうな。警察になりすました犯人から「これから警官を向かわせる」と80代の被害者さんの家に連絡して、そこに本物の警官が行って、詐欺を働いたそうな。本物の警官が現れて、あれこれ指示されたら、そりゃあ従っちゃうよね。目の前にいるのが本物の警官だったら「詐欺かも…?」と疑うわけもないよね。結局、ATMの防犯カメラから犯人が特定されたわけだけれど、警官が犯罪者の片棒をかつぐなんて…神奈川県に住んでいる人間は、誰に守ってもらえばいいの? それこそ、税金払うのがイヤになる事件だなあ…。(2019年11月15〜19日)

 「沢尻エリカが逮捕されたのは、政府のスキャンダル隠しだ!」と、ルーピーな元首相が言ったそうですが、そんな本当の事をペラっとしゃべっちゃうから、ルーピーっ呼ばれちゃうんだよなあ(笑)。そんな事は自明の事じゃん。国民だって、それくらいの事は分かった上で、芸能ニュースを楽しんでいるんだってばサ。(2019年11月19〜23日)

 なんか急に寒くなってきました。気温だけなら、もはや真冬のレベルなんだそうです。暖冬の年には着ない事すらある、暖かい暖かいコートをついに出して着てしまいました。いやあ、衣服が暖かいと、それだけで幸せな気分になれます。私はほんと、安上がりな人間です。(2019年11月23〜27日)

 最近、寒いのに全然寒くないのです。それはたぶん、Apple Watchを買って、毎日心拍数をアゲアゲにしているからかもしれません。カラダ、燃焼! そりゃあ、あんまり寒くないはずだ。(201911月27〜29日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。


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2019年11月29日

下手になってました…

 フルートのレッスンに行ってきました。実は、昨今は仕事が忙しくて、なかなかレッスンに行けず、かなり久しぶりのレッスンだったのですよ。自分でも分かるくらいに、指の動きが悪くなっていました(ダメじゃん)。いやあ、レッスンに行かない…だけでなく、普段の練習もサボっていたので、すっかり指が動かなくなっています。いやはや、なんとも。

 最初はロングトーン練習からです。気をつけているのですが、私は頭部管を抜き気味でフルートを吹いてしまいがちです。この日も頭部管を、すこし抜き過ぎていたようで、先生に「もっと頭部管を刺して、軽く吹きなさい」と注意されました。

 頭部管を抜き過ぎていると、音程を合わせるために、どうしてもフルートを強く吹いてしまうのだそうです。フルートって、優しく吹いた時に良い音がでる楽器で、強く吹いてしまうと、ヒステリックな音になってしまってダメなんです。だから、頭部管はあまり抜かずに、できるだけ優しく吹いてくださいとのことです。

 さて、エルステユーブンゲンは25番と26番です。覚えてません、暗譜してません。このままでは永久に合格できません。ほんと、どうしましょう。

 旋律的練習曲は4番です。先生からは「下手になった」と言われてしまいました。前回までは出来ていた、トリルと、その前後につく装飾音符が下手になったのだそうです。

 具体的には、こんな感じです。トリルと前後につく装飾音符、すべてを含んだ音符としての長さは、十分に分かっています。そこに問題はありません。問題は、その音符の中での、前につく装飾音符と、トリルと、後につく装飾音符の、時間的な割合の問題です。

 一番長くて大切なのが、音符の本体であるトリルの部分。あくまでも前後につく装飾音符は装飾音符だから、短い時間でこなさなければいけないのです。しかし、今回の私の演奏では、前についている装飾音符に時間が掛かり過ぎだし、トリル部分が短くなっている(ので、結果として後についている装飾音符の部分に時間が使われています)ので、ダメって事で「前回よりも下手になっている!」のです。

 後から振り返って考えてみると、単純に指が素早く動かなくなっていて、装飾音符を素早く処理できず、それでも音符全体としての帳尻を合わせていくために、トリルの部分が短くなってしまっていたのだと思います。

 今回のH先生は、かなりスパルタで、私は何度も何度もできるまで吹き直しをさせられました。たぶん、感覚的に理解できずに吹けなくなっていると先生は思われたようで、その感覚をしっかり私に叩き込もうとしたようです。でも、実はもっと単純な話で、指が動かなくなっていただけで、それを無理やり素早く動かそうとする、指が暴れて、へんな感じになりました。

 日々の練習が大切ですね。ほんと、大切。

 40リトルピーセズは、まだまだ30番です。バッハの「マーチ」です。途中で、先生のピアノと決定的に合わずにグダグダになってしまう箇所があります。フルート単体で吹いていても、なんか変な感じがするので、私のタイム感の問題なんだと思いますが、それも自宅練習の時に解決しておかなきゃいけない事です。それにして、バッハは吹きづらい。

 先生は私の毎日が忙しくて、練習が十分にできない事は分かってくれていますし、練習ができなければ、できないままでも良いから、なるべくレッスンに来るように言ってくれます。最悪、レッスンを練習の場にしても良いとすら言ってくれます。

 有り難くて、なさけなくて、うれしいです。楽器は、練習時間の多寡がすぐに分かるので、練習不足が続くのが、本当に申し訳ないです。おそらく、退職するまで、こんな感じでしょう。ああ、憎むべきは、すべてサービス残業ってヤツだな。毎日の3〜4時間のサービス残業さえなければ、練習だってたっぷり出来るんだけれどなあ。ほんと、ブラックな職場で困ってます。とは言え、もう数年で退職なので、頑張っていきたいと思ってます。


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2019年11月28日

Apple Watchを買ってみた その4 デジタルガジェットとしての話

 私は、Apple Watchを時計以外にも利用しています。

 Apple Watchで何ができるのか? まあ、iPhoneで出来る事のかなりの部分が、Apple Watchでもできます。つまり、小型のiPhoneとしての使用方法です。実際、Apple WatchはiPhoneと強い関連性があって、iPhoneのリモコンとして使う事でできます。

 しかし、私は、iPhoneでも出来る事は、基本的にiPhoneでやっています。と言うのも、Apple Watchって、絶望的に画面が小さいんです。だって腕時計だもの。老眼にはツライ仕様になっています。

 だから、その画面は、小さすぎて、見ずらいし使いづらいんですね。なので、私の基本スタンスは、デジタルガジェットとしては、出来る事はなるべくiPadで行う。iPadでできない事はiPhoneで行う。iPhoneでもできない事は、Apple Watchで行う。やっぱり、画面は大きい方が正義なんです。

 なので、iPhoneでできる事はiPhoneでやる事にしています。ですから、ネット関連の作業はApple Watchでできるけれどやりませんし、ツイッターもLINEもApple Watchでできるようですが、やりません(そもそもやってませんけど:笑)。その他、画面を見て情報を得る系のアプリはiPhoneにまかせてます。

 ですから私の場合、Apple Watchが活躍するのは、スポーツウォッチとして活用する場面ですね。

 私、スポーツウォッチを使うのは、実は始めてではありません。以前、ポラールのスポーツウォッチを使っていた事があるのですが、あの時の感覚を思い出しながら、Apple Watchを使っています。

 ポラールと言うのは、フィンランドのスポーツ系の心拍計メーカーで、心拍計と腕時計を合体させたガジェットを作っている会社です。私がポラールを愛用していた頃(もう20年くらい前の話です)は、腕時計だけで完結せず、胸の心臓の上あたりにセンターを装着しなければならず、それが面倒くさかった事と、1年もしないうちに電池切れを起こすのですが、電池はメーカーに送らないと交換できなくて(当然、メーカーに行っている約一ヶ月間は利用不可です)その面倒臭さにまけて、やがて使わなくなってしまいました。

 今回のApple Watchは、胸のセンターは不要だし、腕時計だけで心拍数を計測してくれる(今ではポラールでも可能のようです)のも便利だし、電池切れでメーカーに送る必要が無いのがうれしいです。。

 出勤時(私は徒歩通勤です)に「ワークアウト」というアプリを起動すると、心拍数等がリアルタイムで表示されるので、それを見ながら、心拍数を120程度に上げて歩くようにしています。なかなかの運動になりますね。毎日、消費カロリーをみては、ウハウハしています。

 徒歩通勤の時は、音楽を聞きながら、ボケモンGOをしている私です。ボケモンGOをしている時は、片手にiPhoneを持っているので問題ないのですが、天気が良くない日は、ボケモンGOをしていると危険なので、ボケモンGOはせずに、脇目も振らずに、ただただ歩いています。そんな時は、iPhoneは胸ポケットに入ったままなので、音楽系の操作はApple Watchで行ってます。これはこれで便利です。

 妻は「アクティビティ」というアプリで、毎日の運動量を計測しているようです。ちなみに私が「アクティビティ」を起動すると、たった一日で2〜3日分の運動をしていると記録されちゃうので、あまり役に立ちません。ちゃんとチューニングすればいい感じになるのでしょうが…。

 「オートスリープ」というサードパーティー製のアプリをインストールして、それで睡眠管理をしています。毎日、何時間寝ているか。そのうち、熟睡しているのは何時間か、今現在、どれくらい睡眠不足なのか(つまり、もっとたくさん寝ろって事です)とか、まあ便利です。それにしても、私の毎日って、20時間活動して、4時間眠るっていう生活でした。ああ、これってかなり不健康だよね。だから太るんだよな。

 あと、アラームを目覚まし代わりに使ってます。私はApple Watchを“消音モード”で使っていますので、目覚まし代わりのアラームも無音で、バイブだけで起こしてくれます。バイブで起こしてくれるというのも、なかなか良いものです。目覚まし時計がリンリン鳴るよりも心臓に優しい感じです。

 まあ、こんな感じで、否応なく、健康を意識させてくれるのがApple Watchのようです。


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2019年11月27日

Apple Watchを買ってみた その3 時計としての話

 Apple Watchが手元に届いたので、さっそく使ってみました。

 まず、初期設定やらなんやらは、とても簡単。iPhoneに現れる指示に従って行えば、何も迷いません。そう、Apple WatchはiPhoneからあれこれ設定しますので、iPhoneを使用しているという前提があるみたいです…ってか、実際に使っていくと、Apple Watchは単体で使うモノではなく、あくまでもiPhoneとの組み合わせで使う前提のガジェットのようです…ってか、ほぼほぼiPhoneのリモコンだと思いました。

 つまり、本体であるiPhoneはカバンの中にでも入れておいて、iPhoneの操作を、手元のApple Watchでする…って感覚なんです。だから、単なる時計ではないのです。

 とは言え、Apple“Watch”ですから、まずは時計としての使い勝手について書いてみると…まずは問題なく使用できます。モデル3はバッテリーの節約のために、普段は画面を消灯していて、必要な時に時計を呼び出して時間を見るという動作が必要だったそうですが、モデル5はいつでも文字盤が見えているので、普通の時計の感覚で使用できます。腕時計って、チラ見をする事があるじゃない? モデル3はそのチラ見ができなかったそうですが、モデル5は問題なくチラ見が出来るのが(当たり前だけれど)ありがたいです。

 装着感は…軽いです。24時間付けていても(実際は充電中は外します)気にならないでしょう。

 文字盤のデザインはたくさんありますし、アレンジもできます。デジタル表示もアナログ表示もできるし、あれこれアプリのショートカットを貼り付ける事もできます。自分で撮影した写真を文字盤に使用する事もできるので、自分だけのApple Watchが作れます。カスタマイズ好きにはたまらないですね。

 時刻の正確さは…ほぼ正確ですし、時刻合わせの必要はありません(し、できません)。iPhone同様に、ネット経由で正しい時刻を習得しているんでしょうね。

 いわゆる“電波時計”も、時刻は理論上、正確なはずですが、実際は数秒〜数分の狂いが生じるものです。電波時計がうまく電波を拾える地域に住んでいるのなら問題ないのかもしれませんが、私の地域では、それがちょっと難しくて、電波を拾うのにミスをする時計も多く、長期間電波を拾えずに、時刻表示が狂ってしまう時計がままあります。また、電波をうまく拾えても、拾った時刻を表示するメカ部分との間の連携が甘いと、表示される時刻が不正確になりがちです。なので、たとえ電波時計であっても、定期的に時刻合わせが必要なのです。そこへ行くと、Apple Watchは、時刻合わせが不要だし、できないので、時刻管理はとても気が楽です。

 アラームとかタイマーとかストップウォッチのような、普通の時計にも付属しているような機能は、もちろんあります。画面で操作できるので、小さなボタンやリューズ等で操作する通常の時計よりも設定が楽ですし、妻などはSiri経由で音声を使ってセットしている(例えば「3分測って!」と言ってタイマーを設定してます)でもできるので、かなり便利です。

 そもそも表示がディスプレイなので、暗い所でもよく見えます。逆に暗くなくてはいけない場面(映画館とかでは、明るいままのApple Watchでは迷惑です)では“シアターモード”というモードがあって、画面を暗くして、通知をオフにできる機能があるので、TPOに合わせた使い方ができます。

 つまり、普通の時計ができる事は、ほとんどできますし、それもかなり便利に簡便にできるのです。ま、Apple Watchは時計として、かなり優秀って事です。

 心配されるバッテリーに関しては、まあ大丈夫です。私は帰宅してすぐに充電スタンドにApple Watchを置き、入浴して風呂から出てくるまでの2〜3時間程度をApple Watchの充電時間にしています。風呂上がりにバッテリーを100%にしたものを、その後ずっと身につけて、寝ている間もずっとつけ、翌日の仕事からの帰宅まで、ずっとつけていても、バッテリーは足りています。足りているどころか、充電直前の時ですら、バッテリー残量は40%程度残っているので、まだまだ使えるみたいです。

 カタログ的には、Apple Watchのバッテリーの持続時間はフル充電から18時間という事になっていますが、まだ新品という事もあるのか、なんか使えちゃってます。ネットを見ると「Apple Watchは壊滅的にバッテリーがもたない…」という報告もありますが、それは使い方次第なのかもしれませんし、バッテリーの個体差なのかもしれません(なにしろアメリカ製品だもの、品質管理はアマアマだよね)。

 私はアタリを引いたのかもしれません。だとしたら、うれしいな。とにかく、一日一回の充電で十分使えているんです。


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2019年11月26日

Apple Watchを買ってみた その2 何を購入したのか

 どのApple Watchを購入すべきか…については、あまり悩みませんでした。と言うのも、デジタルガジェットならば、最新型を購入するのが吉なので、特別な理由がなければ、旧機種を購入する理由はないわけですし、私は大柄な人間なので、サイズ違いのモデルがあるならば、一番大きなモデルを購入するのが吉だからです。

 だから、Apple Watchは、最新の“5”モデルにしたし、サイズも最大の44mmモデルにしました。

 さて、Apple Watchには、2つのタイプのモデルがあります。一つは“GPSモデル”で、もう一つは“GPS + Cellularモデル”です。つまり“+ Cellular”の有無です。で、この“+ Cellular”とは何か?と言えば、LTE通信ができるかどうかって話なんです。LTE通信って何?って話ですが、すごく簡単に言えば「電話回線を使って通信する」って事で、3Gとか4Gとかってヤツです。

 ですから、LTE通信をするためには、Wi-Fiモデルと違って、携帯キャリア会社と回線契約をしないと使用できません。ですから、GPS + CellularモデルのApple Watchを購入したならば、携帯キャリア会社とApple Watch用の回線契約をしないといけません。で、Apple Watch用の回線を用意しているのは、ドコモとソフトバンクとauの3社だけです。ですから“GPS + Cellularモデル”のApple Watchは、これらの会社の販売店で買うか、改めて回線契約をしないといけません。もちろん、GPS + Cellularモデルの方がGPSモデルよりも(機能が多い分)高価です。

 さらに、GPS + Cellularモデルは、回線契約をしただけでは済まず、月々の回線使用料もかかります。費用的には微々たるもので、そんなに心配しなくてもいいとは言うものの、Apple WatchでどれだけLTE通信を使うかっで考えると、回線契約って必要?って思うわけです。

 だってね、LTE通信が必要な場面って“iPhoneを持たずに屋外にいる”状態の時だけです。そういう状態って、私の場合、まずありえないのです。

 と言うのも、外出する時は、たとえ近所のコンビニであっても、iPhoneを持って外出する私なので、それを考えると、LTE通信は不要なのです。実際、私のiPadは“Wi-Fiモデル”で“Wi-Fi + Cellularモデル”ではありませんが、いつもiPhoneを持ち歩いているので、何も不自由を感じていませんので、Apple Watchでも同様だと考えたわけです。

 おそらく“GPS + Cellularモデル”が必要な人って、iPhoneですから大きくて重くて邪魔だと感じている人たち…具体的に言えば、一部のランナーさんじゃないかな?

 つまり、毎日手ぶらで走っている人たちですね。そういう人たちは、iPhoneを持たずに走るだろうし、電話だって、iPhoneではなくApple Watchから掛けたいんじゃないのかな?

 iPhoneですら持ちたくなくって、iPhoneの代わりに、何でもApple Watchを済ませたいって人たち…このような人たちには“GPS + Cellularモデル”が良いでしょう。まあ、私はボケモンGOをするので、絶対にiPhone無しでは外出しないので“GPS + Cellularモデル”は不要だと判断しました。

 さて、ボディの素材の違いもあります。アルミかステンレスかチタンかという問題ですが、これについては、ちょっと悩みました。というのも、私は金属アレルギーがあるからです。アレルギー体質な私的には、本来ならばチタン一択なのですが、まあアルミもステンレスも、チタンほどではないにせよ、アレルギーを起こしにくい金属なので、今回はチタン以外を選んでもいいかなって考えました。どうせ、2〜3年しか使わないんだから、もしアレルギーが出るようならは、早めに買い換えればいいじゃんって考えたわけです。

 ではなぜ、チタンを選択から外したのかと言うと…チタンって重いんですよ。今まで使っていたカシオの腕時計は、当然、チタンモデルだったのですが、あんまり重いんで、仕事中はよく時計を外していたんですね。

 それがカシオの時計が壊れ、修理に出している間、一時しのぎのためにダイソーに行って、500円の時計を使っていたんですよ。で、この500円の時計が、なかなかいいんです。特に軽いせいもあって、装着感があまりなくて、ずっと腕に装着したままでも平気だったんですね。腕時計には“軽さ”という要素も重要だなって思ったわけで、だから次の時計は、なるべく軽い時計がいいなあって思ったわけです。

 そうなると、素材的に一番軽いのは…アルミでしょ? ですから、アルミ製のApple Watchにしました。

 後は、時計のカラーとバンドという、いわば趣味的選択で悩みました。これはほんと、悩みました。実は3日ほど悩んでいましたし、実際の購入場面でも1時間ぐらい、ずっとずっと悩んでいたんですよ。 で、結局、本体カラーは、どんな色のバンドとも合いそうな“シルバー”にしました。
 さて、バンドはデフォルトの“ホワイトスポーツバンド”では、さすがに趣味に合わないし、スーツにも合わないので、サードパーティのモノにしました。サードパーティ製のモノに交換すると決めると…サードパーティー製のバンドって、多種多様で、本当に悩んだわけです。まあ、バンド自体が安いって事もあったので、気に入らなければ、すぐに買い換えればいいやと思って、最後は「エイヤー!」と気合で決めました。

 今回は“軽さ”がテーマでしたので、スポーツループバンドというタイプにしました。なんと、素材はマジックテープなんです。だから、軽いし通気性も装着感も良いし、サイズもフリーなんです。問題は、スーツを着ている事が多い私ですが、スーツ姿に合うかな?という心配です。自分的には許容範囲内なのですが、どうしても違和感が消せないようなら、金属や皮革でできた普通の時計のようなバンドに買い換えるつもりです。
 最後に、私はよく腕時計をそこらにぶつけるので、腕時計のカバーは必要だなと思いました。以前使っていた腕時計は、購入してすぐにぶつけてしまい、前面ガラスに傷を付けてしまい、悲しい思いで使っていた思い出があるので、カバーできるものなら、カバーをしましょうと思いました。カバー付きなら、ぶつけてもカバーを取り替えれば済むものね。
 で、これらを悩みに悩んで、ついに夜中にアマゾンでポチッとしたら、翌日のお昼前にApple Watchが届きました。うむ、アマゾンのお急ぎ便って、やっぱ速いな(笑)。


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2019年11月25日

Apple Watchを買ってみた その1 買うまでの話

 少し前に妻がApple Watchを購入して「これ、いいから、ぜひ買いなよ」と何度も何度もしつこいくらいに勧誘してきていましたが、私は、以前に妻から誕生日プレゼントとしてもらった腕時計を愛用していたので、Apple Watchを購入するつもりは毛頭ございませんでした。

 それが先日、その私の時計が壊れてしまった(涙)ので、修理に出したところ、機種が古すぎて修理できないという悲しいお知らせをメーカーから受け取ってしまいました。

 実は私、腕時計って、子どもの頃からずっとカシオなんです。そう、私はカシオ党、カシオファンなんですよ。最初にカシオの安いデジタル腕時計を購入して以来、ずっとカシオの時計を買い替えてきました。年齢に応じて、状況に応じて、購入するブランドを替えながら、つい先日までカシオの時計を使い続けていました。書斎の壁時計だってカシオなんですよ。

 だから、今まで使っていた腕時計が修理不可能と聞いた時、真っ先に考えたのは「じゃあ、今度は(カシオの)どのブランドの時計にしようかな?」という事でした。と言うのも、今まで愛用していた、Wave Cepterというブランドは、もう作っていないようなのです(だから修理してもらえなかったのかも…)。次はOceanusかな? じゃあ、どのモデルにしようかな? とか考えていたわけです。

 そこに妻が「これはもう、Apple Watchを買いなさいという、神様の声が聞こえたんじゃないの?」と言うわけだ。そう言われれば、そんな気もする…。ここらでカシオからアップルに乗り換えなさいと言われたような気がします。

 でも、ちょっと躊躇はありました。と言うのも、Apple Watchって、腕時計と言うよりも、デジタルガジェットじゃない? つまり“消耗品”でしょ? せいぜい、2〜3年しか使えないでしょ? そこが、心に引っかかりました。

 あと、毎日充電しないと使えないというのもヤダなと思いました。だって、最近のカシオの時計は、タフソーラー(光発電)なので、充電なんてしなくても、ずっと使い続けられるのです。今まで充電フリーだった生活から、毎日充電しないといけない生活に変われるかな…という心配がありました。

 それと、Apple Watchは時計のフリをしているけれど、その実態はウェラブルPCなわけで、そんなもの、使いこなせる自信がないという本音もありました…が、結局は、Apple Watchを買ってしまいました。

 消耗品だという心配については…iPhoneもそうだなっと思ったわけです。iPhoneだって2〜3年でモデルチェンジをしている消耗品じゃない? 実際、私も今まで何台ものiPhoneを使い倒してきたわけです。値段的には、iPhoneなんて、Apple Watchの数倍もするわけで、そんな高価なガジェットを惜しげもなく買い替えている現実があるわけなんだから、たかがApple Watch程度でビビるなんて、今更だよねって話です。

 毎日の充電ライフにしたって、そうです。毎日iPhoneを充電しているじゃん。もうすでに充電ライフな私なんですから、充電するガジェットが一つくらい増えても無問題じゃん。何を心配しているんだいって感じです。

 Apple WatchがウェラブルPCって事で、ちょっぴりビビっていた私だけれど、iPhoneだって、電話のフリしたウェラブルPCじゃない? 小型の携帯型PCを使っている私が、超小型の腕時計型PCを使うようになるだけじゃん。何を今更ビビっているんだい?

 という訳で、私の心理的障害は取り除かれたので、さっそくApple Watchをポチッとしたわけです。


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2019年11月24日

そう言えば、ここ数年は失神していない

 ここ数年の私は、眠さに負けて、寝落ちしてしまう事はありますが、失神をする事は、まず無くなりました。

 という話をする事が、まずはおかしいんだよね(笑)。普通は、失神なんてしないもの。

 でも、昔はよく失神していました。あれは30代の頃だったと思うんだ。

 あの頃は、その直前まで元気だったのに、昔のテレビの電源が切れた時のブラウン管のように、目の前がふうっと暗くなって意識を失い、記憶が断絶して、またふうっと明るくなって意識を取り戻るって事が、割とありました。

 目を覚ました時に、ゴミ箱に頭を突っ込んでいたり、茂みに半身を突っ込んでいたり、階段の踊り場で倒れていたり、色々ありました。(意識を失った事と倒れていた事のダブルで)よく死ななかったものだと感心したものでした。

 当時はなぜか「人生なんてそんなものだ」と思っていたので病院に行かなかったのですが、今思えば、何が起こっていたのでしょうか? おそらくは一時的な貧血が原因ではなかったと思ってますが、小さな脳梗塞を起こしていたのかな?とも思いますし、もしかしたらてんかん発作だったのかなと思わないでもないです。

 もっとも、今は全然てんかんではないので、当時の失神は、てんかん発作ではなかったのだろうと思いますが、脳梗塞の件は否定しきれません。脳ドックでも受けてみれば、過去の脳梗塞の有無は調べられるでしょうが、今の病気ならともかく、昔の病気を調べても仕方ないし、それどころか手に負えない病気を見つけてしまうとヤバいので、脳ドックは受けるつもりは全くありません。

 おそらく、一過性脳虚血発作の類だったんでしょうね。つまり、脳卒中じゃん。当時の私、ヤバいじゃん(笑)。

 で、逆に30代…ってか、40代ぐらいまでは、寝落ちなんて経験した事なかったですね。むしろ、いつもいつも寝付けなくて困っていたくらいです。それが今や、いつでもどこでも、目をつぶれば、3分で寝られる。いや、疲れ切っている時は、活動中であっても、寝落ちしてしまう私です。

 失神も怖いですが、寝落ちも案外怖いです。私は車を運転しない人だけれど、もしも運転する人で、始終寝落ちをしていたら、今生きているかどうか分からないなあと思います。それくらい、頻繁に寝落ちするようになりました。

 歌いながら寝落ちする事は(なぜか)ありませんが、フルートを吹きながら寝落ちする事は、たまにあります。問題は、フルートのレッスンの最中であっても寝落ちてしまう事です。H先生のレッスンで落ちた事はありませんが、笛先生のレッスンの時に寝落ちた事があります。この時は、寝落ちながらもフルートは吹いていたようですが、吹いている曲は全くのデタラメだったそうです。数秒で覚醒したので、演奏が止んだり、倒れたりはなかったようですが、フルートを吹きながら寝落ちられるものなんだなって、自分でビックリしたんです、あの時は。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | ダイエット&エッセイ

2019年11月23日

また怪我してる…

 誰が怪我をしているのか、と言えば、シズカが怪我をしているのです。

 お恥ずかしい話なんですが、ウチの水槽には、いじめ問題があるんです。誰がいじめられているのか…と言えば、シズカです。で、誰がいじめているのか…と言えば、その他の子たち。主に、ヤヨイ、です。

 ヤヨイは気が強い子で、姿はとても美しい金魚なんだけれど、心はどす黒い子です。ウチの水槽の歴史が、ヤヨイ以前とヤヨイ以降に分かれるのは、ヤヨイが小魚として水槽に入った時に、その水槽に前からいた先輩たちを粛清して全滅させて、水槽の金魚たちを総入れ替えにしたのです。だから、そこで歴史が分かれるんです。

 それくらいにヤヨイという子は、気が強いんです。

 で、ヤヨイは自分より先に水槽にいた先輩たちを“敵”とみなして粛清したのですが、自分よりも後から水槽に入ってきた子たちは“子分”とみなして、自分に従わせました。

 シズカはヤヨイより半年ほど後から入ってきた子です。本来ならシズカの子分になるんでしょうが、この子が全然シズカに付き従わないのです。それどころか、他の子たちはヤヨイに遠慮して、カラダを大きくしてこないのに、シズカは、そこんとこ空気も読まずに、ガンガンとカラダを大きくしてきました。

 金魚の世界では、カラダが大きい方が偉いのです。

 やがてシズカはヤヨイとほぼ同じくらいまでカラダを大きくしてきました。そんな、自分に従わないシズカが気に入らないのでしょう、それ以来、ヤヨイとその子分たちは、シズカをいじめるようになりました。

 でもまあ、いくら気に入らないからと言っても、いじめるに留め、粛清はしなかったし、今もしないんですよ。それはやはり、ヤヨイの中では、シズカは生意気な子分であって、いくら生意気でも、子分は子分なのであって、敵ではないので、粛清しないのかもしれません。

 シズカが水槽に来て、1〜2年は、シズカに生傷が絶えなかったのですが、ここんところは、それもだいぶ落ち着いてきたのです。まあ、ヤヨイなりに、シズカを受け入れて、二匹の関係が安定してきたからだと思います。

 そんな均衡を破ったのが、ルデンです。

 金魚の世界では、力はカラダの大きさなのです。カラダが大きいヤツほど偉い(強い)んです。だから、今まではヤヨイが水槽で一番大きな金魚でした。そして、ヤヨイがブイブイ言わせていたんです。

 それをあっという間に抜いたのがルデンです。最初はまだ稚魚だったルデンが、みるみる成長して、気がつけば、シズカよりも、ヤヨイよりも大きな金魚に育ってしまいました。

 ルデンは穏健な子なので、自分が一番大きいからと言って、何かするわけではありません。いや、穏健なのではなく、何も考えていない子(つまり、バカ?)なのかもしれませんが、とにかく孤高なんです。どうやら、それがヤヨイには気に入らないみたいで、デカいルデンが水槽の中を泳いでいるだけで、どうもヤヨイの中にモヤモヤが溜まるんでしょうね、その溜まったモヤモヤを、ついついシズカにぶつけているんですよ。

 シズカにすれば、迷惑千万なのですが、そんな感じで、再び生傷な生活に戻ってしまったシズカだったのです。

 ほんと、シズカって可哀想。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 金魚

2019年11月22日

アパチュアとアンブシュアの話

 フルートを吹く上で、とても大切で、でも、結構いい加減なものの一つ(二つ?)として、アパチュアとアンブシュアがあります。アパチュアというのは、フルートを吹く時のクチビルの形の事で、アンブシュアとは息を吐き出す穴とその形の事です。

 まあ、大切ですよね。

 だから、初心者の頃は、ここに注意するし、こだわりもあります。私が初心者だった頃のネットでは、アパチュアは微笑みの形、アンブシュアの練習のためにストローをくわえてみましょうってのが、流行っていました。

 微笑みの形…というのは、クチビルを横に軽く引いて、クチビルを薄くしましょうという意味だと理解しています(合っているかな?)。

 ストローをくわえる…というのは、ストロー程度の穴をクチビルで作る癖をつけましょうという練習だろうと理解しています(これはきっと合っています)。

 薄めのクチビルでストロー程度の穴から息が出ればフルートは吹ける。

 これに関しては、大きく間違えていないと思います。でもね、厚めのクチビルでもフルートは吹けるし、穴の形や大きさに関しては、音程によって変える必要があるので、あまりストローにこだわらなくてもいいかなって思いますし、ストローの穴では、かなり大きくて、高音を吹く時に大変だろうなあとも思います。

 そういう意味では、アパチュアとかアンブシュアって、大切だけれど、そんなにこだわらずに、良い意味で“いい加減”でいいんじゃないかって思います。

 要は、結果オーライ…でいいんだと思います。フルートが吹ければ、クチビルの形とか穴の大きななんて、なんでも良いのです。

 もっとも、そんな事を言われてしまうと、学習者たちは困ってしまいますよね。特に“形”から入るタイプの人は困るでしょうし、だから、ちゃんとしたやり方を知りたがるわけだけれど、フルーティストって、そんなにちゃんとした人ばかりじゃないような気がするんです。

 要は、慣れと自然体が大切かなって個人的には考えてます。

 アパチュアは自然体、つまり自分が楽だと思うのが正解だと思うのです。微笑みの形が楽なら、そうすればいいし、別の形が自分にとって楽なら、それが正解です。ペコちゃんのようなクチして吹いたって、ヒョットコのようなクチして吹いたって、何の問題もないのです。

 私に関して言えば、何も考えてません。横にも縦にも引っ張ってません。だからと言ってクチビルを突き出しているわけでもありません。普通にクチを閉じているだけ。だって、それが一番楽だからです。で、それでフルート吹いてます。

 アンブシュア、つまり息の穴に関しては、慣れだと思います。なにしろ、日常生活の中で、息の穴を開けるなんて動作は、普通の人はやりませんからね。これには慣れが必要です。必要ならストローをくわえた訓練だってアリでしょう。大切なのは、クチビルから出た息がまとまって一方向に吐き出せればいいだけの話で、穴の形を意識するようも、息の出し方を気にした方がうまくいくような気がします。

 私の感覚ではアンブシュアって、穴じゃなくて管なんだよね。クチビルで、この管をどうやって作るかって事なんだろうと思ってます。管だと思っているので、息が出る時に、息はまとまっているし、一方向に吐き出せます。穴だと思っていると…こうはうまくいかないんじゃないの?

 私はクチビルのクチバシと呼ばれる部分を使って吹いています。クチバシというのは、上クチビルの中心部のちょっと尖った部分です。この尖った部分を、万華鏡の管のような三角形にして、そこに軽く下クチビルを添えてアンブシュアを作ってます。私的には、とても簡単で、とても楽で、とてもコントロールしやすいアンブシュアになっています。それこそ、世界中に布教したいくらいです(しないけど)。

 こんな感じで、フルートに慣れて、今や自然体でフルートを吹いている私です。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | フルートのエッセイ

2019年11月21日

好きな事と得意な事

 趣味と仕事に関する話題です。

 よく「好きな事を仕事にできた人は幸せだ」という人がいますが、私はそうではないと思ってます。いやむしろ「好きな事を仕事にしてしまった人は、好きな事が一つ減って、かわいそうだ」と思っています。

 これは私の職業感なのですが、仕事って、好きだからするのではなく“必要だからする”“やらなければならないからやる”ものだと思っています。もしも“好きだからする”のであれば、それは同時に“イヤならしなくていい”という事になりますが、仕事って、好き嫌いで選べるものではないでしょ? 嫌な客でも(程度の問題だけれど)引き受けなきゃいけない事があるのが仕事だし、苦手な案件だって(これも程度の問題だけれど)引き受けにゃならぬのが仕事じゃない? そういうモロモロを飲み込んで生業としていくのが仕事…だと私は思うのです。だから「好きな事を仕事にしてしまった人はかわいそうだ」と思うのです。

 それに、好きな事を仕事にしてしまうと、仕事人間になりかねません。だって、仕事が楽しくて仕方なくなるからね。それって、幸せなの?って思うわけですよ。昭和的な価値観でいけば、仕事が楽しくて仕方ないのって幸せな事なんだけれど、21世紀になった今、人生が仕事一色になってしまうのは、どうなのかな?って思うわけです。ライフワークバランスってヤツを少しは考えようよ…って言いたいし、仕事以外のあなたは何者ですか?…とも言いたくなってしまうわけよ。だから、好きな事は仕事にしない方が良いと思っています。

 私は、好きな事は趣味にして楽しむべきだと思ってます。趣味なら、ある意味、無責任ですから、自分の好きを追い求める事ができるし、万が一、それがイヤになったら止めてしまえばいいのです、趣味なんだもの。好きって、それくらいに無責任にできなきゃ辛くなるよ。

 一方、得意な事は仕事にすればいいのです。自分の特技を社会のために使っていくのは、とても大切な事だと思います。得意な事を仕事として行い、さらに技を磨いて、より得意にして、社会に還元していく…のが良いと思うわけです。

 「じゃあ、好きな事と得意な事が一致している人はどうすればいいの?」

 基本的には趣味にして、二番目に得意な事を仕事にすればいいと個人的には考えています。自分のために行う事(趣味)と、生活のために行うこと(仕事)ならば、好きな事は自分のために行えるように聖別しておきましょうって思うわけです。

 世の中には、二番目に得意な事なんて無いくらいに、好きな事と得意な事が一致して、どうにもならない人ってのがいます。もうそういう人は、覚悟を決めて、好きな事を仕事にするしかないのかもしれません。で、昭和的な仕事人間になるしかないのかもしれません。そういう生き方は、私は選択したくありませんが、それは私の主義主張であって、そういう選択をして生きていくのもアリです。好きな事を仕事にしてしまった人に対しては、その好きが一生好きなまま続けられるといいですね、とお祈りさせていただきます。

 まあ、世の中の多くの人は私も含めて「下手の横好き」ですから、そんな事、心配する必要はないのですがね。


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2019年11月20日

音大を卒業すれば音楽家になれるのか?

 この記事は音大進学を考えているような子たちに向けて書きます。

 法学部を卒業すれば弁護士になれる。教育学部を卒業すれば学校の先生になれる。同様に、音大や芸大の音楽部を卒業すれば音楽家になれる。

 これは事実です。法学部を卒業せずに弁護士になったり、教育学部を卒業せずに学校の先生になったり、音楽部を卒業せずに音楽家にだってなれるけれど、そのためには、あれこれ遠回りをしたり、余計な苦労などをしていかないといけないので、そのつもりが最初っからあるなら、回り道をせずに、これらの学部に入って勉強するべきです。

 さて、問題は、これらの職業に就くには、これらの学部を卒業する事で条件的にかなり有利にはなりますが、これらの学部を卒業したからと言って、全員が当該の職業に就くことができるわけではないという事です。

 法学部を卒業しても弁護士になれない人はいるし、教育学部を卒業しても先生になれない人も大勢います。同様に、音楽部を卒業しても音楽家になれない人は大勢います。むしろ、なれない人数で考えれば、法学部を卒業して弁護士になれない人や、教育学部を卒業して先生になれない人よりも、ずっと多いかもしれません。

 実際問題、音大を卒業して、職業音楽家になれる人って、ごくごく一部の方だけで、卒業生の多くは、演奏活動のない仕事に就職しています。それでも音楽関係の企業に勤められれば、学生時代の学びも生きるかもしれませんが、ごく一般的な会社に勤めてOLさんになっている人も大勢いるんです。

 まあ、それが現実。音楽家になるには音大卒業は有利だけれど、音大卒業しても音楽家になれるわけじゃないのです。

 体育大学を卒業して、プロのアスリートになれる人なんて、ごくわずかで、卒業生のほとんどは、一般企業の企業戦士として働くわけで、音大卒も実は似たような感じなのかもしれません。ただ、体育大学に進学する人は、最初っからプロのアスリートになろうなんて考えている人、ほぼいませんが、音大に行く人は夢見がちな人が多いってのが、違う点なのかもしれません。

 音楽大学の存在目的は、実はガッコの音楽のセンセの養成なんだよね。音楽のセンセって、都会では余ってますが、地方に行くと不足しています。ですから、都会で音楽のセンセになるのは大変ですが、地方に行けば、さほど苦労せずに就職できますが、なかなか地方に言ってくれる音大卒業生っていないみたいなんですね。都会の子が地方に行くことはまずないし、地方の子も、都会に行ったきり帰ってこないし、地方の学校で勉強した子も、卒業後は都会に行っちゃうし…。

 みんな、そんなに都会がいいのかい?

 そんな現実だったりします。という訳で「音大を卒業すれば音楽家になれるのか?」という問いに対する答えは「頑張れ!」となるわけです。

 あと、世界的に活躍する演奏家(主にソリストですね)は、中学生とか高校生とかの、音大に入学する以前にデビューしている人も大勢います。それを考えると、音大入学よりも、コンクールに入賞して芸能事務所に所属する方が、プロの演奏家になるには近道かもしれません。


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posted by stone at 04:00| Comment(2) | 音楽一般

2019年11月19日

私は、やっぱり、私が嫌いだ

 人が幸せとなるために必要なものの一つに“自己肯定感”というものがあります。これがない人は、いくら環境的に恵まれていたとしても、幸せを感じる事は少ないと言われています。

 ま、そりゃあそうだよね。自己肯定感の低い人間は、自分は社会に受け入れられていないって感じているんだもの、幸せにはなれないわな。

 で、私の話。まあ、私は基本的に自己肯定感が高めな俺様的な人間なので、基本的には幸せいっぱいに生きています。少なくとも、オトナになってから、まあまあ幸せだと感じながら生きています

 正直な話、子どもの頃や学生時代は、自己肯定感の低い、自分で自分を憐れむような不幸せなヤツでした。それがオトナになってから、あれこれあって、自己肯定感を得られるようになったわけですが、それはまた別の話なので、機会を改めて書くかもしれません。

 とにかく、ちょっと前までの私は自己肯定感が満たされた幸せ野郎だったのですが、最近、また、自分がだんだん嫌いになってきて、この自己肯定感ってヤツが薄らいできて、なんか自分がカワイソウなヤツ、不幸なヤツに感じるようになってきました。

 何が原因なのかと言うと、私の声です。

 思い起こしてみると、若い時、私は私の声が大嫌いでした。だって甲高いんだもん。青年時代は、声だけだと、よく女性に間違えられるほどに高かったんだね。当時から歌っていましたが、高校生〜大学生の頃は、声変わりを終えていたにも関わらず、アルトパートを歌うのが一番楽だったくらいだもの。それくらい甲高い声だったのね。

 で、そんな甲高い声が私は大嫌いだったので、オトナになったあたりから、日頃は声を押さえつけて、低めの声を出してしゃべるように、歌うようにしていたのです。そんな事を何年も何年も続けていたら、そんな低めの作り声で話すのがデフォルトになってきたわけです。

 やがて、声を押さえつけるのが無意識になり、そうやって作った低い声が自分の声だと勘違いするようになっていったわけです。まあ、私の本来の声を忘れてしまったとも言えます。

 そんな私が声楽を学び、本来の自分の声を取り戻しつつあるんです。そう、忘れていた自分の本来の声と向き合うようになったわけです。

 さすがにもう、オッサン〜オジイサンなので、ツヤツヤした声は出ず、いくら甲高いと言っても、もう女性に間違えられる事はないのですが、それでも相変わらず、声は甲高いし、細いんですね。いかにも“貧弱なオジイサンの声”になっているんですね。年齢が年齢だから、声が老けているのは仕方ないと思うし、いかにも“オジイサンの声”になっていても良いのですが、問題は“立派なオジイサンの声”とか“かっこいいオジイサンの声”とかではなく、ただの“貧弱なオジイサンの声”というのが、イヤなんです。

 若い頃は、自分の女性的な声がイヤだったのですが、年を取った今でも、自分の声の甲高さと貧弱さがイヤでイヤでたまりません。

 まあ、自分が聞く自分の声が嫌いなのもイヤですが、ネットにアップした歌声の感想で、声が嫌いだ…みたいな事を書かれると、正直、凹みます。だって、その通りなんだもの。自分でも気にしている欠点を指摘されると、人間って凹むものですね。

 バカにバカと言っちゃいけないし、デブやハゲにデブとかハゲとか言ったら怒り狂うわけです。つまり他人に本当のことを言っちゃいけないのです。私みたいに、他人に好かれない変な声の人に「あなたの声はキライです」とか言っちゃうなんて、いきなり物事の核心を付いちゃうわけで、突かれた方はハートをえぐられる感覚になります。

 楽器なら、気に入らなきゃ買い換えればいいんですが、声はそうはいかないのです。こんな甲高くて、細くて、貧弱な声でも、これで我慢しないといけないのです。

 ああ、私は歌が大好きだから、本当は、どんどん歌っていきたいのですが、この声で歌わないといけないのかと思うと、なんか凹むなあ。もっとカッコいい声で歌いたいよ。できれば、マリオ・デル・モナコみたいな声で歌いたいのだけれど、それは叶わぬ夢というものなんだね。

 と言うわけで、私は、やっぱり、私が嫌いだ。大嫌いだ。

 そういう意味では、最近の私は、どんどん不幸になっています。ああ、不幸は嫌だ、幸せに暮らしていきたいよ。ああ、神様、私の声を、かっこいいイケメンヴォイスに変えてください(涙)。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 発声法のエッセイ

2019年11月18日

プリンタを購入したんだけれど…

 私は自宅にプリンタを所持しているけれど、あまり使用していません。実際、ここ数年、年賀状印刷以外は、まずプリンタを使用しません。昔はそれなりに使用していたけれど、ほんと、最近は全然プリンタを使いません。

 文書印刷は…文書管理をクラウド管理にしたので、見る/読むだけならクラウド経由で携帯端末や出先のパソコンで見ればいいだけで、印刷はまずしないよね。印刷が必要な文書って、たいてい仕事関係なので職場で印刷すればいいので、家庭のプリンタはまず使いません。写真印刷は…写真って、iPhoneに入れて見るものだから印刷しないしサ。CDのラベル印刷…昔はよくやったけれど、そもそも音楽を聞くのにCDを使わなくなって、ほぼほぼiPhoneを使っているので、ラベル印刷そのものをしなくなったしネ。

 ほんと、年賀状印刷ぐらいにしかプリンタを使わなくなりました。そして、仕事関連の年賀状は職場の方で処理するから、自宅で印刷する年賀状なんて、私的な人間関係のモノだけだし、それも(電子)メール等で連絡できる人には出さないし、そうなると自分から出す人って限られているから、あまり印刷しないんだ。もちろん、年賀状をくださった方への返事は出すけれど、それはその都度印刷しているけれど、それでもあんまり枚数は多くないんだよ。

 なので、年賀状の印刷にしても、プリンタが大活躍するってわけでもないので、私のプリンタが壊れたのは一昨年の話だけれど、昨年の年賀状は、妻のプリンタをWiFi接続で使わせてもらって、急場をしのいだほどです。

 それで間に合ったのだけれど、私のパソコンと妻のプリンタは別の場所にあるし、なかなか使い勝手が良いとは言えない状況だったので、今年は自分用のプリンタを買って、好きに印刷した方がいいなあという事になり、重い腰を上げて新しいプリンタを購入しました。

 私は年賀状印刷にしかプリンタを使用しないので、性能がボヤッとした廉価なプリンタで十分なのです。それにしても、今どきのプリンタって、廉価にも程がありますね。ほんと、安い。

 私は古い人間なので、カラープリンタなんて、1台5万円以上はするものと思っていましたし、実際、今まで使ってきた、インクジェットプリンタも、熱融解式プリンタ(懐かしいでしょ、インクリボンを使うタイプね)も、5万円程度はしていたので、当然、新しいプリンタも予算5万円を覚悟していたら…なんと、約1/10の6000円でした。いやあ、ビックリ。

 一応、プリンタを購入するにあたって、条件はあったんですよ。

 1)なるべく安い事。
 2)国内メーカー品である事。
 3)背面給紙である事。(だって年賀状印刷しかしないからね)
 4)顔料インクである事。(染料インクは個人的に好きません)

 という条件で探して、候補に上がったのが、エプソンの「カラリオ PX-049A」でした。三年前のモデルで型落ち品なので、かなり安くなっていたとは言え、プリンタ本体が約6000円っては、安すぎますよね。これ、複合機なのでスキャナ機能もあるので、今持っているスキャナ(ほとんど使用していません)も廃棄できるし、簡易コピーとして使えるので、案外便利かもしれません。
 プリンタが安く購入できたので、ウハウハな気分になった私ですが、本体だけではプリンタは使えないわけで、インクも購入しないといけないので、続けて交換用のインクも購入したわけです。それで、ちょっとビックリしちゃいました。と言うのも、インクが高すぎるんですね。なんと、プリンタ本体が6000円なのに、インクは約4000円なんですよ。消耗品のインクが本体価格の2/3もするって、ビックリ…以前に、ありえない値段設定だなって思いました。
 今まで使っていたプリンタのインクも安くはなかったですよ。それでも1セットで3000円前後(この価格帯で約1000円の違いは大きいね)だったし、本体価格が5万円程度はしていたので、本体価格と比べるとインクの値段は約1/15で、2/3と比べるとだいぶ安いです。まあ、それでも安いとは思わなかったけれど、まあ理解はできる値段設定でした。

 それが、消耗品のインクが本体価格の2/3って、絶対におかしいでしょう。

 なぜ、こうなっているのかと言えば…おそらくは「本体は安く売り、オプションや消耗品で儲ける」という日本式な価格設定になっているからだろうと思います。身近な例が、スマホ代金と月々の通話料の関係ね。スマホ本体は実質ゼロ円でも、月々の通話料が(世界的に見れば)バカ高い件と同じです。

 まあ、スマホの回線は寡占状態だから、そのビジネスモデルでも通信会社は大儲けできるけれど、プリンタ&インクでは、そうもいかないのです。実際、互換インクと呼ばれる、廉価な代用品がサードパーティから販売されている(互換インクは1セット1000円程度からあります)し、おそらく純正品よりも多く使用されているんだろうなあって推察します。

 6000円の本体価格に対して、互換インクの1000円は、まだ高い印象がありますが、1000円という値段に関して言えば、まあ妥当な値段なのかもしれません。何しろ4色セットで1000円って事は、1色250円なわけで、万年筆等のインク代から考えても、まあそんなモンだよね。

 つまり、プリンタ本体が安すぎるです。無論私が購入したモノは型落ち品だから、かなり廉価だけれど、後継の現役機種だって約8000円だよ。純正品のインクと比べて、やっぱり値段設定がおかしいと思います。

 それほど、メーカーは安い価格でプリンタ本体を売りたい/売らなきゃならないわけです。で、その損失分をインクで稼がなきゃいけないので、純正品は、バカみたいな高価な値段設定になっているんだろうと思いますが…あまりに高価なので、サードパーティーが(本体の損失を補う必要がないので)適正な値段設定のインクを販売しちゃうので、純正品を購入する人が減ってしまい、儲からないので、ますます純正品のインクの値段を上げざるを得ないという、良くない状態に陥っているような気がします。

 こりゃ、ダメだな。これじゃあ、本体は買っても、誰もインクを買ってくれなくなっちゃうよ。

 という訳で、モロモロの大人の事情を汲み取って、私は高価な純正品インクを購入して使用する事にしました。やっぱり、日本のメーカーを買い支えるのも、日本人としての矜持の一部だなって思っています。インク代の差額3000円は、メーカーへのお布施感覚です。

 それにしても、プリンタ本体&純正品の値段設定って、間違っていると思うよ。とは言え、純正インクを適正な価格で販売するためには、プリンタ本体の価格設定を現在の数倍にしないと儲けが出ないんだろうと思います。「本体は安く売り、オプションや消耗品で儲ける」という日本式の販売方法を最初に取ってしまったため、そのツケが今の時代になってやって、メーカーの首を絞める事になったんだろうなあって思います。

 これからの時代、最初っから本体は本体で商売をし、消耗品やオプションは適正価格で販売する…をしていかないとダメだよね。消耗品やオプションなんて、買わなくてもいいんだし、サードパーティー製を購入してもいいんだもの。そうしないと、令和の時代は乗り切れないと思います。

蛇足 記事の中でプリンタの本体価格は約6000円と書きましたが、実は本体のパッケージの中に、純正品のインクが1セット同梱されていました。インクは1セット約4000円ですから、実際の本体価格は約2000円なんですね。これってもう、本体をタダで配っているような価格ですよね。ほんと、プリンタの価格って、これでいいのでしょうか?


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | その他

2019年11月17日

古典は押さえておかなきゃダメだな

 実にお恥ずかしい話ですが、私は今まで「オズの魔法使い」という映画を見た事がありませんでした。もちろん、有名なシーンは断片的には知っていたし、話の内容も辞書的(ってかwiki的)な程度は知っていましたが、実際の映画をきちんと見る事はありませんでした。だいぶ前にDVD化され、DVD自体は持っていましたが、なかなか時間を作れずにいて、見る機会がなかったのですが、このたび、やっと時間を作って「オズの魔法使い」を見る事ができました。

 で、見てビックリです。色々な事が頭の中で一気につながりました。いやあ、やっぱり、古典は押さえておかなきゃダメですよ。

 「オズの魔法使い」は1939年のアメリカの映画です。1939年と言えば、昭和14年です。いわゆる戦前です。ノモンハン事件が起きたり、ナチス・ドイツやソ連がポーランドに侵攻したり、東芝やJASRACが設立したりしていました。映画の話をすれば「風と共に去りぬ」や「嵐が丘」「駅馬車」なども公開されています。この翌年にはチャップリンの「独裁者」も公開されています。ほんと、昔の映画だね。

 「オズの魔法使い」は、いわゆる児童向けの映画で、アメリカでは今でも年間2〜3回ほどテレビで放送されるほどのドメジャー作品(日本のジブリ映画なんて、比較にならないほどの、高頻度での再放送ですね)で、アメリカ人なら誰でも知っていて当然という作品のようです。もう、常識も常識って感じの映画のようです。

 ですから、この映画に出てくる事は、何の解説もなしに、アメリカ人の言い回しとか映像表現にポンポン出てきます。

 例えば…、オズ(オージー:OZ)って、よく耳にしますが、オーストラリアの事(オージー:Aussi)ではなくて(笑)“どこでもない場所”って意味で、最近の日本語で言えば“異世界”または“異世界人”って意味です。ビックリでしょ?

 黄色いレンガ道(Yellow brick road)が、しばしば幸せ/成功へ至る道として使われるのは、この映画でそうなっているからだし、アメコミでは、しばしば緑色の皮膚のキャラがいて、それがたいていは悪役なのは、やっぱりこの映画ではそうだからです。日本だと、緑の皮膚の人なんて、くさ系ポケモンを除けば、ガトランティス帝国人ぐらいしかいないじゃん。

 童話やファンタジーでよく聞く“西の魔女”も、この映画が初出だし、かかしのダンスはマイケル・ジャクソンのダンスにクリソツでビックリで、そのマイケル・ジャクソンは、ソロデビュー前に「オズの魔法使い」のリメイク映画の「ウィズ」でかかし役をやっているし、プログレ・バンドのトトのバンド名の由来も、この映画にあるようだし…。

 たぶん、私が気が付かないだけで、他にも色々な事が、この映画が下敷きになっていたりするんだろうと思います。

 日本人には日本人の常識があり、アメリカ人やヨーロッパ人には彼らの常識があり、それぞれのエンタメをきちんと楽しむためには、我彼の常識を踏まえた上で鑑賞しないと分からない事だらけです。

 例えば、最近また続編が公開されているけれど、映画「ターミネーター」におけるサラ・コナーって“聖母マリア”で、ジョン・コナーは“幼子イエス”だったりするわけだけれど、そのメタファーがパッと見抜けるかどうかって、あの映画を鑑賞する際の重要なキーだと思うし、アメリカ人たちは肌でそれが分かっているんだけれど、たぶん、大抵の日本人は(映画評論家も含めて)そこに気づいていないんだよね。だって、聖書物語って、アメリカ人にとっては常識だけれど、日本人は知らないのが当たり前だものね。

 あちらのエンタメ(オペラとかミュージカルとか海外ドラマとか)をたっぷり楽しみたい、私みたいな人は、あちらの人たちの常識を理解していた方が、より楽しめるわけで、そういう点で、やはり古典作品は押さえておかないといけないなあと、今回「オズの魔法使い」を改めて鑑賞してみて、そう思った次第です。

 さて、次に見るべきは「雨に唄えば」とか「アラビアのロレンス」とか「ベン・ハー」だろうなあ…。 実はこれらの名作映画も見てないんだよね(汗)。あ、そうそう、チャップリンもほとんど見ていないよ。考えてみると、あれこれ抜けているなあ…。これからの人生は、そういった“古典に親しむ”事に気を使ってみるとしますか。

 最後に「オズの魔法使い」って、古い映画なので、すでに著作権が失われていて、パプリックドメインになっていますので、ネットで見ることもできます。


 パブリックドメインの映画って…お金をかけてまで日本語版ってのが作れないので、吹替版が作られなかったり、字幕も推敲が足りなかったして、イマイチと言われますが、この動画はどうでしょうね?


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posted by stone at 04:00| Comment(2) | ダイエット&エッセイ

2019年11月16日

ドジョウたちも具合が悪い

 前回は金魚のベルの具合が悪い事を書きましたが、実はドジョウも具合が悪いんです。

 具合が悪いのは、たぶん…マドジョウです。マドジョウというのは、通常の食用のドジョウで、我が家には一匹います。どうやら、この子の具合が悪いようなのです。

 そもそもマドジョウは、だいぶ前から障害魚になっています。カラダがボコボコなんですよ。今まで飼っていたマドジョウたちも、ある程度大きくなるとカラダがボコボコになりました。クル病的な病気が原因かと思っていましたが、どうやらこれって、骨折の成れの果てのようなのです。

 ドジョウって、後先見ずにすごい速度で水槽の中を泳いでいますが、それでも緋ドジョウたちはガラスにぶつからないように上手に泳ぐのですが、マドジョウたちは平気でガラスにぶつかります。それも全力で何度もぶつかります。それを繰り返しているうちに、何度も背骨が折れ、折れた背骨が変なふうにくっついて、カラダ全体がボコボコになってしまうようなのです。

 つまり、マドジョウって、本来、水槽では飼えないタイプの魚なのかもしれません。

 背骨が複雑骨折を起こして、カラダがボコボコ…って、人間だったら大事ですが、魚には痛覚がないので、痛くはないみたいですし、神経が切断されているようすもなく、普通に動いていますので、生活に不自由はあるのだろうけれど、大きな問題にはなっていないようです。

 で、そんなヤンチャなマドジョウの具合が悪いのです。

 たぶん原因はベルと同じ…秋になったから…ではないでしょうか? つまり、夏バテの後遺症です。

 以前の我が家の水槽では、秋になると、多くの魚たちがバタバタと死んでいましたが、ここ数年、夏は、水槽のある部屋にも冷房を入れるようになり、魚死亡率がだいぶ下がって安心していたのですが、それでもやはり、秋は鬼門なのでしょうね。冷房が入っていても、やっぱり弱い子たちが参ってしまうみたいです。それが今年は、ベルであり、マドジョウなんだろうと思います。

 マドジョウは、しばしば腹を上にして水槽の底に沈んでいます。ポンプに吸われて、吸い付いている事もあります。なにより、息をしていない事が案外ありますし、体色(ドジョウはカラダの色で健康状態が分かります)がかなりヤバい事が多くなりました。

 何よりマズイのが、ここ数日、マドジョウのそばに常に緋ドジョウたちが張り付いている事です。ドジョウって、情が深くて、仲間意識が強い生き物なんですよ。なので、仲間が弱っていると、寄り添う習性があるんですね。だから、マドジョウのそばにいつも緋ドジョウが張り付いているというのは、ドジョウ的に、マドジョウがかなり弱っていて、だいぶマズイ状態にあるからなんです。

 という訳で、現在の我が家では、ベルとマドジョウの2匹の具合がとても悪いんです。なんとか夏を乗り切れた…と思ったのですが、どうやらそんなわけにはいかなかったようです。

 とは言え、なんとか鬼門の秋も乗り切って、元気に回復してくれる事を願っています。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 金魚

2019年11月15日

吹き直しをする?しない?

 他人の演奏を聞いていると、ちょっと気になるのが、吹き直しです。演奏中、どこかでヘマをすると、演奏を止めて、少し戻って改めて演奏し始めるってヤツです。まあ、一般的にはピアノ用語の“弾き直し”を使うのが普通かな? まあ、ピアノなら“弾き直し”だろうけれど、フルートなら“吹き直し”だよね。

 で、これはフルートとかピアノとかに限らず、器楽系の発表会とか演奏会で、たまに見かけます。声楽では…歌い直し?…は、まず見かけません。

 で、なんで気になるのかと言えば、私は吹き直しをめったにしないからです。

 「めったにしない」…つまり、たまにするんでしょ? はい、たまにします。それはレッスンの最中に、うっかり演奏が止まってしまった時に、止まったところからやむなく始めます。でも、これは弾き直しが目的ではなく、演奏が止まってしまったために、やむなく演奏を再開するための弾き直しなわけで、まずは演奏を止めない事が最大限の目的だと思ってます。

 そう、私は「ミスのない演奏」よりも「音楽を止めない事」を優先しています。これは声楽でもフルートでも同じ事で、まずは音楽を止めない事を最優先しているのです。だから、音楽を止めない以上、吹き直しは基本的にありません。たとえミスブローがあっても、そのまま進めますし、ミスブローのおかげで音楽的な整合性が崩れたとしたら…作曲してでも前に進みます。まあ、そうなると大抵、H先生が演奏を止めますけれどね(笑)。とにかく、演奏が止められる/止まるまでは、ガンガン前に進んでいくのが、マイスタイルなのです。

 「レッスンの時に吹き直しをするなら、本番でも吹き直しをするんでしょ?」 いえいえ、レッスンの時は、演奏の正しさもある程度考慮しますので、音楽がやむなく止まってしまったら、諦めて正しい演奏をし始めるわけですが、本番やそれに準じているような場面では、絶対に音楽は止めません。もし、止まっても、力ずくで再開します。ビートを外さずに、何食わぬ顔で演奏を続行します。

 これは前のフルートの先生の笛先生に徹底的に仕込まれた事で、今も私の骨髄にまで染み込んでいます。なので、私は基本的に吹き直しはしないのです。

 でも、そんな私は少数派なのか、知らない他人の器楽系の発表会を見に行くと、吹き直し/弾き直しを、結構見かけます。おそらく、先生が演奏の正確さを重んじる方で、ミスをしたままで音楽を進めるのをヨシとしない方なんだろうなあって思います。

 常に正しさを心がける演奏と、常に前進する事を最優先にする演奏。どちらが正しいのか私には分かりません。まあ、結論は「ミスなく正しい演奏で最後まで演奏する事」でしょうから、どちらが早く結論にたどり着けるようになるかって話なだけだと思ってます。

 とにかく、私は常に前進する事を心がけていきたいと思ってます。


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posted by stone at 04:00| Comment(2) | フルートのエッセイ

2019年11月14日

感情の入った歌を歌いたい

 つまり、棒歌いの逆ですね。棒歌いとは、楽譜が見えるような歌い方だけれど、そこに血の通った人間が歌っているような感じがしない歌い方です。極端な例が“初音ミクの歌”です。とは言え、最近の初音ミクの歌は、打ち込み技術が進歩したためか、なかなか棒ではないんですけれどね。

 そうそう、子どもの歌や演奏って、だいたい棒です。下手な子はもちろん、上手な子であっても、だいたい棒です。あと、某カラオケ番組のアマチュア強者の方々も、見事なくらいに棒です。棒歌いの方が、カラオケの採点マシンで良い点が出るみたいです。

 初期の初音ミクや子供の歌が棒歌いなのは、楽譜通りに歌う事だけに精一杯で、歌詞について無頓着だからだと思います。もっとも、子どもが歌詞に注目して、それを表現しようと歌うと…大抵の場合、やりすぎて臭くなります。それは、気持ちばかりが先行してしまい、歌詞の世界を表現する技巧に欠けるためでしょう。そこを克服できると…美空ひばりのように天才と呼ばれるんだと思います。

 感情の入った歌を歌うには、それなりの技術が必要って話なのです。

 では、感情の入った歌を歌うために必要な技術って何でしょうか?

 私が思うに、それは意図的な“ゆれ”とか“ゆらぎ”を生み出せる事…なんだろうと思います。音楽用語で言えば“カンタービレ”で歌えることです。

 「なんや、それ。“カンタービレ”って、歌うように演奏することやろ。それじゃあ堂々巡りやん」

 まさにその通りで堂々巡りなんだけれど、感情を込めて歌うには、歌うように歌えればいいのです。

 “歌うように”…おそらくは“器楽的ではなく”という意味が込められているんだろうと思います。器楽ほど正確でなくても良い、器楽ほど精密でなくても良い、器楽よりも恣意的で良い…って事ではないかな? 正確さにこだわらず、心の赴くまま、感情の起伏に合わせて、音楽をゆらして、ゆらがせて歌うこと、それが感情を込めて歌うという事だろうと思います。やりすぎは…もちろん、いやらしくなるし、臭くなります。正確さにこだわらずと言えども、正確な歌唱でなければなりません。

 ゆらす…のは、何もリズムだけではありません。音程だってゆらすわけです。拍頭だってゆらしちゃいます。なんでもかんでもゆらします。グラグラにゆらします。ロッケンロール(ゆさぶって転がす)の精神です

 ただ、どこまでゆらすのか…無作為に無造作にゆらせば、それはただの下手くそな演奏にしかなりません。やはり基本は正しい演奏(棒歌い)です。それに、どれだけの“ゆれ”や“ゆらぎ”を付け加えるべきか、そこがセンスであり、歌心なんだろうと思います。それがセンス良くできる人が、歌心のある歌手ってヤツなんだろうと思います。

 センスの良し悪しってのは、一部の天才を除けば、基本的に、経験に裏打ちされたモノだから、子どもとか初心者とかだと難しいんだよね。良い音楽をたくさん聞いて、歌心を自分の中に蓄積していかないと、感情の入った歌を歌うことは難しいんだろうなあって思います。


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posted by stone at 04:00| Comment(6) | 声楽のエッセイ

2019年11月13日

劇団四季の「ライオンキング」を友人たちと見てきました

 標題の通り、先日、男友達たちと劇団四季の「ライオンキング」を見てきました。一緒に行った友人たちは、普段はミュージカルはおろか、映画すら見ない。劇場なんて行った事はなく“○○鑑賞”と言えば、家でビールを飲みながらの、スポーツのテレビ中継を見るくらいの人たちです。昨日はサッカー、今日はラグビー、明日は野球…ってな感じで、特に思い入れのあるスポーツとかチームとかは無いようですが、とにかく、ほぼ毎日、なんらかのスポーツ中継を見ているという人たちです。

 そんな彼らを、だまくらかして(笑)ミュージカルに連れて行った私です。彼らの中から、一人でも二人でも、ミュージカルファン、できればそこを入り口に、オペラファンが生まれやしないかという、邪な考えでの行動だったわけです。

 劇団四季の「ライオンキング」の公演は、いつもながらの安定の素晴らしさです。有名な歌手はいないけれど、公演のレベルは日本トップクラスだよね。なので、今回は「ライオンキング」の素晴らしさには触れません。だって、素晴らしいのが当たり前の劇団四季の公演に、何をか言わんやって事でしょ?

 それよりも面白かったのは、私が連れて行った友人たちの感想です。

 始まる前は、本当にワクワクなんですよ。私なんて、劇場とかホールとかに慣れちゃっているせいもあって、特別な気持ちにはならないのですが、彼らは劇場に到着するだけで、すっごく興奮しているんです。ほんと、特別な場所にやってきた…ってカラダで感じているようなのです。劇団四季の劇場なんて、今回やってきた夏劇場に限らず、どこも安普請で、豪華さのかけらもなくて、別に感動するポイントなんて、探しても見つからないのになあ…なんて、私は思うんだけれど、彼らは見るもの聞くもの、すべてに大興奮なんですよ。

 そう言えば、劇場って、ハレの場だもんな。

 ちなみに、一応、彼らにはドレスコードを守らせて、カジュアル禁止令を出しておいたんです。いわゆる平服ってヤツを強制したんです(簡単に言えば「ネクタイしてこい!」)が、それも影響あるかな。だって、スポーツ観戦とか音楽ライブとかなら、ネクタイなんてしないじゃない。TシャツだってOKじゃない。それなのに、ミュージカルでは(私に言われたせいもあって)Tシャツ禁止どこか、ネクタイ着用を義務付けられたわけで、それだけでなんか特別な感じがして、興奮しちゃったのかもしれません。

 あ、ちなみにオペラはともかく、ミュージカルは、Tシャツで見に行ってもかまわないっちゃあかまいません。ただ、Tシャツで行くと、周りから浮くけれど…ね。そんなわけで、ミュージカルで平服着用は私の個人的な趣味です。

 さて、座席は一階中央の一番良い席を確保しました。コンクールなら審査員が座る場所ね。彼らの初ミュージカルをベストな場所で鑑賞できるように配慮したわけです。私の好みで言えば、砂かぶりのもっともっと前の席が好きなんですが、さすがに入門者に最前列でのミュージカル鑑賞はキツイだろうって考えたわけです。

 ちなみに、劇場内では飲食禁止というのは、私には常識ですが、彼らには初耳だったようで、ビールを飲みながらミュージカルが見られない事に、不満を言ってたヤツもいました。確かに、スポーツ観戦なら、酒飲みながらでもOKだよね。

 ミュージカルが始まりました。「ライオンキング」って、ビジュアル的に反則的なミュージカルって事もあって、友人たちは大喜びです。やはり、初心者に見せるなら「ライオンキング」はベストです。ウォーっとか叫びながら見てました。

 前半が終わって休憩に入ったところでの彼らの感想は「…腰が痛い(涙)」でした。一時間近くも身動き取れずに椅子に座り続けるのが、彼らには相当辛かったようです。え? そんな事で音を上げるの? って、私には信じられない気がしました。この程度で音を上げていたら、ワーグナーのオペラなんて、絶対に見れないじゃん!

 とにかく、まだ、もう一時間あるから、腰回りのストレッチをよくしておくように指示を出しました。あと、休憩時間中に、トイレに行かせて、飲みたいヤツはビールでもワインでも売店で販売しているから、ロビーで飲み終えてから戻ってこいと言っておきました。私自身は(眠気防止のために)ペットボトルのブラックコーヒーを一気飲みしておきました)。

 そうそう「マイクを手に持っていないけれど、マイクはどこにあるの?」という質問が出ました。そうか、世間の人は、ミュージカルマイクってヤツを知らないんだな。なので「かつらの両耳のあたりに超小型マイクが仕込まれているんだよ」と教えておきました。

 あと「伴奏はカラオケだろうけれど、歌は生歌?」という質問も出たので「原則的に歌は生歌だけれど、一部、演技をしながらとかダンスをしながらでは歌えないような難しい歌は、事前に録音されていて、それに合わせてクチパクしている時もある」と答えました。まあ、そうだろうねという返事でした。

 後半が始まり、そしてミュージカルが終わりました。

 ミュージカルを見終えた彼らの感想は…「納得できない!」でした。何が納得できないのかと言えば「なぜシンバは、父親の思い出と会話したくらいで、故郷に戻って、王位奪還を目指したのか? そこが納得いかない!」と言うわけです。彼らが言うには、まずシンバは王位奪還の前に、自分自身に王としての資質とか適正とか覚悟とかがあるかって事を考えないのかとか、われ彼の兵力差を考えないのかとか、それ以前に、相手の事をほとんど知らないまま、なかば特攻状態で襲撃するなんて、正気な沙汰とは思えないとか…エトセトラエトセトラ。

 言われてみれば、まあ、その通りなんだけれど「あなたたちはミュージカルに、物語としての整合性を求めるんだ!」と思ったのです。私なんて、ミュージカルを見る時には、ストーリーなんて、ほぼほぼ気にしないよ。私が見るのは、歌とダンスであって、ストーリーなんて、歌とダンスのきっかけを与える舞台装置のひとつぐらいにしか思っていないんだけれど、彼らにとっては、歌よりも、ダンスよりも、何よりも、ストーリーが大切で、ストーリーを見ていたわけで、だからストーリーに納得いかないと、もう思考はそこで止まっちゃうわけです。

 ちなみに「納得できない」に対しての私の答えは「原作に当たるアニメでも、そのあたりは、特に触れていないから、考えなくていいんだよ」ですが、それに対する彼らの返答は「アニメが原作だからダメなんだ!」でした。おお、この人たち、天下のディズニーアニメに喧嘩売っているよ。

 帰りは、売店でお土産のグッズをたくさん買っていましたよ。家で待っている奥さんや娘さんたちへのお土産のようでした。そうか、ミュージカルを見て、お土産としてグッズを購入するって発想は、私にはなかったなあ(汗)。

 もしかすると、私は、相当スレた客なのかもしれません。ならば今後は、そういう自覚を持っていないとダメだろうなあと思った次第です。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 歌劇

2019年11月12日

今年はオペラ公演ではなく、ガラ・コンサートだったんです

 今、イタリアのトリエステ・ヴェルディ歌劇場が日本中でオペラ公演をしています。例年ならば、当地にもやってきてオペラ公演をしていたはずですが、当地に関しては、今年はオペラ公演は無しで、歌手が三人だけやってきて、アリア・ガラ・コンサートをしました。

 なぜオペラをやらないのか…? 当地では色々な噂が流れていますが、とにかくやらないのです。ああ、残念。私は、地元のホールで、ヨーロッパの歌劇場が行うオペラ公演をとても楽しみにしていたのですが、やらないものは仕方ないです(涙)。

 で、オペラ公演(今年は、ラモン・ヴァルガスを連れて「椿姫」をやっているそうです)の代わりに、行われたガラ・コンサートは「オペラアリアとナポリ民謡のすべて」と題されたコンサートで、前半はオペラアリアを、後半はナポリ民謡を歌ってくれました。

 出演してくれた歌手は以下のとおりです。

ソプラノ:アドリアーナ・イオッツィア(★)
テノール:ブラゴイ・ナコスキ(●)
バリトン:フランチェスコ・ヴルタッジョ(◆)

 ちなみに、ピアニストはロベルト・モレッティ氏で、司会者兼通訳で朝岡聡さんが出演されていました。

 当日のセットリストは以下の通りです。

第一部
  ロッシーニ「俺は町の何でも屋〜セビリアの理髪師」(◆)
  ヴェルディ「女心の歌〜リゴレット」(●)
  プッチーニ「私のお父さん〜ジャンニ・スキッキ」(★)
  ビゼー「闘牛士の歌〜カルメン」(◆)
  ヴェルディ「不思議だわ!…花から花へ〜椿姫」(★●)
  ヴェルディ「燃える心を〜椿姫」(●)
  ヴェルディ「乾杯の歌〜椿姫」(●★)

第二部
  ファルヴォ/フスコ「彼女に告げて」(●)
  カルディッロ「つれない心」(◆)
  トスティ「マルキアーレ」(★)
  ディ・カプア「オー・ソレ・ミオ」(●◆★)
  デ・クルティス「帰れソレントへ」(◆)
  コットラウ「サンタ・ルチア」(●)
  ディ・ステファノ「フニクリ・フニクラ」(●◆★)
  ガスタルドン「禁じられた歌」(★●)
  カリファーノ/カンニオ「恋する兵士」(◆●)
  モドゥンニョ「ヴォラーレ」(●◆★)

アンコール
  「ふるさと(日本語)」(●)
  「ヴォラーレ」(●◆★)
  「オー・ソレ・ミオ」(●◆★)

 で、コンサートそのものは、普通に良かったです。生演奏ならではの傷も多少ありましたが、それはご愛嬌って事でネットに書きませんが、まあ、それも含めて、私はたっぷり楽しみました。

 ちなみに、客の入りは…全体の座席の3割程度かな? これ、絶対に赤字だよね。オペラですら7〜8割程度しか入らず(おそらく)赤字なのに、いくら出演者数の少ないガラ・コンサートだからと言って、こんな入場者数では、やっぱり赤字だよねえ…。これじゃあ、来年は、オペラどころかガラ・コンサートもやってもらえないかもしれない…。昔は当地のオペラ公演って、満員が当たり前だったけれど、どんどんオペラに来るようなお年寄りが亡くなってしまい、オペラを見るお客の数が減ってしまったんだよね。やれば赤字なら、主催者的にはやれないだろうけど、そこはチケット代を上げてでもやって欲しいなあっと思ってます(当地のオペラ公演は、都会よりもだいぶチケット代が安いんだよ)。 それにしても、お年寄りの現象は、オペラ公演のみならず、地元のクラシック系音楽公演にあれこれ影響を与えています。いや、まじで、ほんと、ヤバいって!

 それはさておき、その程度の事なら、普段ならわざわざ記事にしない私なのですが、実は今回歌ってくれたテノールのナコスキ氏について書きたいので、記事にしてアップします。

 さて、ナコスキ氏は声の軽いテノールです。ググったところ「オテロ」のカッシオとか「ドン・ジョバンニ」のドン・オッタービオとか「椿姫」のアルフレッドとか「トゥーランドット」のポンとかが持ち役の、主役系も脇役系もやれる、軽めのテノール氏のようです。

 この人の歌い方が、実に独特で個性的で、それに驚かされました。

 普通、テノールという人種は、目立ちたがり屋で他人の注目を集めたがる傾向があります。ですから、やたらと高い音を歌いたがるし、そんな高い音は、声を張って歌うし、それも苦悶の表情を浮かべながら「すっごい大変な事をしてますよ」アピールも忘れません。

 それがテノールの標準、デファクト・スタンダードです。

 なのに、ナコスキ氏は、高音を顔色変えずに歌っちゃいます。声は張りません。苦悶の表情なんて、絶対にしません。それどころか音量すら増やしません。最初っから最後まで、軽くてフワッとした声で、高い音も低い音も、軽々と歌っちゃいます。

 なので、彼の歌を聞いていると、どの歌も簡単に聞こえちゃうんです。実際は、かなり難しい歌を歌っているにも関わらず、ごくごくサラっと歌っちゃうんです。

 驚きました。こんなに自己主張をしない、全然目立たないテノールさんなんて(たぶん)始めて見ました。こういう歌い方もアリなんだなっと、目からウロコがボロボロと何枚も落ちました。

 ナコスキ氏の歌唱を聞いて、Y先生のご指導を振り返ってみると、急にアレコレがつながっていきました。もしかするとY先生は、私をこのナコスキ氏のようなタイプのテノールに育てたいのかもしれない…と思いました。

 ナコスキ氏の声は極めて軽いです。でも、全然不快ではありません。軽く歌っていますが、基本の声量はかなりあるので、軽く歌っても、全然聞こえます。声は張らないので、声に凄さはありませんが、声はクリアで滑舌が良いです。実にテクニカルでなんでも器用に歌っちゃいます。こういうタイプのテノールは、日本には少ないし、世界でも主役クラスのテノールはこういう歌い方をしません。

 おそらく、ナコスキ氏は、大きな舞台では脇役を、小さな舞台では主役をやる、歌劇場では便利に使われているテノールなのではないかと思います。例えば、今回の「椿姫」公演では、ヴァルガス氏がアルフレッドを歌う時は、ナコスキ氏は脇役テノール(ガストーネ子爵とかジョゼッペとか)を歌い、ヴァルガス氏がお休みの時は、ナコスキ氏がアルフレッドを歌う…なんて事をやっていそうです(調べたら、実際にやってました)。

 主役も脇役もこなさなければならないため、テクニックはちゃんとしていないといけないし、なんでも歌えるのは、そのせいではないかと思うのです。

 ナコスキ氏の歌唱を生で聞けて良かったです。こういうテノールもいるんだなって思いました。ナコスキ氏の歌唱を参考に、盗める所は盗んで、少しでも歌が上達できたらいいなあと思いました。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 歌劇

2019年11月11日

帝国劇場で「ラ・マンチャの男」を見てきました

 少し前の話になりますが、このままお蔵入りさせるのも、もったいない話なので、アップします。

 実は先日、久しぶりに日比谷の帝国劇場に行き、ミュージカル「ラ・マンチャの男」を見てきました。

 演出/セルバンテス/ドン・キホーテ/アロンソ・キハーナ:松本白鸚
 アルドンザ/ドルシネア:瀬奈じゅん
 サンチョ:駒田一
 旅籠の主人:上條恒彦
 カラスコ博士:宮川浩
 神父:石鍋多加士

 言わずと知れた松本白鸚を見るためのミュージカルであり、松本白鸚(前松本幸四郎、元市川染五郎)の元気な姿が見られれば、それ以上の文句を言っちゃあならないミュージカルです。で、実際、松本白鸚はお元気でした。

 それにしても松本白鸚は、今年で77歳ですよ、立派な御老体です。「ラ・マンチャの男」は演じ続けて、今年で50年だそうですし、上演回数も1300回を超えたそうです。すごいね。こうなると、彼が死ぬまで「ラ・マンチャの男」は他の人が演じられませんなあ。まるで、森繁の「屋根の上のバイオリン弾き」状態ですな。

 「ラ・マンチャの男」というミュージカルそのものは…まあ、芝居寄りのミュージカルですね。キラーソング「見果てぬ夢」はあるものの、音楽を聞くためのミュージカルとは思えませんし、ダンスにも見るべきシーンはありません。役者の芝居を見るミュージカルなので、昔から日本人受けをして、今年50年になったんだと思います。あまりミュージカルを好まれない方にも良いかもしれません。上演時間も、たったの2時間(もちろん、休憩はありません)で、映画と変わりませんし…ね。

 松本白鸚の「ラ・マンチャの男」を見られて良かったと思ってます。年齢を考えると(ごめん)、次があるかどうか、分からないものね。「ラ・マンチャの男」の松本白鸚を見るのは初めてですが、松本白鸚の舞台は今までにも何度か見ていますが…やっぱりだいぶ衰えたなあと感じます。なので、彼がお元気で舞台で演じているだけで、それだけで有り難い…そう思う次第なのです。とにかく舞台で演じている時は、まだまだお元気なのですが、舞台が終わって挨拶をされている時(つまり、素になっている時)は、見るからに聞くからに“ザ・老人”って感じだもの。つまり、舞台では、相当に頑張って演じている様子です。あと、何年続けられるのかしら?

 「ラ・マンチャの男」と言えば、ピーター・オトゥール主演の映画も有名ですし、作品そのものを楽しみたいなら、映画版で十分かもしれませんが、舞台には舞台の味があります。映画と舞台は別物と思った方が良いかもしれません。実際、舞台の方が、音楽の分量が多めだしね。
 久しぶりに行った帝国劇場は、あれこれ変わっていました。一階ロビーにあった売店は撤去され、ロビーが広く感じられました。トイレも改装されていました。男性用のトイレは小規模になり(妻が言うには)女性用のトイレが大幅に拡大されたそうです。まあ、今や、ミュージカルの客なんて、ほとんどが女性だから、女性用のトイレはたくさん用意しないといけないよね。


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2019年11月10日

食の好みが変わった事を自覚しつつあります

 ほんの数年前まで、私は大食漢でした。甘いものとアブラっぽいものが大好きでした。炭水化物もタンパク質も脂質も野菜も大好きでした。嫌いなもの以外は大好きでした(当たり前か!)

 ところが最近、アブラのうち、脂がちょい苦手になってきました。脂ってのは、主に動物性の脂肪で、常温だと固形になっちゃうヤツね。具体的に言えば、豚や牛や鳥の脂、これが、ちょい苦手になってきました。

 具体的な料理名で言うと、肉野菜炒めとかね。以前は大好きだったんだけれど、肉野菜炒めって、肉や野菜に脂がからみつくわけで、その脂の部分がイヤだなあって思うようになりました。

 野菜炒めなら良いし、肉野菜炒めだって、出来たてで、まだ脂が固形になっていないと、割と食べられたりするんだけれど、少し冷めて、脂が固形になっちゃうと、途端にイヤになります。

 同じ動物性の脂でも、魚のアブラは、割と平気と言うか、まだ平気なんです。だから、お寿司は大好きだし、同じ揚げ物でも、魚の揚げ物は平気なんです。鳥の唐揚げは、ちょっと苦手になっている私ですが、アジフライは全然平気なんです。

 年を取って、カラダが先祖返りしているのかな? って時々思います。ほら、我々日本人って、肉食を始めたのは、せいぜい百年ぐらい前からで、それ以前はずっとずっと魚食中心で、獣の肉は食べないのが普通だったわけで、カラダがそんな感じで、肉食を拒否しているのかな…って思わないでもないのです。

 私、ちょっと前まで、肉大好きだったんですよ。もちろん、今でも、熱々のお肉は大好きなんだけれど、ちょっと冷めてしまった肉料理に魅力を感じなくなってしまいました。

 きっと、もっと年を取ると、もっと食の好みって変わっていくんだと思うんだよね。

 でもね、いくら脂が苦手になってきたからと言って、肉食を止めてはダメだと、私の理性は訴えているんだよね。獣肉からでないと得られない栄養ってのがあるわけで、私はヴィーガンになりたいわけじゃないのだから、野菜も魚も獣肉もバランスよく食べないといけないって、理性では考えています。

 実は、私の食の好みって、かなりヴィーガン寄りってか、ほぼほぼベジタリアンなんですよ。好きなモノばかり食べていると、ベジタリアンな食事になっちゃう私なんです。なので、40代ぐらいからボチボチと理性を働かせて、バランス良く食事をするように心がけていたのです。

 実際、20〜30代の頃は、米と野菜と豆と砂糖ばかりを食べていました(砂糖が余計…?)。獣肉はもちろん、魚肉ですら食べたくなかったんですよ。おまけにベジタリアンな人が食する牛乳もヨーグルトもチーズも避けていました。避けていた理由は…なんとなく(笑)。別に特別に嫌いってわけでもなかったし、何となく食べたくなかったんです。おそらく、生まれ育った環境が貧しくて、肉食なんてままならない生活(昔は肉が高価だったんですよ、今じゃ考えられないですね)だったので、そういう習慣が身についていたんだと思います。「米さえ腹いっぱい食えれば、それで幸せ…」ってタイプの人間だったのです。

 菜食主義ではないのに、ベジタリアンみたいな食生活をしたため、カラダを壊したし、不健康にもなりました。私はデブですが、デブの素養は菜食中心の生活をしていた時に作っちゃいました。いやあ、菜食って太るんですよ、ベジタリアンって太るんですよ。カラダに明らかに良くありません。炭水化物をなめちゃいけません。特に、米中心の食生活は太る太る(笑)。だってアミノ酸不足で、炭水化物は過剰摂取だもの。

 今でもお米は大好きだけれど、米食を続けると、あっという間に体重増えるもんなあ(涙)。たぶん、砂糖をなめるよりも、米を食べる方が太るような気がします。ま、どちらも炭水化物には間違いないんだけれど(笑)。

 なので、老人の入り口が見え始めた頃から、好き嫌いではなく、理性で食事をするようになった私ですが、その理性をふっとばすほどに、脂がイヤンになってきちゃったんです。ああ、困った。なので、最近は目をつぶって、鼻を摘んで脂を食べていますが、いつまでこの無理ができるのか、ちょっと自信がなくなってきました。

 でも、理性を働かせずに、好きなものばかり食べていたら不健康になるって事は、十分知っているので、嫌いでも苦手でもイヤンでも、食べなきゃいけないモノは食べていかないといかんのですよね(涙)。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | その他

2019年11月09日

ベルさんの具合がどうにも悪い

 標題の通りで、どうも最近、ベルの具合が悪いようなのです。

 よく水底に沈んでいるし、かと思えば、水面に顔を出して息をしています。これらは体調(特にエラ関係)の悪い金魚がよく取る行動です。さらに、最近は、ポンプに吸われて吸水孔に張り付いている事もあります。たまに腹を上にして水面で漂っていたりもします。

 動いていない事も多く、死んでしまったのかと確認すると、かろうじてエラを動かしていたりして、仮死状態になっている事も多々あります。

 どうも具合が悪そうです。かと思えば、元気に水槽を泳ぎ回っている時もありますが…押しなべて言えば、やっぱり具合が悪そうです。

 ミグルド族でもないのに、カラダは小さいままです。あんなに小さかったルデンが、今やタプタプのデカイ金魚になっている事を考えても、元気な子は大きく育つのですが、ベルはアセビ同様に小さいままなのは、そもそもカラダが弱いからなのかもしれません。実際、アセビはベルほどではないけれど、やはり体調が悪そうな時があります。この小さな2匹は、色々と大変そうです。

 とにかく、ベルの調子がかなり悪いです。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 金魚

2019年11月08日

イジメ、良くない

 フルートのレッスンに行ってきました。ちょうど、姉様とは入れ替わりで、私が部屋に入ると同時に姉様が退出されました。私がもう少し早く入室していれば、きっと3人でロングトーン練習をしたんだろうなあって思います。

 ロングトーン練習は、私は毎回先生としていますが、姉様は、レッスンの終わりが私と重なった時だけ、我々と一緒にやっているようで、先生と姉様だけの時は、ロングトーン練習はしていないようなのです。

 つまり、私レベルだと、毎回のロングトーン練習が必要だけれど、姉様レベルになると、弟弟子がいるような時に、たまに、練習に付き合う程度で良いみたいなのです。うむ。

 さて、エルステユーブンゲンは、毎度毎度の25番と26番です。はい、いつもの通りでした。

 旋律的練習曲は4番で、前回よりはだいぶ吹けるようになってきたけれど、まだまだ完成には程遠い感じです。とにかく、トリルが美しくない。もっと、スピーディーに、もっと、音を粒立てて、玉が転がるように吹かないといけません。それにだいたい、もっと手慣れた感じで曲自体が吹けないとダメなんだな。

 40リトルピーセズは、30番のバッハの「マーチ」です。これも、しこたま練習してきて、前回と比べれば、眼を見張るほどに吹けるようになりましたが、だからと言って、合格できたわけじゃありません。やっぱり、まだまだ演奏中にキョドります。バッハ、難しいです。

 いつもは「音がきれいだ」と褒められる私です。まあ、それ以外に褒めるところがないからなんでしょうが…今回は、別の事を褒められました。それは「いい楽器使っているね(笑)」 そう来たか! “音がきれい”“楽器が良い” 全く私の演奏技量には触れることなく褒めてきました。まあ、確かに、アゲハは良い楽器ですよ。それは全くその通りです。

 さて、今回の雑談は…学校の吹奏楽部にはイジメがつきものだね…という話でした。これは実話で、私の妹弟子にあたる子(中学生です)が、H先生が止めるのも聞かずに、学校の吹奏楽部に入ってしまったんだそうです。

 普通、真面目にフルートを学んでいる子は、学校の吹奏楽部には入らないし、師匠も吹奏楽部には入らないように命じますが、妹ちゃんは、どうしても合奏をしてみたくて、先生が止めるのも聞かずに、吹奏楽部に入ってしまったのだそうです。

 小さな頃から、ちゃんとした先生についてフルートを学んできた子は、学校に入ってから、独学で、あるいは先輩と名乗る素人さんの指導でフルートを吹いてきた子とは、あらゆる点で比較にならないわけで、妹ちゃんは、そんな事も覚悟して、なるべく目立たないように、できるだけ先輩方を立てて部活動を過ごしてきたわけですが、それでもやっぱり、イジメられちゃうわけなんですね。(本人、多少は気が強い部分もあるのだけれど、それでも)フルートが極めて上手いというだけでイジメられちゃうわけです。理不尽と言えば理不尽だけれど、それが女の世界の常ですし、だから、ちゃんとしたフルートさんたちは、学校の吹奏楽部は、なるべく避けるんだけれど、妹ちゃんは全部覚悟の上の入部だったので、イジメに負けずに地味に過ごしてきたそうなのです。

 それが、この秋、ようやくの事で、先輩方が引退されたんだそうです。イジメる人たちがいなくなって、部活もようやく過ごしやすくなったんだそうです。

 曰く「やっぱり、イジメられない方が気分が良い」んだそうです。それもなんか悲しい話だね。

蛇足 吹奏楽部の顧問は、イジメを放置して、見て見ぬ振りをしていたそうだけれど、それって、私に言わせれば、教師失格だよな。


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2019年11月07日

息を流そう、息を吐いていこう

 私が現在直面している歌唱上の問題は「息をきちんと吐きながら歌う事」です。たぶん、普通の人は難なくこなしている事だし、かつての私も普通に出来ていたと思います。

 息と歌が分離をしたのは、キング先生のグループレッスンで学んでいた時だと思います。キング先生には、最初はグループレッスンで、やがて個人レッスン(最初のうちは隔週レッスンでしたが、やがて毎週レッスンに変わりました)で学びましたが、その最初期のグループレッスンの時代に、身についたテクニックだと思います。

 あの頃は、毎回のレッスンで必ずロングブレスの練習をしていました。ロングブレスの練習とは、無声音(shhhhhhhh…!って感じです)を出し続ける練習で、最初は4秒間から始めて、8秒間、16秒間、32秒間と伸ばしていきました。32秒なんて、今の私でもやっとやっとですが、声楽始めたばかりの我々(キング先生のグループレッスンって、本当の本当の素人さんばかりの集団なんです)には無理無体なわけで、よくレッスン中に酸欠でブラックアウトを起こして倒れそうになっていましたし、たまに倒れかけていました。先生からは倒れる前にやめなさいとは言われていたけれど、ぎりぎりまでやんなきゃ練習にならないじゃん。

 このロングブレスの練習は、レッスンだけでなく、自宅でも必ずするようにと言われて、自宅でもきちんとやっていました(私は基本的に真面目人間です)。自宅では倒れてはいけないので、椅子に座ってやってしましたね。とにかく、息を出し惜しみする練習を徹底的にやったせいもあって、やがて息と声が分離して、息をほとんど使わなくても歌えるようになりました。

 この段階で、普通のクラシック声楽の発声方法とはかなり違いますが、そう教わったので、それを徹底的に追求していったわけです。

 こうして、息を使わない歌唱方法を追求していった結果、やがて歌うたびにノドから血の匂いがするようになり、慢性的なノド痛に悩まされるようになったわけです。たぶん、あのまま突き進んでいったら、ノドを壊して、声を失っていった事でしょう。

 Y先生のところに移った時に、最初に苦労したのが、息と声を連動させる事。つまり、息を吐けば声が出て、息を止めれば声も止むっていう、実に当たり前の事です。これが実に実に難しくて、散々苦労したわけです。腹筋を使って歌うなんて、キング先生のところにいた時には、少しも注意されなかったし、教わりもしなかったからね。

 それでも時間をかけて、少しずつ息が吐けるようになりました。キング先生に習っていた時間よりも長い時間をかけて、ようやく息で歌えるようになりましたが、それは意識的に行った場合の話で、少しでも気を抜くと、以前のように、息を使わない歌い方に戻ってしまいます。三つ子の魂百まで…ではないけれど、最初に身につけた悪い癖は、かなり根深くて、完全に取り除くには、まだまだ多くの時間と気力と努力が必要のようです。

 これでも少しは息を流して歌えるようになったつもりでしたし、「アニュス・デイ」は息の流れが素晴らしいとレッスンの時にはY先生から誉められていたほどでしたが、今回のクラシックコンサートのような、異常事態に陥った時は、こういう悪い癖がむくむくと頭を持ち上げて、すべてをぶち壊してしまうみたいです。クワバラクワバラ。

 とにかく、今後はノドの脱力に気をつけながら、同時にしっかりと息を吐いて歌うように、肝に据えて頑張っていきたいと思ってます。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 発声法のエッセイ

2019年11月06日

テノールとしての声質を、重め志向から、軽さ志向に切り替える時がやってきたような気がします

 声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。

 最初は歌曲から…ですが、今取り組んでいる歌曲って、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」なんですよね。ドイツ語なんですよね。ノドが痛い時に、ドイツ語の歌を歌うと、ノドが詰まってしまうので、今回はパス。いきなり、アリアの練習に入りました。

 今回から挑むイタリアのアリアは、ドニゼッティ作曲「ドン・パスクワーレ」のテノールアリア「Sogno soave e casto/青春の甘く清らかな夢よ」です。実に美しいアリアです。音程の跳躍があまり無いので選曲してみたのですが…実に甘かったです。この曲、実は使用する音域そのものがあまり広くなく、その分、曲そのものが、ほぼ全部高いんです。大半の音符が中音C〜高音Aの6度以内に散らばっているんです。つまり、普通の曲(五線譜の真ん中に音符が集まっているような曲)と比べると、1オクターブほど高いんですよ。うわっ、やっちまったよ(汗)。

 自宅練習で、音取りを兼ねて歌ってみたら、見事に曲の前半…どころか1/3あたりで撃沈。あまりに全部が高い音なので、あっという間に声を使い切ってしまい、まともに歌う事ができませんでした。これ、楽譜の見た目よりも、ずっとずっと難しい曲です。ヤバい曲を選択してしまったと震えました。

 さて、レッスンです。まずは、ひとまず通して歌ってみましょうというので、覚悟を決めて、歌い始めたら、スルっと全曲通して歌えちゃいました。それも案外ラクラクと…。何箇所もたくさんある高音Aも、普通の声でヒャラヒャラ歌えちゃうんです。歌っている自分がビックリですよ。

 どうやら、ノドが痛いために、ノドに力が入らず、いい感じで脱力ができていて、おまけに息も十分に流れているので、それで声が軽く楽になっているんだそうです。で、声が軽くなっているので、少ない腹筋力でも十分に足りるので、楽に高い声が出てしまうんだそうです。つまり、普段の私が高音が苦手なのは、ノドに力が入り、声を張ってしまうために、声が重くなり、その重い声を高く上げていくためには、かなりの腹筋力が必要なんだけれど、そこまで強力な腹筋力なんて無くて、ノドの力に負けてしまって、声が高く登っていかなくて、高い音程の声が出せないのだそうなんです。

 今くらいの軽い声で歌えるなら、今程度の腹筋力でも、かなり高い音程まで歌えるわけです。つまり、今はたまたまだろうけれど、声の軽さと腹筋力がいい感じで拮抗していて、楽にテノール音域で歌えているってわけです。

 となると、これから取るべき道は2つです。今までのやり方の延長になりますが、私の重い声に見合うだけの腹筋力を必死で身につけて、重めのテノールとして生きていくやり方の道と、ノドの脱力を心がけて、極めて軽い声をデフォルトとして、その軽い声質の歌手として生きていく、新しいやり方の道です。

 私個人の好みで言えば、圧倒的に「重めのテノールの道」なのですが、自分のノドの強さと腹筋の弱さを鑑みると、現実的には「軽いテノールの道」の方が、本来の私なのかもしれません。

 それにしても、軽い。軽すぎるぞ、私の声! 実に甲高くてギャンギャンした声じゃん。そんな声は私の好みではない…けれど、それが私の声ならば、やっぱり受け入れるしかないんだろうなあ。それにしても…こんなに甲高い声はイヤだなあ。

 ああ、そうだった。こんな甲高い声がイヤだから、若い頃はむりやり声を押さえつけて胴間声のような声で話したり歌ったりしていたんだっけ。私の元々の地声は、ギャンギャンした甲高い声だった…ううむ、素の自分と向き合うのは、精神的につらいものがあるなあ。(涙)。

 やがてノドの痛みは取れて、今までのような重めの声も出せるようになるだろうけれど、今後はそれは諦めて、軽めのテノールの声で進んでいくべきなんだろうなあって思いました。

 やっぱり高音には、届かないよりも、届いた方がいいもんな。それに声って、歌っているうちに重くなっていくのだから、今の私の声がたとえ軽くても、年を取ってくれば、やがて重い声になっていくだろうから、それを待ってみるのも悪くはない…けれど、私が年を取って重い声? それって何歳頃の話なんだろ? だいたい、声が重くなるまで生きていられるのかしら? うーむ、悩む悩む。

 今回は、上行音形がバシバシ決まって、高い音がラクラク歌えた事もあって、逆に下降音形に気をつけるように注意されました。音程が下がっても、響きは絶対に落とさずに音程を下げて歌う事を言われましたが、これが案外難しいのよ。

 とにかく、今回は奇跡のレッスンだったみたいです。今回のこの感覚を忘れずにいたら、一気に上達できそうです。わくわく。


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2019年11月05日

むしろ調子がいい

 声楽のレッスンに行ってきました。なんと今回のレッスンは、あのクラシックコンサートの翌日でございました。もちろん、レッスンの予約を入れた時には、そんなつもりはなくて、たまたまクラシックコンサートの振替日が、次のレッスンの前日になってしまった…というだけの話です。

 本番の後は、本来は休養日だよね。それがレッスンだったとは…おまけに、私の体調は、クラシックコンサートの時よりも、より激しく悪くなっていました。実はこの日、午前中は病状悪化のため寝込んでいて、午後はどうしてもやらなきゃいけない仕事があったので、無理やり出勤して、その仕事終わりにレッスンに行きました。

 もう、へとへとでございました。

 「そんな悪条件で体調も悪い時にレッスンなんて入れなきゃいいのに。レッスン休めばよかったのに…」

 本番とか舞台とかってのは、いつも万全の状態で行うってわけにはいかないし、調子が悪い時でも、それなりに本番をやれるようにするために、レッスンとか練習とかの時に体調が悪くてもレッスンに行き、体調が悪い時には悪いなりの対処方法や対策を学ぶために、むしろ体調が悪い時は、積極的にレッスンには行くべきだと私は考えます。

 実際、今回のクラシックコンサートを何とか乗り切ったのも、具合が悪い時にレッスンを行き、体調が悪い時は、どういうふうに調子を上げていくべきを事前に学んでいたので、それが役立ったというわけです。

 なので、全身がダルくて、汗はダラダラかいていて、ノドも腫れていて痛いけれど、頑張ってレッスンに行ったわけです。(もちろん、先生に感染する可能性のある病気だったら、率先して休みますよ:念の為)。

 まあ、最悪、レッスンに行って、先生から「歌うべきではない」という判断が出たら、歌わなきゃいいだけの話だしね。そしたら、私のレッスン時間は妻にあげて、妻がたっぷりレッスンしてもらえばいいだけの話だしサ。

 で、レッスンに行ってみました。ノドは痛いし、話し声はかなりやられています。先生がおっしゃるには「たくさん話をして枯れてしまった声に聞こえますが、たくさんしゃべりましたか?」と尋ねられました。私的にはだいぶセーブして、話をしていないつもりですが、おそらくそれでも普通の人と比べたら、その数倍は話をしているでしょう。なので、声帯も弱っているし、声が多少なりとも枯れているのは仕方がない…という趣旨の返事をしておきました。

 とにかく、ハミングから始めて発声練習をしてみたところ、話し声はかなりダメージ受けているけれど、歌声はむしろいつもよりも状態がいいそうです。ま、そういう事もあるよね。

 さて、ハミング練習です。気をつける事は、とにかく息をしっかり流す事。ノドには力を入れず(ノドに力を入れると痛いんです)に、楽に楽に歌う事、です。ノドには違和感はありますが、歌えないわけでない…どころか、案外楽に高音域まで行っちゃいました。

 発声練習は、ハミング練習の注意点に加え、音量を求めない事、決して声を張らない事にも注意しました。こちらも、案外、楽に高音域まで行っちゃいました。また、各母音の発声ポジションを同じ高さに揃える事にも気を使いました。それゆえ、いつも以上に腹筋は大活躍をしました。

 音程の取り方にも注意を受けました。下からエイヤと引っ掛けて出すのではなく、上から見下ろして、足元に天井を作って(つまり自分は天井裏にいる感じ)、その天井に声を届かせるように出すのが良いのだそうですが、いつもなら、どうやっても「エイヤ!」と下から引っ掛けるようにしか出せない私ですが、今回は先生のおっしゃる事がなんとなく分かって、足元に天井を作ってみる事が出来たような気がします。

 ノドは痛いのに、先生のご指導のおかげで、発声は順調すぎるくらいです。


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2019年11月04日

最近は声帯が気にかかります

 高音発声の話です。

 少し前までは、高音発声は博打であり、結果オーライであって、その仕組は私にとってはブラックボックスでありました。ま、正確には今だってまだまだブラックボックスなんだけれどね。

 今思うに、声楽を始めたばかりの頃の私は、高音発声の出し方なんて知らなかったし教わらなかったし、なので、高音を出そうとして行っていた事は、ほぼ怒鳴り声寄りの発声だったと思います。つまり、声帯をきつく閉じて、そこに息を通して無理やり声を出すというやり方です。もちろん、こんなやり方で高音が出るわけはありません。

 そこからしばらくすると、私も進歩して、怒鳴り声寄りの発声がダメな事に気づき、高音発声として悲鳴系の発声に変えていったと思います。やっぱり声帯をきつく閉じて、そこに息を思いっきり速い速度で通して無理やり声を出すというやり方です。怒鳴り声よりはマシかもしれませんが、所詮は大同小異というか、五十歩百歩というか、こんなやり方で高音が出るわけありません。

 以上が、キング先生に師事していた頃の話ですね。

 その後、Y先生になってから、今まで全然使っていなかった腹筋を使う発声にシフトしていきました。その結果、脱力…と言うか、声帯を締め付けない発声に自然に変わっていきました。

 腹筋を使って息を送り込むようになると、自然と声帯がユルユルになっていきます(ってか、声帯をユルユルにしないと、なかなか腹筋からの息が届かないのです)。声帯ユルユルな感じで発声すると、聞いていて柔らかい感じの声になります。ノドに力が入って、声帯をきつく締め付けた状態からの発声だと、元気がよくて感情的な声にはなるけれど、どこか聞いていて不快感のある、あまり好かれない声になりますが、声帯ユルユルな声は、迫力は無いけれど、まあ嫌われない感じの優しめな声になっていったと思います。

 この頃の私は、あまり高音発声にこだわっていなかったと思います…ってか、中音発声ですら「難しいなあ…」と思っていた時代だったと思います。それくらい、腹筋を使う発声は困難だったわけです。ですから必要があって高音発声をしようと思った時は、以前のように、すぐに声帯を締め付ける発声に戻っていました。

 悪い癖はなかなか抜けないものです。

 それでも、声帯を締め付ける発声メインから、腹筋を使う発声メインに、次第にシフトしてきたと思います。

 腹筋を使って、声帯ユルユルのままの発声では、当然ですが、高音発声には限界があります。かと言って、以前のように声帯を締め付けてしまっては、元も子もありません。

 要は程度の問題なんでしょうね。

 以前のような声帯を締め付ける発声は、声帯に負荷がかかりすぎますし、聞いていて不快ですから、やるべきではありません。しかし、声帯ユルユルのままでは、高音は絶対に出せません。

 では、どうするか。声帯を締め付けるのではなく、かなり軽めに声帯を合わせていく事で対処していきます。どちらにせよ、声帯を合わせていかないと高音は出ないのですが、過剰に力を入れていくのは、声帯にも負担がかかるし、高音発声にも無理が生じます。要は、軽く声帯を合わせていく事が必要になります。

 では、どうやって声帯を合わせていくのかというと、感覚的には、声帯を合わせる感覚よりも、声帯を上下に引っ張る感覚で、声帯を合わせていきます。感覚的に声帯を中央に寄せる感じで閉じていくと、声帯が締まってしまうようで、割と早めに声が出なくなってしまうので、声帯を中央に寄せるよりも、まずは上下に引っ張って声帯を合わせていく感じの方が結果的に良いみたいです。私の場合、声帯を上下に引っ張っていく事で高いG♯までは安定して出せるようです。

 問題は、そこよりも上の音です。つまり高音Aですね。それはどうするのか。

 G♯までで引っ張り切った声帯の上1/3程度(あくまで感覚的に1/3程度ね)を、適宜中央に寄せていきます。少しずつ少しずつ…ね。つまり、声帯の一部を少し無理めの方向に声帯を動かすわけです。もちろん、息の勢いも速度も量もかなり必要だし、うっかり声帯全体をきつく締め付けてしまうと、、以前の間違えたやり方に戻ってしまうわけだから、声帯を中央に寄せていくといっても、慎重に、ほんの少しずつ、ちょっとずつ寄せていきます。これが難しくて、ついうっかり声帯全体を締め付けてしまって巧くいきません。きっと、この声帯を寄せていく感覚が育ってくると、高音も楽に発声できるようになるんじゃないかしらと思ってます。

 なので、今は歌いながらも「きちんと声帯を上下に引っ張れているかな?」とか「ちょっとだけ声帯を寄せてみようかな」とか、そんな事を感じたり考えたりしながら歌ってます。

 これが正解かどうかは分かりません。もしかすると、こんなやり方のままでは、早晩、やっぱり高音の限界を迎えるかもしれませんし“高音が得意なテノール”にはなれないかもしれません。まあ、そうなったらそれはそれでそれを受け入れるだけだし、やり方がマズイだけならば、やり方を変えていけばいいだけ…と思ってます。今は、試行錯誤を重ねながら、出来ることを切々とやっていくだけだと思ってます。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 発声法のエッセイ

2019年11月03日

歌ってみました(笑)

 クラシックコンサートの話の続きの続きです。

 自分の出番の3つ前の人が舞台に上がるタイミングで、会場に録音機を仕掛けて、客席から、舞台袖に移動しました。

 鏡の前で服装を確認し、響声破笛丸を服用し、くちびるにリップスティックをたっぷり塗って、ペットボトルの水はちびちび飲んで、自分の出番に備えました。やがて、妻とピアニストさんがやってきました。舞台袖のコンサートマネージャーさんと、出入りやピアノの件で軽く打ち合わせをしているうちに、やがて自分たちの出番となりました。

 パっと舞台に飛び出して、ピアニストさんと一緒にお辞儀をして会場を確認したら…お客さんが16人いました。うむ、16人ね。まあ、そんなモンだよね。

 ピアニストさんに目で合図をしたら「マリンコニア」の始まりです。歌の出来は、すでにご存知のとおりです。しっかり暗譜をしていたつもりですが、歌っている最中に、一瞬に歌詞が飛んでしまって、ちょっとばかりパニクっております。慌てて、それっぽく歌っていますが、分かりましたか?(笑)。あと、高音Aを、それまでの声の延長で歌いなさいと先生に言われていたにも関わらず、結局、全然別の所から持ってきて歌ってしまいました。その上、その後も、全然別の所から持ってきた声の延長で歌ってしまいました。ううむ、発声的にダメだな。

 二曲目は「アニュス・デイ」です。この曲も普段よりも抑えて歌っているのですが、ホールの響きが良すぎて、抑えて歌っているのに、かなり大きな音量になってしまったようです。大きな声だけなら良いのですが、大きな声になった時に、私の声が割れています。普段なら、この程度の声量程度じゃ声はびくともしないのに、体調の悪さが如実に現れています。まあ、生の私の声も割れていましたが、録音機も、もう少しクリアに録音できなかったのかな?って思いました。ダメじゃん。ああ、それにしても、声が浅いなあ…(涙)。

 二曲とも…と言うか、この後の曲もそうだけれど、ノドが痛くて、ノドの脱力ばかりを考えて歌っていたのは結果オーライだったわけだけれど、ノドになるべく息を当てないように無意識に歌ってしまい、その結果、いつも以上に息を吐いていなかったようです。おぷーさんのご指摘どおり、息の流れがダメって事で、今後の課題となりました。

 さて、この後、妻が歌うので、一度舞台袖に引っ込んだ私です。舞台袖にいたのは、私達の次の出番のギターサークルの人たちでした。大勢なので、一人ひとりはおとなしくしているつもりでも、総体としてみると、案外ノイジーなんだよね。特に、楽器をあっちこっちにぶつけて、ボコっとかゴキっとか、譜面立てを倒してカシャーンとか、まあにぎやかなもんです。私が歌っている時に、舞台裏がらバタンなんて音が聞こえたけれど、彼らが音源だったみたいですね(別に怒っちゃいないよ、仕方ないもの)。

 妻の歌が終わって、ギターの人たちがざわめき立ちます。おそらく、次は自分たちの出番だと勘違いしたのでしょうね、移動を開始し始めましたが、それを横目に見ながら、サッサと私が舞台に飛び出しました。二重唱の時間です。

 ノドは相変わらず痛いですし、背中もズキズキします。ですから、ノドに負担をかけないように軽く軽く発声していきました。当日の出来は…かなり“星のめぐり合わせ”がよかったみたいです。
 ピアニストさんが本番後に言ってくれましたが「今までの中で一番良かった!」そうです。まあ、そうかも…って、今までがどんだけヒドかったんだか! とにもかくにも、ノドが痛くて、脱力せざるをえなかったのが、いい方向に作用したようです。

 歌い終えて、絞れるほどに、汗でびしょびしょだったので、さっそく楽屋に戻って、普段着に着替えてしまいました。友人たちへ挨拶するよりも先に着替えだ!って感じです。で、さっさと着替えて、妻と一緒に会場のロビーに行って、お客様方に挨拶をしました。まあまあ、褒めていただきました。たとえ社交辞令であっても、褒められると嬉しいです。

 ピアニストさんとは、また来年も(可能なら)やりましょうと口約束をして別れました。ピアニストさんが乗り気で感謝です。なにしろ歌って、一人じゃ歌えませんからね。ピアニストさんが伴奏してくれるから舞台に乗れるわけです。ほんと、ピアニストさんが協力的な方で良かったです。同じアマチュア同士、これからもよろしくお願いします。感謝感謝。

 荷物を転がして、家にたどり着く頃には、日が沈んでいました。ああ、クラシックコンサートは、一日仕事だったなあ。とても楽しかったけれど、とても疲れました。

蛇足 あれから一週間経ちました。病状はだいぶ回復しました。でも相変わらずノドは痛いし、耳の中とか首のリンパのあたりとかが痛みます。痛い箇所があると…あれこれ気が散りますね。元気な時は健康なんて気にもしないけれど、病気になって改めて健康のありがたさが身にしみます。


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2019年11月02日

風邪を引いているせいか、やたらと汗をかくんです

 クラシックコンサートの話の続きです。

 声出し会場には、予定時刻の15分前に到着しました。声出しは一人10分ずつなので、私の前の人が時間通りに入室しているかを確認したかったから、ちょっと早めにスタンバイです。と言うのも、この声出し会場にはスタッフの方がいなくて、出演者たちの自主管理で運用されているのですが、みんながみんな遵法精神があるわけじゃないのが問題なんですね。なので、前の方が、時間通りに入室できていれば、私も、私の時間に堂々と入室しようと思っていますが、前の方の前の方(面倒くさい書き方でごめん)が時間にルーズな人で、いつまでもいつまでも声出しを止めない人で、なおかつ、前の方が遠慮深い人だと、「前の人がまだ終わらない…」と思って、遠慮して、時間通りに入室できないって事が多々あるんですよ。それなのに私が時間通りに入室してしまうと、前の方の声出し時間が短くなって可哀想な事があるんですね。なので、前の方が、そんな可哀想な人だったなら、まあ、1〜2分ぐらいは譲ってもいいかなって思って、様子を見に来たわけです。

 で、私の前の方は…その前の方の声出しが終わっていなかったようですが、それでも構わず定刻前に入室していました。うむ、これなら我々も定刻に入室しても平気です。

 さて、我々の番です。一人10分の声出しタイムですが、妻と連続して用意してもらったので、二人で20分です。ちなみに、我々以外にもう一組ご夫婦が出演されるのですが、そちらは二人で30分の声出しタイムになっていました。ちょっと解せない気分です(でも、声出しの時間は短くていいので、別に実害はありませんでした)。

 時間もあまり無いので、まずはピアニストさんに指慣らしをしてもらったら、さっそく本番順で歌ってみました。

 まずは私の「マリンコニア」からです。高音Aの箇所で、歌とピアノが大きくズレてしまう(私の体調が悪いために、高音Aの発声にいつも以上に時間がかかっているんです)ので、そこを返した事。あと、私の歌のテンポがいつもよりもだいぶ遅めなので、それではキツくなってしまうので、注意しましょうと、ピアニストさんからアドヴァイスをいただきました。

 「アニュス・デイ」は、まあこんな感じです。ピアニストさんからは、リハなのにそんなに声を出して平気なのかと聞かれましたが、ノドは脱力しているし、声をセーブして歌ってしまうと、かえってノドに負担がかかるので、特に問題なしと答えました。

 妻の歌をはさんで、最後に二重唱を合わせました。ノドが痛いせいもあって、全般的に軽く歌っているのが、むしろ良い感じになっているようです。まあ、カデンツァの出来は、神のみぞ知るって事で、声出しは終了。残った時間(5分くらい残りました)は、ピアノタイムで、ピアニストさんの練習時間にしてもらいました。時間のちょっと前に、次の人が入ってきたので、すぐに場所を明け渡しました。

 再び、楽屋に戻って、そんなに暑い日ではなかったのですが(風邪を引いているせいもあって)すでに全身汗まみれになっていた私は、汗を拭きつつ、タキシードに着替えました。着替えが終わった頃、会場はピアノの発表が終わり、歌の発表へと切り替わりましたので、皆さんの歌を聞きに、ホールに向かった私です。やっぱり歌は、モニター越しではなく、生で聞きたいじゃないですか?

 さて、今回の音源は二曲目に歌ったビゼー作曲の「Agnus Dei/神の仔羊」です。前半は抑えて歌い、後半は声を解放して歌ってみました。うまく録音されていないようですが、そこらへんはご勘弁くださいませ。
 もっといい録音機にすれば、もっときれいに取れるんだろうなあと思いました。そろそろ、録音機を新調するべきなのかなって感じです。


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2019年11月01日

なんと5時間も前に楽屋入りをしたんです

 台風の影響で延期されていたクラシックコンサートがようやく開催されました。当初予定よりも、出演者の数が減り、お客様の数もこころなしか少なめでしたが…まあ仕方ないでしょう。

 いつもは本番の3時間前に楽屋入りする私ですが、この日は、なんと、5時間も前に楽屋入りをしてしまいました。理由は簡単。裏番組でやっている合唱祭(知り合いが出演したり運営していたりしているんです)を見るために、早めに楽屋に入って荷物を置いて、隣のホールでやっている合唱祭を見に行ったからです。

 合唱祭はすべて見たわけではなく(そんな事をすると、自分の準備ができません)、注目すべき団体をいくつか選んで見させてもらいました。うん、上手な団体は上手だし、それなりの団体はそれなりですが、どの団体も「合唱が好き」という気持ちだけはひしひしと感じられるような歌唱でした。それにしても、高齢化が激しいなあ…。

 昼前に会場入りをしたので、昼食は合唱祭を抜けて食べてきました。いつもは、近所のうどん屋で食べるのですが、今回はついうっかり、新規開店のとんかつ屋に入っちゃいました。やっぱり勝負事の前にはカツを食べないとね(って、勝負事か?)。

 昼食後も合唱祭を聞いて、だいたい本番3時間前になった頃、クラシックコンサートの楽屋に戻りました。いよいよ、自分の準備に取り掛かります。

 楽屋は男女別ですが、男性の楽屋はほとんど利用者がいなくて、ほぼ私の個室状態となっていましたので、結構のびのびと使わせてもらいました。

 実はこの時、ちょっと困った事が発生していました。それはノドが腫れていた事と、背中に痛みが走っていた事です。つまり、風邪引いちゃったようなのてす(後日病院に行ったら、風邪じゃなくてカラダのアッチコッチが炎症を起こしていると言われましたが、素人的には“風邪”って事にしておきます。それもあって、記事のアップがちょっと遅くなったわけです)。と言っても、前兆はあって、この前日は外出していたのですが、お天気がすごぶる良かったのに、私は寒くて寒くて、ガタガタ震えながら、汗をダラダラかいていたんです。ほら、おかしいでしょ? そう、おかしかったんです。たぶん、ここ数日、暑くなったり寒くなったりしていて、カラダが気候の変化に追いつけなかったんだろうなあって思います。まあ、風邪引いちゃったのは仕方ないので、要はそんなコンディションでもベターな歌唱をするために、出来ることは何でもしていこうって事です。

 ひとまず、前日から風邪薬として、葛根湯を液体タイプと粉末タイプを買い求め、ガンガン飲んで、たっぷり寝ました。もちろん、声を出す前には響声破笛丸も服用です。

 その上で、ノドに負担を掛けないように、いつも以上に腹筋を気にして、軽め軽めの声を心がけました。あと、無駄に歌わない、話さない。声を出し惜しみする。咳やくしゃみや咳払いは、なるべくしない。水分を多めに取る。このあたりに気をつけていました。

 というわけで、楽屋に入ってからは、まずは背中の痛みを取るために、ゆっくり時間をかけて背中を中心に全身のストレッチをしました。

 それから、息混じりの声を出す…と言うよりも声帯を動かしてみました。スムーズに声が出る音程もありますが、ちょっとしゃがれたり、割れてしまう音程がありました。そういうところは、丁寧にゆっくりと声を温める感じでロングトーンをして、一つ一つ声をクリアにしていきます。一通り、声の濁りが取れたら、今度はハミングをして、息の通り道を確認しながら、声のヴォリュームをアップしていきます。その際に、声のポジションが絶対に下に下がらないように気を使いました。

 それができたところで、弱音で(たまたま持っていた)「マリンコニア」の中声版を歌いました。まあ、行けるっ感じだったので、その他の曲も軽く息をしっかり流しながら、歌ってみました。ここまで、約一時間です。そうこうしているうちに、声出し会場の順番になったので、楽屋を出て、声出し会場に移動しました。

 さて、今回の音源は、一曲目に歌った、ベッリーニ作曲の「Malinconia, Ninfa gentile/マリンコニーア」です。詳しい話は後日しますが、調子が悪い悪いと言いながら、こんな感じだったんですよ。
 いかがでございましょうか、皆様。


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