2019年12月31日

今年もお世話になりました[2019年を振り返って]

 大晦日でございます。例によって例のごとく、今年一年を私なりに総括していきたいと思います。それにしても総括が長くてごめんね。来年からは3日程度に分けてアップするかも(だってそれくらいの分量なんだもの)。

1)ブログの引っ越しをした

 これが今年の一番大きな出来事ですね。ほんと、大きな事案でした。これに関するあれこれは、以下の記事に書きましたので、よろしければ読んでみてください。


 で、あれから4ヶ月経ったわけで、最初は慣れなかった“さくらのブログ”にもだいぶ慣れてきました。まあ、概ね満足しています。

 ただ、小さな不満足はないわけではないし“さくらのブログ”に慣れてきて、つくづく思うのは「TypePad時代のココログは最高だな」って事です。ほんと、TypePadは使いやすくて良いシステムだったと思います。今使っている“さくらのブログ”のシステムも悪くはないのだけれど、TypePadと比べてしまうと、そんなに作り込まれているわけではなく、使う人間の方で、あれこれ工夫をしないとうまく使えないのが、ちょっとなあ…と思ってますが、そこは贅沢を言わない事にしています。

 でも、この際なので、ちょっと毒を吐きます。

 “さくらのブログ”で用意されている、ブログのデザインって、作った方が若い女性なのかな? ほぼすべてのデザインに渡って、フォントが極小な上に、色が淡いんです。オシャレと言えばオシャレなんだけれど、実に見づらいのです。

 あれは、オジサンオバサンには厳しいよね。実際“さくらのブログ”になってから「字が薄くて読みづらい」とか「字が小さくて読みづらい」という苦情が私の元に届けられているし、私もその意見には同意見です。

 なので、私の手が入れられる箇所については、強制的にフォントを大きくしたり、色を濃くしたりしていますが、手の入れられない箇所のフォントの小ささには、辟易しています。見た目のオシャレさよりも、実用的で、オジサンオバサンにやさしいデザインのモノをもっと多くして欲しい思います。

 そこんとこ、思いやりが、もう少し欲しいかなって思ってます。

 と、まあ、文句ブータレてますが、これはここを長く使っていきたいと思っているからこその、クレームなわけです。ほんと、デフォルトのフォントを大きくしてもらいたいし、デフォルトのフォント色を普通に黒くして欲しいです。そう願っているんです。

2)インフルエンザになった

 今年の1月頃にインフルエンザになった私です。実は、生まれてはじめてインフルエンザになりました。いやあ、インフルエンザって、風邪とは全然違うね。結構きちんとした病気ですね、ナメちゃいけません。

 私の場合、インフルエンザから喘息になって、そのまま花粉症に突入してしまいましたので、ずいぶん長期に渡って歌えない時期が続いてしまい、そのせいもあって、声楽テクニックがあれこれリセットしてしまい、これが良い方向へ上達するきっかけになっていきました。

 今、高音Aを常用音域にできたのも、この時のインフルエンザがきっかけではなかったかと、今では思ってます。インフルエンザになったのは、辛かったけれど、声楽的には良かったなあと思ってます。

3)秩父に行ってきた

 今年のGWの休みを使って、秩父に行ってきました。とても楽しかったです。以下の記事に旅日記を書いてますので、よかったら御覧ください。


 それにしても、秩父は良いところだね。あの時は、荒川に水が少なくて、長瀞の川下りができなかったので、今度は水流マシマシの時に行って、ぜひ川下りをしたいものです。

4)いちご狩りに行ってきた

 こちらもGWの話です。


 いちご狩りそのものは、さすがに今回が始めて…なんて事はないのですが、いちご狩りっていいよね。いちごって、安い果物ではないので、普段はめったに食べないのですが、いちご狩りに行けば、これでもかってくらい食べてしまいます。おそらく、一回行くと、2〜3年分のいちごは食べてしまうかもしれません(笑)。

 手軽な近所のレジャーなので、またチャンスがあれば、行ってみたいものです。

5)ポケGOフェスに行った

 ポケGOこと、ポケモンGOというアプリは、公開されて(たぶん)一週間後くらいから始め、そこから一日も欠かさずにやっている私です(汗)。当然、毎年夏に開催されるフェスにも、行きたい行きたいと願って応募していましたが、今までは当選しなかったので行けませんでした。そりゃあまあ、世界レベルでのフェスティバルだから、私のようなゆるいユーザーなんて当たらないわさ、とやさぐれておりました。

 それが今年は当たったんですよ、もうびっくりです。


 当該記事には、当日のウキウキした気分が書かれておりますが、あれから半年たった今でも、まだ気分はウキウキですよ。次に行けるのは何年後かしら?

6)湯河原でたっぷり温泉につかってきた

 年末の休みに入ったので、湯河原に行ってきました。最後の最後が残念でしたが、全般を通して、楽しくてのんびりした旅でした。


 泊りがけの旅行をすると、妻が家事から開放されるんですよね。ですから、たとえ近場とは言え、泊まりで旅行に行くことは、大切な妻孝行になる…と私は考えています。

7)Apple Watchを購入した

 Apple Watchに関しても記事を書いています。


 購入した直後のワクワクした気分は記事を読んでもらう事として、あれから一ヶ月経った今の感想は…と言えば、だいぶ健康に注意するようになったなあ…と言うところでしょうか。

 Apple Watchは、腕時計というよりも、腕時計型のウェラブル・コンピューターであって、やろうと思えば、結構色々な事ができます。そういう意味では、無限の可能性が広がる21世紀のデジタル・ガジェットです。

 でも、この小ささは、やはり諸刃の剣で、携帯性は抜群だけれど、操作性がかなり厳しいです。それこそ、入力は、画面にタッチしてボタンを選択するか、音声入力でSiri経由で操作するか…ぐらいが実用の範囲です。正直、細かい事はできませんし、やりたくないです。

 それでも私は毎日愛用しているのは、その抜群の携帯性ゆえです。

 時計として使っているのは当然として、心拍計としての機能に惚れ込んでいます。心拍計とGPS機能の働きで、私の日々の運動量が自動で計測されます。どれくらいの距離をどの程度の速さで歩き、何カロリー消費したかとかが、バッチリ分かります。運動不足だと注意されたりします。ずっと座り仕事ばかりしていると、立って歩けとも言われます。息が浅くなっていると、深呼吸しろとも言われます。ほんと、お節介ですが、そのおかげで健康に注意深くなっているのは事実です。

 私は積極的に運動をしていませんが、カラダを動かすのが大好きな人なら、とても有用なガジェットだと思います。

 また、心拍計に振動センサーとマイクの働きで、睡眠計としても使っています。このおかげで、私は毎日、何時間睡眠をして、そのうち深い眠りは何分して、いびきはいつ頃どれくらいしているのかが分かるようになりました。客観的に「今日は軽い寝不足だな」とか「ほとんど寝れていないなあ」とか「全然深く眠れていないから、脳が疲れたままだな」とかが分かるようになりましたし、ちょっぴりですが、睡眠を多く取ろうという気持ちにもなりました。

 Apple Watchは、音楽を聞く時のリモコンとしては、なかなか優秀です。あと、キッチンタイマーとしての利用も(カップラーメンを食べるのに)便利です。振動で起こしてくれるので、目覚まし時計としても優しくて助かっています。何かちょっとした用事を忘れないように呼び出してくれるリマインダーとしては、すっげー便利です(実は一番便利な機能かもしれない:笑)

 iPhoneがモバイル・コンピューターであるのに対して、Apple Watchって、ウェラブル・コンピューターなんだと思います。決して、Apple WatchはiPhoneの代用品ではありません。そういう意味では、人類は新しい道具を手に入れたわけで、後はこれをどう使いこなしていくかなのだろうと思います。

8)Bluetoothのイヤホンを購入した

 イヤホンにコードが無いって、すごく便利だし、取り回しもグッと良くなります。コードレスに慣れてしまうと、コード付きの以前のイヤホンなんて、もう使いたくありません。それくらいに、私の人生を変えてしまったのが、Bluetoothのイヤホンです。
 別に機種は、どれでもいいと思いますよ。私は、値段と音質のバランスを取りました。これは安いイヤホンだけれど、使い勝手も良いし、廉価だし、私的にはオススメですが、9)金魚の入れ替わりについて

 現在、我が家の水槽にいる金魚は、ヤヨイ(三色琉金)、シズカ(素赤琉金)、アセビ(更紗流金)、ベル(丹頂)、ルデン(雑種)の5匹です。今年は金魚の入れ替わりはなく、この一年間、この5匹が水槽の中を泳いでいました。

 ちなみに、それぞれの子がウチの水槽にやってきたのは、ヤヨイが2015年3月、シズカが2015年9月、アセビが2016年8月、ベルがその直後の2016年9月。そしてルデンが2018年1月です。

 つまり、我が家に来てから、ヤヨイが4年10ヶ月、シズカが4年4ヶ月、アセビが3年5ヶ月、ベルが3年4ヶ月、ルデンですら2年になるんです。金魚にしては、長いですね。

 ベルが軽度の転覆病になってしまった以外は、元気ですね。特に、ルデンは今年に入って、一気に巨大化が進み、今や水槽で一番のデブ金魚になってしまいました。

 さて、ドジョウの話をすると、今年のお正月には真ドジョウが一匹しかいなかった我が家の水槽ですが、今では真ドジョウ1匹と、緋ドジョウが3匹います。

 今年の1月になってから、緋ドジョウを2匹水槽に入れましたが、9月に一匹が星になってしまったため、さらに2匹を追加して、今は三匹の緋ドジョウが水槽にいます。この三匹は同じ銀座の熱帯魚屋さんで購入したのですが、買った時期と、その時の大きさから考えるに、この三匹は同期のドジョウでしょうね。三匹とも、同じ店の同じ水槽で飼われていたのですが、先に私に買われた子と、後から私に買われた子がいたわけです。なので、この子たちは「あら、お久しぶり」って感じだったのかもしれません。

 真ドジョウに関して言えば、お正月の段階では、スラッとしていたのですが、今やボコボコのカラダになってしまいました。残念です。

 貝類は、今年はタニシの追加はしないで、その代わり、9月に石巻貝を20匹ほど入れました。なので、水槽の中は巻き貝が少ない印象ですが、石巻貝は金魚にほとんど食べられないので、数はあまり減っていなくて、水槽のガラス面はきれいに保たれています。

 そうそう、金魚入れ替えではないのですが、今年、我が家の水槽が壊れてしまい、新しい水槽に変わりました。その件に関しては「水槽が壊れた(涙)」に書きましたので、よろしかったら御覧ください。

 以前の水槽は、このブログを始める前から使っていたものなので、たぶん15年くらい使っていたのではないかと思われます。さすがに15年も使っていれば、水槽も水漏れぐらいするよね(笑)。今後は、水が漏れる前に、せめて10年ごとぐらいには水槽を買い替えてゆきたいと思いました。

10)今年も幸せな私でした

 とまあ、私の2019年って、こんな感じでした。結構、アレコレありましたね。

 今年の心残りは…フルート合宿に行けなかった事かな? 今年は、三度目の吹奏楽部の顧問に復帰してしまい、吹奏楽部の夏合宿とフルート合宿が日程的にカブってしまったためにフルート合宿に行けなかったんですね。ああ、残念。

 でもまあ、全体的には、穏やかで平凡で幸せな一年だったと思います。

 あと、オペラのライブビューイングと言えば、今年は、メトロポリタンもさることながら、ロイヤル・オペラのライブビューイングも見るようになりました。同じ演目でも、メトとコヴェントガーデンでは、あれこれ違うので、楽しいですね。

 さてさて、来年はどんな年になるのかな? 来年の大晦日も、こんな感じで愚痴りながら、総括の記事をアップできるといいなあ。

 そんなわけで、来年もよろしくお願いします。


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2019年12月30日

今年[2019年]見たDVD

 今回は、毎年書いているDVDの記事です。昨日は、今年購入したCDについて記事を書きましたが、今日はDVDです。ここ数年、毎月1枚ずつオペラのDVDを買おうとしていた私ですが、今年に入り、それに気が失せ(最近はDVDではなく電子書籍を買ってます)、DVDの購入枚数も自然と減ってきた私です。

 例によって、記録を取り始めた2016年からの枚数を書いておきます。

2016年が37枚
2017年が36枚
2018年が12枚

 で、今年は…と言うと、22枚です。とは言え、その内容は、半分近くが歌舞伎のDVDですから、それを除けば去年並になります。CDの時にも書きましたが、最近、本を買い過ぎていまして、なかなかディスクにお金が回っていかないのです。で、こんな体たらくです。

 ま、そんなこんなですが、今年のDVDの購入ラインナップは、こんな感じになりました。

【歌舞伎系】
1)歌舞伎「勧進帳」
2)歌舞伎「寿曽我対面」
3)歌舞伎「連獅子」
4)歌舞伎「歌舞伎の舞台機構」
5)歌舞伎「髪結新三」
6)歌舞伎「俊寛」
7)歌舞伎「鈴ヶ森」
8)歌舞伎「元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿」
9)歌舞伎「鏡獅子」
10)歌舞伎「番町皿屋敷」

 これらのDVDは、アシェットの通信販売です。申込みをすると、毎月2枚ずつ勝手に送ってくるので、それを楽しみながら見ています。最終的には100枚になるそうです(すげえなあ…)。私は歌舞伎には不案内ですが、100作品もあれば、定番モノは、ほぼほぼ含まれるんじゃないかしら? そう意味で言えば、完結すれば、すごいコレクションになりそうです。ちなみに4)は歌舞伎の作品ではなく、歌舞伎における舞台の説明です。本来なら、おまけDVD扱いですね。

 歌舞伎と言うと、何やら難しく感じますが、実はただの演劇です。時代劇です。言葉が古くて、ちょっと難しい代わりに、ペースがゆっくりなので、ゆるゆるした気分で見ることができます。内容は、時代の荒波を乗り越えて残ってきただけあって、どれも素晴らしいです。DVDには解説音声も付いてますので、それを聞きながら見れば(NHKの放送がそんな感じでしょ?)、見ただけでは分かりづらい事も解説してもらいながら見れますので、私のような初心者でも楽しめます。実によく出来てますね。

 それにしても歌舞伎ってのは、舞台では、ストーリーを全部やらないんですね。ストーリーの一部だけを演じるのが普通みたいです。ちなみに、ストーリーを全部やる時は「通し狂言」と言って、特別公演になるようです。でも、通常の舞台とか、DVDとして発売される時は、やっぱりストーリーの一部分を演じたモノなんですね。オペラ風に言えば、幕ごとに上演をしているわけで、ちょっと考えられません。オペラで…例えば「椿姫」を1幕だけしか演じない…なんてやったら、観客からブーイングが起こるよねえ。そういった点では、歌舞伎と言うか、日本人はと言うか、ほんと寛容なんだなって思いました。いや、わがまま。だって、見たいとこだけ見れればいいんだよね。名シーンだけ見れば、それで満足なんだよね。

【オペラ系】
11)デオン・ファン・デア・ヴァルト「モーツァルト作曲『後宮からの逃走』」
12)クリスティーネ・シェーファー「モーツァルト作曲『後宮からの逃走』」
13)サイモン・エステス「ワーグナー作曲『さまよえるオランダ人』」
14)パトリシア・バードン「ヘンデル作曲『アグリッピナ』」
15)ヨナス・カウフマン「ワーグナー作曲『ローエングリン』」
16)ルッジェロ・ライモンディ「モーツァルト作曲『ドン・ジョヴァンニ』」
17)ミカエル・ケーニッヒ「ウェーバー作曲『魔弾の射手』」

 例によって、オペラのDVDです。毎月2枚ずつ、オペラのDVDを購入するんだ!と張り切っていた私ですが、歌舞伎のDVDを毎月2枚ずつ購入する事になって、オペラの方は、一気にスローダウンしてしまいました(汗)。モーツァルトの『後宮からの逃走』が2種類あるのは、勉強のためです。今年のラ・フォル・ジュルネで、字幕無しの『後宮からの逃走』を見ることになったので、そのためにしっかり勉強しておこうと、DVDを複数購入する事にしたのです。

【その他】
18)ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ「シューベルト作曲『美しき水車小屋の娘』(モンサンジョン・フィルム)」
19)佐渡裕「真夏の夜のガラ・コンサート」〜グラフェネック音楽祭より
20)ジュリー・テイモア「アクロス・ザ・ユニバース」
21)ピーター・オトゥール「ラ・マンチャの男」
22)アニメ「赤毛のアン」 DVD-BOXセット(12枚組)

 18)は勉強のために購入しましたが、歌曲を歌うのを動画で見ると、音源だけ聞いていると比べると、あれこれ勉強になります。特に良いのは…字幕ですね(笑)。歌と内容が同時に頭に入ってきます。

 触れなきゃいけないのが「赤毛のアン」でしょ。不滅のアニメです。もっとも、今どきの人は、配信で見るんだろうな。私はうっかり(笑)DVDを購入してしまいましたが、たぶん有料配信の公式チャンネルの方が安いですよ(笑)。そう言えば、今度、12月28日(一昨日だね)から日本アニメーションは、You Tubeで公式チャンネルを始めたそうですが、そこではフルサイズの「赤毛のアン」は見られるのかしら? You Tubeって無料だよね。無料で「赤毛のアン」が見られたら、そりゃあすごいな。

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2019年12月29日

今年[2019年]聞いたCD

 毎年アップしているこの記事。今年もアップしちゃいます。

 さて、きちんと記録を取り始めた2010年からの購入CD枚数を上げてみると…

2010年が120枚。
2011年が70枚。
2012年が85枚。
2013年が41枚。
2014年が66枚。
2015年が26枚。
2016年が27枚。
2017年が16枚。
2018年が32枚。

 さて今年は…と言うと、一昨年レベルの18枚です。実際は、複数枚数のCDもあるので、+10枚で、28枚になるのですが…まあいいです、18枚です。いい感じです。。

 音楽そのものは、毎日のように聞いていますが、今年は新しいディスクを買うよりも、今までiPhoneに溜め込んだ音楽を再び聞いてみる、みたいな感じで過ごしました。と言うもの、正直言っちゃうと、最近、アマゾンへの支払いが増えて増えて…とても音楽ディスクを買う余裕がないんですよ。で、何を買っているのかと言えば、本を買ってます。電子書籍だと、興味があるだけで、ついついポチして買える気軽さで、今年は本ばかり買っちゃいました。もちろん、読んでません(笑)。いかんですねえ…。で、読まない本にばかり支出してしまって、音楽ディスクを購入する余裕が無くなった…というわけです。

 というわけで、今年は数少なめですが、購入したCDの記録のために、書き記しておきます。

【クラシック声楽】

1)トスティ歌曲全集第2巻(4枚組)
2)トスティ歌曲全集第3巻(4枚組)
3)ラモン・ヴァルガス「ヴェルディ歌曲集」
4)ロイス・マーシャル「シューベルト作曲『美しき水車小屋の娘』」
5)ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ「シューベルト作曲『美しき水車小屋の娘』」

 いずれも勉強のために購入しました。トスティの歌曲全集も、ヴェルディの歌曲全集も、テノールならマストアイテムですからね。で、時おり、ヘビーに聞き返しています。そうやって、歌いたい曲目を心の引き出しに溜め込んでいるのです。うふふ。

 4)は、この音源をヘビーローテーションする事で、すごく勉強になっていると思ってます。聞くたびに、新しい気付きがあるんです。たまに女性歌手から学ぶのも有りかなと思いました。5)は、有名な1971年盤ではなく、1961年盤の方です。別にひねくれて1961年盤を購入したのではなく、1971年盤のつもりで1961年盤を購入してしまったというだけの話です。まあ、声がその分若いからいいか…と自分をなぐさめてます。全盛期ちょっと前の時代の録音ですね。

【ジェスロ・タル関係】

6)ジェスロ・タル「日曜日の印象」
7)ジェスロ・タル「スタンド・アップ」
8)ジェスロ・タル「ベネフィット」
9)ジェスロ・タル「ウォー・チャイルド」
10)ジェスロ・タル「アンダー・ラップス」
11)ジェスロ・タル「クレスト・オブ・ア・ネイブ」
12)ジェスロ・タル「ロック・アイランド」
13)ジェスロ・タル「キャットフィッシュ・ライジング」
14)ジェスロ・タル「ルーツ・トゥ・ブランチーズ」

 ジェスロ・タルというのはイギリスのロックバンドで、レッド・ツェッペリンなんかと同時代のバンドです。フルートを前面にフィーチャーした、実にカッコいいバンドなんです。で、私、ジェスロ・タルに関しては、大好きなんだけれど、CD的にはベスト盤ぐらいしか持ってなくて、後はYou Tubeで楽しんでいた人なんだけれど“それではいけない”とふと思い立って、頑張ってCDを購入してみました。

 You Tubeで見ても、アーチストには一銭も入りませんが、CDを購入すれば、微々たる金額だろうけれどアーチストにお金が行きます。アーチストに対して、金銭的な応援をするのは大切な事だと思うので、CDを購入したわけです。

 もっとも、ジェスロ・タルというグループは(メンバーが高齢になったため)すでに活動停止をしているのですが、それでも中心メンバーである、イアン・アンダーソンは老体に鞭打って頑張っているので、それに対する応援のつもりです。いつまでもお元気で、片足上げてフルートを吹き続けて欲しいじゃないですか!

 たぶん、これで大半のジェスロ・タルのアルバムは入手できたと思います。後は、廃盤になっている「ドット・コム」をどこかで入手する事と、イアン・アンダーソンのソロ・アルバムで、まだ持っていないモノを購入すればコンプリートって感じです。

【その他】

15)ポール・マッカートニー&ウィングス「レッド・ローズ・スピードウェイ」
16)ポール・マッカートニー&ウィングス「ワイルド・ライフ」
17)マイケル・ジャクソン「BAD25」
18)歌物語2

 ポール・マッカートニーは、アウトテイク集を含んだ再発盤です。特に興味深いのは、15)で、このアルバムは当時二枚組として企画されながらも、レコード会社の反対で一枚物として発売されたアルバムなのです。で、捨てられた半分の楽曲は、その後「コールド・カッツ」というタイトルを付けられ、何度か発売予定にあがったのですが、最終的に発売される事はなく、いくつかの曲は、シングルのB面などで、ちまちまと発表されたものの、大半の曲は未発表のままだったのです。それを今回、捨てられた半分を復活させて、2枚組のアルバムとして発売されたのです。やったね。ファンとして、単純に嬉しいです。

 後は、80年代後半に制作されながら、未だに未発表になっているアルバム「リターン・トゥー・ペッパーランド」が発売になると、うれしいな。

 17)は25周年記念アルバムで、ポール・マッカートニーのアルバム同様に、アウトテイク集付きの再発盤です。18)はアニメ「物語シリーズ」の第3シーズンの主題歌集です。アニメの主題歌って、黙っていても売れるので、実は普通のポピュラー音楽よりも、ずっと攻めた音楽になっている事が多いです。実際「物語シリーズ」の主題歌は、かなり攻めてますよ。

 …てなわけで、毎年、CDの置き場が無いと悩んでいる私ですが、さすがにこれだけしか購入しないと、そんなに困りません。まあ、いい感じです。私も音楽CDは、それこそ売るほど持っているので、新規に買わずに済むなら、それに越した事はないと思ってますので、来年も、こんな感じでいけたらいいなあと思ってます。


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2019年12月28日

左足はまだ痛いんです[2019年12月の落ち穂拾い]

 足の怪我はだいぶ良くなってきました。足の怪我って単純で、歩かないで寝ている時間が長ければ、それだけで良くなります。起き上がって歩いていると、ほとんど回復しませんし、ちょっと長い距離歩くと、むしろ悪化します。大切な事は、リハビリ…と言うか、以前の運動能力を取り戻すためのトレーニングは、怪我の痛みが取れてから…ですね。まだ痛みがあるうちは、おとなしくしているに限るようです。

実は軽い声で歌っているそうなんですよ

 世の中には色々な発声方法があるし、様々な音楽ジャンルがあります。なので、発声方法も色々ありますが…頭声を全く使わずに大声で歌い続けていると、早晩、ノドを痛め、声を壊す恐れがあります。地声発声ならば、マイクは必需品です…が、それはまたクラシック発声とは、かなり遠いモノとなります。

 さて、バリトンとかバスとかの男声低音歌手も、観客的には低くて渋い声で歌っているように聞こえますが、歌っている本人的には、明るくて軽い声で歌っているんだそうですよ。それでも、低く渋い声で聞こえるのは、彼の声がバリトンであり、バスだからなんだそうです。

 だから、プロ歌手の声真似をして、声を重く渋く低く出すのは、声楽学習者にとっては、ちょっぴり危険なのは、そういう事なのです。真似をするなら、結果ではなく、その過程を真似するべきなのです。

テノリトン? バリノール?

 ところで、日本のアマチュア男性歌手は、音域的にはバリトンだけれど、音色的にはテノールな方が大半なんだそうです。私もかつてはそうでした。

 テノリトン? バリノール? そういう方は、音域を広げずに音色を深めてバリトンとして活躍するのか、音域を広げてテノールになっていくのかの、2つの道があるのですが、どちらを選ぶかは、本人の気持ち次第だそうです。気持ち…そう、技量ではなく資質が大切なんです。テノールは、声以前に、性格とか資質とかがテノールでないと、上達が難しいと私は思います。え? テノールの性格とか資質って何か? それは「バカ」って事ですね。はい、テノールってバカなんですよ。実際「テノールバカ」という言葉が声楽界にはありますしね。

 私ですか? 私は迷わず音域を広げてテノールになる方を選びました。だって、バカなんだものん。

蛇足 「ソプラノブス」という言葉も声楽界にはありますが、プロの場合、ブスなソプラノには仕事がありません。ソプラノって美人じゃないと仕事が成立しないようなのです。

発声は聞いても学べない

 なぜなら、発声とは、自分の内的な感覚でしかコントロールできないからです。外から観察しても、素人には全く分からないと思います。

 外からの観察が可能なら、世界中のプロのオペラ歌手は(おそらく)ほぼ全員頭声で歌っているでしょうから、彼らの歌唱を聞いて真似をすれば良いのですが、実際は、それだけではなかなかうまくいきません…ところか、声を壊しかねません。大切なのは、声真似をするのではなく、自分の声を磨いていく事なのです。ですから、プロの歌声を聞いて、それを真似ても、百害あって一利もなし…となるのです。

 まあ、そこが声楽の難しさなんでしょうね。

学校の部活で楽器を習うことって…実は怖いことなのかもしれません

 学校の部活での指導者は、基本的に顧問の先生です。顧問の先生と言うのは、学校教育のプロであっても、音楽に関して、ほぼ素人です。たまに音楽の教師が音楽系の部活の顧問をやっていますが、音楽の教師は、ほぼピアノ科卒か、あるいは声楽科卒なので、声楽家卒の教師が合唱部の顧問をやるケースを除けば、やはり素人が顧問教師をやっている事に違いはありません。

 で、そんな素人である学校の先生が、自分の専門でない管楽器をどこまで教えるのか…と言うと、おそらくかなりの先生は“ひととおり全部教えちゃう”のです。自分の専門どころか、自分ではまともに触った事のない楽器ですら、教えちゃうです。もちろん、演奏経験がないわけだから、本などの知識を頼りに教えるんですが…。

 盲人が盲人の手引をしているようなものです、怖いですねえ。

 少し謙虚な先生で、ご自分が門外漢である事を認識している先生は、自分が直接指導にはタッチせずに、部活の生徒同士で教えさせます。いわゆる、先輩が後輩を指導するわけですが、その先輩だって、一年前までは楽器に触った事すらない素人だったりするんです。これまた盲人が盲人の手引をしているようなものです。

 そういうわけで、学校の部活という現場では、素人が素人を指導するという事が日常的に行われているわけです。

 ある意味、恐ろしい感じもしますが、学校の部活動なんて、程度の差こそあれ、そんなモンです。プロの指導者が揃っている学校なんて、一部の私立学校だけで、それは例外的な学校なんですよ。

 我が国における中学校高等学校の部活動というのは、裾野を広げるモノであって、決して頂点を目指しているモノではないんですよ。それが現実なんですね。でも、生徒は熱心だし夢も持っているし、教師という人種は真面目で熱血ですから、ついつい頂点を目指しちゃうわけなんですね。で、やる気の空回りが大回転するんです。

 日本には食えない音楽家がごちゃまんといるわけですから、音楽系の部活の指導なんて、彼らを雇って、彼らに任せればいいのに…なんて個人的には思いますが、それを公教育に求めるのは、ちょっと酷なのかもしれません。それこそ、音楽系の部活に属していない親から「税金の無駄遣い!」と言われてしまうからです。

 なので、一部の私立学校以外の部活動の指導体制なんて、素人が素人を教えるのが精一杯だったりするんです。

今月のお気に入り USBコンセント


 いわゆる延長コードですが、今どきの延長コードなので、通常のコンセントが2つ、USBポートが2つ付いています。USBの方は、急速充電対応のポートです。これは結構便利です。妻は旅行に持っていって活用しています(旅先でコンセントがなくてアレコレ充電できなくて困るでしょ?)し、私は書斎のコンセントの一つをこいつに交換して、便利に使っています。

 今どきって、USBポートから電気を受ける機器も増えましたし、こういう延長コードは絶対にアリだと思います。まだの方は、騙されたと思って使ってみてください。ほんと、便利だよ。

今月の金魚

 ベルの調子が悪いのが続いていますが、最近は、緋ドジョウたちがベルの隣で浮いている事が多いです。緋ドジョウたちも具合が悪いのか? あるいは、具合の悪いベルに寄り添っているだけなのか? 判断が付きません。ただ、ドジョウって、情け深い生き物で弱っているモノの味方なんだよね。だから、具合が悪いのではなく、ベルに寄り添っているだけ…なのかもしれません。

今月のひとこと

 なぜ野党の皆さんは、シュレッダーなんか見に行っちゃったんだろ? そんなどーでもいい事をやっているから、北朝鮮が“謎の飛翔体”ってヤツをぶっ放すんだよ。シュレッダーを見に行く時間があるなら、もっと国防とか安全保障とかを真剣に論議して欲しいし、それでもって与党政府をやいのやいのと突っついて欲しいです。それが政治家ってモンでしょ?(2019年11月29日〜12月2日)

 今朝(2019年12月2日)は記事のアップが遅れて申し訳ありませんでした。完全に私のミスです。さくらのブログの予約投稿って、ちょっとばかりやるべき手順が多くてね、ココログほどシンプルではない分、うっかりミスが出やすいんです…が、それも操作する人間が気をつけていれば済む話なんです。はい、ごめんなさい。(2019年12月2〜3日)

 なんか雨ばかり降りますね。先日なんて警報まで出ていたよ。ああ、雨ばかり…。さすがにこれだけ雨が続くと、気持ちが鬱々になってくるね。(2019年12月3〜4日)

 PISA(OECD生徒の学習到達度調査、つまり“国際学力調査”)での日本の順位がちょっと下がりました。なんか、ここんところ…ってか、ゆとり教育以降、日本の高校生の学力が世界的レベルで緩やかに下がってきていると私は考えています。日本の教育って…大丈夫かな? 日本は土地も狭く、資源が少なく、労働力だって不足しているんだから、せめて国民の教育レベルは世界トップクラスを維持しておかないと、国が落ちぶれてしまうのだけれどなあ…。国会でお花見問題を話すヒマがあったら、こういう事について、真剣に論議して欲しいと思います。(2019年12月4〜6日)

 大学入学共通テストの英語から、民間検定試験導入の見送りが決まりましたが、今度は、国語と数学の記述式問題導入を見送る方向で調整に入ったそうだ。善き哉善き哉。英語も国語も数学も、最初っから無理があったし、1私企業(“ベ”で始まって“セ”で終わる会社です:笑)を儲けさせるための入試改革なんて、やめちゃうべきだよね。現行の大学入試センター試験を時代に合わせてアップデートして続ければいいんじゃねえの…と私は思うんですよ。とにかく、間に合って良かった良かった。(2019年11月6〜13日)

 2020年度から始まる大学入学共通テストで導入される予定だった国語と数学の記述式問題について、ひとまず見送りになったそうです。文部科学省曰く「採点者の質の確保や自己採点の不一致率の高さなどが課題となっており、現状のままでは実施できない」そうなのです…って、そんな事は、最初っから分かってたじゃん。いつも野党の先生方に文句ばかり言っている私ですが、今回の件に関しては、野党の先生方の問題提起が合ってこその結末なので、私は野党の先生方に感謝しています。政局ばかりでなく、きちんと政治も出来るんじゃん。だったら、政局なんて止めて、真面目に政治をやった方が、国民からの支持だって得られるんじゃないの。ほんと、今回ばかりはみんなみんな、野党の先生方に感謝していると思うよ。(2019年11月13〜23日)

 怪我しました(涙)。左足首をくじいてしまいました。痛くて歩けなくて医者にもいけません。困った困った。とにかく自然治癒力で直します。(2019年11月23〜24日)

 痛みもだいぶ引いてきたので、医者に行ってきました。今回は、ただの捻挫だったので、痛み止めだけをもらって、後は自然治癒力で治りそうです。大事にならなくて良かった。(2019年11月24〜27日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。


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2019年12月27日

湯河原に行ってきました その3 足をくじきました

 お宿に戻って、晩ごはんを食べて、お風呂に入って、寝ました。

 いやあ、枕が変わると、寝れないですね。若い時から、そんな傾向はあったのですが、年を取ってくると、ますます寝られなくなります。なので、いつまでもグズグズして、浅い眠りを繰り返していたのですが、AutoSleep(睡眠管理アプリです)によれば、いつも以上に良い睡眠をたっぷり取っていたようです。ううむ、自分の感覚とアプリの計測結果の違いに悩みます。

 温泉には、前日の食後に一回、寝る前に一回、目覚めて一回と、合計3回入りました。温泉大好きな私です。

 朝食(おかゆをたっぷり)を食べて、お宿を出発しました。もう一度美術館に行って、今度は館内の絵とお庭を見物しました。そこから、温泉街の中心にある日帰り湯に歩いて行きました。夕方まで、そこでゆっくり過ごそうという算段です。到着して一回、昼食(おそばを食べました)後に一回、出発前に一回と、合計3回入浴しました。お宿のお湯も良かったですが、ここのお湯もなかなか良しです。

 だらだらと日帰り湯で半日過ごしてから、湯河原駅まで、のこのこと歩いて行きました。

 途中で、行きにも立ち寄ったラーメン屋に寄って、今度は坦々焼きそば(湯河原のB級グルメなんだそうです)と餃子15個を食べました。坦々焼きそばは、ちょっぴりゴマ風味の焼きそばで、とても美味しかったですよ。今度はお腹に余裕をもたせて、しっかり向かいのパン屋のパンを買って、帰りの電車の中で食べて帰りました。

 というわけで、なんという事もない、ただただのんびりした時間を過ごした、湯河原行でした。

 で、帰りがけ。ほんと、自宅のすぐそばまで来て、車を避けようとしたところ、道に大きな穴が開いていて、そこに足をつっこんでしまい、左足をくじいてしまいました。いわゆる、捻挫をしてしまいました。捻挫って、痛いですね。骨を折った時ぐらい痛かったです。なので、旅行から帰るやいなや、そのまま寝込んでしまった私でした。丸二日寝たきり老人をしたところ、ようやく歩けるようになりました。足の怪我は、使わなければ、すぐに治るものです。歩けるようになってから医者に行きました(本末転倒かも)。医者はともかく、薬局で2時間も待たされて閉口しました。いやあ、年末は病院はともかく、薬局は混むんだね。


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2019年12月26日

湯河原に行ってきました その2 歌を聞いた

 美術館の喫茶店から聞こえてきたのは、まぎれもないオペラ声でした。店の外から中を覗いてみると、どうやら何かの演奏会のリハーサルをしているようでした。我々が入り口で様子を伺っていると、中から人が出てきて説明をしてくれました。この人(実は本日のソプラノさん)は、今歌っているのはゲスト歌手で、その人はとてもすごい人なんだと力説していました。俄然、興味が湧いてきました。

 とは言え、チケットだって持っていないし、どこで買えるのかも分からないし、チケットが入手できたとしても、開演時間までまだ小一時間あるみたいだし、終演時間次第ではお宿の夕食時間に間に合わなくなってしまうかもしれないし…。そんなわけで、見たいんだけれどなあ…と悩んでいたら、別の人(主催者側の人のようです)が出てきて、開演まで店内で待っていればいいとアドヴァイスをくれました(なにしろ喫茶店ですから)。チケットはまだ当日券があるので、開場時間になったら、改めて購入してくれればいいし、コンサート自体は90分程度(ちょうど夕食の少し前で終わります)だからと言われて、店内に入って、紅茶でも飲みながら、リハーサルを見ながら、コンサートを待つことにしました。

 どうやら、ソプラノ歌手とバリトン歌手、それにピアニストの三人組での演奏会のようです。ピアノは電子ピアノで、曲に合わせて、ピアノの音で演奏したり、チェンバロのような音で演奏していますが、それほど違和感はありません。

 俄然、期待が増してきました。

時間になり、コンサートが開演しました。このコンサートは、美術館併設の喫茶店が主催する月イチコンサートでした。いろいろなジャンルの音楽家さんを招いてコンサートをしているようで、今月はたまたまオペラ歌手さんによるクリスマスコンサートだったわけです。なので、実に奇遇。とても良いめぐり合わせだったんですね。

 コンサートそのものは、ソプラノ歌手さんとピアニストさんのコンビによるコンサートのようでした。リハーサルで聞いたバリトン歌手さんは…ゲスト出演のようで、ソプラノ歌手さんの師匠さんのようでした。

 ソプラノさんは、声に恵まれた方でした。実に美声。喉もかなり強い。ボリュームもある。声だけなら、一流のソプラノさんでしたが、そのステージ運びや選曲は実にユニークで、色々な意味で面白くて楽しめるコンサートでした。

 まず、御自身がメインのコンサートなのに、序盤は楽譜をガン見して歌っていました。別に楽譜ガン見が悪いとは思いませんが、本当に楽譜をガン見していて、楽譜は譜面立てに載せているのですが、その譜面立ての高さが高くて、演奏者の顔をがほとんど見えません(笑)。普通、楽譜をガン見するにしても譜面は腰の高さぐらいまで低くして、演奏者のバストアップぐらいはお客さんに見えるようにするものなのに、顔を隠すほどに楽譜を高くしていました(たぶん、視力が良くないのかもしれません)。

 さすがに2曲目を終えたところで、会場の後ろにいた師匠からダメ出しが出て、楽譜を少しだけ下げて、顔を見せるようになりましたが…顔を隠して歌う歌手なんて、初めて見ました。もう、それだけで珍しいモノが見れて、楽しい私でした。そうそう、楽譜を下げた時に気づいたのは、ソプラノさんの髪型が、縦ロールだった事です。いやあ、縦ロールよ。アニメのヒロインのお姫様なら縦ロールもありますが、リアルな人物で縦ロールをしている日本人なんて、私初めて見ました。いやあ、良いモノを見せてもらいました。眼福眼福。

 コンサートの進行も、なんかおどおどしているし、歌に関しては言い訳が多いし、この人、本当にプロなの?って思ってみたら、一応、藤原歌劇団の準会員だし、きちんと専門教育を受けているし、オペラ出演歴もコンクール歴もちゃんとしているし、このコンサートの入場料も取っている(笑)し、どこをどう切り取ってもプロ歌手なんだけれど、コンサートの運び方が、いかにもアマチュアっぽいんですね。この人、たぶん、しゃべらせたらダメなタイプの歌手さんなんだろうと思いました。せっかく、声は絶品なので、進行役を別の人に頼んでコンサートをやったら、よいだろうなあって思いました。せっかくの歌を、進行でダメにしちゃっていて、とても残念でした。

 あと、選曲も実にデタラメで楽しかったです。「ロミオとジュリエット」の「私は夢に生きたい」を歌った直後に、「蝶々夫人」の「ある腫れた日に」を歌っちゃうんです。それも両方、きちんと歌っているわけで、ほんと、デタラメ。アマチュアにはたまにそういうタイプのソプラノさんもいますが、プロなら、この組み合わせでは歌いません。だって真逆なタイプのアリアだもの。よほどの腕扱き以外は、この組み合わせの選曲はしないでしょう。

 そんな超難度の選曲をしておきながら、コンサート前半で歌っていた歌曲は、もっと難易度が低い曲なのに、今ひとつな出来なのはなぜ? なんかもう、実に不思議な歌手さんで、それゆえに面白くて目が離せませんでした。

 ゲストのバリトン歌手さんはピーノ松谷さんでした。本物のプロ歌手です。この方の生歌を間近で聞けただけで、入場料分の価値はありました。

 いやあ、実に楽しかった。私にとっては、サプライズなコンサートだったわけで、旅行のメインイベントになったくらいです。実に満足して、お宿に戻った私でした。

 続きはまた明日。


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2019年12月25日

湯河原に行ってきました その1 滝を見た

 年末になったので、この一年間の溜まった疲れを取り除くためと、女房孝行も兼ねて、湯河原に行ってきました。

 ここ数年は年末も忙しい事が多く、地元の温泉(徒歩10分)にしか行けなかったのですが、いつもいつもそれじゃダメだろうと思ってつ、久々に遠出をして、泊りがけで温泉に行くことにしたのです。そんな時は、以前なら、箱根に行く事が多かったのですが、母の終焉の地が湯河原だった事もあり、ある時期、湯河原通いをしていた事もあって、湯河原に親しみを覚えるようになり、今回の旅行先を湯河原にしたのでした。

 それに、日本中に温泉はたくさんあるけれど、湯河原のお湯って、私の好みのお湯なんだよね。

 宿には自宅から一時間ぐらいで行けるので、当日はのんびりしていました。お昼近くまで寝て、目が覚めてから、のこのこと出かけ、お昼ごはんを駅側のラーメン屋で食べました。ここのお店は実に美味しいのです。ラーメンもチャーハンもレバニラも、普通のメニューが普通以上に美味しい、素晴らしいお店なんだけれど、特筆すべきなのは餃子なんです。本当に美味しくて、スルスル食べられてしまうのですよ。私はここに来ると餃子を15個注文するのですが、あっという間に平らげてしまいます。本当に美味しい餃子なので、湯河原に来たら外せないのです。

 で、この昼食は頭に乗って、ラーメンとチャーハンと餃子の王道三点セットを頼んで食べ過ぎてしまいました。滅多に来られないのもだから、ついついはしゃいじゃいました。

 なので、もうひとつのお目当てであるパン屋さん(ラーメン屋の向かいにあります)のパンを購入するわけには行きませんでした。だって、お腹パンパンなんだもの(涙)。

 泣く泣く駅まで戻って、バスに乗りました。バスで不動滝まで行きました。

 湯河原は有名な観光地ですが、実は観光名所というのが、あまりありません。基本的に宿に直行し、宿から直帰する…というパターンの観光地であって、温泉が唯一最大の観光名所なのですが、ただ温泉に行くだけでは、ちょっと寂しいので、別の観光名所にも行きましょうというわけで、頑張って、不動滝に行ってみました。

 不動滝は、滝でした(当然)。まあ、立派な滝で、修験者が修行に使いそうなタイプの滝でした(実際に使っているかどうかまでは、私は知りません)。湯河原って、滝が多い町で、実は不動滝に限らず、あっちこっちに大小の滝がありました。町全体にいつも水音が響いている…そういうタイプの町なのですが、その音は、大小様々な滝とそれらが注ぐ流れの速い藤木川の水音なんですね。まあ、川の水音がたえず響く町ってのも、なかなかオツなモンです。

 不動滝を1分ほど眺めたら、我々が宿泊する宿まで、下り坂なので、歩いていきました。で、宿に入って、部屋に案内されて、一息ついて、夕飯まで時間があるから、ひとっ風呂浴びるか…となった時に、ふと、向かいにある美術館にでも行ってみるかという気になりました。なんか、美術館に呼ばれているような気がしたのです。

 美術館に行って、館内を一回りすると、夕食までのいい時間つぶしになるし、美術館から戻って風呂に入っても、夕食には間に合うし、ただ部屋でぼんやりしていても勿体ないので、せっかくだし美術館に行こう!と考えたわけです。

 美術館に到着しました。美術館はまだやっていましたが、展示施設の一つであるアトリアが終わっていました。もう少し早く来れば見られたものを、時間が遅くなったがために見られなかったようです。同じ入場料で見られない展示があるのが、なんか悔しくて、美術館を見る気がうせてしまいました。で、帰ろうとした時、なにやら近くからオペラ声が聞こえてきました。それもBGMではなく、なんか生っぽいんですよね。

 どうやら、美術館併設の喫茶店からその声は聞こえてくるようでした。

 続きはまた明日。


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2019年12月24日

プロをナメちゃいけない

 歌とかフルートとかに限らず、音楽を趣味としているオジサンたちの中には、明らかにプロをナメている人たちがいます。人として格下と見下している人もいれば(これは明らかな“職業差別”ですね)、技術的に自分たちの隣の席にいるだけの人として接している人(プロの凄さが分からないんです)もいます。

 あなたは、資産家で上級国民なのかもしれないし、そうでなくても、さぞかし現役時代はご立派な肩書の方だったのかもしれないけれど、今の立場は、ただの音楽愛好家であり、アマチュア音楽家でしかないわけです。相手がいくら年齢的に若かろうと、あるいは芸能人なんて、あなたから見れば社会の外の人であろうと、縁があってご一緒しているプロの方なのです。

 どうして、プロフェッショナルに対する敬意というのもがないのかな?と思うわけです。先達に対するリスペクトの気持ちってないのかしら? いや、無いどころか、むやみに軽く扱って、見下している雰囲気すらあったりします。特にプロの方が、若かったり、女性だったりすると、ほんと、オジサンって、相手を見下すよね。

 なんかイヤだな。他人を見ると、すぐに値踏みをして、マウンティングをし、自分が上に行きたがる人って、人として卑しいと、私は感じてしまうのです。

 いくら若かろうが、相手はプロであり、その技術は一定水準以上あるわけで、それだけでも尊敬に値すると、私は思うんです。

 「誰でも3000時間練習すれば、プロになれるんだ」とか言って、プロなんて大した存在じゃないんだって嘯く人に出会った事がありますが、その言葉を言う前に、まず自分は3000時間練習できたのかい?と尋ねたくなります。その3000時間も自分の人生を費やせる事が尊いわけだし、実際問題、目の前にいるプロの方は3000時間どころか、もっと多くの時間を、人生の大半の時間を捧げた結果、今があるんだと思いますよ。それを3000時間の練習ができていない人が“3000時間うんぬん”と言う事自体、おかしいと思うんです。

 プロの方って、本当はすごく難しい事を、いとも簡単にやってのけちゃう人が多いのです。でも、物事の表面しか見られない人にとっては、その凄い事が簡単な事に感じ、自分じゃ絶対にできないのに、明日にでもできると錯覚して、ナメた発言をする人もいます。ファンタジーの世界にでも生きているのでしょうか? “俺スゲー!”は、異世界のにでも行ってから叫んでください。現実社会は、ファンタジー世界よりも、スポ根の世界に近いんです。汗と涙と努力が必要なんです。

 とは言え、プロの方にもレベルの差があるし、一流のプロもいれば、教育者として立派な方もいる一方、セミプロ(つまりアマチュア)以下の技術しか持っていない人もいるし、演奏力はあっても指導力が皆無の人もいれば、世間知らずだったり、社会的にはほぼクズ同然の人もいるのも事実です。

 アマチュアの人がプロをナメちゃいけないように、同時に、プロの方々はアマチュアにナメられないようにしてください、お願いです。

 一番の問題は、すぐにマウンティングをしたがる、卑しい品性の人たちの存在…なんだと思うけれど、でもそれが人間の本質(ただし欠点)だとも思うので…ああ、難しい難しい。自分と他人を比べても、不幸になれても、幸せにはなれないと思うんだなあ。


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posted by stone at 04:00| Comment(4) | 音楽一般

2019年12月23日

音痴を治す方法

 世の中には“音痴”と陰口を叩かれるタイプの人がいます。まあ、私もかつてはそう言われていたと思うんですが、たぶん、今は音痴じゃないと思うんです。少なくとも“ひどい音痴”ではないと思います。普通に歌が歌えるからね。

 で、音痴の人の特徴は「正しい音階に従って歌が歌えない」です。この場合の音階は、相対的なものであって、絶対音で歌えないといけないというほどシビアな話ではありません。オリジナルと調性は違っていても、相対的に正しい音階で歌が歌えれば、その人は音痴でないとみなされます。

 つまり「ドーレーミー」と歌っても、ドとレの音程幅、レとミの音程幅が、正しい音程幅とは違うために、なんとも落ち着きの悪い印象を聞いている人に与える…というのが音痴の症状です。もちろん、本人は正しい音階で歌っているつもりだし、本人の中にあるイメージも正しいのですが、なぜか歌うとイメージとは違っているわけです。

 往々にして、音痴の人は正しい音階を用いて歌えていると思っている事が多いので、自分が音痴である事に気づいていない事もあり、音痴の矯正はなかなか難しいものがあります。

 そんな音痴をどうやって治すか…なのですが、まず、音痴には二種類の音痴がいると私は考えます。感音性の音痴と、運動性の音痴です。数的には、感音性音痴はごく少数で、大半の音痴は運動性音痴です。

 そのうち、感音性の音痴に関しては、治すことは無理だろうと思ってます。感音性の音痴の人は、一般的には耳が悪いと思われていますが、実は脳に障害があるケースが多く、耳で聞いた音から作られるイメージが、その他大勢の我々のような人たちが作るイメージとは極端に違うイメージを作ってしまうという特徴があり、その実、感音性音痴は、感音性難聴の1パターンに相当すると考えられます。

 つまり、聞いた音が頭の中で歪んで認知されてしまうタイプの人で、人数的にもごく少数だと思われますし、今回はこの人達の事は横に置いて論を進めます。

 さて、音痴の大半を占める運動性音痴の話に参りましょう。

 よく、音痴の人は、耳が悪いとか、音感が無いとか言われがちですし、聴音系の訓練をして音痴を治そうとしますが、それってあまり結果が良くないじゃないですか? と言うのも、そういう訓練って、数的に少ない感音性音痴の方々の治療には必要かもしれませんが、絶対的多数を占める運動性音痴には意味のない事なんです。

 と言うのも、運動性音痴の人って、耳が悪いわけじゃないんです。では彼らの場合は、何が問題なのかといえば、単純に“不器用”なんです。ほら、走ると足がもつれて転ぶとか、ボールを投げると足元に落としてしまう人っているでしょ? あれの歌バージョンが運動性音痴なんです。

 だから、運動性音痴を治すのは、実は簡単なんです。不器用な事を前提として、丁寧にカラダの動かし方を学んで不器用を克服するだけなのです。つまり、音痴に関して言えば、正しい発声を学べば、それで音痴は解決するのです。

 そもそも音痴の人は、ドを発声しようと思っても、不器用なために、声がドに当たらずに上に下に外してしまうだけなんです。自分の中で持っているドのイメージは正しいので、自分では正しく歌っているつもりなんですが、不器用なために、声が外れ続けてしまい、聞いている人には音痴に聞こえるってわけです。

 「自分で歌っていて、音が外れている事が分からないのか?」

 極端にハズレていれば、流石に本人にも分かりますが、微妙に外れている場合(多くの音痴の歌は、微妙にハズレていることの積み重ねであんなひどい歌になるのです)案外、本人には分からないものです。声って、自分が聞いている声と他人が聞いている声って違うし、本人は他人ほど冷静に正しくは自分の歌は聴けないんですね。

 というわけで、音痴は正しい発声方法を学ぶ事で治ります。ただ、自分の声は自分では分かりませんので、独学で音痴を治すのは至難の業であり、必ず第三者の耳が必要です。もっとも、最近はチューナーというものがあり、スマホのアプリにもチューナーアプリがありますから、そういうモノを使えば、独学で音痴が治るかもしれません(私には分かりません)。

 とにかく、音痴は治ります。諦めてはいけないのです。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 声楽のエッセイ

2019年12月22日

昔は映画なんて、2〜3本立てが当たり前だった

 私は、今も昔も、映画をよく見る人なんだと思います。

 映画って、比較的安価で手軽なレジャーだし、ずっと、映画館が近所にある環境で生活をしていたので、それもあって映画をよく見ていたのだと思います。

 一時期、ちょうど私の青年期(単館の映画館が廃れ、シネコンの映画館が出来始める、その端境期)に、近所の映画館が一斉に廃業してしまい、気軽に映画が見られなくなった時を除いて、ほんと、コンスタントに年に数本の映画を見てきました。

 そんなわけで、今昔の映画鑑賞環境を比較してみると、あれこれ実に多くの点で異なっている事に気づきました。たぶん、今の若い人には想像付かない事だらけだろうなあ…。

 昔の映画館では、入場料さえ支払えば、追い出される事なく、いつまでも映画館にいられました。だから、朝、映画館に入場して、夜まで、好きな映画をずっと見ることだって出来ました。何度だって、何時間だって、映画を見れたんですよ。

 また、映画館って、好きな時に入場し、好きな時に退場できるモノでした。指定席があるのは、都会の大劇場だけで、地方の映画館なんて、全席自由、立ち見もオーケー…ってか、人気作は、基本的に立ち見ですね。私なんて、いつもいつも立ち見で映画を見てました(涙)。

 映画館への出入りが自由なので、当然ですが、映画を始めから見る…という発想はありません。映画とは、物語の途中から見るものなのです。途中から見始めて、最後のオチまで見たら、次の回で最初から見て、最初に見始めたところまで見たら、劇場を出る…というわけで、オチを知りながら、冒頭部を見るという、推理モノなんかだと、台無しな鑑賞をしていたわけです。

 映画館への入場料は、今と変わりありませんが、今は映画って、基本的に1本しか見られませんが、当時は、普通に2本立て、3本立てでしたから、映画館に行けば、映画を2つ、3つ見られたわけです。

 例えば、寅さん映画(「男はつらいよ」)は、いつもドリフターズの映画と同時上映でしたし、洋画だと、私の記憶に残っているヤツで言いますと「ジョーズ」と「タワーリングインフェルノ」が同時上映でしたし、「かもめのジョナサン」と「華麗なるギャツビー(旧作の方ね)」も同時上映でした。なので、映画館に映画を見に行くと、半日が終わってしまったんです。

 それなのに、いつしか映画館では指定席が当たり前になり、映画も一本しか見られなくなった時、なんか損した気分になったものです。「これって、実質上の値上げじゃん」って思ったものでした。

 また、映画って、地域や地方によって、上映時期が違いました。大体、テレビや新聞で宣伝するような映画は、まずは東京で上映して、それから1〜2ヶ月してから、地方にやってきました。その地方の中でも順番があって、私が住んでいる市はいつも後回しで、まずは隣町の映画館での上映が終わってから、やってきたものです。なので、映画って、封切り(昔は映画の初日をそう呼んでいました)から半年ぐらいの間は、日本のどこかでやっていたので、見逃した映画は、まだやっている映画館を探し出して見る事ができました。

 そういう情報は、当時はインターネットなんてありませんでしたから、雑誌(「ぴあ」です)からの情報で探していたんですね。

 実際、ウチの近所の映画館って、東京と比べると、話題作はだいたい2ヶ月遅れ、そんなに話題になっていないような映画だと、半年遅れが普通でした。今じゃ、日本全国同じ日に上映するどころか、ハリウッド映画なのに、アメリカ本国よりも上映が早かったりするのを見ると、ほんと、別世界なんですよ。

 ちなみに、当時の洋画だと、東京であっても、だいたい本国から半年遅れで上映していました。アメリカではクリスマス映画を、日本ではお盆に上映する…のが当たり前でした。なので、アメリカ(たいていハワイ)に行って、一足先に洋画の話題作を見てくるというマニアの方もいました。

 実は米軍キャンプ内の映画館は、アメリカ本土と同じスケジュールで映画をやっていたので、話題作を日本の映画館よりも半年ほど早く上映していましたが、キャンプの中に入るには手づるが必要だったので、私のような庶民には無理な話なので、おとなしく指を咥えて半年待っていました。

 そうそう、洋画は字幕が当たり前で、吹き替え版は、ディズニーなどの子供向け映画を除けば、映画館ではやっていませんでした。その字幕も、昔は手書き文字だったし、画面の右端に縦書きで書かれていたんだよ。なので、字幕を見ていると、画面を見損なったりもしていました。

 あの頃は、テレビでも毎日のように映画を放送していました。で、テレビで放送する映画は、すべて日本語吹き替えだったんです。なので、映画館で洋画を見ると字幕版で見るので、自然と「字幕で映画を見るのは映画エリートで、吹き替えで見るのは映画庶民」なんていう感覚が芽生えたものです。

 あと、テレビで放送される映画って、基本的にカットされて、放送されたものです。カットというのは、映画の一部を省略されちゃうって事です。主に放送時間の都合ですが、それもあって、映画館で映画を見る人は、カット無しで見られる映画貴族だー!みたいな感覚も有ったり無かったりしていました。

 また、昔はビデオが無かった事もあって、名画座と呼ばれる、旧作ばかりを上映するタイプの映画館があって、そういう映画館では、普通の映画館の半額程度の入場料で、映画を見ることができました。それも、3〜5本立てでした。半日どころか、一日がかりで映画鑑賞をするんです。大学生の頃は、そういう名画座に通って、浴びるほど映画を見たものです。

 ほんと、映画を見る環境は、今と昔じゃ、大違いでしょ?

蛇足 う言えば、昔の映画館って、どこも臭かったよなあ。ほのかに、トイレの消臭剤の匂いがしたものです。あと、映画のおともは、ポップコーンじゃなくてお煎餅だったよね。


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posted by stone at 04:00| Comment(2) | ダイエット&エッセイ

2019年12月21日

シズカとルデンの見分けが、ちょっと難しくなってきた

 たとえ赤くて大きな金魚であっても、シズカは琉金、ルデンはランチュウっぽい体型の雑種金魚。顔の形も、体型も、尾の形も、ヒレの長さも、全部全部違うのですが、それでも同じくらいの大きさの同じような赤い金魚なので、パッと見で間違えてしまう事があります。

 ルデンの後ろ姿を見てシズカだと思ってしまったり、ヤヨイと並んで沈んでいたルデンをシズカだと思ってしまったり…と、ルデンをシズカだと見間違える事がたびたび起こるようになりました。

 ちなみに、シズカをルデンと見間違えた事は、まだ無いのですが、ルデンをシズカとは、見間違えてしまうのです(笑)。

 似ていないはずの二匹なんですが、なぜか見間違えてしまうのです。やはり、大きさと色は、個体識別の大きなヒントなんだろうなあ…。

 ルデンは、我が家に来た時は、全然赤くなくて、金色〜飴色の金魚だったんだよね。それがいつの間にか、シズカ同様の赤い金魚になりやがって…そんな話、聞いてないよぉ。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 金魚

2019年12月20日

練習風景を録音録画してみよう

 私がごくたまにやっている“練習風景を録音録画してみる”事について書いてみたいと思います。

 私、たまに自分の練習の様子を録音してます。んで、その直後に確認のために聞いて、自分でダメ出しをします。本当は、録画の方がいいんだろうけれど、録音の方が手軽なので、ついつい録音で済ませてしまう私だったりします。

 録音方法は…スマホで録音。ああ、簡単。スマホなら再生も簡単だし、イヤホンを使えば、自分しか再生音は聞けないし、ああ、ほんと便利でお手軽。で、聞き終わったら、すぐさま削除(笑)。保存はしません。あくまで、練習の確認用なんです。

 そんな感じで、たまに自分の練習風景を録音しています。録音しているのは、主にフルートの練習です。フルートって、演奏している時、本当に必死になっていますので、自分の演奏を聞きながら演奏するなんて、心の余裕が(少なくとも私には)無いので、録音が必要なんです。

 録音を聞くと、色々分かります。演奏の間違いが分かるのは当然として、正しく演奏できていたと思っていたのに、録音を聞くと、音色が良くない部分とか、リズムの甘さとか、テンポの不安定さとか、演奏中は気にもしなかった欠点が、よく分かります。

 まずは自分の欠点を知る事。欠点を知る事ができれば、それを改善するチャンスが生まれ、上達する可能性が増えます。

 音楽を学んでいる以上、やっぱり、上達したいからね。でも、やみくもに演奏していても上達はできないわけです。その点、録音録画して、自分の欠点を知った上で、そこに集中して練習していけば、確実に上達できるわけです。

 という訳で、練習風景を録音録画するのって、良いですよ。

蛇足 じゃあ声楽はどうしているのかと言うと、姿見の鏡に向かって歌っています。歌の場合は、フルートほど必死ではないので、歌いながら、自分の声や歌を聞いたり、自分の様子を観察したりする余裕があるので、鏡に向かって歌い、鏡に反射される自分の声や姿でリアルタイムチェックをしているわけです。もちろん、これはある程度暗譜してからの話…だけどね(汗)。

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posted by stone at 04:00| Comment(2) | フルートのエッセイ

2019年12月19日

私はなぜ合唱で歌えないのか?

 歌が下手だから(笑)。

 まあ、その通りなんだけれど、この一言で終わってしまったら、話は進まないし、私自身の改善にもつながらないので、もう少し掘ってみます。

 下手は下手なんだけれど、具体的に何が下手でダメなのか? 

 音程…? 確かに私は音程が甘い事が多いけれど、合唱やっている人がみんながみんな音程がビッシリしているのかと言えば、案外、甘い音程で歌っている人もいるので、音程が主たる下手な原因とは言えないだろうと思います。

 ただ、音程が甘い人には2つのタイプがあって、一つは発声が悪いために音程が甘いタイプの人であり、もうひとつは耳が(音楽的に)悪くて周囲の音を聞いていないタイプの2つがあると思います。

 私の場合は…まあ、発声が悪いよね。こちらが主な原因だとは思うけれど、周囲の音をちゃんと聞いていない時も無いわけじゃありません。っていうか、正直に言うと、自分が歌っちゃうと自分の声がうるさくて、周囲の声が聞こえないんだよね。ピアノの音とかは、声とはだいぶ音質が違うので聞けるけれど、人の歌声って…特に低い声って聞こえないんだよね。

 で、周りの声を頑張って聞いちゃうと…高い声がよく聞こえ、そこに合わせようと(無意識に)すると、テノールなのにソプラノのパートを1オクターブ低く歌っちゃうという事をやっちゃいます。ダメじゃん。耳悪すぎ。だから、合唱できないんだよなあ。

 後は…音量…? これだね、これこれ。私が間違えると合唱団全体が間違えたように聞こえるからダメ…と以前、某指導者に言われた事があります。確かに私、音量は大きいわな。それも極めて、驚くほどに大きいです。だからと言って、本人は大声出している自覚はなく、単純に音量のデフォルト値が大きいだけなのです。だから、音量を絞って歌えればいいんだけれど、問題は音量を絞って歌うのは、とても難しいのです。周囲の人が私くらいの音量で歌ってくれれば問題ないんだけれど、そんな事はリアルな場ではなかなか言えません。

 音量を抑えて歌うのが下手…まあ、そうなんですね。これは、ほんと下手。大きな声で何も考えずに歌うのが気持ちいいし、楽なんです。だから、合唱ができない。

 あと、音量の大きさは、声量の大きさだけが問題ではないと思います。声質の問題も若干あるかなって思います。つまり、同じ声量でも、大きく突き抜けて聞こえる声と、ぼやっと拡散して聞こえる声があるわけで、私の声はどうやら(かっこよく言うと)レーザービームのように、ピヤーと合唱団を突き抜けて聞こえちゃうそうなのです。

 元々の声質が硬くて密度があるんだろうと思います。でも、それは元々の声の話であって、それを柔らかくてふわっと発声できれば、特に問題はないんだろうと思うのだけれど、問題は、そういう柔らかい声で歌うのは、とても難しいのです。

 柔らかい声(=美声…ですね)で歌うのが下手…まあ、そうなんですね。これは、ほんと下手。持っている声を、何も飾らずに、そのままの声で歌うのが気持ちいいし、楽なんです。だから、合唱ができない。

 というわけで“発声が悪い”“耳が悪い”“音量を抑えて歌えない”“柔らかい声で歌えない”という四重難のために、合唱ができない私でした。ダメじゃん、全くダメじゃん。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 合唱

2019年12月18日

私は独学を信用していない

 私は独学を信用していません。いや、話を一般化するのは、よくありません。正直に言えば「私は、私が独学で学ぶ事を全く信用も期待もしていません。それはただの時間の無駄遣いですらある」と思っているわけです。

 実際、私は、私に関する限り、独学でろくな結果を得られていません。

 今まで私は、独学で色々な事を学ぼうとしてきました。例えば、語学で言えば、フランス語やドイツ語です。先生について学んだ、英語や中国語から比べると、独学で学んだフランス語やドイツ語は、全くお話になりません。音楽でも、ギターやピアノは独学ですが、先生について学んでいる声楽やフルートと比べると、雲泥の差です。

 なぜ、そんな事になってしまうのか?

 一つには、独学だと長続きしないからです。なぜ長続きしないのかというと、飽きてしまうからです。なぜ飽きてしまうのかと言えば…私は基本的に飽きっぽい人間だからです(涙)。飽きてしまえば、誰も励ましてくれないので、長続きせず、やがて自然消滅してしまうのが、独学なのです。で、自然消滅してしまうので、上達する間もなく、やらなくなってしまうです。

 また、熱心に学んでいる時ですから、大した進歩はしません。と言うのも、私は飽きっぽいのに粘着質な傾向があり(例えば)練習曲をやっていると、いつまでも同じ曲をずっとやり続けてしまいます。なんか、納得できないんですよね。おそらく、先生について学んでいれば「そのくらい出来ていればいいです。次の曲に行きましょう」って言ってもらえるんでしょうが、独学だと自分が納得しなければ次の曲には行けず、その結果、いつまでもいつまでもかなり長い間、同じ曲ばかり練習してしまい、全然先に進めないのです。つまり、停滞しまくりで上達できない…ってわけです。

 あと、当然ですが、独学をしている私自身は素人です。語学であれ楽器であれ何であれ、今現在学んでいる事に関するノウハウは持っていません。正しいやり方なんて知りません。手本も無いので、何が正解なのか分からないまま、学び続けていきます。

 その結果、変な癖がついてしまったり、間違ったモノを身に着けてしまったり、堂々巡りの挙げ句、正解にたどり着けない事だってありますし、そういう間違った状態になっても、自分が間違っている事に気がつかない事だってあるわけです。勉強で言えば、正解が分からないのに、ただただ問題集を解きまくるようなもので、正解を知らないので、答え合わせができないのに、ただただ問題集を解きまくっているわけで、そんなの勉強じゃないし、学力なんて付かないよね。

 まあ、音楽の場合は、音源があったりするので、一応正解を聞けるけれど、音源がない課題だってあるし、語学、とりわけ会話ともなると、正解なんて合って無いようなもので、自分の答えが正しいかどうかが分からないわけです。

 さらに言うと、独学の場合、今現在の課題と言うか、克服すべき問題、身につけるべきテクニックが何なのか、それが分からないままで、五里霧中で歩いているような感じがあります。教則本を買ってきて、教則本に従って練習していても、今やっている練習曲では、どんな点に注意して学び、何を習得するべきなのか、知らないまま練習していたりするんです。自分が何を学んでいるのか意識できないため、上達も遅くなるし、つまらないどうでも良いことにこだわってしまい、全然前に進めません。

 さらに、独学だと自分のミスに気がつくことができないので、ミスがミスのまま放置され、いつまでたっても上達しません。特に、無意識の癖を修正するのは独学では難しいですし、変な癖も自分で気が付かないので、間違ったまま定着してしまいます。

 このように、独学ってのは、ろくなもんじゃないし、私の場合は、全然身についてません。時間の浪費と言われても否定できないところが悔しいです。

 とは言え、独学にも良い点はあります。

 例えば、極めて安価な事です。何しろ、指導者への謝礼がありませんし、教室に通う交通費もかかりません。お金は命の次に大切ですから、安価なのは、それだけで正義です。

 また地方在住者にとって、現実的な選択肢として、独学しかない場合もあります。と言うのも、地方には先生がいない事が普通だからです。先生について学びたいと思っても、先生が近所…少なくとも通える範囲にいないと、先生について学ぶことはできません。まあ、飛行機に乗ったり、長距離バスに乗ったりして、都会の先生の元に通って学ぶ…というのもアリですが、やはりそれは特殊な例で、ごく普通のオトナの習い事レベルではありえないです。そうなると、自然と独学で学ぶって事になるわけです。

 私には独学は無理です。性格的に無理ですが、独学でも学べる人には、独学は一つの学習行為として、それなりに有効なのだろうと思います。

 でもやっぱり、私には無理だな。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 音楽一般

2019年12月17日

私の声は駅のアナウンスみたい?

 声楽のレッスンの続きです。

 フィッシャー=ディースカウの歌唱をお手本として学んでいく事にはしましたが、それとは別に、あれこれテクニック的な注意も受けました。

 まずは子音と母音の処理について。子音も母音も両方とも、イタリア語の曲を歌う時よりも、もっとエネルギッシュに処理をしていくようにしましょう。子音も今以上に立てるように歌い、母音もイタリア語以上にレガートにつなげて歌っていきましょう。

 ドイツ語の曲と言うと、ゴツゴツと歌っていくようなイメージがありますが、ゴツゴツではいけません。だからと言って、なめらかになりすぎてはいけません。難しいですね。そこが上手にできるようになったら、ドイツ語のさばき方にも慣れてきたって言えるんでしょう。

 さて、次の曲は、ドニゼッティ作曲「ドン・パスクワーレ」のテノールアリア「Sogno soave e casto/青春の甘く清らかな夢よ」です。こっちはイタリア歌曲なので、思いっきりのびのびと歌わせてもらいました。

 声を握り過ぎていると言われました。そういう歌い方も当然あるのだけれど、声を握って歌い続けるのは、かなりハードだし、声にもノドにも負担が掛かっていくので、なるべく声を離すように歌った方が楽だよと言われました。言い方はちょっと良くないのですが、もっと“歌い飛ばす感じ”で歌っていくべきなんだそうです。(だからと言って、本当に歌い飛ばしてはいけないのです)

 声をもっと離すのはもちろんだけれど、ほんの少しの休符であっても、常に声の立て直しを考えていくようにするべきだし、実際、曲の途中で何度も声をリセットして歌わないとダメなんだそうです。特にこの曲のように、音程の平均値が高い曲は、リセットしていかないと、歌っているうちに、やがてノドが締まってしまうのです。それは怖いですね。

 あと、声は無駄に張らない事。声は張らなくても十分聞こえるんだから、張らない事。かっこよく歌おうとしない事。

 声のチェンジについて注意されました。実は私、声のチェンジについては全く意識していません。無意識にあっちこっちでチェンジをしているようなのですが、先生から「必然性のあるチェンジは良いけれど、自分が楽をするためのチェンジはダメです」と言われました。

 クラシック声楽の理想としては、声をチェンジする事なく、どこまでも同じ音色で歌っていくわけですが、それは無理なので、歌手はメロディの中で意図的に声をチェンジして歌唱効果を上げていく(らしい)のです。まあ、私はまだまだそんな段階の歌手ではないので、なるべく声が変わらないように心がけて歌っているのですが、どうも無意識で声をチェンジして歌っているようなのです。

 数カ所、声がチェンジしている箇所があるようなのです。で、効果を上げているチェンジ箇所に関しては、そのまま歌うのが良いのですが、どうも楽をするためにチェンジをしているのではないかと思われる箇所も数箇所あるそうなのです。

 言われてみれば、確かに数カ所で…楽をするため?に、声の出し方を変えているかもしれません。ただ、私的には“楽をするため”ではなく“確実に音程を掴むため”に発声を工夫しているんだけれどなあ…。それを第三者的には楽をしているように見えるのかな?

 とにかく、なるべく声のチェンジはコントロールをして、意識的に効果的に行うようにしていきたいと思うし、楽をするために…と思われている箇所については、チェンジせずに歌えるように頑張っていきたいと思います。

 で、ここからは雑談なんだけれど、先日、知り合いから歌っている時の私の声がまるで“駅の構内アナウンスの声のようだ”と言われました。これって褒められているのかな? Y先生にも相談してみたんだけれど、先生もちょっと分からなかったようです。

 私も先生も、駅のアナウンスと言えば、昔風の鼻にかかった特別な声をイメージしたので、私の声が鼻にかかりすぎた鼻声になって歌っていると言われた(つまり、悪声ですね)のではないかと、ちょっぴりしょげたのですが、妻が言うには「最近の駅のアナウンスは、昔と違って美声だよね。褒められたんじゃないの?」と言います。

 さて、どっちだろ?


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2019年12月16日

フィッシャー=ディースカウを知らないなんて、私もモグリだな

 声楽のレッスンに行ってきました。

 まずはハミング練習からです。声を直に前に出さないように言われました。そのために、もっとクチの奥を開くように注意されました。

 次は発声練習です。出ないほどの高音になったら、素直に諦める事が大切です。出そうもないからと言って、無理矢理に力づくで声を出すのは、一番ダメなやり方です。声は常に、開いて伸ばして支えて出す。それで出なければ、素直に諦める。力づくの声で歌うぐらいならば、声がひっくり返ってしまった方がマシなのです。どうも、私は声をひっくり返す事を無意識で回避してしまう傾向があり、ちょっとでも声が不安定になると、ノドに力が入って無理矢理に声を出そうとしてしまうようなのです。まだまだダメなんだな。

 さて、久しぶりのシューベルトです。「美しき水車小屋の娘」の2曲目の「Wohin?/どこへ?」です。

 まず注意されたのは、シューベルトの歌曲は、ヴェルディのアリアのような歌い方で歌ってはいけませんという事です。スタイルが違うんです。イタリアオペラにはイタリアオペラのスタイルがあり、ドイツ歌曲にはドイツ歌曲のスタイルがあるのです。それぞれの曲にふさわしいスタイルで歌うのが当然だし、それを尊重するべきなのです。

 もちろん、ドイツ歌曲をイタリアオペラ風に歌うというやり方がないわけではありませんが、今の私はドイツ歌曲を学んでいるわけですから、学びの過程では、ドイツ歌曲を学ぶと同時に、ドイツ歌曲のスタイルも学んでいるわけですから、好き嫌いは関係なく、ドイツスタイルで歌曲を歌えるようにしないといけません。

 イタリアオペラとドイツ歌曲のスタイルの違いを簡単に言えば、豪快さと繊細さなんです。イタリアオペラは豪快なんです。派手なんです、パワフルなんで、声をみせびらかすのです。一方、ドイツ歌曲は繊細なんです。緻密なんです、優雅なんです、語るように歌うのです。

 ちなみに、私を含めて、一般的にテノール歌手は(プロ・アマ問わず)ドイツ歌曲を歌い過ぎる傾向があるそうです。ドイツ生まれのドイツ人歌手がそれをやるならば、良しとされるのかもしれないけれど、日本人歌手が日本でドイツ歌曲を歌うならば、歌い過ぎは良くは受け取られないのです。日本人歌手が日本でドイツ歌曲を歌うならば、語るように歌わないと、ドイツ歌曲を歌ったとは思われないのです。

 …まあ、客の側の立場になった時、その感覚は分からないでもないです。それが正しいのかどうかは私には分かりませんが、たしかにそういう傾向がある事は、なんとなく感じます。

 そのために、歌い過ぎずに、もっと語りの方に足を突っ込んで歌うようにしないといけないのです。

 その際にお手本となる歌唱が…日本のクラオタなら誰もが大好きな、フィッシャー=ディースカウの歌唱なんだそうです。逆な言い方をすれば、日本においてドイツ歌曲を歌うならば、フィッシャー=ディースカウのスタイルで歌わないと、許されないというわけです。

 フルトヴェングラーの「第九」とフィッシャー=ディースカウの「シューベルト歌曲」は、日本じゃスタンダード…と言うか、ほぼ憲法みたいなもんだもんなあ…。

 という訳で、私はこの曲をフィッシャー=ディースカウがどう歌っているのかを思い出そうとしましたが…全然思い出せませんでした。そりゃあ思い出せないはずです。私、フィッシャー=ディースカウのディスクは結構持っておりますが「美しき水車小屋の娘」だけは持っていないし、聞いた事無いんですね。おそらく「“水車小屋”はテノールの曲だからなあ…」とでも思って、フィッシャー=ディースカウに限らず、バリトンさんの歌唱は避けたんだと思います。

 勉強のためです。さっそく購入しました。


 聞いてみましたよ。で、正直に告白すると、私、フィッシャー=ディースカウとムーアの共演盤が二種類あるとは知らなかったのよ(汗)。なので、私が購入したのは、有名じゃない方の録音です。これから買う人は、以下の方が定番なので、こちらをおすすめです。


 ちなみにYou Tubeの音源的に言えば、これ(有名じゃない方ね)になります。


 そうね、こういう風に歌うのが理想なんだね。確かに私がイメージし志向する歌とは全然違います。そりゃあ注意もされるよね。ただ、フィッシャー=ディースカウは、昔のドイツ語で歌っているよね。たぶん、多くの日本人も古いドイツ語で歌うから、この音源が参考になるんだろうけれど、私は今のドイツ語で歌っているから、あっちこっち発音が違うんだよなあ。そこらへんが私の私の課題かな?(でも、昔のドイツ語で歌う気には全然ならないのだけれどね)。

 彼の真似は…能力的に到底できませんが、これを一つのゴールと見据えて、少しでも近づけて歌えるように気を使っていきたいと思います。


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2019年12月15日

ワンピース、スター・ウォーズ、風の谷のナウシカ

 えっと、これは何かと言えば、最近話題になった新作歌舞伎の話です。

 新作歌舞伎って、毀誉褒貶が激しいですね、特にこの手のたぐいは…ね。

 まあ、ワンピースにせよ、スター・ウォーズにせよ、風の谷のナウシカにせよ、それぞれの作品には熱狂的なファンがいるわけで、そういうファンの目から見たら、これらの歌舞伎化と言うのは、なかなか受け入れがたいものがあるのかもしれません…ってか、彼らの目で見れば、歌舞伎にしちゃったら、ゲテモノにしか思えない…というのが正直な感想でしょうね。

 ちなみに、スターウォーズは、すでに公演が終了しているし、配信も終了しているので、DVD化でもされない限り、もはや見ることはできません(でも版権持っているのはディズニーなので難しいかも…)が、ワンピースは収録された映像が、今でもたまに松竹系の映画館で上映されていますので、チャンスがあれば見ることが出来ますし、風の谷のナウシカに至っては、現在、新橋演舞場で上演中なので、チケットさえ入手できれば見に行けます(そのチケット入手がかなり困難ですが…)。

 ちなみに私は、どれもこれも見てません。見たくないわけではないのだけれど、見てません。そもそもワンピースは物語そのものをよく知らないので(私はワンピース世代じゃないんですよ)触手が動かないのですが、スター・ウォーズとナウシカは、チャンスがあったら見たいと思ってます。ナウシカに関しては、その映像が来年(2020年)の2月に映画館で上映される予定なので、ぜひ見に行きたいと思ってます。

 というわけで、見たこともないのに語ってしまいますが、私はこれらの新作歌舞伎に関しては、割と賛成の立場の人です。どんどんやれば良いと思ってます。

 もちろん、これらの作品の歌舞伎化は、見ようによっては、ゲテモノ化、バチモノ化と感じられるかもしれませんが、歌舞伎の歴史の中では、世間で流行った事件とか、他のジャンルでヒットした作品の歌舞伎化なんてのは、江戸の昔から行われているわけで、それらの中から、つまらないモノはドンドン消えていき、良い出来の作品だけが生き残って、今に伝わっているわけです。

 だから、ワンピースにせよ、スター・ウォーズにせよ、ナウシカにせよ、つまらなければ、やがてお蔵に入って消えて無くなってしまうし、出来が良ければ、何度も何度も上演されて、やがて定番歌舞伎の1つになっていくと思います。

 なので、こういった試みは、ドンドンやっていけばいいのです。良ければ、再演していくわけだしね。

 実際、初音ミクの歌舞伎出演は、今年(2019年)で3年連続になったそうです。昨年までは、ニコニコでやっていたそうだけれど、3年めの今年は大阪の南座(本格的じゃん)で上演したそうですよ(上演ね、上映じゃないよ)。来年上演するかは、まだニュースになってませんが、大阪でやったんだから、そのうち東京でやるんじゃないかしら? それこそ、オリンピックの時期に東京でやったら、外国人に大受けするだろうし。

 このように、良いもの、面白いものは、何度も上演されるんです。だから、ワンピースにせよ、スター・ウォーズにせよ、ナウシカにせよ、その他の今どきの作品だって、ドンドン歌舞伎化して上演していけばいいのだと、私は思うんです。

蛇足 アニメの歌舞伎化と言えば、私は個人的には、ドラゴンボールの歌舞伎化を見てみたいです。すっごくゲテモノ感が漂う出来になるだろうけれど、案外面白いじゃないかなとも思います。

蛇足2 昔の時代劇の名作を歌舞伎にするのは、あんまり無理がないんじゃないかしら? 例えば、銭形平次とか、遠山の金さんとか、水戸黄門なんて、歌舞伎にしても、全然違和感ないと思うんだよね。必殺仕事人なんて、歌舞伎にしたら、面白いと思うんだよなあ…。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 歌舞伎

2019年12月14日

たぶんベルは、寝相が悪いんだと思います

 以前にも書きましたが、ベルの調子が悪そうです。一日の半分近くの時間は死んだ魚ように、腹を上にして水面に微動だにせずに、浮かんでいます。パッと見たところ、死んでしまったのではないかと思うほどですし、実際、仮死状態なのではないかとも思います。

 それでもよくよく観察を続けていると、ベルがそんな状態の時は、寝ている時か、休息している時なんですね。他の子たちは、寝ていても、休息していても、きちんと正立しているのですが、ベルはそれができずに、腹を上にして水面に浮かんじゃうんです。

 軽度の転覆病なのかもしれません。

 それでも意識がしっかりして、泳いでいる時は、ごく普通の金魚なのですよ。ですから、エサを食べている時とかは、他の子たちと追いかけっこをしている時は、ごくごく普通の状態なのです。

 オンとオフで考えるならば、オフの状態がダメっぽいんですね。ですから、人間で言えば“寝相が悪い”状態なんだと思います。もちろん、この寝相が悪い事自体が病気の証拠であって、楽観視はできないのですが…。

 とりあえず、現在の状態を保つ事ができれば、見た目は心配ですし、健康とは言えませんが、すぐに生命の危険があるという状態ではないようです。

 転覆病…不治の病なんだよね。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 金魚

2019年12月13日

たぶん、私はベートーヴェンとは縁がないのかもしれないけれど、それはそれでいいやと思ってます

 フルートのレッスンに行ってきました。

 まずはロングトーン練習です。今回は実に実にいい感じでした。まあ、続けてレッスンに来ているしね。やっぱり継続は力だよな。

 エルステユーブンゲンは、いつものとおり。25番と26番ですが…ちょっぴり下手になってました。毎週吹いているのに、毎回、初見演奏の気分です。ダメだ、こりゃ。

 旋律的練習曲は4番ですが、今回はトリル部分に最大限の神経を使って演奏したところ、やっと合格をいただきました。いやあ、長かったなあ。次は5番だけれど…ええと、これは六十四分音符ですか? そんな細かい音符、吹いたこと無いよ? その上、十六分音符の三連符? どうリズムを取れば、ええのん?

 4/4拍子の曲だけれど、先生からは8ビートで数えないと吹けないよと言われました。つまり、四拍子ではなく、八分音符を1拍として数えて、八拍子の曲として演奏してねってところです。八分音符を1拍にしたところで、それでもまだまだリズムが細かくて、即座に対応できそうもないなあ。こりゃあ、かなり練習…ってか、譜読みをしっかりしないと吹けないだろうなあ。

 40リトルピーセズは31番のアレグロです。ハイドンの曲は、吹きやすくて好きです。もう少し吹き込んでおけば、おそらく、そう時間を掛けずに完成しそうです。今はまだ吹き込みが足りなくて、つまらないミスをしてしまいます。残念。

 今日の雑談は、ベートーヴェンにしても、ブラームスにしても、ロマン派音楽の大家と呼ばれるような作曲家は、フルートの曲は書いていないって話です。

 フルートの曲は書いていないけれど、オーケストラの中のフルートは、絶妙に美しいのです。つまり、ロマン派の音楽をフルートで堪能したけれりゃ、オーケストラ・プレイヤーになるしかないのだよ…というわけで、そりゃあ、私のようなアマチュアの爺さんには無縁な話なのです。

 オーケストラの中でフルートを吹く…って、あまりにハードルが高すぎますね。もちろん、我々のような素人がオケで吹くとなると、当然、アマオケになるわけだけれど、アマオケってのは、プロに成れなかった音大卒がウヨウヨいる場所だし、特にフルートの音大卒業率ってのは、梅雨時や台風シーズンの頃の降水確率みたいなもので、かなりの高確率なわけだし、そうでなければ学生オケ出身者がフルートの座席に座っているわけです。諸行無常、私らのような趣味な爺さんの座席など、アマオケにあるわけないのです。

 まあ、実力で座席を獲得するなら、当然、そうなるわけだしね。別に僻みでも嫌味でもなくて、ありのままを語っているだけです。

 なので、ド下手なアマ爺がオケでフルートを吹くなんて、想像すらできない話なわけで、そんな私には、ベートーヴェンやブラームスの素晴らしさなんて、一生分からないんだぜい!と、啖呵を切っちゃいそうな気分になりました。

 つまり、ベートーヴェン(とブラームス)は、憧れるだけで、手が届かない、遠い存在ってわけなのです。

 幸いな事に、私はロマン派の音楽は好きだけれど、ベートーヴェンとかブラームスとかは、あまり好きではないので、そんなにダメージはありません。私が好きなロマン派と言えば、やっぱりワーグナーだよなあ。シューマンだよなあ。ロッシーニだよなあ。彼らもやっぱり、フルートの曲は書いていないけれど(残念)。


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2019年12月12日

アマチュアなら楽しめばいいだけのハナシ

 少し前にもありましたが、老犬ブログには定期的に「この人の演奏(歌唱)は楽譜通りに正しく演奏(歌唱)しているのか」という質問が来ます。

 正直に言えば、私はソルフェージュの先生ではないので、赤の他人の、それもプロの方の演奏(歌唱)に関して、正しいとか正しくないのか、言うべき立場にはありません。そういう質問は、プロの音楽家のブログ等でしてほしいと本音で思ったりします…が、それでも一応、私なりに誠実に対応したいと思い、いつも私見ですが、答えさせてもらっています。

 と言うのも、質問の前提として

 1)私(質問者)は楽譜が読めない。
 2)音楽は耳コピで楽しんでいる。
 3)この演奏(歌唱)は楽譜通りなのか。
     ->私はこの演奏を真似してよいのか?

 となるからです。

 はっきり言ってしまえば、教材用に録音された音源で無い限り、楽譜通りに演奏している演奏家なんて、まずいません。だって、楽譜通りに演奏するなんて、あまりに平凡でしょ? プロの演奏家は自分の演奏が商品です。だから、自分の演奏(歌唱)には、自分の個性を込めて one & only な演奏に仕上げて、他の演奏家の演奏とは差別化を図って販売するわけです。それができなきゃ演奏家として成功しないし、日本に住んでいる我々が耳聞するような演奏家は成功した演奏家ですから、その音源が楽譜通りなんて事は、まずありえないのです。

 だから「この演奏は楽譜通りに正しく演奏されているか」という質問に関しては「正しいか正しくないかで言えば、正しくない」と答えています。

 でも、そんな事は、本音で言えば、どうでもいいと思ってます。

 楽譜通りであろうがなかろうが、その演奏が素晴らしいものなら、音楽鑑賞をする上では、なんの妨げにもならないわけですから、その演奏をそのまま受け入れて、楽しめばいいと思います。

 その演奏をお手本として、それを真似て演奏して、うれしくて楽しくなれたら、その演奏が楽譜通りでなくても、全然構わないのではないでしょうか。

 つまり「楽しければ何でもアリ」なのが、アマチュアの音楽の楽しみ方だと思うからです。それでは楽しくないと思うなら、楽しくなるための方法を探し、それが見つけられれば、それをすればいいし、見つけられなければ、別の楽しいものを探せばいい…と私は思ってます。

 楽譜だって読めた方がいいけれど、別に読めなくても、音楽が楽しめるなら、それでいいと思います。

 ただ、楽譜を読めない事を負い目に感じるなら、それは楽しくない状態にあるわけだから、楽譜が読めるようになればいいだけの話です。楽譜通りに演奏できない事が負い目に感じるなら、それは楽しくない状態にあるわけだから、楽譜通りに演奏すればいいだけの話です。

 クラシック音楽を趣味とするなら、楽譜は読めた方が絶対に楽しみの幅が広がるので、読めるに越したことはありません。でも楽譜が読めなくても、音楽を楽しめないわけではないし、耳コピで演奏できるなら、楽譜は読めなくても、あまり困らないかもしれません。

 そういう事をツラツラと考え合わせてみると、この問題の根底には楽譜コンプレックスがあるのかな?って思います。楽譜コンプレックスとは「楽譜が読めない自分は、なにか間違っているのではないか」って悩み、楽譜が読めない事を負い目に感じている…ってコンプレックスです。

 楽譜が読める読めないなんて、読み書きの問題ですから、勉強すればいいだけの話です。ただ、独学で勉強して楽譜が読めるようになれるかどうかは…私には分かりません。

 私も長い間、ロクに楽譜は読めませんでした。だって、専門教育なんて受けてませんからね。私の音楽教育なんて、義務教育レベルで修了していました。だから楽譜が読めない負い目って、身に覚えのある話なので、分からないでもないんです。

 それがいっぱしに楽譜が読めるようになったのは、フルートのH先生のおかげです。H先生のレッスンを受け、私がロクに楽譜が読めない事に気づいた先生は、ごくごく簡単な楽譜から始めて、フルートを学びながら、楽譜を読めるようにしてくれました。

 たぶん私の場合、独学では楽譜が読めるようにならなかったと思うし、声楽だけやっていても(声楽は耳コピでもどうにかなるので)読めるようにはならなかったと思います。最初にフルートを学んだ、ジャズの笛先生のところでも、楽譜が読めるようになったかは…甚だ疑問です(笛先生は、H先生とは指導方針が真逆で、いかに楽譜から離れた演奏をするかを教えてくれました)。

 なので、楽譜を読めるようになるには、たぶん、きちんと真面目にクラシック系の器楽を勉強しないと難しいのかなあ…って、個人的には思うわけです。

 なんか、話があっちこっちにとっちらかって、ごめんね。


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posted by stone at 04:00| Comment(2) | 音楽一般

2019年12月11日

テレビで楽器の良し悪しが分かるのか?

 時期外れの話題で申し訳ない。またお正月になると放送されるんでしょうが、これは人気テレビ番組「芸能人格付けチェック」を見て、毎度思うことです。

 目隠しで、2〜3種類の販売価格の異なる楽器を聞かせて、どれが高級楽器なのかを当てるゲームをやっているのですが、これ、現場で生音を聞くならともかく、テレビの電波に載せて、果たしてその違いが分かるものなのか…という疑問を毎回持っている私です。

 例えばヴァイオリン。まあ、格付けチェックのたびに出てくる定番楽器なんだけれど、何億円もするヴァイオリンと、10万円〜100万円程度の楽器の2つを聴き比べて、どっちが高級ヴァイオリンかと当てる問題。

 これ、現場なら、割と簡単なんだろうと思います。と言うのも、ヴァイオリンの場合、価格って音量と比例するからです。決して音色と比例するわけじゃないんですね。ヴァイオリンの場合、音色は奏者が好き好きで選べばいいわけです。それこそ、あれこれたくさんの音色をしたヴァイオリンが存在しますからね。

 ヴァイオリンって、実はそんなに音量の大きな楽器ではありません。だからこそ、大きな音が出せる楽器って、高額で取引されるんです。ストラドのような高級楽器は、きちんと弾き込めば、かなり大きな音が出るんです。だから、どちらがストラドか当てろと言われたら、単純に大きな音の楽器を選べばいいんです。

 まあ、奏者が未熟で、楽器本来の音量を引き出せないと困りますが、テレビ局が用意している演奏者なら、きっとそんな事は無いだろうから、大きな音の楽器を選べは良しです。

 だから現場で選ぶのは割と簡単だろうけれど、テレビの場合、放送される音声は調整された上で電波に乗るわけです。どんな調整をされるのかと言えば、音量の平均化です。大きな音はキレイに聞こえるように小さくされ、小さな音ははっきり聞こえるように大きくされ、全体を均一した音場にして、それが電波に載ります。なので、テレビで見ている我々は、ストラドだからと言って、大きな音では聞かせてもらえませんから、楽器の区別はつかないのではないかと思うわけです。

 別にストラドだからと言って、全部が全部、良い音色の楽器とは限らないから、音色で選ぶと失敗しちゃうかもね。ただ、入門用の安いヴァイオリンって、安い音がする(ごめんなさい)ので、安いヴァイオリンの音を知っている人なら、音色で判断できるかもしれないけれど、ヴァイオリンと縁遠い人だと、単純な音色の良し悪しでは、楽器の良し悪しは分からないだろうと思ってます。ちなみに、ヴァイオリンは100万円も出せば、もう十分に良い楽器です。安い音はしないし、モノによってはストラドよりも良い音もするから、なおさら音色で区別するのは難しくなるでしょうね。

 もっと困るのは、秋の特番で出てくるフルートです。フルートの場合は、だいたい三択で、ゴールドフルート、入門用の洋銀フルート、その他のフルートの中から、ゴールドフルートを選べって問題なんです。ちなみに、その他のフルートとして、今年はプラ管フルート、昨年は水道管フルート(!)が取り上げられていました。

 これ、素人さんは、この3つが全然違うモノだと思うんだろうなあって考えるんだろうけれど、実はこの3つって、ほぼほぼ同じなんだよ。フルートって、管体が鳴るわけではなく、管体の中の空気が鳴るわけだから、別に管体が何で作られようと、実はあまり大きな問題ではありません。大切なのは、誰が吹くか…です。フルートは、管の素材の音よりも、奏者の音の方が強い出る楽器なんです。だから、どれを吹いても、その奏者の音が出る…わけです。

 ただ楽器が違うと、奏者にとっての吹きやすさ吹きにくさは段違いです。プロ奏者にとって、一番吹きやすくて鳴らしやすいのは、日頃から吹いているゴールドフルートであって、次は洋銀フルート。おそらくプラ管とか水道管フルートなんて、普段は吹かないでしょうから、よく鳴らせないと思います。

 よく鳴る楽器は音量が大きく、あまり鳴らない楽器は音量が小さいものです。だから、現場で生音を聞けば、朗々と鳴っているのがゴールドフルートで、スカスカした音で鳴っているのがプラ管フルートだったり水道管フルートだったりするわけです。

 そういう意味で、どの楽器がゴールドフルートなのかって、当てられないわけじゃないけれど、これは別に楽器の音色を聞いて判断しているわけではないのです。

 この奏者に十分な練習時間を与えて、プラ管フルートや水道管フルートを十分に鳴らせてもらえば、もう区別をつけるのは難しくなるんじゃないかしら?

 あと、あの番組では、プロ奏者は本当のプロの方を使うので問題ないのですが、アマチュア奏者として、しばしば音大生や音大卒の方を使うのですが、音大生って、時々、下手なプロよりも上手い人もいるので、こういう人をアマチュア代表として使うのは、いかがなものかと、時折思ったりします。とは言え、本当に素人の演奏は…電波に載せられる出来じゃないから仕方ないと言われれば、納得せざるをえません。

 とまあ、ゲームとしては面白いけれど、なかなかテレビ越しには、楽器の良し悪し(ってか、高い安い)は分からないものだと、私は思っているのです。


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posted by stone at 04:00| Comment(2) | 音楽一般

2019年12月10日

高音発声のコツ(2019年12月版)

 昨今、高音Aが常用音域化してきた私です。なので、今現在の高音発声のコツを書いておきたいと思います。これは今現在の私が感じている事なので、将来的に否定するかもしれないし、間違っている事を書いているかもしれませんが、そこんところはご勘弁よろしく。

1)軽く歌う

 とにかく、軽く歌わないといけません。重い声はカッコいいのですが、重い声で高音を出すのは至難の業です。重い声で高い音を歌っている人もいますが、あれは生まれつき、そういう特別仕様の楽器(声帯)を持っているだけの話であって、同じような楽器でも持っていない限り、簡単にマネできるモノではないのです。残念ながら私の楽器は、平凡な楽器なので、重い声のまま高音を歌う事はできません。それを無理無理重い声で歌ったところで、高音は出せないのです。

 ひとまず好き嫌いは横に置いて、自分の楽器の特性に応じた発声をしないといけないのです。

 で、私の場合は、軽く歌う…具体的に言えば“弱音で歌う”です。ボリュームダウンですね。ただ、腹筋での支えはしっかり入れた上での弱音です。これが今までの私が苦手としていた事だったんですね。ここを克服してきた事で、高音が発声できるようになったのではないかと推察しています。

2)ノドはユルユルで

 いわゆる声楽用語で言えば「脱力」ってヤツです。とにかく、力まないで歌います。意識的には「ノドをユルユルにする」感覚です。今までは、高音だと思うと、ついつい無意識にノドに力が入り、声帯がガチガチになっていましたが、それじゃあ百万年経っても高音は発声できないのです。

3)アゴは開く

 アゴは上下に2つあります。下アゴは真下に開く…と言うか、落とします。これは以前から出来ていたと思います。

 もう1つの上アゴは真上に持ち上げます。具体的に言えば、軟口蓋を上に持ち上げるんだと思います。この動作が、最近まで意識的に出来なかった私です。今はようやく神経がつながったようで、上アゴの上げ下げを意識的にできるようになりました。これで高音が発声できるようになったんだと思います。

 ただ、上アゴを持ち上げる動作は、かなりシンドイし、まだまだ疲れがちです。おそらく筋力が不足しているんだろうなあと思います。今後、上アゴの筋トレをして、もっと軽々と上アゴを持ち上げ続けられるようにしたいと思ってます。そうする事で、もっと長時間高音の発声が可能になるし、もっと高い音程の音だって歌えるようになるかもしれませんからね。

4)腹筋で息を上に送る

 息を上に送っていくのは、以前からY先生に注意されていました。その際の注意点として、息を送るエンジンはノドではなく、腹筋に置かないといけません。腹筋から息を送っていく事で、ノドに余計な負担をかけずに済み、結果として、ノドをユルユルにできるわけです。でもね、ちょっと前まで、おそらく腹筋だけでなく、ノドも使って、息を送っていたんじゃないかなって…思います。それじゃあ、高音発声は無理だよね。

5)音程は高低差で考えず、音色差で考える

 「高い!」と思うと、緊張して、無意識に力んでしまいます。人間って、そんなモノです。なので、緊張しないために、高音を「高い音」であるとの認識を捨て、音色(声色)で認識するようにしました。音程を音色で捉える事で、高音発声が楽になったような気がします。

 これって、おそらく、私だけの感覚かもしれませんが(笑)。

6)出ないモノは出ないと諦める

 出ないモノは出ない!…これって大切な感覚だと思います。出ないモノを無理に出そうとするから失敗するし、それ以前の出るはずの音まで緊張で出なくなります。どこまで高音が出るかは、自分がどんな楽器を持っているに大きく依存します。

 よく合唱とかで「低音は限界があるけれど、高音は努力次第でいくらでも出る」と言われますが、あれは嘘だと思います。確かに高音は努力次第で、今まで出なかった音が多少は出るようになるかもしれませんが、それはあくまでも無限に出来るようになるわけではなく、元々のその人の楽器が出せる上限の音程までは努力次第で出せるようになる…ってだけの話で、誰でも彼でも高音が出るようになるっていう、都合の良い話ではありません。

 「隣の彼がHi-Cを出しているんだから、僕も頑張ろう」と思ったって、そもそも僕の楽器がHi-Cを出せる楽器じゃなければ、徒労に終わるだけです。ただ、自分の高音の上限は、ある程度訓練をしていかないと分かりません。そういう意味で、高音を目指して努力していく事は大切だし、そうしなければ一生高音発声は無理でしょう。でも、限界はあるんです。そこも知らないといけません。

 出せる範囲の音を無理なく出していく。そうして、無理を止める事が、実は高音発声の上達につながっていくと思います。無理はいけません、無理はノドを力ませます。

 高みを目指して努力する事は大切ですが、常にそれが叶えられるわけではないのです。高みを目指しながらも、今出せる音を磨いていく事の方が、実は大切なのではないかと思います。

 今の私は、こんなふうに考えているんです。


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posted by stone at 04:00| Comment(2) | 発声法のエッセイ

2019年12月09日

頭声とはポメラニアンの声なんだよ

 私が声楽を(自分なりに)真面目に学び始めて、今年で12年になります。もう干支を一周する期間も歌を学んでいるんだね。

 で、お恥ずかしい事だけれど、12年かけて、ようやく分かってきた事があります。それは「頭声」とは何なのか? という大雑把な事です。ちなみに「頭声」は、通常「胸声」と対にして用いる用語です。

 もちろん、言葉としての「頭声」は、12年前はおろか、最初の最初に声楽を学び始めた30年ぐらい前から知っていましたし、あの頃は、声楽や発声法に関する専門書を読み倒していたので、理屈としては、よく知っていたのですが、それが肌感覚で分かるようになったのは、実はつい最近の事だったのです。

 いや、びっくりですよ。何がびっくりって、分かってから気がついたんだけれど、今まで自分がいかに何も知らなかったのかって事を、ようやく知りました。

 頭声って、本当に頭声で、胸声って、本当に胸声だったんですね。理屈じゃなくて感覚だったんですよ。

 で、実は頭声胸声ってのは、声のポジションの話だったのです。頭声のポジションは頭の中だし、胸声のポジションは胸の中なんです。だから、頭声であり、胸声なんですね。

 頭声が分かるようになったのは、自分が頭声で歌えるようになってからです。頭声で歌えなかった頃は、分かったような気がしていただけで、頭声が何たるかなんて、ちっとも分からなかったのです。

 実はちょっと前までの私は、すべて胸声で歌っていました。頭声のつもりの声も、実は胸声だったんですね。ちなみに、ノド声はすべからず胸声です。胸声でしか歌えなかったので、頭声なんて知る良しもなかったわけです。もう別次元の話だったんです。

 分かってみて知った事は、頭声胸声って、女性はたぶん無意識に使い分けているのだけれど、男性の手札には胸声はあっても頭声という札は、通常は無いって事です。

 大雑把に言うと、男女ともに会話で使っている声は基本的に胸声です。でも、女性の場合、よそ行きの声…ってあるじゃないですか? それこそ「お母さんは、電話に出ると声が変わるよね」ってアレです。あのよそ行きの声って、頭声だと思うんですよ。まあ、普通に歌った時に「女性は裏声で歌う」って言うけれど、あの声って、裏声であると同時に頭声でもあるわけです。だから女性の手札の中には頭声が最初っからあるわけです。後は、上手にカードを切っていけるかどうかって話になります。

 でも、男性の場合、頭声って日常生活では使いません。よそ行きの声だって胸声だし、裏声で歌えば、それはただの裏声であって、頭声ではないんです。男性の手札には頭声は無いんです。

 ではなぜ、女性は無意識に頭声が使えて、男性は全く頭声が使えないのかと考えてみました。おそらくその理由として「頭声はかわいい声」だから、女性は(媚びているわけではないのだろうけれど)その声を使用し、男性は(かわいさを拒否するので)その声を無意識に封印しているので、女性は使えて、男性は使えなかったりするんじゃないかと考えました。

 まあ使えるようになってみると分かるけれど、頭声って「かわいい」と同時に「艶っぽい」んですよね。「艶っぽい声」だから声楽で使われるんだろうと思いますが「艶っぽい声」と同時に「かわいい声」でもあるから、男性は避けがちなんだろうと思います。

 でも頭声って「かわいい声」ばかりでなく「太くて低くて、でも艶っぽい」という男性的な頭声(美しいバリトンの声だね)でもあるんだけれど、これがなかなか難しいんだね。

 ちなみに「かわいい」という概念は日本語にしかないので、頭声を避けるのは日本人男性特有の問題なのかもしれませんが…ここは検証した事がないので、詳細は不明です。

 まあざっくり言っちゃえば、世間に媚びて(?)「かわいい声」で歌おうとすると、自然と頭声にならざるを得ないって事です。

 ちなみに私の中では「ポメラニアンになったつもりで歌う」と頭声で歌えます。ポメラニアンって、モフモフした小型犬で、かわいいじゃないですか? リアルな私は、太り過ぎのグレートデンみたいな人間なんですが(笑)。そこは目をつぶって、頭の中でポメラニアンに変身して歌うと調子いいんです。

 というわけで、頭声とはポメラニアンになりきった時の声なんです。

 ですから、世の中の男性オペラ歌手って、頭の中に小型犬を飼っていて、そのワンちゃんたちになりきって歌っている…んじゃないかしらと、最近の私は妄想しております。

 たぶん、この記事。分かる人にしか分からないだろうなあ。もしかすると、私以外の人には分からないかもしれないけれど…ごめんね。


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posted by stone at 04:00| Comment(4) | 発声法のエッセイ

2019年12月08日

コンビニが無くなって、困っている事

 かつて、我が家から徒歩1分程度の場所にコンビニがありました…ってか、近所にコンビニがある事を確認して、家を建てました。コンビニが近所にある生活って、とても便利で快適です。まるで、外付けの冷蔵庫があるみたい。いつまでも、そこにコンビニがあると信じて疑っていませんでした。

 それなのに、そのコンビニが突然閉店してしまいました。廃業してしまいました。かつてのコンビニが、ただの空き家になってしまったのです。

 すごいショックです。大ショックです。ほんと、どうすればいいのか、パニクっています。他のコンビニ…と言っても、どこも徒歩15分ぐらいかかるんだよね。往復で約30分。今までは、5分あれば、行って用事を済ませて帰ってこられたのと比べると、すごく手間と時間がかかるようになりました。ああ、げんなり。

 とにかく、すぐに困った事が発生しました。

1)楽譜のコピーが取れない

 楽譜はもちろん購入していますが、レッスンで使う楽譜は、あれこれ書き込みをするので、コピーを取ってから使用しています。楽譜ってたいてい大判じゃないですか? コピーをする時は、A3サイズでコピーを取るんだけれど、このサイズはコンビニじゃないと、なかなかコピーできません。A4なら、自宅のプリンターでコピーできるんだけれど、それでは貼り合わせが増えてしまい、結構不便なんですよね。

2)コンビニ弁当が買えない

 よそのコンビニとかスーパーでお弁当を頑張って買ってきても、家まで持って帰ってくるうちに、お弁当が冷めちゃうよ(涙)。

3)郵便が出せない(郵便ポストが無くなった)

 ウチの近所の郵便ポストって、コンビニのレジのところにあったんですよ。当然、コンビニが廃業してしまったので、その郵便ポストも無くなってしまいました。

 そもそも、ウチの周辺には郵便ポストが無いんです。なので、駅前まで行くか、いっそ郵便局まで行くかしないと、郵便が出せなくなりました。おお、なんてこったい。

4)宅急便が出せない

 旅行に行く際の大荷物とか、今まではコンビニから宅急便で宿まで送っていたんだけれど、それができなくなりました。まだ、大荷物が必要な旅行に行っていないのだけれど、ほんと、どうしましょうか? 困ってます。

5)おやつが手軽に買えない

 日曜の昼下がりとか、家でポテチとか食べながら、オペラや歌舞伎のDVDを見るのが私の平均的な休日の過ごし方なんだけれど、そのためのおやつを、今まではコンビニで、その日の気分に合わせて買っていたのに、それができなくなりました。だったらおやつを食べずにDVDを見ればいいじゃんと言われそうだけれど、なぜかおやつ抜きだと、DVDなんて見たくないんだよね。なぜだろ?

 ああ、ほんと、コンビニが無くなって困ってます。いかにコンビニに依存して生活していたのか、今更思い知らされております。いっそ、私が自宅でコンビニを開業しちゃおうか…そんな事すら考える毎日です。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | ダイエット&エッセイ

2019年12月07日

ええい、この眉間の傷が目に入らぬか!

 という訳で、眉間の傷です。誰に…って、そりゃあ、シズカです。早乙女主水之介じゃありません。シズカの眉間に大きな傷が出来ました(涙)。

 誰にやられたのかは分かりませんが、たぶん、ヤヨイ。またはルデン。もしかするとドジョウ? まあ、そんなところです。ヤヨイかルデンが原因なら、いじめでしょうね。ドジョウが原因なら…事故の可能性があります。どちらにせよ、眉間なんて、あまり怪我をしないところを怪我しているので、飼い主的には心配です。

 しかし、眉間に怪我なんてするもんかね? あのあたりって急所が集まっているわけで、そこを意図的に狙われたのだとしたら、かなりマジにやられたんだと思います。

 ああ、心配。

蛇足 先日気づいたのだけれど、シズカの体色って、みかんと同じ色しているんだねえ。特にお腹のあたりなんて、ぷくっとふくらんでいて、ほんと、みかんですって。つまり、シズカは“みかんな金魚”だったんだ、いやあ、びっくり。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 金魚

2019年12月06日

来年は、ベートーヴェン・イヤーですよん

 フルートのレッスン行ってきました。

 頭部管の抜きを減らしたせいか、ロングトーン練習は、かなり柔らかく吹かないとバッチリにならず、これはこれで大変でした。だって、あんまり柔らかさを意識しすぎると、クチビルが脱力しすぎて、ついつい閉じちゃうんだよ、困ったね。

 エルステユーブンゲンの25番と26番は、いつもどおりです。だから、なに?

 旋律的練習曲は4番でしたが、さすがに前回のレッスンでこてんぱんに注意されまくったので、あれこれ気を使って注意深く吹きました。トリルは長めに、導入部は素早く、お尻は華麗にマクルのです。なかなか自分の美意識が充足するようなトリルはできません。ほんと、トリルは難しいです。もっともっとトリルの練習をしないといけないよね。

 40リトルピーセズは、30番のバッハの「マーチ」ですが、ひとまず合格…というか、勘弁してもらいました。まあ、ちゃんとは吹けなかったけれど、努力だけはしたもんね。なので、次回は31番、ハイドンの「アレグロ」です。何の曲のアレグロなんでしょうね。

 今回の雑談は「いよいよ来年は、ベートーヴェン生誕250年の、ベートーヴェン・イヤーだねえ…」という話。

 日本人ってベートーヴェン大好きだから、きっと来年の音楽業界はベートーヴェン尽くしになるんだろうなあ。そう言えば、ロイヤル・オペラは、カウフマン主演で「フィデリオ」をやるんだよね。ライブビューイングはぜひ見に行かないと…。

 ちなみに、先生は生誕200年の年に音楽を始めたそうで「もう50年経っちゃったよ!」と嘆いていました。

 先生も立派な日本人なので、ベートーヴェン大好きで、もちろん若い時からフルートをやっていたのですが、本当(?)は指揮者になりたかったんだそうです。指揮者になって、ベートーヴェンの交響曲を振りたかったんだそうです。ただ、指揮者って、フルートが吹けてもなれないものらしく、ピアノが超絶に弾けないとムリっぽいんだそうです。先生、ピアノは普通に弾けるんだけれど、超絶には弾けないので指揮者を諦めたんだそうです。

 でもまあ、先生の事だから、指揮者になっていたら、ストレス溜めまくっていたんじゃないかな? 何しろ指揮者って、自分じゃ音を出せないわけで、他人に音を出してもらって音楽を作るわけで、そんな自分で音を出せない事に、あの先生が我慢できるとは思えないんだよね。H先生って、根っからの演奏家だからね。

 実は私、ご存知かもしれませんけれど、あんまりベートーヴェンって好きじゃないんですよ。だって、暑苦しいじゃない。熱量高すぎるでしょ? それに声楽曲は少なめだしね。ああ、私にとっては、ベートーヴェン・イヤーって、ちょっとイヤーなイヤーかも。覚悟しないとね(どちらかと言えば、私は華麗でおバカでお下品な、モーツァルトが大好きですよん)。


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2019年12月05日

私が感じるアマとプロの差(合唱編)

 ここで取り上げるのは混声四部合唱であり、アマとは、市民合唱団や市民オペラの合唱レベルで、プロというのは、プロの合唱団の事ではなく、プロ歌手(ほぼオペラ歌手)が集まって歌っている合唱の事です。つまり、私がよく耳にする音楽形態での比較であって、本来ならプロの合唱団を比較対象にするべきだろうけれど、私、プロの合唱団の演奏って、ほぼ聞かないんだよ。ごめんなさい。

 なので、すごく乱暴な比較だという自覚はありますので、その事を最初に断っておきます。

 さて、アマとプロとの差ですが、そりゃあアレコレあります。なければ、プロがプロでいる理由ありませんからね。音程、音量、音色、表現力、歌唱力、体力…とにかく、ありとあらゆる面で、プロアマの差はあるわけですが、その中で、私が一番つよく感じるのが、私がテノールだからという事もありますが、テノールの差です。

 テノールパートほど、プロアマの差が大きなパートはないんじゃないでしょうか?

 具体的に言うと、音程音量を問う前に、まず、声そのものが全然違うと思うんです。声…と言っても、色々な要素がありますが、私が一番強く感じるのが、声のポジションです。プロと比べて、アマのテノールの声は、ポジションが低く、ノド〜胸のあたりで発声していように聞こえます。緊張の少ない声? 音色的にはバリトンとあまり変わらなく感じます。一方、プロのテノールの声は、ポジションが高く、スコーンと抜ける声がきれいに同調してまとまって聞こえます。

 アマのテノールの歌声が木管楽器っぽい声だとしたら、プロのテノールの歌声は金管楽器っぽいんです。ま、私のイメージなんですがね。

 なので、混声合唱団なら、テノールの歌声に着目するだけで、アマかプロかが簡単に見抜けるようになりました。無論、テノール以外のパートに、プロアマの差はあるんだろうけれど、とにかく私には、テノールの違いが一番耳につくんですよ。実際、本当に全然違うし…ね。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 合唱

2019年12月04日

高音Aが常用音域になってきたかな?って感じです

 声楽のレッスンに行ってきました。

 ハミング練習&発声練習は、実にいい感じでした。普通に楽に、高いAまで出していたようです。先生には「生まれ変わったんですか?」と言われちゃいました(爆)。

 なんかねえ、もう、高いAは、そんなに怖くないんだよなあ。このまま、この状態が落ち着けば、高音Aまでが常用音域になりそうです。ここまで導いてくださったY先生に感謝です。

 なんで急に高いAが楽に出るようになったのか…と言えば、あれこれ考えてはみたのですが、特に決定的な事はありません。小さな色々な事の積み重ねで、おそらく、上達の階段を一段登っただけなんじゃないかなって思います。声楽って、器楽と違って、上達する時は一気に上達するものだからね。

 一応、そんな小さな事のアレコレを書いておくと…最近は小さな声で歌うことを心がけています。だって、大きな声で歌うと迷惑でしょ? 小さな声…つまり力まない声で歌えるようになったのは大きな進歩かもしれません。最近は(ここに書いてませんが)合唱もやっています。もちろんテノールを歌っているのですが、そのテノールには女声も混ざっています。で、女声と同じ音高で歌っているわけですが、女声の発声方法がなんとなく私に伝染って、よい影響を与えたのかもしません。また「ひとこと」に書きましたが、ひどい風邪をひいていて、しばらく歌えなかったので、それであれこれ発声の悪い癖がリセットされたのかもしれません。ノドを鳴らして歌うよりも、息を送って歌う事が何となく分かった感じがしています。ま、そんな小さな事の積み重ねが今回の上達の遠因だろうと思ってます。

 階段を一段登ったとは言え、まだまだ発声自体には問題があります。とにかく、腹筋の動きが弱い&遅いんですね。もっともっと、強く&素早く動かせないとダメなんだわ。後、クチの奥をしっかり開ける事と、息の勢いだけで声を前に飛ばせるようにする事。課題は満載です。

 さっそく曲の練習です。ドニゼッティの「ドン・パスクワーレ」のテノールアリアの「Sogno soave e casto/青春の甘く清らかな夢よ」です。

 この曲は高音Aが頻出しますが、今の私には、全然怖くない曲です。きちんと軽い声で、しっかりクチを開いて、息を送って歌えば、余裕で(?)歌えます。

 気をつける事は、絶対に力まない事。歌いすぎない事。後、子音(特に破裂音)を強く歌いすぎない事…かな? その他、やっぱり下降音形の時にゴールをしっかり意識する事です。ほんと、下降音形って、苦手です。うまくゴールできなくて、なんかフラフラしちゃうんだよね。

 実は、細かな音程があっちこっち違っていたので、次回までに、再度しっかり音取りをしないといけないやね。音はきちんとキーボードを叩いて確認しないといけません。ほんま、私にとって、音程の正しさって、一生の課題です。ついつい、雰囲気で歌っちゃうんだよなあ。

 今回のレッスンは、こんな感じです。時間切れで、水車小屋は歌えませんでした。

 「青春の甘く清らかな夢よ」の次の課題曲を決めました。次はヴェルディの「トロヴァトーレ」の「Di quella pira l'orrendo foco/見よ、恐ろしい炎を」です。ただし、楽譜は音楽之友社版でいきますので、聞かせどころのHi-Cを含んだ後半部はもちろん無しだし、慣習的なカデンツァも無しです。今回は、この楽譜通りに歌います。まあ、実際問題として、高音Aがようやく使えるようになったばかりですからね、Hi-Cのあるフレーズとか、小難しいカデンツァとかは、まだまだ歌えるわけではありませんので、そのあたりは、いずれまたそのうちに…という感じです。もっと上達したら、リコルディ版で歌います(笑)。

 この曲を、知らない方のために音源を貼っておきます。
 私が歌うのは、この音源の前1/3くらいです。もちろん、こんなかっこよくは歌えないし、歌わないんだよ(笑)。

 一般的に、このアリアは、声の重いテノールが歌うことが多いし、実際、音源で歌っているカウフマンは声の重いテノールです。なので、このアリアを学ぶにあたって、私が一番気をつけなきゃいけないのは「ついうっかり重い声で歌わない事」です。このアリアは重い声のテノールのレパートリー曲であるけれど、私はそれに引きづられる事なく、私本来の軽い声で歌う事、これが案外、一番大切な事じゃないかと思ってます。つまり、オペラアリアだけれど、歌曲のように歌うって事だね。


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2019年12月03日

なぜオペラ歌手はデブでも許されていたのか?

 リセット・オロペーサの件を調べていくうちに、なぜ昔のオペラ歌手はデブでも許されていたのか?と考えてしまいました。

 オペラ歌手にとって大切な事は何か? それは、きちんとオペラが歌える事。まずはこれがクリアされていなければいけません。その上で、声が美しいに越した事はないし、容姿も美しいがいいに決まってます。。

 昔…と言っても、オペラが全盛期だった19世紀では、オペラを楽しむのは劇場だけでした。劇場って、客は遠くから歌手を見るわけで、とにかく歌手は派手でなければいけませんでした。衣装は派手に、化粧は派手に…です。体格は…舞台ですから、多少の補正は衣装でできます。太っていても、やせて見せる事は可能だし、痩せていても、ふくよかに見せる事は可能です。とは言え、極端なデブは、いくら衣装の力を借りても、誤魔化しきれませんが、客がそれを認めてしまえば、それはそれでアリですし、おそらく、19世紀のヨーロッパでは、デブなオペラ歌手は容認されていたのだろうと思います。デブであるかどうかよりも、まずはオペラを歌いきれるかどうか…が、当時の大問題だったろうと思われるからです。実際、昔の記録を見ると、作曲家が作った新作オペラが、劇場が用意した歌手では歌えなくて、ダメダメだったという事が多々あったようです。とにかく、歌える事が最優先なので、デブでも何でもよかったのかもしれません。

 やがて20世紀に入って、レコードが普及し始めます。レコードは声しか記録しません。となると、今度は声が勝負どころとなります。レコードを吹き込む歌手は、みんな上手な歌手です。歌えて当然です。ならば、美しい声で歌っているレコードの方が、より売れるわけです。ですから、歌っている人が美声ならば、デブでもビヤ樽でも関係がなかったのです。

 しかし、その流れは、マリア・カラスの登場で変わりました。

 マリア・カラス…当時は、あれだけ歌えて、あれだけ痩せていたソプラノ歌手なんて、そんなにたくさんはいませんでした。痩せた歌手なんて、カラスを含めて、少数派だったので、それまでは特に目立つ事もなかったのですが、カラスは何よりもスキャンダラスで目立つ歌手ですから、まだまだ舞台公演が中心だった時代にも関わらず、客の耳目を集め、みんな、以下のことに気づき出したのです。

 …太ったトスカよりも、やせたトスカの方が、美しい。太ったヴィオレッタよりも、やせてヴィオレッタの方が美しい、太った蝶々さんよりも、やせた蝶々さんの方が美しい。…

 そして、カラス以降、一挙にテレビや映画が普及して、あっという間にオペラの世界もビジュアルの時代に突入してしまったのです。あっという間に世代交代です。デブな歌手は駆逐されてしまいました。デブでも残っていたソプラノなんて、モンセラート・カバリエぐらいでしょう。

 それ以降は、同じくらい歌えるなら、やせたソプラノが仕事を得るようになったのです。何しろ、ソプラノは競争過多ですからね。限られた仕事を大勢の歌手たちが奪い合うわけですから、歌手としての技術を磨くと同時に、容姿も磨かざるを得なかったわけです。結果、ますますデブは仕事を得られなくなる…というわけです。

 しかし、競争が緩い世界では、まだまだデブが活躍する余地があるわけです。例えば、ソプラノであっても、ワーグナーを歌える人は限られていますから、そこは多少、おデブでも仕事があります(デボラ・ヴォイトが良い例です)。また、男声歌手は、女声ほど競争が激しくないので、まだまだおデブでも仕事があるし、テノールに至っては、体型以前に、まず歌える人が少ないので、デブだろうが、チビだろうが、醜男だろうが、仕事があるわけです。

 要するに、本音で言えば、オペラ歌手は美男美女であるべきだけれど、まずはその前に、きちんとオペラが歌えないといけないのです。今の時代は、オペラがきちんと歌えるオペラ歌手、とりわけソプラノ歌手は大勢いるのです。ですから、きちんと歌える上に、美形であることまでも要求されるようになってきた…だけなんだと思います。

 今の方が、競争は激しいけれど、ある意味、舞台芸術的には、まともな時代になってきたんだと思います。むしろ、チビでもデブでも仕事にありつける、テノールの世界は、まだまだ前時代的なんだなって思うわけです。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 声楽のエッセイ

2019年12月02日

メトのライブビューイングで「マノン」を見てきました

 「マノン」です。プッチーニ作曲の「マノン・レスコー」ではなく、マスネ作曲の「マノン」です。ちなみに、フランスオペラです。

 実は、プッチーニのものも、マスネのものも、原作は同じ、アベ・プレヴォーによる小説「ある貴族の回想と冒険」の第7巻「マノン・レスコー」です…が、登場人物もマノンとデ・グリュー以外の人物は何かしら異なるし、ストーリーも似ているようで、どこか違います。ちなみに、原作小説はあちらでは有名な作品なので、この二人以外の作曲家もオペラにしていますし、映画化やバレエ化、ミュージカル化等もたびたびされています。それくらい有名な原作です。

 プッチーニとマスネの関係に絞って書けば、マスネの方が16歳年上だし、作品もマスネの方が9年早く発表しています。で、マスネの「マノン」は当時から大人気で、つまり、プッチーニの方が後追いです。

 両者の違いは…と言うと、使用言語以外だと、マスネの方はストーリーが連続していて、よく分かりますが、プッチーニの方は場面と場面が飛んでいて、その間のストーリーも特につながりが強くありません。まあ、プッチーニの方は「原作は有名だから、当然、ストーリーはみんな知っているよね」という前提がありそうです。音楽的には、マスネの方がオシャレで上品ですが、プッチーニの方は、いかにもヴェリズムって感じで、音楽は激しいです。あと、上演時間がマスネは約3時間でバレエ付き。プッチーニは2時間で映画並みと言った違いもあります。

 それらはさておき、メトの上演ですが、実に素晴らしかったですよ。

 指揮:マウリツィオ・ベニーニ
 演出:ロラン・ペリー
 マノン:リセット・オロペーサ(ソプラノ)
 デ・グリュー:マイケル・ファビアーノ(テノール)
 レスコー:アルトゥール・ルチンスキー(バリトン)

 とにもかくにも、マノン役のオロペーサがとてもとても良かったです。この上演は、オロペーサを見るための上演であったと言っても、過言ではありません。

 オロペーサは実に美人です。マノンという女性はファム・ファタールですから、美人が演じないと説得力の無い役ですが、その点、オロペーサは適役です。さらに言えば、美人の上に(童顔なので)可愛くもあり、ほんと適役です。声も若々しくて、演技力も抜群で、本当にマノンという役がぴったりです。

 ただ、ちょっとだけ気になったのは、彼女、おへそから上はスレンダーなのに、実に見事な下半身デブなんですよ。お尻とか太ももとか、そりゃあダイナミックなのよ。実に不思議な体型だなあ…と思っていたら、彼女、実は10年ほど前までは体重が95Kgもある、ウルトラデブだったそうですが、それを55Kgまで落としたんだそうです。なぜ、そんな事をしたのか…と言えば、太っている事が理由でオーディションに落ちまくったからなんだそうです。

 実際、彼女はアメリカ人で、メトの養成所出身なのですが、養成所を出ても全然役がもらえずに、なぜ自分は役がもらえないのかと関係者に尋ねたところ「それだけ太っていてはダメだよ」と言われてしまい、そんな馬鹿な!と思って、ヨーロッパに活動場所を移しても、やっぱり太っている事が原因で役がもらえず、そこで一念発起してダイエットをしてやせたところ、仕事がバンバン入るようになったんだそうです。で、やせて売れっ子になったので、この度、メトに里帰りとなった…という事なんだそうです。

 ちなみに、彼女のダイエット方法は…マラソン。まあ、日本流に言えばジョギングなんでしょうが、とにかく走って走って走りまくったんだそうです。売れっ子になった今でも、毎日のように走っているんだそうです。走ることで体重を維持しているそうなのです。しかし、走っている割には、なぜ下半身だけが太り続けているんだろ? 走っていたら、むしろ下半身からやせそうなんだけれど…。

 ちょっと前まで、オペラ歌手は太っているのが当たり前だったのに、世の中って、変わるんですね。ちなみに、メトで大活躍しているデボラ・ヴォイトは、ロイヤル・オペラを太り過ぎという理由で解雇された事があるそうです。で、ヴォイトは、その契約解除金で胃のバイパス手術を受けて、やせて、イギリスでも役をもらえるようになったんだそうです。うーん、太っているオペラ歌手ってのは、もはや時代遅れなんでしょうね。

 メトの上演の話に戻ります。

 オロペーサのマノンがあまりに素晴らしいので、ついつい他の人たちの事を忘れてしまいがちですが、その他の歌手たちも、水準以上の歌唱と演技で、本当にスキのない上演でした。ルチンスキーが演じるレスコーは、実にクズっぽくって面白かったです。ただ、私的に気になったのは、テ・グリューを演じていたファビアーノが高音のppを全部ファルセットで歌っていたのが、気になりました。「ファルセットで逃げんなよ〜」と厳しい事を思ってましたが、たぶん、そんなところを気にするのは私くらいだろうなあとも思いました。

 誰が演じていたのか分かりませんが、もてない君であるギヨーの小悪人ぶりもよかったし、プゼット、ジャポット、ロゼットの女声3人組も実にコケティッシュでよかったです。私の好みで言えば、テ・グリューの親父さんは、もう少し威厳がある方が好きです。

 この上演は、おすすめですね。DVDになったなら、購入しても損しないと思いますよ。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 歌劇

2019年12月01日

夏の甲子園は無理…と大臣が言いました

 まあ、私もそう思います。ちなみに、大臣とは、萩生田光一文部科学大臣さんで、2019年11月27日の衆院文部科学委員会での発言だそうです。元記事はこちらです。

 大臣の趣旨は以下の4点ですね。

1)健康管理が一番大切。
2)特定の大会がステイタスを持ってしまった。
3)本当は秋の国体が頂点決めの大会なのでは?
4)高校野球は、プロ野球の養成所になってはいけない。

 まず、1)は、先日発表された、高野連による球数制限の話に関連しての発言です。いわゆる“佐々木問題”が発端となってできた取り決めなんだろうけれど、大臣は、高野連の取り決めに一定の理解を示しながらも「それはどうなの?」って事なんだろうと思います。大臣的には、制限を加えたとしても、仲間のことを考えて投げ続けたいという選手もいるだろうし、その選手やチームの気持ちはどうなの?って事を言いたいのではないかしら?

 選手の気持ちは大切だよね。特に高校野球は一生に一回の選手も多いから、何が何でも全力を尽くしたいって思うだろうし、みんながみんなプロになるわけじゃないから、この試合で選手生命が絶たれても、俺は行く!って選手も、当然いるわけで、そういう人の気持ちも汲んであげるのも教育者の仕事だよね。そういう意味では、球数制限って、試みとしては良いと思うけれど、まだまだ穴があるね。

 それにだいたい、高野連の言う「一週間で500球」ってのは、制限としてはかなり緩いし、たぶん、現状は何も変わらないと思うんだな。

 高校野球の場合、極端な試合運び(高校野球の場合、たまにあるから馬鹿にできない)にならない限り、一試合完投で、約150球なんだそうです。つまり「一週間で500球」とは、一週間で3試合完投できるって事で、甲子園の試合って、日程の都合で、一週間に4試合組まれる事もあるので、その場合は無理だけれど、多くは一週間で3試合程度なので、まあ、大きな問題にはならないだろうという数字のようです。

 それに、最近の高校野球では、特に強豪校では、複数の投手でつなぎながら試合をしていくので、一番多く投げる先発型の投手で、平均100球程度だそうなので「一週間で500球」なら、本当に何の問題もないし、変更もいらないって話です。

 なので、「一週間で500球」という取り決めは、ザルと言えばザルなんだな。

 それに、この制限、強豪校なら問題ないけれど、投手の力量だけで勝ち上がってきた普通の学校にとっては、案外厳しいかもね。今以上に、野球強豪校ばかりの甲子園になってしまいそうです。

 大臣の2)の発言とも関係するんだけれど、高校野球の一番の問題は、スケジュールが過密過ぎる事なんだろうと思います。だいたい、公式試合を平日にやるって…そんな競技、野球ぐらいだよ。高校の他のスポーツでは、公式試合ってのは、だいたい土日と祝日にやります。で、平日は…学校で勉強です(笑)。夏休みとかの長期休暇であっても、適当に休養日を入れながら、ゆったりした日程で試合をしています。野球ぐらいなんだよね、今どき、こんな過密スケジュールで大会をやっているのは。

 で、なんでこんなに野球ばかりが過密スケジュールなのかは…高野連の体質が昭和だから…と言うのはもちろん、全国大会の試合会場を甲子園球場に限定しているからですね。

 他の競技の場合、全国大会のような大規模な試合では、試合会場を複数用意し、同時に何試合も行うのが普通です。なので、高校野球ならば、決勝戦まで行けば、6回戦戦うわけだから、試合会場さえ用意できれば、6〜8日の試合日程で全試合を行う事ができるのです。これなら、土日開催だけでも約一ヶ月で、水土日の3日開催なら、2週間ちょっとで全試合終えられます。

 また、地方予選は、どこでも複数会場で試合をしているけれど、それでも7月中旬から過密スケジュールで勉強を放り出して試合をしているのが現状です。それだって選手には負担大なわけで、他の競技同様に、夏の大会の予選は、6月ぐらいから土日メインでゆったりとした日程でしていけばいいんではないかと思います。

 野球の全国大会を、甲子園球場以外の場所でもやるようになれば、選手や関係者の中には、最初は面食らう人もいるだろうけれど、やがて慣れるから、それは大きな問題ではないと思うし、テレビで試合を見ている人にとっては、どこで試合をやろうと関係ないでしょう。けれど、今まで高校野球を独占していた甲子園球場への経済的喪失は計り知れないかもなあ…。高校野球利権ってのがありますからね。でも、それと選手の健康管理とを天秤にかければ…お金の方が大切かな?

 利権の事を考えるならば、野球の全国大会を甲子園球場に固定するのではなく、全国持ち回りにした方が絶対いいよ。業界全体がうるおうし…ね。

 おそらく、球数制限を加えるよりも、スケジュールをゆったりにしたり、試合会場をドーム球場にして、直射日光を遮って冷房を入れてあげるとかの方が、選手にやさしい変更だと、私は思います。

 つまり、高校野球だけ、いつまでも昭和のノリでやっていてはダメで、他の競技同様の運営でやっていけば、もっと選手に優しい大会運営ができるんじゃないかって話です。

 3)に関して言えば、大臣が間違っていて、高校の頂点を極めるのは、秋の国体ではなく“夏のインターハイ”です。

 4)は、まさにその通りで、高校野球で大活躍をした選手は、プロ選手になる事が多いから、ついついプロ目線で高校野球を見がちだけれど、実際、高校野球のほとんどの選手は、プロにはならないわけで、高校野球が最後の野球人生だったりするわけで、だからこそ、いかに高校生活を素晴らしいものにしていけるか…という観点で、大会運営をしていってもらいたいなあって思うわけです。

 ま、どっちにせよ、野球ってスポーツは、色々と恵まれている…と思いますよ。ほんと、ぜいたく。私は高校時代、いわゆるマイナースポーツをやっていたから、野球に対しては、ひがみしか持ってません(ふん!だ)。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | ダイエット&エッセイ