2020年06月30日

アメリカじゃ人種って、すごく大きな問題のようです[2020年6月の落ち穂拾い]

 アメリカでは、今後、アニメの吹き替えに、役と声優の人種を一致させないといけないという流れが生まれてきたようです。特に、白人声優が有色人種の役を演じるのがダメなようで、実際に、あちらの有名白人声優が、有色人種の役を演じた事で、謝罪したという報道もありました。

 まあ、アメリカの国内の話だから、どうでもいいんだけれどね。

 ただ、アメリカには日本のアニメも多数輸出されているわけで、それらの吹き替えは今後どうなるんでしょうね。日系アメリカ人声優の活躍の場が増えるのでしょうか? もっとも、日本のアニメって、人種不明な役もたくさんあるじゃない? 例えば…ドラゴンボールとか。悟空はいいけど、ベジータとかピッコロって、どうするの?

 あと、登場人物の人種の設定が変更されちゃっているアニメもあるじゃない? 例えば…セーラームーンとか。アメリカでは、ウサギちゃんは日本人じゃなくてフランス人設定になっているんじゃなかったっけ?

 最近の日本アニメだと、異世界転生アニメがたくさんありますが、転生しちゃった主人公は日本人でOKだけれど、転生先の異世界人の人種って…こちらの世界と同じなのかしら? 例えば、モンスターとか獣人とかは、こちらの世界に存在しない人種なんだけれど、どうしたらいいのかしら?

 蛇足 そう言えば「盾の勇者の成り上がり」というアニメが、アメリカでは大問題になっていたよね。ヒロインのラフタリア(たぬきの獣人?)が主人公によって買われた奴隷という設定なので「人身売買なんてありえない」とかなんとかバズってたらしいです。ま、異世界ですからね、それもアリなんじゃないの? もっとも、アメリカのDNAには、昔、人身売買が普通に行われていたというスネ傷があるみたいだけれど…さ。

買うだけ買って聞けてない(涙)

 CDやDVDの話です。

 私、実は買ったはいいけれど、1回しか聞かずに、その後放置しているCDは、山のようにあります(汗)。買うのは脊髄反射で瞬時に買えますが、聞くにはCD1枚あたり約1時間かかるわけで、鑑賞の時間を捻出するのに苦労していたりします。

 それでもCDは、音楽を電子化して通勤の合間にiPhoneで聞けますから、なんとかしていますが、DVDはダメですね。全然ダメ。私が長距離電車通勤ならば、電車の中で見るという方法もあるのでしょうが、私は徒歩通勤なので、通勤の合間にDVDを見るなんて出来ません。なので、DVDは買ったら買いっぱなしで放置しているディスクがたくさんあります。

 まあ、見るとしても、ほとんどのディスクは、一度見たら二度と見てません。高いのに…ねえ。

モーツァルトのコンサートアリア

 モーツァルトにはコンサートアリアと呼ばれるアリアがあります。これは単発のオペラアリアなのです。

 どういう事が言えば、作曲家Aが書いた「○○」というオペラがあったとします。そのオペラに出演するソプラノBさんがいて、彼女は本来、作曲家Aが書いたアリアを歌うはずなのですが、様々な理由からAのメロディは歌いたくない。できれば、私(ソプラノBさんのことね)の歌う曲は、モーツァルトさんに書いて欲しい…と思い、実際にモーツァルトに曲を発注して作曲してもらって、作曲家Aの「○○」というオペラで、Bさんはモーツァルトが作曲したアリアを歌っちゃう…という事が、当時は結構あったようなのです。そんな感じで、単発的に書かれたアリアは、元々の「○○」というオペラが大した作品ではなく、時代の流れで消えてしまい、単発的に書かれたモーツァルトの優れたオペラアリアだけが残って、今の時代に伝えられるわけです。で、その単発アリアは、歌手のコンサート等で歌い継がれていくので、後に「コンサートアリア」と呼ばれ、今に至っているわけです。

 そんなモーツァルトのコンサートアリアですが、実際に現代のコンサートで歌われるのは、ソプラノのためのコンサートアリアばかりだったりします。なので、モーツァルトのコンサートアリアはソプラノ用の曲しかないと勘違いしている人もいるくらいですが、実はそんな事はありません。

 モーツァルトのコンサートアリアは、全部で44曲あり、すべての声種のために書かれています。もちろん、その中でソプラノのために書かれた曲が一番多い事は事実ですし、一番気合を入れて書かれたのもソプラノのためのアリアだったりします。というのも、コンサートアリアのかなりの曲が、当代屈指の名ソプラノであり、モーツァルトの元恋人であり義姉のアロイージア・ウェーバー(コロラトゥーラ・ソプラノ)のために書かれたからです。そりゃ名曲ぞろいにもなるよね。

 あと、アロイージアを抜きにしても、モーツァルトって、女性好きだからね。やっぱりソプラノ用の曲には自然と力が入るのよ。

 でも、他の声のためにもモーツァルトは、プロとして、コンサートアリアを書いています。あんまり知られていないかもしれませんが(笑)。

 私が持っている、ベーレンライター社の「テノールのためコンサートアリア集」では8曲が収められていますし、上手なテノールたちは録音もしています。8曲というのは、CD1枚に収めるには、ちょうど良い分量のようですから。

 でも、コンサートではなかなか歌われません。理由としては、コンサートアリアって、やたらと難しくて、コンサートで、生で歌うにはかなりリスキーな曲である事と、テノールのコンサートなら、モーツァルトのコンサートアリアよりも、お客に喜ばれる曲がたくさんあるから、どうしてもそっちをプログラムのメインにせざるをえないから…だと私は考えてます。

 でも、モーツァルトって、あんまりテノール向けのアリアを書いていないので、そういう意味ではコンサートアリアって貴重なんだけれど、テノールにとって、モーツァルトって、そんなに大切な作曲家じゃないんだよね。だから歌われない…とも言えます。

カラスの鳴き真似?

 ノドを開く…と言うと、一般的には「あくびのノド」と言われますが、このブログにときたまコメントくださるショウさんの先生は「カラスの鳴き真似」というのだそうです。カラスの鳴き真似…私には初耳ですが、確かにノドが開きそうです。いや、鳴き真似なら声が出ますから、あくびのノドよりも良いかもしれません。あくびは声を出すのではなく、息を飲んでしまいますからね。

 それにカラスの鳴き真似なら、かなり音も高いのでテノールには有益かな? なにしろ、あくびのノドだと、どうしても音は低くなりがちだもの。良いことを聞きました。感謝です。

今月のお気に入り ウレタンマスク

 皆さんは毎日、どんなマスクを着用していますか? 私が愛用しているマスクは、グレーのウレタンマスクです。


 ウレタンマスクは不織布のマスクと違って、使い捨てではないし、息苦しくないし、暑くもありません。もちろん、不織布との比較ですが(笑)。おまけに小さく折り畳めるので、使わない時は胸ポケットに入れちゃう事も可能です。結構便利です。あと、洗っても、水切りすれば、すぐに乾いてしまうので、ヘビーローテーションも全然OKです。

 欠点…は、不織布よりはマシとは言うものの、やっぱり夏用ではないので、今の季節に着用していると暑いです。すぐにクチの周りに汗をかきます。洗う時に丁寧に洗わないと、表面が結構ボロボロになる事…くらいかな? まあ、暑さは夏用ではないのだから仕方ないし、ボロボロになる件も、洗い方に気をつければいいわけで、大した欠点で無いと言えるかもしれません。

 それよりも、これから真夏に向けて、まだまだマスクは手放せないだろうから、夏用の良いマスクを見つけないといけませんね。ウレタンマスクは、あくまでも、春秋用のマスクって事で(笑:冬にウレタンマスクだと、今度は寒いと思うよ)。

今月の金魚

 みんな元気です。良いことです。

今月のひとこと

 ついに近所の映画館が再開しました! さっそく、お祝いがてらに映画を見てきました。映画館の入り口で、お客さん一人ひとりの体温を測っていたよ。大変な手間だね。(2020年5月30日〜6月3日)

 特別定額給付金の申込用紙が来ました。わくわく。さっそく申し込みをしたよ。10万円もらったら、何に使おうかな?(2020年6月4〜5日)

 イギリスで…と言うか、厳密にはイングランドで「電車バス飛行機に乗る時はマスクをしないといけません」という法律(?)ができたそうな。無論、マスクと言っても医療用のちゃんとしたものでなくても良くて、とりあえずクチ周辺を布状のモノで覆っていれば良いそうですが…。守らないと罰則もあるそうです。日本のような“要請”とかではないようです。うーん、どんなんだろ?(2020年6月5〜8日)

 メトのライブビューイングの日本での再開が決まりました。うれしい。さっそく見に行かないと…なあ。(2020年6月8〜13日)

 ショッピングモールでトイレを使ったら、男性客の相当数が用を足した後、洗面所を素通りする事を確認してしまいました。いやあ、ショック。トイレで手を洗わない人って、こんなにたくさんいるんだ…ってか、なんで私以外の男は手を洗わないんだ! そんな事を知ってしまった、今日このごろの私です。(2020年6月13〜16日)

 7月1日よりレジ袋の有料化が始まりますが、外食産業を中心に、レジ袋の材料をバイオマスに変更し、レジ袋の無料配布を継続する店がたくさんあるそうです。よかった、よかった。コンビニやスーパー等も、早くレジ袋を無料で提供できるようにしてほしいなあと個人的に希望します。だって、マイバッグって不衛生じゃん!(2020年6月16〜22日)

 鎌倉の歐林洞さんが潰れてしまった(涙)。ここは鎌倉の高級洋菓子店であると同時に、音楽サロンホールでもあり、私は何度かここにコンサートを聞きに来たことがあります。コンサートの休憩時間に、ここの高級洋菓子(めっちゃ高価でした!)をお土産に購入するのが常でした。コロナ禍のせいだろうなあ…。小さな民間音楽ホールは、どこも経営厳しいって聞くし…。ああ、残念無念。(2020年6月22〜24日)

 某テレビ番組で秋の虫特集をやっていて、色々な虫の音を聞かせてもらったのだけれど、その中でクビキリギスの音だけが、全く聞こえませんでした。一般的に「うるさい虫」と言われるクビキリギスの音が聞こえないなんて…結構ヤバいと感じました。(2020年6月24〜29日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | その他

2020年06月29日

地方自治体ごとに対応が違う

 何の話かと言えば、公共施設での対応の話です。もっと具体的に言えば、合唱団の練習場として公共施設を貸してくれるかくれないかとか、舞台公演は可能なのか不可能なのかとか、まあそんな感じの話です。

 ウチの地元では6月いっぱいまで公共施設はお休みでした。7月から再開されます。ウチの地元は、割と寛容な感じで、7月8月に関しては、いわゆる“感染予防対策”をしっかり取ってくれれば、合唱の練習も公演もOKです。ただし、公演の際に客席で歌うのはダメで、歌うなら必ず舞台の上で…という注意があります。また、人数制限はしっかりあって、練習も公演も、従来どおりの人数で…というわけにはいかないようです。ホール等は1/3程度の人数しか入れられません。

 ちなみに“感染予防対策”としては、次の事を求められます(要約&抜粋です)。

 ・熱があったり、熱はなくても体調が悪い人は利用できません。
 ・咳やくしゃみ、ノドの痛みがある人もダメです。
 ・マスクは必ず着用してください。
 ・手洗い、うがい、手指消毒は徹底すること。
 ・ソーシャルディスタンスの確保は必ずしてください。

 まあ、最近の常識の範囲の話で、妥当な線だと個人的には思ってます。マスク着用で歌うのは、歌う側的には「どーしたもんだろ?」って思うわけだし、酸欠で倒れないか?という心配もありますが、練習できない事と比べれば、何という事もない話です。ちなみに、これは7月8月の話で、今のところ、9月以降は従来どおりの利用基準に戻したいそうです。

 でも、これはウチの地元の話であって、この基準って、地方自治体ごとに違っているんだそうです。

 ウチの地元は、まあ割と弛めで利用者目線の基準になっていますが、かなり厳密な基準でやっているところもある一方、すでに従来どおりの利用基準でやっている所もあるようです。色々な地区の合唱団の指導をしている先生などは、各地方自治体ごとに異なる基準に対応されるのに、ご苦労されているようです。

 例えば、まだ合唱団の練習には貸せませんという所もあります。窓を開けっ放しで、人数も定員の1/4まで減らしたなら可能ですという所もあります。練習室は貸せないけれど、ホールなら貸せます(利用料金がだいぶ掛かります)という所もあります。また、マスクだけでなく、フェイスシールドも着用すればOKですよという所もあれば、人と人の間にアクリル板を立てるならOK(そのアクリル板は各自で用意してください…とか)という所もあって、本当に地方自治体ごとに対応や基準が異なるわけです。

 ちなみに、ウチの声楽の門下の発表会は…一応、準備をしていますが、実はまだまだ危うい感じなんですよ。と言うのも、横浜の音楽ホールで行うのですが、横浜の基準は…ちょっと厳しめなのです。横浜では音楽ホールはすでに再開されていますが…実は器楽のみOKで、歌はまだ不可なんです。発表会は8月の末日付近なので、そこまでに利用基準の見直しが数回あるそうなので、見直して歌がOKになれば、発表会ができるという状況なのです。

 で、見直しても、まだ歌が不可であった場合は…仕方がないので、場所を民間音楽ホールに変更します。場所を変更した場合は、発表会ではなく、おさらい会にして、お客さんは入れずに、先生生徒だけの会になります。まあ、歌えるわけですから、私は全然OKなのですが、女性の生徒さんたちは、立派な舞台で派手派手ドレスを着て歌いたいという希望があるので、民間音楽ホール(小ホール程度の小さめなホールです)では嫌よと言っている人もいるそうなので、なるべく発表会としてやりたいわけです。

 実際、一昨年は、色々な都合があって発表会を一旦止めて、おさらい会(このおさらい会には私は未参加でした)として実施したところ、やはりドレスが着たいのよという話が出て、その年末に発表会(こちらには参加しました)もやったという事実があるくらい、やっぱり皆さん、ドレスが着たいみたいなんです。

 また、先生からは、仮に発表会で独唱はOKになっても、重唱はダメと言われる可能性があるから、もしそうなったら、その時は諦めてね…と言われています。そうなると、今、練習している、ドニゼッティの「ランメルモールのルチア」の二重唱「Verranno a te sull'aure/そよ風にのって」が歌えなくなってしまいます。この曲、いい曲なんですよ。ぜひ披露したいのですが…もし歌えなくても、地元のクラシックコンサート(まだ未発表なので書けませんが、今年は時期をズラしてやるかもしれません)では歌う予定なので、そこまで我慢かな…って思ってます。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 合唱

2020年06月28日

私はコーヒーアレルギーなのか?

 命に別状がないので、あまり深刻には考えていませんが、私はもしかすると“コーヒーアレルギー”なのかしら?と、時々考えてしまいます。

 そもそも私は花粉症で、喘息の持病も持っている、アレルギー体質です。少なくとも、医者で検査して、スギ花粉とハウスダストとカニにアレルギーを持っている事は分かっています。結構、この3つのアレルギーは私的に、深刻だったりします。ほんと、アレルギー体質ってイヤだよね。

 そんなアレルギーな私ですが、最近、コーヒーを飲んだ後にノドに違和感を感じる事があり、ネットで調べてみると…なんか軽度のコーヒーアレルギーの症状があるみたいなんですね。

 実は私、コーヒーは常飲していません。どちらかと言うと、嫌いな飲料なんですね。だから、子どもの頃はもちろん、中年になっても、コーヒーはもちろん、コーヒーっぽい飲料まで含めて、ほぼほぼコーヒーなんて飲んでいませんでした。それが老人に入り口に立ち、体力に自信がなくなり、疲れが溜まって、すぐに居眠りをしてしまうようになったので、覚醒剤代わりにコーヒーを飲むようになりました。

 いやあ、コーヒーは効きますね。ほんと、眠気が吹っ飛びます。覚醒剤として、かなり有効です。

 もちろん、コーヒーは嫌いなので、楽しみのために飲むことはありませんし、覚醒剤として飲む時は、薬物だと割り切って飲んでいますので、味は二の次…ってか、心の中では「うへー、マジーマジー」と思いながら飲んでいます。もちろん、薬物として摂取していますので、ブラック無糖で飲んでいます。年齢的に砂糖の過剰摂取は控えていますし、コーヒーも嫌いだけれど、ミルクも嫌い(笑)なので、コーヒーにミルクを入れるなんて、そんな恐ろしい事はできません。なので、ブラック無糖一択なのです。

 コーヒーは本当に眠気をふっとばしてくれる優秀な薬物なんだけれど、体調によるけれど、ある程度飲むと、ノドが痛くなるんだよね。ヒリヒリして、咳をしたくなるんだけれど、咳をするとますますノドが痛むんだよ。つまり、コーヒーの飲みすぎで、ノドが腫れるわけだ。

 どうしましょ?

 ひとまず、命に別状はないみたいだし、アレルギーとしては軽症だし、覚醒剤としては有効なので、体調と相談しつつ、摂取量に配慮しつつ、今後も飲み続けていくのだろうけれど、嫌いな食べ物って、カラダが無意識に避けているわけで、もしかしたら私のカラダが「コーヒーはカラダに合わないから飲まない方が良い」→「コーヒー、嫌い」ってなっていったのかなって思いました。

 そんなふうに考えるならば、食べ物の好き嫌いって、克服するべきものではなく、尊重していくべきものなのかなって思います。

 …でもないか(笑)。

 と言うのも、私、トマトは大好きなんだけれど、トマトを食べると、ノドが痛くなるんだよね。はい、軽度のトマトアレルギーを持っています。だけど、トマトは大好きなんだよね。だから、トマトは体調が悪くなる知りながらも、ムシャムシャたくさん食べちゃし、トマトジュースはガブガブ飲みます。特に、夏の暑い日に冷えたトマトをガブリと食べるのは、まるで天国にいるように嬉しい気分になるほど、トマト好きなんだけれど…アレルギーなんだよな。

 つまり、アレルギーとは、うまく折り合いをつけながら生きていくしか無い…と言うのが、今日の結論でございます。

蛇足 コーヒーはアレルギーなんだけれど、濃いめの緑茶や紅茶は、いくら飲んでも平気なので、カフェインアレルギーとは違うんだろうなあって思ってます。カフェインアレルギーなら、コーヒーだけでなく、緑茶や紅茶でも体調が悪くなるはずなので、コーヒー独自の成分と私の折り合いが悪いんだろうと思ってます。

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posted by stone at 04:00| Comment(2) | ダイエット&エッセイ

2020年06月27日

水温計は不人気(涙)

 どうも水温計は、金魚たちには不人気のようです。

 今使用している水温計は、昔ながらのアナログ式のモノで、水槽に吸盤でくっつけておけば、外からも温度が見えるというやり方のモノを使用しています。


 で、これを人間から見やすい水槽前面のガラスに装着しているわけですが、これがよく斜めになっているんですよ。もちろんセットした時は、まっすぐにセットしています。それなのに、ふと気がつくと、斜めになっているんですよ。

 どうやら、人が見ていない時に、水温計に向かって、誰かがアタックをかけているようなのです(…って、そりゃあほぼほぼヤヨイだろうけれど)。

 とにかく、斜めになっていれば直し、直しては斜めにされ、また直し、また斜めにされ…を繰り返していたのですが、先日、ついにガラス面から水温計が外されてしまいました。吸盤って、結構強力なんですがね…。かなりの力で水温計にアタックをしたようです。幸い、水温計は水に浮くタイプなので、すぐに回収して、またガラス面に装着したわけですが…。

 それにしても、なんでこんなに不人気なんだろ? 何が気に入らないのだろう? もっとも、いくら不人気だとは言え、夏水槽では水温測定は必須事項なので、私は諦めずに、何度も水温計をセットし続けるつもりだけれど、こんなに不人気だと、やっぱり考えてしまうなあ。何がそんなに気に入らないの>(たぶん)やよいちゃん

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 金魚

2020年06月26日

目が見えないのは、マジつらいよね

 フルートのレッスンに行ってきました。今回も姉様と一緒にロングトーン練習をやったんだよ。

 で、エルステユーブンゲンは25番と26番。全然暗譜できてません。さすがに先生からも「暗譜もしようね」と言われたし、結構頑張っているんだけれど、覚えられないところは、なんかもうダメ…ってか、間違って覚えちゃっているみたいで、いくらやっても同じ間違いをしてしまうのよね。ある意味、間違いをこじらせて覚えちゃっているみたいで、手のうちようが無いというか、まあ、いずれ覚えますってか…そんな感じです。

 旋律的練習曲は5番だけれど、今までちょっと早めのテンポで吹いていたと気づいたので、ちょっとだけテンポを落として吹いたら(そもそもがLargoなんだけどサ)ミス無しで自分でも呆れるくらいにちゃんと吹けちゃいました。当然、合格です。やったね。ほんのちょっとテンポの違いで、心の余裕がうんと変わるんだよ、うんうん。

 で、次は6番なので、先生がいつもの通り、模範演奏をしてくれたのだけれど、いつもと違って、めっちゃボロボロな演奏なわけよ。まるで、先生じゃないみたい。あんまりボロボロなので、どうしたのですかって聞いちゃいましたよ。そしたら「目が見えないんだよ」ってわけです。

 先週も老眼鏡の話をしたくらい、今先生は視力で悩んでいるわけです。で、新しいメガネを作っている最中なんだけれど、まだ出来ないので、今までのメガネでレッスンに来ているのだけれど、今までのメガネでは、もう楽譜はほとんど見えないんだそうです。

 緊急事態宣言で太ってしまったという話はよく聞きますが、先生の場合、緊急宣言中は田舎に引っ込んで、悠々自適なスローライフをしていたために、あれこれ体調も変わり、視力も変わってしまったんだそうです。先生曰く「遠視がよりひどくなって、乱視も影響を受けて、今までのメガネが全く使い物にならなくなった」んだそうです。それにしても、楽譜も読めないくらいに目が見えないんじゃ、商売上がったりですね。

 さて、40リトルピーセズは33番のヘンデルのメヌエットでしたが、これ、一発合格でした。だって、ちゃんと吹けちゃったんだもん。いやあ、ヘンデルのメロディーラインって、結構好物です。次の34番は…バッハのガボッテです。うへっ、またバッハじゃん。バッハとは相性が悪い私なんです、ぐすん。

 しまった! うっかり2曲も合格してしまった。自動的に次回のレッスンまでに2曲仕上げてこないといけないじゃん、いかんいかん。今週は、歌なんて歌っている場合じゃないじゃん。フルートの譜読みに全力を注がないといけないじゃん。やべーよ、マジーよ。

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2020年06月25日

ソーシャル・ディスタンスなんて、止めちゃおう!

 クラシック系音楽ホールや映画館の話です。

 「人と人との距離を、なるべく2mは開けましょう」という、いわゆる“ソーシャル・ディスタンス”ですが、これを音楽ホールや映画館に適用するのは止めちゃおう!というのが、今回の記事の主旨です。

 だって、意味ないじゃん? それどころか、悪い影響しかないじゃん。

 まず、なぜソーシャル・ディスタンスが必要とされているのか? はっきり言っちゃえば「他人につばをかけない/かけられないため」でしょ? そのために飛沫が届かない距離(飛沫は、くしゃみで3m、咳で2mまでしか届かないんですって)離れる必要があるけれど、これはマスクをしていない時の話でしょ? マスクをしていれば、飛沫はマスクで防がれるから、会場内ではマスク着用を義務付ければ、本来、ソーシャルディスタンスは考えなくてもいいんじゃないの? 

 いや、それどころか、音楽ホールとか映画館って、みんな静かに黙って正面を見ているわけで、客同士が向かい合わせになる事もないし、おしゃべりをする事も無いわけです。だったらソーシャル・ディスタンスは不要だと思うのです。

 なので、音楽ホールや映画館では、マスクをしていれば、普通に座席にお客が入っていても、特に問題は無いと思うわけです。

 その一方、同じ音楽ホールであっても、ポピュラー系の音楽がメインのところは、客が大声あげて騒いだりするし、座席がなくて、全席立ち見で、隣の人と接触しまくりという会場もあるわけだから、さすがにそうなると、そのあたりは改善しないといけないわけだし、ソーシャル・ディスタンスの確保も、実は意味がある事なのかもしれません。

 さらに野球場やサッカー場なども、大人しく試合を観戦する…と言うのは、無理難題だし、どうしても大声出して応援したいんだから、ソーシャル・ディスタンスの確保は必要かもしれません。

 なぜ、このような事を考えているのかと言うと、今、民間音楽ホールやそれに準じるところが、どんどん潰れているからです。コロナ禍で休業を余儀なくされ、再開しても、集客は従来の半分〜それ以下では、必要経費を賄うことができず、到底経営が成り立たなくなって潰れていくからです。それらの場所の経営が成り立たずに潰れてしまえば、そこを使っていた人たちが活動できなくなり、活動する人たちが減ってくれば、やがてその分野は寂れてしまいます。音楽だって、他人事じゃないよ。

 なので、クラシック系コンサートと映画館は、その性質上、ソーシャル・ディスタンスなんて守る必要はないのだから、従来どおり、普通にお客を入れても良いことにしましょう。ただし、お客さんは、マスクを着用する事ね。

 ポピュラー系は…難しいですね。正直、客の立場で言えば、大声出して騒ぎたいのが本音ですからね。大声出しちゃダメとか、騒いじゃダメなら、ライブに行く意味ないじゃんと考える人がいても不思議じゃないもの。それは野球やサッカーも同じ。試合観戦と同時に大声だして応援したいから試合を見に行くわけで、ほんと、これらは難しいと思います。ソーシャル・ディスタンスだって必要かもしれません。

 でもね、でもね。ケ小平の先富論じゃないけれど、できるところから始めるしかないと思います。そうしないと、共倒れだよ。

 というわけで、クラシック系コンサートと映画館は、ソーシャル・ディスタンスなんて止めて、従来どおりの定員でたっぷりお客を入れていきましょう。それで経済を少しでも回していきましょう。

 ポピュラー音楽とか野球とかサッカーとかは、その業界の人たちが知恵を絞って、従来どおりの定員でお客を入れられるようなやり方を考えて、経済を回していきましょう。でないと、マジでライブハウスとか、潰れちゃうよ。音楽家がどんどん廃業していっちゃうよ。

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posted by stone at 04:00| Comment(4) | 音楽一般

2020年06月24日

日本の歌劇団の上演を見て思うこと その2

 裏方関係にいきます。

 衣装は、時折へんてこな衣装を着ている公演もありますが、そういう一部の演目を除けば、日本のオペラは、まあまあ頑張っていると思ってます。特に「蝶々夫人」を演じる時の衣装は、どの団体であっても、世界でもピカイチだと思いますよ。

 むしろ、どうにかならないのかと思うのは、大道具です。日本のオペラは、本当に背景が残念な公演が多いんですよね。最近は、残念すぎる背景の代わりに、プロジェクション・マッピングを使用した公演もありますが、プロジェクション・マッピングを使ったから、大道具はスクリーンだけがあれば良い…とはならないと思います。あちらの歌劇場のように、各幕ごとに大道具を変えよう…とまでは言わないけれど、せめて各幕ごとに舞台の印象は変えようよ。

 演出は…こじらせていると言うか、力が入りすぎている舞台ばかりを見たような気がします。ライトなファンには厳しい演出が多いかな…。もっと素直で分かりやすい舞台を見たいと思いますが、そういうモノは海外のモノをDVDで見るしかないかなって気がします。もっとも、最近は海外でも(特にヨーロッパ関係は)こじらせ演出が増えているような気がします。

 結局、なんでそうなってしまったのか言えば、答えは単純で「誰もオペラを見ないから」ですね。なぜオペラを見に行かないのかと言えば、日本のオペラはエンタメではなく、勉強だからです。要はつまらないんです。つまらないから誰も見に行かなくて、エンタメになりきれないのです。

 エンタメなら好きな方が大勢集まって、お金を払って見に行きますが、勉強なら、それを学んでいる人たちがしぶしぶ行くぐらいですからね。ほぼ身内か関係者ばかり…って感じです。

 で、誰もオペラを見に行かないから、オペラではお金が稼げないわけで、お金が稼げないから、上演機会も少なくなり、少ない上演機会を有効に使うために、あれこれ考えて準備してしまい、その結果、アレコレこじらせてしまうのだろうと思います。

 オペラじゃ金が稼げないのは日本だけの話ではなく、最近では、ヨーロッパなんかもそんな状況のようです。だからヨーロッパの歌劇場も演出をこじらせてしまうわけだ。だから、日本が…というよりも、オペラ自体が金にならないコンテンツ…つまりオワコンなのかもしれません。

 オペラがオワコンになってしまった理由の一つに、オペラって新作を作りづらいんですよね。新作の音楽劇を作れば、それはオペラではなくミュージカルになってしまうのが現代です。やはり新作を作れないコンテンツは厳しいと思います。歌舞伎もオペラ同様に古い芸能ですが、常に新作を作っていますので、未だにオワコンにならずに頑張れているのだろうと思います。最近見た、ナウシカ歌舞伎なんて、本当にすごかったもの!

 あと、オペラって演じる側が(無意識だろうけれど)客を見下している部分があるじゃないですか?(もちろん、異論は認めます:笑) オペラ歌手の皆さんは、皆がみんな、、有名な音楽大学を優秀な成績で卒業されたセレブな方ばかりだし、その上、海外で何年もかけて勉強してきたような選ばれた優秀な人たちの集団じゃないですか? いわゆる先生方で成り立っているのがオペラの世界でしょ?

 ポピュラー音楽とかミュージカルとか歌舞伎とかって、すごい学歴や家柄の方もいるけれど、その一方で、庶民に毛の生えた程度の人なのに、努力と才能でのし上がってきたような人もいるわけで、そういうごった煮感がオペラには無いんだよね。いくら才能があっても、中卒や高卒の人はオペラ歌手にはなれないし、演劇を勉強してきた人がちょっと歌を学んだ程度じゃオペラ歌手にはなれないでしょ? でも、そういう人でもミュージカルなら演じて歌えるわけですよ。ミュージカルも庶民的とは言えないかもしれないけれど、オペラに至っては、全然親しみやすくないんだよね。ま、オペラってそういうモノだから、仕方ないのかもしれません。

 そんなオペラが大好きな私って、たぶん変態なんだと思う(笑)。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 歌劇

2020年06月23日

日本の歌劇団の上演を見て思うこと その1

 いよいよ、新国立劇場の巣ごもりシアターは最終週に入りました。今までたくさんのオペラを無料で見せていただき感謝しております。ほんと、ありがとうございました。

 さて、先日は、新国立劇場の巣ごもりシアターの感想を書いた私ですが、別に新国立劇場しか日本の歌劇団の上演を見たことが無いわけでもなく、過去には、二期会や藤原歌劇団、その他大小色々な歌劇団の公演を見せていただきました。それらを見てきての感想を書きます。

 まず、歌手の歌のレベルは、一部の市民オペラを除けば、合格点かそれ以上の出来です。今の日本人オペラ歌手って、ずば抜けた特別な方はいません(ごめんなさい)が、実に上手な方が揃っているというのが、私の感想です。平均点が高い…って感じでしょうか。

 で、歌のレベルはなかなか良いのですが、演技の方は…というと、一般的な俳優レベルに到達していない方が多いかな? つまり、日本のオペラ歌手はあくまでも歌手であって、俳優とは言えないレベルだなってのが、私の感想です。海外のオペラ歌手の方々は、有名な人でも、それほどでない人であっても、演技力がある人が多いですからね。とは言え、日本の歌手の演技力が足りないとは言え、歌の邪魔になるほどの下手っぴはいないと思います。

 日本のオペラ歌手の今後の目標は、歌はさておき、演技力を俳優レベルにするって事でしょうか? そこまで行って、本当の意味での“世界に通じるオペラ歌手”ってモンだろうと思います。そういう意味では、今後が楽しみです。

 というわけで、個々の日本のオペラ歌手のレベルには、歌至上主義の私にとっては、まあまあ満足の行くレベルだと思っています。いや、ほんと、歌手の皆さんの歌の巧さに関しては、実に脱帽モノだと思っています。

 ただ、それはソロ歌手の話であって、合唱となると、ちょっと話は変わるかな…? って思ってます。

 全部の公演ではありません。いや、それなりの数の公演で、私は合唱に不足を感じません…が、その一方で、少なからぬ数の公演で、合唱に不足を感じるのも事実なのです。

 この場合、市民オペラは数に入れません。市民オペラは、ソロ歌手はプロの方が演じていることが多いですが、合唱はまずアマチュアの方々が担当している事もあり、そんなアマチュアの合唱に関して、アレコレ言うのは私の本意ではありません。

 プロの方々が合唱を担当しているような公演であっても、合唱に不足…というよりも、合唱が全然足りていない公演にしばしば出会います。足りていないというのは、合唱全体の人数が少なくて、声の塊を感じる事ができない“しょぼい合唱”のケースと、各パートの人数のバランスが悪くて、聞いていて、あまり気持ちよくないケースの2ケースあるんです。

 最初の“しょぼい合唱”と言うのは、合唱の人数があまりに少ない場合です。合唱というよりも重唱のように聞こえ、決して合唱の持つ「集団のちから」を感じる事ができずに、しょぼく感じてしまうのです。次の“バランスが悪い”は、文字通り声のバランスが悪くて、だいたいの場合、合唱なのに女声ばかりで男声が少なかったり弱かったりして、ハーモニーのバランスが悪い合唱だったりするんです。

 おそらくこれは制作費の問題なんだろうと思います。経費さえ許せば、もっと合唱に人数が割けるのに、合唱をこれ以上増やすと収益的にまずい…って事で、合唱の人数が抑えられているのだろうと思います。で、こんな事になってしまうのです。

 というわけで、ソロはともかく、オペラの合唱に関しては、残念だと感じる事も多々ある私だったりするんです。

蛇足 日本の歌手に決定的に不足しているのは、ダンス能力だと思います。そもそもオペラでは、歌と演技は歌手が、舞踏はバレエダンサーが担当するのが伝統的な取り決めだと思いますが、昨今の海外オペラ団では(演出の必要もあるのでしょうが)歌手が踊る場面があります。おそらく、今後は海外でのオペラ歌手には、歌と演技の他に、舞踏も求められるようになるのではないでしょうか? 日本の歌手の場合、踊ると歌の鑑賞に支障がほど苦手な方が大勢いらっしゃるように思われます。今は演技力の向上がまず求められていますが、ダンス能力も磨いていかないと、海外のレベルには追いつけないと思います。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 歌劇

2020年06月22日

カラオケはヤバいのか?

 最近のコロナ関連のニュースで、ここのところクラスターになっているのが、東京ではホストクラブ、北海道では昼カラだという報道がありました。ホストクラブに関しては、横に置いておいて、昼カラがクラスターと言うのは、ちょっとヤバいかなって感じてます。

 昼カラと言うのは、札幌市の保健所の定義では「喫茶店などで昼食・軽食の提供などと合わせて日中に行われるカラオケ」の事で、当地では、50代以上の高齢者の皆さんが愛用しているんだそうです。

 湘南地方には、昼カラに相当するものはありません。だいたい皆、歌いたければ、カラオケ専門店に行きます。そういう専門店では、カラオケが歌えるだけでなく、スナックやドリンクを注文するのは、まあ普通だし、軽食も食べる事はできるし、実態としては札幌の昼カラと大きく違わないと思います。所詮、カラオケだしね。違うとすれば、カラオケ専門店は、グループに分かれて、それぞれの個室でカラオケを楽しむのだけれど、昼カラは、店に一台あるカラオケをみんなで楽しむというスタイルが違うかもしれませんが…やっぱりカラオケはカラオケだよね。

 ちなみに、札幌市保健所は、昼カラ屋さんに対して、歌唱時のマスク着用と、マイクのこまめな消毒等を求めているんだそうです。ううむ、つまり“マイクの共用”が問題なのかな?

 私はカラオケに行っても、まずマイクは使いません。だって、マイク使うと、うるさくて困るからね。なので、伴奏だけ流して、ノーマイクで歌って楽しんでいますが…こんな事をするのは、一部の変態だけで、普通の人はカラオケではマイクを使用します。だって、マイクは音量を増大するだけでなく、エコーをかけて美声にしてくれるし、採点だってしてくれるし、マイクを使わないカラオケなんて、まあ無いよね。

 でもマイクって、至近距離で飛沫を浴び続ける、バッチいモノであるのは事実だわな。それをみんなで共有して使うなんて、そりゃあ危ないかもしれません。

 対策としては…マイマイク使用がベストかもしれないけれど、そういうわけにはいかないよね。となると、マスク&手袋の使用ですか? マスクしたまま歌って、楽しいですか?

 そう言えば、ポピュラー系のヴォーカル教室では、マイクを使ってレッスンをしているわけだけれど、どんな対策をして感染予防をしているのかしら? 興味あります。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 音楽一般

2020年06月21日

オオカミとヤマイヌとイエイヌ、野良犬と野犬、おまけに狂犬病

 ちょっとイヌについて勉強したので、それについて書いてみたいと思います。

 かつて日本にはオオカミがいました。ニホンオオカミと呼ばれていましたが、約百年ほど前に絶滅してしまいました。オオカミはイヌと近い関係にありますが、別の種類の動物です。海外のオオカミは大型犬ほどの大きさがありますが、ニホンオオカミは中型犬程度の大きさ(ま、日本のモノは外国のモノと比べると、なんでも小さいんです)でしたが、イヌと比べると、筋肉質で足も太くてパワー系の体格をしていたそうです。

 一方、ヤマイヌという動物がいました。これは野生のイヌで、オオカミ以上にイヌに近い種類の動物ですが、日本ではだいぶ前に絶滅してしまいました。

 いわゆるイヌは、正確にはイエイヌと言います。現在、日本にいるイヌは、ほとんどがイエイヌです。大型犬から小型犬まで、いわゆる和犬も洋犬も含め、たくさんの種類のイエイヌがいます。

 その一方で、野良犬と呼ばれるイヌがいます。これは種類的にはイエイヌであり、人間に飼われずに市中で生活しているイヌの事をそう呼びます。野良犬は、狂犬病予防のために駆除対象になっています。見つかり次第、行政によって捕獲され殺処分されます。私が子供の頃は、まだまだ野良犬は市中に普通にいましたが、今では…ほとんど見かけなくなりました。

 野犬と呼ばれるイヌがいます。これは野良犬の発展型で、市中ではなく里山等で、野生で暮らすイエイヌたちを呼びます。多くは群れを作り、人里や農作物を襲います。野犬は害獣なので、狩猟対象です(意外な事に、野良犬は捕獲対象ですが、狩猟対象ではないのです)。

 面倒な事に、日本では古来より、オオカミとヤマイヌと野犬をごっちゃにしがちで、これらを区別しなかった地方もあるそうで(山で暮らしているイヌっぽい動物という点ではこの3つは共通点あるものね)で、昔の文献を読む時は、そのあたりを気をつけないといけないそうです。

 狂犬病について。“犬”という字が入っているので、イヌの病気と思われがちだけれど、これは哺乳類全般が罹患する病気です。もちろん、人間も罹患します。

 人間の場合、発症してしまうと、致死率は100%です。ある意味、新型コロナよりもエイズよりも怖い“死に至る病”の一つです。で、日本では、狂犬病は主にイヌから伝染ります。狂犬病に罹っているイヌにヒトが噛まれる事で伝染ります。潜伏期間は3ヶ月〜3年ほどです。なんと、幅の広い! 治療法は、ワクチン注射です。イヌに噛まれたら、すぐにワクチン注射(それも複数回)をする事で、病気の発症を抑えられます。狂犬病は発症してしまったらやばい病気ですが、発症さえしなければ何ともありません。しかし、イヌに噛まれた事を軽く考え、潜伏期間も長い事から、今でも世界では、狂犬病で死ぬ人が絶えません。

 狂犬病は本当に怖い病気です。野良犬が捕獲され殺処分されるのも、狂犬病予防のためです。

 狂犬病の症状は…言葉は悪いのですが、気が狂ってしまったかのような症状を示すそうです。例えば、常に何かに怯え、たまに錯乱して叫びだし、水を怖がり、風にあたると痙攣を起こし、手足をうまく動かすことができなくなり、高熱を出し、その後、呼吸困難になって死んでしまいます。

 ちなみに世界的には、日本とイギリスとオーストラリアでは狂犬病は撲滅されましたが、それ以外の国では、まだまだごくありふれた病気です。今でもたまに日本人が狂犬病で亡くなっていますが、その理由は海外旅行先でイヌにかまれ、それを軽く考えてしまった事で死に至るのです。

 なお、狂犬病はイヌだけの病気ではないので、海外では、コウモリやハクビシン、キツネ,ネコなどにも注意が必要です。狂犬病は唾液を経由して伝染するので、傷口にこれらの動物の唾液が触れる事で感染しますので、噛まれるだけでなく、傷口をなめられても病気は伝染ります。

 日本の場合、飼い犬は狂犬病の予防注射の接種が義務付けられています。それもあって、日本では狂犬病が撲滅されましたが、狂犬病はネコにも伝染りますし、ネコから人にも伝染ります。

 野良犬はほぼ駆逐されてしまいましたが、野良猫はまだまだたくさんいます…それどころか、最近では地域猫と呼んで、野良猫にエサを与えたり、不妊手術を行ったりという、責任を持っているのか無責任なのか、よく分からない飼い方でネコを養っている方もいます。

 今は日本国内に狂犬病ウィルスがいないので安心と言えば安心ですが、万が一、日本に再び狂犬病が入り込んだ時、イヌはきちんと法的に管理されているので大丈夫でしょうけど、ネコは法的に管理されていないので、次は野良猫や地域猫を媒介に狂犬病が蔓延するかもしれません。そう思うと、ちょっぴり恐ろしい私でした。だって、かつて日本では、ペットと言えば、イヌが大多数だったそうですが、今の時代、イヌよりもネコの方がペットとしては数が多いんだそうです。いまやペットの王様はネコちゃんなんだそうです。だからこそ、ネコから狂犬病が広まらないとは限らないじゃない?

蛇足 ネコカフェも考えてみると、ちょっぴり怖いよね。狂犬病はおおげさだとしても、現実問題として、トキソプラズマもあるからね。ネコカフェの子たちは、きちんと健康管理されている…と信じてますよ。

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posted by stone at 04:00| Comment(4) | ダイエット&エッセイ

2020年06月20日

そう言えば、なぜ焼き芋が売られているのだ?

 ウチの金魚たちが焼き芋が好きなので、最近は割とよく焼き芋を買ってきます。焼き芋って、普通にスーパーの野菜売り場に売っていたりするのですが、冷静に考えると、暦の上では、立夏はとっくに過ぎ、今や立派に夏だったりするんですが、そんな夏のど真ん中なのに、スーパーでは焼き芋を売っているって、実に謎であります。

 だって、焼き芋って季節商品でしょ? 歳時記を見れば、焼き芋は冬の季語だよ。冷やし中華は冬場はメニューから消えるし、肉まんあんまんも夏は売らないよ。リアルな焼き芋屋だって、真夏は屋台を見かけなくなるしね。

 まあ、美味しいからいいんだと言えば、それっきりだし、私以外にも焼き芋を買う人がいるから、普通に売っているんだろうと思いますが、それにしても、なぜ焼き芋が売られているのだ? 実に不思議で不可解です。

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posted by stone at 04:00| Comment(2) | 金魚

2020年06月19日

遠近両用は視界がゆがむ

 フルートのレッスンに行ってきました。二週間連続でレッスンに行けちゃうなんて、私にしてはかなり珍しいです。うれしいです。

 今回は、久しぶりに姉様が私の前の時間にレッスンをしていました。私もレッスンを休みがちですが、姉様もレッスンを休みがちな人なので、顔を合わせるなんて、いやあ珍しいです。姉様は、例によって先生と二重奏をしていましたが、ほぼほぼコンサートレベルの曲をやってました。これくらい上手くなると、フルートを吹いていても楽しいだろうなあ。

 というわけで、三人でロングトーン練習をしました。すごくバッチリでした。たぶん、私が上達…ってか、耳が良くなったんだろうなあって感じました。コロナ禍もあって、仕事がゆるくて、体力に余裕があるので、きちんと音が聞けるんだろうなあって思いました。普段は、疲れ切ってレッスンを受けているので、気持ちに余裕がなくて、音もちゃんと(聞いているつもりでも)聞き取れていないからなあ…とちょっぴり残念な気分になりました。

 エルステユーブンゲンは…25番と26番です。全然暗譜できません。それどころ、25番はまあまあですが、26番はちょっぴり吹き間違いをしてしまいました。ダメじゃん。

 旋律的練習曲は5番です。どうでもいいような細かい部分でミスを連発してしまいました。基本的な練習時間が不足し、それで吹き込みが足りないためのミスなんだよなあ…って分かっているのに、ミスります。ダメだな。逆に言えば、難しいところ、短い練習時間でも集中してさらって来ますので、案外何とかなっていたりするんです。

 40リトルピーセズは、32番のバッハのポロネーズです。これは合格しました。この曲は、全般的に難しいので、きちんと練習できた事が勝因でしょうね。吹きやすい曲は、練習段階である程度吹けちゃうので、あんまりきちんと練習してこなかったりするんです。次の33番はヘンデルのメヌエットです(って、何の曲だ?)。頑張りましょう。

 今回の世間話は老眼鏡についてです。私も先生も老眼鏡の愛用者です。二人とも、基本的に遠視+乱視の上に老眼なので、あれこれ困っております。

 乱視って(自覚ないけれど)モノが歪んで見えているんですよね。そのせいもあるのかもしれませんが、私は楽譜が苦手です。たとえば“レ”なのに“シ”に見えちゃうなんて、ザラなんだよね。ま、これは乱視が原因ではなく、うかつな性格が原因かもしれませんが(笑)。

 老眼鏡で困るのは、ピントが固定式であるという点でしょう。そのため、先生は距離に合わせて、複数の老眼鏡を持ち歩いていて、シーンごとに使い分けています。

 私はそれは面倒なので、いわゆる遠近両用の老眼鏡を使っているのですが、先生は遠近両用が大嫌いなので、やむなく複数の老眼鏡を持ち歩いているわけです。なぜ、遠近両用メガネが嫌いなのかと言えば「モノが歪んで見えるから」だそうです。

 これは私にも自覚があります。ただし、左右に歪むのではなく(左右に歪むのは遠視のせいです)、遠近両用の場合、手前と奥の関係が歪み、モノの距離感が大きく変わります。慣れないとかなり気持ち悪いです…が、私は慣れてしまったので、それはそれ、これはこれで平気になりました。

 なので、私は外出時は遠近両用老眼鏡を使い、自宅では各部屋ごとに100均で購入した読書用メガネ(いわゆる老眼鏡)を常備しています。確かに安い眼鏡はモノが安く見えますが、これも慣れれば気にならなくなります。

 先生はモノの歪みが気になるようですが、私は最初こそ違和感を感じますが、やがて慣れる…というか気にしなくなるので、歪みの多い安い眼鏡や遠近両用でも、普通に使えちゃうわけなんです。そういう意味では、おおらかな性格なんです、私。

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2020年06月18日

虚栄心からは逃げられない

 声楽のレッスンのさらに続きです。次の曲は、プッチーニ作曲の「トゥーランドット」より「Non piangere, Liu!/泣くなリューよ!」です。

 この曲もリズムが難しいです。ただ、最初に2分音符が4つばかりピアノで叩かれますので、気を抜かずにしっかりと聞いていれば、テンポはつかめるので、気さえしっかりしていたら、何とかなるのです(…が、歌い出しの時は、アレコレいらない事を考えてしまって、イントロをなんとなく聞き過ごしてしまう私だったりします:汗)。

 メロディーに三連符や六連符が多用されていますので、そこは何となくではなく、きっちりとリズムを正しく歌う事。細かいところをいい加減に歌ってはいけないのです。音程は、常に高いところから声を回して取るようにする事。

 最高音がある“che non sorride piu!”は、出だしの“che”の発声に注意する事。次の“non”(ここに最高音Bがあります)を意識してしまい、つい“che”を発声する時にノドを上に引っ張りがちだけれど、それをやってしまうと“non”がBに届かない事になりがち。むしろ“che”の発声は、逆にノドを下に引っ張った方が良いのです。もちろん、次の高音に備えて、高めの倍音をたくさん出しておく必要はありますが、ノドはむしろ下に引っ張っておくのです。“che”でノドを下に引っ張り、それを保持したまま、次の“non”の前で、さらにノドを上に引っ張るのです。このやり方が最高音を楽に出せるやり方です。よく先生は「一度上に引っ掛けてから、下に引っ張る」という指示を出しますが、まさにこれがそうなのだなと思いました。

 次は、ドニゼッティ作曲「ランメルモールのルチア」の二重唱「Verranno a te sull'aure/そよ風にのって」です。今回は曲の後半部を歌いました。

 まず、この曲をどんなカットやバリエーションで歌うべきかですが、ひとまず、マリア・カラスがやったように歌う方向にしました。先生曰く「マリア・カラスがやれば、それが世界標準!」なんだそうです。ま、そうだよね。なので、マリア・カラスがカットした部分はカットし、マリア・カラスが歌わずに休んだところは休み、マリア・カラスが歌詞を変えた部分はカラスが歌った歌詞で歌う事にし、ちょこっとメロディを変えた部分もカラスがしたようにして歌う事にしたわけです。

 つまり、こんな感じ。


 この音源でのカラスのパートナーはディ・ステファーノだけれど、私的には彼ではなくタリアヴィーニの方を目指しています。

 ちなみに、最後の音は最高音Bだけれど(この音は、ここだけでなく曲中何度も出てきて厄介です)、最後だし、白音符だし、聞かせどころだし、だから歌う時につい虚栄心を発揮して、カッコつけて歌おうとして、ついついノドに力が入って、結果的に音程がフラットしてしまうわけです。それはもちろんダメなので、虚栄心を廃し、自分は高音を出すマシンであると思いこんで、虚心に発声しないとダメですよって言われました。ま、そりゃそうだね。でも私は人間なので、どうしてもカッコつけたがるんです。だってテノールだもん(笑)。

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2020年06月17日

“t”を外して練習

 声楽のレッスンの続きです。曲の練習です。先生から「ドイツリートはどうしますか?」という質問がありましたので、やってもよいが発表会に向けての練習を優先したいと伝えましたので、今回からは発表会に向けての練習って事で、シューベルトの「美しい水車小屋の娘」は、しばらくお休みです。ちょっぴり残念です。

 で、トスティ作曲の「L'alba separa dalla luce l'ombra/暁は光から」です。前回も注意された事を再び注意されました。

 とにかく、曲の出だしが難しいです。うまくリズムに乗って歌えません。しばらく歌っていると、やがてリズムに乗れるのですが、やはり曲の冒頭部は難しいです。本番では、イントロを長くするつもりでいるので、おそらく問題はないでしょうが、今は勉強なので、正式なイントロ(たった5拍)でリズムとテンポに乗って歌うことに慣れる練習をしました。なかなか、難しいです。

 歌詞を読み取って、声に色をつけて歌わないといけません。

 後半、高音が続く所は、焦ってアクセルを踏むことなく、こらえて楽に高音を出していく事が肝心で、アクセルを踏むのは最後の最後まで我慢をしなさいと言われました。もっとも、妻からは、アクセルを踏むと音程が少し下がる傾向があるから、最後もアクセルを踏まないままで歌ったほうがいいんじゃない?というアドヴァイスをもらっちゃいました。でも、高音を歌う時は、アクセルを踏んだ方が絶対気持ちいいんだけれどなあ…。

 最後の高音が含まれているフレーズ“il sole eter”の“eter”に高音Bが当てられているのだけれど、これをこのまま“eter”と素直に歌ってしまうと、声が詰まりがちで高音がスカッと出ない傾向があるそうです。で試しに“t”を外して“e-er”で歌ってみると、かなり楽に高いBが歌えます。確かに“t”は邪魔くさいなあ。これがあるだけで難易度が数段上がります。そこで自宅練習の時は“t”を外して練習をして、そこに徐々に弱めの“t”を加えるようにしていった方が結果が良さそうです。

 こんな感じで、発表会の練習を進めていますが、コロナは大丈夫でしょうか? 8月のほぼ末日付近に発表会を行う予定なのですが、いわゆる第2波がやってきて、また自粛レベルがあがってしまうと、私達の発表会が吹っ飛んでしまいます。

 あと、心配は、発表会後の打ち上げです。打ち上げは…少人数でのパーティーになるわけだから、今のような状況下では、もちろんできません。アウトです。今よりも、ずっとずっと状態が良くならないと行えません。しかし…打ち上げの無い発表会なんて、考えられないよね。うーん、打ち上げやりたい(熱望)。

 コロナ退散、早く以前のような日常生活が戻ってきますように(祈)。

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2020年06月16日

いかにパワーレスで歌うべきか

 声楽のレッスンに行ってきました。レッスン場所はいつもの会場(Y先生の別宅)でしたが、レッスン会場がちょっぴり模様替えされていました。部屋が大きな透明なビニルで2つに仕切られていました。これで先生と私達は接触したくてもできない…という状況になります。ま、接触する必要なんて全く無いんですけれどね。

 まず最初は、発表会のあれこれについて相談しました。一人の持ち時間は10分である事は確定となりましたので、私はまだ90秒ほどの余り時間があります(二重唱は妻と時間を折半します)。90秒なので、そのまま捨ててしまってもいいのですが、なんか勿体ないので、発声練習代わりの曲を、もう一曲歌う事にしました。それはイタリア古典歌曲で、ドゥランテ作曲の「Danza, fanciulla gentile/踊れ、優しい娘よ」です。この曲は短いし、テンポも速くて、声出しに最適ってわけです。発表会では高声版で歌います。

 知らない人のために、こんな感じの曲です。


 さて、レッスンです。いつもどおり、ハミング練習から発声練習をしました。今回の練習目的は、いかにパワーレスで歌うか、特に高音を力づくではなくテクニックで発声していくかという練習です。もちろん、声はパワーレスであっても、息はしっかり支えます。パワーレスで歌えば、当然、ノド周辺は不安定になります。その不安定さを回避するために、ついつい力づくで歌ってしまう私ですが、それではダメで、不安定さは息をしっかり支える事で回避します。

 ポイントは、息の支えと、クチ(ノド)の開きと、息の速度&量だと感じました。これら3つをバランス良く実行できた時に、楽に高音発声ができるような気がします。この感覚を体に叩き込む事が大切です。

 私の場合、息の支えが弱いのはいつもの事ですが、クチの開きというか、ノドの奥をどれだけ開けて伸ばすか…なのですが、これが全然できていないような気がします。できていない…と言うよりも、それを行うための筋肉を認識できていないって感じです。まだまだです。

 筋肉を認識するというのは、とても大切な事で、まずは認識できないと鍛えることもできません。逆に言えば、認識して意識をする事で、ようやくその筋肉を鍛える事ができるわけなのです。

 息の速度&量に関しては、音程が高くなるにつれ、息の速度は速くしないといけませんが、息の量は逆に減らしていかないといけません。息の量が多いと、高音が出ないだけでなく、ノドも痛めて、声が早く減ってしまいますので、注意が必要です。感覚としては、フルートで高音を吹く時の息…かな?って感じで吐いてます。声楽学習は、あれこれフルート演奏に役立っていますが、フルート学習が声楽に役立つことがあるとは思いませんでした。

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2020年06月15日

おめでとう、トスティ歌曲全集、完結です!

 今頃と言ってしまえば今頃なんですが、ブリリアント・クラシックスで行われていた「トスティ歌曲全集(THE SONG OF A LIFE)」が全4巻でようやく完結したのです。おめでとうございます。





 トスティの歌曲って、実にたくさんあるんですね。普段私達が聞けるのは、その中のほんの一部です。こういう全集を聞くと、普段は耳にしない“隠れた名曲”が聞けるのが、うれしいです。

 トスティの歌曲って、イタリア語の歌詞に曲をつけたものが、たくさんありますが、実は英語やフランス語の歌詞に曲をつけたものも、たくさんあります。トスティは長いことイギリス王室で働いていた作曲家なので、そのせいもあって、私の個人的な感覚ですが、英語詩の歌曲にはなかなかの名曲があると思ってます。“Addio”なんかは、そもそもが英語詩の“Good-bye”という曲で、これをイタリア語詩に差し替えたのが“Addio”なんですね。

 録音も新しく、歌唱も良い、よくできた全集だと思います。でも、あえてダメを出すならば…オリジナルの調性で歌われていない曲があまりに多くて残念だ…と書き添えておきます。

 トスティの歌曲は、もともとテノールやソプラノなどの高声歌手を対象に書かれたものが多いです。ま、これはトスティに限らず、大抵の作曲家がソプラノを対象に曲を書く傾向になるので、これ自体は特別なことではありません。ですから、たいていの場合、出版社から出される楽譜集は原調版と、それではちょっと高すぎる歌手のための低声版の2つが販売されるわけです。歌手たちの普段遣いであるならば、自分の声に合わせて、それぞれをチョイスして歌えばいいと思います。

 しかし全集となると、ちょっと話は違うと私は思ってます。やはり、全集であるならば、オリジナルである原調で歌って欲しいなあと思うし、声種指定がある曲ならば、せめて当該声種の歌手で吹き込んで欲しいと思うわけです。

 でも、このトスティの歌曲全集は違います。オリジナルの調性ではなく、低声版の楽譜で歌われているものがたくさんあります。

 「低声版と言っても、低めに移調されただけでしょ? 問題ないじゃん」確かにそんな曲もありますが、実はメロディーの一部が改変されている曲もあるのです。おそらく太めの声で歌うなら、より効果的なメロディーラインに改変しているのでしょう。そういう意味でも、全集録音であるならば、オリジナルの調性で統一して録音してほしかったなと思ってます。

 で、あってもトスティの歌曲全集の完結なんて、他には無いので、実に素晴らしい事だと思います。

 ん? そうそう、この歌曲全集は輸入盤なので、日本語曲名とか訳詞とかは付いてません。訳詞はともかく、日本語曲名に関しては、私は以下の本を参考にしました。


 この本は、前半がトスティの評伝、後半が作品解説。おまけに作品表が載っていて、すべての歌曲に日本語タイトルが付いていますので、私はそれを参考にしました。

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posted by stone at 04:00| Comment(2) | 声楽のエッセイ

2020年06月14日

2020年は厄年なのかもしれません

 今年、2020年は、我々人類はかなりやばい状況と向き合っています。

 ひとつはみなさんもご承知のコロナ禍です。これはヒドイね。全世界での死者数が、今の所、約40万人です。人口40万人と言えば、関東で言えば横須賀市、関西で言えば枚方市、国で言えばバハマとかブルネイが、そのくらいです。世界人口(約80億人)から見れば、40万人と言えば、統計的には「ほぼゼロ」と言っていいほどの少数(意外でしょ? でも統計なんてそんなモンよ)ですが、実際、バハマ全滅とかなったら、やっぱり大問題だよね。世界の大ニュースだよね。

 日本人的には対岸の火事で、あまり報道にも上がっていない話なのですが、実は今、コロナウィルス以上に猛威を奮っているのが、バッタなんだそうです。

 サバクトビバッタ。こいつが現在、大量発生中なんだそうです。日本人のイメージだと、大量発生するバッタと言えば、イナゴを思い浮かべますが、このサバクトビバッタは、そんなかわいいバッタではなく、日本で言えばトノサマバッタに類似した種類で、なかなか大型で獰猛なバッタなんだそうです。

 アラビア半島南部で大量発生したバッタが風にのって移動して、今や、アフリカ西海岸やインド(って、全く逆方向じゃん)で作物を食い漁っているんだそうです。バッタの数は、もう数えられないほどに増えてしまったそうです。1キロ四方で8000万匹いるそうで、一つの群れだけで数キロ四方に及ぶんだそうです。もうすごいね。写真で見ると、バッタの中に世界があるような感じになります。一説では今年のサバクトビバッタは、全部で4000億匹もいるそうです(どうやって数えたんだろ)。

 一度発生したバッタは、まだ群れが小さいうちなら、殺虫剤散布などで駆除できるそうですが、コロナ禍のおかげで、物流がストップし殺虫剤も行き渡らず、街がロックアウトされ、駆除を指導する専門家たちも現地に行けず、結果、みすみすバッタの大量発生となってしまったそうです。

 大量発生してしまったバッタの群れには、もはや打つ手はないんだそうです。ただただ、作物を食い尽くされるだけなんだそうです。インドはたまたま収穫後にバッタが発生したのが不幸中の幸いで、作物への被害は最小限に留められたのだそうだけれど、アフリカは収穫期直前だったので、作物はほぼほぼ全滅。これから飢饉が発生し、大量の現地人が亡くなることが予想されるそうです。切ないね。

 日本には幸い、サバクトビバッタはやってきませんが、インドで作物を食べ尽くしたバッタは、歴史的には、そのまま中国に入り込んで、中国南部の作物を食べ尽くしてしまうのだそうです。で、歴代の中国政府は、バッタの被害を“天災”とみなして、何の手も打ってこなかったんだそうです。無為無策な政府にはあきれますが、手が打てないのなら仕方ないです。

 ちなみに、中国人はバッタを食べるんだそうです。このサバクトビバッタは毒を持っているそうだけれど、その毒に負けずに中国人たちはバッタを食べるんだそうです。なので、バッタ襲来は、作物が食われるという被害もありますが、貴重なタンパク質が大量にやってくるという面もあり、あれを食べ物と認識しているなら、簡単に駆除なんてできないかもなあ…。

 今回、インドに行ったバッタは、インドではロクに食べていないので、お腹をすかせたまま、中国へ移動している最中なんだそうです。バッタが中国の作物を食べ尽くすのが先か、それとも中国人たちがバッタを食べ尽くすのが先か…ある意味、人類とバッタの食うや食わずやの戦いが始まるわけです。中国で飢饉が発生したら、中国人が死んでしまうのは当然として、今や我々日本人の食卓だって、かなりの割合で中国産の食物で成り立っているわけですから、中国の飢饉は、もはや対岸の火事と、すまして見ていられる状態ではないかもしれません。

 秋には、日本でも、あらゆる食品が不足し始めるかもしれません。まさに、2020年は厄年なのかもしれません。もっとも日本の場合、中国産食品が不足したら、別の地域から食品を輸入すればいいだけ…って話なのかもしれませんが。

蛇足 大量発生でうれしいのは“ピカチュー”ですね。毎年、夏になると横浜でピカチューが大発生します。でも、今年は“ピカチュー大発生チュウ”はやらないかもしれないですね、しくしく。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | ダイエット&エッセイ

2020年06月13日

やっぱり焼き芋はみんな大好きみたいです

 やっぱり金魚たちはみんな、焼き芋が大好きみたいです。

 先日、また焼き芋を水槽に入れました。一度目は妻が水槽に入れました。水槽中で半狂乱状態になって芋を食べていました。で、それが一段落した頃、今度は私が焼き芋を食べ始めたのですが、さすがにさっき水槽に芋を入れたばかりなので、もう入れなくても良いだろうと思っていたのですが、なんとも視線が熱いのです。私が芋を食べているのを水槽からじっと見つめられているような気がするのです。

 なので、まあ食べ飽きていたら、水槽から取り出せばいいだろうと思って、焼き芋を入れてみた所、ほぼ入れ食い! 待ってましたとばかりの大騒ぎになりました。親指大の焼き芋が、あっという間になくなってしまいました。

 すげーなー。こりゃあすげー。

 金魚が食べ終わっても、私は一人で悠々と芋を食べていたのですが、なんとも視線が痛いので、その芋を持って書斎に逃げることにしました。水槽のある居間では、おちついて焼き芋を食べられないのよ。

 みんな大好き、焼き芋。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 金魚

2020年06月12日

久しぶりのレッスンでした

 フルートのレッスンに行ってきました。いやあ、コロナ禍のおかげで、約3ヶ月ぶりのレッスンでした…とは言え、毎年春先はレッスンを2〜3ヶ月ぐらい休むので、通常運転と言えば通常どおりの私なのでした。

 レッスンは呆れるくらいに、いつもどおりでした。まずはロングトーン練習をしましたが、もはや音程の乱れもないくらいにバッチリなのでした。

 エルステユーブンゲンは、あいも変わらずの25番と26番です。楽譜を見れば、ほぼパーペキに吹けるのに、楽譜から眼を外した途端に全く吹けなくなるとは、実に情けない私です。このコロナ禍で休業中、これでも何度か暗譜しようと試みた事もあるのだけれど、暗譜するのに必要な時間よりも、忘れてしまう時間の方が圧倒的に早くって、レッスンの時まで記憶が保持されないのです。情けない。

 旋律的練習曲は5番です。先生曰く「難しいところは、ちゃんと吹けているけれど、スラーとか臨時記号とかの基本的なところが今ひとつだね。次回までに何とかしてきなさい」との事です。つまり、難しいところは吹けているのだから、あとは気を抜かないで吹けば、すぐに合格するはずだから頑張ってこいって事のようです。はい。

 40リトルピーセズは、32番のバッハのポロネーズでした。これも難しいところはきちんと吹けているのに、ところどころに惜しいミスがあるので、次回までに何とかしてきなさい…って事です。つまり、それなりに吹けているのだから、あとは練習して吹きこんでおきなさいって事のようです。はい。

 ま、レッスンはそんな感じでした。

 例年8月に実施している恒例のフルート合宿の話をしました…こんなご時世なので、今年は合宿できないかもしれないとの事です。まあ、そうだよね。もっともそれ以前に、今年の私は猛烈に忙しいので、おそらくフルート合宿そのものに、すでに参加できそうもないみたいなので、中止なら中止で、それもまた良しだと思ってます。

 レッスンがお休みの間、何をしていたの?という感じで、互いの近況報告をしました。先生は、レッスンはすべてお休みにし、仕事も全部キャンセルになってしまったので、少し前に山中湖に造られた音楽スタジオに籠もって、ずっと音楽三昧の生活をしていたそうです。都会の人の群れからの、一種の疎開ですね。生活に何の心配もない人は、悠々自適で実にうらやましい事です。

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2020年06月11日

合唱練習、マスクではなくフェイスシールドを使ってみては?

 先日、アマチュア合唱団の再開が難しいという記事を書きました。

 難しい難しいの投げっぱなしではアレかな?って思い、その後、何らかの解決策は無いものかと、足りない頭をウンウンとひねっていた私です。で、思いついた解決法の一つが、マスク着用ではなく、フェイスシールド着用で練習をする…という方法です。


 フェイスシールドは、値段も安いよ。一つ150〜200円程度だから、アマゾンでも単品で買えない安さなんだな(笑)。

 実際のところ、マスク着用は歌には向きません。息苦しいし、私のような大柄な人間だと、クチを開けるたびにマスクを食べてしまうし…。その点、フェイスシールドなら息苦しくないし、クチを大開にしても何の問題もありません。他人に飛沫を浴びせる心配もないし、他人の飛沫を浴びる恐れもありません。顔がよく見えるので、指揮者とのアイコンタクトもバッチリです。

 欠点があるとすると…フェイスシールドを付けていると、熱気がこもる事です。もっとも、マスクほどは暑くないのでマシと言えばマシです。それに合唱の練習は基本的に室内で行うので、そこは冷房で対処してもらえばいいと思います。また、曲がりなりにも眼前に遮蔽物を置くので、弱い声だとちょっと聞こえづらくなります。でも、欠点はそれくらいかな? これで三密になりがちな合唱の練習場所でも、安心して練習に励むことができます。

 いかがでしょうか?

 もっとも、フェイスシールドを着用する事で歌う事は可能になりますが、練習場所の問題とか、家族の理解とか、病気に対する恐れの気持ちとか、本番公演の予定が立たないなどの問題の解決は別問題です。フェイスシールドを使えば、すべてOKとはならないにせよ、問題は一つずつ解決していかないといけないので、それらの諸問題に対しては、また別の解決方法を考えていかないといけないでしょうね。

 ほんと、合唱団の再開は、まだまだ難しいのだろうと思われます。

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posted by stone at 04:00| Comment(2) | 合唱

2020年06月10日

ありがとう、巣ごもりシアター

 コロナ禍の中、色々な音楽団体がネット配信をしてくれましたが、私が一番お世話になったのは、新国立劇場の巣ごもりシアターです。2020年6月26日までやってくれますが、毎週、オペラかバレエを1作品ずつネット配信してくれるという、とてもありがたい企画です。私は、オペラの配信を全部見ました/見る予定です。

 新国立劇場という、チケットがお高めの劇場の公演を無料で見せてもらえるわけですから、ほんと感謝しかないのですが、見せてもらって気づいた事もいくつかありますので、感謝とともに、それらのいくつかを書いてみたいと思います。

1)レベルが高い
 とにかくレベルが高いです。DVDで発売されるような、外国の有名歌劇場にトップ歌手を揃えて収録されたような公演と、技術的に比べても、決して見劣りはしません。極東の片隅のオペラ上演の歴史の乏しい歌劇場としては、地味にすごいことだろうと思います。

2)日本人だけでも良いのでは?
 公演にも寄るのですが、おしなべてどの公演も、外国人キャストが多いし、外国人スタッフも多いです。主要な配役はほぼ外国人で、日本人は脇役や合唱を努めています。日本の新国立劇場なのに外人の芝居を見るのは「何かな〜?」って気がします。外国の歌劇場との共同制作のせいなのかもしれないけれど、日本人がないがしろにされているような気持ちがして、あまりいい気分ではありません。やっぱり、新“国”立劇場なんだから、キャストもスタッフも日本人だけでもいいんじゃないかという気がしますし、外国人を使うのなら、余人を持って代えがたい人気者や優れた才能の方(例えばカウフマンを主役にするなら「外国人だー」と文句言いません)を、ピンポイントで活用した方が良いと思います。日本にだって、人材は豊富にいるでしょ? なるべく日本人の歌手さんやスタッフさんを使うことで、日本人の雇用や活躍の場を守りましょうよ。税金で成り立っている劇場なんだから、そこはしっかりして欲しいです。

3)小難しい
 どの舞台も真面目に作られているなあと思う一方、どれもこれもなんか“小難しい”んです。歌唱や演技は合格点だけれど、演出は自己満足に走り、分かりづらいし、見ていて楽しくないです。ひねりすぎていて、オペラ通にしか楽しめないような演出は、今後の課題ではないでしょうか? もしかしたら「オペラなんて、誰も見てないんだから、好き勝手にやっちまえ」という気持ちが制作者側にあるのかな?というのが私の感想です。でもね…オペラって、エンタメですよ。娯楽ですよ。そこを忘れちゃダメじゃないかなって思います。新国立劇場には、税金だって投入されている(大切なことなので2度書きます)んだから、自分たちの趣味に走っちゃダメよ。良い意味で、もっと大衆に迎合した舞台づくりが大切だと、私は思います。オペラなんて、外国語で歌っていて、何を言っているんだか、よく分からないんだから、せめて演出は分かりやすくしてほしいです。

 なんて、ちょっとばかりダメ出ししちゃったけれど、基本的には感謝感激な私です。

 じゃあ今回の巣ごもりシアターを見て、次は新国立劇場に足を運ぶのか、あるいはDVDを購入するのか…と言うと、それはしないかもなあ…。やっぱり現地に足が気が進まない理由は、上にも書いたけれど、演出が小難しくてね、あんまり楽しくないんだよね。

 オペラって、夢々しいモノだと私は思ってますが、新国立劇場はそういう夢々しい舞台を作ろうとは思っていないみたいなので、そんな小難しい舞台には、高いお金は落とせないなあって思ってます。

 私はオペラファンだけれど、お金は大切なので、楽しめない舞台は高いお金を出してまで見たくはないです。それならば、私の好みの夢々しい舞台を見るために、シアターオーブや帝国劇場、劇団四季等でミュージカルを見るために使おうかなって思ってしまうくらいです。私がプロの舞台で見たいのは、勉強の成果ではなく、夢と魔法の世界なのです。だから生の舞台を見るとなると、海外歌劇場の引っ越し公演とか、日本のミュージカルになってしまうのです。ミュージカルの人たちは、ほんと頑張って夢々しい舞台を作っていらっしゃると思います。オペラの人も頑張って欲しいと思うわけです。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 歌劇

2020年06月09日

「ワクチンが出来るまで」というけれど

 「この我慢はいつまですればいいのですか?」
 「ワクチンが出来るまでです。あと数ヶ月もすればワクチンが完成しますから、それまでの辛抱です」

 …なんていうやりとりを、最近はよくテレビで見ます。以前は「集団免疫の獲得か、ワクチンの完成までです。集団免疫は全体の4割(最初は9割と言ってたのが、だんだん8割とか6割とか5割とか下がって、最後の頃は4割って言ってたと思います)獲得すればいいのです」と言ってましたが、集団免疫の獲得を目指したスウェーデンが(2020年5月中旬頃は)人口100万人当たりの死者数は世界で最も多く、実数で言えば4000人以上(スウェーデンの人口は1千万人程度、日本の1/10ぐらいです)を犠牲にしながらも、獲得した抗体保有率は、たったの7.3%だった事からも分かるように、新型コロナでは集団免疫の獲得は現実的ではないので、言わなくなったのだろうと思います。

 で、ワクチンの完成なんだけれど、ワクチンが完成しても、まずコロナは収まらないでしょ? 待つだけ無駄だと私は思うんです。

 例えば、インフルエンザだってワクチンがあるのに、毎年流行して、大勢の人を死に至らしめているでしょ? 今のコロナウィルスの世界的流行ほどではないにせよ、毎年大勢人々を殺しているわけで、ほんとインフルエンザって怖い病気だと思うのだけれど、あれなんかワクチンがあっても、全然抑えられないわけです。ワクチンって万能薬じゃなんです。アレでバッチリ抑えられる病気もあれば、打たないよりはマシ程度の効力しか持たないワクチンもあるわけです。みんな、ワクチンに期待しすぎだと、私は思うのです。特に初期に完成するワクチンは、かなり未熟な出来であろうと想像できます。

 じゃあ、いつまで我々は我慢しなけりゃいけないのか…と言う問いの答えは2つあると思うのです。

 一つは「未来永劫、いつまでも我慢しつづけなければいけない」であり、もう一つは「もう我慢する必要はない。今後はウィルスとの共存を模索していきましょう」です。

 安心と健康を優先するなら「未来永劫、我慢」です。そのために、我々は多くのものを手放さないといけませんし、生活のスタイルだって変えていかないといけません。大勢の人を集める事は“狂気の沙汰”であると認識し、音楽はもちろん、野球もサッカーもオリンピックも、みんな古い文化習慣として捨てていかないといけません。

 もう一方の共存を選ぶなら、ある程度の数の人間が死んでいくのは許容範囲とし、コロナ以前と全く変わらない生活がおくれる代わりに、老人が死んでも、デブが死んでも、大騒ぎしない覚悟が必要でしょう。残酷な話かもしれないけれど、実際、死んでしまう人の大半は、老人で基礎疾患を持っている人ですから、遅かれ早かれ死んでしまう予定の人なのです。ただ、その時期が少し早くなっただけ…と考えるしかありません。やがてコロナで死んでいく人は、当初はともかく、やがてインフルエンザで死んでいく人よりも少ないレベルで落ち着く可能性もあるわけだから、もう大騒ぎをしないと覚悟していくのです。そう考えなければ、オリンピックなんて開催できないしね。

 結局、覆水盆に返らずなわけだし、パンドラの箱は開いちゃったんだから、もう全く以前と同じってわけにはいかないわけです。我々は何かを捨てていかなきゃいけないんです。では、我々は何を捨てるべきなのか…早急に答えを出す必要はまだ無いだろうと思うけれど、でもぼちぼちと心を決めていかないといけないと思ってます。

 でもね。そうなると…答えは自ずと出てると思うんですよ。だって、みんな、このまま我慢し続けられないでしょ? 我慢できないなら、自分を含めた人間が死んでいく事を良しとするしかないと思うのです。

 私は、自分が死んでしまうのは、しょうがないなあ…と思うけれど、子どもたちが死んでいくのは、ちょっと堪えられないですよ。

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posted by stone at 04:00| Comment(4) | ダイエット&エッセイ

2020年06月08日

やっぱり合唱は厳しいのかな?

 先日、合唱関係者と話をしたのですが、アマチュアの合唱の再開はなかなか厳しいという話になりました。

 若者中心の少人数な団体で、練習もオンラインでできるような、今どきの合唱団ならともかく、老人中心で人数もある程度いて、練習は公共施設を使ってしているような旧来の市民合唱団では、コンサート開催はもちろん、練習すら再開できないって話なのです。

 まず、メンバーが老人中心というのが厳しいです。健康で元気な老人もいるでしょうが、老人の多くは持病を持っていたり、体が弱っていたりと、いわゆる“ハイリスク”な人たちでしょ? 実際、コロナで亡くなる人の大半は老人なわけで、そんな老人たちを集める事が、そもそも無理だったりします。

 そこを乗り越えたとして、次は「どこに集めたらいいの?」という話になります。今まで練習していた公共施設は…多くの地域で、まだ貸し出しは再開されていませんし、再開されていても「合唱練習はご遠慮願います」だったりするわけです。練習場所が無いのです。新しい場所を探すにしても、大勢の人間が集まれるような場所なんて、そんなにたくさんあるわけじゃないんです。特に三密を避けられるような広い場所なんて…ほんと、無いと思いますよ。それこそ大ホールでも借りて練習しますか? そうなると、今度は経費が問題になってきます。なんとも頭の痛い事です。

 さらにそれも乗り越えたとしても、次はコロナ禍を機会に、合唱から離れてしまった人、あるいは距離を置きたい人、しばらくお休みしたいという人が少なからずいるだろうという話です。それも仕方ない話です。

 また、たとえ本人が合唱の練習に行きたいと思っても、このご時世ですから家族が「コロナになるかもしれないじゃないか!」と心配して、練習に行くのを止めるケースも考えられます。

 で、万難を排して練習が再開できたとしても、今度はコンサートとか定期演奏会とかの発表の場をどうするのかと問題が出てきます。合唱って、大勢の人間がズラッと舞台に並んで、マスクもせずに、客席に向かって大声で歌う(つまり飛沫を飛ばすわけです)わけで、飛沫なんて、せいぜい3m程度しか飛ばないよ…って言うのは簡単ですが、心理的には客に「合唱のコンサート?」と引かれてしまっても仕方ないし、そう考えると、なかなかコンサート等を計画する事もかなわず、そのために発表の場がメドが立たなくなると、練習のモチベーションも下がるわけで、最悪「コンサートも無いのに,なんで練習するの?」と言い出す人も出てくるでしょうし、団の運営的には実に悩ましいわけです。

 ってな事を考えてしまうと、アマチュアの合唱団の復活は、実に悩ましく難しい問題だなって結論になったわけです。

 とは言え、実際、練習再開している合唱団もあるわけで、そういう団体は、これらの諸問題をどうやってクリアしたのか、共通知にできるといいのだろうと思います。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 合唱

2020年06月07日

レジ袋有料化はいいんだけれど…

 2020(令和2)年7月1日から、日本全国でプラスチック製買い物袋(通称、レジ袋)が有料化される事になりました。一部では、それに対して賛成だとか反対だとか議論が盛んに行われているようです。

 私、個人的には、有料化は仕方ないよなあと思ってます。今まで、無料サービスのおまけとしてレジ袋をもらっていたのを、今度から全国どこでも有料で販売しますってだけの話で、レジ袋そのものが廃止されるわけではないからです。必要ならレジ袋を買えばいいだけの話です。これは経済的な問題であって、別に反対する理由はありません。

 ただね、ひとつだけ腑に落ちない事があります。それはレジ袋有料化推進の理由として環境問題が取りざたされるのが、なんとも気持ち悪いんです。

 曰く「レジ袋をエサと間違えて食べてしまうのが原因で、年間300頭のイルカやウミガメが死に至る」とか「レジ袋が沈殿する事で海底のヘドロ化が進行している」とか「レジ袋はマイクロプラスチックの原料」とか言うのです。

 でもね、それって「交通事故で大勢の人が死ぬから、庶民は車の運転を止めちゃえ」というのと同じくらいの暴論だと思うのですよ。

 車はあくまでも道具であって、交通事故が多発するのは(車自体に欠陥があるならともかく)道具である車のせいではなく、道具を使用している人間の責任なわけです。人間が荒っぽい運転をしていたり、決められた交通ルールを守らずに事故を招き寄せているだけの話なんです。それなのに人間の責任を横において、車がダメだ、車社会はロクでもない、車なんて止めてしまえ…って話にはならないのです。

 レジ袋が関わる上記の環境問題だって、道具であるレジ袋のせいではなく、レジ袋をどう廃棄し処理するべきかという人間の問題なわけです。

 つまり、レジ袋を有料化して使用量を削減すれば世界は救われると考えるのは、かなりの目出度くて、幼稚でおかしな話であって、そんな事を考えるよりも、レジ袋を正しく廃棄し処理するシステムの構築をするとか、教育をするとか、いい加減な事をしたら罰則を与えるとか、そういう手立てに出た方が、環境問題に対する回答としては、より良い答えになるだろうと思います。なので、レジ袋の有料化と環境問題をからめられると、なんか気持ち悪いんですよ。

 あと、レジ袋を有料化すると同時に、エコバッグの利用推進を図っていますが、エコバッグって…バッチくない?

 エコバッグとかマイバッグとか利用している人に聞きたいのだけれど、バッグを毎日洗濯して消毒していますか? たぶんしていないよね。

 エコバッグの外面は外気に触れているわけで、当然、コロナウィルスとか付着している可能性大だよね。そんなバッグをスーパーとかコンビニとかの食品を扱う店に持ち込んでいいの?

 バッグの内面は、さすがにコロナウィルスうんぬんは言わないけれど、肉とか魚とかを毎日購入して入れているわけでしょ? それらのパック等に付いている細菌、まあ、日々微量だろうけれど、毎日使用する事で、その微量な細菌がバッグ内に蓄積していくわけで、エコバッグを洗濯消毒していなければ、結構汚くなっていないかな?

 どちらにせよ、エコバッグって、相当に不潔なモノだと私は思ってます。その中にその日の食材を入れるわけでしょ? 食材の全部が全部包装されているわけじゃないし、衛生面で考えるなら、基本的に使い捨て前提のレジ袋の方がよっぽど清潔じゃない?

 なので、レジ袋の有料化は仕方ないと思ってますが、エコバッグの利用推進は衛生面から疑問に思ってます。

 結論から言えば、レジ袋の有料化は容認しつつも、エコバッグの利用推進はやめて、みんなで有料のレジ袋を購入する、あるいは企業努力でプラスチック以外の素材でレジ袋を作成して、それを利用するようにすると同時に、プラスチックごみの廃棄についての教育と罰則を徹底する事が必要なのではないかと思ってます。

 小人閑居して不善を為す…環境運動家と呼ばれる人たちは、きっと小人なんだと思います。もっとやるべき事は山のようにあるんじゃないかと私は思うわけです。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | ダイエット&エッセイ

2020年06月06日

性善説には限界がある

 国による緊急事態宣言が解除されました。今は各地方自治体ごとにあれこれ自粛要請をしている段階です。

 そう、要請なんですよ。基本は要請。国であれ地方自治体であれ、基本は自粛要請なんですよ。「外出を控えてください」「店の営業は控えてください」という内容のお願いなんです。お願いなので、守らなくも罰則はありません。

 少し前にそれで話題になったのがパチンコ屋さんです。営業自粛が要請されたにも関わらずに、何店かのパチンコ屋さんが営業を続けていたというアレです。まあ、結局はそれらの店も営業自粛になったわけですが、そこに至るまで、ほんとアレコレあったわけで、決して素直に営業自粛してくれたわけではありません。

 で、今回話題になったのは、新宿区(具体的には歌舞伎町)のホストクラブです。ホストクラブは、キャバクラや風俗営業店などとともに、いわゆる“夜の街”です。東京都の要請では、ステップ2の現在、まだこれらの夜の街に属する店は営業自粛対象なんですよ。にも関わらず、一部の店はGW明け(つまり、国による緊急事態宣言中)から営業を再開していて、そこがクラスターになって、今回の感染者を出してしまったという話です。

 それはさておき、コロナ禍の中、国や地方公共団体は罰則の無い要請を発令し、大半の人々は罰則の無い要請に従ってきました。海外のメディアからは「日本のやり方はユルすぎる」という批判もありました。ま、そうだよね。でも、それでも結構、この要請は国民の間に浸透していたと思います。

 それはなぜか? それは法的にアレコレあって強制できないという事情はあるものの、それでも多くの人々が罰則の無い要請を受け入れたのは、日本人の多くが善人であるからだろうと私は考えます。

 ちなみに、ここで言う善人の定義は「正しい正義の人」ではなく「他人のためや社会のために行動できる人」程度の意味です。ちなみに反対語になる悪人は「自分のためにしか行動できない人」程度の意味です。

 で、日本人の多くが善人であるから、色々な不都合や不利益を甘受して、国や地方公共団体の自粛要請に従ってきたわけです。守らなかったからと言って、特に罰則がない要請ですが、それでも従ったわけです。これは実に麗しい性善説の世界です。

 でも、日本人のすべてが善人ってわけじゃありません。善人ではない…つまり悪人だって一定数いるわけです。その悪人比率の高い業界が、パチンコ屋さんであったり、今回の夜の街の方々であったりするんだろうと思います。

 「働かなければ生活が苦しくなるは、誰もが一緒。それより今は感染拡大防止が最優先で、生活苦だからと言っても、それが自粛要請に従わない理由にならない」と考えるのは善人の思考であって「働かなければ生活が苦しくなるし、苦しくなるのはイヤだし、周囲が休んでいる今だからこそビジネスチャンスがあるわけで、働いて銭を稼ぐ事には何の問題もない」と考えるのが悪人の思考なんだろうと思います。

 立場や考え方が違うだけで、私はどちらが正しくてどちらが間違っているとかは言えないと思います。ある意味、どちらも正しいです。ただし、この2つは両立できません。どちらかが是とされたら、もう片方は否定されざるを得ないのです。“和をもって尊しとなす”が原則の日本社会では、善人的な考え方がそれこそ正しいと思われがちですし、自分優先な悪人的な考え方は、それこそ悪と思われがちです。自粛警察の格好の的になるわけです。しかし生き物として、自分が生き残ることを最優先にする考え方は、別に間違っているわけではありません。生活苦で自殺するよりも働いて生活の糧を得る方がむしろ健全とも言えましょう。実際、グローバル・スタンダード的観点で言えば、悪人の方が普通ですし、圧倒的多数だろうと思います。そういう意味では、日本人はかなり異質な国民性を持っていると言えます。

 日本人の圧倒的多数が善人であっても、確実に悪人は存在するわけだし、それらの人々が偏在する業界があるのは事実なのです。だから、世間には善人しかいないという前提でかろうじて成り立つ性善説に基づいた政治ってのは、限界があるなあと思うわけです。

 政治と言うものは「人間はすべて悪人である」という性悪説に基づいた方が、現実的で実効性があるのではないかと、個人的には考えます。そもそも、法治国家って性悪説が根底にあるように、私は考えるのであります。

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posted by stone at 04:00| Comment(2) | ダイエット&エッセイ

2020年06月05日

実はレッスンが再開するんですよ

 緊急事態宣言が解除され、いよいよフルート教室が再開されるのですよ、レッスンが再開するんですよ。

 うれしいんだけれど、ちょっと複雑な気分です。と言うのも、緊急事態宣言中は、基本的に自宅にいたのだけれど、それなりに忙しかった上に、気持ちもそぞろで、実は全くフルートの練習というものを、ほぼほぼしていなかったからです。

 やっぱり、レッスンがあるのって大切だよね、次のレッスンのためだと思うと自然と練習するもの。レッスンは練習の推進力だよね。だから、レッスン無いと、練習もサボりがちになります(汗)。

 というわけで、教室から「レッスンやります」という連絡を受けて、慌てて自宅練習を再開した私でした。フルートの練習って、実際にフルートを持ってやらないダメな部分が多いので、どうしても練習量的に厳しいんですよね。そこへいくと、歌は、別に歌わなくても、通勤途中にレコ勉してみたり、職場のパソコンの壁紙に歌詞を貼り付けておくとかでも、練習(?)できますので、実際に声を出さない時間が多くても、それなりに練習できるんですが、フルートの練習は、フルートを操作してナンボですからね。

 んで、久しぶりに練習用のプラ管フルートを吹いてみたら…部屋に置きっぱなしにしておいた事もあるけれど、少し埃っぽかったです、ゲホゲホ。

 そう言えば、教室からは「検温&マスク着用」を確認されたんだけれど、マスクしたままフルート吹けって事かしら? まさかね(笑)。

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2020年06月04日

ソーシャル・ディスタンスは貧乏神?

 緊急事態宣言が発令された頃は「死神に殺される前に、貧乏神に殺されてしまう」という言葉を紹介しました。緊急事態宣言が解除され、どうやら死神は一度去ったように見えますが、貧乏神はまだいるみたいですね。

 確かに、店の休業が要請されていた頃と比べれば、条件付きとは言え、開店して営業ができる事は、店舗経営者からすれば、とてもありがたい事だろうと思います。

 でもね…ソーシャル・ディスタンスを守ると、お店もたくさんはお客を入れられないよね。基本は…1席おき? これをやってしまうと、お客は以前の半数しか入れられなくなってしまいます。飲食店で考えてみると、単純計算で、売上は以前の半分程度にしかならないわけです。売上が半分になったら、多くの店は潰れてしまいます。もちろん、潰れちゃ困るので、店員を解雇して人件費を浮かせてみたり(今は無理だけれど)営業時間を延長して少しでも売上を増やしてみたり、それでも厳しければ、値上げが必要になるだろうし、家賃の安い場所に移転してみたり…といった工夫が必要になってきます。

 でも、それでも実はきちんとソーシャル・ディスタンスは守れていないんだよね。1席程度しか空けていなかったら、客と客の間って、1mも離れないんだよね。1m以上確実に離すなら、少なくとも2席は空けないといけないし、テーブル席はテーブル一つに一人の客しか座れません。これだと、以前と比べて、1/3〜1/4しか入りません。そうなると、売上は…どうやったって潰れるしかないじゃんって話になります。

 ソーシャル・ディスタンスって、かなり豪腕な貧乏神じゃないかしらって思うわけです。

 音楽業界だって他人事ではありません。コンサートを開いても、そこに入れられるお客は以前の半数程度が限界だし、そうなると当然チケット売上も半減します。でも、コンサートを準備して開催するための経費は以前と変わらないわけだから、コンサートを開いても、経済的にはかなり厳しくなります。

 買い物だって、リアルな店に行けば、どうしても他人と接触せざるをえません。電車に乗れば他人がいるし、道を歩けば他人とすれちがうし、店に入れば他人と同じ空気を吸うわけだし…。どうしたってソーシャル・ディスタンスをきちんと守りきれません。「ああ、怖い」と思ってしまうと、ロクに買い物にも行けません。でも買わないわけにはいかないわけで、そうなると通販を利用する人が増えて…リアルな店は売上を減らすわけです。街から本屋やCD屋が消えてしまったように、今後はあらゆるリアルな店が消えてしまうかもしれません。

 少し前まで「AIが仕事を奪う」と言っていましたが、今はそれよりも先に「ソーシャル・ディスタンスが売上を奪う」って感じになりつつあると思います。ああ、ソーシャル・ディスタンスは貧乏神だよな。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | ダイエット&エッセイ

2020年06月03日

「暁は光から」は、やっぱり難しいです

 声楽のレッスンの続きです。今回は、前回のレッスンで先生から提案されていた、トスティの歌曲「L'alba separa dalla luce l'ombra/暁は光から」を歌ってみました。

 まず、リズムが取りづらいです。四拍子の曲だけれど、ピアノ伴奏は三連符の曲なのです。つまり、実際は12/8拍子の曲です。「Ideale/理想」などと同じパターンの曲ですが、この曲は、実にイントロが短くて(たった5拍しかありません)、リズムを掴む前に歌い出さないといけない難しさがあります。対処法は2つあって、一つはしっかり勉強をして、このリズムやタイミングを事前に体に叩き込んでおく方法と、もう一つは海外テノールがよくやってますが、イントロを増やして(大抵5小節増やします)その間にリズムを掴む方法があります。個人的にはイントロを長くするのが好みですし、本番ではそうやってもいいよと先生から言われていますが、今は勉強ですから、短いイントロに対応していけるように練習していかないといけません。

 実際問題としては、この短いイントロではなかなか歌いきれず、先生に拍子を取ってもらいながらでないと、うまく歌えなかったりする私です。

 そうやって、歌い出しをクリアしても、まだまだ注意しないといけない事はたくさんあります。

 例えば、一本調子には歌わない事。まだ今回が初めての歌唱で、全然余裕がなくて、ついつい棒歌いになりがちですが、それは早期に駆逐しないといけません。フレーズごとに少しずつ色を変えながら歌うのが良いし、以前も言われましたが、ガムを噛みながら歌うように歌っていくのが良いのかもしれません。とにかく、色彩感豊かに歌うのです。ま、そのためには、まず歌詞の内容をきちんと把握する事も大切です。

 高いGが曲中に何度か出てきますが、その後に続く音を、あからさまに手を抜かない事。歌は高音を歌えば終わるわけではないので、高いGを出して安心してはいけません。そこで安心して気を抜くと、次の音が落ちすぎてしまい、音程的にも落ちすぎてしまうのです。

 それどころか、高音だから言って、無闇にアクセルを踏んではいけません。だいたい、アクセルを踏んで、ピャーと気持ちよく歌ってしまうと、声はそこで終わってしまいがちです。この曲は、高いBがあるわけだから、高いGが出てきてもアクセルを踏まず、高いAが出てきても(なるべく)アクセルは踏まずに我慢して、高いBが出てきた時に、気持ちよくアクセルを踏んで歌うのが良いのです。ただ、Bぐらいの高さになると、アクセルを踏みすぎると、声が詰まってしまうので、アクセルを踏むにしても、軽く軽く慎重に踏まないとダメなのです。

 ちなみに、アクセルを踏むというのは、ノドを最大限に開き、息をしっかり支えて、高速でノドに送り込む作業ですが、その際に送り込む息は、音程が高くなればなるほど、息は少なくしていった方が良いみたいです。で、そこが難しいわけです。

 その難しいアクセルの踏み方ですが、できればGでは踏まずに、せめてAになってからアクセルを踏み始めてBに声を持っていければ御の字ですが、理想を言えば、Bになってからアクセルを踏んで、歌いながらどんどん音程を上げていって、H近くまで音程を高めてから、歌い終えるのがかっこいい高音の歌い方だったりします。

 つまり、高いAまでは小細工無しで歌い、高いBでアクセルを踏んで歌いはじめ、途中から声を被せていくのが良いのですが、これは実にテクニカルな歌い方なわけです。こんなふうに書いていますが、まだまだそんな事はうまくできない私だったりします。

 でも、頑張るぞ。

 ここまで私のレッスンは一度終わりました。その後の妻のレッスンの最後に、ドニゼッティ作曲の「ランメルモールのルチア」の二重唱「Verranno a te sull'aure/そよ風にのって」を妻と一緒に歌ってみました。まずは、全体の前半分ほど歌いましたが…もっと声を薄くして歌いましょうと言われました。確かにプロの皆さんは、みんなこの曲(の前半部)は、薄い薄い声で歌っていますね。薄い声で歌うなんて、めったにやらないので、難しいです。

 この曲は、楽譜通りに歌うことはプロでもしないので、どこをどんなふうに歌うのか、妻や先生とも相談しながら、歌い方を決めていきたいと思います。

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2020年06月02日

ノドは少しずつ少しずつ開いていきます

 声楽のレッスンに行ってきました。今回も民間音楽ホールでの練習です。広い場所で歌うのは、とても気持ちいいです。

 ハミング練習を一通りやった後、発声練習に移りましたが、今回は歌いながら高音に向けてノドを開いていく練習をしました。

 私は最初っからノドを全開にして歌う癖があり、そのままでは高音を歌うのが厳しいので、そこを修正しましょうって事です。

 まずは、中低音ではノドはあまり開かないようにします。ノドは開かないけれど、息はしっかり支えます。私はノドを開かないと息も支えないという(これまた)悪い癖があるので注意します。

 しっかり息を支え、中低音ではノドをあまり開かずに歌い始め、そこから高音に行くに従って、少しずつノドを開いていきます。この“少しずつ開く”というのが、なかなか難しくて、ついつい開く時は全開にしてしまう、雑な私だったりします。

 そうやって、音程の上昇に合わせて、少しずつノドを開いていき、最高音の手前でノドを全開にし、そこから最高音に向けて、今度はノドを閉じていきます。そうやって、高音発声を楽にするわけです。これを無意識にできるように、今は意識的に練習をしていかないといけないのです。

 また“ノドを開く”と“クチを開く”は全くの別物です。ノドを開いていくとクチはあまり開きません。クチを開いていくと、逆にノドが閉じてしまうようです。クチは大きく開くというよりも、金管楽器のように朝顔状に開いていくのが良いようです。

 これもまた私の悪い癖なのですが、ノドを開いてくと、自然とクチも開いていき(だから、ノドが十分に開かないのです)、そのクチも縦長に開くならまだしも、横長に開いてしまいます。クチを横長に開くと…声が浅くなってしまうし、高音も出づらくなるのでダメなんですね。クチもノドも縦長に開くのがクラシック声楽の発声なのです。

 難しい、難しい。

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2020年06月01日

学校の音楽の授業は…今後はかなりヤバいかも

 アフターコロナの世界は、色々と変わりました。

 私が個人的に“激変!”って思っているのは、学校の音楽の授業です。

 皆さん、学校の音楽って、どんな感じでしたか? どんな思い出があります。

 各地域の教育委員会からの通達によれば、概ね、アフターコロナの世界では、音楽の授業とは言え、先生も生徒もマスク着用が義務付けられています。授業中、マスクを外しちゃいけないんです。だから…リコーダーは吹けません。鍵盤ハーモニカもダメ。どうしても吹きたかったら、マスクの上から笛を咥えないといけません。

 歌は…歌ってもいいんです。でも、条件が厳しいんです。まず、マスクをしたままでなければ歌ってはいけません。それって出来るの?

 試しに私、マスクをしたまま歌ってみようとしましたが、秒殺と言うか、全く歌えませんでした。だって、歌おうと思ってクチを開いたら…マスクがクチの中に入り込み、歌う前にマスクを食べてしまいました。マスクを食べてしまったら…そりゃあ「マスクをしたまま」の状態から程遠いわけで、ダメじゃん。

 知り合いのソプラノさんがマスクをしたまま歌おうとしてみたら(さすがにマスクを食べる事はありませんでしたが)ものの数秒で、咳き込んでしまったそうです。曰く「息が吸えない、とても苦しい」との事です。まあ、そりゃあそうだよな。

 結論。マスクをしたまま、きちんとした呼吸でクラシック発声をしようものなら、たちまち命が危険になります。

 なので、マスクをしたまま歌うには、かなり呼吸は浅くしないといけませんし、発声も深い声は出しちゃダメみたいです。何たる事よ。

 さらに言うと、歌う人同士は、最低1m(できれば2m)離れないといけないそうだし、必ず同じ方向を向いて歌わないといけないそうだし(音取りのために向かい合って歌うのは厳禁です)、部屋の窓は開放しないといけない上に、周囲への音環境にも気を使わないといけない(つまり、あまり大きな音を出して、他の教室の授業の妨げになってはいけない…って、他の教室だって窓全開だぜ)。つまり「歌ってもいいけれど、ちゃんと歌っちゃダメよ」って事みたいです。

 つまり、歌とリコーダーは、あんまりやらないでね…が、アフターコロナの音楽の授業なんですよ。教育委員会も酷なことをおしゃっるものです。

 じゃあ、何がやれるのかと言えば、音楽鑑賞と打楽器演奏と楽典と音楽史…あんまり楽しくなさそうだな。

 これじゃあ、ますます合唱が廃れてしまうと我は思うのだよ。で、教育委員会からの通達は、当然、部活動にも影響が出るわけだけれど、マスクしたまま、木管も金管も演奏できるのかと言えば、そりゃあ無理なんだけれど、各校の吹奏楽部はどうするんでしょうね。

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posted by stone at 04:00| Comment(2) | 音楽一般