2020年10月31日

カナとナツキが我が家にやってきました

 ヤヨイの後継金魚を買いに行きました。ヤヨイの後継ですから、当然、ヤヨイと同じ種類(ヤヨイは三色琉金として売られていた、出来損ないのB級東錦です)が理想です。

 で、金魚屋に行って、MIX(雑種…と言うよりも不出来なB級金魚って意味でしょうね)のコーナーを見ました。実に色々な形態の金魚がいました。で、目を皿のようにして観察していると、ヤヨイと同じタイプの金魚がいましたので、さっそく、この子を我が家に迎え入れる事にしました。

 あんまりおチビ(頭の先から尾の付け根まで約3cm)なのでよく分からないのですが、体色は三色で、体型は琉金で、鱗は透明鱗…まさにヤヨイと同じタイプかもしれません。お値段は499円という、とっても安価なのも、ヤヨイと同じで、うれしい子です。

 名前をカナと名付けました。

 で、カナをレジに持っていったところ、レジのそばの水槽があって、その水槽には、熱帯魚等のお高いお魚さんたちの水槽があるのですが、その高価格な水槽の中に、見たことのない金魚が混じっているのです。体型はオランダなのに、体色はゴールデンです。金ピカ好きな私の心をグっと掴みます。この子も欲しい…。

 妻曰く「この子の色は、ウチに来たばかりの時のルデンの色に似ているわよ。この子を買っても、きっとオレンジ色になって、がっかりするよ」

 まあ、経験則から言えば、そうなるよね。で、お店の人に尋ねてみたら、この金色の金魚は“銀鱗オランダ”という種類で、まだ黒子(稚魚って意味です)なので、こんな色をしていますが、これから体色が変わって(やっぱり変わるんだ)黒っぽい銀色になります…という話なのてす。

 なんでも、金魚って成長に伴って色変わりをするわけで、卵から孵ったばかりの頃の金魚はたいてい真っ黒(だから稚魚を黒子と呼びます)で、その真っ黒なところから一度黄金色になって、そこから本来の色に変化するのだそうです。

 つまり、ルデンは黒からオレンジ色に変わる途中の金色の段階で私に気に入られて買われて、その後、成長をして、普通のオレンジ色の金魚になってしまったわけなのです。

 で、今、目の前にいる子は、今は金色だけれど、成長すると銀色になる予定なのだそうです。ううむ、金から銀か…どっちにしてもピカピカだな。

 というわけで、その子も購入しちゃいました。1489円の銀鱗オランダです。名前をナツキと付けました。

 そんなわけで、カナとナツキの2匹を我が家に迎え入れました。大丈夫かな? 我が家の水槽の金魚定員は5匹なんだよね、なのに、今、水槽には金魚が6匹います。ああ、怖いなあ。

 ちなみに新入りたちの大きさは、カナはシズカの頭よりも小さくて、極小サイズです(アカリの頭と同じくらいです)。ナツキはランコの一回り下ぐらいの大きさです。2匹とも、小さくてキャピキャピしていてかわいいです。カナはヒレが長くて立派で、とっても美人で可愛い金魚です。ナツキは(今のところ)ギンギラギンで派手な金魚です。

 二匹とも大きく育って欲しいと思ってます。よろしくね、カナちゃん。&ナツキちゃん。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 金魚

2020年10月30日

カバンには、ちょっとだけこだわりがあります

 フルートのレッスンに行ってきました。レッスンに行ってきた事について「エライ!」と自分を褒めてやりたいです。だって、この日は泥のように疲れていたんだもの。

 実は今週の始めに、私はインフルエンザの予防接種をしたんですよ。そうしたら、例年になく、具合が悪くなり、特に疲労感が言いようもなく増したんです。ほんと、疲れて疲れて…。ですから、今週は家にいる時間はほぼ睡眠時間に当ててしまい、フルートの練習なんて、ほぼ出来てないし、そんなに寝ているのに全然疲れが取れないし、おまけに仕事はやけに忙しいし…もう泣きたくなるくらいに疲れていたのです。でも、フルートのレッスンのある日に限って、仕事が早く上がってしまい、そりゃあもうレッスンに行くしかない状況となってしまいました。

 水を吸った綿のようなカラダで、とぼとぼとレッスンに行ってきました。

 そんな状況下でのレッスンですから、あまり良いレッスンとはなりませんでした。ロングトーンは先週以上にダメでした。ちょっと前までロングトーン練習はいつも素晴らしかったのに…あの輝いていた日々は一体どこに行ってしまったのでしょうか?

 エルステユーブンゲンは25番と26番です。暗譜が出来てないのは当然として、きちんと譜面通りに吹けず、やたらとミスブローをやっちまいました。なんかもう泣きたくなります。

 旋律的練習曲は、相性の悪い7番です。自分では全然吹けた気がしません…が、先生的には「もう少しだね」という事らしいです。もう少し吹き込みをして指が曲に馴染めば合格のようですが、心情的には今だに「???」な感じなんです。いいんですかね、こんなんで?

 40リトルピーセズは新曲の37番です。バッハのミュゼットです。(新曲にも関わらず)ほぼ、ミスブロー無しで吹いちゃったのは、自分ながら驚きました。ただし、全般的に吹き過ぎの息の入れ過ぎで、音楽が壊れていると言われました。「もっと、軽やかに吹いて欲しいです。だってバッハだよ」ってわけですね。

 フルートにしても歌にしても、息の使いすぎが最近の課題な私です(涙)。

 さて、今回の雑談はカバンです。カバンは良いものを使いたいねという話です。実は私も先生もサムソナイトのカバンが大好きで、実際、使ってもいるのですが、サムソナイトの欠点は“高過ぎる事(笑)”。実際、サムソナイトはお高いよね。

 そんな事もあって、私は最近、サムソナイトの下位ブランドであるアメリカンツーリスタのカバンを立て続けに購入しています。アメリカンツーリスタのカバンも、サムソナイトに負けず劣らず、いい感じですよ。

 先生は、メーカーにこだわらずイタリア製のカバンに心ひかれています。やはりイタリア製のカバンはデザインが秀逸だし、ちょっとしたところにオシャレ心が感じられるそうなのです。とは言え、今はイタリアで縫製されているイタリアブランドのカバンは少なくて、いくらイタリアブランドとは言え、大半は中国とか韓国とかで作られていて、そういうモノは品質的に(先生は)信頼していないわけで、デザインはいいのだけれど、手が出せないという感じで困ってらっしゃるわけです。

 なので、たまに日本で縫製されたイタリアカバンをお店で見つけると、うっかり買ってしまうのだそうです。と言うのも、日本製のイタリアブランドのカバンって、デザインと堅牢性の両方が高いレベルで両立していて良いからなんだそうです。まあ、そうだろうね。でも、いくら日本製でもイタリアブランドだと、お値段はかなり張るよね。

 私はアメリカンツーリスタでいいや。

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2020年10月29日

音域について考える

 音域とか声域とか、つまり「自分が出せる音はここからここまで」と言うのは、アマチュアの歌手にとっては、一大関心事です。特に初心者の頃は、学べば学ぶほど、どんどん音域が広がっていくので、それが楽しいわけです。で、ネットで報告しちゃったりするわけです。

 私もよくやりましたし、今でもたまにやっています。ほほえましいでしょ?

 その際の音高の表記方法としては、実に色々あるわけです。よくネットで見る表記が、A2-A4とか、mid1A-hiAとかね。ちなみに前者が国際式という正式な音高表現です、後者が日本のネットで一般的に用いられている方法です。詳しいことはググってね。ちなみにここに例として書いた音域は私の音域でございます。(いわゆる中央ドってのは、C4とかmid2Cになります)

 で、私は自分が楽なので、五線譜(ト音記号)での表現、それもテノールでの表記を使ってします。“テノールでの表記”というのは、テノールは移調楽器なので、実音よりも1オクターブ高く記載するわけです。それで話を進めてます。

 なので、私の音域は、五線譜の下にはみ出るAから、上にはみ出るAまでとなります。実音で言えば、五線譜(ヘ音記号)の中のAから五線譜(ト音記号)の中のAまでです。

 つまり私の音域は、ラからラまでの、ちょうど2オクターブって事になるわけですね。

 この2オクターブちょうどの音域って、だいぶ広いんだよね。と言うのも、歌の練習をしていない一般人の音域って、せいぜい10度(1オクターブとちょっと)です。五線譜(ト音記号)の下のCから五線譜の中の上のEまでです。だから音楽の教科書とか讃美歌集とかの音域は、だいたいこんな感じです。これくらいの音域でないと、普通の人は歌えないんです。

 だから2オクターブの音域ってのは、かなり広い方になります。とは言え、男性のアマチュア歌手としては、標準的だろうと思います。ちなみに女性は男性とは発声方法が違うので、3オクターブぐらいの音域になります。低い方は男性に近く、高い方は男性よりも全然高いわけです。

 音域に関しては、女性の方が男性よりも恵まれているような気がします。ちょっと、うらやましいです。

 もちろん、声は音域の広さだけでなく、音色とか太さ細さとか重さ軽さとか美醜の問題とか色々あるわけで、音域が広ければ良いわけではないけれど、音域が広いに越したことはありません。

 あと音域を考える際に大切な事として、発声練習の時なら出せる音、つまり練習では出せても歌の中では使用するのが難しい音は、自分の音域には入れるべきではないって事です。発声練習では出せたとしても、実際に歌う時に使えなきゃ、そんな音は自分の音域にあるとは言えません。

 私に関して言えば、低い方は五線譜(ト音記号)の下のAまでは確実に曲の中でも使えます。発声練習なら、それよりも低いGやF、調子が良ければEも出ますが、それらが曲の中で使えるかって言うと…全く自信はありません。高い方は五線譜(ト音記号)よりも上のA(“高いA”と呼んでいます)が、最近普通に曲中で出せるようになりましたが、その上のBやHとなると、まだまだ博打です。そんな博打な音は自分の音域には入りませんが、発声練習に限れば、BやHどころか、Hi-Cやもっと上の音、最高でHi-Eまで出したことがありますが、もちろん、そんなものは、ほぼまぐれであって、自分の音域には入りません。

 まあ、ラからラの2オクターブの音域があれば、普通に歌う分には困らないからね。むしろ私の場合は、音域の広さよりも、一つ一つの音を正しい音高で歌うことが肝心かな? なにしろ、私は油断するとノドに力が入って、声がフラットしてしまうという、フラットシンギングという稀有な体質の持ち主だからね(笑)。

 こりゃあいかんのよね。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 発声法のエッセイ

2020年10月28日

ドイツ語は読むだけでも苦労しています

 声楽のレッスンの続きの続きです。

 コンコーネをやっているとレッスン時間が足りなくなります。なので、今回も曲は一曲だけです。どちらをやろうかと選ばせてもらいましたが、より発声の勉強になるのは、「M'appari Tutt'amor/夢のごとく」だねと言われれば、まあこちらを選ぶのが自然だよね。(ドイツ語の歌は苦手だし…)

 さて「M'appari Tutt'amor/夢のごとく」です。

 今回も響きに注意しながら歌いました。特に、フレーズの中に高い音が入っている場合は、そのフレーズの歌い出しの音の響きを、極力高くするように言われました。これが不思議で、今までのように、響きについてあまり注意せずに歌っていた時は、この曲って歌いづらくてつらくて、とても最後まで歌える自信もなかったのですが、きちんとフレーズごとに歌い出しの音の響きを高くして(それをキープして)歌っていると、曲の最後に高音が出てくる前までは、案外楽に歌えるようになりました。特にそれまで、高音Aを含んで必ず失敗していたフレーズも、スルッと歌えちゃいました。

 なぜかは分かりませんが、響きを高くして先行させる事で、高音も比較的楽に歌えるようです。

 ただし、曲の最後に出てくる、高音AとBの白玉音符は、そんなに簡単ではありません。高音Aの方は歌詞が“Ah!”なので、歌う前にハミングを入れて、子音“m”の音程を高音Aにして(Aになるまでは絶対に母音を歌わない)から歌う事で対応できますが、高音Bの方の歌詞は“Si!”なので、ハミングが使えません。一応、子音“S”の音程を高音Bまで持っていくのですが、子音“S”は無声音なので、この音の音程を上に上げるのは、有声音である“m”の数倍難しいです。おまけに母音は“i”なので、ノドが閉じがちになり(私は“i”の発声が下手なのです)余計に高音Bの発声が困難です。

 今回のレッスンは、精神的に疲れちゃっている事もあって、高音Aはともかく、Bの方は何度やっても、ファルセットでしか出せませんでした。

 もちろん、ファルセットで歌うのはダメですが、無理してノドで押した声で歌うよりも数倍もマシなので「まあ、よし」って感じです。ノドで押した声で歌えば、音程は下がるし、ノドが壊れるので、ならばファルセットになっちゃった方が全然マシなんだそうです。もちろん、マシでしかなく、良いわけではありません。

 「M'appari Tutt'amor/夢のごとく」は、今年の3月から(途中発表会の準備で歌わなかった時期はありますが)歌っています。足掛け8ヶ月? 随分長いこと歌っています。先生曰く、この曲は最後の数小節を除けば、発声の練習に良い曲なので、なかなか次の曲に進めないって話です。まあ、私もこの曲嫌いじゃないので、別にそれでもかまいませんが、さすがにレパートリーが広がらないのは、ちょっとイヤだし、年に一曲は宗教曲を学ぼうという野望があるので、今年もそろそろ宗教曲を学びたいなあという漠然とした希望があります。

 なので、「M'appari Tutt'amor/夢のごとく」をもう少し歌ったら、年内のうちに、メンデルスゾーンの「エリア」の3番と4番に取り掛かる予定なんだそうです。

 …で、実は私、「エリア」の3番の譜読みが全然進んでいないのです。レチタティーヴォなんですが、いやあ、難しくてね…おまけにドイツ語だし。それでも先生曰く「オペラのレチタティーヴォよりは楽だと思うよ」との事です。

 ほんと、歌うだけなのに、ドイツ語苦手な私なんでございます。

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2020年10月27日

響きって何でしょうね? よく分かりません

 声楽のレッスンの続きです。

 響きを付けようとして、声色を変えて歌うという、小手先の事でごまかそうとしている自分がいます。だって、響きって、今だによく分かっていないんですから。

 とにかく、あれこれ試行錯誤をして響きを探しています。そんな中、先生から言われたのは「声を下に掘るのと、響きは全然違います」という事です。具体的に言えば、喉仏を下げて歌うのは、むしろ無しにした方が結果が良い…みたいです。

 今の私は、響きを付けようと頑張ると、無意識に喉仏が下がってしまって、結果として、下に掘ったような声になりがちです。声を下に掘るのは…一部の方々は好きみたいですが、ウチの先生的にはNGで、それはすぐに直されてしまいます。

 クチの奥を広げるなら、下ではなく上へ。口蓋垂を上に上げる方が、響きが付きやすくなるそうです。とは言え、喉仏を下げるのは簡単だけれど、口蓋垂を上げるのは、口蓋垂って自分の目で見れないし、触って確かめる事もできないので、なかなかに難しいんだよね。

 そんな響きの正体って何でしょうね。私はまだ理解していません。分かりません。分からないので、ブログに書いて説明する事もできません。

 分からないけれど、レッスンで先生に見本を見せてもらえば、分かるし、真似も(不十分ながら)できます。でも、それは理解した上で真似しているわけでもなく、見様見真似で真似ているのだから、安定性も無いし、自分のものになっているわけでもないのです。

 それでも何となく察するに、響きと声の倍音は、かなり関係が深いんだろうなあって思います。響きが動くと、声色が変わるからね。声色ってのは、倍音で作られるものだから、倍音が変化すると当然声色が変わるので、響きも倍音と関係が深いのだろうと推察するわけです。

 さて、コンコーネになりました。まずは3番です。今回は“Ah”で歌ってみました。先生曰く「“Ah”で歌うのが一番難しいです」だそうです。一番難しいかどうか分かりませんが、腹筋が全然動かない状態では、どんな音で歌おうと、超絶難しいです。やる事は前回と同じで、響きを優先させながら歌う事ですが、前回同様に細かく区切りながら歌いました。

 3番が合格…ってわけではないのですが、5番も歌いました。こちらは“La”で歌いました。5番も3番同様に、響きを優先させながら歌うのですが、3番と違うのは、5番はよりレガートに歌わないといけません。3番よりも難しいので、本当に目が回ってしまいそうでした。

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2020年10月26日

疲れた状態でレッスンに行くのは、本当に良くない

 声楽のレッスンに行ってきました。実はこの日の私はへとへとでした。肉体的に疲れていたというよりも、精神的にヘトヘトになっていました。仕事で(信じられないような)ヘマをした部下の対応とか、そのリカバリーとか調整とか「ごめんなさい」とか、とにかく一生懸命に脳みそに汗をかいてしまい、へとへとになったところでレッスンに行きました。

 肉体的にヘトヘトになった時にレッスンに行っても、あまり良い学びはできないのですが、精神的にヘトヘトになった時も、同じくらいに、良い学びはできないものです。ふう。

 まずはハミング練習からです。真っ先に先生に言われた事は「鼻の響きを意識しすぎて、声が前に出ちゃっています」との事です。声をいきなり前に出すのはご法度でして、必ず一度後ろに回してから前に出さないといけません。で、前に出す過程で、鼻の響きを声に乗せていくわけです。

 前回のレッスンで、鼻の響きを意識するように言われましたが、だからと言って、鼻の響きばかりに意識が行って、他のことがおろそかになってしまってはダメなのです。同時に幾つものポイントに意識を分散して注意できるようにならないといけないのです。シングルタスクではなく、マルチタスクでないといけないのです。

 発声練習です。まずは軽くハミングをして、響きを確認してから声を出す習慣を確立する事。腹筋は常に動かし続ける事。

 ところが、今回はその腹筋を動かす事が、いつも以上にできませんでした。頭では「腹筋動かさなきゃ」と思っているのだけれど、同時に「腹筋を動かすにはどうすればいいんだっけ」と悩む自分がいました。なんかねえ、腹筋にまで神経が行き届いていない感じがしていたんだよね。行き届いていないというよりも、途中で神経が切れているような感じ? 後から思えば、精神的な疲労が原因なんだろうけれど、その時は何がどうなっているかも分からず、どこかで心が冷めているような、ダメな自分を受け入れてしまっている自分がいました。

 「全然腹筋が動いていない。こりゃダメだ」という思いはあるし、だから「腹筋を動かそう!」とする自分がいるのと同時に「でも腹筋動かないんだよね。ま、動かないものは動かないんだから仕方ないよね」と思っている自分もいるんですよ。いつもなら、思った以上に腹筋が動かなければ、焦ってどうにかしようとする自分がいるのですが、その焦りが今回はなくて、あっさりと諦めちゃっているわけなんです。

 腹筋が動かないので、その分の仕事を無意識でノドとか胸とかがやろうとしてしまうのですが、それは余計に良くない事なので、ダメダメの螺旋階段に突入しちゃうんです。

 疲れた状態でレッスンに行くのは、ほんと、良くないですね。

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2020年10月25日

来年があるかどうかなんて、神様にしか分からない

 今年の夏に行われた声楽発表会は、私的には黒歴史ですが、それでも開催していただいて感謝しています。一方、フルートの発表会は、今年は開催されませんでした。残念です。

 「今年はコロナウィルスの感染予防のために○○を中止します」

 今の御時世、そういう事例を多く見かけます。また人々も「コロナウィルスの感染予防じゃあ仕方ないよね」と納得します。

 今年は我慢、今年は我慢。

 今年は我慢して中止を受け入れるわけですね。でもね、来年は、その○○は開催できるんですか? 来年になれば、コロナウィルスなんて、きれいさっぱり無くなっているなんて、誰が言えますか?

 これって、日本人お得意の“先送り”ってヤツじゃないの?

 なんだかんだ言われながらも、プロ野球やJリーグは開幕しました。今年開幕できたので、おそらく来年も開幕するでしょうし、それ以降もやり続けていくと思われます。それは、相撲やプロレスも同様です。また各種スポーツ大会もぼちぼちと再開しています。

 「体育会系の脳筋連中はムチャしよる」

 プロ野球の開幕当初はそんな陰口を叩いていた人もいました。しかし彼らだって、国なり地方自治体なり業界団体なりが定めた感染予防ガイドラインに従って開催しているわけで、ガイドラインに従っているから安心安全…とは言い切れませんが、前に進むために、できる限りの(or 妥協できる範囲の)安全策を取っているのです。そのガイドラインに従っていても、感染者が出てしまうかもしれません。それでも彼らは開催したんです。ルビコン川を渡ったのです。なぜでしょうか? もちろん、経済的な理由は大きいでしょう。それでも…

 今始めないと、いつ再開できるか分からない

 …からでしょう。

 どんなイベントであれ、中止するのは(あれこれ手続きは面倒ですが)簡単です。止めればいいだけですから。

 でも、再開するのは大変です。無論、止める時同様に手続き的な問題もありますが、それ以上にマンパワーが必要になります。企画の立案、実行、運営…等、かなりのエネルギーが必要になります。また、今まで受け継がれてきたノウハウがなくなってしまい、ゼロからのスタートを余儀なくされるかもしれません。

 今まで行っていた事を、ルーチン作業として行うことは比較的に容易ですが、新しい事や途絶えて久しい事を立ち上げるって、ほんと大変です。

 そういう事が理屈抜きに分かっているから、スポーツ業界は、早めに興行を再開しているんだと思います。で、ひとまず大きなクラスターの発生は免れているようです。結果オーライと言っていいのではないでしょうか?

 他の業種も頑張っています。例えば、映画館も座席を半分にするなどの工夫をして再開したからこそ、今回の「鬼滅の刃」の大ヒットにこぎつけたんだと思います。

 再開する事、始める事。これらを恐れることなく、しかし用心深く、粛々と日常生活を始める事の大切を感じます。

 で、私が心配しているのは、アマチュア音楽家たちの音楽生活です。

 全国津々浦々にあるアマチュアの音楽演奏団体は、練習を再開しているところも器楽を中心にボチボチあるようですが、まだまだ多くの団体が練習再開できてなかったり、練習は再開できても、メンバーが集まらなかったり、演奏会の目処が全然立たないところが多くあります。また、個人で音楽を習っている人の中には、教室がお休みしたままの方もいらっしゃいます。教室は再開されても、発表会の予定が立たなかったり、発表会は開催されても、色々考えた結果参加を取りやめる人もいらっしゃいます。

 感染予防は大切だし、しっかりやらないといけないけれど、だからと言って、練習を止めたままでは、いつまで経っても再開できないよ。止めている時間が長くなればなるほど、再開が大変になります。本番だって、やっていかないと出来なくなってしまうよ。

 さらに言えば、たとえ来年、奇跡的にコロナが収まって、世の中が全く平常になったとしても、あなた自身が来年も元気で趣味の音楽に邁進できるとは限りません。死んでしまうかも…は言い過ぎにしても、病気や怪我や、失業したり破産したり、家族の不幸や介護が、のしかかってくるかもしれません。

 極端な話をすれば、来年はコロナが収まったとしても、今度は違う病気が流行っているかもしれないし、病気でなくても、ミサイルが降ってくるような世の中になっているかもしれません。戦争だって始まっているかもしれません。

 無常なんです、無情なんです、世の中は。

 だから、来年があるかどうかなんて期待するべきではないのです。来年に先延ばしをすれば解決にはならないのです。我慢が1年で済むとは考えない方がいいのです。

 来年の事は神様にしか分からないのです。だから私達は、後悔しないためにも、今できる最善のことを全力でやるだけなんです。

 それは感染予防に留意しながらの活動再開なんだろうと思います。ビビっていたら、前には進めないのです。生きるという事は、常にリスクを背負いながら坂道を歩いていくようなものなのです。リスクを恐れて歩みを止めたら、もう二度と歩きだせなくなっちゃうよ。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | ダイエット&エッセイ

2020年10月24日

ヤヨイが星になりました

 先日、ヤヨイが星になってしまいました。

 前日までは元気で、焼き芋も元気いっぱいに食べていたのですが、その日の朝、いつもエサをねだりにくるヤヨイがエサをねだりに来ませんでした。水槽の奥の目立たない場所でじっとしています。

 これは具合が悪いのかな? そう思って静観する事にしました。時折、シズカが心配そうに寄り添いますので、具合は悪いのだろうけれど、まあ大丈夫だろうと思っていました。

 仕事から帰った夕方、朝と全く同じ場所で同じ格好でヤヨイがじっとしています。あれから数時間も経つのに、同じ姿勢のままというのも解せないので、金魚網でつついたところ、何の反応もせず、すくって確かめてみたところ、息もしていませんでした。

 つまり、星になっていたのです。

 普通、金魚って、死んだら腹を上にして水面に浮かぶものじゃない? 今までの金魚たちはみんなそうだったよ。死んでしまったら、血の気がひいて、目も白く濁るものじゃない? 下手をすると、動きが悪くなった途端に、他の子たちに食べられてしまってボロボロになったりする子だっていました。

 なのに、ヤヨイときたら、水面に浮かぶ事もなく、普通に水底近くにいたし、腹を上にする事もなく、普通に背を上にしていたし、目だってきれいなままでした。もちろん、他の子たちに食べられちゃう事もありませんでした。だから、動かない事、息をしていない事を除けば、まるで生きているかのようでした。

 人間で言えば、仁王立ちのままこと切れた…かのような姿だったのです。

 悲しいけれど、カッコいいです。さすがはヤヨイちゃんです。最後までカッコいいのでした。

 ヤヨイは、2015年3月に我が家にやってきた子です。5年以上も我が家で暮らしていた子で、調べていませんが、おそらく、我が家でもトップクラスの長生き金魚だったと思います。

 ヤヨイは圧倒的存在感のある子で、これからもずっと我が家の水槽で暮らし続けてくれるものとばかり思っていましたので、今、ヤヨイがいない水槽を見るに、大きな喪失感を感じ、悲しくてたまりません。

 とは言え、命あるものは必ず死を迎えるものです。こればかりは仕方がありません。

 さようなら、ヤヨイ。我が家の水槽で暮らしてくれて、本当にありがとう。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 金魚

2020年10月23日

違う眼鏡で吹いてみた

 フルートのレッスンに行ってきました。今回のロングトーン練習は…はっきり言ってダメダメでした。低いところはより低く、高いところはより高く吹いてしまいました。どうも、息のコントロールがダメダメだったようです。

 息のコントロールがダメだったのは、結局、レッスンが終わるまで続きました。で、うまく息がコントロールできないために、基本的には「吹き過ぎ」になりがちで、フルートが悲鳴を上げること度々…。いやあ、自分でも落ち込んでしまうくらいに、今回はダメだったのです。

 そういう日もある…と慰めることしかできません。

 さて、エルステユーブンゲンは、相変わらずの25番と26番です。フルートを吹きすぎてしまうので、時折「ピーーッ!」という雑音が入り込みます。いやあ、暗譜どころの騒ぎじゃありません。

 旋律的練習曲は7番です。おそらく、私が吹き過ぎてしまう原因の一つはこれでしょう。この曲は、第3オクターブの音を多用するのですが、そうなると、無意識に息を強く当てすぎて、フルートを吹き過ぎてしまうのだろうと思います。そんな感じがちょっとカラダに残って、どの曲も強く吹き過ぎてししまうのだろうと思います。

 もっとも先生に言わせれば、7番だって、ちっとも強い息なんて必要ない曲なんだそうです。もっと柔らかい息で楽器を鳴らしながら吹けばいいだけの話なんだそうです。とにかく今は7番を楽譜通りに吹くことに一生懸命になっていますが、早くその段階を通り越して、優しい息で吹き通せるようにならないとダメです。今のままでは、音が汚さすぎて、音楽が成立していませんからね。ふう、頑張らないとね。

 40リトルピーセズは、36番のシューベルトの「Moment Musicale」ですが、こちらはひとまず合格となりました。シューベルトは、音楽さえ掴めば、割とノリノリで吹けちゃうからね。次の37番は…またバッハだよ。「Musetto」だね。さて、どんな曲なんだか?

 今回のレッスンでは、私はメガネを2つ持っていきました。と言うのも、どうもレッスンでは、家で練習するよりも、なんか楽譜が見えづらいことに気がついたからです。

 レッスンと家では環境が全然違います。色々違うのですが、一番の違いは自分の顔と譜面との距離です。家では、椅子に座って練習していますので、譜面は割と自分の近くに置いているのですが、レッスンでは立ってフルートを吹くので、譜面がかなり遠いんです。何しろ譜面台って低いからねえ。おまけに前に使っているのが姉さまなので、かなり譜面台が低めにセットされていて、それをそのまま使っていたんですよ、私。

 なので、譜面台を可能な限り高くセットしてみました。本当は自分専用の譜面台(かなり高くなります)を持っていけばいいのでしょうが、今回はそれは止めにして、限界近くまで譜面台を高くしてみました。それでもまだ低いのですが、そこは我慢です。

 さらにメガネを変えてみました。普段は外出用(仕事用)の中近両用のメガネを使っていたのですが、それを外して、普段自宅で練習の時に使っているパソコン用のメガネ(百均で買ってきた、度の強い老眼鏡)にしてみました。そうすると…いやあ、だいぶ見やすいですね。ほんと、今まで何をしていたんだろうってぐらい、違います。

 メガネ、大切ですね。今度からは、なるべく、百均の老眼鏡を持ってレッスンに行くことにしよう。それだけでフルートの吹きやすさがガラっと変わるからね。

 とまあ、こんな感じでメガネを変えて良好な私を見て先生が、ちょっとうらやましそうでした。先生は、もはやメガネをいくら調整しても、視力が出なくなってしまったんだそうです。もちろん、原因は白内障なのですが、このままでは演奏に支障が出るどころか、次の免許の更新の時に引っかかるんではないかと心配しています。もはや、それくらいに視力がやばいみたいなのです。

 勇気を出して手術さえしてしまえば、問題は解決するんでしょうが、そんなに簡単に手術に踏み切れないのが人間なのです。私も目は弱点だからなあ、決して他人事じゃないんだよね。私も日光が眩しく感じるようになってきたから、白内障の入り口にいるのかもしれない…目医者に行って確認しないといけないのだろうけれど…目医者さんって怖いんだねえ。歯医者よりも行きたくないわあ(涙)。

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2020年10月22日

クルーン唱法と藤山一郎

 クルーン唱法という歌い方があります。正しくは、クルーナー唱法。または、クルーニング唱法、というらしいのだけれど、日本ではクルーン唱法というのが一般的のようです。

 このクルーン唱法が流行っていたのが昭和前期で、その代表者が藤山一郎という、当時を代表する大歌手なのでした。

 どんな歌い方なのかと言えば、こんな歌い方です。


 優しい声でささやくように歌いかけるという唱法です。え? とてもそんなふうには聞こえないって? そりゃあまあ、比較の話ですから。

 昭和前期までの歌手の歌というのは、今で言うオペラ歌手のような、声を張って大声で歌うのが主流だったそうです。流行歌手であっても、マイクが無い場所で歌わなきゃいけなかった事もあり、歌手の歌声そのものが大きくないと話にならない…という事情があったそうです。

 やがてだんだんとマイクが普及してきて、その普及期が昭和初期であり、普及し始めたマイクに対応するべく、世界中の歌手たちがあれこれ工夫した結果、生まれた歌い方がクルーン唱法なんだそうです。だから、マイク前提の歌唱法といえます。

 そもそもの発祥はアメリカで、ビング・クロスビーとかフランク・シナトラの歌い方を思い浮かべれば正解です。

 日本では藤山一郎がクルーン唱法を日本に持ち込み、これを普及させたわけです。

 ではなぜ、藤山一郎はクルーン唱法で歌い始めたのか? 彼はそもそも現在の東京芸術大学の卒業生であり、当時的にはオペラ歌手であり、クラシック音楽エリートだったわけです。あの時代は、今とは違って、きちんとクラシックを学んだ人が流行歌の歌手をやる事が多かったのです。なにしろ、大声で歌えないといけないからね。

 だけど、この大声で歌うのは、ライブでは良いんだけれど、普及し始めたマイクには都合が悪かったそうです。当時のマイクはまだ性能が悪くって、大声で歌うと、声が割れて録音されてしまったのだそうです。なので、当時の歌手はマイクから離れて、大声で歌っていたそうで…つまり、常に叫び声で歌っていたわけです。

 叫び声が似合う曲ならいいのだけれど、そうでもない曲でも叫び声で歌っていたらしいのです。

 そこに登場したのがクルーン唱法です。マイクを信頼して、叫ばずにささやくように歌う。声を張り上げずに、甘い声でため息交じりに低めの声で歌う。マイクが無ければ、絶対に聞こえない。だけどマイクがあればお客の耳に届く歌い方であり、レコード録音との親和性の高い歌い方だったようです。

 そういう意味では、現在のポピュラーソングの歌い方に通じるよね。一部の歌手を除き、ポピュラー歌手の歌声って(驚くほど)小さいもんね。マイクがなければ、何を歌っているのか分からないもんね。でも、マイクを通せば、それは魅力的な歌声になるわけです。

 なぜ、マイク前提の歌い方をクルーン唱法と言ったのか、これはベルカント唱法と対になる言葉だからのようです。つまり当時、音楽大学で習う歌い方をベルカント唱法と呼び、流行歌に特化した歌い方をクルーン唱法と呼んだようなのです。

 もっとも、当時の日本の音楽大学で教えていた歌い方は、21世紀の現代の我々から見るとベルカント唱法とはだいぶ違っていたと思います。俗に言うドイツ唱法なんだろうと思いますが、そこは深く掘り下げません。

 つまり、藤山一郎の中には、ベルカント唱法とクルーン唱法の2つの歌い方があって、それを使い分けていたわけで、流行歌の歌手としての藤山一郎はクルーン唱法を名刺代わりにしていた…という話です。

 ちなみに、クラシック歌手としての藤山一郎はバリトン歌手だったそうです。ふーん、私の耳にはバリトンと言うよりも、テノールに聞こえるんだけれどなあ…。

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2020年10月21日

今だに小学三年生を引きずっている

 私は、いわゆる幼稚園とかには行ってません。別に幼稚園は義務教育ではないし、ウチは経済的に余裕がないし、保育園に預けるとか、教育に熱心なわけでもなかったので、小学校に入るまでは、家にいました。たぶん、今の感覚で言えば、ネグレクトされていたのかもしれませんが、もうそんなのは時効です。

 なので、教育らしい教育を受けたのは、小学校に入ってからです。私、小学校に入るまで、字も読めなければ、計算もできなかったんです。別に当たり前のはずだけれど、当時からそんなヤツはいませんでした。なぜか皆、字が読めるし、計算もできるんだよね。まあ、いいけど。

 で、小学校に入って最初の2年間の記憶って、あんまり無いんだよね。たぶん、記憶に残るほど楽しい生活じゃなかったんだと思います。

 学校の授業って話で言えば、小学三年生の時の音楽の授業は、結構あれこれ覚えてます。音楽の授業は担任の女の先生が受け持っていた(って、別に音楽が専門ってわけじゃなかったみたいです)ので、別に本格的な授業ではなかったんだろうけれど、色々教えてもらいました。

 仮にT先生って呼びましょう。

 楽典みたいなものを教えてくれたのがT先生でした。で、それで「作曲をしましょう!」とか言い出して、私が適当に書いた曲を皆の前でべた褒めしてくれて演奏してくれたり…結構、うれしくて覚えてます。鍵盤と楽譜の関係を教えてくれたのもT先生で、そこから指一本だけど、ピアノが弾けるようになった私です。すごい自己達成感があったのを覚えてます。三年生から鼓笛隊に入れるのだけれど、その鼓笛隊に入って、小太鼓(スネアドラムじゃ無いんだな:笑)がうまく叩けなくって、教えてくれたのもT先生でした。

 結構、お世話になっているし、面倒みてもらったなあ。当時、大学を出たばかりだったろうに、ほんと熱心な先生でした。

 で、そのT先生の音楽の授業、特に歌の授業で、よくおっしゃっていた事は…

 「とにかくクチを開けて、元気よく大きな声で歌おう!」
 「歌の出だしから、はっきりと歌おう!」
 「歌が始まったら終わるまで、休まずに声を出し続けよう!」

 …です。結構長い間、この教えを守っていました。つい、最近まで守っていたかも。

 さすがに恩師の言葉だけれど、今はこの教えが間違っている事は分かります。

 クチを開けて歌っちゃダメだよね。特にクチの手前ばかりを、それも横にばっかり開いて歌うなんて、もう最低だよね。元気よく大きな声って、そりゃあ子どもだもん、ついつい怒鳴っちゃうよね。でも、怒鳴り声で歌っちゃダメだし、元気よく大きな声で歌おうとして、ノドに力を入れた声で歌っちゃダメダメだよね。

 歌の出だしからはっきりと…って、そんなガツンガツンって感じで歌ったら残念だよね。曲にもよるけれど、多くの曲は、フワッと柔らかく歌い出した方がたぶんいいんだよね。

 休まずに声を出し続けようとした結果、休符は軽く無視して歌うし、息が続くまで歌うからブレスはいい加減だし、なんかやかましい歌になるよね。

 という訳で、先生の教えにダメ出してますが、これって、今の私が抱える欠点そのものなんだよね。先生のせいにはしたくないですが、先生の教えをちゃんと守った結果が今の私なんだよね。子どもへの教育って、大切だよね。

 ってわけで、なんだかんだ言っても、今だに小学三年生をひきずっている私だったりします。

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2020年10月20日

だから私は合唱が出来ない

 ちょっと自分の人生ってヤツを振り返ってみました。

 幼い頃から音楽は好きでした。学生の頃はバンドをやっていました。歌よりも楽器の方が好きで、ギターをメインに、ベースもシンセもドラムも嗜んでいました。歌は…聞くのは大好きでしたし、興味が無いわけではなかったけれど、自分が歌う事はあまり考えていませんでした。

 それが“歌いたい”と思うようになったのは、社会人になって、オペラを聞くようになってからです。具体的には、マリオ・デル・モナコのCDを聞いて以来、歌わずにはいられない感じになりました。

 で、歌いましょう…と思った時に考えたのが、市民合唱団です。合唱団に入れば、おもいっきり歌が歌える…って思ったんですね。

 さっそく、地元で団員を募集している大きめな市民合唱団があったので、入れてもらいました。その合唱団は、今では入団テストのようなものがあるらしいのですが、私が入った頃は、まだ発足したばかりで、特にテストのようなモノもなく、フリーパスで入っちゃいました。

 合唱団時代は、楽しくてつらい日々でした。歌が歌える事は楽しかったですよ。合唱団に入った事で人脈も広がりましたし、あれこれの舞台でも歌わせてもらえるようになりました。

 ただ、オペラを聞いて、感動して、それで歌いたいと思った人なので、とにかく朗々と大きな声で歌いたいのです。

 今でもそうだけれど、私の声って、極めてソリストなんだよね。そもそも、声大きいし、よく通るし、甲高いし…いわゆる“内緒話ができない人”なんだよね。どんなに小声のウィスパーヴォイスで話しても、周りに筒抜けになってしまう声の持ち主だったりします。

 そんな声の持ち主が、大声で朗々と歌いたがっているわけだから、そりゃあダメだよね。合唱団的には迷惑千万なわけです。

 おまけに、それまで音楽はやっていたけれど、歌は全然歌っていなかったわけだから、歌は超絶下手くそだったわけです。なので、合唱団の練習中も、しばしば個人的に注意されたり、指導されたりしてました。おそらく、心の弱い人なら居たたまれなくなっていたでしょうね。私は精神的に折れる事はなかったけれど、すごく団には迷惑をかけているなあという自覚があって、そこは辛かったです。

 結局、大きな本番を終えたところで、合唱を止めて、声楽(独唱)を学ぶようになったわけで、途中紆余曲折はありましたが、それが今の私につながっていくわけです。

 今でも合唱で歌う事は好きだしやりたいのですが、個性を殺して、周りの人たちと声質や声量を併せて緻密に歌っていくのは苦手だし、やりたくないです。

 みんな、バンバン声を出して個性豊かに歌えばいいじゃん…って思っちゃうわけですが、それじゃあ今の日本の合唱はできないよね。少なくとも、今の日本の合唱で行われている主流の音楽とは違うわけです。

 だから私は合唱ができない…わけです。

 いつの日か、百人程度の合唱団があったら、その歌声が「まるで一人の人が歌っているかように聞こえる」音楽が廃れ「百人の人間が汗かきながら声を合わせて歌っているように聞こえる」音楽が主流になったら、私も合唱を楽しめるのではないかと思うのです。

 ま、そんな日はやってこないか(笑)。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 合唱

2020年10月19日

老化も捨てたもんじゃない?

 最近、高音Aがほぼ常用音域に入ってきたなあと自覚している私です。ううむ、ここに来るまで、長かった(ため息)。

 やったね、やったねと喜んでいたら、ちょっとした事を耳にしました。それは「男性は、老化して、男性ホルモンの分泌が減ると、高音を出しやすくなる」という事です。

 別にこの言葉を聞くのは、今回が初めてではなく、今までも色々なところで聞いてきました。たぶん、声楽界に広く流布している通説なんでしょうね。

 …ん? だとすると、今まで苦労して、出そうで出なかった高音Aが出るようになったのは、努力の末に獲得したものとばかり思っていましたが、実は老化のおかげ…か?

 ううむ、なんか複雑。でも、高音が出るようになった事は、めでたいし、うれしいです。

 もし、努力ではなく、老化のせいで、高音が出るようになったのだとしたら、これからもっともっと老化するので、もっともっと高音が出るようになる? だとしたら、老化も捨てたものじゃないね。

 今はAがほぼほぼ限界だけど、この先、Bが出るようになるんだろうし、Hも出ちゃう? もしかすると、Hi-Cだって常用音域に入ってくるかも…なんかワクワクしてきませんか?

 老化も捨てたもンじゃないでしょ?

蛇足 以前習っていたキング先生からは「テノールは50歳まで。50歳になったら、もう高音は出なくなるから諦めなさい」と言われて、実際、50歳になる手前で、あの門下を去りました。で、私の場合、50以前よりも、50以降の方が、高音が出るようになりました。たぶん、発声方法を変えたからだと思うけれど…門下を移って良かったなあ。先生が変わって本当に良かったです。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 声楽のエッセイ

2020年10月18日

「NHK、テレビ設置届け出の義務化要望」だと?

 こちらの記事によれば、NHKは、総務省の有識者会議分科会で、家庭や職場にテレビを設置した際にNHKへの届け出を義務化する放送法改正を要望したそうな。合わせて、NHKとの受信契約を結んでいない世帯の居住者氏名や、転居した際の住所などの個人情報を公的機関などに照会できる制度の導入も求めたんだそうな。

 まあ、受信料の徴収に手こずっているNHKからの、心からのお願い…なんだろうけれど、これには色々と反発が予想されるんだよね。

 この要望が実現すると、誰がテレビを持っているとかいないとかが明らかになるわけで(今はテレビを持っていても、持っていないと言い張って、受信料の支払いから逃げる人がいるわけなんです)、テレビを持っている人に対して、強行的に受信料の支払いを求められるわけだし(で、支払わなきゃ裁判沙汰にしてでも徴収しちゃえるし)、受信料を支払っていない人が分かれば、引っ越しして逃げても追いかけられるようになるわけだ。

 NHKの必死さが伝わる話です。

 で、なんでこうなるのかと言えば、そもそも、放送法の第64条がおかしいんだよね。

放送法第六十四条(受信契約及び受信料)
協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送(音声その他の音響を送る放送であつて、テレビジョン放送及び多重放送に該当しないものをいう。第百二十六条第一項において同じ。)若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りでない。

 つまり、テレビを買ったら必ずNHKと契約して受信料を支払わないといけないと、法律で決められているのです。ここが現代人の視点で考えると、そもそもおかしいのです。

 テレビがNHKしか映らないものならともかく、今どきのテレビって(当たり前だけれど)民放も見られるし、DVDやBlu-rayのモニターとしても活用できるし、ゲーム機のモニターにだってなりうるし、テレビ受像機というよりも、汎用のモニターであって、それを法律が、テレビをNHK受信専用機みたいな扱いをしている事に問題があります。

 法律が古いんだよね。時代に寄り添っていないと思うのです。

 でも、NHKは、この放送法の64条を根拠に我々に受信料の支払いを迫ってくるわけです。ウチみたいに、NHK大好きで、NHKの番組をたくさん見ている人は、別に受信料の支払いに文句はないんだろうと思いますし、ウチは喜んで受信料を支払っています。

 でも、世の中にはNHKをほとんど見ない家もあるだろうし、それどころかテレビ放送そのものを見ない家もありそうです。だってさあ、ネットが出来て、TVerとYouTubeとアマゾンプライムしか見なくても、何も困ることはないものね。

 それなのに、テレビを持っているだけで、NHKの受信料を支払えってのは、あまりに理不尽でしょ。

 政治家の皆さんにお願いしたいのは、放送法の改正をするのなら、時代に則した内容にアップデートしてくださいって事です。NHKの受信料は、NHKを受信した人だけが支払えば済むようにしてもらいたいのです。そうすれば、日本中のみんなが納得して受信料を支払ってくれると思うんだよね。

 スクランブルを掛けるなり、なんなりをすれば済む事じゃない? 緊急放送とかは、その時だけスクランブルを外すとかすればいいじゃん。あるいは、今の総合と教育のチャンネル分けを止めて、無料チャンネルと有料チャンネルに分けて、公的な放送は無料チャンネルで放送し、有料チャンネルは受信料を支払わないと見られないようにするとかすればいいじゃん。

 当然、ニュースとか地震速報とか教育番組とかは無料チャンネルで、紅白とか高校野球とか朝ドラとか大河とかチコちゃんとかは、有料チャンネルで放送すればいいんじゃないの? ダメ?

 NHKって、日本人に対しては受信料を支払えってうるさいけれど、NHKの電波(特にBS)って、韓国にも届いていて、韓国人はNHKを見放題なんだけれど、韓国人に対しては受信料うんぬんって言わないものだから、韓国人は大手をふるってNHKをタダ見しているわけで、このへんの不公平さが、私はイヤだなあって思います。クチの悪い人たちが言うには「スクランブル掛けると韓国人がNHKを見られなくなるから、NHKは絶対にスクランブル放送をしないんだぜ」らしいです。本当かな?とも思いますが、現状を見ると、案外そうなのかもしれませんね。

 だってね、NHKの放送内容が、時折、日本人向けと言うよりも韓国人向けな感じがするのは、きっと韓国にいるNHKの視聴者を意識しているんだろうなって慮っていますが、そもそもそれがおかしいとすら私は思うわけです。

 放送法の改正は、より正しくまともな方向にしてほしいです、切に願います。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | ダイエット&エッセイ

2020年10月17日

お芋の季節がやってきました

 焼き芋の値段が下がってきました。我が家でもオヤツとして気軽に焼き芋を購入する事ができます。

 焼き芋は秋がシーズンなんですが、今はスーパーに行けば一年中焼き芋が買えます。しかし、やはりシーズンオフの時期は値段が高いです。なので、値段が安ければ買いますが、高い日は焼き芋の購入は控えていました。

 で、お芋の季節がやってきて、焼き芋の値段も下がり始めました。さっそくスーパーで焼き芋を買ってきて、人間が食べると共に、金魚たちにも焼き芋をあげました。

 今、出回っている芋は、この前まで食べていたサツマイモとは品種が違うみたいで、クリーミーではなくホクホクしているタイプでした。クリーミーなタイプは、水槽に入れると、粉状になって散り、あっという間に金魚たちに食べつくされてしまいます。で、若干、水槽の水が汚れます。

 ホクホクしたタイプは、塊のまま水槽に落ちていきます。水槽の水はほぼ汚しません。芋自体が硬いせいか、金魚たちも食べ終わるのに時間がかかるみたいです。ちょっと見、食べづらそうにも見えます。

 だからと言って、芋を食べ残す事はなく、かなりたくさん芋を入れても、寄ってたかってキレイに食べ尽くしてくれます。なので、飼い主的にはホクホクしたタイプの方が金魚向きかなって思いました。水槽汚さないし、長い時間かけてお芋を食べてもらえるし…。

 改めて思うけれど、焼き芋って、金魚にとっては、とても美味しいスイーツなんだねえ。これからは焼き芋のシーズンなので、ちょくちょく水槽に入れてあげる事にしましょう。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 金魚

2020年10月16日

学力の遅れはどう取り戻せるのか?

 フルートのレッスンに行ってきました。

 ロングトーンの練習はいつも通りにバッチリで、特に書くことはありません。

 エルステユーブンゲンは25番と26番です。今回は、新曲を抱えているので、その新曲から逃避するために(笑)、自宅では25番の練習を懸命にやりましたが…どうしても、うまく吹けません。どうにも、間違って暗譜したものが定着してしまったようで、ちゃんとしたモノが入っていかないのですね。あんなに時間をかけて集中して暗譜練習したのに、全然モノになっていないと悲しいモンです。

 で、旋律的練習曲の7番です。新曲です。でもエルステユーブンゲンに逃げていたために、あまり練習ができていませんでした。なので、全然曲がつかめていません。とりあえず、楽譜通りに刹那的に吹いてみました。

 吹き終わった直後は、音楽の演奏をしたというよりも、何かの作業をし終えたって感じでした。無論、音楽としては、全然ダメです。やはり、しっかり楽譜を読み込んで、曲そのものを理解しておかないと、音楽にはなりません。音を並べただけじゃダメなんだな。

 40リトルピーセズも新曲です。36番のシューベルトですが、こちらはシューベルトのメロディという事もあり、ちょっと吹くだけで、曲の全体像はつかめました。ただ、絶対的な練習量が少なかったので、ミスブローはまぬがれず、まだまだ合格にはほど遠い状態でした。

 さて、今回の雑談は…コロナの影響で、勉強が遅れた学校の生徒は可哀想って話です。

 小学校〜高校では、今ではほとんどの学校で授業を行っていますが、休んでいた時期もあって、休校期間は短い学校で2ヶ月、長い学校だと4ヶ月もあったわけです。大学などは、完全な休校ではなく、授業そのものはオンライン授業をしています…が、今だに開校していないところもゴロゴロあるわけです。

 オンライン授業さえあれば大学教育が完結するものならば、日本中の大学は全部潰してしまって、放送大学だけにしてしまえばいいんです。分かっているのかな? 大学関係者は。大学って、授業だけしていればいいわけではなく、授業も座学だけでなく、実技も実習も実験もあるわけだし、上級生たちは研究もしなきゃいけないし、学生たちにはいわゆる“キャンパスライフ”ってヤツを提供しないといけないわけです。勉強も大切だけれど、友達作りの場、人脈づくりの場を提供するのも、大学の大切な役割です。

 オンライン授業だけしかできないのなら、今年の授業料は返還するべきだと私は思うよ。全額とは言わなくても、相当の額を返還するべきでしょう。返還したくないのなら、さっさとキャンパスの門を開けるべきです。このままでは「盗っ人猛々しい」と言われても仕方のない状態だと思います。

 高校以下の学校で問題なのは、学校での学習時間が大幅に減ってしまった事でしょう。減った分の学習は、大急ぎで授業が進行し、内容的には消化されるのでしょうが、そんなに急いで詰め込んで、生徒たちはきちんと学習が身につくのでしょうか? 結局、学校が頼りにならない分は、親も子も塾等に頼らざるを得ないわけで、塾に通える都会の豊かな階層の子たちは良いとしても、塾もロクにない地方在住者の子とか、塾があっても通えない貧民層の子たちは、学力的に切り捨てられてしまうのではないでしょうか? 学力は、貧しい家の子にとっては、豊かになるための第一の道具なのに、それが得られないという事は、貧しさからの脱出が難しくなるわけで、これはこれで由々しき問題になると思います。

 今更言っても仕方ないのですが、緊急事態宣言はともかく、それに伴う学校の休校は失敗だったのではないかと思います。ま、一寸先は闇で、誰も未来なんて分からないのだし、その時は最善手を打ったつもりだろうし、それをとやかく言っても始まらないのだけれど、やはり学校は粛々と続けるべきだったのだろうと思います。

 それにしても、今だに休校している学校って、社会的な責任ってヤツについて、どう考えているのかしら?

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2020年10月15日

新型コロナウィルス対応のオペラって…ありゃナシだな

 割と最近は、毎年のように見せていただいている、昭和音楽大学の大学オペラを見てきました。演目は「ドン・ジョヴァンニ」でした。今年の特徴は、新型コロナウィルスに対応したオペラ上演なんだそうです。

 まず最初に、全体的な感想を言えば、年々、音楽的な精度は高くなっているように感じられます。歌っている歌手にしても、合唱にしても、オーケストラにしても、レベルが少しずつ高くなっているように思われます。もちろん、時折は演奏にキズが見えないわけではないのだけれど、そんなモノよりも全体の満足度の方が印象深いです。

 つまり、音楽の演奏としては、ほぼ及第点以上の出来で「さすが、昭和音楽大学!」と言いたくなります。

 で、今年の目玉の新型コロナウィルス対応のオペラ上演ですが…まあ、実験としてはアリだけれど、実演としては無しだなって感想です。チケット代は格安なので、とてもコストパフォーマンスの良い優れた上演だと思います。

 そして、新型コロナウィルス対応のオペラ上演としては、よく考えられていると思います。

 まず、オーケストラピットを使用不能にして、オーケストラピットに蓋をして、その部分も舞台にします。大道具は使用しません。大道具を使用しない事で、舞台の奥の奥まで舞台として使用します。そうやって広くて奥行きのある舞台を確保したところで、その舞台中央にオーケストラを配置します。

 確かにあの狭いオーケストラピットにオーケストラを配置しては三密回避は無理ですね。なので、舞台中央の広々したところにオーケストラを配置します。そうする事で、オーケストラの各メンバーの間隔を若干広くする事ができますので、それでなんとか三密を回避しているのだろうと思われます。

 歌手たちが動き回る舞台は、オーケストラの前の部分(ここを舞台Aと仮に呼びます)とオーケストラの後ろの部分(舞台B)とオーケストラの横の部分で舞台AとBをつなぐ回廊的な舞台…まるで舞台上に2つの舞台をつなぐ花道ができたようです。ここを仮に舞台Cと呼びますと、当日の舞台は、まるで“コ”の字のような形(実際には“コ”の字の線対称で、舞台AとBをつなぐ花道は右側でなく左側)になります。

 舞台Aはほぼ、オーケストラピットの蓋の部分で、舞台Bは、本来なら大道具の裏になり、使用しない大道具を置くスペースなんだろうと思います。で、さらに舞台Bは2メートルばかり高くなっていて、舞台Bとオーケストラの境目には、数枚の幕がいつも垂れ下がっています。

 まず、中央にオーケストラが配置されている構造は、演奏前は「まるでオーケストラが主役見たいだな。きっとオペラが始まっても、オーケストラがガチャガチャ動く事で目立ち、オペラをぶっ壊すんじゃないか」と思っていましたが、実際に演奏が始まると、オーケストラはまあまあ大人しくて、全然気になりませんでした。ただ時折、指揮者の動きがうるさいなあとは思いましたが…まあ、気にしなければ気にならない程度でした。

 ソロ歌手たちは、主に舞台Aで歌い、舞台Bでは合唱が歌います。舞台Bの手前に常に幕(薄い幕[紗幕]や厚い幕[スクリーン])が下がっていて、合唱の飛沫からオーケストラのメンバーを守っています。また舞台と客席の間も5列ほど空列が続いて、舞台Aからの飛沫から観客を守っています。

 さらに、オーケストラメンバーは可能な限りマスクをし、歌手たちは必ずフェイスガードを付けます。そして、歌手たちは適度な距離を離れて演技をし、絶対に接触しません。

 大道具を使わない代わりに舞台Bとオーケストラの間の幕が、合唱が出てない場面ではスクリーンになり、何やらイタリアっぽい動画を映し出していました。

 衣装は着ません…と言うか、男性ソリストは皆タキシード、女性ソリストはドレスで通します。劇中で着替えることはありません。合唱は男女ともに上下黒のパンツスタイルです。まるで演奏会形式のオペラのようです。

 大道具を使わない、オペラ的な衣装を着ない…のは、大道具を動かしたり、オペラの最中に着替えたりして、舞台裏が混雑するのを避けるためのようです。

 とにかく、よく考えているんです。新型コロナウィルス対策としては「出来ることはなるべく行いました」という感じになってます。その努力はよく分かるし、何としてもオペラを安全に上演したいという、関係者の皆様の強い願いはひしひしと感じます。

 でもね、観客の立場で言えば「こんなオペラなら、もういいや」って感じです。なぜなら…、

1)フェイスガードはダメです、絶対。これで歌手の声がくぐもり、変な響きも付いて、声の音色がかなり悪くなり、オペラが汚れます。特に女声への影響は顕著です。歌手の声が聞きたいのに、声が汚くなるフェイスガード着用はダメダメです。歌としてのオペラは、フェイスガードで決定的にダメになります。

2)衣装はきちんと着よう。このオペラは、声のバリエーションが少ないのです(男はたいていバリトンで、女はみんなソプラノ)。女性はドレスでもそれぞれ色が違うのでマシですが、男性はみな同じ色の同じ形の服装で、おまけに声まで同じ。もう、区別付きません。だいたい、ドン・ジョバンニとレポレロが同じ服装って…オペラじゃないでしょ、これ? 騎士長の娘と村娘が同じようなドレスってのも…いかがなもの? さらに死者で石像なのに、生者と同じ衣装を着ているってのも…どうなの? 衣装がみんな同じなので、誰が誰なのか、本当に分かりにくくなり、鑑賞の妨げにすらなっています。衣装を着ていないと、誰が誰だか分からなくなります。演技だけで人物の個性を出せるほどの演技力があれば別ですが、それを学生はもちろん、日本のプロのオペラ歌手にだって求めるのは酷というものだと思います。

3)きちんとお芝居をしよう。いちゃいちゃする男女はベタベタと互いを触り合うものです。愛情深い娘は、父が死にそうならば、その頭を抱くものです。殺したい相手に銃を向けるなら、中距離から銃を向けるのではなく、至近距離まで近づいてから銃を相手に押し付けるものです。そんな当たり前のお芝居が出来ないのなら、芝居をしない方が分かりやすいです。中途半端な演技は、見ていて謎です。かえって状況を分かりづらくします。それならしない方がマシです。

4)大道具の代わりに動画? ありえないでしょ? せめて、プロジェクション・マッピングなら分かります。でも、歌の内容とは特に関係のない動画をダラダラ流されると、歌の邪魔にしかなりません。せめて歌の内容とリンクした動画ならば良しだけれど、関係の無い動画は、ほんと邪魔です。それなら、大道具も動画も無しの方が良かったです。

結論)せっかく音楽の部分が上出来なのだから、このオペラを演奏会形式でやれば、とてもとても良かったと思います。舞台の奥がオーケストラで、手前が歌。歌は、ソロに限らず、合唱も歌う人だけが舞台に出るようにすれば、舞台の上はそんなに混まないと思います。フェイスガードは外して、観客との距離を十分に取れば、特に問題はありませんが、それでも観客が不安を感じるようならば、舞台の一番前に飛沫予防の紗幕を張りましょう。紗幕は声的には、フェイスガードよりもずっとずっとマシだと思います。とにかく、フェイスガードは絶対にいけません。オケのメンバーが歌手と同じ舞台じゃ嫌だと感じるなら、オケと歌手たちの間にも紗幕を張りましょう。

 こんな形式のオペラしか上演できないのなら、新型コロナが落ち着くまでは、オペラの上演は全部演奏会形式でもいいんじゃないの? 中途半端なことをされるくらいなら、演奏会形式の方がずっとずっといいんじゃないの? 私は、そう思いました。

 オペラにはいろいろな要素があるとはいうものの、やはり最優先にすべきなのは、音楽でしょ? その音楽をダメするような上演は、一時的には良くても、長期的に見れば、客離れしか引き起こさないよ。少なくとも、私は「こんなオペラはもう嫌だ、見たくない」と思ってますから。

 一生懸命に舞台を勤めていた学生さんたちが可哀想に感じました。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 歌劇

2020年10月14日

マルキーレンって、なんじゃらほい?

 声楽のレッスンの続きの続きです。「M'appari Tutt'amor/夢のごとく」を歌い始めた私です。

 “i”の母音の発音が日本語のイのようにクチが横開きになっているようです。イタリア語の“i”はクチを縦開きにするんだよね。意識しないと、すぐに日本語になってしまう、ジャパニな私です。

 音程は、クチの開きと腹圧で作りますが、楽譜でスラーで書かれている部分は、クチの開きよりも、主に腹圧で音程調整を行います。分かりやすく言えば、お腹で音程を作って歌うのです。この曲はスラーが多いので、お腹で音程を作る箇所が多いです。お腹がヘトヘトになります。

 歌になっても、やる事はコンコーネ練習と同じです。息を支えて、声を出す前に響きを鳴らして、声のためにノドを開いたり、腹圧を高めたりして、準備をしたら声を出す…この作業を音符ごとにやっていきます。これらを意識的に…ではなく、無意識で順序よくやれるようにならないと、自由には歌えない…んだろうなあって思います。

 それにしても、歌うって音符の通りに歌えばいいんだと、ちょっと前まで思ってました(少なくとも器楽ではそうでしょ?)が、実際は音符の数の3〜4倍もやるべき事/取り扱うべき音があるわけで、歌って実はかなり緻密な事を淡々とやっていくモノだなあと思います。まるで、脳筋アスリートの世界だ。実際、脳筋な部分が無いと、歌って歌えないのかもしれません。特にテノールは、その中でも脳筋比率が多いかもしれない。高音を極めるテノール歌手なんて、ほぼほぼ体育会のノリで生きているし…なあ。

 そんなこんなで「M'appari Tutt'amor/夢のごとく」を、最後のページの1段目ぐらいまで歌いました。ここまでは、まあ歌えたと思います。この後に、高いAを含んだフレードと、高いBを含んだフレーズが続きますが…この2つのフレーズは次回まわしです。とにかく、カラダがヘトヘトなので、高い音なんて出るはずがないんです。なので、また今度です。

 さて、アリア…となると、すぐにフルボイスで歌いたがる私です。何しろ「最初っから最後まで、クライマックスだぜ!」という主義で歌っている人なので、意識的にせよ無意識にせよ、すぐにフルボイスになってしまいます。でも、フルボイスで歌うと、そんなに長く声が持ちません。少し長めの曲だと、後半は声を使い切って歌えなくなります。それに、フルボイスで歌っていると、ついついノドで声を押して、ノド声になりがちだし、ノド声になれば、音程が低めに歌ってしまうし…はい、分かっているんですよ。フルボイスがダメって事は。

 でも、気がつくとフルボイスで歌っちゃう私がここにいるんです。

 そこで先生から提案なのが“マルキーレン”で歌う事です。

 なんですか? “マルキーレン”って? “マレキアーレ”の事ですか? ああ、違うんですか? じゃあ美味しいですか? 食べられないのですね。

 マルキーレンって…説明するのが難しい用語みたいです。ネットで調べると「マルキーレンとは鼻歌のこと」と書かれていますし、歌わない人はそういう認識をしている方もいらっしゃるようだけれど、実際のところ、歌手の立場で考えると、鼻歌とマルキーレンはかなり違うようです。

 で、Y先生の考えるマルキーレンとは「芯のある声で楽に歌うこと」なのだそうです。「楽に」と言うのは、ノドが楽になる事であって、腹筋はちっとも楽にはならないのだそうです。つまり「ノドを脱力して歌えば良い」のかな? とも思いますが、どうもそれとも違うみたいです。おまけに音量的には、かなり少なめのようです。

 実際には、本番の舞台ではなく、オペラの稽古場等で使われる歌い方のようです。目的としては、本番に備えて、声の消耗を抑える事を目的とした歌い方のようです。

 なので、ひとまず、マルキーレンが使えるように練習しましょうと言われました。ちなみに、マルキーレンは声が軽い人ほど、うまくできるそうです。先生はバリトンですが、バリトン歌手にとっては、マルキーレンで歌うくらいなら、普通にフルボイスで歌う方がはるかに楽みたいですが、ソプラノやテノールには必須の発声方法のようです。

 「最初っから最後までクライマックスだぜ」じゃなくて「最初から最後までマルキーレンだぞ」を目指しましょうって話です。

 ところで、マルキーレンって何?

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2020年10月13日

さて、コンコーネです

 声楽のレッスンの続きです。発声練習が終わりました。次はコンコーネ50番です。最初だけ、固定ド階名唱で通して歌いましたが、すぐに返して、今度は細かく(1拍ずつとか、1小節ごととか、そんな単位)注意を受けて、歌い直して…とやって、最後まで行ったら、また頭に戻って、今度は歌詞を“Ma”に変えて、また細かく注意を受けながら歌い直して、最後まで行ったら、また頭に戻って、今度は歌詞を“La”に変えて、また細かく注意を受けて…というのをやりました。とにかく、腹筋が動かなくなるまで、じっくり徹底的にやりました。

 コンコーネは楽しい楽しくない以前に、フィジカル的に辛いです(涙)。確かに、アマチュア向けでは無いかもしれません。でも、頑張る。

 コンコーネ練習の中でも、発声練習でもやった、声と響きを意識的に分割して響きを先行して歌う事を重点的に行いました。跳躍音程の際には、跳躍幅に応じた腹圧で響きを先行させる事を意識的に行いました。またノドの開きを発声に先行して行う事も意識的に行いました。母音を、先行する子音よりも高い音程で歌うように意識しました。もちろん、腹圧を十分にかけていく事は忘れずに。鼻も十分に鳴らす事。

 大きな声はいらないとも言われ続けました。大きな声が出てしまった時は、ノドで押した“ノド声”になっていると思うくらいで、ちょうど良いそうです。で、声をノドで押してしまう前に、ノドを上に引っ張るように意識を変える必要があるそうです。

 ヘトヘトになりました。たぶん、声楽のレッスンで、こんなにヘトヘトになったのは初めてかもしれません。

 今回はコンコーネ50番の3番をやりましたが、次回は3番の復習をしたら5番をやるそうです。つまり、5番の譜読みをしておけよ…って話です。頑張りましょう。

 歌の方は、シューベルトはお休みで、フロトー作曲の「M'appari Tutt'amor/夢のごとく」をやりました。

 実はこの歌、なんかもう、歌える気が全然しないんですよ。とにかく、難しいし、歌う自信が失せています。

 なんで、そんな事を思うのかと考えると…前回の発表会での大失敗がメンタルに響いているのかな?って思います。発表会では、すべての歌で大失敗をしてしまったわけですが、曲の難易度的には、この「M'appari Tutt'amor/夢のごとく」は発表会で歌った歌たちと同程度か、それよりもやや難易度が高いぐらいだろうと思ってます。発表会であんな大失敗をしてしまったので、この曲が歌えるわけはない…なんて、理性では全然思ってませんが、気持ちは完全に萎縮しちゃってます。実は私、結構チキンです(笑)。気持ちが萎縮しているので、何をやっても、うまくいかず、結果として、全然歌えなくなってます。

 なので「この曲は、もう、全然、歌える気がしません」とボソッと言うと「どうして? すべての音は出せるじゃないですか」と言われちゃいます。つまり、先生的には“余裕で歌える歌”のハズのようです。でもねえ…。

 歌を歌うには、メンタルの強さって大切だなあって、しみじみ思うんです。

 というわけで「M'appari Tutt'amor/夢のごとく」を歌い始めた私なのです。

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2020年10月12日

歌って、難しい

 声楽のレッスンに行ってきました。

 まずはハミング練習からです。ハミングで注意するのは、音程が高かろうが低かろうが、響きを常に鼻より上に置き、必ず鼻を鳴らして歌うのです。鼻を鳴らすと言っても、ブヒブヒ言うのではなく、鼻の響きをしっかり鳴らすという意味です。そう、昔、キング先生に「絶対にやっちゃダメ」と言われ、数年かけて矯正した事を元に戻すというか、より熟練させるというか…キング先生が今、私がやっている事を知ったら、どう思うかな? ほぼ、真逆の事をやっているんだものなあ…。ちょっと複雑です。

 私が意識して響きを高くし続けてハミングをしても、鼻が鳴ったり鳴らなかったするんだそうです。響きそのものは高いところにあり、鼻の響きも一緒にそこに無いといけないのに、私の鼻は鳴らない事もあるんだそうです。

 さらに言えば、私自身には、その鼻が鳴っているのか鳴っていないのかが、全く分からないのです(分からないから、散々キング先生にも指導されたわけです)。歌っている私には分からなくても、聞いている先生や妻にはよく分かるのですから、顕著な違いがそこにあるのだろうけれど、歌っている私に分からないのでは、そこを上手にコントロールする事ができません。

 鼻を鳴らすには、息の支えが必要です。息の支えが弱いと、鼻が閉じて響かなくなります。そう言われたので、息の支えを意識して歌ったところ、OKが出ましたが、なんか納得できない私です。何とも分からないんだよね。

 先生がおっしゃるには、持続して鼻を鳴らせるようになると、格段の進歩が見られるはず…というのですが、ううむ、分からないものには着手できません。先は長いんだろうなあ。

 発声練習では、響きの上に声を乗せる練習をしました。前回もやった、音程が上行するにつれてクチを開き、最高音の手前で全開したら、最高音では、内部的にクチを閉じる…もやりました。

 さらに、声の音程と響きの音程の関係について練習しました。声の音程は、楽譜通りに歌えばいいけれど、響きの音程は、声の音程に先行して動かしていかないといけません。

 具体的に書けば、ここに4分音符が2つ並んで、ド、レ、の順に書かれているとします。これを歌う場合、声はドの音符の時にドの音程で、レの音符の時にレの音程で歌えばいいのです。しかし響きは、ドの音程の半拍ぐらい前でドの音程で鳴らし、ドの音符の後半の時に、次の音符のレの音程で響きを鳴らさないといけません。さらに、この2つの響きは、デジタル的につなげるのではなく、ポルタメントを用いてグイーンって感じで移動させないといけません。つまり、まずドの音程の響きを鳴らしてから、ドの音程の声を出し、ドの音程の声を出しながら、響きをポルタメントを使ってレの音程に移動させて、それからレの音程の声を出すわけです。

 難しいでしょ? 実際、難しいのです。ドの音を出しながら、レの響きを出して、レの響きに沿ったレの声を出すわけです。案ずるより産むが易し、考えるよりもやってみれば、言っている事はまあ分かります。

 ほんと、歌って難しいね。

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2020年10月11日

スポンサーの意向に沿うのは最低限の礼儀

 ここ数日、日本学術会議関係の話題が、実にホットと言うか、香ばしいです。

 私は門外漢なので、突っ込んだ話はできませんが、そんな門外漢にも分かる簡単な事があります。それは「スポンサーの意向に沿うのは最低限の礼儀」だという事です。どんな世界でも、スポンサーに逆らうってのは、こっちからの“縁切り”でしょ?

 日本学術会議という団体は“日本の学者の集まり”と聞きました。ですから、当然、NPO法人とか社団法人とか財団法人とか、その手の団体だろうと思っていたら、なんと、内閣府の特別機関なんだそうです。つまり、省庁の一つと言うか、一部なんです。つまり、日本学術会議の方々は国家公務員に準じる存在(非常勤職員扱いだそうです)になるわけだし、準官僚ともいうべき存在で、その運営費と人件費(給与と年金)は、我々の税金から支払われているのです。国家公務員に準じる存在だからこそ、その任命は総理大臣が行うわけです。

 で、今回、日本学術会議が提出した名簿の中の一部の人(105人中の6人)が任命されなかったわけですが、その事に関して、日本学術会議が怒っているわけです。日本学術会議が推薦した全員を任命しろ!ってわけです。

 私が思うに、お金を出しているのは国なわけでしょ? 日本学術会議に対して、国がスポンサーなわけでしょ? ならば、スポンサーである国が「この人はダメだよ」という人はダメなんじゃないの? そして、日本学術会議が、スポンサーである国の意向に沿うのは、最低限の礼儀なんじゃないの? なんか私、変なこと書いてる?

 日本学術会議ができる事って、任用拒否にあった人たちとは別の、新しい人たちを推薦しなおす事ぐらいじゃないの? それを自分たちの意見を曲げずに「何としても任命しろ!」ってスポンサーに対して命令するのは、おかしい…と言うか、非常識なんじゃないの?

 「金は出しても、クチは出すな」って、そんなの世間じゃ通りませんよ。「金を出すから、クチも出す」が世間の常識でしょ? あるいは「クチを出すから、金を出させろ」かな? とにかく、世の中、お金を出す人が偉い人なわけで、お金をもらっている以上、スポンサーの意向には最大限に従うべきなんじゃないかな?

 会議の独立性を担保したい、スポンサーである国の決定に従いたくない…ならば、簡単な話で、国からお金をもらわなければいいのです。国と縁を切って、自分たちで経済的に自立をすれば、誰からの支配も受けずに自由に活動できるでしょ? 実際、海外では日本学術会議に相当する、いわゆるアカデミーってヤツは、大半が民営だそうだしね、日本もぜひそうするべきだし、そうすれば誰からも文句はつけられません。なのに、お金だけもらって好き勝手な事ができると考える方が、おかしいですよ。それはまるで、親に養われているくせに親に反抗する、子どもの発想です。オトナなら、自由を獲得するためには経済的に自立することが最低限の条件であると、誰に言われなくても知ってます。

 それに我々の税金を、そんな訳のわからない内閣府の特別機関のために使ってほしくないです…と個人的に思いますよ。御用学者と呼ばれたくなければ、自分で自分たちの活動費ぐらい稼げよって話です。

 今回の件を「学問の自由の侵害だ!」と怒っている人がいますが、日本学術会議って、たったの210人しかいない小さな団体ですよ。それも年配者ばかりです。

 実際に研究現場でバリバリ活躍している20代30代の研究者なんていません。彼らは日本学術会議に参加せずに、でも、日々研究をして、発表をして、それぞれ学術的な成果を上げています。つまり、日本の現役の科学者の大半は、日本学術会議に属さないまま研究をしていて、自分たちの研究に邁進しているわけです。6名の任用拒否があろうとなかろうと、日本では学問の自由なんて、ちょっとも侵害されていません。

 だから日本学術会議に6名の科学者の任命が拒否されたからと言って、それで「学問の自由の侵害だ」と言うのは「憲法が改正されたら徴兵制が復活する」ってのと同じくらいにデタメラな話だと思います。科学者という知的階級にいる方々が、嘘をついて他人を騙そうとしてはいけません。それとも「学問の自由の侵害」と書いて「ボクちゃんたちのわがままを聞いてくれなきゃ、プンプンだぞ!」と読むのなら納得しますが…。

 任命されなかった理由を説明しろ!と怒っている人もいますが、私はそれは説明するべきではないと思います。だって、任命されなかった理由を全世界に向かって説明されるなんて、説明される人間にとって、精神的に公開処刑にも匹敵する出来事だよなあって思いますよ。それは絶対にしちゃダメだし、もしも説明して、その説明で大きな恥をかいて、自殺者が出たら、誰が責任を取るの? 説明しろ!と叫んでいた野党の政治家の皆さんが責任を取ってくださるのかしら?

 それに任用拒否の理由なんて、個人情報じゃん。そういう個人情報を世間に対して公表しろと迫るのは、法的におかしいよ? 野党の政治家さんって、法律知らないのかな?

 というわけで、今回の日本学術会議の件って、世間知らずの方々がわがままを言ってゴネているようにしか見えないのです。コメディとしては、新しい切り口なので、楽しませていただいていますが、マジで考えると「何言ってんだ、この爺さんたちは」という感じです。

追伸 “スーパーやコンビニのレジ袋廃止”を考えて提案したのは、日本学術会議の面々なんだそうです。レジ袋を有料にすれば、プラスチック類の海洋廃棄が無くなる/減らせるって考えたらしいのですが、んなわけないじゃん。問題は、レジ袋がうんぬんではなく、レジ袋を含んだプラスチック製品の廃棄の話でしょ? いくらレジ袋を有料にしたって、ゴミの廃棄の問題が解決しなければ、プラスチック類の海洋投棄なんて、増えることがあっても、減るわけ無いじゃん。そんな簡単な事も分からない程度のおバカで一般常識に大きく欠ける学者の集まりなんだから、日本学術会議が我々の税金で養われている事に、大きな違和感をバリバリに感じる私です。

 それにしても、そんなアホくさい事を御用学者さんたちが言ってきても、それを一蹴するのが担当大臣の仕事だと思うのだけれど…ああ、横須賀のワカはチョロいなあ。

追伸2 日本学術会議は、研究成果の軍事利用を強く禁じています。まあ、この姿勢に関しては、それぞれの団体の主義主張だから、私は何も言いませんが、この団体、防衛省などと協力して研究開発をしているような団体を見つけては、圧力をかけて研究を止めさせるんだそうです。ちょっとやりすぎな気もするけれど、まあ私はそれにも文句言いません。日本では思想信条の自由は尊重されないといけないからね。

 で、私が文句言いたいのは、このように日本の自衛隊へ技術提供を強く禁止しているのにも関わらず、中国の科学技術協会と日本学術会議には、強い協力体制があって、中国科学技術協会を通じて、中国の人民解放軍には、技術提供ってか、日本の科学技術の横流しをやっているとかいないとか? 日本の安全保障のための研究は妨害するくせに、中国の人民解放軍のための技術提供には積極的って、どういう事? それって売国行為でしょ? それを行っているのが、国から給料と年金をもらっている準公務員たちなんだよ、おかしいでしょ? 彼らは事実上、中国のスパイなんじゃないの? そんな他国のスパイたちを我々の税金で養うなんて、おかしいです。

追伸3 この問題に首を突っ込んでいる、共産党や各種民主党の皆さんは、この問題を政局化し、来る選挙(必ず1年以内に衆議院選挙があります)での争点にしたいんだと思います…が、こんな事って選挙の争点になるの? だって、我々庶民に全く関係の無い団体の問題だよ。これが選挙の争点になりうると考えているなら、共産党や各種民主党のみなさんって、我々庶民とはだいぶ遠いところで暮らしているエリートさんたちなんだろうなあって思うし、そんな連中に投票なんてしないよって話です。

 野党の皆さんには、もっとちゃんと政治家として働いてほしいと思います。選択肢が自民党しか無いと今の日本の現状について、私は政治的に不健全だと思ってますので。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | ダイエット&エッセイ

2020年10月10日

アカヘソちゃん

 妻には嫌な顔をされますが、最近の私は、アカリの事を“アカヘソ”と呼んでいます。

 だって、アカヘソなんだもん。

 具体的に言うと…アカリは素赤琉金なのですが、シズカと違って、全身真っ赤ってわけではありません。基本的に赤いのですが、腹部だけは金色なんです。いわば、船で吃水線の上下で船体色が変わる船ってたくさんありますが、あれの金魚版で、上が赤で下が金色の素赤琉金なのがアカリなのです。

 で、問題は吃水線下の金色の部分です。

 本当に全部金色ならば、ごく平凡な金魚であって、特に問題もないのですが、アカリは、ちょうど哺乳類で言えば、ヘソに当たる部分に赤くて丸くて大きな斑点があります。まるで、赤いヘソのようなのです。すごく特徴的で、強い個性になってます。

 なので、ついつい“アカヘソ”って呼んじゃうんですよ。で、もう私の中では、あの子はアカリではなくアカヘソなんですね。それくらいのインパクトがあります。

 アカヘソちゃん、可愛くない? アカヘソちゃんだよ、アカリという名前よりも個性的だと思わない?

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 金魚

2020年10月09日

目薬、怖い

 フルートのレッスンに行ってきました。先生と会うなり「久しぶりだね」と言われてしまいました。なんとも悪い生徒です(汗)。

 さて、姉さんと先生のレッスンは、実に白熱していました。ありゃすごいモンだよ。で、私のレッスンはロングトーンからですが、今日は本当の本当にバッチリだったのです。世界中の人々に聞かせてあげたいくらいです(おおげさでごめん)。

 エルステユーブンゲンは、25番と26番です。はい、いつもどおりです。全然覚えてません。

 旋律的練習曲は6番です。多少のミスはあったものの、何とか曲の形にして吹き切ることができました。おまけで合格をいただきました。やったね。それにしてもスタッカートには苦労させられました。次回からは7番です。今度は…ううむ、三連符の行列だね。

 10リトルピーセズは35番でシューベルトのアンダンティーノでした。前回のレッスンの時は、全然曲がつかめずにいて、それでちゃんと吹けなかった私ですが、前回から時が経ち、その間に神経がつながったのでしょうか、普通に曲が分かるようになり、吹いちゃいました。うむ、こんな感じで良いのですね。ひとまず、これも合格です。次回は36番、シューベルトのモメント・ミュージカルです。なんじゃい、この曲?

 …ん? もしかしたら、次回は新曲2曲…かな? え! 練習時間なんてほとんど無いのに、2曲も準備できるかしら? やばいやばい。

 さて、今回の雑談は、目薬は怖すぎるって話です。

 皆さんは、目薬させますか? 私はさせますが、いつも大変な思いをしています。だって怖いんだもん。閉じようとするマブタを指で強制的に広げ、泣きたくなる気持ちを抑えて、目薬をさしてます。だいたい、先端恐怖症の私に目薬は怖すぎるって…。

 で、実はH先生は、目薬がさせない人です。閉じようとするマブタを指で強制的に広げ…るところは私と一緒ですが、そこから目薬を目にクリーンヒットできないんだそうです。なんでも「怖すぎて無理」なんだそうです。

 いい年したオトナが何を話題にしているんだい…ってところでしょうか?

 私だって、昔は目薬、全然させませんでした。でも、花粉症なんですよ。だから春先になると、いつもいつも目薬をさします。最初は下手くそでも場数をこなすうちに何とかさせるようになったわけです。人間って成長するんだよね。H先生は、花粉症じゃないから、目薬の場数が少ないので、うまくさせないのだろうと思います。

 で、花粉症でもない先生がなぜ目薬をささないといけないのか…というと、どうも白内障がひどくなったきたそうなんですよ。

 白内障、まあ程度の差こそあれ、早かれ遅かれ、誰でも老人になればなる病気です。老眼から逃げられないように、白内障も誰にでも襲いかかってくるわけです。

 で、いよいよ先生も白内障になってきたわけで、最初こそ目薬で進行を抑えましょう…ってやっていたのだけれど、目薬がさせないものだから、だんだん悪化して、ついには楽譜がまともに見えなくなるほどになってしまったのだそうです。

 いよいよ手術も考えないといけないのだそうだけれど、目薬すらさせない人が、目の手術なんて、考えるだけで怖すぎます。「手術をしなきゃいけないなら、いっそ引退しちゃおうか…」とボソッと言ってましたが、それって正直な心の声なんだろうなあ。

 でも、きっと、なんだかんだ言っても、お弟子さんたちに説得させられて、手術してしまうんだろうなあって思います。なので「先生、今年は仕事が無いのなら、仕事の無い今年中に手術してしまうといいですよ」と言っちゃいました。困っているなら、手術をしちゃった方がマシでしょ?

 ちなみに私の白内障に関する知識は以下の本から得ました。
 絶版本で、電子版も無くて入手は困難かもしれませんが、なかなかに良書だと思いますよ。

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2020年10月08日

次回からはコンコーネもやります

 声楽のレッスンの続きの続きです。歌の練習に入りました。シューベルトの「美しき水車小屋の娘」の5番「Am Feierabend/仕事を終えた宵の集いで」です。

 こんなご時世ですし、当分の間、本番的なものはありませんので、しばらくはじっくりと丁寧に腰を据えて、発声や歌唱にこだわってレッスンをしていきましょう…って事で、じっくりとシューベルトに取り組むことになりました。ちなみに、今回は全体の2/3ぐらいまでをさらいました。

 色々と注意を受けました。長母音と短母音の違いを意識して歌う事。常に次の音を狙いながら歌いつなげていく事。同じ音形の繰り返しは、それが強調なのかリフレインなのかを考え、それぞれに相応しい歌い方を選んでいく事。歌詞や単語の意味を考えて、どの言葉を強調しなければいけないかを考えて歌う事、などなど細かいけれど大切なことを確認しながら歌い進めました。

 とにかく、声の勢いで歌をごまかしてはいけないのです。

 全般的な注意としては、歌うために吐いている息が少ない感じがするので、もっともっとたくさん息を吐いて、それも速い息を吐き続けて歌っていく癖をつけるように言われました。ううむ。

 で、シューベルトを丁寧にさらっていたら、それでレッスン時間が終わってしまいました。「M'appari Tutt'amor/夢のごとく」は、また今度です。

 シューベルトもいいけれど、シューマンはいいよね。シューマンを歌いたいんです…と訴えてみたところ、先生からはあまり色良い返事がいただけませんでした。

 シューマンのメロディの美しさを表現するためには、声はむしろ、白い声の持ち主の方が良いんだそうです。白い声…というのは、色気のない声の事で、ヴォーチェ・ヴィアンカとも言います。まあ、魅力のない声って事でしょう。魅力の無い声で歌うから、曲の美しさが引き立つ…って感じなのかな? 私の声は悪声だけれど、白くはないからなあ…。それって遠回しに「シューマンは無理」って言われたような気がします(でも歌いたい)。

 そうそう、次回のレッスンからコンコーネ50番をやる事になりました。

 趣味で歌っている人にコンコーネを勉強させるのは、辛いばかりで楽しくないので、Y先生は原則的にアマチュア向けのレッスンではやらないのだそうだけれど、コンコーネをやると、当然、声楽テクニックを体系的にもれなく学べるわけで「大変だけれどやりますか?」と言われました。

 私はコンコーネは嫌いじゃないし、Y先生に入門した時に「コンコーネをやりますか?」と確認したくらいだし(その時も、コンコーネは楽しくないから、趣味の人にはやらないって言われたんだよね)今の私に必要ならば、そりゃあやるしかないでしょう。

 という訳で、次回からコンコーネをやる事にしました。で、中声版を使います。私は高声版の方が歌いやすくていいのだけれど、まずは中声版で練習をして中声版で歌えるようになったら高声版に取り組めばいいでしょう、という話になりました。

 なので、次回からコンコーネの3番です。1番は難しすぎるし、2番はつまらないので、3番からです。ひとまずは固定ドによる階名唱でやります。予習しておかないと…。予習と言えば、メンデルスゾーンも全然楽譜を見ていないので、予習しないといけないんだよね。

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2020年10月07日

やっぱり響きは高くしよう

 声楽のレッスンの続きです。

 実はフラットシンギングというのは、根の深い問題で、私のような旦那芸のアマチュア歌手ばかりではなく、プロ歌手にも存在する問題です。実際、世界的に著名な某バリトン歌手(先生は名前を教えてくれましたが、ネットなので名を伏せておきます)の歌声は、いつも音程が低めでメロディが常にぶら下がっています。それでも世界中を飛び回って活躍できる理由としては、音程が低めでも響きが高いからなんだそうです。

 たとえ歌声の基本となる音程が低くても、響きが高いと、聞けちゃうんです。

 歌手の歌声って、音程は不安定になりがちです。楽器のような精度は求められません。プロ歌手であっても、機械のようにいつも正しい音程で歌えるわけではありませんし、その歌手その歌手で、音程の取り方にも癖が出ます。中にはフラットシンギングが目立つ人もいますが、それでもそれを補うものがあるから、プロ歌手として活躍できるわけです。

 別に私がフラットシンギングのままで良い…というわけではありません。もちろん、正しい音程で歌えるようにするべきですが、たとえ音程が低くなったとしても、それを目立たせないようにしておく必要があります。そのため(だけではないのだけど)響きを常に高くして歌う事が求められます。

 まあ、フラットシンギング解消のためだけでなくても、テノールなので、高音発声が求められますが、高音発声のためにも響きは高くしておく必要があります。

 理想的なのは、音程は正しく響きが高い声です。音程が低くても響きが高い声は許されるようです。音程が低くて響きも低い声(今の私はこれ)はダメ…かな? 音程が正しくても響きが低い声は残念な声で素人くさい声になるわけです。だから、フラットシンギングからの脱出には、音程を正しくしていくと同時に、響きを高く保つという保険も必要になるわけです。

 で、音程を正しくしていくためには、ノド声からの脱却が必要になります。ノド声からの脱却のためには、クチの奥を大きく広げないといけません。単純にクチの奥を広げてしまうと歌えなくなりますから、腹圧を高めて息を支えないといけませんし、息をたくさん速く吐かないといけません。

 今までもY先生から注意されっぱなしでしたが、

1)息をしっかり支える
2)クチの奥を広く開く
3)響きを高くする

 をしっかり守りながら、

4)今まで以上に音程にも気をつけて歌うこと

 が求められるわけです。

 それにしても、名前があがったプロでも音程の低い歌手って…実は私が大好きな歌手だったりします。逆に、フィッシャーディスカウのように、音程も響きも正しい歌手さんの声って、整いすぎていて、あんまり好きじゃないのですが、そういう私の声に対する趣味趣向も、ちょっとばかり見直した方が良いのかもしれません。

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2020年10月06日

音程の改善に着手しました

 声楽のレッスンに行ってきました。

 ハミング練習は前回同様に“響きは高く”眉間のあたりに置くように意識して行いました。Y先生曰く「今までは音程の事はある程度、目をつぶってきましたが、今回からは音程にも気をつけるようにしましょう」というわけで、私のフラットシンギング改善に着手されたようです。

 だからと言って「その音が低いから、もっと高くしろ」というキング先生のような直接的な指導はしません。Y先生は音程のトラブルをあくまでも結果として捉え、そうなってしまう原因の改善をしていく指導方法を取りました。

 ハミング練習は、上昇音階&下降音階(ドレミファソファミレド的な…だね)で行いますが、まずは上昇音階です。今の声よりも、もう少しだけ強めに息を支えて、響きを高くすると…音程も高くなります。でも、これは大きな問題ではなく、意識付け程度で改善されます。

 問題は下降音階の方で、下降音階では、今の状態では降りていく先の音がどれもこれも低すぎるんです。正しい音程よりも明らかに低い音程で歌ってしまうのです。下がりすぎるという現象が起きています。これの原因は…やはり息の支えです。息の支えが最高音に達したところで抜けてしまうために、下降音階は息の支え無しで歌うこととなり、支えがないから、必要以上に音程が下がってしまうのです。

 つまり、最高音に達しても安心せず、きちんと最後まで気を抜かず、息の支えも抜かず、音程が下がりすぎないように意識して歌うことが必要になります。で、それをやってみても、まだ音程が下がりすぎてしまいます。

 次に息を今よりも多く、速く送り込むように言われました。

 上昇音階では、音程が上がっていきますから、息もたくさん吐き、その速度も速いのですが、下降音階では、音程が下がっていく事もあって、息の量も減り、その速度もゆるめてしまいます。音程にとって、息の量は大切です。たくさんの息を送ると音程は高くなり、少なめの息を送ると音程は下がります。また息の速度が速いと高い音が、遅いと低めの音が出しやすくなります。ですから、下降音形に入ったところで、無意識に息の吐く量を減らし、息を吐き出す速度も遅くして調整していたわけですが、それをやっては、声がフラットしすぎてしまうわけです。

 たとえ下降音階であっても、息を吐く量は最高音と比べても減らさない。息を吐く速度も現状維持…を保ったまま下降音形を歌わないといけません。

 で、これが案外難しいんです。息を吐く量や速さを最高音と同じままでは、音程を下げるのは容易ではありません。コントロールが難しいです。

 次は発声練習です。発声練習になっても、ハミング練習で行った事に留意しながら行います。

 発声では、ノドにちょっとでも力が入ると、音程が下がります。

 ノドに力が入る要因としては、強い声で歌おうとしたり、重い声で歌おうとしたり、大きな声で歌おうとしたり、気合の入った声で歌おうとしたりして、ノドに力が入って、音程が下がります。

 音程正しく歌うためには、ノドに力を入れない事が肝心となります。その声は、クチの奥がしっかりと開いて、全く力むことの無い軽い声で歌う必要があります。でも、そんな声で歌っていると、ほぼ充実感はありません。歌う喜びがありません。声を出しているという気分にならないし、歌を歌ったという満足感も得られません。

 声を出していても、つまらないんです。そういう、つまらない声で歌うと音程正しく歌えるようです。

 今の私にとっては、歌う喜びと音程の正しさは両立しない問題のようです。ああ、難しい。

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2020年10月05日

シネマ歌舞伎で「月光露針路日本 風雲児たち」を見てきました

 うむ、これは面白かったです。まさに歌舞伎が現在進行系の芸能であり、全然オワコンでは無い事を示す良い演目だと思いました。

原作:みなもと太郎「風雲児たち」
脚本:三谷幸喜

大黒屋光太夫:松本 幸四郎
庄蔵/エカテリーナ:市川 猿之助
新蔵:片岡 愛之助
キリル・ラックスマン/アダム・ラックスマン:八嶋 智人
マリアンナ:坂東 新悟
藤助:大谷 廣太郎
与惣松:中村 種之助
磯吉:市川 染五郎
勘太郎:市川 弘太郎
藤蔵:中村 鶴松
幾八:片岡 松之助
アレクサンドル・ベズボロトコ:市川 寿猿
清七/ヴィクトーリャ:澤村 宗之助
次郎兵衛:松本 錦吾
小市:市川 男女蔵
アグリッピーナ:市川 高麗蔵
ソフィア・イワーノヴナ:坂東 竹三郎
九右衛門:坂東 彌十郎
三五郎/ポチョムキン:松本 白鸚

語り:尾上 松也

 とまあ、こんな感じで、ほぼオールスターキャストというのもうれしいです。

 いわゆる新作歌舞伎なので、使用している言葉も現代語だし、原作はコミックスなので、何の事前準備無しでも、十分に楽しめます。欠点があるとすると、上映時間が約2時間半なので、トイレの心配ぐらいかな? リアルな歌舞伎なら、当然、幕間に休憩が入るからトイレの心配なんてしなくてもいいのだけれど、シネマ歌舞伎は幕間を省いて、すべての演目を1幕ものにしてしまうので、長い演目だとトイレが心配なんでよね。実際、映画館のお客さんも途中の出入りが激しかったし、私自身も最期のクライマックスのところで、どうにも我慢ができずにトイレに行ってしまいました。そこだけ、ちょっと考えて欲しいです。

 新作歌舞伎って、今風に言えば「半沢直樹」っぽいんだよね。「半沢直樹」にも多数歌舞伎役者がいて、濃いめの芝居をしていましたが、新作歌舞伎は、ほぼ歌舞伎役者さんばかりだし、彼らが終始濃い目の芝居をしていますので、「半沢直樹」のような濃いめの芝居がお好きな方なら楽しめると思います。「半沢直樹」様々です。

 ストーリーの根本は実話だし、シリアスな話なのですが、基本的にコメディ要素が強く、最初っから最期まで、クスクスゲラゲラ笑いっぱなしのお芝居でした。

 それにしても歌舞伎役者さんのすごいところは、上記の配役表を見ても分かる通り、幾人かは二役をやっていますが、その二役をやっている人たちって、役が変わると、ほぼ別人になってしまうという事です。もちろん、所作や声が変わるのですが、顔まで変わるので、ボケっとしていると二役やっている事に気づかなかったりします。逆に八嶋智人(上手い役者さんですが歌舞伎役者ではありません)の演じる二役は、ほぼ同じような感じになるので、二役をやっている事を強調して説明していて、これが笑いにつながっているので、それはそれでアリだったりします。

 歌舞伎ですから歌舞伎独特のあれこれはあるのですが、「半沢直樹」でそういう濃いめのアレコレに慣れ親しんだ今は、そういうのも含めて、色眼鏡抜きで、単純に楽しめちゃうと思います。普段、歌舞伎と縁のない人も、今なら新作歌舞伎に親しめるのではないかしら…と思ったりしちゃいます。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 歌舞伎

2020年10月04日

徴兵制度復活なんて嘘に騙されない!

 よく駅前で「憲法9条を守ろう」と大きな声でアジっている爺さんたちを見かけます。日本には言論の自由があるので、彼らが何を大声で主張しても良いと思うし、私もそんな事に気をかけませんが、彼らは時々、その主張の中で「憲法が改正されたら、徴兵制が復活してしまいます!」と叫んでいます。

 徴兵制の復活? 別にそれって憲法改正とは全く関係ないし、それ以前に、たとえ憲法を改正しても徴兵制なんて絶対に復活しないのに、どうして、そんな嘘をつくんだろ? いや、嘘と言うか、デマだし、それで人々の恐怖を煽り立てるつもりなら、もはやテロですらあるでしょ? たちが悪いです。

 憲法改正の是非は横において、今回は徴兵制復活なんてありえないって事を、私なりに書いてみたいと思います。

 まず、徴兵制ってのは、かなりカビの生えた制度であり、現実的な制度ではないので、もしも憲法改正などがあって、これから軍関係の法規を整備する事になっても、日本が徴兵制を導入する事は、まずありえません。その理由として、私は以下の3点を考えます。

1)国際的には古すぎる制度
 まず、現実問題として、現在徴兵制のある主な国を以下に列記します。

イスラエル・マレーシア・韓国・北朝鮮・中国・台湾・スイス・スウェーデン・ノルウェー・フィンランド ドイツ・オーストリア・フランス・デンマーク・ロシア・シンガポール・ベトナム・キューバ・タイ・ラオス・エジプト・クウェート・モンゴル・ギリシャ・ウクライナ・キプロス等、実は73カ国あります。

 世界には約200の国がありますから、徴兵制がある国は、その中の1/3の少数派である事が分かります。その他の、世界の6割の国には、軍隊はあっても徴兵制度なんてありません。

 また徴兵制がある国は、よく見ると、軍事的な野望が大きな国だったり、それらの国の近隣国でその驚異に怯えていたりする国だったり、テロリストが暗躍する国だったりします。まあ、ある意味政情が不安定な国が多いと言えないわけでもありません。あと、昔から徴兵しているので、惰性で徴兵制がある…って国も、きっとあるでしょう(笑)。

 さらに言うと、これら徴兵制がある国であっても、大半の国が“良心的兵役拒否”が可能になっていて、合法的に徴兵を拒否する事ができます。なので、兵役拒否できずに、強制的に徴兵されてしまうのは、最初に書いた4カ国(イスラエル・マレーシア・韓国・北朝鮮)だけなんだそうです。

 つまり、21世紀の現在、多くの国で兵士の募集は志願制を基本とし、たとえ徴兵制であっても合法的に徴兵を拒否する事が可能で、強制的な徴兵制を行っているのは、特殊な事情を持つ一部の国だけなんです。なので、今から日本が軍隊を整備するとしたら、徴兵制などという古めかしい制度を導入するわけないんです。

 ちなみに、当然のことですが、現在の自衛隊は志願制です(言わずもがなですな)。

2)徴兵された兵士はむしろ邪魔
 昔々の日露戦争のように、兵士の屍を積み上げてでも敵地を占領すれば勝ち…という戦争のやり方をしているなら、そりゃあ兵士はたくさんいればいいし、彼らはライフル持って敵陣に飛び込んでいくだけだから、脳筋兵士で十分なわけです。兵隊さんは質よりも数! とにかく歩兵がたくさんいないと戦争にならない…と言うのなら、大量に兵隊を揃えるために徴兵制は必要かもしれません。

 現在の戦争はそんなに単純ではありません。無論、歩兵は必要ですが、すでに歩兵は戦争の主役とはなりえません。今の主役は、巡航ミサイルとか弾道ミサイルの各種ミサイルであって、それらを補うように空母運用の爆撃機が必要とされていたりします。とにかく、兵器の一つ一つがデリケートなハイテク機材なのです。ライフル持って突撃!って時代じゃないんです。

 これらの機材を使用するには、脳筋なだけではダメで、きちんとした専門教育が必要なのです。つまり兵士の育成に時間とお金がかかるんです。おまけに、ハイテク兵器は値段が高い。どこの国でもハイテク兵器を揃えるために、兵士の数を減らし、その人件費を兵器購入にまわしています。

 徴兵して兵士を獲得しても、彼らはモチベーションが低いわけだから、それらを教育で高めなければいけないし、現在の兵器に対応できるようにも教育をしなければいけません。そうしないと使えないのです。で、徴兵期間というのは、一般的に半年〜2年です。そんな短期間では、十分な教育を行う事ができず、結果、熱意と練度の低い、使えない兵士を大量生産するだけなのです(某国の軍隊を見れば分かるでしょ)。で、そんな彼らを飼うために膨大な人件費が必要とされるのです。

 徴兵制で使えない兵隊に予算をつぎ込むぐらいなら、その分でミサイルを購入するのが現代の軍隊ってヤツです。

 だから現在の軍隊は、多くの国で志願制、あるいは実質的志願制であり、最初から熱意の高い人間を集めて、彼らを集中的に教育を施し、長期に渡って働いてもらう事で、軍隊が軍隊として成り立つわけです。

 つまり、必要なのはきちんと教育と訓練が施された職業軍人なんです。

 徴兵された兵士なんて、今やただの穀潰しなんですよ。彼らを徴兵するなんて、ただの税金の無駄遣いなんです。だから、徴兵制度の復活なんて、税金の無駄遣いは、日本で出来るはずがないし、そんな事をしたら、軍隊の現場で働く軍人さんたちが真っ先に反対するでしょう。

3)政府が転覆する
 確かに一部の保守系政治家さんたちは徴兵制の復活を唱えていますが、日本はきちんとした民主主義国家であって、選挙が正しく運用されています。なので、徴兵制復活となれば、日本人がそれに賛成するか? しないでしょ? 少なくとも、令和に生きる一般的な日本人たちは、老いも若きも、昔のような徴兵制復活には賛成しないでしょう。つまり、徴兵制復活が選挙の争点になった段階で、政府が転覆し、政権がふっとぶんです。

 そんな自殺行為、普通の政治家の感覚でやれるわけないです。

 なので、たとえ憲法が改正され、日本が戦争ができる国になったとしても、日本に徴兵制が復活することは、金輪際ないんです。

 なんて事は、私ですら、このように思いつくんですよ。それなのに、大きな声で「徴兵制が復活します」と叫ぶのって、嘘にもほどがあると思うんですよ。

 ほんと、たちが悪い。言論の自由とは、嘘や恐怖で他人の心を洗脳することではありません。そういうのは、テロ行為って言うんだよ。そんな嘘をついていると、別の点で、良いことを言っているとしても、誰も信用してくれないんだよ。分かっているのかな?

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蛇足 ちなみに、徴兵制は、現在の憲法の第18条(何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない)で禁止されているというのが政府見解なので、その一点だけで、日本では徴兵制の復活なんてありえないんですよ。あ、だから「憲法が改正されたら徴兵制復活!」って言うのかな? でも憲法9条ならともかく、18条は人権に関する規定だから大きくは変わらないと思うんだけどな。それこそ、もしもここが大きく変わって、我々の権利が大きく制限されるような憲法の案が出たなら、憲法改正そのものが不可能になってしまいます。そういう意味でも、徴兵制の復活なんてありえないんだよ。

posted by stone at 04:00| Comment(2) | ダイエット&エッセイ

2020年10月03日

ヤヨイってミステリアス?

 そう言えば、ヤヨイが我が家に来てから、もう5年以上も経ちます。何しろ2015年3月に我が家にやってきた子で、今や我が家の水槽の一番の古株になってしまいました。もうすっかり成魚です。

 実はこの子、買ってきた当初から、色々と疑問があった子です。

 お店ではキャリコ琉金として売られていました。簡単に言うと、三色琉金です。でも、その当時から「キャリコ琉金?」とは思っていました。

 確かにパッと見ではキャリコ琉金かもしれません。遠目で見ると、体型は琉金的なひし形だったし、体色も白をベースに黒と赤でしたから、まあ、キャリコ琉金だと言われれば、そんな気もしないでもなかったのです。ただ、当時のヤヨイは、今のヤヨイの口の中に入ってしまうくらいの極小サイズだったので、細かい事はよく見えないし、実際分かりませんでした。

 まあ、キャリコ琉金は安価な金魚ですから、ヤヨイを安価な価格(640円)で買えたことはうれしいですが…今の成長したヤヨイを見ていると、どう見てもキャリコ琉金には見えません。

 まず、我が家にやってきたチビだった時は、琉金体型でしたが、成長した今は、全然琉金っぽくはなく、むしろ横長で俵型のオランダ体型になりました。ヤヨイはよくシズカと並んで泳いでいるのですが、典型的な琉金であるシズカと比べると、全く体型が違うんですね。

 チビだった時はよく分からなかったのですが、ヤヨイの鱗は透明鱗なんです。琉金の鱗は不透明鱗(つまり普通の鱗)なので、ヤヨイは琉金よりも、ちょびっとだけ高級魚なんです。

 あと、顔が丸いんです。これはチビの時からそうでしたが、琉金って顔が三角で尖っているんですよ。でもヤヨイはドーム状の丸い顔をしています。

 ある意味、これは決定的かもしれません。これもチビの時は分からなかったのですが、ヤヨイの背中は青いんです。つまりキャリコ(3色)ではなく4色なんです。で、背中が青い金魚ってのは、東錦(あずまにしき)の特徴の一つなんです。

 そう言われてみると、背中が青い事だけでなく、体型とか透明鱗とかも東錦の特徴と合致します。

 しかしヤヨイが東錦かと言うと、これも違います。

 東錦の特徴には、背中が青いだけでなく、頭部に赤くて大きな肉瘤がある…という特徴があるんですよ。で、ヤヨイは…と言うと、確かに頭部は赤いのですが…真っ平らです。全然瘤がありません。瘤の無い東錦ってのは存在しません。東錦という金魚のレゾンデートルは肉瘤であって、その瘤の大きさで東錦としての素晴らしさが決まるくらいですから。

 結論から言えば、ヤヨイは“肉瘤がありえないくらいに小さな、貧瘤の東錦”なのかもしれません。つまり“規格外の東錦”というか“F級品の東錦”なのかなあ…って思います。いや、たぶんそうなんです。つまり、東錦の出来損ないなんでしょうね。

 でも、かわいいので許します。

 ヤヨイが出来損ないの東錦であるにしても、あるいは別の種類との雑種金魚にしても、どっちにしても、チビの頃はキャリコ琉金として売られていましたが、キャリコ琉金ではないようです。

 つまり、ヤヨイはミステリアスな存在なんです。

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posted by stone at 03:00| Comment(0) | 金魚

2020年10月02日

安倍元首相なんて大嫌い!

 フルートのレッスンに行ってきました。今回は、ちょっと時間に遅れてレッスンに行ったので、姉様とは教室を出たところですれ違いました。姉様のレッスンが見れなくて、ちょっと残念です。

 まずはロングトーン練習からでしたが、今回は久しぶりに(ってのも何なんだけれど)バッチリでした。ここんとこ、割とレッスンに行っているからかな? たかがロングトーン練習だけれど、何の音の濁りもなく美しい音色で吹けるというのは嬉しいものです。

 エルステユーゲンゲンは…いつものように、全く暗譜しておらず、先生も呆れ返るという、いつものノリでした。いやあ、参ったね。おまけに、ミスブローは多発しているし、ほんと、ダメダメです。

 旋律的練習曲は6番です。いつも言われているスタッカートを、今回はめっちゃ意識して吹きましたよ。でも、スタッカートに集中している分、ミスブローが増えてしまい残念な事になってしまいました。先生からは「もう少しだね」と励まされました。頑張ろーっと。

 40リトルピーセズは新曲の35番、シューベルトのアンダンティーノです。バッハと比べると、なんと吹きやすい事か! とは言え、2分音符と付点四分音符の違いがうまく表現できず(ってか、ちゃんとリズムが取れてないので)もう少し頑張ってこようとってなりました。ううむ、これってちゃんと楽譜が読めてないって事だよね。頑張んないと…なあ。

 今回の雑談は、安倍元首相の悪口でした。H先生は、安倍元首相が大嫌いなので、辞めて清々したって話です。まあ、H先生の年代のインテリさんって、ほんと、安倍さん嫌いだからね。ま、これは仕方ないかな。もっとも、安倍嫌いの理由って、政策を評価した上での反発ではなく、感情的な反発であり、反論するだけ無駄なので、黙って聞いていた私です。

 まあ、安倍さんは、保守と言うよりも現実主義派だし、数多くの失敗もしているし、モリカケや桜を始め、野党の疑惑追求ショーにはうんざりさせられてます。私も手放しで安倍元首相を礼賛するつもりはないし、外交手腕とか経済政策とかを是々非々で評価した上で評価をするのなら、私も話を合わせられたのですが、まあ、そんなわけには行きませんでした。ここらへんは、いくら師弟関係にあるとは言え、意見が違うのは大人として当たり前ですしね。

 日本では、政治の話と宗教の話は、なかなかしづらいですね。

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2020年10月01日

ポケモンGOを休止しました[2020年9月の落ち穂拾い]

 “ひとこと”欄に書きましたが、ポケモンGOを休止しました。

 ポケモンGOを始めたのが、2016年7月26日で、休止したのが、2020年9月29日ですから、4年2ヶ月ばかり熱心にやっていたわけです。

 ちなみに、ポケモンGOは歩くゲームなんですが、私はこのゲームの中で、10124.7Km歩いています。約1万Km歩いたわけです。1万Kmと言えば、東京からだと、フランスのマルセイユとかイタリアのシチリア島やアメリカのシカゴやカンザスシティあたりになるそうです。結構歩いたなあ…。

 休止した理由は…ポケモンに対する情熱と、歩きスマホの危険性を天秤にかけた時、これまではポケモンに対する情熱の方が上回っていたのだけれど、最近は、情熱も少しずつ薄れ、むしろ歩きスマホの危険性の方を重視しつつあるから…かな? おそらく、歩きスマホの危険性がなければ、まだまだポケモンGOをやっていると思います。歩きスマホは…いくら気をつけているとは言え、やっぱり危ないもの。

 それにしてもいっぱい歩いたなあ。4年でマルセイユまで行けるほど歩いたんだよ。我ながらすごいなあって思いました。チリも積もればなんとやら…ですね。


ダメ、ノド声、絶対にダメ
 私の歌は、しばしばメロディラインがフラットしてしまいます。そう、いわゆる“フラットシンギング”というやつです。

 キング先生のところで学んでいた時は、こいつに常に悩まされていました。音感が悪いからフラットするんだ…と先生はおっしゃっていました。で、日常的に音叉を携帯し、事あるごとに音叉を鳴らして音感を身に着けなさいと言われて実行しましたが、音感も身につかなきゃ、フラットシンギングも治りませんでした。他にも、鼻が悪いからフラットする…と言われて、鼻うがいに勤しんだ事もありましたが、それでもやっぱり改善しませんでした。

 今思えば、そんなやり方でフラットシンギングが改善するわけなんか、無いんです。

 フラットシンギングの原因は、発声が悪いせいです。とりわけ、ノドが力むせいで、声帯の振動が抑えられて、それで音程がフラットしてしまうのです。だから、Y先生に変わった時に、先生は音程の事には触れずに、ノドの脱力を指導してくださったわけです。で、ノドの脱力が出来るようになるにつれて、音程も良くなってきたわけです。

 フラットシンギングの原因はノド声にあります。全身全霊全力で歌うのがいけないんです。それはY先生の指導を受ける中で、少しずつ気がついたわけですが、ただ、理解したり気づいたりしても、そこから逃れることは容易ではないし、ちょっと気を抜けば、あっという間に、キング先生に習った発声に戻ってしまうという事です。

 私にとって、キング先生に習った発声って、基礎基本になっているんですよ。

 ほんと、意識やらメソッドやら、あれやこれやを変えていかないといけないわけですが、そう簡単にはできません。それでも、最近はだいぶ改善され、それを皆さんにご披露できると思っていたのですが…今年の発表会は失敗しちゃいましたね。失敗しちゃうってのは、本当は失敗じゃなくて、それが私の実力なんだろうと思います。

 まだまだ、フラットシンギング…ノド声からは脱却しきれていないようです。残念。

 今年こそは、もっと良い音程で良い歌い方ができる…と思っていたのですが、結果はダメでした、残念です。


フルートの重さ
 フルートって、その材質の比重の違いで楽器の重さが変わります。その重さで鳴りやすさが変わります。

 軽い楽器は軽い息で鳴ります。しかし、少し強い息になると音が割れます。重い楽器は、強い息でないと鳴りません。しかし、かなり強く吹いても簡単には音が割れません。それゆえ、初心の頃は、ある程度軽めの楽器で練習をして、カラダが笛吹きのカラダになってきたら、それぞれの筋肉の強さに応じた重めの楽器に買い換えるのが良いと思います。

 私は現在、総銀の、それも割と重い楽器を使ってますが、それでもだいぶ、息的に、軽く感じるようになりました。お財布が許せば、もう少し重い楽器に買い替えたいと思うようになりました。


ジラーレ
 ジラーレとは、声をぐるっと回して出す…というのはオカルト的な感覚的な表現だと思ってますが、これで出来る人は出来るので、表現としては間違っていないと思いますが、分からない人には分からないですよね。

 私は、ジラーレって、クチの開き方の形の問題だろうと思ってます。クチを開けと言われると、口先を大きく開きがちですが、声楽ではそれはダメで、大切なのはクチの奥を大きく開く事。このクチの奥を大きく(上下にも前後にも)開く事を“ジラーレ”と呼ぶのではないかと言うのが、2020年現在の私の感覚です。

 とは言え、私的にはクチを開くうんぬんではなく、やはりオカルト的な感覚でジラーレを遂行する事が多いですね。私の場合は「オペラ声で歌う」とイメージするとジラーレしやすくなります。オペラ声というのは、今の海外のオペラ歌手ではなく、少し前の日本のオペラ歌手たちに多く見られた発声…声を掘りすぎて発音が曖昧になって日本語も日本語に聞こえないような変な発声…をイメージすると達成しやすいのですが、これは私以外の人が真似ると、本当にちょっと前の日本のオペラ歌手たちのような発声になってしまい、たぶんダメだろうと思ってます(笑)。

 そんなわけで、自分の声についてのジラーレの感覚というのは、自分なりに試行錯誤しつつ掴めたり逃してしまったり…と色々と悩みながら学んでいるわけです。

 で、プロの歌手の声を聞いて「これがジラーレした声だ」と思うのは…実はかなり難しいとと思います。

 実際のところは、その声がジラーレしているのかしていなのかは、その人の地声との比較でしか言えないと思います。ジラーレした声は、していない声よりも、深みがあり、ふくよかになると思います。ですが、それはあくまでも地声との対比であって、ジラーレしていないからと言って、やせたダメな声ってわけではないし、声がジラーレしていなくても歌手として通用しないわけではありません。

 マリア・カラスの相手役として知られるディ・ステファノの声は、ジラーレとは縁のない開いた真っ直ぐな声だったそうです。音源を限りでは「そうなの?」とも思いますが、これも地声との比較の話なんだそうです。

 それにジラーレは骨格との関係もあり、白人たちは意識しなくても勝手にジラーレした声になるという話もあります。ですから、日本人が骨格の違いを乗り越えて、白人のような声を出したいと思った時に、ジラーレを強く意識しないといけないのかもしれません。 ジラーレを意識して発声する時に、口腔の形が白人のそれっぽくなっている…のかもしれません。

 クラシック系声楽は彼ら白人たちの民族音楽です。ですから、それらを歌う以上、白人のような声が必要とされるのは必然であり、我々日本人は白人たち以上にジラーレを意識しないと、彼らのような声にはならないのだと思ってます。


今月のお気に入り あなたが選んだ古関メロディーベスト30
 NHKの朝ドラ「エール」の主人公のモデルとなった古関裕而のベストアルバム(?)を購入しました。もちろん、朝ドラを見て「こりゃあすごい作曲家がいたもんだ」と思ったからです。

 古関裕而…私にとっては“欽ちゃんが司会をしていた家族対抗歌合戦の審査委員長”であって、なんかシワクチャなおじいちゃんであって、淡谷のり子と同じ、昔々の音楽家ってイメージで、どんな仕事をした人なのかってのは(私が子どもだった事もあって)あまり気にしていませんでした。

 オトナになって、ドラマ「エール」を見て、自分なりに調べてみたら、なんかすごい作曲家のようなので、今回のベストアルバムを購入してみたわけです。

 すごい作曲家でした。とにかく音楽のパターンが一つではなく、色々な種類の音楽を書き分けているんですよ。つまり“古関サウンド”って、ありそうで無いってのがすごいんです。

 なので「この曲とあの曲の作曲家が同じ人?」って驚きがありました。

 古関裕而という人は、おそらく超一流の職業作曲家なんだと思います。注文主の注文に合わせた最良の曲を作曲する…というタイプの作家なのだろうと思います。

 だから、阪神の応援歌を書いた後、平気で巨人の応援歌も中日の応援歌も書いちゃうわけです。「長崎の鐘」がヒットすれば「○○の鐘」という似たようなタイトルの曲を連作しちゃうんです。別にディスっているわけではありません。むしろ褒め称えているんです。注文主の注文どおりに仕事をしていく…職人として一流の証拠です。

 そう、古関裕而って作曲家は、芸術家ではなく職人だったのだろうと思います。そして、一流の職人の作品は往々にして芸術作品に昇華していくしていくものです。

 そんな古関作品の良いところばかりを味わえるのが、このアルバムなんですよ。


今月の金魚
 いい感じです、みんな元気です。この子達のために、夏中、エアコンを入れっぱなしにしたんだよね。何とか鬼門の秋を乗り切って欲しいです。


今月のひとこと
 安倍首相が総理大臣をお辞めになる事になりました。2800日を越える在任期間だったそうで、本当にご苦労さまでした。で、次の総理候補として、石破茂元幹事長、岸田文雄政調会長、菅義偉官房長官の3名が有力候補として名前が挙がっていますが、個人的には河野太郎防衛相が次期首相に良いなあと思ってます。理由ですか? そりゃあ“ウチの殿様”だもの。湘南地域って、河野太郎防衛相のお膝元なんだよね(笑)。(2020年8月29日〜9月1日)

 “ウチの殿”こと河野太郎防衛相は、総裁選への出馬を見送ることにしたのだそうです。残念。まあ、勝てない戦いをして無駄に傷つくよりはマシな判断かな? 殿が属する麻生派は菅官房長を支持するんだそうです。たぶん、それが妥当なんだろうな。さて、安倍首相の次は、どなたが首相になるのかしら?(2020年9月1〜10日)

 次の総理は、マスコミによれば、ほぼ菅氏で決まりなんだそうです。なので、次の関心は、誰が次の官房長官になるか? なんだそうです。で、ウチの殿が、その候補の一人にに入っているそうですが…どうだろ?(2020年9月10〜14日)

 自民党の総裁に菅氏が決まりました。これで総理も確定だね。多くの人は、この後の人事に興味津々だろうけれど、私的にはきちんと働いてくれれば、誰が閣僚でもいいと思います。ただ、今度の総理大臣&内閣は、国民の信任を得ているわけではないので、近いうちに選挙をして、信を得てほしいとは思います。(2020年9月14〜16日)

 新しい内閣の顔ぶれがほぼ決まったようです。ウチの殿は“行政改革・規制改革担当大臣”のようです。要は“ぶっ壊し屋”ですね。いかにもあの方らしい役職です。どんな仕事をしてくれるのかワクワクです。(2020年9月16〜23日)

 最近は、何もないところでつまずきます。ううむ、年は取りたくないものだ。つまずくぐらいならともかく、転ぶようだと大問題だ。なにしろ、私は転ぶだけで骨折する自信があるからなあ…。(2020年9月23〜29日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | その他