2020年11月30日

別に歯が痛いわけじゃないけれど…[2020年11月の落ち穂拾い]

 私が今通っている歯医者は、繁盛しているせいか、治療を月1回しかしてくれません。まあ、別に歯科治療なんて命に関わらないモノだから、月に一回だろうが、年に一回だろうが、まあいいっちゃあいいんだけれど、さすがに放置され過ぎな気がします。せめて隔週で治療してくれればいいのになあって思います。

 コロナになる前は、予約なんて取り放題で、毎日でも治療してくれたんだけれど、なんかこの頃、やたらと繁盛しているんだよね。コロナと歯医者って関係あるのかね?

ブログでエラそうな事を書く人

 ここのブログでは何度も書いてますが「偉そうな事を言ってるヤツは、いったいどれくらいの実力があるの?」って、いつも私思ってます。実際、ジャンルは何であれ、ネットで偉そうな事を書いている素人さんってたくさんいるでしょ? そういう人が(音楽であるならば)自分の演奏をネットに上げる事って、まあ無いです。あるいは、他人のブログにあれこれ、アドヴァイスの形したイチャモンを付けて、マウントを取るにかかる人も同様に、自分の演奏をネットに上げる事って、まあ無いです。

 それっておかしいでしょ?って私は常々思っているわけです。他人の事をどーこー言うなら、その前にご自身のご立派な演奏をアップしておいてくださいな…と私はいつも思っている次第なのです。

 なので私はずっと前から(今回のように)どんなにひどい演奏であってもネットにありのままアップするようにしているのです。すとんという人間は、普段偉そうな事を書いているけれど、実際のところはこんな程度の実力なんだから、普段書いている事も、眉にツバでも付けながら読んでください…って事ですよ。

 これも何度も書いてますが、私は“落語「寝床」の旦那”なんです。あるいは“下手の横好き”なんです。音楽は好きで、その好きな気持ちは他人に負けているとは思ってませんが、才能は皆無だし、ろくな努力もしてません。上達したいとは思ってますが、日々、老い衰えていく自分との戦いです。

 私は子どもでもないし、若者でもないですからね。所詮、私の音楽なんか、自己満足のための趣味…つまり“道楽”なんですからね。それとプロを目指している若者たちと比べる方が野暮ってもんですよ。

 オトナは若者にはかないませんよ。オトナが真剣に10年かけて学んで得る事なんて、若者はほんの三ヶ月か半年程度で身につけちゃいます。さらに若者が1年も真剣に学べば、学んだ事が血肉となり、一生の宝になりますが、オトナが10年かけて学んでも、半年も休めば、全部元の木阿弥になってしまいます。

 だから、オトナは面白いって、私は思ってます。

フルートにおける、鳴りと響き

 フルートでも鳴りと響きは違います。フルートを吹いていてもH先生から「フルートを鳴らそうとばかりしないで、もっと響きをよく聞いて吹きなさい」って言われます。フルートを吹いても、響きが足りなくて、鳴りばかりで吹いてしまうのが私みたいです。

 響きが極端に少なくて鳴りばかりの音が傍鳴りなのかもしれません。あと、響きがちゃんとある時は、フルートの管体がここちよく振動してくれますが、響きが少ない時は、あまり管体が振動してくれないような気がします。

「進化論」と「創造論」

 アメリカの一部の州では、科学の授業で「進化論」を教えずに「創造論」を教えるのだそうです。それを聞いた多くの日本人は「なんて非科学的な…!」と絶句するみたいですね。でも、そんなに絶句するほどのモノではないと、私は考えます。

 私は無論「進化論」は学校で教えるべきだけれど、別にそれが(自然)科学的な真理ではないと添えて教えるべきだろうと思ってます。というのも、進化論にせよ、創造論にせよ、実験による再現性なんて無いもの。つまり検証不可能って事です。なので、再現できない科学的事実なんて科学的な真理ではないわけです。

 私に言わせれば「進化論」も「創造論」も科学ではなく宗教なんだと思ってます。

 だから「進化論」を教えないアメリカの教育界も問題だけれど、ただの仮説でしかない「創造論」を科学的真理であるかのように教えている日本の教育界も、同じように問題だと思ってます。

 わからない物は分からない…と正直に言うのが科学的な姿勢だと思いますよ。その上で「私はこう考える」と私見を述べるのは良いと思うけれど、その際には必ず、その意見への反対意見もきちんと教えるべきだとも思います。

 何事も、偏見にとらわれるべきではなく、自分と対立する考え方も知って理解するのが、オトナへの一歩だと考えてます。

今月のお気に入り 本好きの下剋上〜司書になるためには手段を選んでいられません

 良い年したオッサンが…と言われそうだけれど、正直、今、すごくハマっているのが、この「本好きの下剋上」という小説です。
 ま、ジャンル的にはライトノベル(以下“ラノベ”と略)だし、ファンタジーな転生モノなんだけれど、これが実に面白いんですわ。

 正直な話、大半のラノベって、日本語が下手すぎるし、ストーリーもテンプレ通りの量産型だし、だいたいハーレムモノばかりで、女権信奉者の皆さんのお怒りを買うよ…ってモノばかりで、正直、読み始めて3分でペイッと捨てたくなるようなモノばかりなんだけれど、これは違います。かなり面白いです。あんまり面白すぎて、アマゾンのレビューには、嫉妬に我を忘れた方々が垂れ流す悪評ばかりで笑っちゃういます。それくらいに、人々の心を掴んじゃうエンタメな小説です。

 この年始年末は、どうせコロナ禍のおかげで遠出もできないので、小説でも読んで…とお考えの方には、ぜひぜひお勧めしたいですよ。作者への利益還元の意味もあって、私自身は電子書籍版で読んでいますし、皆さんにも電子書籍あるいはリアルな書籍を購入するのがオトナのやり方だと思いますが、実はこの小説は無料で(もちろん合法的に)読むこともできます。なので、お試し的にそちらで立ち読みされたら、ぜひぜひ書籍版をお買い求めの上で愛読されると良いかと、私は考えます。

 と言うわけで、無料で読みたい方は「本好きの下剋上 〜司書になるためには手段を選んでいられません〜」へどうぞ。ハマるよぉ〜。

今月の金魚

2020年11月13日(金) カナが星になりました

今月のひとこと

 韓国元大統領の李明博氏の実刑(懲役17年だそうです)が確定しました。それにしても、韓国の大統領って退任すると、みな有罪になって投獄されて、死ぬまで刑務所ぐらしをするんですよね。“大統領→刑務所”なんてルートがお決まりの韓国って、国として可怪しいよね。(2020年10月30日〜11月6日)

 アメリカはやっぱり異世界だなって思います。今回の大統領選挙、バイデン側は明らかな選挙違反をして表面上は選挙に勝つんだろうけれど、結局大統領はトランプになりそうだし…。日本人の常識が通用しない異世界なアメリカだね。ほんと、あれこれ不思議だよ。(2020年11月6〜9日)

 立皇嗣宣明の儀が無事に終了しました。天皇陛下ご夫妻と皇嗣殿下ご夫妻はともかく、その他の人々が和装(?)にマスクという、ちょっとちぐはぐな衣装だった事は面白かったです。この儀式は世界中で見られるだろうし、後世にも残されるわけで、そういう意味では、いくら新型ウィルス感染予防のためとはいえ、マスクはやっぱり興ざめだよね。(2020年11月9〜14日)

 寒さがいや増す毎日です。毎年思うのですが、ほんと、秋は短いです。夏から、あっという間に冬になってしまいます。そんな貴重な秋の日々を満喫したいと願ってますが…仕事が忙しすぎて、全く秋を味わえないのが(例年の事とは言え)残念です。(2020年11月14〜22日)

 ここ数日のお天気は、本当に分からない。寒くて寒くて、いよいよ冬がやってくると覚悟していたのに、なんか暖かく…ってか暑くなってきて、夏日更新とか訳の分からなさ炸裂。コート不要どころか上着も不要な11月ってありうる? みんなコロナの事ばかり心配しているけれど、この異常気象は近未来の我々の台所を直撃しそうじゃん、やばくない?(2020年11月22〜29日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | その他

2020年11月29日

コロナ禍になって変わった生活

 コロナ禍になってだいぶ日が経ちました。今は…第3波ってやつでしょうか? まあまあの感染者数が日々出てますね。まあ、確かに今までと比べると、数が多いのですが、ヨーロッパ等の諸外国と比べると、1/100とか1/200程度の数で、統計的にはほぼゼロに近い数なので、そんなに慌てる必要はないだろうと、個人的には思ってます。それに肝心なのは(緑のたぬきさんも言ってましたが)感染者数ではなく重症患者数でしょうね。感染者数は検査数に左右される数なので、あまり意味のある数字ではないのです。重症患者数はコロナ罹患の実態を表している数ですから、こちらは大切な数ですが…やはりこちらも世界的にはゼロに近いと言ってもいいくらいの数なので、日本全体としては、まあ大したこと無いと、私は考えてます。

 それより、むやみに日本人をビビらせて、一体誰が何も企んでいるのか…の方が、私はよっぽど怖いですよ。

 とは言え「別にコロナなんて、どーでもいい」とは言いません。ただ、私にとって大切なのは「日本全体が…」ではなく「私がコロナになるかならないか」であって、そういう意味での予防等については、一通り気をつけているつもりです。

 うがい手洗いは…コロナ以前から普通に熱心に行っていますので、特に生活に変化はありません。

 換気は…基本的に冷房暖房大好き人間なので、換気を頻繁に行うのは好きではありませんが、今年は若干気をつけているくらいでしょうか?

 マスク着用は…大嫌いです。とは言え、必要があったり、人前だったりする時は、きちんと着用しています。「あいつはマスクを着けてないぜ」とか言われて糾弾されたくはないですからね。なので、必要最低限の範囲でマスク着用をしています。一日も早く、マスク不着用が可能になる日に戻って欲しいと思ってます。

 外食や宴会は、そもそもあまり好きではないので、普通に生活していても、それだけで自粛モードみたいなものなので、私の生活に大きな影響はありません。

 大きな影響があったと言えば、秋〜冬なのに、あまりコンサートの類に出かけられないって事でしょうね。出かけられない…と言うよりも、やっていないのだから仕方ないです。例年なら、毎週のように何かのコンサートに出かけていることを考えると寂しい限りです。

 あと、日々の睡眠時間を若干増やしています。

 私は自分の睡眠を、睡眠アプリ(「AutoSleep」)を使って管理しています。

 このアプリによれば、以前の私は一日だいたい4時間前後の睡眠を取っていたようですが、それを色々と工夫して、今は、一日だいたい5時間前後の睡眠を取れるようにしました。

 睡眠時間を1時間増やしただけですが、別に布団に入る時間を1時間早くした程度では、睡眠時間って増えないのですよ。むしろ、布団に入る時間は、今までとあまり大きく変わっていません。15分くらい早く布団に入るようにしました。あと、起床時間を15分ほど遅くしたのかな? だから以前より30分ほど布団の中にいる時間を増やしましたが、残りの30分は、睡眠環境を整える事で、しっかり眠れるようにしました。

 具体的に室温の管理とパジャマの見直しです。具体的に言えば、少し涼しい環境を作って寝ています。どうも私の場合、寝入る時に、少し涼しいくらいの方が熟睡できるみたいなのです。温かい環境だと、寝ているうちに発熱して、寝苦しくなって、目が覚めてしまったり、あるいは極めて浅い睡眠(これは睡眠をしたとはカウントされません)になってしまうとか、とにかく睡眠の質が悪くなるんです。就寝環境を整え、睡眠の質をちょっぴり良くする事で、同じ時間布団の中にいても、多くの時間寝ていられるようになりました。

 日々の睡眠時間が、平均4時間から平均5時間に増えたのは、大きく違います。少なくとも、風邪を引きづらくなったようです。あと、日中、あまり、眠くない(笑)。可能ならば、睡眠時間をあと2時間ほど増やして、平均7時間ぐらい寝たいのですが、それを決行すると、私の趣味の時間への影響が大きくなる(つまり、あとは趣味の時間を減らすしか無いのです)ので、当面考えていません。

 まあ、1日5時間の睡眠ではやはり足りないので、休日に寝溜めをして睡眠時間の不足を補っています…ってか、休日になって、どこにも遊びに行く場所がないので、半分、ふて寝をしているんですけれどね(笑)。

 と言うわけで、コロナ禍になって、変わった生活と言えば…睡眠時間が1時間ほど増えました…って事でしょうか?

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | ダイエット&エッセイ

2020年11月28日

我が家の今の金魚たち(2020年11月現在)

 今の我が家の水槽には、金魚が5匹います。で、この5匹が見事に2つのグループに分かれています。

 “おっきい子グループ”の子は、次の3匹です。

 シズカ(素赤琉金)
 アセビ(紅白の更紗流金)
 アカリ(素赤琉金)

 赤い琉金が二匹タブっているのが、私的には残念です(これ、妻の好みなんですね)。

 “ちっちゃい子グループ”の子は…

 ランコ(黒らんちゅう)
 ナツキ(銀鱗オランダ)

 …です。見事に2つのグループに分かれていて、明らかに魚体大きさが違うんです。アカリとランコなんて、家に着た時はほぼ同じ大きさだったのに、今では明らかな差が付いてしまいました。

 そんな、一匹だけ小さく感じていたランコも、ナツキが入ってきて似たような大きさなので、なんとなくツインズみたいな感じです。あと、小さい小さいと思っていたランコも、もう星になってしまいましたが、カナが入ってきた時は、だいぶ大きく成長したものだと思いました。と言うのも、カナって、我が家にやってきたばかりの時のランコぐらいの大きさだったからです。そんなランコとカナとを比べると、ランコがだいぶ大きくなった事が分かりました。

 それにしても、アカリの成長速度には眼を見張るばかりです。こんなに急に大きくなると、体に良くないよ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | 金魚

2020年11月27日

フルートを吹いていて困っている事

 それは音量調整が上手くないって事です。

 単純に言っちゃえば「私が下手くそだから」なんだけれど、それにしてもフルートの音量調整は難しいです。

 普通に何も考えずに吹く分には困りません。

 楽譜に“p”とか“pp”とか書いてあって、それを実行しようとすると困ります。だって難しいんだもの。なるべく小さな音を出そうと頑張るけれど、ちょっと気を抜くと、音程が1オクターブ下がったり、楽器が鳴らなくなってしまったり、そりゃあもう大変なのよ。

 逆に“f”とか“ff”とか書いてあって、それを実行しようと頑張ると…「吹き過ぎ!」と先生に言われます。実際に、フルートって強く吹いても、大きな音が出るというよりも、割れたような美しくない音しか出ません。フルートって楽器は、ある一定以上の息を受け入れないみたいだし、その一定の線がかなり手前にあるような気がします。なので、大きな音とか強い音というのは出しづらいです。

 だから何も考えずに吹く分には楽しいフルートですが、音量調整の事を考えながら吹くと、音量増しであっても音量減であっても、持て余してしまうわけです。

 いやあ、音量調整難しい。これだけ音量調整が難しいと、演奏に感情を込めろと言われて、なかなか難しいものがあります。

 美しい音しか出ない楽器ってのは、それはそれで困りもんだよね。少なくとも、私レベルの演奏力では、感情表現ができるほどの音量調整なんて、無理難題で理不尽な命題なんだよね。

 はあ…。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 クラシックブログ フルートへ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(6) | フルートのエッセイ

2020年11月26日

クラシック声楽を学ぶと歌がうまくなるのか?

 残念ですが、なりません。逆に歌えなくなります…なんて書くと、バズるでしょうか(笑)。

 実は歌のジャンルによって話が変わるのです。

 クラシック声楽を学べば、クラシック系の歌は上手になります。イタリア歌曲とかドイツリートとかオペラのアリアは上手になるでしょう(ならないと困ります)。

 でも、ポピュラー系の音楽はダメでしょうね。J-POPとか演歌とかアイドルソングとかは、発声が全然違いますから、音程正しく歌えるようになるかもしれませんが、歌唱としては別のスタイルになってしまいますから、むしろ下手になってしまうかもしれません。つまり、クラシック声楽を学ぶと、カラオケがつまらなくなるかもしれません。

 特に女声は、クラシック声楽とカラオケ音楽では、全く発声方法に共通点が無いので、クラシック声楽を学べば学ぶほど、カラオケが苦手になってきます。男声は女声ほどは離れていないので、歌えないわけではないでしょうが、カラオケでクラシック声楽の発声方法で歌うのは、機械に負担がかかるし、周囲にも迷惑になるので、止めた方が良いと思います。どうしても歌いたかったら(私はやってますが)マイク無しで歌うのが良いかもしれません。

 歌のジャンルによって、歌唱法は違うし、クラシック声楽は、別に人類共通の音楽ではなく、西ヨーロッパの民族音楽に過ぎないわけで、その歌唱法をもって、極東の日本の流行音楽を歌おうというのが、土台無理なのかもしれません。

 オペラの発声で詩吟を歌ったら、明らかに別ものでしょ? 別に詩吟ほど極端な例を持ち出さずととも、カラオケで歌うような日本語のポピュラーソングは、クラシック声楽の音楽とは、発声法も歌唱法も違うのですから、クラシック声楽を学んだからと言って、上手く歌えるようにはならないのです。

 むしろ、カラオケを楽しもうと思ったら、クラシック声楽の事は忘れて歌った方が結果がいいし、楽しいのではないかと思うわけなのです。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | 声楽のエッセイ

2020年11月25日

なぜ、声を支える必要があるのか?

 たぶん、一番大きな理由は「声に芯が生まれるから」じゃないかと思ってます。支えのない声は、ふわっというか、ふにゃっていうか、ぼやってした感じの声になりがちです。私自身、そういう声も嫌いじゃないし、そんな声で歌いたい気分の時もあるのだけれど、そういう声はクラシック声楽では良い声とはされていないので、きちんと声を支える必要があると思ってます。

 別に支えがなくても声に芯を与える事はできますが、それは往々にして喉声になっていると思います…ってより、ノドを力んだ方がよりくっきりとした硬めの芯を声に与える事ができるように思いますが…これはクラシック声楽的な声ではないんだよね。あくまでも邦楽系の声だと思います。

 二番目の理由は声量…かな? 私は何をやっても大声になる人なので、全く実感がありませんが、声を支えることで声量が増して、声が遠鳴りになる…そうです(ほんと、全く実感がありません)。

 三番目の理由は…もしかすると、この理由が一番大きな理由かもしれませんが…健康上の問題かな?って思います。声を(腹筋で)支えずに、ノドで支えて歌い続けていくと、やがて声が壊れます。ハスキーヴォイスの獲得を目指しているのなら、それもアリでしょうが、クラシック声楽の世界では、壊れた声はダメです。声を壊さないためにも、しっかり声を支えて歌わないといけないのです。

 と、まあ3つほどの理由を考えてみましたが…他にも理由はあるかしら?

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | 発声法のエッセイ

2020年11月24日

ピアノの学習に、コードの勉強は必要か?

 よく、ネットをウロウロしていると見かける話題に「ピアノの学習に、コードの勉強は必要か?」というのがあります。

 答えは色々ありますし、あっちこっちでこの話題を見かけますから、ピアノを学んでいる人にとっては、大きな問題なんだろうと思います。

 私はピアノ門外漢ながら、この問題について語っちゃおうと思います。

 ではでは「ピアノの学習に、コードの勉強は必要か?」ですが、それは学んでいる音楽ジャンル次第なのではないでしょうか?

 つまり、クラシック一辺倒の方や、楽器店で販売されているピアノ用にアレンジされた譜面だけを演奏して楽しもうという方には、コードの勉強なんて不要です。書かれた譜面をキレイに再現再生する事を楽しんでください。

 コードの勉強が必要なのは、ポピュラー音楽を学んでいたり、歌の伴奏をする人たちです。彼らにはコードの勉強が必要になってくると思います。

 と言うのも、これらの音楽の場合、ピアノ用にアレンジされた譜面が無いまま、演奏しないといけない場合が多々あるからです。一番多いのが、リード譜と呼ばれる、メロディと歌詞とコードネームだけしか書かれていない楽譜で演奏しないといけない事があるからです。つまりピアノ的に言えば、メロディとコードネームだけで、曲の伴奏をし、前奏や間奏を弾かなきゃいけないって事です。これらをするには、コードが分からないと、何もできないわけです。

 逆に言えば、ポピュラー音楽を楽しむピアニストさんたちの中には(日本では少数ですが)楽譜がほぼ読めない人もいます。楽譜が読めなくても、コードが分かれば弾けちゃうのがポピュラー音楽だからです。

 なので「ピアノの学習に、コードの勉強は必要か?」の答えとしては、学んでいる音楽ジャンル次第で、必要だったり不必要だったりします…となります。そしてポピュラー音楽をガッツリやるなら、コードの勉強は必須と言えるでしょう…ね。

 ちなみに、笛先生のところでコードの勉強はやったので、リード譜だけでフルートは吹けるし、ピアノの伴奏も何とかなります。ポピュラーの世界ではコード演奏ってのは基礎中の基礎だからね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | ピアノ

2020年11月23日

これがコロナ対策済みのオペラ公演だ!

 まず、オペラ公演(「カルメン」)をネットで公開している藤原歌劇団に感謝です。

 感謝をした上で「これでいいの?」って、私は言います(エラそうでごめんなさい)。

 実はこの公演、以前書いた、コロナ対策済みの大学オペラと会場も同じなら、上演(演出)方針も同じなのです。違うのは、演目と歌手の力量ってところでしょうか。あと、学生オペラでは、舞台上にアクリル板はありませんでしたが、こちらの公演では、数枚の車輪付きのアクリル板が舞台上にあって、歌手のみなさんが、それらを動かしながら、相手役との間にそれを挟んで、割と近距離で歌い合うシーンが多々ありました。学生オペラではアクリル板を使わなかったので、歌手と歌手が必ず距離をとって歌っていましたが、アクリル板があるために、歌手同士がアクリル板を挟んで、近距離でも歌えるようにしたのは、より良い演出かもなあ…って思いました。

 でも、アクリル板が舞台にあって、歌手の皆さんがそれを動かしながら歌って演技するのは、やっぱり変だよね。シラケちゃいます。

 学生オペラとの違いを書いてみます。

 まず、フェイスガードが声に与える影響が違いました。これは、学生とプロの違いのせいかもしれませんし、生の舞台と配信(つまり録音)の違いかもしれません。生で見た学生オペラでは、フェイスガード越しの声が不快でたまりませんでしたが、この配信ではフェイスガードが声に与える影響は無視してよい程度でした。ただ、オペラの登場人物がフェイスガードを着けている姿は、やっぱり変だよね。オペラへの没入が妨げられます。

 衣装に関しては、兵隊さんだけは軍服のような衣装を付けていましたが、その他は黒一色の衣装でした。学生オペラは自前の服のようでしたが、こちらは一応、衣装のようですが…あまり衣装を着ている意味は無い感じで、印象的には学生オペラとどっこいどっこいだなって感じました。オペラって衣装が大切ですよ、衣装を簡略化して良いのは、衣装に頼らない演技力のある俳優ぐらいなもので、歌手の皆さんの演技って…ねえ。

 で、その演技…ってか芝居に関しては、上手下手はともかくとして、皆さん、かなりきちんとやっていたように思います。アクリル板を巧みに使って近距離での芝居もこなしていましたが、だからそこアクリル板が邪魔くさいです。学生オペラの遠距離演技もどうかと思いますが、アクリル板を使用しての演技も同じくらいにシラケるものです。きちんと演技をしていただけに、ほんと残念です。

 大道具に関しては…使っていなかったような気がします。気がします…というのも、私、この配信は第一幕しか見てないんですよ。だって、つまんないだもの(ごめんなさい)。今までも配信のオペラっていくつか見てきたし、だいたい配信されるくらいだから、みんな面白くて、ワクワクしながら最後まで見ていたのだけれど、この公演は、なんかあっちこっちシラケちゃって「もういいや」って気分になってしまいました。学生オペラもかなり早い段階でシラケちゃったのだけれど、あっちは生の舞台なので逃げられなくて、最後まで見ちゃいましたが、配信オペラの場合、気が散ったら、他の番組に逃げられちゃうよね。

 歌劇団関係者の皆さんの努力はよく分かるのですが、ここまでしてまで、オペラって上演しないといけないものなの? というのが、正直な私の気持ちなのです。

 大学オペラは、学生にとっての学習の場ですから、何が何でも毎年行わないといけないのは理解しますし、そのために、あっちこっち妥協してでもやらないといけない学校行事であるわけです。

 でも、プロのオペラカンパニーの公演は、学生たちのそれとは違うわけです。

 感染の危険性が排除できず怖くてたまらないのならば、勇気を持って中止するべきだし、危険を乗り越えてオペラ公演を行うと決めたのなら、プロとして万全のものを見せるべきです。今回の公演だって、万全な形のものなら、きっと面白いだろうし、私も最後まで見たと思います。私が見てきた、藤原歌劇団のオペラ公演って、いつだって面白くて感動的な舞台だったもの。今回だって、本来ならそうだったはずです。

 先日見た、帝国劇場のミュージカルと比べると、プロとしての覚悟が違うなあって思いました。コロナは怖いけれど、プロの舞台人である以上、万全のものを歌い演じるのがプロであって、ミュージカルの人たちと比べると、オペラの人たちには(生意気言ってごめんなさい)甘えがあるような気がします。素人や、素人に毛の生えたような学生さんたちのオペラなら(私は好みませんが)コロナ対策のオペラもアリだと思いますが、プロの公演がこれではガッカリです。

 そう思うと、ミュージカルの人たちのプロ根性には、改めて敬服します。無論、出演者並びにスタッフ全員に定期的にPCR検査等をして安全を確認しながらの公演だろうけれど、いやあ、それにしたって、あの人たちの覚悟は、凄いんだなあって思います。尊敬しちゃいますよ。

 まあだからと言って、オペラの人たちがミュージカルの人たちを見習う必要はありません。歌芝居という共通点はあるものの、やはりあれこれ違うわけで、決して同じ土俵にあるものではないと思ってます。今年のバイロイトは勇気をもって中止したわけから、万全な形でのオペラ公演はまだまだ無理なのかもしれません。または今年のザルツブルグのような形で公演することも可能です。あの程度の簡略化なら私も受け入れられます。とにかく、フェイスガードとかアクリル板とかオーケストラを舞台に乗せるとかは、ほんとに見ていてシラケてしまうので止めたほうが良いです。あと、日本のオペラは演技力に不足がありありなんだから衣装もきちんと身につけたほうが良いです(ヨーロッパの真似をするには全般的に演技力が不足していると思います)。

 今回、「カルメン」を配信してくださった事には感謝していますが、この手のオペラを、生の舞台を高いチケットを購入して見に行くかと言われると、悩みますね。少なくとも、コロナ仕様のオペラ上演の形を取り続ける限りは、ちょっとパスかな? だってシラケてしまって途中で帰りたくなるような舞台に高いチケット代は支払えないよ。でしょ? 安価なら、目をつぶって演奏だけを聞くという事もありですがね…。いっその事を、演奏会形式での上演にしてくれたら、こちらも割り切れていいのですが…ねえ。

 今後、コロナが無くなることなんて、たぶん無いよ。ワクチンが開発されたって、巷からウィルスが無くなるわけじゃあ無いんだらね。私なんか、毎年毎年インフルエンザのワクチンを注射しているけれど、世間からインフルエンザが無くなるわけはないわけで、新型コロナのワクチンが開発されて、みんながみんな、ワクチン接種をしたとしても、それでもコロナは無くならないし、感染者はこれからもずっとずっと出続けます。

 オペラの人たちは、いつまでこんな事をし続けていくつもりなのかしらね? まあ、我々オペラファンは、生の舞台を見るのを止めて、過去の映像を見ればいいんだから、問題ないと言えば、問題ないんだけれど…ね。でも、できれば、生の舞台も見たいよね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | 歌劇

2020年11月22日

iPhoneはアップデートしちゃダメ?

 最近、ちょっとホットな話題なので、気になる方は適宜ググってください。あっちこっちのサイトで解説されています。

 米アップルが、旧型のiPhoneをアップデートする際に、スロットリングという仕組みを組み込んでいた事を認めました。このスロットリングってのは何かと言うと、iPhoneの動作速度を遅くするための仕組みで、このスロットリングが施されたiPhoneは、テキメンにすべての動作がもたつくようになるそうです。

 なぜ、アップルがそんな事をしたのかと言うと、アップルの言い分としては「バッテリーが劣化し、予期せぬシャットダウンを避けるため」に、わざとiPhoneの動作を遅くして、バッテリーに負荷をかけないようにした…との事ですが、それに対して、集団訴訟を起こした原告側は「新機種へ買い替えさせるため」に、旧機種の動作を遅くして使い勝手を悪くしたのだろう…と言っていたわけです。

 で、裁判になって、アップル側が負けちゃったわけです(そりゃあ、まあそうだよね)。そしてアメリカでは、和解金として1億1300万ドル(約117億円)が支払われ、バッテリー交換代金が大幅に値下げされる事になり、スロットリングの機能は搭載されたままだけれど、オフにできるようになったのだそうです。

 なお、最新型のiPhone 11シリーズには新電源管理システムが導入され、バッテリー劣化によるパフォーマンスへの影響を低減するしくみが内蔵されたそうです。つまり、バッテリーが劣化しても、動作が遅くなったり、簡単にシャットダウンをしないようになりましたって話です。やればできるじゃん、アップルも。やれるなら、最初っからやっておければ良かったのにね。

 ま、裁判の話はアメリカの話だし、日本の旧機種iPhoneの状況はどうなのかは、私は知りません。

 ちなみに旧機種とは、iPhone 6、6 Plus、6s、6s Plus、7、7 Plus、SE、だそうです。OS的には、iOS 10.2.1以降が対象となるそうです。私のiPhoneは 8 Plus なので、どっちにしても対象外です。

 まあ、アップルに限らず、昔っからあるIT関係のモンって、新型がリリースされると同時に(なぜか)旧型の動作が遅くなるって、まあ常識だよね。かつてはよく、WindowsとかOfficeとかで感じたものです。ほんと、新型が出た途端に、動作が遅くなったり、動作不良を起こすようになるんだよね。それまで問題無く快適に使えていたのに…。

 で、こっちはこっちで、何の躊躇もなく…ってか、むしろ良いチャンスだと思って、新型にホイホイ買い替えていた私です(笑)。だって、速くて機能充実の新型の方が良いもんね…ってか、単なる新しもの好きなのかもしれないけれど(爆)。

 旧機種が新機種と比べて、CPUの性能とか、積んでいるメモリ量の違いで、新型よりもあれこれもたつくのは、ある意味当たり前なので気にしませんが、意図的にもたつくように調整されていたとなると、そりゃあ旧機種ユーザーとしては、黙ってられませんわな。

 私はiPhoneユーザーです。今回の件があったからと言って、iPhoneからAndroidに乗り換えようとは思わないし、よっぽどの事が無い限り、私は今後も定期的にiPhoneを買い替え続けて、使い続けていくんだろうなあって思います。

 iPhoneを使い続ける理由? ううむ、それは私が日本人だから? 日本人って、世界で一番iPhoneが好きな国民だっていう都市伝説があります。実際、世界的にはiPhoneよりもAndroidの方が全然シェアが上なんだそうだけれど、日本に関しては、iPhoneとAndroidのシェアって、ほぼ半々なんだそうです。Androidの方は色々な機種があるから、日本で一番人気のスマホはiPhoneって事になるわけです。みんなが好きなiPhoneを、特に大きな理由もなく使い続けちゃう私って、やっぱり同調思考の強い日本人なんだよなあ…。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | その他

2020年11月21日

水温計を剥がしていたのは…

 最近、全然水温計が剥がされないのです。

 水温計をデジタル式からアナログ式のものに買い替えた話(「水温計は不人気」)は、以前しましたが、当時、水温計は金魚たちに不人気で、ガラスに貼り付けても、すぐに剥がされていました。それがここのところ、ずっとガラスに貼り付いたままなのです。

 なぜだろ? あれこれ原因を考えてみたのですが、思い当たる事は、たった一つ。それは「ヤヨイが水温計が気に入らず、剥がしていた」って事でしょう。ヤヨイは縄張り意識が強い金魚ですからね、自分の縄張りに、あの(金魚的に)長いガラスの棒が壁面に堂々とへばりついているのが気に入らなかったのだと思います。もしかすると、水温計を余所者として排除していたのかもしれません。

 今となっては、なぜヤヨイが水温計を目の敵にしていたのかは分かりませんが、とにかくヤヨイ亡き後、水温計はその役割を果たしているという事をご報告いたします。

 まあ、この時期ですから、水温にはあまり神経質になる必要もないのだけれどもね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | 金魚

2020年11月20日

みんな材質に期待しすぎ

 フルートは、材質によって楽器の価値や質、音色が変わる…と、そういう思い込みが我々にはあります。洋銀よりも総銀が、総銀よりも9Kゴールドが、9Kゴールドよりも14Kゴールドが…なんていう序列を無意識のうちに持っている人もいます。

 事実、この順番で楽器のお値段は高くなっていくし、実際、演奏してみた感じでも、この順に楽器が良くなっているのは感じられます。だから、フルートにとって、材質の違いは大きな問題なのだなあ…なんて考えてしまうわけですが…。

 フルートって、打楽器とは違って、楽器そのものが音源になって音が出ているわけではなく、管内の空気が振動して音になって、それが聞こえるのです。つまり、鳴っているのは空気であって、フルートという楽器は、その空気の入れ物に過ぎないわけです。

 紙コップに入っていても、ペットボトルであっても、美しいヴェネチアグラスのコップであっても、その中に入っている液体が水であるなら、どれもこれも基本的には、入れ物の中のモノは同じモノ…と言えます。つまり、ここで大切なのは「何が入っているのか」であって「何で入れているのか」ではないって事です。

 楽器の値段が高くなるにつれ、楽器としての仕上がりが良くなり、楽器としての質も向上し、音色だって美しいものになるのは、ある意味当たり前と言えます。なぜなら、高い楽器ほど、熟練された職人が手間隙かけて一つ一つ手作りしているからです。良質な手工芸品なのです。そりゃあ素晴らしいに決まっています。つまり、フルートの楽器としての良し悪しは、それを作った職人さんの腕と、その楽器の製作にかけた時間や手間によって決まるのです。材質の違いは(私が思うに)二次的な要素にしか過ぎないだろうと思ってます。

 では、フルートの値段が高価になるにつれ、材質が変わっていくのは、私が思うに経済的な理由が強いのではないかと思われます。つまり、高価な材質を使って作られた楽器ならば、高価な値段をつけて販売されても、購入者は納得します。

 それに、楽器の値段を高くすれば、それに伴って、利幅を増やすことができます。安価な楽器は購入者も多いので、利幅が少なくても、多くの楽器が売れますので、総体としての利益は確保できます。一方、高価な楽器は購入者が限られるので、そんなにポンポンと簡単には売れません。なので、利幅を増やして、楽器を一つ販売する毎に多くの利益を確保しなければなりません。そのためには、購入者が高いお金を出しても納得できるような付加価値が必要なのです。

 その付加価値が、フルートの材質の違いなのだと思います。

 洋銀よりも銀の方が、銀よりも金の方が、高級な材質ですし、高級感が生まれるし、購入者も高級品を購入したという満足感を感じる事ができます。ですから、材質の違いは付加価値の違いであって、楽器の本質とは無縁な要素であると、私は考えます。

 洋銀を材質とした高級フルートは、現存していませんので、比較できませんが、銀を材質とした高級フルートと、金を材質とした高級フルートは、ともに存在します。両者を比較検討した際、そこに明確な優劣の差は無いと私は感じています。あるのは、奏者の好みとステージ映えぐらいです。材質の違いが楽器としての優劣につながるのなら、プロ奏者は全員、金のフルートを使っているはずですが、実際の話、銀のフルートを愛用するプロ奏者も大勢います。つまり、プロの目から見れば、その程度の違いしかないのでしょう。

 一般的に、重い楽器の方が音をよく飛ばす(これはオーディオの基本です)ので、同じ形態なら比重の重い金属で作られた楽器の方が遠くまで鳴ります。なので、比重の重い金で作られた楽器の方が、銀で作られた楽器よりも、遠鳴りがしそうですが、実際のところ、普通に楽器店で販売されているフルートの場合、銀の楽器は標準的な管厚のものが多いのですが、金の楽器の管厚は薄目に作られている事が多いです。これは金の楽器を銀の楽器同様に仕上げてしまうと、楽器が重くなってしまい(女性奏者の多い日本では特に)奏者に負担がかかるので、金のフルートは軽量化がはかられているので、結果的に、金のフルートも銀のフルートも、楽器の重量的にはあまり変わらない事になります。そうなると、遠鳴りに関しての金のフルートのアドヴァンテージ等は、無くなってしまいます。比重が重い金の特徴を活かすならば、金のフルートの管厚は標準〜厚めにするべきなのですが、実際はそうではないのです。

 つまり、そういう事だろうと思います。フルートの材質の違いなんて、その程度の違いしか、本来は無いのです。

 値段の高い楽器ほど、楽器としてよく出来ているとは思いますし、その目安として材質の違いに着目するのは間違ってはいませんが、だからと言って、材質の違いがダイレクトに楽器の良し悪しには直結しないのです。

 そういう意味では、我々は材質の違いに期待しすぎているフシがあるわけです。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 クラシックブログ フルートへ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(8) | フルートのエッセイ

2020年11月19日

私は確実に上達している

 歌にせよ、笛にせよ、私は確実に上達していると思います。

 もちろん、世間の同好の士と比べて、上手いとか優れているとかは、さすがに思いません。世の中には、常に上には上がいるものだし、私は楽しさ優先で学んでいるので、さほど上達する事に重きを置いているわけじゃないしね(上達したくないという意味ではありません、念の為。ただ、ガリガリやるほどの向上心があるわけではないって話です)。

 ほんと、私は上達していると思います。

 比較対象は、昔の自分です。それも3年とか5年とか10年とかの、長期スパンで捉えた昔の自分です。

 私は幸い、昔の練習風景やら本番の様子とかを録音して持っていたり、ネットにアップしていたりします。そういうモノと、現在の自分を比較して「確実に上達しているじゃん」って思うわけです。

 フルートは黒い楽譜でも、以前よりも対処できるようになりました。一番の上達は、フルート用の楽譜なら、時間さえ掛ければ、なんとか読めるようになった事でしょうか? 楽譜が全然読めなかった私が、全く知らない曲でも楽譜があれば、何とか吹けるようになったのは、とても大きな進歩だろうと思います。我ながら、すごいなあと思います。

 声楽も上達しています。キング先生の時代は、ネットの愛読者さんに「年々下手になっている」とまで言われていた私ですが、Y先生になってからは、年々上達していると思います。私もそう思うし、一緒にレッスンを受けている妻も言っているので、本当に上達しているのだと思います。それだからこそ、前回の発表会の失敗は…ほんと、黒歴史です。せめて、普段の半分程度でも歌えたら、だいぶ違ったのになあ(とっても悔やんでます)。

 上達を感じられるって、ほんと、うれしい事です。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | 音楽一般

2020年11月18日

親知らずは生えません

 ある意味、虫歯治療の続きの話です。

 本格的に虫歯治療をしましょうってなったので、歯医者さんで歯のレントゲン写真を取りました。生まれて初めて、自分の頭蓋骨(の下半分)を見ました。ううむ、私の歯って、こんな感じで生えているんだね。あと、こんな感じに詰め物や被せ物がなっているんだね。

 で、私の上アゴの両端に、とても歯には見えない、丸っこい物体が写っていました。

 先生に「これはなんですか?」と尋ねたら、まだ生えていない親知らずだと教えてもらいました。上アゴの親知らずが生えるべき場所に歯が埋まっているんだそうです。ちなみに丸く見えるのは、歯が正常な位置ではなく、横倒しになっているので、写真では丸く見えているんだそうです。取るべき角度からきちんと取れば、普通に歯の形になっているそうですが、倒れているので丸く映っているんだそうです。

 まあ、そこに歯はあるのだけれど、年齢も年齢だし、歯の向きも向きなので、もしも生えてきたら抜きましょうと言われました。

 「変な方向を向いているけれど、切開して取り出す必要とかはありますか?」

 その必要はないそうですし、親知らずが生えない人も少なくはないので、生えてこない限りは無視をしていいそうです。生えてきたら…この向きでは色々と不都合があるので、抜くわけです。

 ちなみに、下アゴの両端には何もありませんでした。つまり、下アゴに生えるべき親知らずは、その痕跡すら無いって話です。あるべきものが無いというのは、なんか寂しい感じがします。しかし下アゴには親知らずが生えないことろか、歯そのものが無いとか! いやあ、びっくりです。私はもしかして新人類なのかも(笑)。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | その他

2020年11月17日

虫歯でした

 ここんとこ、よく歯の詰め物が取れます。いつも同じところなのですが、ほぼ食事の度毎に取れてしまう感じです。取れる度に(食後ですが)詰め物を入れ直します。でも、次の食事の時に取れてしまう…といった感じで、不便極まりないので、歯医者に行くことにしました。

 たぶん、歯医者さんは半年ぶりぐらいです。以前、私の担当だった先生はお辞めになったそうで、今回から新しい先生です。「詰め物がよく取れるんですよ(泣)」と言って見てもらったら、先生呆れ返っていました。驚くほど大きな虫歯がそこにあったのだそうです。

 詰め物が取れてしまうのは、詰め物を詰めている歯がゆるくなってしまうからです。なぜ歯がゆるくなってしまうのかと言えば、それはその歯が虫歯になったからだそうです。歯というものは、健康な歯は硬いのだけれど、虫歯になると柔らかくなるんだそうです。だから、せっかく詰め物を詰めていても、その歯が虫歯になると歯が柔らかくなって詰め物が取れてしまうのだそうです。

 私のように「詰め物が取れた。はめとけばOK」とか思っているのはダメで、詰め物が取れたら、必ず歯医者に行って歯を見てもらわないといけないし、素人が詰め物をはめても、すぐに取れてしまうので、何も無くても歯医者で詰め物をはめてもらうのが良いのだそうです。

 知らなかったとは言え、私、虫歯を放置していたようです。

 もっとも、先生も驚くほどに大きな虫歯だったのですが、私、全然痛くないんですよ。それを先生はとても不思議がっていました。別に神経は抜いてないんですよ。だから、痛ければ痛むはずなんですが…ね。

 とにかく、これだけひどい虫歯を見つけてしまったので、詰め物をかぶせるだけではダメで、まずはしっかり歯の治療をしましょうって事になりました。で、麻酔をして歯を削る事にしました。

 小一時間ほどの時間をかけて、丁寧に虫歯を削りましたが…とても全部は削りきれなかったようです。なので、続きはまた次回って事になりました。ひとまず、歯の穴には仮詰め物をしてもらいました。仮詰めと言っても、本当に削り残った虫歯の部分にカバーを掛けた程度なので、虫歯の歯は、ほぼツボ状態になりました。これから食事ごとに、ツボの中に入った食べ物を書き出さないといけませんね(ああ、面倒だ)。あと、ツボのフチの部分が尖っているので、舌によく刺さるので痛い痛い(涙)。

 で、次回の治療は…当分先となりました。え? ここの病院は患者が少なくて、好きな時間に治療を受けられるのが利点で、それが狙い目だったのに…。なぜか急に、とっても患者さんが増えてしまって、予約を取るのがなかなか困難な病院になってしまいました。これでも(ちょっとゴネて)無理くりに近い日にち(それでも3週間後)で予約を入れてもらいましたが、そうでなければ…二ヶ月ぐらい先になるところでした。まあ、歯が痛いくらいじゃ人は死なないから、二ヶ月先でもいいっちゃあいいんだけれど…ねえ。たかが虫歯の治療で、次回の診察が来年ってのは、やっぱり遠すぎるよなあ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | その他

2020年11月16日

間違った学習結果や悪い癖を取り除くのは

 ひとことで言えば「難しい」です。時間もエネルギーも掛かりますから「難しい」と言うよりも「無理」というべきかもしれません。

 私のフルートの先生であるH先生の元には、音大入学を目指して、若い人たちが大勢入門希望を持って、先生のお宅のドアをノックするんだそうです。一応、力量等を把握して“自分で教える生徒”“アシスタント(H先生のお弟子さん)の先生に任せる生徒”“断る生徒”と分けるそうです。

 ちなみにこれら3つに分ける基準は、大雑把に言うと“自分で教える生徒”は基礎基本がしっかり出来ていて、純粋にフルート演奏を教えればいいだけの生徒で、“アシスタントの先生に任せる生徒”はほぼ素人で基礎からしっかりと教えてあげないといけない生徒なんだそうです。ちなみにアシスタントの先生のところで基礎が出来上がれば、H先生ご自身で教えるようにするそうです。

 で、最後の“断る生徒”というのは、悪い癖が身についている生徒さんの事で、先生曰く「悪い癖を取るだけで何年も経ってしまって、気がつくと入試になっちゃうから、最初っから教えない事にしているんだよ」との事です。つまり、中途半端な経験者はお断りって事なのです。先生が教えるなら、中途半端な経験者よりも、全くの素人の方がうれしいらしいです。

 で、そんな中途半端な経験者に該当する生徒さんは、たいてい吹奏楽部あがりで、部活で悪い癖をたくさん身につけちゃうんだそうです。ですから、H先生は、基本的に吹奏楽経験者は教えませんし、自分の生徒やお弟子さんには「吹奏楽をやっちゃダメ」と言っています。先生曰く「吹奏楽は、自分の演奏スタイルができあがってからやるなら、かまいません」との事で、修行中にやるのは良くないという考え方です。

 以上はガチな生徒やお弟子さんの話で、オトナの生徒さんの場合は、あれこれ基準が違うそうです。もちろん、吹奏楽経験者もOKです。

 私の場合、前のフルートの先生であった笛先生がしっかりと基礎基本を教えてくれたおかげで、オトナなのに基礎基本がちゃんとしていて、悪い癖が無いのは、実に珍しいと言われました。なので、今、H先生に直接教われているのかもしれません。なんか、申し訳ないです。

 それにしても、間違った学習結果や悪い癖を取り除くには、本当に時間がかかります。私の場合、フルートは上記のとおり、ちゃんと教えてもらっていたので、特に問題はありませんでしたが、声楽の方は、あれこれ苦労をしました。

 キング先生のところで学んだ事って、今の声楽の先生であるY先生の教えてくださる事とは、真逆な事が多いんですよ。キング先生のところで「やりなさい」と言われていた事は、Y先生の元では「それはやっちゃダメです」だし、キング先生のところで「それはダメだから、別のやり方をしましょう」と言われた事は「もっとやってください」って感じになります。最初のうちは、本当に頭が混乱しました。

 Y先生がおっしゃる事は、割とオーソドックスな事で、別の声楽の先生たちと同じような事を注意されるような感じです。キング先生の方は、独自理論の元、個性的な歌い方を指導されるので、全然歌のスタイルが違っていて、それで教える方向が真逆になってしまうのだろうと思います。

 私的には、Y先生が教えてくださるオーソドックスな発声法の方が合っているみたいなので、こちらの方向に自分を伸ばしていきたいと思ってますが、それをするためには…

 1)キング先生のやり方を止めて、カラダから抜く。
 2)一度、真っ白な素人状態に戻します。
 3)そこにY先生のやり方を入れていく。

 この3つの段階を経なければ難しかったです。

 私の場合、キング先生には約5年ほどお世話になっています。で、1)のキング先生のやり方をカラダから抜けるようになるまで5年ほど掛かりました。つまり、習っていた時間と同じ時間、習った事をカラダから抜くのに時間がかかったわけです。5年でキング先生から習った事をすべて抜いたわけではなく、5年掛かって、少しずつ抜け始めたという感じで、今はだいぶ抜けましたが、それでもまだ抜けていない事もあります。

 と言うのも、キング先生に習った事が、すでに私の中で定着していて、癖になっていることも多くあるからです。癖になってしまった事を取り除くのは、5年や10年では無理みたいです。

 だから、門下って大切なんだろうなあって思うわけです。門下が変われば、やり方があれこれ違うわけで、私の声楽のように苦労をしてしまいます。フルートの場合、実は笛先生とH先生は同門で、大師匠が同じ方なんです。なので、私が笛先生の元からH先生の元に移動しても、あまり困らなかったのはそういうわけで、声楽のキング先生とY先生は、門下も学閥も全然違い、全く接点がないので、その間を移動した私は、こんな感じで苦労をしているわけです。

 一度身につけた事をチャラにして、別の新しいやり方を入れるのは、ほんと難しいです。特にオトナになってしまうと、とてもとっても難しいと思います。ましてや、それが間違った学習結果であったり、悪い癖であったりしたら、そりゃあもう、悲劇としか言えないわけです。

 つまり、最初っからちゃんとした先生にきちんと基礎基本を叩き込まれるところから始めないと、後でとっても苦労をするって話です。そう考えると、自分自身が先生という「独学」って、かなり怖い橋を渡っているのかもしれませんね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(2) | 音楽一般

2020年11月15日

自宅練習さぼり気味です

 何事も年齢のせいにするのは簡単だけれど、10年ぐらい前と比べると、音楽の自宅練習に捧げる時間と熱量がだいぶ下がっているなあと感じています。簡単に言っちゃうと「練習、サボリ気味」です。

 一つには仕事の忙しさに原因があります。あの頃と比べると、帰宅時間が平均して1時間から1時間半ぐらい遅くなっているからね。遅くなっている分、音楽の自宅練習時間が減ります。

 それでも以前は毎日2時間近く練習していたわけで、帰宅時間が1時間遅くなったのなら、それでも毎日1時間は練習できるわけです。

 もうひとつの理由として、以前よりも早く眠くなるってのはあります。10年ほど前なら、私は午前1時を過ぎないと眠くならなかったし、寝なかったです。だから色々な事が夜遅くできました。でも今は、早く眠くなります。早ければ夜9時には寝落ちしています。そうでなくても、10時を過ぎると眠くてたまりません。なので、だいたい11時ぐらいには寝室に行くようにしています。

 このように仕事から帰ってくる時間が遅くなり、以前よりも早く寝室に行くようになってしまったので、必然的に音楽の練習をする時間が少なくなってしまうわけです。

 あとは熱量の問題があります。ちょっとしたスキマ時間に、以前ならすぐに歌を歌ったり、笛を吹いていたりしていましたが、今は…ぼぉ〜としている事が多いです。または、居眠りしています。何もしないうちに時間が過ぎてしまうなんて事が増えました。

 こうやって、原因を列記していくと、練習をしなくなった、その根本原因は“体力の衰え”のようです。体力が衰えてきたので、それに伴って“気力が衰えてきた”みたいです。向上心とかモチベーション等というものは、決して無くなっていないのです。ただ、コトに手がつかない…感じなのです。

 練習が大切ってのは分かるし理解しているし、練習したいなあという気持ちもありますが、同時に、休みたい、眠りたいって気持ちが強くなっているのも事実です。

 年齢のせいにするのは簡単だけれど、やっぱり年をとってカラダが気持ちに追いついていかない、やりたい事をやれなくなってきているのかもしれないと、ぼんやりと考えています。

 こうやって、人は枯れていくのかな…?

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | ダイエット&エッセイ

2020年11月14日

カナが星になりました(涙)

 悲しい事にカナが星になってしまいました。

 カナが我が家にやってきたのが、2020年10月25日(日)で、星になったのが、2020年11月13日(金)だから、我が家にいたのは、たった25日って事になります。ううむ、一ヶ月もいなかったのかと思うと、なんとも残念だし、可哀想です。

 カナは雑種金魚で、ヤヨイと同じ、東錦の出来損ないの三色琉金ってヤツです。そういう意味では、品種的にはヤヨイとほぼ同じだし、ヤヨイの後釜にはうってつけの子だと思ったのだけれどね。

 たぶん、死因は…メンタルだね。つまり、魚なのにチキンだったんだと思います。

 思えば、初めて我が家の水槽に入れた時も、同時に入れたナツキはすぐに先輩方になじんでいたけれど、カナは先輩たちを恐れて、ずっと水槽の隅で隠れていたんだよね。確か、他の子達に馴染むまで3日くらいかかっていたと思います。大きい子たちが安全な存在だと分かるまでに3日かかったわけです。まったくチキンだね。

 慣れたら慣れたで、変に先輩たちにからんでいったのもカナで、変にからめば追い払われるわけで、そうなるとまた、怖くて固まっちゃうって感じでした。

 なんで、そんな事をやっていたのかと言えば、たぶんカナは頭が悪かったんだと思います。頭が悪くて、先輩金魚たちとの精神的にも肉体的にも距離のとり方が下手だったんだろうと思います。とにかく、星になるまで、この子は、毎日食べているエサの時間も分からない上に、どこからエサが入ってくるのかも分からなかったみたいです。そんな頭の悪い金魚はなかなかいません。

 星になる3日ぐらい前から、ほとんど動かなくなりました。水底で隅に隠れて、じっとしている事が多くなりました。呼吸数も少なくなっていたので、おそらく心臓がおかしくなったのだろうと思われます。きっと、先輩金魚にちょっかいを出して、手厳しく払われて、それで怖くなって、心臓がバクバクになってしまったのだと思います。

 まあ、そんなノータリンなところがあったカナですが、そういうおバカなところもひっくるめて、可愛かったんだけれどね。

 それにしても、同じ出来損ない東錦だったけれど、ヤヨイは気が強すぎて困りましたが、カナは気が弱すぎて星になっちゃったわけです。飼い主的には、気が強すぎるのは飼うのが難しくて大変ですが、それでも気が弱くて、すぐに星になっちゃう子よりも良かったかな。

 カナとは縁が無かったみたいだけれど、せめて向こうの世界では、ヤヨイに可愛がってもらえるといいね。バイバイ、カナちゃん。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | 金魚

2020年11月13日

もしかすると、時代に取り残されつつあるのかな? 私

 フルートのレッスンに行ってきました。

 実は私、レッスンに行く直前に、魔が差してしまい、うっかりキンドルの書籍データを消してしまうという凡ミスをしてしまい、そのリカバリもせずにレッスンに向かったため、心の中がモヤモヤしたまま、不安を抱えてのレッスンとなりました。

 ロングトーン練習です。例によって、息を入れ過ぎ、吹きすぎと叱られました。そこで、フルートをもっと差しなさいと言われました。つまり、フルートのセッティングを、もっと高めにしなさいって事です。そうしたら…割と軽く吹けました。

 つまり、ここ数日の私は、低めにセットされたフルートを無理くり強く吹く事で音程の帳尻合わせをしていたようなのです。ここんとこ、徐々に気温も下がってきたからね…フルートを真夏仕様のセッティングのままで、吹いていたので、吹き過ぎになってしまったようです。フルートは空気を鳴らす楽器ですから、気温とか室温とかに応じて、セッティングの状態を変えていかないといけない…みたいです。でないと、私のように音程を無理くり合わせて帳尻合わせをしてしまうわけです。

 フルートはチューニング不要な楽器で、音程なんて演奏しながらでもいくらでも変えられる可変性に富んだ楽器なのだけれど、今回はそれが裏目に出てしまったわけで、可変性に富んでいるからと言っても、なるべく無理をしないに越したことはないわけです。

 さて、エルステユーブンゲンは25番と26番です。全く暗譜してません。

 旋律的練習曲は7番です。未だに曲の全容は全く理解できていませんが、それでもかなりミス少なめで吹けるようになりました。読譜が追いついていない箇所では、まだまだミスってしまいますが、そうでないところは何とかなっちゃっています。フルートの練習も大切ですが、読譜をもっとちゃんとしておかないと合格できません。

 40リトルピーセズは、37番のバッハのムゼッテは合格しました。やったね、次は38番、ヘンデルのブーレーです。頑張りましょう。

 今回の雑談はスマホの話です。昔の携帯電話はパソコンありきの部分がありましたが、今のスマホは、特にパソコンとの連携が不要になりつつあります。

 今回の先生の悩みは、スマホの機種変更をする事にしたのだけれど、次のスマホはあれこれ自分で設定しないといけないそうなのです。それで、まずはスマホを乗り換える前に、今のスマホのバックアップをどうしましょうか?って悩まれているわけです。

 先生の場合、Wi-Fiを使ってクラウドにバックアップするようなのですが、ここで困ったのは、先生の環境にはWi-Fiが無い事なのです。先生は基本的に無線を信用していない人なので、自宅にはWi-Fi環境を作っていないのだそうです。基本、ワイヤードな人なのです。

 パソコンなら、それでもいいのでしょうが、スマホはねえ…。黒電話じゃあるまいし、今どきの電話は無線が当たり前でしょ? なので「どうしたらいい?」と相談されても、私も困っちゃいました。先生の場合、仕事上の大切なデータもたくさんあるらしく、野良のフリーWi-Fiは使いたくないみたい(私だってイヤです)なので、どこか信用できる施設のWi-Fiを借りて作業を継続するのがいいんじゃないですかという、当たり障りのない答えしか出来ませんでした。

 私の場合は、iTuneのユーザーなので、音楽データの入れ替えの度に、スマホ(iPhone)のデータをパソコンにバックアップをしているので、特に困っていません。

 でもね…。

 数日前から、iPhoneのOSのバージョンアップのお知らせが届き、何度やってもバージョンアップに失敗するという事態が続いていました。トラブルシューティングを見て、パソコンのOSのバージョンを最新のものにしてみたり(Windows Updateでチェックしても、実は最新バージョンにはならないのですね。私の場合、1年くらい前のバージョンが最新扱いされていました。なので、マイクロソフトのホームページを潜って探して、最新版にしてみました)、ケーブルを新しいものに変えてみたり、あれこれやってみたのです。

 それでも必ずバージョンアップに失敗しました。

 ここまでパソコンを介在させて、iTune経由でのバージョンアップをしていたのですが、パソコンを介在させるのを止めて、iTune本体だけでバージョンアップをしてみました。そしたら…すんなりバージョンアップしちゃいました。今までの苦労はなんだったのかという思いです。

 もはや、スマホとパソコンは連携させないで使った方が良いのかもしれません。ちなみに、スマホを無事にパージョンアップしたら、自動でアップルウォッチの方もバージョンアップされてしまい、いきなり電話と時計の使い勝手が変わってしまって、びっくりしてしまいました。

 もしかすると、時代に取り残されつつあるのかな? 私。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 クラシックブログ フルートへ
にほんブログ村

2020年11月12日

帝国劇場で「Beautiful」を見てきました

 表題の通り、帝劇でミュージカル「Beautiful」を見てきました。公式ページはこちらです。

 「Beautiful」は、キャロル・キングのバイオミュージカルで、アメリカではかなりのヒット・ミュージカルで、現在(wikiの)ブロードウェイのロングラン公演の一覧では、歴代28位で、あの「アニー」や「ラ・マンチャの男」よりも上位にランキングされています。

 バイオミュージカルというのは、最近の新しいタイプのミュージカルの事で、昔のポップス歌手の人生を題材に、そこに彼らのヒット曲を加えて、ミュージカルとして再構成した作品です。日本でも(映画ですが)クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」とか、エルトン・ジョンの「ロケットマン」などが有名です。

 配役は以下の通りです。

キャロル・キング:平原綾香
ジェリー・ゴフィン:伊礼彼方
シンシア・ワイル:ソニン
バリー・マン:中川晃教
ドニー・カーシュナー:武田真治
ジニー・クライン:剣幸

 使われる音楽は、キャロル・キングの単独作品(主に「つづれおり」から)はもちろん、彼女の歌手デビュー前の専業作曲家(ゴフィン&キング)時代の作品や、もう一組の主役である、バリー・マン&シンシア・ワイルの作品等々と、1960年代のアメリカン・ポップスのオンパレードって感じです。

 とにかく、音楽的には、ほぼ満点のミュージカルです。

 で、これらを歌う歌手たちが素晴らしい。もちろん、主役を歌う平原綾香がめっちゃめっちゃ凄いのはもちろんです。彼女の歌を聞くだけでも、お値段以上の価値があると思いますが、それに輪をかけて素晴らしいのは、色々な歌手の役を演じて歌っている、アンサンブルの方々です。

 ミュージカルでアンサンブル歌手の仕事と言えば、無名や黙役の脇役であったり、群衆として合唱を担当したりが主なのですが、このミュージカルでは、アンサンブルの方々が、いろいろな歌手たちの役(シュレルズとかライチャス・ブラザーズとかドリフターズやシフォンズとか)をやっていたりするので、合唱はもちろんですが、ソロもたくさん歌います。これがまた素晴らしいのです。

 とにかく、歌、歌、歌って感じの歌ミュージカルなのです。

 じゃあ、お芝居はどうでもいいのかと言えば、決してそんな事はないし、私が驚いたのは、平原綾香の芝居が上手いことです。平原綾香にはお芝居のイメージは全然ないし、私も歌はともかく、芝居は期待していなかったのですが、いえいえ全然そんな事はありませんでした。芝居も水準以上でした、いやあビックリ。

 ミュージカルですから、全編日本語で歌い演じられていますが、今回の訳詞は湯川れい子氏が担当されていますので、実に自然でいい感じです。

 あと、コロナ対策ですが、入場の際の体温測定とアルコールによる手指消毒。ロビーのソファーが間隔を開けて座るようになっている事と、退場する際に分散して順序よく退場する事…ぐらいかな? お客さんには観劇中であってもマスク着用のお願いが出ていました。そうそう、売店がグッズ販売に熱心ではなく、通販での購入を勧めていましたね。グッズ販売は大切なのに…ねえ。

 客席に関して言えば、一階席は間を空けずにみっちりと販売されていました(し、ほぼ満席でした)し、二階席は、コロナ怖い人向け(?)でしょうか、こちらは一つ空きで販売されていました(けれど、こちらもかなり埋まっていました)し、ロビーはいつものように人でごった返していました。

 舞台の方は、出演者たちは、マスクもファイスガードもせず、普通に近い距離で歌い演技し、抱き合いキスしていました。つまり、コロナ禍以前の演出のままでした。まあ、愛する二人が抱き合ったりキスするのは当たり前でしょ? それを距離を取って離れていたり、全く触れなかったり…の方が演出としては変なのです。コロナ禍以前の演出で、ほぼ一ヶ月、毎日毎日舞台を務めるのだから、出演者の方々はもちろん、スタッフの皆さんにも、厳しく摂生された生活が求められているのだろうと思います。公演中、感染者を出さずに公演を続けている事に、私は彼らのプロ意識を感じました。

 あと、バンドはオケピではなく、舞台裏にいました。また、舞台上には常にピアノが置かれ、曲によっては、出演者たち自らがピアノを弾いて、弾き歌いをしていたり…と、音楽寄りの舞台でした。

 とにかく、60年代のアメリカンポップスが好きな方にはお勧めのミュージカルです。ほんと、楽しくてすごいのよ。日本では無名なミュージカルですが、実になかなかすごいミュージカルですよ。

蛇足 ソニー・ピクチャーズがこのミュージカルの映画化の権利を買ったそうです。まあ、権利を押さえただけで、まだ具体的な製作には取り掛かっていないそうですが、もしも映画になったら、楽しいなあって思います。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | 歌劇

2020年11月11日

今が、次のジャンプへ向かって力をためている最中ならば、本当にうれしいことです

 声楽のレッスンの続きの続きです。

 長い長いコンコーネのレッスンが終わったら、ようやく歌に入ります。歌は、フロトー作曲の「M'appari Tutt'amor/夢のごとく」です。

 この曲は、歌うのに結構苦労します。最後の数小節を除けば、基本的に歌う事自体には苦労がありません。その代わり、徐々に疲労がたまっていき、しんどくなっていくのです。昔なら、途中で声が無くなってしまっていたと思いますが、さすがに最近の私では、この程度の曲で声が無くなる事はありませんが、それにしてもしんどいはしんどいのです。

 それが今日は、嘘のように楽に歌えたのです。これだけしっかり発声とコンコーネをやったおかげなのでしょうね。クチから声がほとばしるかのように、楽にバンバンと歌えちゃいます。自分でもびっくりしちゃうくらいなのです。

 難しい高いAやBも、“LO-O”で軟口蓋を上げていくやり方で歌っていくと、高いAは確実に出せるようだし、高いBも声がひっくり返る事もないし、博打の勝率が上がります(笑:この曲の高いBの発声はとっても難しいと思います)。

 とにかく、声は押しちゃダメです。高い響きで楽に歌います。高音域は、声帯を引っ張るのはもちろんですが、軟口蓋を上に上げる(上アゴを開いていく)事で、歌っていくと、かなり世界が変わっていきます。

 私自身の自覚はあまり無いのだけれど、先生がおっしゃるには、発声面に関して、今の私は階段を一つ登っている最中なんだそうです。この調子で、あと少し前に進むと、また一段高みに登れるようなのです。

 「自分で、分かりますか?」

 困った事に、分かりません(笑)。

 ただ、軽く歌うってのが、勢いの問題ではなく、声の響きの場所の違いだなって分かり始めたところだし、その響きの高い低いって、リアルに頭蓋骨の中のポジショニングの高い低いであるんだなあって思うようになったし、ちょっぴりずつだけれど、歌う時に自然と腹筋が使えるようになってきたなあって感じているし…そういう細かな小さな事が分かってきたり、出来るようになってきたのは事実です。それらの積み重ねで、アマチュア歌手として次のステップへ登っていけるのなら、それはとてもうれしいことです。

 なにであれかんであれ、この歳になっても、まだまだ成長とか上達とかが可能であるなら、それは天にも昇るほどの喜びなんです…ね。

 今が、次のジャンプへ向かって力をためている最中ならば、本当にうれしいことです

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ

にほんブログ村

2020年11月10日

コンコーネでレベル上げをしています

 声楽のレッスンの続きです。コンコーネ3番の次は5番です。

 最初はハミングで歌い、次は“LO-O”で歌います。これはフレーズの最初だけ“LO”で歌って、その後の音は“O”で歌うという歌い方です。まずは、音程に合わせて、息を吐く量を変えていく練習をしました。

 と言うのも、息をしっかり支えるのに一生懸命で(高音は良いのですが)中低音は息を吐きすぎてしまい、声がうわずり、中低音が安定しない原因になっているようです。考えてみれば、これってフルートも同じで、高音は速い息が必要ですが、中低音になるに従って、息を吐く量を減らし、速度を遅くしないといけないわけです。結局、歌もフルートも同じ…ってわけです。

 結局、低い音程では、高い音程ほど息を必要としないのです。必要としないと言っても、全く不要なわけではなく(そりゃあそうだ)、息の支えを抜いて良いわけではありません。息はしっかりと支えたまま、ただただ吐き出す息の量を減らし、吐き出す息のスピートを遅くしていくだけなのです。うわあ、難しい。

 当然、息を吐く量が減るので、音程が低くなるほど、音量が減っていきます。五線よりも低い、ドとかシになると、自分では声を出している感覚はなくなり、ただただノドが振動しているような感覚になりますが、それで良いのだそうです。大切な事は、聞こえる音量で歌うのではなく、正しい発声方法で発声する事です(ちなみに、自分の感覚では声は出ていないのですが、低いドやシであっても、客観的にはきちんと声は出ているそうです)。

 今は正しいやり方を身につけていくのが目的なのです。

 それに正しい発声で歌うと、声は自分から離れていきますから、自分では声が出ていないように感じることもあるようで、自分では声が出ていないような気がするからと言って、ノドで声を押しては元も子もないので、自分では聞こえないとしても、客観的な他人の意見を聞くことが大切なのです。

 さて、次は再び軟口蓋を上げる練習をしました。最初の“LO”は普通の声で、次の“O”は、そこから軟口蓋を上げた声で歌います。これが難しい、やたらめったらに難しい。そもそも私は軟口蓋を上げる感覚が不確かなのです。見えない上に感じられない軟口蓋を上げて歌う…いやあ、難しいです。

 最初のうちは軟口蓋を上げたつもりで、うっかり声を奥に引っ込めてしまい、ダメの連続でした。そこから少しずつ修正して、声を前に出しながら、徐々に軟口蓋を上げられるようになりました。ま、本当に上がっているかどうかは自分では結局分からなかったのですが、声を聞いて先生が判断しているので、たぶん大丈夫でしょう。それにしても、“LU”や“LO”での軟口蓋を上げて歌うのも難しかったけれど“LO-O”も難しいです。

 「これで軟口蓋が上がるという感覚が分かったはずです」と言われましたが、正直、まだ半信半疑の状態です。分かったのかな? まだ分かっていないのか? 記憶と体感が密着してませんね。次回のレッスンでもう一度同じ事ができるかしら? 不安不安。

 それにしても、コンコーネってキツイね。先生がおっしゃるには、コンコーネは、ただ歌うだけではあまり意味がないそうです。きちんと目的(歌のテクニックの修得ですね)をもって歌わないとダメで、一つ一つ発声する度にそれを確認しながら歌うのが良いのだそうです。だから、音域的には低めで楽に歌えるのが良いのだそうです。テノールの私に中声用を使うのは、中声用だと楽に発声できるからで、コンコーネは高音修得のためのエチュードではなく、声楽技術獲得のためのエチュードだから、低いくらいでちょうど良いのだそうです。ちなみに、先生はバリトンなので、イタリアでコンコーネを学んだ時は、中声用(本来はこれがバリトン用です)ではなく、低声用で学んだそうですし、今でも自分でコンコーネをさらう時は、低声用でさらっているんだそうです。まあ、そういうモノなのですね。

 あと、コンコーネはまだやりますか?とも確認されました。「もちろん!」と答えましたが、先生的には少々不安(?)のようなのです。と言うのも、今まで趣味のオトナの人にコンコーネを教え始めると、最初こそ乗り気でも、やがてみんな歌を辞めちゃうんだそうです。おそらく「自分が歌いたいのは、○○(曲名)であって、こんなつまらないエチュードじゃないんだ」とでも思うのでしょうね。まあ、そういう人の気持ちが理解できないわけではありませんし、私だって歌が歌いたいという気持ちが無いわけじゃないです。

 でも、私に関しては、そういう心配は不要です。私は基本オタクなので、こんな感じでテクニックを追求したり、レベル上げのための作業をするのは、嫌いじゃないんですよ。

 そう、コンコーネって、私にとっては、レベル上げのためのミッションみたいなモンなんですよ。なので、歌を歌う時間が多少減ったとしても、その分、自分のレベルが上がれば、全然無問題なのですね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2020年11月09日

よく分からないけれど、軟口蓋が上がったみたいです

 声楽のレッスンに行ってきました。

 この日の私は、腰が痛くて、アゴが痛くて…天中殺だったのかな? なんか、あまり良くない状態でした。腰が痛いのは発声に負担がかかるので良くないのですが、だからと言って何が出来るわけでもありません。我慢するだけです。

 アゴが痛いのは、ちょっとマズいです。後日、医者の診断を受けたのですが、どうやら私は顎関節症になったようで、クチを開くと顎関節がガクガク言って、違和感と微小な痛みがありました。

 アゴが痛いですと先生に伝えたところ、アゴに負担を掛けるのは良くないので「あまりクチを開かずに歌いましょう」という事になりました。クチを開くのはアゴには負担がかかるからね。

 一番アゴに負担が掛かって良くないのは「ア」母音なので、この日のレッスンでは、普段は「ア」で色々とやるところを、それをすべて「オ」に変えてやることにしました。「オ」なら、そんなにクチを開かずに歌えるからね。

 まずはいつも通りハミング練習からです。ハミングの際、響きを意識して、いつも響きを高め(目のあたり)に置くこと。そのためには、腹筋の支えをしっかりとして、息を目まで届かせること。こんな事、以前は全然出来なかったのに、最近は、ちょっと出来るようになりました。それでもまだまだ息の到達する高さが低いのが残念です。

 発声練習も、腹筋に注意しながら、しっかりと息を吹き上げる事。息がしっかりと支えられていると、音程も安定します。その時に、ちょっとでもノドに力が入ると、音程がフラットしてしまいます。ノドは楽にして、息の勢いと声帯の張りで音程を作るようにするのが良いみたいです。そのためには「大きな声で歌わないといけない」という意識を消し去るのが必要みたいです。もちろん、大きな声で歌わないといけないのだけれど、大きな声で歌おうとは思わないまま、自然と大きな声で歌っている必要があります。

 一見、禅問答みたいですが、全然そうではなく、もはや私は、意識せずともデフォルトで大きな声で歌えているので、改めて大きな声で歌おうなんて意識は必要ないので、むしろ大きな声で歌おうと思うことで生じる力みをなくす方が、とても重要なのです。

 意識するのは、大きな声で歌う事ではなく、しっかりと支えられた声で歌うことなのです。

 そんなわけで、コンコーネです。まずは3番を“LU”で歌います。

 歌う際に“L”の音高を十分高くしておきます。音程はその音符に付いている母音の高さであり、本来の子音はノイズなので音程については考えなくてもよいのですが、ここは歌ですし、“L”は有声子音なので、まずは“L”を楽譜で書かれた音程と同じ高さで発声します。例えば、楽譜にドと書かれていたら、母音を発声する前に“L”の音程をドまで上げておきます。それから“U”をドの音程で発声するわけだけれど、その際“U”は“L”よりも高く、あたかも“L”の上に乗っかるような感じの音程で歌わないといけません。なので“L”を出したら、すぐその上から“U”を被せていくような感覚で歌っていきます。

 でも私の場合は、せっかく“L”をドの高さで歌えても“U”が“L”の上ではなく、下になってしまうのだそうです。もちろん、この際の“L”も“U”もドである事には間違いがないのだけれど、“L”と“U”を比べると、微妙に“U”の方が低いわけで、聞いていると子音に母音がぶら下がっているように聞こえるわけです。これは子音のみの発声から母音を発声する際に、ノドが下に開いてしまうのが原因なのだそうです。つまり、喉仏が下に下がっちゃうんだね。これがダメみたいです。ノドが下に開くばかりでは、母音が下に付いてしまうし、音程も微妙に下がってしまうのです。

 子音のみの発声から母音を発声する際に、ノドが上に開くのが良いのだそうです。つまり、下アゴを下げるのではなく、上アゴを上げていく感覚です。具体的に言えば、軟口蓋を上に上げて母音を発声するわけです。

 というわけで、軟口蓋を上に上げる練習をしました。自分なりに軟口蓋を上げてみると…声が後ろに引っ込んでしまいます。軟口蓋を上げるつもりで、その実、軟口蓋はあまり上がらずに、ただ声が引っ込むだけです。軟口蓋を上げる事で、声はむしろ前に出ないといけません。軟口蓋は自分では見えませんし、軟口蓋が上に上がっているかどうかの感覚すら自分には分かりません。ただただ試行錯誤をしながら発声をし、先生からのアドヴァイスとその時の自分の感覚を頼りに、軟口蓋が上がる感覚をつかんでいきます。

 何度か先生からのOKをいただいて、不確かながらも、これが軟口蓋を上げる感覚なんだと思ったわけだけれど、なんか確実性を感じられません。この感覚は、きっとすぐに忘れてしまいそうで怖いです。

 でもでも今まで全くできなかった軟口蓋を上に上げるという動作を、先生の補助付きとは言え、どうやらできたようなので、一歩前進です。

 “LU”で軟口蓋が上がるようになったら、次は“LO”で歌いました。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2020年11月08日

いくら流行りだからと言って…

 先日、通勤用のコートを買い替えました。昨シーズンまで着ていたヤツをクリーニングに出したところ、クリーニング屋から「こんなボロいのをクリーニングに出すんですか、お金もったいないです」という主旨(実際は、もっと丁寧な口調だったのはもちろんです)のお返事をいただき、改めて我がコートをつぶさに見たところ…ああ、確かにボロくなっているなあ。このコート、5年くらい着ているもんなあ、冬場は雨の日も晴れの日も毎日着ていたもんなあ。

 仕方がない、買い換えるか。

 というわけで、行きつけのデブ専用の衣料品店に行きました。私くらいのサイズになると、普通の店では着れる服なんて売ってないので、服はオーダーメイドにするか、デブ専用店で売っている既製品をチョイスするか…ぐらいしか選択肢がありません。今回は防寒用のコートなので、わざわざオーダーして作る必要もないだろうと考えて、既製品を買いに行ったわけです。

 店に行ったところ、昨今の風潮の影響でしょうか、店舗面積が少し狭くなっていて、輸入衣料の取り扱いを止めていました。品揃えもだいぶ貧弱になっていて「ああ、儲かっていないんだな」という雰囲気が漂っていました。オシャレって余裕がないと出来ないものね。今のコートは日本製ですが、その前のヤツはイタリア製でなかなか良かったので、今回もいいのがあればイタリアのコートを買おうと思っていたので、輸入衣料の取り扱い中止は、何気に残念でした。

 店に入り、ビジネスコートのコーナに行ってみたら、あんまり品がありません…ってか、ほとんど無いんですよ。輸入衣料を止め、日本製だけに品を絞ったにしても、ちょっとこれはひどくない?

 こりゃあひどい、別の店に行こうか…と妻と相談していたら、店員さんがサッとやってきて「ここからここまでがコートの売り場ですよ」と示して、さも品揃えが良いでしょって顔をしましたが…そのコーナに置いてあるのは、どう見てもカジュアル系の服ばかりだったんです。

 私が難色を示していると、今の流行りは、フォーマルにもカジュアルにも、両方に通じるデザインなんですよと店員さんは言うわけです。そうなの? 私の目で見ると、大半のコートがカジュアルに振り切っているように見えるんですけれど…。少なくとも、アクセントとして腕に鎖が付いているような緑色系のコートは、フォーマルでは着れないと思うのだけれど、私の感覚が古いのかな?

 それでも店員さんはめげずに、私が好みそうな、いかにもビジネスっぽいコートを探して持ってきます。で、試着してみろというわけです。

 試着してみると、どれもこれも丈が短いのです。せいぜい腰ぐらいまでしかなくて、まるでジャンパーを着ているかのような感じです。これのサイズって、ショートコートって言ったっけ? 私が欲しいのは、ロングコートなんだよね。妥協するにしても、せめてハーフコートじゃないと、寒くて歩けないでしょ?

 店員さん曰く、今は丈が短いのが流行りなので、どれもみんなこんなサイズなんですよ…と言うわけです。なので「流行りの服が着たいわけじゃない、自分が着たい服を着たいだけなんだ」と言い返してやりました。実に嫌な客です(ごめんね)。

 ここはデブ専用の店なのに、いくら流行りだからと言って、丈の短い服を売るなんて、ちょっとセンス的にどうかと思いました。だって、デブさんたち、特に背の低めのデブさんが、丈の短い上着を着たら…ダルマさんにしか見えないじゃい(笑)。デブ服の基本は、縦のラインを強調する事でしょ? デブに丈の長い服を着せるのは最低限のお約束じゃない? 専門店なのに、そこんとこが分かっていないってのは、実に残念です。

 やがて私がロングコートを所望している事が伝わると、店員さんがどこからかロングコートを持ってきました。探せばあるじゃん…って感じで、さっそく着てみたら、それはサイズ的に厳しかったです。なんでも、これらのコートは、デブ用ではなく、普通サイズを大きくしただけの服なので、デブの体型にはあまり合っていないんだそうです。サイズ的には普段着ている服のサイズ(私はだいたい3L〜4Lを着てます)と同じなんだけれど、なんかちょっと厳しい。やはり、普通サイズの拡大版では、デブには厳しいのかもしれません。

 …ってか、普通サイズならロングコートも置いてあるわけ?

 そうこうしているうちに、今度はバックヤードから何着かコートを持ってきました。どれもロングコートでした。今度のはデブ用なんだそうです。実はお店に丈の長いコートもあるじゃん。ただ、流行りじゃないからって並べていなかったわけだね、いやあ、粘ってみるもんだね。

 ってわけで着てみたら、今度はなんだか大きいです。聞けば、サイズは8Lなんだって。うひゃあ、それは大きすぎますね。丈的にちょうど良いし、ボディの部分はかなり大きいけれど、中にあれこれ着込めば、これはこれでアリだけれど、そでが長すぎます。ほぼ、ハタ坊か扇ちゃんだよ。せっかくだけれど、これは無しだね…と言ったら、袖丈は直してくれるんだそうです。袖口をカットするのか思ったら、そうではなく、一度袖を肩から外して、切って短くしてから、それを再び縫い合わせて、袖丈を直してくれるんだそうです。かなり手間暇がかかる直し方なんだね。

 たぶん、このコートもショート〜ハーフサイズぐらいのコートなんだと思います。ただ、このコートは8Lなので、本来3Lサイズの私が着ると、ロングコートぐらいの丈になる…って話なんだと思います。3Lの人間に8Lの服を持ってくるなんて…店員さんの機転だよね。

 正直、それでもまだ「うーむ」とは思ったものの、この店員さんの熱意に半ば負けました。何としても逃さない。せっかく着た客を手ぶらで返してたまるものかと思いが、ひしひしと伝わってきます。これだけのオーラを出されたら、そりゃ断るわけには行きませんね…結局、このコートを買いました。紳士用のコートなんて、いくら既製品とは言え、10万円近くもするわけで、決して安い買い物じゃないのに、根負けして買っちゃうなんて、勝ち負けで行ったら、今回は私の負けです。

 これから数年は、超デブ仕様のコートを着て出勤する私です。コートなんて、ぶかぶかでも大丈夫だよね。

蛇足 むしろ問題なのはサイズが大きい事よりも、きっちり防寒仕様になっている事の方かも。とにかく、新しいコートは生地が分厚くて、それだけ着ているだけでも十分暖かいです。さらにふかふかのインナーが付いているので、これを付けるともう無敵です。私はデブなので暑さに弱く、すぐに汗を大量にかいてしまいます。本当に寒い日じゃないと、このコートを着るだけで、汗まみれになりそうです。今までのコートって、ほんとペラペラだったもの。それでも、結構暑さを感じていたのに、こんなにきちんとした防寒仕様のコートなんて、着る機会があるのかな? もしかすると、薄めのコートが別に必要かも…。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | ダイエット&エッセイ

2020年11月07日

ネコにマタタビ、金魚に焼き芋?

 夏も過ぎ、焼き芋のシーズンがやってきました。

 ウチの金魚たちは焼き芋が大好物です。特に、ホクホク系よりもねっとり系が大人気です。ねっとり系の焼き芋を水槽に入れた日には…そりゃあもう、大騒ぎです。

 まず、金魚たちの動きが3倍増しになります。日頃、あんなにのんびり優雅に動いている金魚たちが、まるで普通の魚のような動きをするのです。ほんと、ビックリです。

 グルグル回ります。とにかく、日頃とは全く違った動きをします。取り乱している事が手に取るように分かります。特にシズカは、あの巨体をまるでドリルでトンネルでも掘るように、グルグル回りながら直進して、他の子たちを蹴散らしていきます。お前、そんな動き、出来たんだ!

 一口くわえたら、そのまま焼き芋を持って移動して隠します。よほど独り占めしたいのでしょうね。主にシズカですが、芋を持ち運んで、物陰に隠すんですよ。もっとも、隠し方が下手なので、すぐにアセビやナツキに見つかってしまいますし、隠し場所を自分が忘れてしまって、慌てている様子もなかなかかわいいです。

 焼き芋の上に乗ります。芋の上に乗っかってもぐもぐします。主にシズカですが、他の子たちに取られないように、あの巨体を芋の上に乗せて、芋を独り占めしようとします。もっとも、そんな事をしても、結局、他の子たちに力づくでどかされていますが(かなり弱っちい)。

 そんなわけで、焼き芋を水槽に入れると、日頃見られない金魚たち(主にシズカ)の不思議な行動が見られるわけです。それにしても、金魚って、そんなに焼き芋、好きだったんだね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(2) | 金魚

2020年11月06日

現代フルートの標準はゴールドなのかもしれません

 そもそもフルートという楽器は、そもそも横笛です。原初のフルートは、動物の骨(もものあたりの太くて長い骨)であったという説もありますが、そこまでさかのぼると、さかのぼり過ぎの感もなくは無いです。一般的は、ルネッサンス時代に使われていた木製の横笛を現在のフルートの原型と考えるのが妥当でしょう。

 最初は、木製の管体に穴のあいた、今の小学生が使っているリコーダーのような楽器だったと思いますが、やがてキイメカが付くようになり、その数も徐々に増え、やがてすべての半音演奏が可能となりました。これがバロック時代のフルートです。

 19世紀の半ばに、テオバルト・ベームによって金属製のフルートが作られるようになり、それが現代フルートの誕生であると言われています。

 ベームが作った金属製のフルートの材質は銀でした。銀は柔らかくて、重量もそこそこあったので、フルートの材質として選ばれたわけです。すでに楽器製作の金属材料としては真鍮が一般的でしたが、ベームはあえて真鍮を選ばずに銀を選んだわけです。その理由は…私は知りません。知っている方が教えて下さい。私が思うに…真鍮は金属としては硬いので、ベームは硬い金属である真鍮を避け、柔らかい金属である銀を選んだのかな?とか考えますが、当ってますでしょうか?

 というわけで、ベーム以来、標準的なフルートは銀製となったわけです。ただ、フルートが銀で出来ていると、結果として高価な楽器になってしまうため、洋銀や真鍮で作られたフルートも廉価版として販売されますが、それでも楽器としての標準の地位は、銀製のフルートでした。

 それが変わったのが、ベームから約100年たった20世紀の中頃でしょうか? それまで銀が主流だったフルート界に金のフルートが登場し、プロを中心として徐々に金のフルートの使用者が増えてきました。21世紀になった今、プロの大半が、またハイアマチュアの相当数が、金のフルートを愛用するようになりました。

 現代フルートの標準は、もはや金製のフルートなのかもしれません。

 金のフルートは、銀のフルートと比べると、若干、質量が重くなる傾向があります。楽器が重いために、強い息でも音が割れず、大きめな音で鳴らす事が出来るようになるわけで、大きな会場で演奏する事が多い現代フルーティストたちのニーズにかなった楽器なのかもしれません。

 私自身は、当分の間、銀のフルートを吹き続けるつもりですが、私の前にレッスンを受けている姉様がゴールドフルートに持ち替えたのを見て、今の時代の標準フルートは金のフルートなんだろうなあって思った次第でございます。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 クラシックブログ フルートへ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(2) | フルートのエッセイ

2020年11月05日

日本人は同時にたくさんの音がしているのが好き?

 クラシック系の歌が好きで、自分でも歌おうと思うと(私もそうだったけれど)合唱団への加入を考えます。いきなり一人で歌おうとは思わないわけだ。

 器楽もそうで、楽器を学び始めると、やがて吹奏楽団とかアマオケとかの団体に加盟したくなります。そのままソリストを目指す人って、まあいないよね。

 聞く方もそうで、いわゆるクラオタと呼ばれる人の大半は、オーケストラ音楽が大好きです。ベートーヴェンの交響曲は言うに及ばず、マーラーとかブルックナーとかの大編成オーケストラの音楽を嗜むようになると“上級者”ってイメージになります。交響曲は人気だけれど、同じオーケストラ音楽でも、協奏曲(ソロ楽器+オーケストラ)が好きな人ってなると、だいぶ数が減りますし、ソナタ(ソロ楽器+ピアノ)となると、もっともっと少なくなってしまいます。

 例外的なのはピアノ人気で、ピアノはソロで弾いても、オーケストラと共演しても、大人気です。まあ、ピアノは底辺が広いから人気の頂上も高いんだろうなあって思います。

 ポピュラー音楽の世界だって、考えてみれば「○○48」とか「○○46」とか、学校の1クラスよりも多い人数のグループの人気は高いし、そうでなくても、5〜10人程度のグループはたくさんいます。私が子どもの頃は、アイドル歌手ってソロ歌手でしたが、今のアイドルはたいていグループです。いや、アイドルに限らず、いわゆるアーチストと呼ばれる人たちも、今は大半がバンドです。バンドってグループだよね。

 つまり、これらの事から「日本人は音楽をするのも聞くのも、ソロは嫌いで、アンサンブル音楽が好き」という結論が出そうですが…本当にそうなの? と言うのも、ならばピアノ人気はどうやって説明する?

 私が思うに「日本人は同時にたくさんの音がしているのが好き」なんじゃないかって思うのです。つまり、みっちりとした分厚い音が好きで、空間を感じさせるような音が嫌いだと推察します。

 とにかく、歌でも楽器でも、同時にたくさんの音が鳴っているのが好きなんです。だからソロよりもアンサンブルが好きだし、小さな演奏団体よりも大きな演奏団体の方が好きなのです。ピアノに関して言えば、楽器も奏者も一人であっても、同時に鳴り響く音は案外多いのがピアノです。

 逆に言えば、奏者が少なくて、演奏に隙間や空間が感じられるような音楽は苦手なんだろうと思います。だから、奏者の数は同じでも、電気の力で音圧を上げて隙間なく演奏できるロックは日本でも大人気ですが、音の隙間は隙間のまま演奏してしまうジャズは、さほどの人気が出なかった…と思います。

 たとえ音楽と言えども、少しの隙間であっても埋めていきたい。みっちりした芳醇な音楽の世界を日本人は好む…と言えます。

 ただね、これは戦後のあたりからの傾向かな?って思います。あるいは日本にいわゆる“洋楽”が入ってきたあたりかも? と言うのも、昭和の在来の音楽(歌謡曲とか演歌とかね)は、まだまだ案外、音楽に隙間があったんだよね。昭和どころかもっともっと逆上ればのぼるほど、日本の音楽には隙間がありました。江戸時代の義太夫なんて、だいぶ隙間があります。平安時代の雅楽になると…隙間だらけです。

 つまり、割と最近までの日本の音楽は程度の差こそあれ、隙間のある音楽が好まれていたのに、最近になって隙間のない音楽が好かれるようになってきたというわけです。

 なぜなんだろ? 日本人の音楽の好みが変わったから? それとも、本来日本人は隙間のない音楽が好きなのに、昔はそういう音楽を演奏できなかっただけで、最近はようやく隙間のない音楽を演奏できるようになったので、好みがもろに分かるようになっただけとか? 単純に西洋かぶれで欧米的な隙間のない音楽を良しとする風潮になってきたのか?

 この問題については、もう少し考えてみたいと思います。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | 音楽一般

2020年11月04日

生声で歌ってはいけないと言うけれど…

 かつて某合唱団にいた頃、私は色々な注意を受けました(なにしろ初心者かつ下手っぴだったものです)が、その中で今でもよく覚えている注意に「生声で歌ってはいけない」というのがありました。

 生声とは何かという話ですが、一般的には地声と言われる声で、普段の生活で使っているような声の事です。

 生声がダメなら、どうすれば良いのかと尋ねれば「生声ではなく頭声で歌え」って言われていました。この場合の頭声とは「喉仏を下げて、声に響きを付けて歌うこと」と言われました。ちなみに、この用語は、この団特有の言い方だろうと思います。ここで言われる、生声とか頭声の定義って、一般的なそれとは違うような気がしますが、ここではそのあたりはスルーしてください(お願い)。

 今の私が見ると、用語の正しさはともかく、なぜそう言っていたのかという意図は分からないでもないです。

 生声がダメ…は、そりゃあ話し声のまま歌うのでは、声に色艶が乗らないし、団員の声の違いが目立ってしまいます。声の違いを目立たせなくするには、同じような音色の声にしてもらう必要があるわけで、それをこの団では頭声と呼んでいる、下に掘った声(一種の作り声)で音色の統一を図っていたのでしょう。

 下に掘った声なので、頭声というよりも胸声に近いんじゃないかというツッコミは予想されますが、そこはスルーしてください。でも、個性豊かな音色の声が同じ方向の音色に揃えられるという利点はあります。それに、喉仏を下げるという指導は、マネもしやすく、自習もしやすく、また指導もしやすいという利点もあります。いかにも市民合唱団向けの指導だと思います。

 生声はダメと言いつつ、実は地声はOKなのです。と言うのも、女声は裏声で、男性は地声で歌うのが基本とされていたからです。この場合の地声とは「裏声ではない声」程度の意味だろうと思います。それらの裏声や地声を出しながら、喉仏を下げて頭声にして歌うのが、この団の理想とする発声方法のようでした。

 まあ、ここまでの発声方法に色々とツッコミをしたい人がいる事は理解します。何度もお願いしますが、そこはスルーしてください。

 でもこうやって、簡単な指導で、団員の音色の統一を図っていたわけです。

 私もこの団に短期間ですが、所属していたので、喉仏を下げるのは比較的得意ですよ。と言うか、一時期は、歌おうとすると、無意識に喉仏を下げて、下に掘った声で歌いがちでした。今でもうっかりするとやってしまいます。ダメですね。

 声を過度に下に掘ると、声が重くなるし太くなってしまいます。当然、高音は出づらくなります。まあ、多くの市民合唱団がレパートリーとする曲の、ソプラノパートやテノールパートって、驚くほど音程が低い(私の感覚で言えば、テノールはバリトン並の音域で、ソプラノはメゾソプラノ〜アルトの音域な)ので、多少高音が出づらくても問題はないので、大丈夫なのでしょう。

 もちろん、こういう発声では独唱は厳しいと思いますが、集団で歌う合唱なら、それなりの味のある声として、面白いと言えば面白いだろうと思います。ただ、好きか嫌いかで言えば…私はあまり好きじゃないかもしれません。

 とまあ、昔の経験をネタに記事を書いてみました。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | 合唱

2020年11月03日

何のために音楽を学ぶのか?

 オトナが趣味で音楽(に限らないけれど)を習っていると、たまに言われることです。

「一体、いい年して音楽なんて習って、どうするの?」

 さらにこの言葉には(直接言われないけれど)続きもあるようです。「…そんな暇があるんなら、もっと仕事を頑張りなさい」って感じでしょうか?

 確かに子どもの習い事なら、もしかすると将来プロになる道が開けるかもしれませんが、オトナがいくら頑張っても、今さらプロにはなれないし、そもそもそこまで上達する事もありません。ある意味「いくら熱心に音楽を習っても、何の役にも立たないし、何にもなれない」わけです。それを時間とお金のムダと考える人からすれば「一体、いい年して音楽なんて習って、どうするの?」という問いにつながってくるんだろうと思います。

 考えが浅いなあ…。

 オトナも子どもも基本的には一緒だと思ってます。

 習い事をしている子どもだって、そのほとんどはプロにはならないし、プロになれるほど上達もしません。音楽ならば、熱心に練習をして、子ども時代を音楽に捧げたとしても、せいぜい音楽大学に進学する子が出るくらいでしょ? でも、音楽大学に進学したからと言って、プロの音楽家になれるわけではありません。学校の音楽の先生になれれば上等な部類で、大半の子は一般企業に就職するか、派遣やアルバイトや家事手伝いになるのが関の山です。

 音楽大学に進学したとしても(音楽の先生になる人を除けば)先の人の言い方をすれば「何の役にも立たないし、何にもなれない」事になります。

 そうかな…?

 音楽なんて社会の役にはたたない…すごく乱暴の言い方ですが、私はその考え方について理解しないわけではありません。少なくとも、音楽はライフラインには含まれませんし、生命維持活動に不要なものです。無ければ無いでも、生きる上で大きく困る事はありません。

 そんな、不要なものを、わざわざ時間とお金を費やして、それほど上達しないと分かっているのに習うのはなぜなのが?

 それは「好きだから」です。「楽しいから」です。好きで楽しいから、時間とお金を掛けてまで学ぶわけなんです。私にとって音楽とは、いわば“精神の嗜好品”なんですね。そういう意味で言えば、タバコを吸ったり、コーヒーを飲んだり、お酒を嗜んだり…ってのと同じレベルで、音楽を楽しんでいるわけです。

 考えてみれば、趣味なんて、そんなモンでしょ? 精神の嗜好品であり、忙しい毎日の気休めであり、ストレス解消のための道具に過ぎません。それ以上でもなければ、それ以下でもないわけで、だからプロになる必要もなければ、上達しなくてもいいのです。もちろん、上達できた方が出来ないよりも、ずっと楽しいですけれどね。

 そういう意味では、オトナの習い事は幸せだと思うのです。やってて、楽しくて仕方がないわけですから。

 むしろ可哀想なのは、子どもの習い事かな? その子が音楽を好きで習っているならいいけれど、中には、音楽が嫌いで、親の押しつけで仕方なしに習っているような子もいるわけで、そんな子にむりやり音楽を習わせても、音楽が心の底から嫌いになるだけで、何も良いことはないと思うのです。楽しみというものは、他人から強制されるものではないからね。どんなに楽しげな事でも、強制された途端に、苦痛なモノになってしまうものだからね。

 なので「何のために音楽を学ぶのか?」との問いに対しては「楽しい」からと答えます。これで答えとしては、十分じゃないの?

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ

にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(6) | 音楽一般

2020年11月02日

ファルセットを混ぜて歌えばいいじゃん

 私は高音と戦い、高音発声の修得に邁進している、音楽が趣味のオッサンなわけです。そんな日々高音と格闘している私に、しばしば親切な人が現れて、あれこれアドヴァイスをくださることも多いです。ほんと、感謝な事です。中には、その貴重なアドヴァイスで目が開かれて前に進む事ができたという事もあります。

 が、その一方で、見当違いのアドヴァイスをしてくださる方もいないわけではありません。今回は、そんな見当違いのアドヴァイスの一つを取り上げて、どうして見当違いなのかを書いてみたいと思います。

 私が高音発声に苦労していると知ると、たまに「ファルセットを混ぜて歌えばいいじゃん」というアドヴァイスをいただきます。ううむ、それって発声方法が違うんだよね。

 ファルセットに息をたくさん混じえると高音を柔らかめの声で歌う事ができます。また、このやり方にプラスして、ノドを若干締めると高音でも強めの声で歌うことすらできます。つまり、ファルセットを利用することで、割と簡単に高音で歌えるようになります。

 私も、発声練習でならば、この発声方法が使えます…が、実際の曲で使おうとは思いません。なぜ思わないのか? ひとことで言えば、このやり方は、ミックスボイスとかミドルボイスとか言う、日本のポピュラー音楽系の歌手のテクニックであって、クラシック系の独唱歌手では使えないやり方だからです(クラシック系でも合唱の人はよく使います…ってか推奨されたり強制されたりします)。

 と言うのも、このやり方ではファルセットを発声のベースにするため、声量に大きく欠けるからです。つまり、ホールに響き渡るような朗々とした声には絶対にならないって事です。

 ポピュラー音楽では、歌手はマイクを使用して歌う事が大前提になっています。マイクを使うので、歌手の声量は全く問題になりません。最近はマイクの性能も良くなっていますので、歌手の声がかなり小さくても、あまり問題にはなりません。

 一方、私が学んでいるクラシック系の歌は、マイクを使用しない事が大前提になっています。マイクを使いませんから、歌手自身の歌声は大きければ大きいほど良いのです。声の小さな歌手では、歌う場所とか歌える曲とかに、どうしても制約が生じます。

 なので、クラシック系の歌手としての勉強をするならば、なるべく大きな声が出せる発声方法を身につける必要があります。

 なので、日本のポピュラー歌手のような、単純にファルセットを利用した声で歌うわけにはいきませんし、そういう発声方法を身につけるわけにもいかないのです。

 あと、私自身の好みもありますが、私は、この“ファルセットを混ぜた高音”ってのが、実は大嫌いでもありんす。自分が嫌いな発声方法を身につけるなんて、金輪際、ありゃしませんって。ポピュラー系の高音発声で歌うならば、ベルティングですね。わたしゃあ、あれが好き。どうせやるならアレがいいっす。ミュージカルの方々や、洋楽の歌手たちがよく利用しています(ってか、むしろスタンダード?)し、あれは好きな声なんだけれど、やっぱりマイクの使用が前提になるので、私は学べないよなあ…って思ってます。

 以上は男声歌手の話です。女声は男声とはカラダのつくりも違うし、発声方法も違うので、ファルセットの扱いが違うという事は知ってますが、それ以上の事は知らないので、この記事では触れません。もっとも、女声だって、単にファルセットを混ぜて歌えばいいってほど単純な話にはならないと思います…というよりも、たぶん女声の方が男声よりもテクニカルな話になってくるんじゃないかと思います。現在の女声の発声には、伝説のカストラートたちの技法が受け継がれているからねえ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ

にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | 発声法のエッセイ

2020年11月01日

当時は楽しかったのだから、まあいいやと思う事にしています[2020年10月の落ち穂拾い]

 最近、Y先生の声楽のレッスンを受けて、それを記事にすると、1回のレッスンで3つの記事になります。これはそれだけレッスンの内容が濃くて多くて、それくらいに分割しないと記事が長くなりすぎてしまうからです。思えば、キング先生に習っていた時は、1回のレッスンでは記事1つにするのがやっとだったなあ。キング先生とのレッスンは、雑談が半分だし、レッスン中も休憩ばかりで、時間の割には実レッスン時間は極端に短かったから、内容も少なかったんでしょうね。そう考えると、キング先生のレッスンって割高だったんじゃないかな?

鼻声
 実は私、昔、キング先生に声楽を習っていた時に「声が鼻声になっているから、声を鼻に入れないように」と言われて、そういう指導を受けて、声を一切鼻に入れないような歌い方になりました。

 で、今のY先生に変わった時に「全く鼻腔の響きが使えていない」と言われて、積極的に声を鼻に入れるようにしました。こう書くと、そんな修正なんて実に簡単そうですが、結構大変な思いをして修正したんですよ。で、現在、以前のように、適度に鼻にも声を入れて歌えるようになり、だいぶ歌う事が楽になり、高音も出るようになりました。

 鼻声って鼻が詰まっていて、声が鼻から抜けない状態を言います。つまり鼻声って、発声の問題ではなく、病気の話なのです。

 歌声は通常、積極的に声を鼻に入れて、クチからだけでなく、鼻からも声を出す必要があります(もちろん、クチから出てくる声の方が割合的に大なのは当然です)。つまり、病気があって鼻が詰まって声が鼻から出ていかないのが鼻声であって、健康な人の歌声は、声を鼻にも入れて、クチからも鼻からも声が出ているのが、本来の姿なのです。

 なので、鼻声のように聞こえる声ならば、病気治療をしつつ、声が鼻から抜けないのが問題なのだから、むしろ積極的に声を鼻に入れ、声が鼻から抜けるような訓練をするべきであって、鼻に声を入れないようにするのは、指導としてはダメな方向、つまり真逆な指導になります。

 この辺りの事をキング先生は理解しておらず、結果的に間違った指導を受けて、数年モノの時間を無駄にして、結果的にキング先生に習っていた期間、ほとんど上達もせず、時間とお金を無駄にしてしまった私です(でも、歌の楽しさはたっぷり教えてもらいましたので、それで良しとしましょう…と今では思ってます)。

 鼻の響き(鼻腔の響き)が使えないと、高い響きが鼻に乗りませんし、高音も出ません。ですから、声は積極的に鼻に入れていかないといけません。

 健康な人は声を鼻に入れても鼻声にはなりません。鼻声になるのは、病気の人(鼻に疾患を持っている人か、アレルギー体質で常時カラダが炎症を起こして鼻腔が腫れている人か、風邪や新型コロナに罹患して鼻腔に炎症を起こして鼻腔がふさがっている人)か、口蓋垂を動かして鼻腔への空気の流れを妨げる癖を持っている人(たまにいるそうです)ぐらいです。

 なので、たまにいる「口蓋垂を動かして鼻腔への空気の流れを妨げる癖を持っている人」以外は「鼻声です」と言われたら、発声方法を見直すよりも、まず病院に相談するべきです。私の場合は…アレルギー体質(今もそう)ですから、たいていカラダのどこかが炎症を起こしているので、キング先生に鼻声を指摘された時期は、たまたま鼻腔が炎症を起こしていた時期なのかもしれません(いつも腫れているので自覚が無いんですよ:笑)。

 ちなみに昨今は鼻腔が腫れる事はまずありませんが、その代わり、ノドが腫れる事が多くなりました。うがい薬が沁みる事も多々あります。

 閑話休題。プロの卵の中には、口蓋垂が長くて、すぐに鼻腔を閉じてしまい、そのため鼻声になりがちで、それを防ぐために口蓋垂を切除してしまう人もいるよと、以前、かかりつけの耳鼻咽喉科医の先生に言われた事があります。で、私もそれをやるべきですか?と恐る恐る尋ねたら、口蓋垂は必要があってそこにあるのだから、無闇矢鱈に切除するのは薦められないと言われました。なんでも口蓋垂を切除すると、風邪をひいた時に重篤になりやすいかもと言われました。もっとも、それ以前に私の口蓋垂は普通サイズ(つまり切除する必要なんて無い)だって言われました。

 話は横にそれますが、手術と言えば、ピアニストの場合、手の水かきの部分を切って、指を長くして、より指の可動性を高める手術を受ける人もいるそうです…が、プロとして活躍するためにはなんでもやる…っていう根性と覚悟がプロの卵たちには必要で…音楽家の道も修羅の道なんだなって思います。

もしも昔の作曲家が今生きていたら
 もしも昔の作曲家が今生きていたら、どんな活躍をしているだろうか? たまにそんな事を考えます。

 私が考えるに、モーツァルトは職業音楽家としてアイドルグループのプロデュースとかしているだろうし、ロッシーニも職業音楽家としてアニソンをバンバン書き飛ばし、ヴェルディやワーグナーは音楽家ではなく映画監督になっているだろうと思います。プッチーニは…オペラではなく、宝塚で演奏できそうな、ラブラブのミュージカルを書いているんじゃないかな? おそらく、オペラ系の大作曲家たちは、誰一人としてオペラは書いていない…というのが、私の妄想です。だってさあ、21世紀のオペラってオワコンじゃん(笑)。でも、彼らなりに才能は開花させると思うんですよ。

オペラはすでにオワコン
 ブログの過去記事をご覧いただければ分かりますが、私は「読み替えオペラ」こそがオペラがオワコンである証拠であり、オペラがご臨終状態にある事の証であると考えています。分かりやすく例え話で言えば「背広を着た老人(会社の会長?)が全国支店を巡って不正を暴く」お話を作ったとしても、それをどうアレンジしても水戸黄門にはならないでしょ?

 オペラは音楽である以前に、演劇であります。「読み替えオペラ」も一部の作品では成功していると思います(ヘンデルの一部のオペラとか、後は「椿姫」ぐらいかな)が、多くの作品では…ダメでしょう。私はそう思ってます。

 そもそもオペラが金持ちのパトロンや民衆から見放され、その代わりに制作費の不足分として税金が導入されて制作されるようになり、やがて制作費に税金が占める割合が大きくなり、税金がなければ立ち行かなくなってきました。本来巨額な費用が必要なオペラ制作が、税金で制作がまかなえるようにするために、経費軽減を目的とした「読み替えオペラ」が生まれてきたわけです。大道具を減らし、衣装を簡素化し、贅沢を抑えて、なんとかして経費を削減してでもオペラを制作しようという涙ぐましい努力の結果なのです。

 つまり状況としては、税金が入らないと成り立たないくらいに、オペラは芸能としては終わっている…のが、現在のヨーロッパにおけるオペラ上演の状況なのです。

 そもそもヨーロッパには歌劇場が多すぎるし、オペラ歌手も多すぎると思います。だから…って話は、日本人である私がするべき話ではありませんね。当事者であるヨーロッパの人々が考えればいいわけだし、オペラも彼らの文明文化の一部ですから、どうなろうとも彼ら次第…ってわけです。私はむしろ、歌舞伎の行く末の心配と(微々たるとは言え)経済的にどう支えていくべきかを考えないといけないと思ってます。

 オペラは滅んでしまって仕方ないですが、歌舞伎は今後もずっと続けていって欲しいと思ってますよ。

今月のお気に入り 百人一首で歌うコンコーネ50番
 コンコーネ50番(以下、コンコーネと略)は声楽の練習曲集です。比較的初級の人が学ぶ練習曲集です。50曲の練習曲が入っていますが、そのすべての曲に歌詞は付いていません。学習目的に応じて、適当な音を付けて歌ってくださいってわけで、多くの人は、階名で歌ったり“La”とか“Ma”とかで歌ったりします。

 それでもコンコーネを歌詞付きで歌いたいという人はいますし、今まで様々な歌詞を付けたコンコーネが出版されています。かつて私が学んだ「赤ずきんちゃん」のミュージカルも、音楽部分はコンコーネで、それに歌詞を付けてミュージカルにしたモノでした。

 それはさておき。

 最近、Y先生の元で再びコンコーネを学び始めた私は、何か面白い歌詞付きコンコーネはないかしらとネットを漁っていたら、以下のようなモノを見つけました。
 コンコーネに歌詞として百人一首を載せたものです。試みとしては面白いです。コンコーネサイドから見れば、歌いやすさを考えて歌詞を付けてくれたもので、かなり実用的だなあと思いました。百人一首サイドから見れば、あまりに和歌の雰囲気と音楽の雰囲気が違いすぎて「ありえねー」ってのが正直な感想です。これらの和歌にこんなメロディを付けちゃダメでしょ(笑)。

 しかしコンコーネを百人一首で歌いたいというのは、割と多くの人が考えるみたいで、このCD以外にも、他の人がコンコーネに百人一首の和歌を載せて歌ったものがYouTubeにもあります。その中から一つだけご紹介します。
 まあ、その人の立場で感想は変わると思いますが、皆さんはどう感じられるでしょうか? 私は…音楽的にはアリだと思ってます。

今月の金魚
2020年10月21日(水) ヤヨイが星になりました。
2020年10月25日(日) カナとナツキが我が家にやってきました。

今月のひとこと
 本日(2020年9月29日)をもって、ボケモンGOを一旦休止する事にしました。たぶん、このまま辞めちゃうんだろうなあって思います。(2020年9月29日〜10月2日)

 メトの2020-2021年シーズンはすべてキャンセルとなりました。うへっ! ライブビューイングは…当然、やんないんだろうけれど、日本の映画館(つまり松竹)はどうするんだろ? 旧作のストックなら百本以上あるわけだし、旧作を上映してくれないかな? でも、それじゃあアンコール上映と被るからやんないか? どうするんだろ?(2020年10月2〜13日)

 埼玉で劇団クラスターが発生したそうですね。ミュージカル劇団だそうで、私は仕方のない事だと思ってますが、世間はこれで演劇に対する目が厳しくなるんだろうなあって思います。(2020年10月13〜14日)

 「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」のインターネット前売りがとんでもない状況になってますね。あっちこっちの映画館のサイトで鯖落ちが頻出。ウチの近所の映画館もインターネットではチケットの予約ができなかったので、直接劇場まで出かけて前売りチケット買ったけど、もうすでにその時点でほぼ満席。これでは当日、ひょっこり出かけた、情弱な方々がチケットを買えずに大困りしてしまうかもなあ。そう言えば、エヴァの旧劇場版の時に、朝1で映画館に行って、チケットが買えずに、その日の夜の上映回で見た事があったっけ。ファミレスで時間つぶしをしたけれど、今思えば良い思い出です。(2020年10月14〜日)

 「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」を見てきました。噂通りの人出でした。普段は劇場内に10人も客がいれば御の字程度の寂れた映画館ですが、今回はどこも(誇張なく)満席でした。券売機で調べたら、全部の上映回でチケット完売でした。ちなみに1日に15回も上映しているのに、そのすべてが完売なんだよね。すごいね。グッズも売り切れてしまったモノがあるらしいし、入場者特典もそろそろ無くなってしまうというアナウンスも出ています。主催者が予想していた以上の大人気のようです。この調子では、日本映画上映記録が塗り替わるかもしれませんね。(2020年10月18〜24日)

 以前から薄々感じていたのだけれど、やっぱり、政府に提言や助言をする学者ってバカなの? 10月も下旬になってから(あと二ヶ月しか無いのに)今から年始年末の休みを増やせだと! 社会経験の無い世間知らずのお坊ちゃまたちの発想にはついていけません。政治家さんたちには、こういうアホな学者の暴走を止めてもらわないといけません。学者の言うとおりにやっていたら、人々は不幸になるし、貧しくなるし、貧困率は上がって、自殺と犯罪は増えて、この国は滅ぶよ。(2020年10月24〜28日)

 英国で新型コロナウィルスの抗体が数ヶ月程度で無くなってしまうという調査結果が出たようです。インペリアル・カレッジ・ロンドンの調査ですが、これが正しいなら、ワクチンなんて何の役にも立たないわな。集団免疫なんて意味がないよね。ヨーロッパなんて、永久にロックアウトのままだよ。新型コロナウィルスって、ウィルス兵器としては、かなり良くできているって話ですね。(2020年10月28〜30日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村


posted by stone at 04:00| Comment(0) | その他