2020年03月12日

声を壊さないためには

 皆さん、声の健康について気をつけていますでしょうか? 声は繊細なモノです。もちろん、ノドの強さには個人差があるとは言え、声って、すぐに調子悪くなったりするし、簡単に壊れてしまいます。大切にするに越したことはありません。

 そのために、どんな事に気をつけないといけないでしょうか?

 まずは無駄な大声は出さない事。もちろん、大声で歌ってはいけません。絶叫する(シャウト…ですね)なんて論外です。怒鳴り声で歌うのも禁忌です。大きな声とは、よく響く声の事であり、力押しをした声ではありません。それを続けてしまうと…声はかすれ、ハスキーな声になってしまいます。ポピュラー音楽ではハスキーヴォイスは有りですが、クラッシク声楽では無しなので注意しましょう。

 カラオケ…と言うか、ポピュラー・ソングを歌うのは控えめにしましょう。と言うのは、ポピュラー・ソングって、ノド声で歌う前提があるじゃないですか? ノド声は声によくありません。だから、カラオケで歌うのは控えめにしないといけません。

 声を使い切ってはいけません。声って、無くなってしまうと、最後は誰でもノド声になってしまうものです。声を使い切ってしまう大きな理由は、歌う事に充実感を求めるからです。声を使って疲れてしまうと、その疲れを充実感であるとカラダが錯覚してしまうのです。まず、歌って疲れてはいけません。疲れると声がやられます。大切なのは、疲れないように歌い続ける事です。

 後は日常生活に注意する事でしょうか? 規則正しい生活をする事、睡眠時間はたっぷりと確保する事。刺激物の摂取は控えめにし、なるべく日頃から喋らない歌わない生活をする事。

 それらの積み重ねで、美しい声は保たれていくようです…って、私自身、そんな教え、守れていないなあ(汗)。

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2020年03月10日

脱、ノド声!

 私は長らく、いわゆる“ノド声”で歌っていたと思います。では、なぜそれが可能だったのかと言えば、人並み外れてノドが強かったからでしょう。とにかく、私への褒め言葉が「良い声しているね」とか「聞いていて気持ちよい歌声ですね」とかではなく、みんながみんな「ノド、強いね」だったくらいですから。それくらい、コテコテのノド声で歌っていたわけです。

 そのノド声から、最近、ようやく脱出できたと感じています。それを記念して、この記事を書きました。

 それにしても、声楽を学んでいる人、特に初中級者にとって“ノド声”と言うのは、永遠のテーマです。

 ノド声から脱却するのは、実は簡単なわけで、ノドおよびその周辺をリラックスさせて歌えばいいだけなんです。でも、それが出来ないから永遠のテーマになってしまうわけです。

 私がノド声から脱却できたのは、主に2つの要因があります。

 1つ目は、何と言っても、Y先生の熱心な指導の賜物です。とにかく、それまでほとんど腹筋を使わずに歌っていた私に、根気よく腹筋の使い方を教えてくれたのです。ノド声は、ノドを発声のエンジンとして使ってしまう発声なのです。そこで発声のエンジンをノドから腹筋に切り替える事ができれば、自然とノド声は解消します。

 2つ目は、昨年の今頃、インフルエンザに罹患したおかげで、長期間歌わなかった事でしょう。1ヶ月以上も歌わなかったおかげで、それまでノドに依存していた歌い方をカラダが忘れてしまい、Y先生に習った正しい発声ができるようになった事です。いくらY先生に正しい発声方法を習っていても、それまでに染み付いた間違った発声方法から抜き出せなかった私です。ちょうど良い頃合いで、インフルエンザに罹患したものです。まさに、神の配剤と言えるでしょう。

 良き指導者に恵まれた事と、練習の空白期間の存在。これらのおかげで、私はノド声から脱却する事ができました。

 ノド声で悩んでいらっしゃる方へ。正しい発声方法を学ぶ事はもちろん、しばらく歌わない空白期間を作ってみると良いかもよ。しばらく歌わないと、悪い癖が抜けますよ。

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2020年02月11日

低音には限界があるけれど、高音は努力次第でいくらでも出せるようになるよ!

 私は合唱団にいた頃、上記のセリフを何度も聞かされました。

 低音は、声帯の長さによって出せる低さには限界があって、どんなに頑張っても出ない音は出ないのだけれど、高音は、努力次第でいくらでも高い音は出るのだから、ヴォイトレを頑張りましょう…って感じでした。

 確かに低音には限界があるのは理解しますが、高音が努力次第というのは、かなりの眉唾だなって思うようになりました。やはり、低音に限界があるように、高音にも限界はあると思います。ただ、その一方で「低音には限界があるけれど、高音は努力次第でいくらでも出せるようになる」という言葉の意味も分からないでもないです。

 と言うのも、低音って割と早く底に達するからです。自分の限界が分かりやすいとも言えます。少し発声練習をすれば「ああ、これ以上の低音は出ないなあ…」と感覚的に分かるものです。

 しかし、高音って、いくら練習してもなかなか天井を見せてくれません。昨日は出なかった音が今日は出るって事があるんです。もう無理かな?と思っても、それを越えてみたり、越えたと思ったら、また出せなくなっていたり…と、なかなか天井を見せてくれません。でもって、長期的に見てみると、それなりに上の方が拡張されていたりするんです。ですから、努力次第でいくらでも高い音が出るような気がしてしまうし、実際、ある程度の高音は訓練を経ないと出せるようにならないのも事実です。高音発声には努力が必要というのは真理ですから「低音には限界があるけれど、高音は努力次第でいくらでも出せるようになるよ!」という言葉は“いくらでも”なんて軽々しく言ってはいけないような気がしますが、努力は必要という点に於いては、大いに同意します。

 つまり、努力をし、やるべき事をやった後は、低音に底があるように、高音には天井があって、それぞれ、低くて出せない音や、高くて出せない音があるわけです。

 考えてみれば、いくら音域の広い楽器であっても、出せない低音や高音はあるわけで、人間の声だって楽器であると考えれば、努力をいくら重ねても、出さない音はあるんです。

 人の音域なんて、実声だけで歌う男声でせいぜい2オクターブ。女性はファルセットも鍛えて使いますから3オクターブぐらいでしょうか? まあ、せいぜいそんなモノです。ちなみに、フルートの音域が約3オクターブですから、人間の声の音域なんて、そんなに広いわけではないみたいです。

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2019年12月10日

高音発声のコツ(2019年12月版)

 昨今、高音Aが常用音域化してきた私です。なので、今現在の高音発声のコツを書いておきたいと思います。これは今現在の私が感じている事なので、将来的に否定するかもしれないし、間違っている事を書いているかもしれませんが、そこんところはご勘弁よろしく。

1)軽く歌う

 とにかく、軽く歌わないといけません。重い声はカッコいいのですが、重い声で高音を出すのは至難の業です。重い声で高い音を歌っている人もいますが、あれは生まれつき、そういう特別仕様の楽器(声帯)を持っているだけの話であって、同じような楽器でも持っていない限り、簡単にマネできるモノではないのです。残念ながら私の楽器は、平凡な楽器なので、重い声のまま高音を歌う事はできません。それを無理無理重い声で歌ったところで、高音は出せないのです。

 ひとまず好き嫌いは横に置いて、自分の楽器の特性に応じた発声をしないといけないのです。

 で、私の場合は、軽く歌う…具体的に言えば“弱音で歌う”です。ボリュームダウンですね。ただ、腹筋での支えはしっかり入れた上での弱音です。これが今までの私が苦手としていた事だったんですね。ここを克服してきた事で、高音が発声できるようになったのではないかと推察しています。

2)ノドはユルユルで

 いわゆる声楽用語で言えば「脱力」ってヤツです。とにかく、力まないで歌います。意識的には「ノドをユルユルにする」感覚です。今までは、高音だと思うと、ついつい無意識にノドに力が入り、声帯がガチガチになっていましたが、それじゃあ百万年経っても高音は発声できないのです。

3)アゴは開く

 アゴは上下に2つあります。下アゴは真下に開く…と言うか、落とします。これは以前から出来ていたと思います。

 もう1つの上アゴは真上に持ち上げます。具体的に言えば、軟口蓋を上に持ち上げるんだと思います。この動作が、最近まで意識的に出来なかった私です。今はようやく神経がつながったようで、上アゴの上げ下げを意識的にできるようになりました。これで高音が発声できるようになったんだと思います。

 ただ、上アゴを持ち上げる動作は、かなりシンドイし、まだまだ疲れがちです。おそらく筋力が不足しているんだろうなあと思います。今後、上アゴの筋トレをして、もっと軽々と上アゴを持ち上げ続けられるようにしたいと思ってます。そうする事で、もっと長時間高音の発声が可能になるし、もっと高い音程の音だって歌えるようになるかもしれませんからね。

4)腹筋で息を上に送る

 息を上に送っていくのは、以前からY先生に注意されていました。その際の注意点として、息を送るエンジンはノドではなく、腹筋に置かないといけません。腹筋から息を送っていく事で、ノドに余計な負担をかけずに済み、結果として、ノドをユルユルにできるわけです。でもね、ちょっと前まで、おそらく腹筋だけでなく、ノドも使って、息を送っていたんじゃないかなって…思います。それじゃあ、高音発声は無理だよね。

5)音程は高低差で考えず、音色差で考える

 「高い!」と思うと、緊張して、無意識に力んでしまいます。人間って、そんなモノです。なので、緊張しないために、高音を「高い音」であるとの認識を捨て、音色(声色)で認識するようにしました。音程を音色で捉える事で、高音発声が楽になったような気がします。

 これって、おそらく、私だけの感覚かもしれませんが(笑)。

6)出ないモノは出ないと諦める

 出ないモノは出ない!…これって大切な感覚だと思います。出ないモノを無理に出そうとするから失敗するし、それ以前の出るはずの音まで緊張で出なくなります。どこまで高音が出るかは、自分がどんな楽器を持っているに大きく依存します。

 よく合唱とかで「低音は限界があるけれど、高音は努力次第でいくらでも出る」と言われますが、あれは嘘だと思います。確かに高音は努力次第で、今まで出なかった音が多少は出るようになるかもしれませんが、それはあくまでも無限に出来るようになるわけではなく、元々のその人の楽器が出せる上限の音程までは努力次第で出せるようになる…ってだけの話で、誰でも彼でも高音が出るようになるっていう、都合の良い話ではありません。

 「隣の彼がHi-Cを出しているんだから、僕も頑張ろう」と思ったって、そもそも僕の楽器がHi-Cを出せる楽器じゃなければ、徒労に終わるだけです。ただ、自分の高音の上限は、ある程度訓練をしていかないと分かりません。そういう意味で、高音を目指して努力していく事は大切だし、そうしなければ一生高音発声は無理でしょう。でも、限界はあるんです。そこも知らないといけません。

 出せる範囲の音を無理なく出していく。そうして、無理を止める事が、実は高音発声の上達につながっていくと思います。無理はいけません、無理はノドを力ませます。

 高みを目指して努力する事は大切ですが、常にそれが叶えられるわけではないのです。高みを目指しながらも、今出せる音を磨いていく事の方が、実は大切なのではないかと思います。

 今の私は、こんなふうに考えているんです。


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posted by stone at 04:00| Comment(2) | 発声法のエッセイ

2019年12月09日

頭声とはポメラニアンの声なんだよ

 私が声楽を(自分なりに)真面目に学び始めて、今年で12年になります。もう干支を一周する期間も歌を学んでいるんだね。

 で、お恥ずかしい事だけれど、12年かけて、ようやく分かってきた事があります。それは「頭声」とは何なのか? という大雑把な事です。ちなみに「頭声」は、通常「胸声」と対にして用いる用語です。

 もちろん、言葉としての「頭声」は、12年前はおろか、最初の最初に声楽を学び始めた30年ぐらい前から知っていましたし、あの頃は、声楽や発声法に関する専門書を読み倒していたので、理屈としては、よく知っていたのですが、それが肌感覚で分かるようになったのは、実はつい最近の事だったのです。

 いや、びっくりですよ。何がびっくりって、分かってから気がついたんだけれど、今まで自分がいかに何も知らなかったのかって事を、ようやく知りました。

 頭声って、本当に頭声で、胸声って、本当に胸声だったんですね。理屈じゃなくて感覚だったんですよ。

 で、実は頭声胸声ってのは、声のポジションの話だったのです。頭声のポジションは頭の中だし、胸声のポジションは胸の中なんです。だから、頭声であり、胸声なんですね。

 頭声が分かるようになったのは、自分が頭声で歌えるようになってからです。頭声で歌えなかった頃は、分かったような気がしていただけで、頭声が何たるかなんて、ちっとも分からなかったのです。

 実はちょっと前までの私は、すべて胸声で歌っていました。頭声のつもりの声も、実は胸声だったんですね。ちなみに、ノド声はすべからず胸声です。胸声でしか歌えなかったので、頭声なんて知る良しもなかったわけです。もう別次元の話だったんです。

 分かってみて知った事は、頭声胸声って、女性はたぶん無意識に使い分けているのだけれど、男性の手札には胸声はあっても頭声という札は、通常は無いって事です。

 大雑把に言うと、男女ともに会話で使っている声は基本的に胸声です。でも、女性の場合、よそ行きの声…ってあるじゃないですか? それこそ「お母さんは、電話に出ると声が変わるよね」ってアレです。あのよそ行きの声って、頭声だと思うんですよ。まあ、普通に歌った時に「女性は裏声で歌う」って言うけれど、あの声って、裏声であると同時に頭声でもあるわけです。だから女性の手札の中には頭声が最初っからあるわけです。後は、上手にカードを切っていけるかどうかって話になります。

 でも、男性の場合、頭声って日常生活では使いません。よそ行きの声だって胸声だし、裏声で歌えば、それはただの裏声であって、頭声ではないんです。男性の手札には頭声は無いんです。

 ではなぜ、女性は無意識に頭声が使えて、男性は全く頭声が使えないのかと考えてみました。おそらくその理由として「頭声はかわいい声」だから、女性は(媚びているわけではないのだろうけれど)その声を使用し、男性は(かわいさを拒否するので)その声を無意識に封印しているので、女性は使えて、男性は使えなかったりするんじゃないかと考えました。

 まあ使えるようになってみると分かるけれど、頭声って「かわいい」と同時に「艶っぽい」んですよね。「艶っぽい声」だから声楽で使われるんだろうと思いますが「艶っぽい声」と同時に「かわいい声」でもあるから、男性は避けがちなんだろうと思います。

 でも頭声って「かわいい声」ばかりでなく「太くて低くて、でも艶っぽい」という男性的な頭声(美しいバリトンの声だね)でもあるんだけれど、これがなかなか難しいんだね。

 ちなみに「かわいい」という概念は日本語にしかないので、頭声を避けるのは日本人男性特有の問題なのかもしれませんが…ここは検証した事がないので、詳細は不明です。

 まあざっくり言っちゃえば、世間に媚びて(?)「かわいい声」で歌おうとすると、自然と頭声にならざるを得ないって事です。

 ちなみに私の中では「ポメラニアンになったつもりで歌う」と頭声で歌えます。ポメラニアンって、モフモフした小型犬で、かわいいじゃないですか? リアルな私は、太り過ぎのグレートデンみたいな人間なんですが(笑)。そこは目をつぶって、頭の中でポメラニアンに変身して歌うと調子いいんです。

 というわけで、頭声とはポメラニアンになりきった時の声なんです。

 ですから、世の中の男性オペラ歌手って、頭の中に小型犬を飼っていて、そのワンちゃんたちになりきって歌っている…んじゃないかしらと、最近の私は妄想しております。

 たぶん、この記事。分かる人にしか分からないだろうなあ。もしかすると、私以外の人には分からないかもしれないけれど…ごめんね。


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posted by stone at 04:00| Comment(4) | 発声法のエッセイ

2019年11月19日

私は、やっぱり、私が嫌いだ

 人が幸せとなるために必要なものの一つに“自己肯定感”というものがあります。これがない人は、いくら環境的に恵まれていたとしても、幸せを感じる事は少ないと言われています。

 ま、そりゃあそうだよね。自己肯定感の低い人間は、自分は社会に受け入れられていないって感じているんだもの、幸せにはなれないわな。

 で、私の話。まあ、私は基本的に自己肯定感が高めな俺様的な人間なので、基本的には幸せいっぱいに生きています。少なくとも、オトナになってから、まあまあ幸せだと感じながら生きています

 正直な話、子どもの頃や学生時代は、自己肯定感の低い、自分で自分を憐れむような不幸せなヤツでした。それがオトナになってから、あれこれあって、自己肯定感を得られるようになったわけですが、それはまた別の話なので、機会を改めて書くかもしれません。

 とにかく、ちょっと前までの私は自己肯定感が満たされた幸せ野郎だったのですが、最近、また、自分がだんだん嫌いになってきて、この自己肯定感ってヤツが薄らいできて、なんか自分がカワイソウなヤツ、不幸なヤツに感じるようになってきました。

 何が原因なのかと言うと、私の声です。

 思い起こしてみると、若い時、私は私の声が大嫌いでした。だって甲高いんだもん。青年時代は、声だけだと、よく女性に間違えられるほどに高かったんだね。当時から歌っていましたが、高校生〜大学生の頃は、声変わりを終えていたにも関わらず、アルトパートを歌うのが一番楽だったくらいだもの。それくらい甲高い声だったのね。

 で、そんな甲高い声が私は大嫌いだったので、オトナになったあたりから、日頃は声を押さえつけて、低めの声を出してしゃべるように、歌うようにしていたのです。そんな事を何年も何年も続けていたら、そんな低めの作り声で話すのがデフォルトになってきたわけです。

 やがて、声を押さえつけるのが無意識になり、そうやって作った低い声が自分の声だと勘違いするようになっていったわけです。まあ、私の本来の声を忘れてしまったとも言えます。

 そんな私が声楽を学び、本来の自分の声を取り戻しつつあるんです。そう、忘れていた自分の本来の声と向き合うようになったわけです。

 さすがにもう、オッサン〜オジイサンなので、ツヤツヤした声は出ず、いくら甲高いと言っても、もう女性に間違えられる事はないのですが、それでも相変わらず、声は甲高いし、細いんですね。いかにも“貧弱なオジイサンの声”になっているんですね。年齢が年齢だから、声が老けているのは仕方ないと思うし、いかにも“オジイサンの声”になっていても良いのですが、問題は“立派なオジイサンの声”とか“かっこいいオジイサンの声”とかではなく、ただの“貧弱なオジイサンの声”というのが、イヤなんです。

 若い頃は、自分の女性的な声がイヤだったのですが、年を取った今でも、自分の声の甲高さと貧弱さがイヤでイヤでたまりません。

 まあ、自分が聞く自分の声が嫌いなのもイヤですが、ネットにアップした歌声の感想で、声が嫌いだ…みたいな事を書かれると、正直、凹みます。だって、その通りなんだもの。自分でも気にしている欠点を指摘されると、人間って凹むものですね。

 バカにバカと言っちゃいけないし、デブやハゲにデブとかハゲとか言ったら怒り狂うわけです。つまり他人に本当のことを言っちゃいけないのです。私みたいに、他人に好かれない変な声の人に「あなたの声はキライです」とか言っちゃうなんて、いきなり物事の核心を付いちゃうわけで、突かれた方はハートをえぐられる感覚になります。

 楽器なら、気に入らなきゃ買い換えればいいんですが、声はそうはいかないのです。こんな甲高くて、細くて、貧弱な声でも、これで我慢しないといけないのです。

 ああ、私は歌が大好きだから、本当は、どんどん歌っていきたいのですが、この声で歌わないといけないのかと思うと、なんか凹むなあ。もっとカッコいい声で歌いたいよ。できれば、マリオ・デル・モナコみたいな声で歌いたいのだけれど、それは叶わぬ夢というものなんだね。

 と言うわけで、私は、やっぱり、私が嫌いだ。大嫌いだ。

 そういう意味では、最近の私は、どんどん不幸になっています。ああ、不幸は嫌だ、幸せに暮らしていきたいよ。ああ、神様、私の声を、かっこいいイケメンヴォイスに変えてください(涙)。


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2019年11月07日

息を流そう、息を吐いていこう

 私が現在直面している歌唱上の問題は「息をきちんと吐きながら歌う事」です。たぶん、普通の人は難なくこなしている事だし、かつての私も普通に出来ていたと思います。

 息と歌が分離をしたのは、キング先生のグループレッスンで学んでいた時だと思います。キング先生には、最初はグループレッスンで、やがて個人レッスン(最初のうちは隔週レッスンでしたが、やがて毎週レッスンに変わりました)で学びましたが、その最初期のグループレッスンの時代に、身についたテクニックだと思います。

 あの頃は、毎回のレッスンで必ずロングブレスの練習をしていました。ロングブレスの練習とは、無声音(shhhhhhhh…!って感じです)を出し続ける練習で、最初は4秒間から始めて、8秒間、16秒間、32秒間と伸ばしていきました。32秒なんて、今の私でもやっとやっとですが、声楽始めたばかりの我々(キング先生のグループレッスンって、本当の本当の素人さんばかりの集団なんです)には無理無体なわけで、よくレッスン中に酸欠でブラックアウトを起こして倒れそうになっていましたし、たまに倒れかけていました。先生からは倒れる前にやめなさいとは言われていたけれど、ぎりぎりまでやんなきゃ練習にならないじゃん。

 このロングブレスの練習は、レッスンだけでなく、自宅でも必ずするようにと言われて、自宅でもきちんとやっていました(私は基本的に真面目人間です)。自宅では倒れてはいけないので、椅子に座ってやってしましたね。とにかく、息を出し惜しみする練習を徹底的にやったせいもあって、やがて息と声が分離して、息をほとんど使わなくても歌えるようになりました。

 この段階で、普通のクラシック声楽の発声方法とはかなり違いますが、そう教わったので、それを徹底的に追求していったわけです。

 こうして、息を使わない歌唱方法を追求していった結果、やがて歌うたびにノドから血の匂いがするようになり、慢性的なノド痛に悩まされるようになったわけです。たぶん、あのまま突き進んでいったら、ノドを壊して、声を失っていった事でしょう。

 Y先生のところに移った時に、最初に苦労したのが、息と声を連動させる事。つまり、息を吐けば声が出て、息を止めれば声も止むっていう、実に当たり前の事です。これが実に実に難しくて、散々苦労したわけです。腹筋を使って歌うなんて、キング先生のところにいた時には、少しも注意されなかったし、教わりもしなかったからね。

 それでも時間をかけて、少しずつ息が吐けるようになりました。キング先生に習っていた時間よりも長い時間をかけて、ようやく息で歌えるようになりましたが、それは意識的に行った場合の話で、少しでも気を抜くと、以前のように、息を使わない歌い方に戻ってしまいます。三つ子の魂百まで…ではないけれど、最初に身につけた悪い癖は、かなり根深くて、完全に取り除くには、まだまだ多くの時間と気力と努力が必要のようです。

 これでも少しは息を流して歌えるようになったつもりでしたし、「アニュス・デイ」は息の流れが素晴らしいとレッスンの時にはY先生から誉められていたほどでしたが、今回のクラシックコンサートのような、異常事態に陥った時は、こういう悪い癖がむくむくと頭を持ち上げて、すべてをぶち壊してしまうみたいです。クワバラクワバラ。

 とにかく、今後はノドの脱力に気をつけながら、同時にしっかりと息を吐いて歌うように、肝に据えて頑張っていきたいと思ってます。


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2019年11月04日

最近は声帯が気にかかります

 高音発声の話です。

 少し前までは、高音発声は博打であり、結果オーライであって、その仕組は私にとってはブラックボックスでありました。ま、正確には今だってまだまだブラックボックスなんだけれどね。

 今思うに、声楽を始めたばかりの頃の私は、高音発声の出し方なんて知らなかったし教わらなかったし、なので、高音を出そうとして行っていた事は、ほぼ怒鳴り声寄りの発声だったと思います。つまり、声帯をきつく閉じて、そこに息を通して無理やり声を出すというやり方です。もちろん、こんなやり方で高音が出るわけはありません。

 そこからしばらくすると、私も進歩して、怒鳴り声寄りの発声がダメな事に気づき、高音発声として悲鳴系の発声に変えていったと思います。やっぱり声帯をきつく閉じて、そこに息を思いっきり速い速度で通して無理やり声を出すというやり方です。怒鳴り声よりはマシかもしれませんが、所詮は大同小異というか、五十歩百歩というか、こんなやり方で高音が出るわけありません。

 以上が、キング先生に師事していた頃の話ですね。

 その後、Y先生になってから、今まで全然使っていなかった腹筋を使う発声にシフトしていきました。その結果、脱力…と言うか、声帯を締め付けない発声に自然に変わっていきました。

 腹筋を使って息を送り込むようになると、自然と声帯がユルユルになっていきます(ってか、声帯をユルユルにしないと、なかなか腹筋からの息が届かないのです)。声帯ユルユルな感じで発声すると、聞いていて柔らかい感じの声になります。ノドに力が入って、声帯をきつく締め付けた状態からの発声だと、元気がよくて感情的な声にはなるけれど、どこか聞いていて不快感のある、あまり好かれない声になりますが、声帯ユルユルな声は、迫力は無いけれど、まあ嫌われない感じの優しめな声になっていったと思います。

 この頃の私は、あまり高音発声にこだわっていなかったと思います…ってか、中音発声ですら「難しいなあ…」と思っていた時代だったと思います。それくらい、腹筋を使う発声は困難だったわけです。ですから必要があって高音発声をしようと思った時は、以前のように、すぐに声帯を締め付ける発声に戻っていました。

 悪い癖はなかなか抜けないものです。

 それでも、声帯を締め付ける発声メインから、腹筋を使う発声メインに、次第にシフトしてきたと思います。

 腹筋を使って、声帯ユルユルのままの発声では、当然ですが、高音発声には限界があります。かと言って、以前のように声帯を締め付けてしまっては、元も子もありません。

 要は程度の問題なんでしょうね。

 以前のような声帯を締め付ける発声は、声帯に負荷がかかりすぎますし、聞いていて不快ですから、やるべきではありません。しかし、声帯ユルユルのままでは、高音は絶対に出せません。

 では、どうするか。声帯を締め付けるのではなく、かなり軽めに声帯を合わせていく事で対処していきます。どちらにせよ、声帯を合わせていかないと高音は出ないのですが、過剰に力を入れていくのは、声帯にも負担がかかるし、高音発声にも無理が生じます。要は、軽く声帯を合わせていく事が必要になります。

 では、どうやって声帯を合わせていくのかというと、感覚的には、声帯を合わせる感覚よりも、声帯を上下に引っ張る感覚で、声帯を合わせていきます。感覚的に声帯を中央に寄せる感じで閉じていくと、声帯が締まってしまうようで、割と早めに声が出なくなってしまうので、声帯を中央に寄せるよりも、まずは上下に引っ張って声帯を合わせていく感じの方が結果的に良いみたいです。私の場合、声帯を上下に引っ張っていく事で高いG♯までは安定して出せるようです。

 問題は、そこよりも上の音です。つまり高音Aですね。それはどうするのか。

 G♯までで引っ張り切った声帯の上1/3程度(あくまで感覚的に1/3程度ね)を、適宜中央に寄せていきます。少しずつ少しずつ…ね。つまり、声帯の一部を少し無理めの方向に声帯を動かすわけです。もちろん、息の勢いも速度も量もかなり必要だし、うっかり声帯全体をきつく締め付けてしまうと、、以前の間違えたやり方に戻ってしまうわけだから、声帯を中央に寄せていくといっても、慎重に、ほんの少しずつ、ちょっとずつ寄せていきます。これが難しくて、ついうっかり声帯全体を締め付けてしまって巧くいきません。きっと、この声帯を寄せていく感覚が育ってくると、高音も楽に発声できるようになるんじゃないかしらと思ってます。

 なので、今は歌いながらも「きちんと声帯を上下に引っ張れているかな?」とか「ちょっとだけ声帯を寄せてみようかな」とか、そんな事を感じたり考えたりしながら歌ってます。

 これが正解かどうかは分かりません。もしかすると、こんなやり方のままでは、早晩、やっぱり高音の限界を迎えるかもしれませんし“高音が得意なテノール”にはなれないかもしれません。まあ、そうなったらそれはそれでそれを受け入れるだけだし、やり方がマズイだけならば、やり方を変えていけばいいだけ…と思ってます。今は、試行錯誤を重ねながら、出来ることを切々とやっていくだけだと思ってます。


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2019年10月28日

声が有る無いとは、どういう事?

 まず、昨日のクラシックコンサートは無事に終了しました。とにかく、今は腑抜け状態でございます(笑)。しばらくして気持ちが落ち着いたら、記事を書いて音源をアップしたいと思いますので、しばらくお待ちくださいませ。

 さて、よく声楽関係者と話をしていると、声が有るとか無いとか、そんな話になる時があります。でも「声が有るとか無いとかって、どういう事?」って言われると、何となくは分かるんだけれど、うまくは説明できませんでした。

 だってね、別に「声が無い」って言っても、声が出ないわけじゃないし、普通に会話できるし、歌だって合唱を歌う分にも何の問題もないわけです。つまり「声が無い」と言っても、それは「独唱に適した声が無い」ってだけで、普通に歌えないわけでもなければ、別に音声障害でもなんでも無いわけです。

 それにそんな“声が無い”と言われるような声の持ち主だって、マイクを使えば、普通に歌えるだろうから“独唱”と言っても、それはクラシカルな声楽に限った話になります。

 じゃあ「独唱に適した声」って何ですか?って話になりますが、ざっくり言っちゃえば“オペラ歌手のような声”って事でしょ?

 では“オペラ歌手のような声”って何ですか?って話になりますが…簡単には言えないよね。まずは、大きな声である事でしょ。何しろ、マイク無しでホールで歌えるんだからね。あと、極端に高い声や低い声が出せるって事でしょ。それに声が美しい事かな? 少なくとも、ダミ声はダメだし、割れちゃう声もダメだし、怒鳴り声もダメだもの。悲鳴は…かろうじてアリかもしれないけれど(笑)。

 そんな事を考えてしまうと、簡単に声が有るとか無いとかは定義できないなあ…なんて、最近まで思っていたのですが、先日、ふと思いついたのです。声が有るって…案外、簡単な事なのかもしれないってね。

 それは… 無理せずに楽に大声で歌える事 …です。

 大切なのは“無理せずに”と言う部分です。正確に言えば、実は無理をしていたとしても、無理しているようには聞こえないという事が重要なのかもしれません。

 無理せずに、楽に、大声で歌えるならば、それは“声が有る”と言っても良いし、そうでない人は“声が無い”って言えるんだと思います。

 「高い声や低い声が出せる事は必要じゃないの?」
 「声は美しくないとダメでしょ?」

 うーん、声の高低は、声の有無とは関係ないかもしれないって、最近の私は考えます。と言うのも、普通に歌を歌う分には高い声や低い声が出なくても、中音部分にある程度の音域があれば、それで十分でしょ? 学びを続けていくうちに、やがて高い音や低い音が出るようになれば、それでいいんだと思うし、声だって、最初はあまり美しくなくても、やはり学びを続けていくうちに、声が磨かれて美しくなればいいんだ。そんなふうに考えるなら、譲れないのは「無理せずに楽に大声で歌える事」じゃないかなって思うんです。

 と言うのも、無理したり、力んだりすれば、誰でもある程度の大声は出せるようになります。これは筋肉の問題であって、筋肉は鍛えれば発達するからね。でも“無理せず”“楽に”なんて条件を付けられちゃうと、筋肉が発達したからと言って出来るようになるわけではないのです。じゃあ何か大切なの? って考えると…骨格かな? 共鳴腔の容積の問題…具体的に言えば、口腔の容積の問題になってくるんじゃないかって思うわけです。

 要するに“デカいクチ”を持っている事が声の有無には関係しているのではないかと思うし、クチのデカさってのは、アゴの骨の大きさや形状だったり、アゴの開閉能力だったりするわけで、それって先天的な要素が強いんじゃないかしらね? 大人になってから後天的な努力を積み重ねても、どうにも出来ない事柄だよね。

 もちろん、骨格的に恵まれただけではダメで、さらに呼吸筋などが人並み以上に強い必要はあるけれど、この部分は後天的に鍛える事ができるから、あまり考えなくても良いかもしれません。

 ってわけで、声が有るというのは「無理せずに楽に大声で歌える事」であり、そのためには生まれながらに骨格的に恵まれいる事が必要条件になってくる…と私は考えます。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 発声法のエッセイ

2019年09月11日

響きの高い低い

 よく声楽関係のアマチュアのブログを見ていると、響きの話が出てきます。かく言う私も、ブログでよく響きが高いの低いのと書いてますわな(笑)。

 ところがこの響きの話と言うのは、分かる人には分かるのだけれど、分からない人には全然分からないようだという事に気づきました。それも声楽に興味がない人が分からないのは当然としても、声楽が好きとか、声楽を学んでいますという人の中にも、この響きの高低の話が分からないという人がいるので、私が理解している範囲で解説してみたいと思いました。

 私の個人的な理解だから、間違っていたらごめんなさいね(と、予防線を張っておく:笑)。

 響きの高い低いとは、同じ音程の声でも、明るくて軽い印象の声の特徴を“響きが高い”と言い、もっさりしてさえない印象の声の特徴を“響きが低い”と言います。

 つまり、響きに関していえば、“高い”“低い”は声の特徴として併存するのではなく、“高い”が正義であり正しいのであって“低い”はダメなんです。

 だいたい響きが“高い”と言われて注意されることって、まずありません。注意される時って、ほぼほぼ響きが“低い”時でしょ? つまり声の響きと言うのは高ければ良いのであって、低いのはダメなんですよん。

 と言うのも、響きが高い声の実態は、響きが豊かという事であり、響きが低い声の実態は、響きが貧弱という意味なのです。

 「彼はテノールだから、響きは高くないといけないけれど、私はベースだから、響きは低くてもかまわない」なんて事はないんです。テノールだろうが、ベースだろうが、ソプラノだろうがアルトだろうが、響きは高くないといけないのです。ローバスだって、響きは高くないと、何を歌っているの分からないし、魅力的な声にはなりません。

 音程の高い低いと、響きの高い低いは、直接的には関係ありません。ただ、響きが高い声でないと、音程の高い声は、まず出ないのだけれど…。

 音って、パイプオルガンとかアナログのシンセサイザーとかを見ると分かるけれど、複数の音が組み合わさって、一つの音を作ります。その組合わさり方が美しい音が楽音であって、美しさに重きを置いていない音が噪音なのです。

 で、音楽で使う音(声)は楽音なのですが、その楽音であっても、組み合わされる音の数や種類が豊富なものほど複雑で、美しい音となり、組み合わされる音の数が少なくバラエティーも狭い時は、単調な音になります。この時の、美しい音は“響きが高い”と言われ、単調な音の方は“響きが低い”と言われるわけです。

 オシロスコープの音とか、パイプオルガンのレバー一つだけ引いたような音は、響きが低い音と言えるし、ヴァイオリン等の擦弦楽器の音は響きが高い音と言えます。

 じゃあ、響きが低いと言われたら、どうしたら良いかという件だけれど、単純に口腔内の容積を増やせば、自然と響きは高くなります。つまり、響きの低い声ってのは、クチの中が狭くて、直接的な声って言えます。まあ、そういう声って、マイクのノリは良いので、ポピュラー・ソングでは悪くないのだけれど、声楽向きではないでしょうね。

 あと、緊張感がなく、ダラっと発声していると響きは低くなります。しっかり声を支えないと、響きって低くなりがちなんだよね。これはハミングをしてみると分かります。ハミングをして、クチの中が振動してかゆくなる箇所があるでしょ? これって、声の支えでかゆくなる箇所が変わるって知ってましたか? 

 たとえば、ハミングをして、声が振動してかゆくなるのが、ノドとか下の歯の付近だと、かなり響きが低いんです。上の歯とかでもまだ低い。最低限、鼻腔とかもっと上の部分で振動を感じないと、響きって低くなってしまうのです。

 しっかり支えて、クチの中を大きく広げると、響きの高い声になり、話し声の延長で発声すると、響きの低い声になってしまう…ってわけなのです。

 お分かりでしょうか?


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posted by stone at 05:00| Comment(0) | 発声法のエッセイ