2021年01月26日

ギリギリのタイミングでイルミネーションを見てきました。

 見に行ったのは、江ノ島のイルミネーションです。行ったのは、年明け早々です。昨年も行ったイルミネーションですが、なぜ今年も行ったのかと言えば、今年は昨年よりもイルミネーションの範囲を広げて規模を拡大して島全体で…という情報を得たので、この目でそれを確かめに行ったわけですが…結論を言っちゃうと、規模拡大に期待しちゃダメだなって感じかな?

 ただ、イルミネーションの中心地である、江ノ島植物園ことサムエル・コッキング苑のイルミネーションは昨年以上に素晴らしかったです。いやあ、すごかった。江ノ島は、ここだけ見れば、もう十分です。

 江ノ島のイルミネーションはセンスが良いと思うのですよ。キラキラしているけれど、ケバケバしていないのです。平面構成だけでなく高低差もあって、3Dなイルミネーションで、なかなかのモノです。

 緊急事態宣言もあって、今年はなかなかイルミネーションを見に行けなくなりましたが、もしチャンスがあったら、ぜひ行ってみてはいかがかと思うのです。で、少しでも江ノ島にお金を落としていただけたら、地元の人間としては、嬉しい事、この上もありません。

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2021年01月24日

“○○警察”なんて、うんざりだ!

 世に“○○警察”などと呼ばれる人たちがいます。“自粛警察”が有名ですが、最近では“マスク警察”と呼ばれる人たちが出現しているそうです。

 おそらく自分たちは世直し軍団か何かのつもりでしょうが、その実態は、他人を攻撃することで自分の不安を一時的に解消しているだけに過ぎません。いわば、不安の代償行為としての“○○警察”活動です。

 まあ、不安になる気持ちは理解できなくもないです。私にだって不安はあるもの。

 でもね、日本におけるコロナの流行なんて、諸外国と比べると、せいぜい1/100程度の規模でしか流行していないのに、まるでこの世の終わりであるかのように、連日、マスコミが煽っているでしょ? そりゃあ不安になりますよ。

 1/100程度の流行でも油断はしちゃいけませんが、だからと言って、必要以上に不安になる必要はありませんし、ましてや、この世の終わりでは全然ありません。

 これまでコロナで亡くなった方は日本全国で約5000人程だそうです。5000人の人が亡くなる事は悲しい事だし「コロナで5千人も亡くなった」と聞いてショックを受ける人もいるかもしれませんし「ああ、だからコロナは怖い」と恐怖に震える人もいるでしょう。

 でも、日本では毎年130万人以上の方が亡くなっています。コロナで亡くなる方を全死者数に対する割当で表現すれば、5000/13000000で、1/260となります。つまり、260人亡くなる方がいるとすると、その中の1人だけがコロナで亡くなるわけで、割合で言えば、約0.4%でしかありません。99.6%の人はコロナ以外の原因で亡くなるのです。

 日本人の死亡原因は「ガン(約35万人、約27%)」「心疾患(約20万人、約15%)」「老衰(10万人、約8%)」がトップ3です。コロナで亡くなる人たちよりも注目度は低く、マスコミで報道される事はありませんが、コロナよりも圧倒的に死者数が多いのです。

 私はよくこのブログで、コロナで死ぬ人よりも、自殺者の方が多いと書いてます。まだ、コロナ禍になってからの自殺者数は発表になっていませんが、実は例年、自殺で2万人程度の人が亡くなっています。昨年〜今年の自殺者数は、すごく増えているそうです。統計が出ればはっきりしますが、コロナの数倍もの人が自殺で亡くなっているのです。

 だから「コロナなんて怖くない」とは言いません。しかし、コロナよりも怖がる対象はいっぱいあるし、コロナで亡くなる心配をするよりも、ガンや心疾患や老衰(!)で亡くなる心配をするべきなんです。

 で、マスク警察ですが…

 なんでもスーパーコンピューター富嶽でのシュミレーションが発表されたそうです。で、それをまとめた全音楽譜出版社によるイラストでは、吐き出し飛沫量(つまり息を吐き出して飛沫を飛ばす量)を何もなしと比べた時、

 不織布マスク 20%
 布マスク 18〜34%
 ウレタンマスク 50%
 フェイスシールド 80%
 マウスシールド 90%

 だそうです。もちろん、数字が大きいほど性能が悪いのです。これを見ると、いわゆるシールド系はほぼ無能ですね。某歌劇団ではフェイスシールドをして舞台をしてますが、これを見ると、あまり意味は無いみたいです。

 さて、最近の注目はウレタンマスクのようで、不織布マスクの20%と比べると、ウレタンマスクの50%の数字が大きすぎて、まるでウレタンマスク使用者をマスク未使用者と同じような扱いにして攻撃をするってのが流行っているようです(この行為を“マスク警察”あるいは“ウレタンマスク警察”というそうです)。

 私は「半分も防いでいるなら、いいんじゃない」って思いますが、そうは思わない人たちがいるって事ですね。

 でもね、良しとされている不織布マスクだって完全じゃないわけで、ウレタンマスクの50%を不安に思うなら、不織布マスクの20%には不安を感じないのでしょうか? 統計学的に考えるなら、50%と20%には大きな違いはありません。どっちもザルだし、どっちも気休めだと考えるべきでしょう。そこまでマスクにこだわるなら、医療用のマスクでもしないといけませんが…医療用マスクなんて日常生活の中では使えませんよ。値段も高価だし、流通量も少ないし、なんと言っても通気性が悪いので、ちょっとした運動をするとすぐに酸欠状態になって生命の危険すらあるわけですからね。だから、マスクなんて、してくれていたら、不織布でもウレタンでOKだと思うんですよ。

 それに、狭くて密な空間に他人と一緒にいるとして“不織布マスクをしている感染者”と“ウレタンマスクをしている健康な人”のどっちと一緒がいい? と尋ねられたら、私は「“ウレタンマスクをしている健康な人”の方がいい」と答えるし、それ以前に「密な空間に知らない他人といるのが、そもそもイヤ」と答えます。つまり、マスクの種類うんぬんを言う以前のチェックポイントがあるって話です。

 なので、ウレタンマスク使用者を攻撃する以前に、まずは人混みに出かけない事をオススメします。私は不織布マスク使用者しかいなくても人混みには出かけたくないです。

 「人混みの中に出かけるしかないんだ!」という理由で、ウレタンマスク使用者を攻撃するのなら「あなたは本当に人混みの中に出かけるしかないの?」と尋ねたいです。

 住んでいる場所が都会ならば、地方に引っ越しをする事をオススメします。地方は良いよ、広々しているし、空気がうまいし、密じゃない。職場が都会でリモートワークが不可能ならば、転職をする事をオススメします。毎日毎日、恐怖におののきながら通勤するのは、コロナ以前にストレスでやられちゃいますって。どうしても都会から離れられないのならば、時間をズラして行動するとか、公共交通機関を使用しないとか、消極的ですが、それなりの対策を取らないといけません。

 ここまで広がってしまったウィルスの撲滅なんて、数年単位では無理です。これから数年間は、常に新型コロナウィルスの中で生活していくしかありません。“With コロナ”の時代になったのです。だから、我々も生活を抜本的に見直さなければいけないのです。

 それなのに、引っ越しもせず、転職もせず、ピークタイムに公共交通機関を利用して、人混みの中に出かけなければならないと思っているなら、それは覚悟を決めるしかないと思いますよ。だって、人混みを避けられる手段があるのに、それをしないのは、自分自身で決めた事でしょ? ならば他人を自分の不安の代償行為として攻撃なんてしないで欲しいです。

 「ウレタンマスクをしやがって、不謹慎な! 私がコロナにかかったら、どうしてくれるんだ」ではなく「ウレタンでもマスクをしてくれて、ありがとう。でもコロナ怖いし、密を避けるために、君たちとは離れて行動するね」で良いじゃない?

 「和をもって尊しとなす」のが日本人の美点でしょ? 怒りよりも感謝です。マスク警察をするよりも、寛容な心をもって緩やかな連帯を目指して行きましょうよ。

 恐怖もストレスになるけれど、怒りもストレスになるんだよ。ストレスは、たぶんコロナよりも怖いと思います。念の為。

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2020年12月26日

そもそもキリスト教って多神教の側面があるよね

 ええと、キリスト教について書き始めたら、止まらなくなったので、今日も書きます(笑)。たぶん、今日が最後です。

 キリスト教が一神教であると誤解される(?)理由の一つに、キリスト教では神様が一人しかいない…なんて事が言われるからだろうと思います。

 確かに公的にはキリスト教では、彼らが信仰するべき神様は一人しかいないと言い切ります。でも、ちょっと待った。イエス・キリストは分かるけれど、聖書の中でイエス・キリストが拝んでいる“父なる神”ってのは何だい? イエス・キリストが昇天された後にしばしば登場する“聖霊”ってのは何だい? あれらは神様じゃないのかい?

 それを説明するために「三位一体」という教理がキリスト教で発明されました。簡単に説明すると、父なる神(ヤハウェ)とイエス・キリストと聖霊は、異なる人格を持った同一神であり、人間の目からは異なって見えるけれど、実は同じ一人の神様…なんだそうです。

 まあ、彼らがそう言い張るなら、それはそれで良しとしましょう。それこそ信仰の領分の話になりますからね。

 で、三位一体の神の存在を認めたとしても、まだまだキリスト教には多神教の側面があると思います。

 有名な例が、マリア信仰ですね。イエス・キリストの実母であるマリアを礼拝する信仰です。聖母マリア信仰と呼ばれます。聖母マリアは三位一体の神とは明らかに違いますが、キリスト教会には根強く聖母マリア信仰があります。

 聖母マリアに限らず、キリスト教会には聖人と呼ばれる人たちがいます。その数、約1万人だそうです。ああ、多いねえ。

 彼らは人であるけれど、我々凡人と三位一体の神様を取り次ぐ存在であって、彼らに祈る事で、彼らを通して三位一体の神へと繋がっていく…わけだから、聖人は神様の眷属みたいなもので、三位一体の神が上位神であるならば、聖人は下位神とか式神のような存在なのかなって思います。こういう存在がいるってことも、多神教っぽいよね。

 ちなみに、マリア信仰とか聖人信仰は、大半のキリスト教会で受け入れられていますが、いわゆるプロテスタントと呼ばれる宗派のキリスト教会では受け入れられていません。プロテスタントでは三位一体の神様までがOKで、聖母マリアはもちろん、大勢いる聖人たちもNOなのですね。そういう意味では、日本に多いプロテスタント系のキリスト教会は、キリスト教的には、なかなかユニークな宗派なのかもしれません。

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2020年12月25日

キリスト教における一神教とは?

 タイトルは何やら小難しそうですが、私が書くので、そんなカタい話にはなりません(笑)。

 キリスト教は一神教だと言われていますし、実際そうでしょう。で、一神教の対義語が多神教だと学校で習うわけです。「この世に神様は一人しかいないのが一神教で、たくさんの神様がいらっしゃるのが多神教」って習うわけです。

 私は、この一神教と多神教を対立させる事が間違いなのではないかと思うわけです。だって、この定義に従えばキリスト教は多神教って事になってしまうからです。

 キリスト教の世界には、実は大勢の神様がいます。それは聖書を読めば一目瞭然です。キリスト教の神様に対抗する他の神様として、有名な神様としてはバアル神がいます。もう、やったらめったら聖書の中に登場します。もはや、主要キャラと言っても言い過ぎではありません。その他にも、ダゴン神とかモレク神とかまだまだたくさんいます。つまり、キリスト教の世界の中にはたくさんの色々な神様が存在していて、その中の一人であるヤハウェ(またはエホバ。どっちにしてもキリスト教の神様です)だけを信仰しなさい、他の神様を信仰してはいけません…というのが一神教なんだと思います。

 なので、整理して言うと、

 1)この世にはたくさんの神様がいる。

 2-1)それぞれの神様を自由に信仰していくのが多神教。
      ->神様同士が仲が良くて、神様社会が出来上がっている。

 2-2)その中から一人の神様を選び、その神様だけを一心不乱に信仰していくのが一神教。
      ->神様同士は仲が悪く嫉妬深い。良くも悪しくも個人主義(個神主義?)

 ま、こんな感じ? 実際、聖書の中で神様自身が「私は嫉妬深い」って言っちゃっているしね。

 なので、学校で教えてくれる一神教の説明って、違うなあって思うわけです。で、なんで、そんな勘違いが生じるのかと言えば、聖書を読んだことの無いのに分かったふりをしているから…って思うわけです。聖書を読めば、そんなつまらない間違いなんてしないもの。

 ちなみに、キリスト教信仰の有無に関わらず、聖書は読んでおいた方がいいと思います。なぜなら、キリスト教のみならず、ユダヤ教やイスラム教など、世界の大半の人々が信仰している宗教の聖典は聖書(またはその類書)であり、世界中の人々の行動原理や価値基準の根本にあるのが聖書だからです。

 世界の主要国の中で、聖書の価値観に基づかない人って多くないです。いわゆる仏教徒がそうですが、仏教国って、タイ、ミャンマー、スリランカ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ブータン…ええと、まだあるかな? 日本と中国を無理やり仏教国に数えたとしてもそんなモンです。あの韓国ですら、実は仏教徒よりもキリスト教の方が多くて、アジアにありながら仏教国とは言えません。あえて言えばキリスト教国なのです。

 とにかく、世界には200国ほどありますが、その中で非キリスト教国は少数派であり、非キリスト教徒は少数派なのです。地球人類的には、聖書を知らない人の方が少ないわけです。

 なので、我々日本人的には、聖書の教えを信じる信じないは信仰の問題だから横に置いておくとしても、知識としてはキリスト教や聖書を知らないというのはマイナスでしかありません。

 少なくとも、クラシック音楽の鑑賞にはキリスト教に基づく教養は不可欠だと思いますよ、マジでね。だから聖書は読んだ方が良いと思います。聖書なんて、本屋に行けば売っているし、有料無料さまざまなアプリもあるしね。読もうと思えば、いつでも読めるのが聖書です。聖書の内容って、世界の常識だから、常識を知っている事って大切だと思うわけです。

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2020年12月24日

ってなわけで、メリークリスマス!

 メリークリスマス! 今日は12月24日、クリスマスでございます。パフパフパフ〜。

 「ええ、24日はクリスマス・イブであって、クリスマスは25日じゃないの? クリスマス・イブって“クリスマスの前日”であって、クリスマスじゃないでしょ?」

 おそらく多くの日本人はそう思うでしょうが、それは間違っています。“イブ”には「前日」なんて意味はありません。“イブ”は“イブニング”の省略形であって、“クリスマス・イブ”は“クリスマスの夜”って意味です。

 「夜って…それって前夜って意味でしょ? だからクリスマス・イブはクリスマスの前夜祭でしょ?」

 ううん、それも違います。これって日本人には分かりづらいのだけれど、一日の区切りが日本とあちらでは違うのです。

 古来の日本人にとっては、日の出が一日の区切りです。お天道様が昇ると新しい一日が始まります。太陽神である天照大神が顕現する事で全てが新しくなるのです。だから朝が新しい日の始まりなのです。近代社会になって、時間感覚を時計という器械に委ねるようになったなった日本人にもDNAレベルでその感覚が残っていますから、朝目覚めると新しい日になったと思うわけです。

 でも、あちらの人たちは違います。日没が一日の区切りなのです。太陽が西に沈むと、その日は終わりなのです。「ふう、やれやれ今日も無事に終わった終わった…」と言うのが彼らの感覚なのです。だから、一日は夕方に終わるのです。夜は休息の時であり、解放された時間なのです。昼と夜は全然違うわけで、夜は新しい一日のための準備の時間であり、だから翌日(?)は夕刻から始まるのです。朝〜朝を一日として感じる日本人に対して、あちらの人たちは夕〜夕を一日として感じるわけです。

 だから“クリスマス・イブ”はクリスマスなのです。クリスマス当日なのです。「クリスマスが始まったぜ、ひゃっほう!」がクリスマス・イブなのです。

 クリスマスというのは、そもそも生誕祭なんですよ。キリスト教の神様であるイエス・キリストがお生まれになった事をお祝いするお祭りです。イエス・キリスト自身は歴史上の実在していた人物ですし、彼が生まれた時刻は正確には分かりませんが、夜に生まれた事は聖書に明記されています。だから、クリスマスは夜が本番なのです。だから、クリスマス・イブは特別な日なのです。

 とは言え、彼が生まれた日が本当に12月24日の晩なのかは正確には分かりません。何しろ生まれた当時は無名な庶民ですから記録が無いんですよ。

 実はキリスト教の中にも色々な宗派があって、イエス・キリストの誕生日を別の日に設定して、そちらでお祝いしている国や宗派もありますが…どちらにせよ、どこかでイエス・キリストの誕生日をお祝いするなら、ひとまず12月24日にしておこうぜ…という暗黙の了解みたいなものがあって今に至っているんだろうと思います。

 ま、12月24日のお祭りと言うのは、あちらの世界のキリスト教以前での話では、その日は冬至のお祭りをしていたらしいので、キリスト教を土着化させる際に、その冬至のお祭りを神の御子の生誕祭にスライドさせたという説がありますし、たぶんそれが本当なんだろうなあって私は思ってます。

 何はともあれ、めでたい事にはかわりが無いわけです。ってなわけで「メリークリスマス!」で良いんじゃないかなって思います。

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2020年12月23日

医学の進歩はすごいんだろうなあ

 …って思ってます。

 何に対して感心しているのかと言えば、私、この歳になっても、歯が全部あるんですよ。すごいでしょ?

 もちろん、あっちこっち虫歯の治療跡はあるわけで、私の歯が完全無欠ってわけではないけれど、入れ歯も差し歯もインプラントも使ってません。ひとまず全部自分の歯。ふふん。

 なんで、こんな事を自慢しているのかと言うと、我々の親世代の人って、入れ歯の人、多いよね。これが子供の時に見ていた爺婆世代になると、ほぼほぼ入れ歯だったと思うんですよ。

 子供の頃は、人間は誰でも年を取れば、腰が曲がって、耳が遠くなって、入れ歯になる…そう思ってました。

 ところが、私自身が子供の頃に見ていた爺婆の年齢になったにも関わらず、私の腰は曲がっていないし、耳も遠くなっていないし、何と言っても、一本も入れ歯じゃない! これってすごくない?

 とは言え、全部が自分の歯である事は、別に私の努力の賜物ではありません。いや、むしろ私は歯科衛生に関してはガサツな方です。一応、日に1回程度は歯磨きをするけれど、正直言うと、たまには…というか、しばしば歯磨きを忘れて寝ちゃったりします。一年に360回も歯磨きしていない事は確実です。なぜなら、私は入浴時に歯を磨く人なので、面倒くさくて入浴をサボった日とか、温泉に行ったり、銭湯に行った時は、さすがに現地で歯磨きできないので、そういう時はサボっちゃったりするので、毎日必ず歯磨きしています…とは言えないわけです。

 それにだいたい、数年に一回、歯が痛くなって歯医者に行くと、歯の治療よりも歯石を取る方に時間がかかっちゃったりするほど、ちゃんと歯磨きできない、いいかげんな野郎です。毎食ごとに歯磨きしている人を見ると、尊敬する…と言うよりも、別の種類の人間なんだろうなあって思っちゃうくらいです。

 こんなにいい加減にしか歯科衛生について考えていないのに、入れ歯じゃないのは、やっぱりたまにしか行かないけれど、歯医者さんのおかげなんだろうと思います。

 歯が痛くなって、こりゃたまらんとなってから病院に駆け込む、ダメ患者であるにも関わらず、その都度、丁寧な治療をしてもらっているから、この歳になっても、保険治療しかしていないにも関わらず、入れ歯を回避して、自分の歯なんだろうと思います。

 たぶん、私、自分の爺婆の世代に生まれていたら、今頃は間違いなく総入れ歯だよね。親の世代であっても、数本は入れ歯か差し歯になっていると思うわけよ。ほんと、そういう意味では、医学の進歩はすごいんだなって思います。

 ちなみに、虫歯は舐めちゃいけません。今でこそ、虫歯で死ぬ人はいなくなったけれど、時を二百年くらい遡ると、虫歯で死ぬ人がいたようです。つまり、昔々虫歯は死病の一つだったわけで、だからやばいと思ったら、虫歯を抜いていたんだよね。これはガンになったら、ガンの部位を切除するのと同じなわけで、そういう意味では、二百年前の虫歯は今のガンみたいな病気だったのかもしれません。

 いや、別に大げさではなく、結構真面目にそう思っていたりするんですよ。

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2020年12月22日

結局、自分の免疫力に頼るしかないのか?

 ようやく…と言うか、ボツボツと言うか、新型コロナウィルスのワクチンがいくつか完成し、世界のアチラコチラでワクチン接種が始まったようです。日本は自国製のワクチンが無く、外国のワクチンの余りを貰う予定なので、白人の皆さんへのワクチンが行き届いた後に、ありがたくいただく事になるようです。

 まあ、彼らが自分たちの身をもって人体実験をしてくれるんですから、むしろ有り難いなあと私なんかは考えます。彼らが自分たちにガンガン打って、その危険性やら有効性やらを洗い出した後に我々の順番が回ってくるわけですから、ほんと有り難いですよ。

 世間の一部の人でしょうが、ワクチンさえ接種すれば、今のストレスフルな生活から解放される…と信じている人がいますが、そうなるといいですね。みんながワクチンを接種する事で、この世から新型コロナウィルスが無くなって、以前のような生活が戻ってくると、本当にいいなあって思います。

 まあ、無理だろうなあって私は考えてますけれど。

 たぶん、みんながワクチンを接種しても、今とあまり変わらない世界にしかならないと思うんだよね。

 と言うのは、世の中には感染症ってたくさんあるけれど、ワクチン接種で撲滅できたのって天然痘ぐらいなんだよね。ポリオはまだだけれど、ワクチン接種で撲滅しつつあるから、これも仲間に入れてもいいけれど、大半の感染症では、実はワクチンって撲滅と言うよりも、一時しのぎでその場しのぎの治療にしかならないみたいです。

 身近な例で言えば、インフルエンザウィルスだよね。私なんか毎年ワクチンを接種しているよ。なぜかと言うと、インフルエンザのワクチンって防御免疫の持続期間が約五ヶ月程度って短いんだよね。だからワクチンを一回打てば終わりではなく、毎年接種しないと意味がないわけです。一時しのぎと言うか、今年限りなワクチンなわけです。

 おまけに、インフルエンザは簡単に変異しちゃうから、仮に昨年接種したワクチンが長期間有効だったとしても、今年のウィルスと昨年のウィルスは違うウィルスなので、昨年のワクチンでは効果がないようで、毎年毎年新しく変異したウィルスに対応した今年度版のワクチンを打たないとダメなわけです。で、これは実際に流行する前にワクチンを作り始めるわけで、つまり予測で作るわけだから、その予測が当たれば良いけれど、ハズれればワクチンを接種していてもしていないのと同じ状況になってインフルエンザにかかる訳です。これをワクチンの有効率って言うわけだけれど、インフルエンザワクチンの有効率で約50%だから“当たるも八卦当たらぬも八卦”って気分でワクチン接種をしているわけだ。

 新型コロナウィルスもインフルエンザ並に簡単に変異しちゃうウィルスだよね。春に非常事態宣言が出た時には、日本には3種類の新型コロナウィルスが入り込んでいて…なんていう報道が毎日ありました。今は何種類のウィルスが入り込んでいるのかな? それに最近の報道では、イギリスで新しい新型コロナウィルスの変異種が発生して猛威を奮っているわけだけれど、それもやがて日本に入ってくるんだろうなあって思うわけです。

 そんなに簡単に変異しちゃう新型コロナウィルスに、本当にワクチンって有効なの?って思うわけです。おまけにワクチンって、副作用やら副反応やらも激しい劇薬だからね。本来は、そんなにほいほいと気軽な気分で接種して良いはずはないんだよね。

 薬ってのはマジックアイテムではなくて、基本的には毒物だから、効果の高い薬は、効果の高い毒でもあるわけです。そこんところを良く考えないといけないわけです。ネットで、ワクチンの副反応とか副作用とかをググれば、色々分かるよ。

 だから、ウィルスの有効率やら、副作用の有無や程度などを、白人の皆さんが人体実験してくださって教えてくれるわけだから、我々はそれを待ってから考えればいいわけなのです。

 まあ、基本的に新型ウィルスに罹患しても、その大半(約80%と言われています)は軽症なのだから、自分の免疫力だけで治せるわけだし、二週間なら二週間安静にしていればいいと思います。まあ、発熱やら息苦しさに対する対処療法は必要だろうけれど、まあそんな感じでしょ? それは一般的な風邪の治療と同じです。ビビる必要は全くないわけです。

 ただ、残りの20%になっちゃった場合は、そうはいきませんが、その場合は覚悟を決めればいいだけでしょ? 人は必ず死ぬんだし、自分もいつかは死ぬんだから、それはもう諦めるしかないよ。天寿? 人にはそれぞれ与えられた生の時間があって、それは個人個人でみんな違うわけだから、他人と比較しても始まらないよ。自分の寿命が終わる時が来たら、それを受け入れるだけよ。そうでしょ?

 ワクチンは有り難いし、実際問題としては、私も接種するかもしれないけれど、それはあくまでも数ある選択肢の一つであって、基本は自分自身の免疫力が大事だなって思ってます。だから、なるべくストレスをためないような日常生活を送りたいと思っているし、睡眠時間もなるべく多めに取ろうと思ってます。

 いや、マジで。それが一番だと思っているからね。

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2020年12月20日

だんだんモノが見えなくなる

 モノが見えなくなる…と言っても光を感じられないわけではありません。盲の方向で見えないわけではありません。パソコンの画面の解像度が低くなるように、あらゆるものがボケて見え、モノの輪郭が分かりづらくなり、すべてが滲んだようにしか見えないのです。

 ひとことで言えば「老眼」ってやつですね。

 この老眼が進行して、どんどん程度が激しくなるわけです。対処法としては、老眼鏡をより強いものへと取り替えていくわけです。前回、老眼鏡を買い替えたのは、そんなに前の話じゃなかったと思うんだけれどなあ。でも明らかに楽譜は見づらくなっていて、フルートの記事の方には書いたけれど、日常使いのメガネではなく、フルートのレッスンの時は、もっと度の強い老眼鏡(普段は自宅の書斎でパソコン用に使っているメガネ)を持ち込んでいるくらいです。

 どうも老眼が進んでいるようです。

 自分の目が見えなくなってきている事は自覚しています。私、外では日常使い用のメガネ(遠近両用)を使用していますが、自宅にいる時は、基本的に裸眼です。で、必要に応じて老眼鏡(度の強い近距離専門の、いわゆるリーディンググラス)を使っていますが、最近はその読書用の老眼鏡を使用する頻度が高いのです。

 ほんと、世界がどんどんぼやけて見えてくるようになっているんだよね。

 私は若い時は、めっちゃ目が良かったんですよ。とても分解能の高い、良い視力を持っていたのです。だからこそ、今の老眼に不足と不満をより強く感じています。ほんと、若い時には何でも見えていたのに、年をとった今、色々なモノにピントが合わなくなって見えなくなってきた事にストレスを感じざるを得ません。

 仕方のないことだとは思っているけれど、なんか鬱々としてしまうのです。あれだけ活字中毒で毎日毎日文字を読まなければいられなかった若い日々が懐かしいです。今は活字を見るのが辛くて、紙の本なんてほとんど読めません。今読めるのは、文字を大きく表示できるパソコンとかタブレットを利用しての電子書籍ですからね。スマホの文字なんて読めない読めない。ましてや、文庫本や新書本なんて…あれだけ愛していたのに、もう手に取ることすらためらうほどです。書斎にあふれる本たちだって、正直、読みたいと思わないもの。もはや、老眼の私にとっては。

 見えなくなるって、こんなに辛い事だとは思わなかったし、ましてや今はまだ底にたどり着いたわけでもなく、これからますます見えなくなってくるのだと思うと、もはや憂鬱でため息しか出ませんよ。

 パソコンのモニターを見るのも億劫になったら、ブログもやめざるを得ないのかな?…と何となく思っている今日このごろです。

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2020年12月13日

みんなイライラしている

 最近気づいたのだけれど、なんか皆さん、イライラしていない?

 私自身は気持ちも安定し、ストレスも無く、毎日元気に暮らしている…と思ってました。少なくとも例年はそうでした。実は今年だって、そのつもりでした。

 職場でストレスチェックなる心理テストがあって、毎年それを受験しないといけません。毎年毎年それを受け、いつも低ストレス状態で良好であることを確認していました。で、今年もそうなるはずでした。

 でも、今年の結果はそうではありませんでした。私自身は全く自覚が無かったのですが、テストの結果、今年の私はストレスフルのようで、そのストレスの影響が身体面に向かっているという結果が出ました。ううむ、虚弱という程ではないけれど身体は決して強い方がないからなあ…と嘆くよりも、精神がタフで良かったというべきか(笑)。

 自分自身を見つめ直して見るに、確かに身体は弱ってます。ストレスはともかく疲労は確実に溜まっているし、その溜まっている疲労を強く感じます。おまけにここ数ヶ月も休日出勤が続き、ロクに休めてないんだよねえ…。サービス残業なんて当たり前だしなあ(嘆)。まあ、過労死ラインを超えるほどの残業時間では無い事に感謝するべきか(涙)。

 とにかく今年の私はストレスフルなのです。ちょっとヤバいのです。そう思って、周囲を見回して気が付きました。明らかに、部下たちは私よりもストレスフルです。その症状が身体に出ている者もいますが、多くは精神面に出ている者もいます。

 なんか、みんなイライラしているせいか、職場がギスギスしているんだよね。

 仕事自体は例年よりも大変なのに、順調に回っています。いや、順調に回すために、あれもこれも抱えているのかもしれませんし、例年ならばストレス解放できていた事ができなくなっているとか、それでみんなイライラしているとか?

 私だって、例年なら秋はコンサートシーズンで、週末ごとに色々なコンサートに出かけていたのに、今年は家でテレビを見るか、ふて寝するぐらいだもの。ストレス、溜まるよなあ。発散、出来てないよなあ。

 やっぱ、原因はコロナだよなあ。

 日頃のストレスを飲みで発散している連中は、居酒屋等に行く頻度が減ってしまって、あれこれ溜まっているようだし、大勢が狭い部屋に集まってワイワイするのも禁じられているので、休憩時間もみんなクチをきかずに静かにしてますが…ストレス溜まるよねえ。おまけにリモートだとかICTだとか、慣れない機材を手に、慣れない作業をせざるを得ないわけだし…ああ、これはほんと、ストレスフルだ。

 コロナという死神も怖いけれど、コロナのために経済的苦境に陥って貧乏神に取り憑かれるのも御免だし、ストレス溜め込んで悪魔に魂を操られるのも勘弁です。

 そういう意味では、コロナ、侮りがたしです。

 ああ、南の島にバカンスに行きたい(行けないけど)。

 疫病退散!

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2020年12月06日

たぶん“終わり”が始まったのだと思います

 先日…2020年11月30日の事ですが、私が使っている“さくらのブログ”の管理画面が激烈に重くなりました。翌日の記事がうまくアップできないし、当日の記事へのコメントさえ無理。別に他のサイトは通常通りに動きますから、この不都合に関して、私のパソコンが原因ではないわけで、そうなると“さくらのブログ”のサーバーに異常が生じている…と考えざるを得ないわけです。相手側のサーバーが原因ならば、私には出来ることは無いので、その日は、あれこれ諦めて翌日待機をしていたわけです。

 翌日になったところで、ブログの管理画面は通常の速さで使えるようになりました。前日にあれこれ色々トラブりながら設定した箇所は、全部アウトでした(まあ、そんなもんだよね)。

 それと同時に“さくらのブログ”から発表がありました。なんでも、来年(2021年)3月2日以降、“さくらのブログ”の新規アカウント受付が終了するというのです。簡単に言うと、3月以降“さくらのブログ”のユーザーにはなれないよって話です。新しい人が“さくらのブログ”で新しくブログを作成することはできませんって話です。

 で、そのためにサーバーの設定を色々といじっていたので、11月30日はブログの管理画面がうまく動かなかった…というわけです。

 ちなみに今回の件で、今現在のユーザーは、現在のブログをそのまま継続できるそうだし、今現在のユーザーなら、新規ブログの作成もできるそうです。つまり、現役の“さくらのブログ”のユーザーである私には何の影響もありませんって話です。

 でもね、ちょっぴり不安は不安です。

 なぜこんな事になったのかと言うと“さくらのブログ”のユーザーが減ったからなんだそうです。ユーザーが減ったので、サービスの見直しを検討した結果、新規アカウントの受付を終了する事にしたのだそうです。まあ、ブログサービスのユーザーが減っているのは、全世界的な傾向なので、仕方ないと言えば仕方ない話です。もう、ブログはオワコンなのかもねえ…。

 他の会社だったら、ブログサービスの中止になっても、全然不思議じゃない案件だよね。

 当面は、新規アカウントの受付をやめるだけで、今いるユーザーには何の影響もないと公言しているけれど、それがいつまで続くことやら。私的には一生…とは言いません。せめて、あと数年は続けてくれるとうれしいなあと思ってます。それでも、必ずブログというコンテンツの終わりは来るわけで、いずれは“さくらのブログ”も終了するでしょう。

 “さくらのブログ”はレンタルサーバー会社のおまけサービスで、別にさくらはこのブログで儲けているわけではなく、あくまでもサーバーを貸するのが商売なわけで、その貸したサーバーの利用方法の一つとしてブログを提案しているわけです。なので、ブログサービスに関しては商売っ気がないわけで、私はそういうところが好きなのです。

 で、そんな“さくらのブログ”が終了する頃は、他社のブログサービスもほとんど残っていないだろうと思われます。だから、ここが終わるなら、私は…引退だね。世の中、色々SNSはあるけれど、私はブログ以外の媒体には魅力を全く感じないんだよね。少なくとも、一社が全部を抱え込んでいるようなサービスは拒否します。ブログがいいのは、ワールドワイドでオープンなところなんだよね。

 たぶん、今回の件は、ブログサービスの終わりの始まりなんだろうと思います。ならば、それはそれとして、きちんと楽しんでいけばいいのかなって思ってます。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | ダイエット&エッセイ