2021年03月10日

音楽用マスクって?

 ネットを見ていると、各種音楽用マスクが販売されているようです。歌用のマスクであったり、楽器用のマスクであったり…と、主に歌手と管楽器奏者に向けて販売されているようです。

 まあ、ピアノとか弦楽器とか打楽器とかって、普通のマスクで十分だものね。

 音楽用マスクにも色々ありますが、私が見る限り、タイプとして3種類あるようです。1つは、マスクの内側に楽器(少なくとも頭部管や歌口)を入れて演奏できるタイプ。もう1つが、薄い布地を通して楽器に息を吹き込むタイプと、そのハイブリッドタイプの3つです。

 マスクの内側に楽器を入れてしまうタイプは、マスク自体が大きくなり不恰好にもなりがちですが、息が出る部分をマスクの中に入れてしまえという発想は理解できます。もっとも、息は歌口以外の管体のホールなどからも出るので、完璧からはだいぶ遠いと思いますが、それでも「マスクをしてます」アピールにはなると思います。ただ、どうしても楽器をマスクの内側に入れるため、マスクを人間に密着させる事は難しいので、飛沫そのものはマスクの横から出入り自由だと思いますが、どうなんでしょうね?

 歌の世界で使われる、俗に言う“コーラスマスク”というは、アゴの下の部分に布が垂れ下がるようにして、アゴの動きを邪魔しないように出来ていて、これもある意味“楽器を入れてしまうタイプ”のマスクになるようですが、これって、ブレスをした時に、マスクを飲み込んだりしませんか? あと、アゴ下はフリーになっているので、飛沫はアゴ下からダダ漏れですよね。

 薄い布地を通して楽器に息を吹き込むタイプは「楽器に息を入れても、飛沫は入れません」って発想なんだと思います。発想は素晴らしいし、マスクを密着させて着用する事もできるけれど…息苦しくありませんか? あと、息を吹き込む部分がビチョビチョになりませんか? マスクって、濡らしちゃいけないんじゃなかったっけ?

 まあ、難癖つけているだけに思えるかもしれませんが、私は、マスクと歌、マスクと管楽器の両立って無理難題なんだと思ってます。歌にせよ管楽器にせよ、マスク無しで演奏するのが本来の姿であって、それらとマスクの両立は、いかにも無理難題だと思ってます。

 このままマスク文化は定着するのかしら? だとしたら、今の人はともかく、これからの人は、歌ったり、管楽器を演奏する時に、常にマスクの事を頭に入れて「マスクをすると息苦しいなあ」とか「マスクを外して演奏するなんて怖いなあ」とか思うようになるなら、やがて音楽を演奏する人が減ってしまうかもしれません。

 実際、この1年で、あっちこっちの学校の吹奏楽部の生徒さんの数が減っているという話を聞きます。まあ、このコロナ禍でまともな練習が出来ないのですから、仕方ないと言えば仕方ないですが、この状況が3年続けば、あっちこっちの学校で吹奏楽部が廃部になってしまうかもしれません。

 コロナ禍とは関係ありませんが、学校から合唱部が無くなって久しいです。やはり学校の部活が無くなると、若い人たちの合唱界への参入が減りますから、今のように町の合唱団が老人クラブみたになってしまいましたが、吹奏楽も老人クラブ化するようになってしまうかもしれません。

 まあ、学校の部活に限らず、こんな事が続いていくと、音楽を演奏する人の数が減り、音楽業界の裾野が狭くなってくるから、頂きの高さも低くなってしまいます。つまり、音楽を楽しむ人が減るし、演奏も下手になって、やがて音楽という文化が衰えてしまうようになるかもしれません。

 恐るべし、コロナ禍。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | 音楽一般

2021年03月09日

集中力の大切さ

 何事にも集中力は大切だと思います。特に学習においては顕著です。

 例えば、1時間ダラダラと勉強するよりも、10分間だけでも集中して勉強した方が身に付くし、実は勉強量が増えたりします。

 でも人間って、無意識でいるとダラダラする生き物です。で、大抵の人は、大抵、ダラダラしがちです。集中して事に当たれるのは、私は立派な才能だと思っています。

 例えば、映画のDVDを借りてきて家で見る時って、どこかリラックスしてしまい、途中でトイレ休憩を入れたり、おつまみを用意するために中座したり、ドリンクのおかわりなんて、しません? ウチの妻なんかは、映画見ながら読書したりゲームしていたりします。でも、映画館で映画を見る時は、映画だけに集中して見ています(たまに睡魔にやられて寝ちゃいますが…)。

 私個人の感想ですが、映画館で見た映画は、結構しっかり心に刻まれますね。一方、家で見た映画は、たとえ名画であっても、それほどでもありません。その違いは、映画館での一期一会の鑑賞と、DVD鑑賞(何度でも見直せる)の違いと、やはり集中力の違いだと思います。映画館って、映画に集中するしか無い環境だもの。

 いわゆる勉強だって、たった10分でも頭から湯気が出るほど集中して行うと、学習効果は抜群ですが、その10分間が、気を散らしながらだと、大した効果は生まれません。

 よく音楽を聞きながら勉強する人がいますが、それって「私は勉強に集中していません」って事を態度で表明しているわけで、実際、集中して勉強する人の耳には、音楽はおろか、あらゆる外界の音は耳に入ってこないので、音楽なんて不要だし、音楽を聞きながら勉強なんて、ありえない事ですから。

 友達と一緒に勉強する…これってどうなんでしょうね? そのお友達とおしゃべりはしないのでしょうか? 他人の存在が気にならないのでしょうか? 私には集中を妨げる行為にしか思えません。

 「分からない事を教え合うんだよ」 分からない事は友達ではなく、先生に尋ねるべきです。だいたい、その友達がちゃんと正しい事を教えてくれる保証はないでしょ? だいたい、友達というのは、あなたと同じ程度の人なんだから、同じようなところが同じように理解不足なんだよね。でしょ?

 音楽の練習もそうです。毎日決まった時刻に決まった時間ずつ練習できるなら、それに越したことはありません。でも、社会人はなかなかそんなわけにはいきません。勢い、生活のスキマ時間に練習せざるをえないし、そのスキマ時間が、10分単位だったりするわけです。でも、そのスキマ時間に集中して音楽の練習ができたら、それはとても良い練習習慣の持ち主だと言えるでしょう。

 もっとも、私などは、その10分のスキマ時間があったら、練習する以前に、ぼーっとしてしまって、その10分を無為に過ごしていまう事が多いです。うむ、残念です。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(2) | 音楽一般

2021年03月08日

なぜ私はレッスン記事の連載ができるのか?

 私は、声楽にせよ、フルートにせよ、過去にはヴァイオリンでさえ、レッスン記事の連載をしています。なぜ、レッスン記事の連載ができるのかと言えば、きちんと先生方に許可を頂いているからです。

 町の音楽教師の中には、自分のレッスンをネットに書かれるのを嫌がられる人もいます。もしも私がそういうタイプの先生に習っていたら、すぐさまここのブログは閉鎖です。だって、あれこれ色々な記事をブログに書いていますが、ここのブログの主な目的は「レッスンの忘備録」なんです。もちろん、自分用ですが、レッスン記事がアップできなくなったら、ここのブログのレゾンデートルが犯されるわけですから、ブログは閉鎖せざるをえなくなるか、全く別物のブログに転向しなければいけません。まあ、別物のブログを書く余裕は私には無いので、そうなればブログ閉鎖でしょうね。

 自分のレッスンをネットに書かれるのを嫌がる先生方の言い分としては「手の内をネットにさらされるのは、うれしくない」のひと言に尽きるようです。つまり、ネットにレッスンの様子を書かれることは、商売の邪魔ってわけです。

 以前、声楽のY先生にそんな事を話した事がありますが、Y先生はそんな事をちっとも気にしていませんでした。と言うのも、ブログ記事はもちろん丁寧に書いていますが、だからと言って、それを読んで、レッスンで教えている事が伝わるかと言うと、それはかなり微妙なのをY先生は知っているからです。

 例えばブログ記事に「響きは倍音構成であり、もっと響きを高くする事で音程の幅の広い声になる」と私が書いたとして、私自身はこの文章を読めば「ああ、あの事だな」と察しが尽きますが、第三者がこの文章を読んで、果たして内容がつかめるでしょうか?って話です。この文章を読んで「ははん、あの事だな」と察する事が出来て、自分でそれを再現できる人は、すでにこのレッスン内容が自分の身になっている人であって、出来上がっている人でしょう。一方、これからこのような事を習うレベルの人にとっては、この私の文章では、何が書かれているのかチンプンカンプンになるしかありません。だって、何が書かれているのか、分からないからです。

 声楽に限らず、音楽の学習って、体験の積み重ねだと思うのです。決して、知識の積み重ねではないと思います。だから、音楽を座学で学ぶのは無理です。実技として、練習を積み重ね、レッスンで正しく方向付けられる…という体験を積み重ねていかないと、学べないのだと思います。

 そういう意味では、ブログの記事を読むのは、読書体験ではあっても、音楽体験ではないので、そこから何か音楽的なノウハウを学ぶのは、まず無理なのです。すでに得ているものの確認なら、十分できると思いますが。

 ってな事を、ずっとずっと昔にY先生から聞かされて、深く感じ入ったので、未だに覚えている私なのです。

 ちなみにフルートのH先生は「ネットの記事を読んで、フルートが上達するわけないから(ネットにレッスンの様子や内容をアップしても)かまいませんよ」と簡単に言ってましたが、おそらく内容的には声楽のY先生と同じような事だろうと思います。

 なんて事を書くと、ブログ記事等を読んで、独学で音楽を学んでいる人を全面否定してしまいますが、私の経験を踏まえても、独学で音楽を学べるのは、ごくごく初歩レベルまでであって、そこから先に進むためには、自分自身にあふれるほどの才能を持っているか、あるいは良き師匠との出会いが必要だと思います。独学だけでプロになった人は歴史を見ればいないわけではありませんが、その人たちのその後の活躍を見ても、そもそもが天才であって、音楽の才能にあふれている人なのであって、そこは我々凡人とは違います。我々凡人が、あるレベルよりも上達しようと望むなら、良き師匠との出会いはぜひ必要なのだと思います。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(2) | 音楽一般

2021年03月04日

練習は出来ないところをちょびっとだけやるのが良い

 私の自宅練習の方針です。自宅練習は先生がいないところで行う練習ので、あまり自分を追い込まないようにしています。と言うのも、追い込む過程で、失敗経験をして、それが身に付くことを恐れています。練習では、自分に良い癖を付けたいと思ってます。でもそれは自分ひとりの練習ではなかなか難しいので、せめて悪い癖を付けないように心がけています。

 よく、出来ない箇所ばかりを集中的に練習する人がいます。「出来なければ、出来るまでやれ」というやり方ですね。ま、根性論です。キング先生がよく言ってましたし、当時の私もなるべくその方向で頑張っていましたが、今となっては、このやり方は良くないと思っています。と言うのも、このやり方では上達しないんですよ。むしろ、練習すればするほど下手になります。真面目な生徒ほどドンドン下手になっていきます。

 というのも、出来ないから「出来るまでやれ」でしょ? つまり、出来ない状態を何度も何度も繰り返すわけです。で、その出来ない状態を何度も繰り返せば出来るようになるのか? それはスポ根漫画の世界であって、現実の世界の話ではありません。現実世界では、出来ない状態を何度も何度も繰り返すと、その出来ない状態が身についてしまいます。つまり、悪い癖が身に付くわけで、そんな事をしていても決して出来るようにはなりません。そして、才能ある人も、このような間違った練習法のためにつぶされてしまいます。

 だから、出来ない事はやらない方が良いのです。もちろん、練習量が欲しい時は、ガンガンやれば良いのです。でもテクニカル的に出来ない事は、無理にやらない方が良いです。ちょいとやってみて「こりゃダメだ」と思ったら、むしろやっちゃダメです。で、出来ない自分を受け入れるわけです。

 繰り返しますが、根性とか努力とかで、どーにかなるのはマンガの世界だけですよ。

 じゃあ、出来ない事はどうやって身につけるのか? それは、基礎練習あるのみです。どんな基礎練習をするべきなのかは、先生と相談ですね。

 直接、城攻めを考えちゃダメです。とにかく、遠回りをしても、外堀を埋めていくのです。場合によっては、籠城攻めも辞さない覚悟で臨みます。そうやって、時間を掛けて手間掛けて、テクニックってのは身につけるもののようです。

 逆にテクニック的には出来るはずなのに、うまくいかないのは、練習量の不足が大きな原因だから、それはもう、馬鹿になったつもりで、ガンガン練習していくしかないです。ただし、1日は24時間なので、曲の頭から最後までの通し練習ばかりやっていたら、効率が悪いので、うまくいかない箇所を、フレーズ単位とかで取り出して、そこばかりをガンガン練習していきます。

 つまり、練習では、出来る箇所は確認程度に弾いて、出来るはずなのにうまくいかない箇所はガンガン練習して、まだ出来ない箇所はちょっとだけ弾いて出来ない事を確認したら、あとは基礎練習をガンガンやる…って方針で、出来たら良いなあって思ってます。

 いやあ、クチでは何とでも言えるんだけれど、実際の生活の中では、練習時間をひねり出す事自体が難しいのよ(涙)。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(2) | 音楽一般

2021年02月18日

楽譜は読めないよりも読めた方がいい

 楽譜が読めない人には、楽譜が読めると、どれだけ音楽の世界が広がるかが分からないし、楽譜が読める人には、楽譜が読めない人がどうやって音楽と接しているのかが分からない、と私は思います。

 器楽の場合、楽器が何であれ、楽譜が読めないと楽器の演奏はかなり難しいです…ってか、まず無理かな? 一部の天才肌の人を除くと、やはり楽譜が読めないと楽器の演奏はどうにもならないです。特に再現音楽である、クラシック系の音楽は楽譜が読めないと、本当に大変です。ですから、楽器を学んでいるうちに、演奏に困らない程度には楽譜が読めるようになるものです。

 しかし、器楽の人には想像もつかないかもしれませんが、歌(独唱、合唱問わず)の人って、楽譜が読めなかったり、読めてもかなり怪しい人が大勢います。と言うのも、この世界は、楽譜が読めなくても、なんとかなっちゃう世界だからです。

 歌って、楽器と違って、耳で覚えても行けちゃうんです。なので、歌の練習をいくらしても、楽譜が読めるようになるとは限らないのです。

 皆さんも、カラオケを楽しむと思いますが、カラオケで歌う時、わざわざ楽譜を見ながら歌ったりしませんよね。テレビや配信で耳馴染んだ曲をカラオケで歌うわけで、楽譜なんて見ないで歌う方が普通です。そう、歌って、須らく、そんな感じなんです。

 独唱の人は、プロの音源を聞いて、メロディを覚えて歌ったりするし、合唱だと、多くの団で“音取り音源”が用意されていて、その音源を聞いて自分のパートのメロディを覚えて歌うんです。だから、楽譜がちゃんと読めなくても、歌は困らない。よほど耳が悪くなければ、なんとかなるのです。

 なんとかなる…と言えば、なんとかなるのだけれど、実は耳で聞いて覚えると、タモリの空耳アワーじゃないけれど、細かい箇所がいいかげんになります。間違って覚えたり、丸めて覚えたりしがちです。そして、それに気が付かないのが、耳で歌を覚える欠点です。

 細かなリズムの刻みを正しく歌ったり、細かな音程の移動をきちんと理解して歌うためには、楽譜が読めないとできません。

 合唱などでは、自分のパートは耳で覚えられても、その時に他のパートがどんなふうに歌っているかは、楽譜が読めないと分かりません。つまり、楽譜が読めないと、音楽を横に捉えられても、縦に捉えるのは、かなり難しいのです。

 それに、独唱などでは、とりわけオペラアリアがそうですが、プロの歌手って、実は楽譜通りに歌っていない事が多々あります。それはその歌手の個性なのですが、その個性の部分まで耳で覚えて歌ってしまっては、ただの劣化コピー歌手になりさがるだけです。個性的な表現と言うのは、きちんと楽譜通りに歌えた上で加えるものです。でも、それをするには、きちんと楽譜が読めるか(海外のプロの場合は)きちんと楽譜が読める人(コレペティさんだね)に教えてもらう必要があります。

 というわけで、歌の人は楽譜が読めなくても歌は歌えますが、歌をきちんと歌おうと思った時(特にクラシック系)は、楽譜が読める必要があるし、その楽譜を自分で読んで、ピアノ等で音取りができる程度にピアノも弾ける必要があると思います。

 「自分でピアノが弾けなくても、パソコンで楽譜通りに音を出してもらえば…」と言う人もいると思いますが、それでは合唱団の音取り音源と同じ事で、そんなに精密に音取りをするのは無理かなって思います。音取りは、自分でピアノを叩きながら、1音1音確認しながらやらないとダメって部分がありますからね。

 というわけで、音楽を趣味にしているなら、楽譜は読めないよりも読めた方が良いと思います。で、楽譜を読めるようになるには、ソルフェージュを学ぶのが王道でしょうが、私は器楽を学ぶのも良いと思います。ピアノやギターのような、和音が奏でられる楽器を楽しむのが良いと思います…って、単音楽器のフルートを学んでいる私が言っても、説得力ないか(笑)。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | 音楽一般

2021年02月15日

大人の新曲視聴(笑)

 最近の私は、たどたどしいながらも、なんとか楽譜が読めるような感じに、なんとな〜くなりつつあります。

 もちろん、まだ読めるのは単旋律(つまり、歌とかフルートとかの楽譜です)であって、オーケストラ譜はもちろん、ピアノ譜もまだまだです。合唱譜も、各声部ごとに分けて書かれていれば何とかなりますが、複数の声部を一つにまとめて書かれてしまうと、お手上げ状態です。

 でもね、全然楽譜が読めなかったのに、ここまで成長した事が、とてもうれしいです。

 私が楽譜を読めるようになったのではフルートのH先生のおかげです。H先生のレッスンを通して、楽譜が読めるようになりました。

 正直、声楽を学んでいても、楽譜が読めるようになるかどうかは微妙です。少なくとも、私は読めませんでした。と言うのも、声楽はレコ勉しちゃうんですよね。つまり、耳で覚えちゃう部分が結構あります。耳で覚えちゃったり、そもそも知っていたりする曲を歌うので、楽譜は大雑把に読める程度でも、どうにでもなっちゃったりします。それじゃあ、楽譜なんて、いつまで経っても読めるようにはなりません。

 そこへ行くとフルートは全然違いました。

 もちろん、フルートだってレコ勉はできますが…レコ勉では細かい部分は分かりません。フルートの曲って、耳で聞いて分かる範囲を超えて、細かいんだよね。だから、レコ勉して、大雑把に曲を理解したとしても、細かい部分は、結局、楽譜を読まないとダメなんだな。それに、声楽と違って、私が学ぶような曲は、レコ勉するには、あまり有名ではなくて、音源も市場に豊富に出回っているわけではないので、必死にお手本CDを探して入手しないといけなかったりするので、それも面倒で、だったら「直接楽譜を読んでやる!」という気持ちになります。

 もっとも、最近はYouTubeなる便利ものがありますので、丹念に検索すれば、いくらフルート学習とは言っても、YouTubeを使ってレコ勉できないわけでもありません。とは言え、YouTubeの音源は玉石混交なので、勉強対象にならないような演奏もヤマのようにあります(笑)。ってか、石のような音源ばかり見つかります(涙)。

 閑話休題。ええと、私なりの新曲視聴のやり方を書いてみます。おそらく、プロの方とは全然違いますが、私のようなアマチュアの方の参考になるとうれしいです。

 まず、新曲を最初に手にしたら、リズムを読みます。リズムだけを読みます。テンポは楽譜通りが理想ですが、別にゆっくりしたテンポで読んでも問題ありません。この時は、まだ楽器は使いません。足で拍子を取りながら、音程に関しては、軽く無視をして、リズムだけを読んでいきます。

 リズムを読んで、なんとなく曲の感じを掴んだら、次は階名唱をします。階名唱はしても、音程の正確さにはこだわりません。調性も気にしません。「ラララ〜」で歌っていたのを、ドレミで歌うだけです。

 階名唱で、さらに曲の感じを掴んだら、ようやく楽器の登場です。フルートなら、ここからフルートを手に取って吹いてみます。声楽なら、ピアノの前に移動して、音取りを始めます。

 こんな感じで、私は新曲視聴をしています。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | 音楽一般

2021年02月11日

半音は0.5音ではない

 全音が“1”なら、半音は“1/2”だから“0.5”でしょ? 少なくとも、ピアノの黒鍵は、その右の白鍵からも左の白鍵からも、同じ位の差のある音程になっていて、まさに「半音は“0.5”って感じです。

 ピアノは確かにそうだけれど、歌とかフルートとかヴァイオリンとか、自分で音程を作る楽器では、半音を0.5音と考えるのは、ちょっと違うようです。

 実際のところ、半音は「半分とちょっと」です。「まあ、だいたい半分なんだけれど、その半分を強調するために、ちょっと多めに行く」のが半音です。だから、半音は“0.5”というよりも“0.6”とか“0.55”ぐらいかなって気がします。ただし“0.7”だと、やりすぎだろうと思います。と言うのも“0.7”なら“0.75”にかなり近いでしょ? おそらく“0.7”だと、半音というよりも3/4音って感じになると思います。

 とにかく、半音は半分よりもちょっと多いのです。だから、♯が付いた音は、ピアノの黒鍵よりもちょっと高いし、♭が付いた音は、ピアノの黒鍵よりもちょっと低いのです。だってピアノの黒鍵は、ちょうど半分ですからね。

 要は、変化記号は強調のための記号だという事なのです。強調だから、きちんと強調しないとダメなのです。山椒は小粒でピリリと辛いのです。

 次に、普段はまずめったにお目にかかれませんが、♯♯(ダブルシャープ)とか♭♭(ダブルフラット)などは、半音が二つなので、ほぼ1音と考えがちです。つまり、D♯♯はEと同音で、D♭♭はCと同音って考えるでしょ? 特にピアノだったらそうです。でも、実際のところは、ちょっと違うみたいです。

 半音が0.6音くらいだという理屈で考えると、半音二つは1.2音となり、D♯♯はEよりもちょっと高くなるし、D♭♭はCよりもちょっと低くなります。でもね、Dxxという表記である以上、その音はDの範囲と言うか、テリトリーにあるはずで、隣の音を越してはいけないわけで、変化記号が2つ並んでいるから1.2音だと言うのは、さすがに言い過ぎです。D♯♯はDやD♯よりも高い音なのだろうけれど、あくまでも“D”の音なので、Eではありませんし、Eに届いていないからD♯♯って表記されるのです。

 と言うのも“♯♯”は“♯”よりも高いけれど、次の音に届くほどではない…という程度の意味なのです。ならば“♯♯”は0.9音とか0.95音ぐらい? つまりD♯♯とは、Eに限りなく近いけれど、ちょっと届かない音…って感じです。D♭♭も同様で、Cではないけれど、Cに限りなく近い音…ってわけです。

 つまり変化記号ってのは、それを付ける事で「次の音までの半分くらいの音程に変化させる」わけで、そういう意味ではピアノの白鍵黒鍵の関係は正しいのだけれど、ちょうど半分では人間の耳では物足りないので、ちょっと強調するくらいでちょうど良いので、半音は0.6音ぐらい? 変化記号が二つ並べば0.9音ぐらいになるわけです。

 ああ、難しいね。だから、調性によって音階の色合いが変わり、昔の作曲家が調性にこだわりを持っていたのは、こういう理屈なんだと思いますよ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | 音楽一般

2021年02月09日

楽しくない練習はしたくない…よね

 音楽趣味には日々の練習が付き物です。音楽趣味が長続きをする秘訣は、ずばり「毎日(のように)練習する」であり、そのためには「練習が好き」という資質が必要です。

 とは言え「練習なら何でも好き」というのは一部の天才(あるいは変態)だけであって、多くの凡人の場合は、練習が好きであっても「楽しい練習は好き」であって「楽しくない練習はしたくない」が本音だろうと思います。

 子どもにピアノの練習をさせるのに苦労をしているお母さん方がいらっしゃると思いますが、その子にとって、ピアノの練習が楽しいのかどうか、一度考えてみると良いと思います。練習が楽しければ、放っておいてもピアノの練習をすると思います。なかなか練習をしてくれないのなら、その子にとって、ピアノの練習は楽しくない…のか、あるいはピアノの練習よりも楽しいものが他にあるのです。

 だからそんな子に、ピアノの練習をさせたいと思うなら、ピアノの練習を楽しいと感じるように工夫して与えるべきです。それが出来ないのなら、ピアノをやめさせてあげるか、恐怖を持ってピアノ練習を強いるべきのどちらかでしょう。ま、私としては前者を強くお勧めしますが…。

 これはピアノを習う子どもだけでなく、道楽で音楽をしている大人たちも同様です。むしろ、子どもにとっての母親のような“ピアノ練習を無理強いする強者”がいない分、より楽しくないと継続しないと思います。

 という事は、音楽教師ならみんな知っているわけだから、大人の学習者には基礎練習をさせない…という教育方針もあるわけです。私の場合は、声楽のY先生がその方針の人です。まあ、それでも最近は私の練習好きな事も理解してもらい、ようやくコンコーネ(声楽の基礎の基礎教本ですね)を教えてくれるようになり、私も楽しく学んでいます。

 そんな私も天才ではないので、練習なら何でも好きかと言われるとNoです。私にも楽しくない練習はあります。

 例えば、フルートのエルステユーブンゲンの課題曲がいつまでたっても覚えられないのですが、これは私にとって暗譜作業という練習が正直楽しくないので、きちんと自分を追い込んで暗譜してからレッスンに臨むという事が出来ていないためだろうと思います(ってか、それしかないよね)。楽譜を見て吹けば吹けるのに、暗譜をしなきゃいけないというのが、私にとって楽しくないのです。

 声楽曲の場合は、楽しくて練習しているうちに、歌詞もメロディも自然と暗譜してしまえるのですが、フルート曲の場合は、楽しく練習していても、ちっとも暗譜できないんですね。フルート曲の場合は、フルート曲とは別に、声楽曲として階名唱で暗譜しないと私の場合はダメだし、ハ長調以外の曲だと、臨時記号が付く音、付かない音も、別に歌詞にして覚えていかないといけないし、替え指とかがあると、それも別に覚えていかないといけないし…って感じで、いわゆる“指で曲を覚える”ってのがほぼほぼ出来ません。

 その上、階名唱で歌いながらフルートを吹くというのが、何とも楽しくないんですね。雑念が入るんですよ。楽譜を見て、ダイレクトに音を出すのが楽しいのです。でも、それじゃあ、暗譜は出来ない。ああ、難しい。

 なので、フルートを吹いてるだけでは、全然暗譜できず、フルートを手放して、真剣に声楽曲として暗譜に取り組まないと覚えられない上に(この部分が楽しくないのです)、暗記作業とは別に、その曲をフルートで吹けるように練習もしないといけないわけで、声楽曲の暗譜と比べると、やるべき事が多すぎて、正直、そこまで自分を追い込めないのです。

 特に今取り組んでいる曲は、以前、自分を追い込んで、暗譜した曲なんですね。それをレッスンに行けないうちに忘れてしまい、それをまた追い込んで、でもレッスンに行けないうちに忘れ…を繰り返してしまい、すっかりその曲に飽きちゃったって側面があります。飽きちゃった課題と向き合うのも、楽しくないよね。

 そんなわけで、正直、エルステユーブンゲンの暗譜は楽しくないんだよねえ。

 とまあ、正直なところをぶっちゃけちゃったけれど、そんな理由で「楽しくない練習はしたくないよね」という話でした。

 でも、前に進むために、楽しくなくても、やんなきゃいけない事は分かっているんだけれど…ねえ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(2) | 音楽一般

2021年02月01日

なぜ楽譜のコピーは無くならないのか?

 楽譜をコピーして配布する事は著作権法で禁止されています。もちろん例外はあって、コピーして使えるケースもあります。詳しくはこちらの文化庁のページを見れば解説してくれます。

 実は私、コピー譜を使ってます。もちろん、書籍としての楽譜をきちんと購入し、そこに直接書き込みをしたくないため、使用するページをコピーして、それを利用しています。もちろん、書き込みなどはコピー譜にします。

 これは「私的使用のための複製(第30条)」で

>家庭内で仕事以外の目的のために使用するために,著作物を複製することができる。

 と定められているので、法的に問題が無いはずです。

 まあ、私の場合、道楽目的でコピーをしているので無問題ですが、プロの音楽家が同じ事をした場合は、仕事という目的のためにコピーをしているのだから問題となるのでしょうか? それとも、元々の書籍の楽譜をきちんと購入しているので無問題なのでしょうか? 私的には適法だろうと思うけれど、プロの法曹家の方々はどう考えるのかしら?

 アマチュア合唱団等で、団で購入した一冊の楽譜をコピーして団員のみんなで使用する場合は問題になるのかな? さすがに“家庭内”とは言い切れないし、それぞれの団員が当該楽譜を購入すればいいのだから、違法コピーであると言われそうだね、ってか、たぶんこれは、それぞれが楽譜を購入するのが正解であって、コピーしちゃえばアウトなんじゃないかと思います。

 無論、プロの合唱団等が同じ事をすれば、彼らは仕事で楽譜を使うわけだから、明らかにアウトだよね。

 学校の合唱部が同じ事をしたら、どうだろう? 「教育機関における複製等(第35条)」に、学校での著作物の複製は認められているけれど、

>ただし,ドリル,ワークブックの複製や,授業の目的を超えた放送番組のライブラリー化など,著作権者に不当に経済的不利益を与えるおそれがある場合にはこの例外規定は適用されない。

 とも書かれているんだよね。楽譜がドリルやワークブックに相当するものだとすれば、コピー譜の使用はやはりダメで、部員全員に楽譜を購入させないといけない事になるわけだ。

 10人しかいない合唱団で楽譜を10冊買って、演奏会が終わったので、それらの楽譜を合唱団で保管する事にして、その最初の演奏の10年後に、同じメンバーでそれらの楽譜を使うなら、無問題だと思うけれど、その10年間でメンバーが入れ替わってしまって、別の10人がその保管された楽譜を使う場合は、どうなのでしょうか? 楽譜は団のモノだから無問題なのかしら? それも人が変わったのだから、新しい10人はそれぞれに新しく楽譜を購入しなくても違法にならないのかしら? また使用するのが現物でなくコピー譜だったら、どうなるのか?

 色々なケースがあるし、適法が違法かも分かりづらい例もあるけれど、現実を見れば、世の中にはコピー譜がはびこっていると私は考えます。

 楽譜にお金を使いたくない…というケチくさい人もいるだろうけれど、わざわざ購入するよりも、手元にある現物をコピーした方が楽だからという怠け者思考の人も大勢いると思われます。あるいは絶版となった楽譜で、もはや入手不可能だからコピー譜を使うとか、音源を耳コピして自分たちで譜面起こしをして作った楽譜だから、それをコピーしたって平気だよって考えているとか…。

 私も正義マン面して、世間の皆さんを断罪したいわけではありません。ただね、著作権法って、普通に暮らしていると、あんまり馴染みのない、よく分からない法律で、これを遵守しなさいって言われても、ピンと来ないと言われると、まあそうだよねって思うんです。

 あと、罰則が明確ではないのも問題かもしれません。楽譜を無断コピーしたら、刑務所に一週間入らないといけない…とかいう罰則が付いていたら、みんな守るだろうけれど、実際は、手元の楽譜をコピーして友人に配ったとしても、何のお咎めも無いのが日常だから、抑止力なんて全く無いに等しいわけだ。

 ただ、楽譜のコピーがはびこれば、作曲家とか編曲家と楽譜出版社とかにお金が入らないわけで、お金が入らなければ彼らの生活が苦しくなるわけで、作曲家や編曲家が食えなくて廃業してしまったり、楽譜出版社が潰れてしまって楽譜が買えなくなるかもしれません。

 それは音楽を道楽している身にとっては困る事だけれど、世間一般の人たちにとっては、たぶん“どうでもいい事”なんだと思います。

 だから、楽譜のコピーは無くならない…って私は思うのです。何か良い解決方法はないものでしょうか?

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(1) | 音楽一般

2021年01月03日

去年[2020年]見たDVD

 毎年書いているDVDの記事です。昨日は、去年購入したCDについて記事を書きましたが、今日はDVDです。ここ数年、歌舞伎のオペラを通販で定期購入しているせいか、歌舞伎のDVDばかりが増えているのはご愛嬌です

 例によって、記録を取り始めた2016年からの枚数を書いておきます。

2016年が37枚
2017年が36枚
2018年が12枚
2019年が22枚

 で、今年は…と言うと、49枚です。あらやだ、増えてる(笑)。何気に過去最高(爆)。おかしいなあ、私のイメージでは書籍ばかり購入しているつもりでしたが、何気にDVDも買っていたんだね。そりゃあ、貯金も底をつくわ(爆)。

 ま、そんなこんなですが、今年のDVDの購入ラインナップは、こんな感じになりました。

【歌舞伎系】
1)歌舞伎「新口村」
2)歌舞伎「女戻駕/俄獅子」
3)歌舞伎「蘭平物狂」
4)歌舞伎「マハーバーラタ戦記(前編)」
5)歌舞伎「マハーバーラタ戦記(後編)」
6)歌舞伎「博奕十王」
7)歌舞伎「東雲烏恋真似琴(前編)」
8)歌舞伎「東雲烏恋真似琴(後編)」
9)歌舞伎「怪談乳房榎」
10)歌舞伎「あらしのよるに(発端・序幕)」
11)歌舞伎「あらしのよるに(二幕目・三幕目)」
12)歌舞伎「廓噺山名屋浦里」
13)歌舞伎「馬盗人」
14)歌舞伎「国性爺合戦」
15)歌舞伎「義経千本桜 鳥居前」
16)歌舞伎「廓文章 吉田屋」
17)歌舞伎「藤十郎の恋」
18)歌舞伎「花魁草」
19)歌舞伎「源平布引滝 義賢最期」
20)歌舞伎「権三と助十」
21)歌舞伎「らくだ」
22)歌舞伎「天守物語」
23)歌舞伎「黒塚」
24)歌舞伎「十六夜清心」
25)歌舞伎「一條大蔵譚」
26)歌舞伎「元禄忠臣蔵 大石最後の一日」

 これらのDVDは、アシェットの通信販売です。申込みをすると、毎月2枚ずつ勝手に送ってくるので、こんなに増えました。都合13ヶ月分ありますが、これは販売日の都合なのでしょうね。とにかくたくさんあります。

 歌舞伎も見始めの頃は、色々と大変でしたが、毎月2作品ずつ見ていると、なんか慣れてきて、面白さが分かるようになりました。何事も慣れは大切です。

【じゃりん子チエ系】
27)じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.1
28)じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.2
29)じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.3
30)じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.4
31)じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.5
32)じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.6
33)チエちゃん奮戦記 じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.1
34)チエちゃん奮戦記 じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.2
35)チエちゃん奮戦記 じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.3
36)チエちゃん奮戦記 じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.4

 ええと「じゃりン子チエ」のテレビシリーズをついつい揃えちゃいました。

 私「じゃりン子チエ」が大好きです。ちなみにコミックス派なのですが、アニメは見たことがありません。関西ではヘビロテで放送されているそうですが、関東では全然放送されないんですよ。なので、興味はあってもなかなか見られない、レアアニメというのが私の印象だったので、関西ぴあからDVDシリーズが発売されると知るやいなや、毎月毎月購入しちゃったわけです。

 ああ、うれしい。ちなみに、じゃりン子チエを見た後は、なぜか口調が関西弁になってまうのです。

【オペラ系】
37)アンナ・ネトレプコ「ドニゼッティ作曲『ランメルモールのルチア』」
38)レナータ・スコット「ドニゼッティ作曲『ランメルモールのルチア』」
39)フィオレンツァ・チェドリンス「プッチーニ作曲『つばめ』」
40)ルネ・パーペ「ボイート作曲『メフィストフェーレ』」
41)バルバラ・フリットリ「マスネ作曲『タイス』」
42)ファン・ディエゴ・フローレス「グルック作曲『オルフェとウリディス』」
43)ヨハン・ボータ「プッチーニ作曲『トゥーランドッド(ベリオ補作版)』」
44)キャサリン・マルフィターノ「シュトラウス作曲『サロメ』」
45)マリア・テレサ・リーヴァ「プッチーニ作曲『妖精ヴィッリ』」
46)ブリギッテ・ファスベンダ「フンパーディンク作曲『ヘンゼルとグレーテル』」
47)アリスン・ハーグレイ「ドビュッシー作曲『ペレアスとメリザンド』」

 毎月オペラのDVDを1枚ずつ購入するは…止めたつもりなのですが、それでもやはりオペラのDVDは買ってしまいます。この世に、まだ私が見たことがないオペラがあるのは許せなくて…って感じです。なので、ちょっとラインナップがマニアックでしょ? まあ、そんなもんです。ちなみに44)は有名なすっぽんぽんバージョンです。

【その他】
48)イル・ヴォーロ with プラシド・ドミンゴ「魅惑のLIVE〜3大テノールに捧ぐ」
49)3大テノール 世紀の競演

 48)を見て、かつての3大テノールを思い出しました。昔々、深夜にテレ東で見ましたが、考えてみるとそれっきりで、CDもDVDも持っていない事に気づきました。そりゃあマズイじゃん。ってわけで購入したのが49)です。いやあ、懐かしい。あれから色々あって、パバロッティは死に、カレーラスは引退し、ドミンゴはバリトンになりました。もう、あの3大テノールは誰もいないのです。時代を感じざるを得ません。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

posted by stone at 04:00| Comment(0) | 音楽一般