2021年01月03日

去年[2020年]見たDVD

 毎年書いているDVDの記事です。昨日は、去年購入したCDについて記事を書きましたが、今日はDVDです。ここ数年、歌舞伎のオペラを通販で定期購入しているせいか、歌舞伎のDVDばかりが増えているのはご愛嬌です

 例によって、記録を取り始めた2016年からの枚数を書いておきます。

2016年が37枚
2017年が36枚
2018年が12枚
2019年が22枚

 で、今年は…と言うと、49枚です。あらやだ、増えてる(笑)。何気に過去最高(爆)。おかしいなあ、私のイメージでは書籍ばかり購入しているつもりでしたが、何気にDVDも買っていたんだね。そりゃあ、貯金も底をつくわ(爆)。

 ま、そんなこんなですが、今年のDVDの購入ラインナップは、こんな感じになりました。

【歌舞伎系】
1)歌舞伎「新口村」
2)歌舞伎「女戻駕/俄獅子」
3)歌舞伎「蘭平物狂」
4)歌舞伎「マハーバーラタ戦記(前編)」
5)歌舞伎「マハーバーラタ戦記(後編)」
6)歌舞伎「博奕十王」
7)歌舞伎「東雲烏恋真似琴(前編)」
8)歌舞伎「東雲烏恋真似琴(後編)」
9)歌舞伎「怪談乳房榎」
10)歌舞伎「あらしのよるに(発端・序幕)」
11)歌舞伎「あらしのよるに(二幕目・三幕目)」
12)歌舞伎「廓噺山名屋浦里」
13)歌舞伎「馬盗人」
14)歌舞伎「国性爺合戦」
15)歌舞伎「義経千本桜 鳥居前」
16)歌舞伎「廓文章 吉田屋」
17)歌舞伎「藤十郎の恋」
18)歌舞伎「花魁草」
19)歌舞伎「源平布引滝 義賢最期」
20)歌舞伎「権三と助十」
21)歌舞伎「らくだ」
22)歌舞伎「天守物語」
23)歌舞伎「黒塚」
24)歌舞伎「十六夜清心」
25)歌舞伎「一條大蔵譚」
26)歌舞伎「元禄忠臣蔵 大石最後の一日」

 これらのDVDは、アシェットの通信販売です。申込みをすると、毎月2枚ずつ勝手に送ってくるので、こんなに増えました。都合13ヶ月分ありますが、これは販売日の都合なのでしょうね。とにかくたくさんあります。

 歌舞伎も見始めの頃は、色々と大変でしたが、毎月2作品ずつ見ていると、なんか慣れてきて、面白さが分かるようになりました。何事も慣れは大切です。

【じゃりん子チエ系】
27)じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.1
28)じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.2
29)じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.3
30)じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.4
31)じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.5
32)じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.6
33)チエちゃん奮戦記 じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.1
34)チエちゃん奮戦記 じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.2
35)チエちゃん奮戦記 じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.3
36)チエちゃん奮戦記 じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK vol.4

 ええと「じゃりン子チエ」のテレビシリーズをついつい揃えちゃいました。

 私「じゃりン子チエ」が大好きです。ちなみにコミックス派なのですが、アニメは見たことがありません。関西ではヘビロテで放送されているそうですが、関東では全然放送されないんですよ。なので、興味はあってもなかなか見られない、レアアニメというのが私の印象だったので、関西ぴあからDVDシリーズが発売されると知るやいなや、毎月毎月購入しちゃったわけです。

 ああ、うれしい。ちなみに、じゃりン子チエを見た後は、なぜか口調が関西弁になってまうのです。

【オペラ系】
37)アンナ・ネトレプコ「ドニゼッティ作曲『ランメルモールのルチア』」
38)レナータ・スコット「ドニゼッティ作曲『ランメルモールのルチア』」
39)フィオレンツァ・チェドリンス「プッチーニ作曲『つばめ』」
40)ルネ・パーペ「ボイート作曲『メフィストフェーレ』」
41)バルバラ・フリットリ「マスネ作曲『タイス』」
42)ファン・ディエゴ・フローレス「グルック作曲『オルフェとウリディス』」
43)ヨハン・ボータ「プッチーニ作曲『トゥーランドッド(ベリオ補作版)』」
44)キャサリン・マルフィターノ「シュトラウス作曲『サロメ』」
45)マリア・テレサ・リーヴァ「プッチーニ作曲『妖精ヴィッリ』」
46)ブリギッテ・ファスベンダ「フンパーディンク作曲『ヘンゼルとグレーテル』」
47)アリスン・ハーグレイ「ドビュッシー作曲『ペレアスとメリザンド』」

 毎月オペラのDVDを1枚ずつ購入するは…止めたつもりなのですが、それでもやはりオペラのDVDは買ってしまいます。この世に、まだ私が見たことがないオペラがあるのは許せなくて…って感じです。なので、ちょっとラインナップがマニアックでしょ? まあ、そんなもんです。ちなみに44)は有名なすっぽんぽんバージョンです。

【その他】
48)イル・ヴォーロ with プラシド・ドミンゴ「魅惑のLIVE〜3大テノールに捧ぐ」
49)3大テノール 世紀の競演

 48)を見て、かつての3大テノールを思い出しました。昔々、深夜にテレ東で見ましたが、考えてみるとそれっきりで、CDもDVDも持っていない事に気づきました。そりゃあマズイじゃん。ってわけで購入したのが49)です。いやあ、懐かしい。あれから色々あって、パバロッティは死に、カレーラスは引退し、ドミンゴはバリトンになりました。もう、あの3大テノールは誰もいないのです。時代を感じざるを得ません。

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2021年01月02日

去年[2020年]聞いたCD

 毎年アップしているこの記事。今年もアップしちゃいますよ。

 さて、きちんと記録を取り始めた2010年からの購入CD枚数を上げてみると…

2010年が120枚。
2011年が70枚。
2012年が85枚。
2013年が41枚。
2014年が66枚。
2015年が26枚。
2016年が27枚。
2017年が16枚。
2018年が32枚。
2019年が18枚。

 さて今年は…と言うと、なんとたったの12枚! 驚きの少なさです。まあ、実際には複数枚数のCDもあるので、+8枚になるので、20枚になるとも言えますが、それにしても少ないです。10年前には100枚超えですからね。ほんと私も変わりました。

 ちなみに配信でゲットした音源はここに入ってませんが、配信でもちょっとしか音楽を購入していない(「鬼滅の刃」関係の音源を少々程度です)ので、まあ今年はこんな感じです。

【クラシック音楽関係】
1)アゴスティーノ・ラッツァリ「ドニゼッティ作曲『ドン・パスクワーレ』」
2)ペーター・シュライヤー「シューベルト作曲『ゲーテ歌曲集』」
3)イアン・パートリッジ「ベートーヴェン歌曲集」
4)「トスティ歌曲全集 bS」(5枚組)
5)ブルース・フォード,ウィリアム・マッテウッツィ,ポール・オースティン・ケリー「ロッシーニ スリー・テナーズ」
6)福井敬「君を愛す」
7)ファン・ディアゴ・フローレス「アルティメット コレクション」
8)プラシド・ドミンゴ「天使の糧〜セイクリッド・ソングズ」

 クラシック系のディスクは、楽しみ半分、勉強半分って感じです。

【その他】
9)イル・ヴォーロ with プラシド・ドミンゴ「魅惑のLIVE〜3大テノールに捧ぐ」
10)飯嶋正広「藝術歌曲集 小倉百人一首 コンコーネ50番(中声)で歌う」
11)「あなたが選んだ古関メロディー ベスト30」(2枚組)
12)「ゴフィン&キング ソングブック」(3枚組)

 こちら楽しみのために買ったディスクです。あ、10)は楽しみと言うよりも、興味関心半分と勉強半分ですね。

 今年の収穫は、やはり古関裕而の音楽ですね。私も朝ドラをしっかり見てましたが、ううむ、古関先生、素晴らしい作曲家です。何曲かは私のレパートリーに加えたいと思いました。いやあ、素晴らしいです。

 とまあ、音楽そのものは、毎日のように聞いていますが、今年も昨年同様、新しいディスクを買うよりも、今までiPhoneに溜め込んだ音楽を再び聞いてみる、みたいな感じで過ごしました。

 実は最近、本ばかり購入しているので、アマゾンへの支払いが増えて増えて…とても音楽ディスクを買う余裕が(去年よりも)ないんですよ。実際、今年はアマゾンで買いすぎて、貯金が底をついて残高不足になって、オトナなのに、恥ずかしい目にあいました。それくらい、音楽に出費できない状況になっちゃったんですよ。

 ああ、残念。

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2020年12月28日

今年はベートーヴェン・イヤーだったはずなのに…

 …なのに、生の第九を全然聞いていない。もちろん、聞く予定も無い。

 あれ? おかしいな。毎年暮になると、あっちこっちで第九の演奏会があって、私もいくつか聞いているはずだし、年によると自分で歌っていたりもしていたのに、今年はパッタリと第九を聞かない。

 まあ、第九そのものは手持ちのCDやDVDを再生すればいつでも聞けるし、たぶんテレビではいくつか第九の演奏会の中継をしてくれるだろうけれど、今年の私には、生で聞くチャンスは無い。少なくとも地元には無い。まあ、東京まで出かければ、第九の演奏会があって、生で聞けるのかもしれないが、それこそ第九演奏会なんて「不要不急」の用事だよね。出かけちゃダメなパターンだろう。

 そもそも第九のコンサートは、日本中の演奏家の皆さんの年越し資金を稼ぐための大切なコンサートのはずだけれど、皆さん大丈夫かな?

 フルートのH先生は、しばらく仕事が無いらしいけれど、別にお金には困っていないようなので、全然問題ないでしょう。声楽のY先生は、なんだかんだと言っても仕事が忙しいみたいなので、大丈夫みたいです。つまり、演奏家の皆さんと言っても、大丈夫な人は大丈夫みたいなようです。おそらく、大丈夫じゃない人は、コロナ禍以前から大丈夫じゃないだろうから、それはコロナとは別問題でしょうね。

 たぶん、一番困っている人は、コロナ禍以前はギリギリ音楽で生活が成り立っていた人だちでしょう。コロナ禍で仕事が減ると、残った仕事は有名な人とか実績のあるベテランたちが持っていってしまうので、売出し中の若手とか隙間の仕事で食べていた人たちが干上がってしまうのだけれど…それでも、そういう人は裕福な家の人だったりするので、仕事があろうとなかろうと生活自体には困ってないはずなんだよね。

 そもそも音大には苦学生なんていないもんね。

 はあ、聞けないとなると、無性に聞きたくなるよね、第九。カラヤンのDVDでも取り出して聞いちゃうかな。それとも、日本人の演奏で、小林研一郎の第九にするか。ううむ、迷う迷う。

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2020年11月19日

私は確実に上達している

 歌にせよ、笛にせよ、私は確実に上達していると思います。

 もちろん、世間の同好の士と比べて、上手いとか優れているとかは、さすがに思いません。世の中には、常に上には上がいるものだし、私は楽しさ優先で学んでいるので、さほど上達する事に重きを置いているわけじゃないしね(上達したくないという意味ではありません、念の為。ただ、ガリガリやるほどの向上心があるわけではないって話です)。

 ほんと、私は上達していると思います。

 比較対象は、昔の自分です。それも3年とか5年とか10年とかの、長期スパンで捉えた昔の自分です。

 私は幸い、昔の練習風景やら本番の様子とかを録音して持っていたり、ネットにアップしていたりします。そういうモノと、現在の自分を比較して「確実に上達しているじゃん」って思うわけです。

 フルートは黒い楽譜でも、以前よりも対処できるようになりました。一番の上達は、フルート用の楽譜なら、時間さえ掛ければ、なんとか読めるようになった事でしょうか? 楽譜が全然読めなかった私が、全く知らない曲でも楽譜があれば、何とか吹けるようになったのは、とても大きな進歩だろうと思います。我ながら、すごいなあと思います。

 声楽も上達しています。キング先生の時代は、ネットの愛読者さんに「年々下手になっている」とまで言われていた私ですが、Y先生になってからは、年々上達していると思います。私もそう思うし、一緒にレッスンを受けている妻も言っているので、本当に上達しているのだと思います。それだからこそ、前回の発表会の失敗は…ほんと、黒歴史です。せめて、普段の半分程度でも歌えたら、だいぶ違ったのになあ(とっても悔やんでます)。

 上達を感じられるって、ほんと、うれしい事です。

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2020年11月16日

間違った学習結果や悪い癖を取り除くのは

 ひとことで言えば「難しい」です。時間もエネルギーも掛かりますから「難しい」と言うよりも「無理」というべきかもしれません。

 私のフルートの先生であるH先生の元には、音大入学を目指して、若い人たちが大勢入門希望を持って、先生のお宅のドアをノックするんだそうです。一応、力量等を把握して“自分で教える生徒”“アシスタント(H先生のお弟子さん)の先生に任せる生徒”“断る生徒”と分けるそうです。

 ちなみにこれら3つに分ける基準は、大雑把に言うと“自分で教える生徒”は基礎基本がしっかり出来ていて、純粋にフルート演奏を教えればいいだけの生徒で、“アシスタントの先生に任せる生徒”はほぼ素人で基礎からしっかりと教えてあげないといけない生徒なんだそうです。ちなみにアシスタントの先生のところで基礎が出来上がれば、H先生ご自身で教えるようにするそうです。

 で、最後の“断る生徒”というのは、悪い癖が身についている生徒さんの事で、先生曰く「悪い癖を取るだけで何年も経ってしまって、気がつくと入試になっちゃうから、最初っから教えない事にしているんだよ」との事です。つまり、中途半端な経験者はお断りって事なのです。先生が教えるなら、中途半端な経験者よりも、全くの素人の方がうれしいらしいです。

 で、そんな中途半端な経験者に該当する生徒さんは、たいてい吹奏楽部あがりで、部活で悪い癖をたくさん身につけちゃうんだそうです。ですから、H先生は、基本的に吹奏楽経験者は教えませんし、自分の生徒やお弟子さんには「吹奏楽をやっちゃダメ」と言っています。先生曰く「吹奏楽は、自分の演奏スタイルができあがってからやるなら、かまいません」との事で、修行中にやるのは良くないという考え方です。

 以上はガチな生徒やお弟子さんの話で、オトナの生徒さんの場合は、あれこれ基準が違うそうです。もちろん、吹奏楽経験者もOKです。

 私の場合、前のフルートの先生であった笛先生がしっかりと基礎基本を教えてくれたおかげで、オトナなのに基礎基本がちゃんとしていて、悪い癖が無いのは、実に珍しいと言われました。なので、今、H先生に直接教われているのかもしれません。なんか、申し訳ないです。

 それにしても、間違った学習結果や悪い癖を取り除くには、本当に時間がかかります。私の場合、フルートは上記のとおり、ちゃんと教えてもらっていたので、特に問題はありませんでしたが、声楽の方は、あれこれ苦労をしました。

 キング先生のところで学んだ事って、今の声楽の先生であるY先生の教えてくださる事とは、真逆な事が多いんですよ。キング先生のところで「やりなさい」と言われていた事は、Y先生の元では「それはやっちゃダメです」だし、キング先生のところで「それはダメだから、別のやり方をしましょう」と言われた事は「もっとやってください」って感じになります。最初のうちは、本当に頭が混乱しました。

 Y先生がおっしゃる事は、割とオーソドックスな事で、別の声楽の先生たちと同じような事を注意されるような感じです。キング先生の方は、独自理論の元、個性的な歌い方を指導されるので、全然歌のスタイルが違っていて、それで教える方向が真逆になってしまうのだろうと思います。

 私的には、Y先生が教えてくださるオーソドックスな発声法の方が合っているみたいなので、こちらの方向に自分を伸ばしていきたいと思ってますが、それをするためには…

 1)キング先生のやり方を止めて、カラダから抜く。
 2)一度、真っ白な素人状態に戻します。
 3)そこにY先生のやり方を入れていく。

 この3つの段階を経なければ難しかったです。

 私の場合、キング先生には約5年ほどお世話になっています。で、1)のキング先生のやり方をカラダから抜けるようになるまで5年ほど掛かりました。つまり、習っていた時間と同じ時間、習った事をカラダから抜くのに時間がかかったわけです。5年でキング先生から習った事をすべて抜いたわけではなく、5年掛かって、少しずつ抜け始めたという感じで、今はだいぶ抜けましたが、それでもまだ抜けていない事もあります。

 と言うのも、キング先生に習った事が、すでに私の中で定着していて、癖になっていることも多くあるからです。癖になってしまった事を取り除くのは、5年や10年では無理みたいです。

 だから、門下って大切なんだろうなあって思うわけです。門下が変われば、やり方があれこれ違うわけで、私の声楽のように苦労をしてしまいます。フルートの場合、実は笛先生とH先生は同門で、大師匠が同じ方なんです。なので、私が笛先生の元からH先生の元に移動しても、あまり困らなかったのはそういうわけで、声楽のキング先生とY先生は、門下も学閥も全然違い、全く接点がないので、その間を移動した私は、こんな感じで苦労をしているわけです。

 一度身につけた事をチャラにして、別の新しいやり方を入れるのは、ほんと難しいです。特にオトナになってしまうと、とてもとっても難しいと思います。ましてや、それが間違った学習結果であったり、悪い癖であったりしたら、そりゃあもう、悲劇としか言えないわけです。

 つまり、最初っからちゃんとした先生にきちんと基礎基本を叩き込まれるところから始めないと、後でとっても苦労をするって話です。そう考えると、自分自身が先生という「独学」って、かなり怖い橋を渡っているのかもしれませんね。

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2020年11月05日

日本人は同時にたくさんの音がしているのが好き?

 クラシック系の歌が好きで、自分でも歌おうと思うと(私もそうだったけれど)合唱団への加入を考えます。いきなり一人で歌おうとは思わないわけだ。

 器楽もそうで、楽器を学び始めると、やがて吹奏楽団とかアマオケとかの団体に加盟したくなります。そのままソリストを目指す人って、まあいないよね。

 聞く方もそうで、いわゆるクラオタと呼ばれる人の大半は、オーケストラ音楽が大好きです。ベートーヴェンの交響曲は言うに及ばず、マーラーとかブルックナーとかの大編成オーケストラの音楽を嗜むようになると“上級者”ってイメージになります。交響曲は人気だけれど、同じオーケストラ音楽でも、協奏曲(ソロ楽器+オーケストラ)が好きな人ってなると、だいぶ数が減りますし、ソナタ(ソロ楽器+ピアノ)となると、もっともっと少なくなってしまいます。

 例外的なのはピアノ人気で、ピアノはソロで弾いても、オーケストラと共演しても、大人気です。まあ、ピアノは底辺が広いから人気の頂上も高いんだろうなあって思います。

 ポピュラー音楽の世界だって、考えてみれば「○○48」とか「○○46」とか、学校の1クラスよりも多い人数のグループの人気は高いし、そうでなくても、5〜10人程度のグループはたくさんいます。私が子どもの頃は、アイドル歌手ってソロ歌手でしたが、今のアイドルはたいていグループです。いや、アイドルに限らず、いわゆるアーチストと呼ばれる人たちも、今は大半がバンドです。バンドってグループだよね。

 つまり、これらの事から「日本人は音楽をするのも聞くのも、ソロは嫌いで、アンサンブル音楽が好き」という結論が出そうですが…本当にそうなの? と言うのも、ならばピアノ人気はどうやって説明する?

 私が思うに「日本人は同時にたくさんの音がしているのが好き」なんじゃないかって思うのです。つまり、みっちりとした分厚い音が好きで、空間を感じさせるような音が嫌いだと推察します。

 とにかく、歌でも楽器でも、同時にたくさんの音が鳴っているのが好きなんです。だからソロよりもアンサンブルが好きだし、小さな演奏団体よりも大きな演奏団体の方が好きなのです。ピアノに関して言えば、楽器も奏者も一人であっても、同時に鳴り響く音は案外多いのがピアノです。

 逆に言えば、奏者が少なくて、演奏に隙間や空間が感じられるような音楽は苦手なんだろうと思います。だから、奏者の数は同じでも、電気の力で音圧を上げて隙間なく演奏できるロックは日本でも大人気ですが、音の隙間は隙間のまま演奏してしまうジャズは、さほどの人気が出なかった…と思います。

 たとえ音楽と言えども、少しの隙間であっても埋めていきたい。みっちりした芳醇な音楽の世界を日本人は好む…と言えます。

 ただね、これは戦後のあたりからの傾向かな?って思います。あるいは日本にいわゆる“洋楽”が入ってきたあたりかも? と言うのも、昭和の在来の音楽(歌謡曲とか演歌とかね)は、まだまだ案外、音楽に隙間があったんだよね。昭和どころかもっともっと逆上ればのぼるほど、日本の音楽には隙間がありました。江戸時代の義太夫なんて、だいぶ隙間があります。平安時代の雅楽になると…隙間だらけです。

 つまり、割と最近までの日本の音楽は程度の差こそあれ、隙間のある音楽が好まれていたのに、最近になって隙間のない音楽が好かれるようになってきたというわけです。

 なぜなんだろ? 日本人の音楽の好みが変わったから? それとも、本来日本人は隙間のない音楽が好きなのに、昔はそういう音楽を演奏できなかっただけで、最近はようやく隙間のない音楽を演奏できるようになったので、好みがもろに分かるようになっただけとか? 単純に西洋かぶれで欧米的な隙間のない音楽を良しとする風潮になってきたのか?

 この問題については、もう少し考えてみたいと思います。

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2020年11月03日

何のために音楽を学ぶのか?

 オトナが趣味で音楽(に限らないけれど)を習っていると、たまに言われることです。

「一体、いい年して音楽なんて習って、どうするの?」

 さらにこの言葉には(直接言われないけれど)続きもあるようです。「…そんな暇があるんなら、もっと仕事を頑張りなさい」って感じでしょうか?

 確かに子どもの習い事なら、もしかすると将来プロになる道が開けるかもしれませんが、オトナがいくら頑張っても、今さらプロにはなれないし、そもそもそこまで上達する事もありません。ある意味「いくら熱心に音楽を習っても、何の役にも立たないし、何にもなれない」わけです。それを時間とお金のムダと考える人からすれば「一体、いい年して音楽なんて習って、どうするの?」という問いにつながってくるんだろうと思います。

 考えが浅いなあ…。

 オトナも子どもも基本的には一緒だと思ってます。

 習い事をしている子どもだって、そのほとんどはプロにはならないし、プロになれるほど上達もしません。音楽ならば、熱心に練習をして、子ども時代を音楽に捧げたとしても、せいぜい音楽大学に進学する子が出るくらいでしょ? でも、音楽大学に進学したからと言って、プロの音楽家になれるわけではありません。学校の音楽の先生になれれば上等な部類で、大半の子は一般企業に就職するか、派遣やアルバイトや家事手伝いになるのが関の山です。

 音楽大学に進学したとしても(音楽の先生になる人を除けば)先の人の言い方をすれば「何の役にも立たないし、何にもなれない」事になります。

 そうかな…?

 音楽なんて社会の役にはたたない…すごく乱暴の言い方ですが、私はその考え方について理解しないわけではありません。少なくとも、音楽はライフラインには含まれませんし、生命維持活動に不要なものです。無ければ無いでも、生きる上で大きく困る事はありません。

 そんな、不要なものを、わざわざ時間とお金を費やして、それほど上達しないと分かっているのに習うのはなぜなのが?

 それは「好きだから」です。「楽しいから」です。好きで楽しいから、時間とお金を掛けてまで学ぶわけなんです。私にとって音楽とは、いわば“精神の嗜好品”なんですね。そういう意味で言えば、タバコを吸ったり、コーヒーを飲んだり、お酒を嗜んだり…ってのと同じレベルで、音楽を楽しんでいるわけです。

 考えてみれば、趣味なんて、そんなモンでしょ? 精神の嗜好品であり、忙しい毎日の気休めであり、ストレス解消のための道具に過ぎません。それ以上でもなければ、それ以下でもないわけで、だからプロになる必要もなければ、上達しなくてもいいのです。もちろん、上達できた方が出来ないよりも、ずっと楽しいですけれどね。

 そういう意味では、オトナの習い事は幸せだと思うのです。やってて、楽しくて仕方がないわけですから。

 むしろ可哀想なのは、子どもの習い事かな? その子が音楽を好きで習っているならいいけれど、中には、音楽が嫌いで、親の押しつけで仕方なしに習っているような子もいるわけで、そんな子にむりやり音楽を習わせても、音楽が心の底から嫌いになるだけで、何も良いことはないと思うのです。楽しみというものは、他人から強制されるものではないからね。どんなに楽しげな事でも、強制された途端に、苦痛なモノになってしまうものだからね。

 なので「何のために音楽を学ぶのか?」との問いに対しては「楽しい」からと答えます。これで答えとしては、十分じゃないの?

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2020年09月08日

「パヴァロッティ 太陽のテノール」を見てきました

 これは早めにレビューしないと劇場から消えてしまいそうなので、急いでアップする事にします。標題のとおり「パヴァロッティ 太陽のテノール」というドキュメンタリー映画を見てきました。あまり多くの映画館で上映されていないみたいだし、上映期間も、おそらくそんなに長くはないだろうから、見たい方は急いで見に行くべしです。見るなら、映画館の素晴らしい音響設備で見たい(聞きたい)タイプの映画だからです。

 内容は…パヴァロッティの伝記です。昔なら伝記映画(カルーソーなら「歌劇王カルーソー」とかね)になっていただろうものを、今は各種映像や音源が残っている時代なので、それらを編集してドキュメンタリー映画を作成したのだろうと思われます。数年前に「私はマリア・カラス」というマリア・カラスのドキュメンタリー映画が公開されましたが、あれのパヴァロッティ版だと思えは、まあ正解です。ちなみに監督のロン・ハワードは「ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK -The Touring Years」というビートルズの伝記ドキュメンタリー映画も作っていますので、ドキュメンタリーはお手の物なんでしょうね。

 内容は…遺族とか友人知人の協力を得て作られているドキュメンタリーですから、あまりパヴァロッティの事を悪くは言ってません。むしろ、彼の善行面に焦点を当てた構成になっているかも。まあ、彼のスキャンダルを描くのが目的ではないので、これはこれでアリでしょうね。

 ドキュメンタリーですが、わりかし多めにパヴァロッティの歌が聞けるので、まあ良しって感じかな? もちろん、本格的に彼の歌が聞きたければ、ドキュメンタリーではなくライブ映像を見た方が良いわけです。

 マリア・カラスのドキュメンタリー映画に関しては、彼女の生涯は、多くの人が知っている(もちろん私も知っている)し、後半生は、どうしたってスキャンダル中心にならざるをえないので、ドキュメンタリーを見ても「ああ、またか」って感じがしましたが、パヴァロッティの生涯って、案外知らないので、私はドキュメンタリー部分も結構楽しめました。

 多くの人たちがコメンテーターとして出演していますが、その中でもプラシド・ドミンゴは実に何度も登場して多くのコメントを残していますが、そのドミンゴは、パヴァロッティがポピュラー音楽にうつつを抜かしている時期には全くコメントせず(その代わり、その時期については、U2のボノがコメントしています)彼がオペラ界で活躍している時期だけにコメントをしている事に私が気づき、なんか映画をみながら「うむうむ、さもありなん」と思ってしまいました。

 それにしても、パヴァロッティって人は、マネージャーとか愛人とかに、本当に振り回されていたんだなあって感じました。映画を見ている限りでは、食い物にされていたように思われました(実際はどうなんでしょうね)

 このドキュメンタリーは、ある程度、オペラとかクラシック声楽とかパヴァロッティとかに基礎知識がある人向けだと思うし、そういう人は、それなりに楽しめると思いますが、一般人向けの映画とは思えませんので、見たい方は早めに見に行った方が良いと思います。きっと、あっという間に上映期間が終わっちゃうと思うんだよね。

 ちなみに多くのコメンテーターが色々なことを話していますが、その中から2つのコメントに関して私の感想を書きます。

 グリゴーロが「テノールの声は自然ではない」と言っていた事に関しては、全く同意しました。自然ではなく、ムチャをしている声…だと私は思ってます。なので「テノールである」というのはあくまでも結果であって「テノールになる」というのが正しい言い方だろうと思うし、そう考えるなら、グリゴーロのコメントは聞きようによっては極端だけれど、そう思う方が正しいんだろうね。

 あと、ボノが晩年の、声が衰えたパヴァロッティをかばって「声がダメになっても、歌にはその人の人生が現れる」から晩年のパヴァロッティの歌も素晴らしいと言ってますが、それはポピュラー音楽の価値観であって、クラシック音楽は再生芸術なので、歌手の人生よりも、美しい歌声の方が大切だと思うので、ボノの発言には同意できませんでした。歌手は、あくまでも作品や作曲家に奉仕する下僕だという事を忘れてはいけないのです。

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2020年07月30日

音痴に楽器は無理なのか?

 この問題に関して、本来ならば「無理です」と答えるのが正しい答えだと思います。

 その理由は、歌はあらゆる楽器の中で一番簡単(で一番難しい)楽器だからです。その一番簡単な楽器である歌も歌えないヤツに楽器の演奏なんて、無理に決まっているだろうというわけです。

 これ、おそらく、日本以外の国では大正解なんだろうと思いますが、我が国日本では、そう簡単に断言できない現状があります。

 と言うのも、日本には音痴な音楽家というのがたくさんいるからです。

 今の若い世代はだいぶ改善されていますが、基本的に日本人は歌えない民族なんだろうと思ってます(特に男性)。別にこれは才能的にうんぬんではなく、幼少時から歌う体験が極めて少ないのが原因だろうと思います。

 クラシック音楽にせよ、ポピュラー音楽にせよ、基本的には、あれらはヨーロッパの民族音楽であって、ヨーロッパ人たちの生活の中から生まれた音楽です。で、彼らの生活の基本にはキリスト教があるわけですが、残念ながら日本人の生活の基盤にはキリスト教がありません。そこが歌える人と歌えない人とを大きく分けていくのだろうと思います。

 キリスト教では、皆さん、バンバン歌いますからね。老いも若きも男も女も、日曜日に教会に行けば、みんな大声でガンガン歌いまくるわけです。そういう文化にいるわけですから、みんな普通に歌えるわけです。簡単にハモっちゃうわけです。逆に言えば、歌えない人なんていないわけです。

 でも日本は違うでしょ? 基本、歌わない文化だもの。幼少時にピアノ等の音楽英才教育を受けた人以外は、せいぜい幼稚園のお遊戯とか、学校の音楽の時間で歌うくらいです。ヨーロッパ人たちとは、そこのところが大きく違います。

 外国人の先生の楽器のマスタークラスを見ていると、多くの先生が「まず歌ってごらん」と言います。歌わせてから楽器の演奏をさせるわけです。きちんと歌えなければ、まず歌を直していきます。そういう教え方なんですね。で、歌を直せば、楽器もうまく演奏できるようになるわけです。

 でも、それを日本の生徒さんに向かってやると、たいてい失敗します。と言うのも、日本の生徒さんって上手に歌えないんですよ。マスタークラスの生徒さんって音大卒がほとんどですから、歌えない人なんていないはずですが、それでも歌は上手ではないのです。あんまり歌が下手なので、先生が諦めて、楽器の演奏をさせると、びっくりするくらいに上手だったりするわけです。つまり、日本人は、歌と楽器演奏が全然連動していないわけです。

 歌えなくても楽器が演奏できるし、楽器が上手に演奏できたとしても、歌はからっきしだったりするんです。これって、実はかなり歪な事なのですが、日本ではごく普通の出来事だったりします。

 なので「音痴に楽器は無理なのか?」に対しては「日本人なら、必ずしも無理とは言えません」となります。

 でもね、歌はもちろん、多くの楽器では、奏者が音程を作って音楽を演奏するわけです。フルートだって、運指が正しくても、奏者がきちんと意識しなければ、音程は微妙な感じになりますが…歌えば音痴なのに、楽器の音程はバッチリしている日本人奏者って、外国人から見ると、奇妙な音楽家に見えるんでしょうね。

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2020年06月25日

ソーシャル・ディスタンスなんて、止めちゃおう!

 クラシック系音楽ホールや映画館の話です。

 「人と人との距離を、なるべく2mは開けましょう」という、いわゆる“ソーシャル・ディスタンス”ですが、これを音楽ホールや映画館に適用するのは止めちゃおう!というのが、今回の記事の主旨です。

 だって、意味ないじゃん? それどころか、悪い影響しかないじゃん。

 まず、なぜソーシャル・ディスタンスが必要とされているのか? はっきり言っちゃえば「他人につばをかけない/かけられないため」でしょ? そのために飛沫が届かない距離(飛沫は、くしゃみで3m、咳で2mまでしか届かないんですって)離れる必要があるけれど、これはマスクをしていない時の話でしょ? マスクをしていれば、飛沫はマスクで防がれるから、会場内ではマスク着用を義務付ければ、本来、ソーシャルディスタンスは考えなくてもいいんじゃないの? 

 いや、それどころか、音楽ホールとか映画館って、みんな静かに黙って正面を見ているわけで、客同士が向かい合わせになる事もないし、おしゃべりをする事も無いわけです。だったらソーシャル・ディスタンスは不要だと思うのです。

 なので、音楽ホールや映画館では、マスクをしていれば、普通に座席にお客が入っていても、特に問題は無いと思うわけです。

 その一方、同じ音楽ホールであっても、ポピュラー系の音楽がメインのところは、客が大声あげて騒いだりするし、座席がなくて、全席立ち見で、隣の人と接触しまくりという会場もあるわけだから、さすがにそうなると、そのあたりは改善しないといけないわけだし、ソーシャル・ディスタンスの確保も、実は意味がある事なのかもしれません。

 さらに野球場やサッカー場なども、大人しく試合を観戦する…と言うのは、無理難題だし、どうしても大声出して応援したいんだから、ソーシャル・ディスタンスの確保は必要かもしれません。

 なぜ、このような事を考えているのかと言うと、今、民間音楽ホールやそれに準じるところが、どんどん潰れているからです。コロナ禍で休業を余儀なくされ、再開しても、集客は従来の半分〜それ以下では、必要経費を賄うことができず、到底経営が成り立たなくなって潰れていくからです。それらの場所の経営が成り立たずに潰れてしまえば、そこを使っていた人たちが活動できなくなり、活動する人たちが減ってくれば、やがてその分野は寂れてしまいます。音楽だって、他人事じゃないよ。

 なので、クラシック系コンサートと映画館は、その性質上、ソーシャル・ディスタンスなんて守る必要はないのだから、従来どおり、普通にお客を入れても良いことにしましょう。ただし、お客さんは、マスクを着用する事ね。

 ポピュラー系は…難しいですね。正直、客の立場で言えば、大声出して騒ぎたいのが本音ですからね。大声出しちゃダメとか、騒いじゃダメなら、ライブに行く意味ないじゃんと考える人がいても不思議じゃないもの。それは野球やサッカーも同じ。試合観戦と同時に大声だして応援したいから試合を見に行くわけで、ほんと、これらは難しいと思います。ソーシャル・ディスタンスだって必要かもしれません。

 でもね、でもね。ケ小平の先富論じゃないけれど、できるところから始めるしかないと思います。そうしないと、共倒れだよ。

 というわけで、クラシック系コンサートと映画館は、ソーシャル・ディスタンスなんて止めて、従来どおりの定員でたっぷりお客を入れていきましょう。それで経済を少しでも回していきましょう。

 ポピュラー音楽とか野球とかサッカーとかは、その業界の人たちが知恵を絞って、従来どおりの定員でお客を入れられるようなやり方を考えて、経済を回していきましょう。でないと、マジでライブハウスとか、潰れちゃうよ。音楽家がどんどん廃業していっちゃうよ。

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posted by stone at 04:00| Comment(4) | 音楽一般