2018年05月11日

LFJ2018 その5 アメリカ歌曲もなかなか良い

 アラカルトなコンサートが終了し、また1枠30分のコンサートが再開しました。

ヴァイオリン独奏

 ヴァイオリン:芝田 愛子
 ピアノ:佐藤 友衣

 1)クライスラー作曲:「愛の喜び」
 2)クライスラー作曲:「愛の悲しみ」

 まず、今回のヴァイオリニストさんは、たぶん狙っているんだろうけれど、今回のLFJのキービジュアルの絵姿にそっくりな方でした。あんまりそっくりなので、思わず笑ってしまいました。

 それはさておき、ヴァイオリンという楽器はフルート等とは違って、奏者の音と言うのはなくて、あるのは楽器の音だけ…なんです。だから、ヴァイオリニストさんたちは、自分の理想の音を出してくれる楽器を追い求めるわけだし、そういう理想の音が出る楽器は、高価な値段で取引されるわけです。

 で、今回のヴァイオリニストさんなんだけれど、演奏力はちゃんとしている奏者さんなんだけれど、彼女の弾いているヴァイオリンの音色がねえ…。演奏会場がコンサートホールではなく、オフィスのホワイエ的な場所であるという点を差っ引いても、私の好みではないんだなあ…。華やかな音色なんだけれど、私的にはもう少し太い音で鳴ってくれてもいいかなって感じました。まあ、あくまでも私個人の好みの問題なんだけれどね。

 これでも私、ヴァイオリンも弾きますので、音色の好き嫌いが結構あるんですよん。

 3)ラフマニノフ作曲:「ヴォカリーズ」

 この曲に関しては、このヴァイオリンの音色でも良いかなって思いました。

 クライスラーを演奏した時は物足りなさを感じたのですが、ラフマニノフの時はまるでソプラノ歌手が軽やかに歌っているような印象を受けました。曲によって、必要とされる音色って違うんだなあ…としみじみ思いました。良かったと思います。

 4)ドヴォルザーク作曲:「ユーモレスク」

 足りない! クライスラーの時よりも、物足りなさを強く感じました。この方、ほんと、上手なんです。メロディーの歌わせ方なんて本当に巧みだし、和音奏法のところなんて、実にきれいにハモリを作れていて、絶妙な演奏をしてくださるのです。十分に技巧的な方なんですが、演奏している楽器の音が、私の好みではないのです(涙)。ああ、残念…。

 5)プロコフィエフ作曲:「3つのオレンジの恋」より「行進曲」
 6)プロコフィエフ作曲:「ロミオとジュリエット」より「モンタギュー家とキュピレット家」

 すごく良い! 楽器がすごくよく鳴っていて、力強い音でグイグイ弾いてくれました。この人が使っている楽器は、もしかするとロシア音楽と相性がいいのかもしれない…なんて思いました。とにかく、良いのですよ。ほんと、良い。

 7)チャイコフスキー作曲:「懐かしい土地の思い出」より「メロディー」

 お見事! さすが最後に持ってくるだけあって、なかなかの名演奏だったと思います。やっぱ、ロシア音楽向きの楽器をお使いなんでしょうね。ほんと、良かったです。会場では赤ちゃんがぐずっていたのが残念ですが…まあ、それも仕方ないです。子どももOKってのが、LFJの主旨ですからね。それが嫌なら、ここに来るなって話です。それに、赤ちゃんのぐずり声を飛び越えて、心に刺さってくる音楽でした。

ソプラノ独唱

 ソプラノ:岡村 正子
 ピアノ:紗弓

 ヴァイオリンの次は、ソプラノです。今回のパソナでのコンサートでは、ミュージックエイトのコンサートを除けば、歌手さんは二人だけなんです。貴重なソプラノのコンサートでした。

 1)紗弓作曲:「新しい世界へ」

 ピアニストさんの紗弓の作品でした。ヴォカリーズでした。それが残念でした。

 と言うのも、メロディーが実に歌謡的で、全然器楽的ではないのですよ。ヴォカリーズって、これは私の勝手な思い込みかもしれませんが、器楽的なメロディーが良いと思うのですよ。と言うのも、歌手の声を楽器として扱うがゆえの、ヴォカリーズなんだと思うのです。だから、歌詞が乗りづらい器楽的なメロディーが良いのです。なのに、この曲ときたら、実に歌謡的で、歌詞がないのが残念な気がするのです。

 誰か、この曲に歌詞を乗せてください。

 2)ヘンデル作曲:歌劇「リナルド」より「私を泣かせてください」

 私はこのソプラノさんの声が好きかもしれない。歌に過剰な思い入れをさせない、極めて素朴な声(素朴さを感じさせるほどに巧みな歌唱テクニックによる歌声)が、本当に好きです。声が美しいので、ヘンデルのような(ロマン派以降の楽曲と較べて)単純なメロディが際立つんだと思います。この人は、自分の歌声の活かし方をよく知っているのかもしれません。

 3)コープランド作曲:「シオンの壁」

 この曲は、ちょっと面白かったです。ピアニストさんは、左手でピアノを弾きながら、右手で太鼓を叩き、ソプラノさんもベルを鳴らして歌います。まずはそういう趣向にびっくりしながらも、ウケてしまいました。

 いわゆるアメリカ歌曲というジャンルです。アメリカ歌曲って、よく知らないんですよ。なかなか耳にしないしね。でも、英語圏の歌手さんたちは、よく歌っているようです。

 日本国内にいると、アメリカ歌曲って、なかなか耳にできません。日本だと、やはり歌曲は、日本とイタリア、ドイツやフランスで、ほぼすべて。たまにイギリス歌曲を歌う人がいるかな…って程度で、アメリカ、スペイン、ロシア、ポーランドの歌曲って、歌う人が少ないせいもあって、なかなか耳にできません。良い音楽もあるだろうに、残念です。歌曲には、言葉の壁がありますから、器楽のように音楽が国境を越えるって、なかなか難しいようなんです。

 4)バーバー作曲:「この輝ける夜に」

 この曲もアメリカ歌曲です。アンニュイな感じの曲で、始めて聞きましたが、とても良いです。私、この曲を歌ってみたいかもしれません。

 5)アメリカ民謡:「シェナンドー」

 建国して二百年ちょっとのアメリカに民謡なんてあるの? って思いましたが、あるようです。誰が作ったのかは分からず、いつのまにか人々が口ずさんでいた歌なんだそうです。ちなみに、シェナンドーと言うのは、ネイティブアメリカンの女の子の名前なんだそうです…って事は、インディアン系の音楽なのかしら? この曲も知らない曲でしたが、良い曲だと思いました。

 6)武満徹作曲:「小さな空」

 最後は日本の歌でした。この曲の直前までの曲は良かったのですが、この曲に関しては、ちょっと歌いすぎだなって思いました。歌詞よりもメロディーが耳に残る歌唱でした。言葉を解さない外国語の歌なら、観客的には、それもアリですが、日本人に対して日本語の歌を歌うならば、言葉を大切に、しっかり意味が伝わるように歌ってほしかったなあと思いました。この曲、歌詞が良いんですよ、だから残念。そして、改めて、日本歌曲を歌うことの難しさを感じました。

 では、続きはまた明日。

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2018年05月10日

LFJ2018 その4 アラカルトなコンサートも楽しいものです

 さて、お昼です。昼食です。パソナは日本橋にあるので、どこででも昼食くらいは食べられるのですが、無料でコンサートを楽しませていただいているので、せめて昼食代くらいはパソナに落としていきましょうというわけで、同じフロアにある売店で昼食を購入して食べることにしました。

 私が購入したのは、ケバブサンドとトルコライスです。ケバブサンドはピタの中にケバブを入れたもの。トルコライスはご飯の上にケバブを乗せたもの。要は、パンかライスかの違いだけで、基本的に同じものです。ケバブというのはトルコの郷土料理で、ラム肉の薄切りを焼いたものに、各種生野菜(タマネギ、トマト、レタスなど)を、謎のソースであえたものです。いわゆるエスニックな料理であって、好き嫌いはあると思いますが、私は割と好きな味です。

 パソナって本社ビルの中で農業をやっている事ある関係するのかどうかは分かりませんが、とにかく売店の食事が美味しいんですよ。ラム肉も美味しいけれど、野菜が美味しいんです。まあ、その分、お値段は日本橋価格なんだけれど、ミュージックフィー込みだと考えれば、タダみたいな値段です。

 で、昼食終わりの午後の一発目のコンサートは、パソナ・ミュージックメイト・コンサートで、パソナで働きながら音楽活動をしている音楽家の方々のアラカルト・コンサートでした。

テノール独唱

 テノール:田中 尚志

 1)ビゼー作曲:「真珠採り」より「耳に残るは君の歌声」

 私にとっては、本日の午前中のメインイベントでした。テノールの歌唱、それも難曲中の難曲である“真珠採りのアリア”です。これは期待値がぐんぐん上がります。

 で、思った事は、やはりこの曲を歌うには、聖別されたノドが神様から与えられていないと難しいのかな…って事です。実はテノール氏、話し声(つまり地声)がかなり高いのです。ほぼ、女性と同じで、テノールと名乗っていらっしゃるけれど、音域的には、ほぼメールアルトではないかしらという程でした。なので、この曲の高音(並のテノールでは、たとえプロであっても歌えません)を実に軽々と歌っていらっしゃいました。いやあ、実に見事なんです。本当にうらやましいです。

 私も地声は、男性としては比較的に高いのですが、それでもやっぱり男性音域ですから、並か、並以下のテノールでしかありません。この曲が歌える日が来るとは、到底思えません。

 ちなみにテノール氏の高音の出し方なんですが、一度ファルセットで入って音程を掴み、そこからグイっと実声に持っていくやり方をしていました。いわゆるアクートとは違うのですが、この曲に合った実に美しい発声です。こういう発声もアリなんだなって思いました(まあ、私には出来ませんが…)。

 この素晴らしいテノール氏の難をあえて言えば…中低音が弱い事かな? 高音を気持ちよく発声する一方、中低音、とりわけ低音は出しづらそうでしたし、時折???って思う瞬間もありました。高音に特化したテノールなんだなっと思いました。でも、やはりあの高音は、値千金だと思います。

フルート二重奏

 フルート:三浦 千佳,武田 早耶花
 ピアノ:大久保 愛

 1)ケーラー作曲:「花のワルツ」

 使用フルートは、おそらく、お一人がプラチナメッキで、もうお一人が14金だと思います。14金の音は、密度の濃い、硬いけれど柔らかな音でした。プラチナの方は、太めで華やかな感じで、この音の違いって、やっぱり素材よりも奏者の違いかなって思いました。だって、一般的には14金って華やかな感じの音だろうし、プラチナってのはどっしりした感じの音になるわけじゃない。そういう意味では、このお二人はそれらのイメージとは多少違う音色だったわけだし…。とは言え、お二人とも、実に美しい音でフルートを奏でていました。楽器って、なんだかんだ言っても、美しい音色であるべきで、美しければ、もうそれだけで十分って部分はあるわけです。至福の時間でした。

ピアノ独奏

 ピアノ:室井 悠季

 1)バーバー作曲:「ピアノ・ソナタ」第4楽章

 たぶん、始めて聞く曲です。そもそもバーバーという作曲家が、私の守備範囲には無いわけだし、そもそもピアノ・ソナタという音楽ジャンルが、私の守備範囲には無いわけだし…。たぶん、ピアノ音楽好きには、好かれるだろうなあって感じのソナタでした。

クラリネット独奏

 クラリネット:丸木 一巧

 1)サン=サーンス作曲:「クラリネット・ソナタ」 第4楽章

 クラリネットの音色は美しいです。フルートよりも、太くて、低音の響きは本当に豊かです。フルートが女声的な楽器ならば、クラリネットは美しい男声を模しているのだろうと思われるほどです。曲がどうこうと言うよりも、クラリネットの音色に酔いしれました。

ヴィオラ独奏

 ヴィオラ:秀岡 悠太

 1)ヴォーン・ウィリアム作曲:「グリーンスリーブスによる幻想曲」

 ヴィオラ、渋い! この曲は、そもそもが小編成オーケストラ…ってか、弦楽合奏+ピアノ+フルートという編成の曲で、それをヴィオラ用に編曲しているわけで、ヴィオラじゃなきゃ演奏できないという曲ではありません。実際、独奏曲として演奏するなら、ヴァイオリンでも弾けるだろうし、チェロでも弾けると思いました。そう思わせるのも、ヴィオラの音色が、時にヴァイオリン的であったり、時にチェロを彷彿させるような音色だったりしたからであって、両者の良いところどりであって、それがヴィオラという楽器の特徴なのかもしれないけれど、じゃあヴァイオリンのような華やかさがあるかと言えば無いし、チェロほどの深みも無いわけです。そこがヴィオラの辛い所なんだろうなあって思ってしまいました。渋いだけじゃ、物足りないんだよね。ああ、残念。演奏そのものは見事なんですが、やっぱりヴィオラって、独奏楽器としては、物足りない楽器なんだよなあ…。

 という訳で、続きはまた明日。

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2018年05月09日

LFJ2018 その3 “現代音楽”と“現代の音楽”は違うような気がする

 さて、次のコンサートは、ちょっと珍しい楽器の組み合わせでした。

ヴィブラホーンとマリンバ

 ヴィブラホーン:田中 里枝
 マリンバ:蓮實 志帆

 ヴィブラホーンっと言うのは、いわゆる“鉄琴”で、マリンバは“木琴”です。とは言え、小学生が演奏するような簡易な感じの楽器ではなく、中高の吹奏楽部あたりで時折見かけるり立派な楽器でした。

 やはり、一般的な知名度は低いと見えて、奏者さんが「マリンバという楽器を始めてみる方(手を上げてください)!」とやってみたら、おずおずとそこそこの人数が手を上げました。やっぱり楽器としては、かなりマイナーなんですね。それに木琴と言えばイメージ湧くんでしょうが、マリンバと言われると、よく分からないって人はクラシックファンであっても、いるんでしょうね。

 実は私、ヴィブラホーンもマリンバも知っているどころか、指導経験があるんだよね(笑)。まあ、そもそも学生の頃は吹奏楽部で(トラで)パーカッションやってたので、その腕を買われて…なんだよな。でも、ヴィブラホーンもマリンバも専門に勉強したわけじゃないので、弾けるメロディーは同時に一つだし、マレットも同時使用は、各腕一本ずつの2本までなので、実は弾けるうちに入らない程度の腕前だったりします(テヘペロ)。

 1)カプースチン作曲「8つの演奏会用エチュード」より「第1番」

 カプースチンという人は、旧ロシア(現在はウクライナ)の作曲家で、現存している作曲家です。いわゆる“現代音楽の作曲家”なんでしょうが、音楽は全然カッコよくてイケている感じです。「8つの演奏会用エチュード」は、彼の代表曲(原曲はピアノ曲で、今回はそれをヴィブラホーン&マリンバ演奏用にアレンジしてあります)だそうですが、すでに楽譜は絶版なんだそうです。ま、現代音楽って、そういう扱いだよね。

 カプースチンの音楽がカッコよくてイケているのは、彼が純粋クラシック作曲家ではなく、若い時代は、ジャズ・ピアニストとしても活躍していたそうで、だからクラシックとジャズの融合なんてのが、自然となされていたのだろうと思います。頭でっかちな音楽じゃないのが、カプースチンの魅力なのかな…って思いました。

 2)ベートーヴェン作曲「喜びの歌」(交響曲第9番第4楽章から)

 たぶん「喜びの歌を演奏します」と事前に知らされていなかったら、元歌は何なのか気づかなかったかもしれません。それくらいに(良い意味で)原型をとどめていないアレンジでした。聞いた感じは「ベートーヴェンの曲をアレンジしました」と言うよりも「B'zの曲をアレンジしました」と言われた方がしっくりするようなアレンジでした。カッコよかったです。

 3)浜田均作曲「SORACHI」

 ジャズのヴィブラホーン奏者さんが書いた、ヴィブラホーンのオリジナル曲です。北海道の空知周辺の風景を音楽で表現したそうです。日本人作曲家の作品のせいでしょうか、川のせせらぎ、空の広がりなどを音楽で表現した感じが、すっと心に染み込んできました。

 カプースチンにも言える事だけれど、これらの曲は“現代音楽”ではなく“現代の音楽”と言ってあげるべきなんじゃないかなって思います。だって“現代音楽”って、難しくてかっこ悪くて誰も聞きたくないようなケッタイな音楽の事を言うわけじゃない? でも、カプースチンにしても浜田氏にしても、親しみやすくてカッコよくて、いつまでも聞いていてような普通の音楽だもの。これらを“現代音楽”でくくっちゃうのは、良くないような気がします。

ソプラノ独唱

 ソプラノ:人見 桂子
 ピアノ:清水 綾

 さて、いよいよ、待ちに待った歌の時間となりました。

 一昨年までのパソナのコンサートは、歌手の方々ばかりのコンサートで、私的にはとても嬉しかったのですが、今年のコンサートでは器楽もバランス良く加わり、その結果、ちょっぴり声楽の比重が少なくなってしまったのは残念です。まあ、仕方ないよね。

 1)ビゼー作曲 歌劇「カルメン」より「ジプシーの唄」
 2)ビゼー作曲 歌劇「カルメン」より「何も恐れるものはない(ミカエラのアリア)」

 ソプラノさんが歌い始めて、すぐに私は「ここってもしかしたら、とても歌いづらいのかな?」と思いました。舞台の後ろはガラスだから、音は反響するどころか抜けてしまうし、天井は低いし、天井板はなくて天井裏の設備やら配管やらがむき出しだし、吹付けもしてあって、音は吸われそうだし、左右や奥行きは案外あるし、お客さんは結構入っているし、気にはならないとは言え、騒音雑音は結構あるからそれなりの音量で歌わないといけないし…そうなると歌手さんは、かなり頑張って歌ってしまいますよね。ああ、大変そう。

 それが関係するかどうかは分かりませんが、私にはソプラノさんのヴィブラートが、とても気になりました。声をどの程度揺らすべきかは、それぞれの美意識や趣味が関係するので、一概にこれは良くてこれはダメとは言い切れないと思いますが、このソプラノさんのヴィブラートは私の好みではなかった…というわけです。特に聞かせどころの高音周辺のヴィブラートは「これ! これがいいよー!」と感涙する人もいるんだろうなあと理解しますが、私はダメでした。

 趣味が違うんだよなあ…ってか、クチうるさい客だな、私。

 3)ドニゼッティ作曲 歌劇「ラ・ファボリータ」より「私のファルナンド」

 フランス語からイタリア語に変わった途端、一転して、ヴィブラートが気にならなくなりました。これはヴィブラートが無くなったというわけではなく、あるけれど悪目立ちしなくなったという意味です。やはりカルメンの2曲は歌い始めで歌いづらかったのかな? 普通に良かったです。

 4)ヴェルディ作曲「ドン・カルロ」より「むごい運命よ」

 こちらも普通に良かったです。だんだん、調子を上げてきたのかしら?

 5)シュトラウス2世作曲 「こうもり」より「侯爵様、あなたのようなお方は(アデーレのアリア)」

 こういう流れで聞いてくると、声的にどうかな(カルメンとアデーレを同じ歌手が歌うって、アリなの?)と思ったけれど、歌手的にすごく上手くて、なかなか技巧的な歌手さんだなって思いました。ここまで来て、ようやく見直した…って感じです。ステージの始めの頃目立ったヴィブラートが本当に気にならなくなりました。やはり声が温まってきたからでしょうか? あるいは本来的には、こちらのような曲を歌う歌手さんであって、カルメンがレパートリー外なのかもしれません。有名な曲の一つや二つを歌ってあげようというサービス精神なのかしら?

 正直、歌い始めた時は「この人って、どーなの」って思いましたが、聞き終わった時には「最初は調子が出なかったようだけれど、良い歌手さんじゃないですか?」という感想に変わりました。と同時に、最初の印象って大切だから、コンサートの最初で何をどう歌うのかって、とても大切だなって思いました。だって、最初にかけた色眼鏡で最後まで見られる事だってあるわけだから、いくらコンサートの後半が良くても、最初がうまくいってないと、最後までダメじゃんって見られることだってあるわけで…。そこがナマモノであるステージの難しさってわけだなって思いました。

 続きはまた明日。

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2018年05月08日

LFJ2018 その2 音楽会だもの、見えなくても文句は言わないよ

 さてLFJの話に戻ります。

 私が遅刻して聞いたのが、ピアノ三重奏のトリオでした。

ピアノ三重奏

 ヴァイオリン:中村 ゆか里
 チェロ:八代 瑞希
 ピアノ:宮崎 真利子

1)ラフマニノフ作曲「ピアノ三重奏曲 第1番 悲しみの三重奏曲」

 ピアノ三重奏曲ってのは、別にピアノが三台で弾くわけではなく、ピアノが加わった三重奏曲って事で、演奏の主役はヴァイオリンです。ピアノは準主役的な立ち位置です。まあ、クラシックにおけるピアノ三重奏ってのは、ジャズにおける、サックス、ピアノ、ウッドベースってトリオに通じる編成だろうと思います。

 ピアノ三重奏なので、ピアノとチェロの方は座って演奏するので、私からは見えず、ただ一人立って演奏してくれたヴァイオリンの方は、私の前に座っている人たちの陰に隠れて見えませんでした。(小柄な女性だと、立っていても、座っている男性とそんなに変わらないんでよね)。まあ、音楽ですから、見えなくても、聞こえればいいのです、そう思うことにしました。

 この曲は、たぶん、始めて聞く曲です。ラフマニノフって事もあり、映画のサウンドトラック曲を聞いているような、割と親しみのある曲でした。こういう堅苦しくない曲は良いです。演奏している3人も、ゆったりと演奏してくれました。

2)ラフマニノフ作曲「ヴォカリーズ(ピアノ三重奏版)」

 大定番曲の珍しいアレンジ版でした。メロディをヴァイオリンが演奏し、ピアノとチェロで支えるという、割とあっさりめのアレンジでした。私は濃い目のドロドロした音楽が好きなので、そんな感じのアレンジをちょっぴり期待しましたが…まあ、曲が曲ですからね、こんな感じなんだろうと思いました。

 でも、やっぱり「ヴォカリーズ」って、いい曲だよね。私、今年のフルートの夏合宿の発表会で、この曲を吹いてみようかな。

ピアノ独奏

 ピアノ:千村 智子

 パソナのコンサートは1組30分で、どんどん演奏者が入れ替わっていきます。最初のピアノ三重奏は10分ほど遅刻してしまい、最初の曲を聞き逃しましたが、ここからはしっかり30分間の演奏を聞きました。

1)スクリャービン作曲「24の前奏曲」より、第1番・第2番・第3番・第4番・第5番・第6番・第8番・第9番・第10番・第11番・第12番・第13番・第15番

 次のコンサートは、上記13曲の連続演奏でした。うっかり数えるのを忘れてしまったので、途中で何番の曲をやっているのか分からなくなりましたが、別に曲の番号に意味はないだろうから「まあいいや」という気分になって、スクリャービンの音世界を堪能する事にしました。

 聞いた感じは…割と渋いって感じかな? 親しみづらいと言うほどではないけれど、じゃあ親しみやすい音楽なのかと言うと、そんな事はないなあって感じで、ピアノ好きならば楽しめるかもしれないけれど、音楽好きだと、やや退屈な感じするなあというのが、正直な感想です。

 でもまあ、それでもいいんです。普段の私が普通の生活の中で、スクリャービンのピアノ・ソナタを聞くチャンスを作るのかと言えば、まずそんな事はしないだろうから、こういう体験はとても大切なんだなあと思った次第です。

 それにしても、同時代のロシア人同士なのに、スクリャービンとラフマニノフって、結構違うねえ。私は俗物なので、ラフマニノフの方が好みかなって思いました。

 と言う訳で、続きはまた明日。

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2018年05月06日

LFJ2018 その1 開始早々、あれこれダメな私なんです

 さて、今年もラ・フォル・ジュルネ(以下、LFJと略)に行ってきました。なので、その記事を例年のように書きます。

 今年のLFJは、いよいよ来るものが来たなあ…って感じでした。と言うのも、今までは、金沢とか新潟とかびわ湖とか、LFJって、日本の他の地域でもやっていた大型イベントってイメージだったのですが、ついに日本での公演は東京だけとなり、地方でのLFJはすべて終了(んで、各地でそれぞれ大型音楽フェスをやるようになりました)になってしまいました。まあ、そうだよ、そりゃあそうだよね。音楽祭なんて、フランチャイズでやるもんじゃないよね。それじゃあ、儲かるもんも儲からなくなってしまうわな。大人気コンテンツならともかく、すでにだいぶ下火になってきたイベントだもの、地方活性化ってのを考えても、もはやLFJじゃないわな。だから、地方都市がLFJから離脱しちゃったのも、それはそれで私は納得しています。

 でも、やっぱり寂しいは寂しいですよ。

 でもまあ、東京では、今までは丸の内だけでやっていたのを、今年から池袋でもやるようになり、東京的に規模が大きくなったような錯覚もしますが…まあ、多くは言うまい、武士の情けじゃ…。

 で、私ですが、初日の5月3日から参加しました。

 嬉しいニュースですが、実は今年、パソナがLFJに復帰したんですね。パソナはここ数年、LFJのエリアコンサートをやってくれていたのに、昨年、やらなかったんですよ。多くの協賛企業がガンガンラフォルジュルネから撤退していましたから「いよいよ、パソナもLFJから撤退か…」と諦めていたら、今年は参加してくださるというじゃないですか。

 もう、胸をワクワクさせながら、初日は東京国際フォーラムではなく、パソナ本社に向かった私でした。

 パソナ本社での11時からのコンサートに間に合うように、事前に計画立てましたが、家を出るのが20分近く遅くなり、途中で朝ごはんを食べたのですが、それもすぐに食べ終える事ができるような駅そばの店とかでなく、ちょっと時間がかかる、とんかつ屋に朝っぱらから入って食べてしまったし、途中も急げばいいのに、なんかのんびりしてしまったため、東京駅に着いた段階で、すでに遅刻状態となりました。

 たぶん、私、疲れていたんだと思います。

 ですから私、普段は迷わないのに、東京駅の中で、なぜか迷子になってしまい、日本橋口に出るのに一苦労し、ようやく駅を出て、パソナ本社に向かったら、本社ビルが無くて更地になっていてビックリし、しばらく途方にくれてしまいました。

 やっちまったなあ…って感じです。今年のLFJは開始早々、あれこれケチが付いたなあ(涙)。さあ、どうしよう…と思っていたら、パソナの本社ビルが隣の街区にに移動してた事に気づき、なんとか事なきを得ました。

 あんまり安心してしまったせいか、ビルの入口で躓いてしまいました(涙)。まあ、転ばなかったけれど…もしも転んだら、きっと大事だよね、骨くらい軽く折っていたかもしれないと思うと、ひやひやモンです。

 たぶん、本社ビルを一度壊して建て直すんだよねえ。だから、昨年はLFJにパソナは参加しなかったのか…と勝手に納得した私でした。

 今までのコンサートは、1階にある田んぼに板を張ってステージにして、お客は畦部分にイスを並べて音楽鑑賞をしていたのですが、今年は、やはり1階の玄関から入っての、広い、ロビーと言うか、ラウンジがコンサート会場となっていました。

 普通の部屋(と言うのも変ですが)が会場でしたから、ステージっぽい場所があり、そのすぐそばにコンサート会場風にイスを並べてあり、少し離れたところにはディナーショーっぽく、テーブルとイスが用意されていました。私は、演奏者のすぐそばのイスには座らず、少し離れたところのテーブル席に座りました。少し離れた…と言っても、5メートル程度しか離れていないし、どこに座っても十分に見えるし、聞こえるし、だったらテーブル席の方があれこれ便利だし…と思ってテーブル席に座りました。

 客席から見たステージは、あまり見やすくはなかったです。床の高さは、客席と同じですから、演奏者が座って演奏すると、前の人で全く見えなくなります。立って演奏してくれても、ステーがは窓側にあったため、照明的には逆光になっていまい、やはり見えません。

 まあ、大半の演奏者は座っていたので、ほとんど見えなかっした、その日は天気が悪かったので、逆光はあまり気になりませんでした。

 演奏者が見えない事よりも、気になったのは、その窓から見える風景です。

 窓の先は、路地を挟んで、元の社屋があった場所なんですが、工事中なので、工事現場の壁(って書くと分かりますか)になっていて、その壁に、ゴジラ映画の歴代ポスターが貼ってあるんですよ。特に私の席からは「モスラ対ゴジラ」「三大怪獣地球最大の決戦」「怪獣大戦争」などのポスターがよく見え、演奏者よりも目を引く感じでした。

 さて、遅刻した私がコンサート会場に入った時、ちょうど、最初の最初の1曲目の演奏(スクリャービンのピアノ・ソナタ)が終わり、2曲目へのMCをしていた頃でした。

 という訳で、実際のコンサートの様子は…明日から書きます(テヘペロ)。

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2018年03月05日

ラ・フォル・ジュルネの名称が変わりました

 今までは“ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン”だったのが、今年は“ラ・フォル・ジュルネ・東京”となりました。

 「まあ、東京以外の都市でもたくさい開催されているのに、東京だけ“ジャポン”を名乗っているのも変だから、他の都市開催に合わせて、東京のは東京と呼ぶことにしたんだなあ…と単純に考えていました…が、話はそんなに単純な事でもなかったようです。

 と言うのも、今まで、ラ・フォル・ジュルネ(以下、LFJと略)は、東京丸の内以外に、金沢、新潟、びわ湖、鳥栖(2013年まで)で、最大5都市で開催されていたのですが、そのうち、東京丸の内以外の都市では、今年はLFJを開催しない事が決定したのです。つまり、今年、LFJをやるのは、東京だけなんだそうです。

 え、びっくり!

 さらに、今までは、東京の丸の内で開催されていたのだけれど、今年は、丸の内と池袋の2箇所で開催となりました。

 どうなったんだろ? LFJ。 何が有ったんだろう、LFJ。

 ちなみに、LFJを辞めてしまった、金沢やびわ湖は、独自の音楽祭を開催するそうです。公演演目を見てみたら、金沢やびわ湖の方が東京よりも、どうやら楽しそうです。少なくとも私の場合「LFJじゃ見るべきコンサートが無いようー!」とここ数年は叫び続けているわけですが、金沢やびわ湖だと、見たい演目が目白押しで、あちらにいたら、私はきっと破産している事でしょう。

 ま、何はともあれ、私は今年もLFJには行きます。今年は丸の内だけでなく、しっかり池袋にも行くつもりです。でも、ほんと、見たい公演が無いんだよあなあ…。演目にせよ、出演者にせよ、私の好みとはちょっと違っていて、ほんと魅力無いんだよねえ。なんか、惰性でひとまずチケットは買っているけれど、以前のようなワクワク感は、正直少なくなったかな? 

 本公演には期待できないため、周辺エリアコンサートに期待をしている私ですが、昨年はパソナが周辺エリアコンサートから撤退しちゃったんだよね。パソナのコンサートって大好きだったのに…とても残念。今年はパソナの復活って…1度撤退した企業の復帰って、まあ無いよなあ。残念無念。

 ちなみに、チケットは、全部買えました。何を買ったかは、おいおい記事にしますが、まあ、私が見たいような演目は、人気無いんだろうね。

 ああ、金沢に行きたい。びわ湖に行きたい。丸の内や池袋じゃ、なんか物足りないんだよ。

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2017年05月21日

LFJ その8 ピアノと手品

 新東京ビルのロビーでカウンターテナーを聞いた後は、ふたたびTOKIAに戻って、ピアノコンサートを聞きました。

ピアノのコンサート

 実は会場入りしたのが、本番30分前で、まだ会場はスカスカで人もロクにいなかったので、整理券をもらおうとしたら、すでに整理券は無くなっていました。これまでTOKIAのコンサートでは、30分前に来れば余裕で整理券が入手できたのに、これはいかに!とビックリしてしまいました。

 まあ、整理券が無いものは仕方ないです。今更別のコンサートに行くのもなんなので、立ち見を覚悟でキャンセル待ちの列に並びました。実際、その会場の座席数は約100席で、私の前に12人も並んでいたので、いくらなんでも、そんなにキャンセルが出るわけもないだろうと、ほぼ諦めて並んでいたわけです。

 私が並んでいるうち、ボチボチと整理券を手にした客たちが戻ってきました。開演時間近くになると、座席のかなりの部分が埋まってしまいました(当然だね)。やがて係員が前の方から空席を確認しては、キャンセル待ちの人たちを呼び始めました。ちなみに、開演5分前になっても来なければ、自動的にキャンセル扱いになるようです。

 私は13番目だったので、諦めていたのですが、ドンドンキャンセル待ちの人が座っていき、なんと私も、後ろから2番目の列だったのだけれど、座ってコンサートを聞くことが出来ました。ラッキー。ダメ元でもキャンセル待ちをしていてよかったです。ってか、キャンセル多過ぎ! 無料公演だからって、気軽にキャンセルする人が多かったんだろうなあって思いました。

 菅原望(ピアノ)、喜多宏丞(ピアノ)

 1)ショパン:マズルカ第5番 変ロ長調
 2)ショパン:マズルカ第13番 イ短調
 3)セブラック:「休暇の日々」から第1楽章より「ロマンチックなワルツ」
 4)チャイコフスキー:「四季」より、5月「白夜」
 5)ハイドン:ソナタ 変ホ長調 第1〜2楽章
 6)ブラームス:ワルツより、第1番、第2番、第3番、第4番、第15番
 7)シューベルト:軍隊行進曲

 1)と2)のショパンは明るい曲と陰りのある曲です。ピアノのコンサートでショパンが聞けるというのは、ベタと言えばベタですが、ほっとする瞬間です。別に他の作曲家が嫌いなわけではないのですが、やはりショパンとピアノの組み合わせは別格です。いかにも「クラシック音楽を聞いているんだなあ…」という気分にさせられます。演奏は、普通に良かったです。

 3)は癒し系の現代曲のようでした。曲のところどころに難解な和音が入っているけれど、それがかえってスパイスのような味わいとなり、曲をシメているような気がしました。

 4)は舞曲ではありませんでした(笑)。季節にちなんだ曲って事で選曲されたようです。チャイコフスキーはもちろんクラシックの作曲家ですが、こうして聞いてみると、かなり世俗的と言うか、ポピュラーっぽい響きの音楽を作る人なんだなあって思いました。特にこの曲は、何かドラマの劇伴として使えそうだなって思いました。

 5)のハイドンだけれど、ハイドンって、やっぱりモーツァルトベートーヴェンの間の時代の人だなって思いました。さらに言えば“芸術家”と言うよりも“音楽職人”って感じのなのかなって思いました。良い作品なんだけれど、作品にハイドンの顔が見えない…ってか、見えづらいんだよなあ…って思ったわけです。作家性が薄いのかな…。

 ちなみに第2楽章では、ピアノの手前で(演奏をしている人とは別の)ピアニストさんが手品をしていました。どんな感じなのかと言うと…まさにこの動画そのものでした。と言うか、この動画はロングバージョンで、LFJではショートバージョンを披露していたわけです。

 クラシックの方々も、集客のために、あれこれ頑張っているんだなあって思いました…が、正直、音楽鑑賞に手品は…面白かったけれど、邪魔かな?って思いました。

 6)は連弾でした。ブラームスって、肖像画から見ると、ほぼクマオヤジなわけですが、音楽はほぼ乙女でお耽美なんですよね。そのギャップがたまらない人にはたまらないのかなって思いました。まあ、世の音楽ファンはすべからず“ブラームス派”か“ワーグナー派”のどちらかに分かれるんだそうです(都市伝説ですよぉ〜)が、私は“ワーグナー派”なので、あえてブラームスの音楽には触れない事にしておきます(笑)。

 7)はアンコールでした。行進曲って元気が沸き立つ音楽ですよね。鑑賞疲れでヘロヘロになっている時のマーチは…効きますね。

今年のまとめ

 というわけで、以上で今年の私のLFJは終了しました。最終日は夕方で終えて、その日の夜は、東劇に移動して、メトのライブビューイングで『イドメネオ』を見ました。(すでに記事はブログにアップ済みです)。

 私がLFJに初参加したのは、2007年の「民族のハーモニー」からです。世は“のだめブーム”で多くの人がクラシック音楽を聞いていて、LFJもすごくすごく盛況でした。やがて“のだめブーム”も終わり客が減り、東日本大震災が起こり、原発事故があって、有名ミュージャンの多くが日本に来たがらなくなり、LFJに出演してくれる音楽家が一気に小粒化してしまいました。やがて共催してくれた企業の多くも撤退してしまいました。今は往時の面影も無いほどに、小粒な音楽祭になってしまいました。

 最初から小規模精鋭でやっているなら問題はないけれど、縮小しレベルダウンして今に至っているわけで、全盛期を知っている者としては、寂しい限りだし、LFJ自身、以前ほど面白い音楽祭では無くなってきた事も事実です。LFJは、東京以外の地方でもやっていますが、すでに金沢と鳥栖は開催をしていません。今でもやっているのは、東京,新潟,びわ湖の三ヶ所です。客離れも激しく、だいぶ規模縮小を余儀なくさせられているわけです。

 事実、私も相当熱が冷めてしまいました。

 来年もLFJは開催されるだろうけれど、私はどうしようかな? 演目次第だし、良い演目があれば、惰性で行ってしまうだろうけれど、せっかくのGWで良い季節なんだし、もっと別のレジャーに身を投じてもいいよなあ…って思わないでもないです。

 GWの頃って季節もいいし、箱根や鎌倉、江ノ島に行ってもいいよね。そんな事すら考えるようになりました。

 なんか、閉塞感があるんだよね、昨今のLFJって。正直、ワクワクしなくなってきました。祝祭感を感じられなくなった?

 それでも今年で言えば、『こうもり』とか、カウンターテナーの演奏は良かったし、(厳密に言えば、LFJとは違うけれど)モーツァルトのヴァイオリンを使ったコンサートも良かった。でも、たまたまかもしれないけれど、心惹かれるフルートの演奏には出会わなかったし、もっと歌を聞きたかったし、もっとピアノやヴァイオリンを聞きたかったです。

 今年のLFJはこんな感じです。明日からは通常運転に戻ります。

蛇足 パソナがLFJから撤退したのが、個人的には一番キツかったです。

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2017年05月20日

LFJ その7 カウンターテナー

 さて、レモネードはどこで飲んだのか言うと、丸の内仲通りです。『ダヴィデ王』を見る前に、ヴァイオリンの路上ライブを見たわけですが、その会場近くの屋台でレモネードを売っていたのを見ていたので、そこで買い、道路に置かれているテーブルに座って、レモネードを飲んでいたわけです。

 ああ、乾いたノドには、レモネードって…美味しいんだよね。

 なぜ、そんな所にいたのか…と言うと、実は次のコンサートがここで行われるらしいのです。

カウンターテナー

 次のコンサートは、カウンターテナーの彌勒忠史氏のコンサートで、その会場は、ネットにもオフィシャルパンフレットにも“丸の内仲通り・新東京ビル前”とあり、さっき見たNaorchestraさんと同じ場所なのです。Naorchestraさんは路上ライブで、P.A.を入れてコンサートをしていたけれど、カウンターテナーもマイクを使うのかな? まさか? でも反響板も天井もない道路で生歌はちょっとつらすぎるだろうなあ…などと心配しつつ、休憩を兼ねて、レモネードを飲んでいたわけです。

 やがて妻が、演奏会場はここじゃないんじゃないか、間違っているんじゃないかって言い出しました。確かに時間が迫ってきたのに、周囲には何の動きもないわけです。客すら集まっていないのです。オフィシャルプログラムにはここでやると記載されているけれど、実は変更になっていて、知らないのは私たちだけなのかもしれない…もしかするとそんな事があるのかもしれない…と、そんな考えが私の頭をよぎりました。でもね…。

 ここじゃないかもしれない、別の場所かもしれない…と、妻が私のそばで散々言うんだけれど、私はレモネードを飲んでいるわけです。まさに至福のひととき。もしも不安や不審点があるなら、もういい年したオトナなんだから、私に頼らずに、自分で解決すればいいのに…と思っていたけれど、そばでずっと文句を言われ続けていると、そうも言ってられません。

 やがて、ゆっくりレモネードも飲んでいられない気分になり、やむをえず、私が一人で周囲の様子を確認に行ったわけです。で、ほんの数歩歩いたところで、すぐにそばの新東京ビルに到着したわけです(そりゃあそうです、このビルの前が会場だと告知されていたのですから)。そのビル内の様子が何やら慌ただしいので、そばにいた係員らしき人に尋ねたら、このビルのエントランスで、カウンターテナーのコンサートをすると言うじゃありませんか。ありゃ、会場変更だよ。

 そこで、すぐ目と鼻の先の距離だったけれど、だけど大声を出すわけにもいかないので、さっそく妻に電話をして呼び出したわけです。

 なんかなー、やれやれって感じです。

 彌勒忠史(カウンターテナー),佐藤亜紀子(リュート)

 1)作者未詳:恋する人(バンドナード)
 2)フレスコバルディ:そよ風が吹けば(フィリア)
 3)モンテヴェルディ:ニンファの嘆き(パッサカリア)
 4)リュートソロ(カナリオ)
 5)メールラ:愛のチェトラにのせて(チャコーナ)
 6)サンチェス:簒奪者にして暴君(パッサカリア)
 7)作者未詳:恋する人(バンドナード)

 カウンターテナーの生歌をじっくり聴くのは、久しぶり。カウンターテナーってのは、なかなか出会えない、珍獣のようなものですね。

 今回の曲はすべて舞曲で、当時の大ヒットナンバーだったそうです。その“当時”と言うのは、日本の歴史で言うと、安土桃山時代に相当するそうです。いやあ、古い楽曲ですね。

 カウンターテナーの歌声は、男性による裏声歌唱なんだけれど、単なる裏声歌唱とはだいぶ違います。発声的には裏声なんだろうけれど、かなり力強い声で、これはこれで特別な声だと思いました。音域的にはメゾソプラノぐらいだろうけれど、女性のメゾよりも明るい声で、メゾよりも力強い声です。こう書くと、メゾの人が気を悪くするだろうけれど、メゾの上位互換のような声です。

 バロックオペラと呼ばれる音楽ジャンルがあります。読んで字のごとく、バロックと呼ばれる時代に盛んに上演されたオペラです。それらのオペラで主役を演じていたのは、今はもう存在しない、カストラートと呼ばれる歌手たちでした。カストラートとは、去勢手術を施した男性歌手で、少年の声帯を持った成人男性の歌手です。

 今は人道的な問題もあって、カストラートは公には存在しない事になっています。(マイケル・ジャクソンが少年期にホルモン治療を受けて、疑似カストラートになったという都市伝説がありますが…今となっては真偽の程は確かめられません)

 カストラートが存在しないので、現在ではこれらのバロックオペラを上演する際、かつてカストラートが歌っていた役(当然、男性の役です)を、いわゆる“ズボン役”と呼ばれる女性歌手が演じる事が多いのだけれど、音域は正しくても、やはりどうしても声質は女声的にならざるをえないし、外見だって男性に見えることはまずありません。宝塚歌劇のように、出演者がすべて女性ならば、男性のメイクをして男装すれば、男性に見えない事もないわけではありませんが、バロックオペラには、普通に男性歌手も登場するので、いくら頑張っても、ズボン役の女性歌手は、やはり女性にしか見えないのです。

 たまに、カストラートの役をカウンターテナーが演じる事があります。音域的には正しくても、やはり本物のカストラートとは発声法が違うわけですから声は違います。それでも女性歌手とは比べれば、声も容姿も男性的なわけであり、カストラートの役を彼らカウンターテナーが演じれば、演技的にも声的にもだいぶ違うなあと思いました。

 バロックオペラの、元々はカストラートのために書かれた役は、やはり女性であるメゾが歌うよりも、多少声が違っても、男性であるカウンターテナーが歌った方が演劇的には良いかなって思いました。もちろん、本当はカストラートが歌ってくれるのが一番なんですが…カストラートは現存しないのですから仕方ありません。声も容姿も異なる女性歌手よりは、声は異なっていても容姿がOKな男性歌手(カウンターテナー)の方が(言葉は悪いのですが)まだマシかなって思います。

 ただ、メゾソプラノのズボン役と呼ばれる人たちは、それこそ履いて捨てるほどたくさんいるわけだし、それだけたくさんいれば、上手な歌手もたくさんいます。一方、カウンターテナーは珍獣なわけで、めったにいませんし、オペラを歌えるほどの技量の持ち主となると、さらに少なくなるわけで、バロックオペラのカストラート役をすべてカウンターテナーでカバーする事は、おそらく無理だから、メゾがズボン役として活躍しているのでしょう。

 まあ、そう考えると、カストラート役をズボン役が歌っても、仕方ないかなって思います。

 さて、コンサートの話に戻ります。

 伴奏をしていたリュートの音は、ほぼクラシックギターと同じでした。奏法もリュートとギターでは、かなり共通しているようです。ただ、楽器の構造や見かけは若干違います。音量も相当少なめで…そりゃあリュートは滅んでギターに取って代わられてしまったのも仕方ないなあって思いました。

 1)〜6)の音楽そのものは、いかにもバロックな感じで、親しみはないですが、面白かったです。

 実は、最後の7)はアンコール曲で、1)と同じ曲です。1)が歌手が一人で歌ったのに対して、7)は歌の一部(お囃子的な部分)を観客が歌うという形式でした。さすがに、声楽のコンサートを聞きに来ている人たちって、結構歌える人が多くて、この観客参加型の曲が、実にばっちり決まっていたのには、ちょっと驚いた私でした。

 続きはまた明日

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2017年05月19日

LFJ その6 レモネードが飲みたくなりました

 帝国劇場の向かいのビルでコンサートを聞いたので、昼食はそのまま帝国劇場の地下街にあるインド料理店に入りました。私、ここのカレー、大好きなんです。

 で、食べ終わって、エッチラオッチラと東京国際フォーラムに向かって歩いていったところ、路上ライブに出くわしました。

路上ライブ

 路上ライブと言っても、これもまたLFJ関連のコンサートでした。今年から、丸の内仲通りという道の一部を歩行者天国にして、そこでコンサートを開いていたわけです。私のコンサート鑑賞予定には無かったのだけれど、たまたまそこを通りがかったわけです。

 Naorchestra(ヴァイオリン)

 1)残酷な天使のテーゼ
 2)チャールダッシュ
 3)ジュピター

 というわけで、コンサートの途中から聞きました。道路の真ん中で、何の反響板もない場所での演奏だったので、ヴァイオリンにマイクを付け、P.A.で拡声するというスタイルでの演奏でした。伴奏も、いわゆる電子キーボードでシンセサイザー的な使用法をしていました。そういう点では、演奏スタイルは純粋クラシックと言うよりも、ポピュラー・ヴァイオリンのスタイルだと思います。LFJは本格クラシックが多いから、この手のライトな音楽が挟まると、ちょっと心が休まる感じがします。気分が楽になります。それに私、こういう、ポピュラー系と言うか、軽音楽系のヴァイオリンって、実は好きなんです。

 なんか、ヴァイオリンを弾きたくなってしまいました。

ダヴィデ王

 さて、カレーを食べて満腹になったところで、本日の有料公演である『ダヴィデ王』を見に行きました。

 シンフォニア・ヴァルソヴィア,ダニエル・ロイス(指揮)
 ローザンヌ声楽アンサンブル
 クリストフ・バリサ(語り),ロランス・アミー(巫女)
 リュシー・シャルタン(ソプラノ)
 マリアンヌ・ベアーテ・キーランド(メゾソプラノ)
 エンドリク・ウクスヴァラフ(テノール)

 オネゲル:オラトリオ『ダヴィデ王』

 この曲は、そもそもが作者オネゲルが、4時間超えの超大作オペラとして構想を練っていた作品なんだそうです。超大作オペラとして構想を練っていて、売り込みもしていたようだけれど、時代はすでに20世紀なわけで、映画とミュージカルの時代に、ワーグナーばりの超大作オペラなんて発注してくれる人もなく、結局、小編成オケと数人の声楽アンサンブルによる、オラトリオとして制作発表してしまったという作品です。

 ちなみに、初演はそんなミニサイズで演奏したけれど、再演の時は、夢が諦められなかったのか、オーケストラを普通サイズにして音楽の響きを豊かにし、歌わない役者を二人(語りと巫女)追加して、ストーリーを分かりやすくしたそうです。つまり、初演の演奏形態は作者の意図とは違うって事だし、当然、作者的には、この再演版が決定稿…って感じだったんでしょうが、今回の演奏もそうだし、数少ない音源でもそうですが、この曲を演奏する際は、初演のオーケストラ編成と声楽アンサンブルに、再演の語りと巫女を付けたカタチでの演奏が定着してしまったようです。

 この曲、きちんとオペラになっていたら、それはそれで面白かったと思うけれど、完成されなかったオペラの事をグチグチ言っても仕方ないので、やめにしておきます。

 とりあえず、本日の編成では、オケは全員で17人。それにピアノにオルガン、歌手3人、役者2人の小編成でした。

 会場は…ホールCでした。ほんと、ここは客の動線が悪いんですよね。何か事故や災害があっても逃げることはできない構造になっています。まあ、万が一の時は、ここに閉じ込められてしまうわけで、ここに入るのには勇気がいるんです。どうにかならないものかな?

 ちなみに、今回の上演では字幕サービスが付いたよ。うれしいな。

 さて、音楽面の話をすると、オケはほぼブラスバンドでした…ってか、1管編成のブラスバンドですよ。弦楽器はコントラバスだけ。まあ、弦パートはオルガンで演奏するんでしょうね。音楽的には現代音楽のハズですが、曲自体はとてもメロディアスで聞きやすい音楽でした。まあ、オケが管楽器中心ってところが現代音楽的とも言えます。

 演奏はハイレベルでした。オケはすごく上手。特にトランペットの響きは特筆モノでした。合唱は大所帯でしたが、荒らさなんて全く無くて精密に歌っていました。ソリストは、伴奏が小編成って事もあるけれど、音量よりも美の響きの美しさを大切にして歌っていたようです(だからと言って、決して小さな声ってわけじゃないんですよ)。

 ストーリー展開も速くて、オラトリオで説明付きだから、1時間程度の演奏時間で何とかなるけれど、これがオペラになって、説明する人がいなくて、すべてをレチタティーヴォで説明するとなると、果たして4時間超えで済むのかなって思いました。これだけのストーリーは、オラトリオだからコンパクトに収まったわけで、オペラじゃあ入りきれないだろうなあって思いました。だって、ダヴィデ王のほぼ一生のエピソードを音楽化したわけだしね。これは、オペラにするなら、ほんと大変だと思います。

 オラトリオだから、役なんてなくて、声種で歌手を分けているだけなんだけれど、これに役を付けだしたら、かなりの人数が必要になるだろうね。ほんと、そんな妄想を膨らませていると面白くなってきます。

 そうそう、ちょっと気になったのは、演奏中にソリストも合唱の人も、ペットボトルの水を飲んでいた事かな? 舞台って乾燥しやすいし、ポピュラー音楽の人は、水を飲みながら歌う事も珍しくないけれど、クラシックの人で、舞台で給水する人って…たぶん日本じゃ珍しいよね。国民性の違いかな? 別に嫌な感じはしなかったけれど、珍しい光景だったので、へーって思いました。

 なんか、つられてノドが乾いたような気がしたので、音楽が終わって外に出たら、無性にレモネードが飲みたくなってしまいました。

 続きはまた明日。

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2017年05月18日

LFJ その5 4Kとモーツァルトのヴァイオリン

 本日最後のマスター・クラスを見終えた私たちは、その足で、すぐそばで行われる4K上映の会場に行きました。

4K上映での『ローエングリン』

 昨年もやっていた、クラシカジャパンによるオペラの4K上演を見ました。今年の演目はワーグナー作曲の『ローエングリン』の第三幕の前半でした。ローエングリンはベチャワで、エルザはネトレプコでした。

 私は『ローエングリン』をちゃんと見たことはないのだけれど、一瞥して思った事は「エルザって嫌な女だな」って事です。この理解は正しい理解なのかな? それともネトレプコが演じているから嫌な女に見えるのかな? さあ、どっちだろう。

 去年も書いたと思うけれど、4Kは実に素晴らしいけれど、やっぱりオーバースペックだと思います。自宅のテレビには4Kはいらないね。少なくとも、DVDとBlu-rayの差が分からない私には、4Kのシステムを自宅に入れても意味ないなあ。4Kは大スクリーンで威力を発揮するシステムだと思います。だから、自宅ではなく、映画館とかのへ導入だよね。

 最近は、映画館もデジタル化していて、かつてはフィルムで搬入されていた映画が、昨今はBlu-rayで搬入されるという話も聞きます。って事は、映画館でも、Blu-rayのシステムで、あれだけの鮮明な画面で見れるってわけで、そうなると、ますます4Kってオーバースペックなんだなあって思います。

 とは言え、技術は常に高めておいたほうが良いわけだから、普及はしなくても、4Kシステムは4Kシステムとして頑張って欲しいと思いました。それに4Kを否定しちゃったら、8Kなんて論外だしね(笑)。

 『ローエングリン』の歌に関して言うと、ベチャワもネトレプコも、旧来のワーグナー歌いと呼ばれる歌手の皆さんとは、ちょっと違いますね。旧来の皆さんと比べると、パワー不足と言うか、線の細い声なんだけれど、より精密に歌っているのが分かります。これって、20世紀末にカラヤンが求めていたワーグナー演奏なんじゃないの?って思いました。あの頃は、今と比べると歌手のレベルが(正直)低かったと思います(ごめん)。精密に歌えない代わりに、迫力でごまかしていたような気もします。あるいは、迫力を出すために、精密さを捨てていた…というべきかな 

 細かい所は目をつぶって、迫力で押し通す歌唱も私個人はキライじゃないですが、カラヤンが目指していたワーグナーは、そういうモノではなかったわけで、あの頃、カラヤンのワーグナーって、玄人筋にはウケが悪かったのは、カラヤンが時代の先を見ていたからであって、同時代を見ていなかったからかもしれません。カラヤンの足元に群がる人たちからすれば「遠くばかり見てないで、少しはこっち見ろよ」って気分だったのかもしれません。

 そういう意味では、世の中がようやくカラヤンの理想に近づいてきたのかもしれません。

 で、4K上演を見終えたら、ホールEで踊られている阿波踊りを横目で眺めながら、この日は帰宅をした私でした。

 で、その翌日は、一日丸々休息に充て、最終日にもう一度LFJに出動したわけです。

ロビーコンサート

 さて、LFJ最終日の話を始めましょう。

 我々は、東京国際フォーラム…ではなく、日比谷の帝国劇場の向かいにある、第一生命保険日比谷本社に向かいました。その会場では、国際モーツァルテウム財団による、コレクション展とコンサートが開かれていたのです。

 コレクション展の方は『ナンネルとヴォルフガング』というタイトルの展示で、ナンネルの人生を通して見たモーツァルトの人生って感じのまとめ方の展示会が行われていました。レプリカかもしれないけれど、モーツァルト一家の肖像画とか、モーツァルト直筆の楽譜とかが展示されていました。

 でも肝心なのはコンサートの方で、こちらは『今蘇る、モーツァルトの響き』というタイトルで、モーツァルトが実際にザルツブルグ時代に愛用していたヴァイオリン(実物が現存しているわけです)によるモーツァルト作品の演奏ってわけです。

 フランク・シュタートラー(ヴァイオリン),菅野潤(ピアノ)

 1)モーツァルト:ヴァイオリンソナタ イ長調 KV305
 2)モーツァルト:クラヴィーアソナタ ハ長調 KV330
 3)モーツァルト:ヴァイオリンソナタ ハ長調 KV296

 ピアノはモーツァルトの愛用品。伴奏の鍵盤楽器は、モーツァルトが使ったかどうかはの説明は無かったけれど、モーツァルト時代に普及した、フォルテピアノでした。今のピアノの原型となる楽器で、実際、モーツァルトのピアノソナタって、このフォルテピアノを念頭において作曲されているんだよね。

 まずは、モーツァルトのヴァイオリンだけれど、見た目も音も、ごく普通のヴァイオリンでした(当たり前)。聞きようによっては、古い楽器の音がするような気がします…が、それは21世紀の現代の話であって、モーツァルトの時代には、このヴァイオリンもまだまだ新品だったわけで、新しい楽器の音がしていたのだと思います。それが年月の経過と共に、音も丸く馴染んでくるようになったのだと思います。そういう意味では、ヴァイオリンは確かにモーツァルトのモノかもしれないけれど、我々が聞いている音は、モーツァルトが聞いていた音とは、だいぶ違っているかもしれません。

 会場となった第一生命日比谷本社の一階ロビーは、すごい良い場所でした。石造りで、見上げるほどに天井が高くて、まるでヨーロッパの教会堂のような造りになっていました。ほんと、ここ最高ですよ。

 私は舞台からかなり遠くに座ったのですが、それでも音量的に不足は感じませんでした…ヴァイオリンに関しては。この会場、ヴァイオリンはよく聞こえたのですが、フォルテピアノは今ひとつでした。フォルテピアノは現代ピアノほど、音量が出るわけでもなく、まだ完成途上のフォルテピアノより、当時すでに楽器として完成されていたヴァイオリンの方がよく聞こえるのも、当然といえば当然なのかもしれません。

 私はモーツァルトのヴァイオリンソナタには馴染みがないのだけれど、1)はまるでピアノとヴァイオリンがそれぞれ歌手で、その歌手たちの二重唱を聞いているような感覚になりました。あるいは、ヴァイオリンとピアノの会話を聞いているような感覚に襲われたと書いてもいいかもしれませんね。

 2)は、あまり聞こえなかったので、楽しめませんでした。まあ、楽器の特性や性能も関係しているので、多くは語りません。

 3)は派手で華やかな曲でした。本当に二重唱のような曲でした。モーツァルトの楽曲は、器楽曲にも歌があふれている…って事でいいですよね。

 それにしても、モーツァルトはこのヴァイオリンで、ザルツブルグの宮廷楽団でコンサートマスターをしていたそうです。もちろん、モーツァルトは子どもの頃からピアノの神童として有名だったわけだし、我々がよく知る、天才作曲家でもあったわけで、モーツァルトって人は、音楽に関しては(改めて思ったけれど)超人なんだなあ。いやあ、尊敬しちゃいますよ。

 続きはまた明日。

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