2021年02月17日

オペラをやりたい!

 オペラ、やりたいです。私が「やりたい」というレベルは、私と同じようなアマチュアシンガーが集まって、オペラの諸役を歌って演じるという、ほぼほぼ“ままごとレベル”の話です。別に市民オペラに参加したいとか、オペラの自主公演をしたいとか、そういう壮大なレベルの話ではありませんし、そういうレベルになると、アマチュアシンガーが参加できるとしても、せいぜい合唱でしょ? 私がやりたいのはオペラの役ですから、自分の身の丈を考えると、ままごとレベルにならざるをえません。

 現実的な話をすると、教室の発表会レベルでのオペラ演奏を希望するわけです。このレベルなら、探せばボチボチあるわけで、Y先生の発表会でも、たまにオペラをやっていましたし、私も他の人の演奏を見に行ったりしていました。

 でも、そういうのが、現在すべてコロナで吹っ飛んでおります。

 プロの方は生活がかかっていますから、コロナに負けずにオペラ公演をしていますが、アマチュアシンガーにとっての、オペラ公演なんて、それこそ“不要不急”の“三密”じゃないですか? やれるわけがない!

 実は、私にとっては黒歴史になった昨年の発表会なんて、企画段階では「そろそろオペラをやりましょうか?」なんて話が出ていたのですよ。それがコロナでオペラが吹っ飛んで、通常の形式になったわけです。

 今年の発表会でも、オペラは無しです。助演のプロ歌手さんもいませんし、私たちも自分のピアニストを連れての出演は…まあ無理です。全部、コロナのせいです。

 コロナ感染予防の観点で言えば、歌は危険らしいです。密室で一人きりでアカペラ(あるいはカラオケ)で歌っている分には問題ないみたいですが、それ以外は、基本的に濃厚接触になってしまうようです。

 舞台の場合は、各ホールごとに基準があって、その基準を守った公演しか許可されません。多くのホールでは、舞台の上に複数の歌手がいて、観客に向かって歌ってしまうオペラは、まだまだダメなんです。

 「ほんとにダメなの? 十分な距離を保っていたり、換気をちゃんとしても危険なの?」 思わず尋ねたくなります。

 私は感染予防対策をしっかりして、十分に気をつけて行えば、特に問題はないと思ってますが、そうは思わない人もいるわけだし、「万が一、感染したら、お前責任取れるのかよ!」と言われても、責任なんて取れるわけない(だって、感染症じゃん、誰が悪いとか悪くないとか、そんなの言えるわけ無いじゃん)し、そういう人とつきあうのも、面倒くさいので、オペラを自粛しちゃうしかないのです。

 でも、オペラやりたいなあ。

 ちなみに(歌手の人数の多さで言えば)オペラ以上にヤバいのが合唱ですが、合唱団の皆さんは、いかがしてらっしゃるのでしょうか? 非常事態宣言が発出している最中はさすがにお休みしているでしょうが、それ以外の時期は、色々な工夫をしながら練習をしているとかしていないとか聞きます。

 歌も危険ですが、同じように危険視されているのが管楽器です。具体的に言えば吹奏楽はヤバイです。学校の吹奏楽部などは、個人練習はOKですが、合奏練習はダメと言われて、個人の技能を高めることに邁進している学校もあるそうですが、そもそも吹奏楽なんて合奏が楽しいわけで、それを禁じられたら、みんなイヤになってしまうよね。それでも学校の部活は、顧問の先生方のコントロールの元で活動しているので、なんとかなっているのでしょうが、問題はオトナの集まり(オトナってわがままですからね)である市民吹奏楽団ですね。日々の練習はどのように工夫されているのでしょうか?

 とにかく、コロナが終息しなけりゃ、まともに音楽で遊べないよね。ほんと、一刻も早くコロナが終息してくれないかな。 私の理性は「たとえワクチンが開発されても、終息までは10年以上の時が必要だよ」って言ってます。いやー、そんなに待てないって。は

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2021年01月25日

こんなオペラもある

 コロナ対策で日々色々と大変な思いをしている今日この頃ですが、オペラ業界も頑張っているようです。

 ネットで見つけましたが、コロナ禍の中、こんなふうにオペラを上演している団体もあるようです。私、好感を持ちましたので、ご紹介します。


 演目はレハールの「メリー・ウィドウ」です。字幕は英語ですが、日本語で上演しているので鑑賞には問題ありません。2020年の11月の収録ですから、コロナ禍で大変な時期に、このような通常形態での上演をしたわけです。出演者の方々もスタッフの人々も、大変な苦労をしてこの上演にこぎつけたのだろうと思いますが、見事にオペラという夢の世界を舞台に作り上げています。実に素晴らしいです。

 プロ根性を感じました。二期会、実に素晴らしいです。

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2020年12月14日

メトの今年のラインナップ

 今年のメトロポリタンオペラの日本におけるライブビューイングのラインナップが先日発表になりました。ちなみに、本国アメリカでの2021-22年シーズンの公演はすべて中止で、その代わり、本国サイトでは日替わりでオペラの無料配信をしています(日本語の字幕がついていないのが残念です)。

 で、今年のメトのライブビューイング(当然日本語字幕付きです)のラインナップですが、当然過去の作品となります。2月から始まって、月イチペースで7月までの6本で、以下の作品が上映予定となっています。

 2月 2010年版「カルメン」
 3月 2014年版「メリー・ウィドウ」
 4月 2011年版「ワルキューレ」
 5月 2018年版「椿姫」
 6月 2006年版「セヴィリアの理髪師」
 7月 2018年版「アイーダ」

 私、すべて見ています(笑)。過去ログを漁ると、当時の感想が出てきます。ちなみに「カルメン」「メリー・ウィドウ」「椿姫」「セヴィリアの理髪師」はどなたにでも安心してお薦めできるほど、良い上演です。

 残りは…と言うと、「ワルキューレ」は…演出が智に走りすぎていて難解です。音楽も長いし、メトでは珍しくデボラ・ヴォイトやヨナス・カウフマンが歌っていて貴重な上演と言えば貴重なのですが…通向け過ぎで、あまりお薦めできません。

 「アイーダ」はネトレプコを見たい人にはお薦めですが、オペラを見たい人には向きません。ほぼほぼネトレプコの一人舞台です(笑)。配役のバランスの良い舞台で見たいものです。

 今年の私は…どうするかな? 全部見ているし、案外覚えているので、激安価格での上演ならともかく、通常価格での上映なので触手が伸びないんだよね。見るとしても「カルメン」と「ワルキューレ」ぐらいかな? いや、でも分からないよ。オペラ見るためには、都会とか繁華街とかに行かなきゃいけないからね。コロナ禍もあるから、人混みの中にはあまり行きたくないという本音もあるしね。

 さて、今年はどうするかな? 大いに悩んでいます。

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posted by stone at 04:00| Comment(2) | 歌劇

2020年11月23日

これがコロナ対策済みのオペラ公演だ!

 まず、オペラ公演(「カルメン」)をネットで公開している藤原歌劇団に感謝です。

 感謝をした上で「これでいいの?」って、私は言います(エラそうでごめんなさい)。

 実はこの公演、以前書いた、コロナ対策済みの大学オペラと会場も同じなら、上演(演出)方針も同じなのです。違うのは、演目と歌手の力量ってところでしょうか。あと、学生オペラでは、舞台上にアクリル板はありませんでしたが、こちらの公演では、数枚の車輪付きのアクリル板が舞台上にあって、歌手のみなさんが、それらを動かしながら、相手役との間にそれを挟んで、割と近距離で歌い合うシーンが多々ありました。学生オペラではアクリル板を使わなかったので、歌手と歌手が必ず距離をとって歌っていましたが、アクリル板があるために、歌手同士がアクリル板を挟んで、近距離でも歌えるようにしたのは、より良い演出かもなあ…って思いました。

 でも、アクリル板が舞台にあって、歌手の皆さんがそれを動かしながら歌って演技するのは、やっぱり変だよね。シラケちゃいます。

 学生オペラとの違いを書いてみます。

 まず、フェイスガードが声に与える影響が違いました。これは、学生とプロの違いのせいかもしれませんし、生の舞台と配信(つまり録音)の違いかもしれません。生で見た学生オペラでは、フェイスガード越しの声が不快でたまりませんでしたが、この配信ではフェイスガードが声に与える影響は無視してよい程度でした。ただ、オペラの登場人物がフェイスガードを着けている姿は、やっぱり変だよね。オペラへの没入が妨げられます。

 衣装に関しては、兵隊さんだけは軍服のような衣装を付けていましたが、その他は黒一色の衣装でした。学生オペラは自前の服のようでしたが、こちらは一応、衣装のようですが…あまり衣装を着ている意味は無い感じで、印象的には学生オペラとどっこいどっこいだなって感じました。オペラって衣装が大切ですよ、衣装を簡略化して良いのは、衣装に頼らない演技力のある俳優ぐらいなもので、歌手の皆さんの演技って…ねえ。

 で、その演技…ってか芝居に関しては、上手下手はともかくとして、皆さん、かなりきちんとやっていたように思います。アクリル板を巧みに使って近距離での芝居もこなしていましたが、だからそこアクリル板が邪魔くさいです。学生オペラの遠距離演技もどうかと思いますが、アクリル板を使用しての演技も同じくらいにシラケるものです。きちんと演技をしていただけに、ほんと残念です。

 大道具に関しては…使っていなかったような気がします。気がします…というのも、私、この配信は第一幕しか見てないんですよ。だって、つまんないだもの(ごめんなさい)。今までも配信のオペラっていくつか見てきたし、だいたい配信されるくらいだから、みんな面白くて、ワクワクしながら最後まで見ていたのだけれど、この公演は、なんかあっちこっちシラケちゃって「もういいや」って気分になってしまいました。学生オペラもかなり早い段階でシラケちゃったのだけれど、あっちは生の舞台なので逃げられなくて、最後まで見ちゃいましたが、配信オペラの場合、気が散ったら、他の番組に逃げられちゃうよね。

 歌劇団関係者の皆さんの努力はよく分かるのですが、ここまでしてまで、オペラって上演しないといけないものなの? というのが、正直な私の気持ちなのです。

 大学オペラは、学生にとっての学習の場ですから、何が何でも毎年行わないといけないのは理解しますし、そのために、あっちこっち妥協してでもやらないといけない学校行事であるわけです。

 でも、プロのオペラカンパニーの公演は、学生たちのそれとは違うわけです。

 感染の危険性が排除できず怖くてたまらないのならば、勇気を持って中止するべきだし、危険を乗り越えてオペラ公演を行うと決めたのなら、プロとして万全のものを見せるべきです。今回の公演だって、万全な形のものなら、きっと面白いだろうし、私も最後まで見たと思います。私が見てきた、藤原歌劇団のオペラ公演って、いつだって面白くて感動的な舞台だったもの。今回だって、本来ならそうだったはずです。

 先日見た、帝国劇場のミュージカルと比べると、プロとしての覚悟が違うなあって思いました。コロナは怖いけれど、プロの舞台人である以上、万全のものを歌い演じるのがプロであって、ミュージカルの人たちと比べると、オペラの人たちには(生意気言ってごめんなさい)甘えがあるような気がします。素人や、素人に毛の生えたような学生さんたちのオペラなら(私は好みませんが)コロナ対策のオペラもアリだと思いますが、プロの公演がこれではガッカリです。

 そう思うと、ミュージカルの人たちのプロ根性には、改めて敬服します。無論、出演者並びにスタッフ全員に定期的にPCR検査等をして安全を確認しながらの公演だろうけれど、いやあ、それにしたって、あの人たちの覚悟は、凄いんだなあって思います。尊敬しちゃいますよ。

 まあだからと言って、オペラの人たちがミュージカルの人たちを見習う必要はありません。歌芝居という共通点はあるものの、やはりあれこれ違うわけで、決して同じ土俵にあるものではないと思ってます。今年のバイロイトは勇気をもって中止したわけから、万全な形でのオペラ公演はまだまだ無理なのかもしれません。または今年のザルツブルグのような形で公演することも可能です。あの程度の簡略化なら私も受け入れられます。とにかく、フェイスガードとかアクリル板とかオーケストラを舞台に乗せるとかは、ほんとに見ていてシラケてしまうので止めたほうが良いです。あと、日本のオペラは演技力に不足がありありなんだから衣装もきちんと身につけたほうが良いです(ヨーロッパの真似をするには全般的に演技力が不足していると思います)。

 今回、「カルメン」を配信してくださった事には感謝していますが、この手のオペラを、生の舞台を高いチケットを購入して見に行くかと言われると、悩みますね。少なくとも、コロナ仕様のオペラ上演の形を取り続ける限りは、ちょっとパスかな? だってシラケてしまって途中で帰りたくなるような舞台に高いチケット代は支払えないよ。でしょ? 安価なら、目をつぶって演奏だけを聞くという事もありですがね…。いっその事を、演奏会形式での上演にしてくれたら、こちらも割り切れていいのですが…ねえ。

 今後、コロナが無くなることなんて、たぶん無いよ。ワクチンが開発されたって、巷からウィルスが無くなるわけじゃあ無いんだらね。私なんか、毎年毎年インフルエンザのワクチンを注射しているけれど、世間からインフルエンザが無くなるわけはないわけで、新型コロナのワクチンが開発されて、みんながみんな、ワクチン接種をしたとしても、それでもコロナは無くならないし、感染者はこれからもずっとずっと出続けます。

 オペラの人たちは、いつまでこんな事をし続けていくつもりなのかしらね? まあ、我々オペラファンは、生の舞台を見るのを止めて、過去の映像を見ればいいんだから、問題ないと言えば、問題ないんだけれど…ね。でも、できれば、生の舞台も見たいよね。

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2020年11月12日

帝国劇場で「Beautiful」を見てきました

 表題の通り、帝劇でミュージカル「Beautiful」を見てきました。公式ページはこちらです。

 「Beautiful」は、キャロル・キングのバイオミュージカルで、アメリカではかなりのヒット・ミュージカルで、現在(wikiの)ブロードウェイのロングラン公演の一覧では、歴代28位で、あの「アニー」や「ラ・マンチャの男」よりも上位にランキングされています。

 バイオミュージカルというのは、最近の新しいタイプのミュージカルの事で、昔のポップス歌手の人生を題材に、そこに彼らのヒット曲を加えて、ミュージカルとして再構成した作品です。日本でも(映画ですが)クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」とか、エルトン・ジョンの「ロケットマン」などが有名です。

 配役は以下の通りです。

キャロル・キング:平原綾香
ジェリー・ゴフィン:伊礼彼方
シンシア・ワイル:ソニン
バリー・マン:中川晃教
ドニー・カーシュナー:武田真治
ジニー・クライン:剣幸

 使われる音楽は、キャロル・キングの単独作品(主に「つづれおり」から)はもちろん、彼女の歌手デビュー前の専業作曲家(ゴフィン&キング)時代の作品や、もう一組の主役である、バリー・マン&シンシア・ワイルの作品等々と、1960年代のアメリカン・ポップスのオンパレードって感じです。

 とにかく、音楽的には、ほぼ満点のミュージカルです。

 で、これらを歌う歌手たちが素晴らしい。もちろん、主役を歌う平原綾香がめっちゃめっちゃ凄いのはもちろんです。彼女の歌を聞くだけでも、お値段以上の価値があると思いますが、それに輪をかけて素晴らしいのは、色々な歌手の役を演じて歌っている、アンサンブルの方々です。

 ミュージカルでアンサンブル歌手の仕事と言えば、無名や黙役の脇役であったり、群衆として合唱を担当したりが主なのですが、このミュージカルでは、アンサンブルの方々が、いろいろな歌手たちの役(シュレルズとかライチャス・ブラザーズとかドリフターズやシフォンズとか)をやっていたりするので、合唱はもちろんですが、ソロもたくさん歌います。これがまた素晴らしいのです。

 とにかく、歌、歌、歌って感じの歌ミュージカルなのです。

 じゃあ、お芝居はどうでもいいのかと言えば、決してそんな事はないし、私が驚いたのは、平原綾香の芝居が上手いことです。平原綾香にはお芝居のイメージは全然ないし、私も歌はともかく、芝居は期待していなかったのですが、いえいえ全然そんな事はありませんでした。芝居も水準以上でした、いやあビックリ。

 ミュージカルですから、全編日本語で歌い演じられていますが、今回の訳詞は湯川れい子氏が担当されていますので、実に自然でいい感じです。

 あと、コロナ対策ですが、入場の際の体温測定とアルコールによる手指消毒。ロビーのソファーが間隔を開けて座るようになっている事と、退場する際に分散して順序よく退場する事…ぐらいかな? お客さんには観劇中であってもマスク着用のお願いが出ていました。そうそう、売店がグッズ販売に熱心ではなく、通販での購入を勧めていましたね。グッズ販売は大切なのに…ねえ。

 客席に関して言えば、一階席は間を空けずにみっちりと販売されていました(し、ほぼ満席でした)し、二階席は、コロナ怖い人向け(?)でしょうか、こちらは一つ空きで販売されていました(けれど、こちらもかなり埋まっていました)し、ロビーはいつものように人でごった返していました。

 舞台の方は、出演者たちは、マスクもファイスガードもせず、普通に近い距離で歌い演技し、抱き合いキスしていました。つまり、コロナ禍以前の演出のままでした。まあ、愛する二人が抱き合ったりキスするのは当たり前でしょ? それを距離を取って離れていたり、全く触れなかったり…の方が演出としては変なのです。コロナ禍以前の演出で、ほぼ一ヶ月、毎日毎日舞台を務めるのだから、出演者の方々はもちろん、スタッフの皆さんにも、厳しく摂生された生活が求められているのだろうと思います。公演中、感染者を出さずに公演を続けている事に、私は彼らのプロ意識を感じました。

 あと、バンドはオケピではなく、舞台裏にいました。また、舞台上には常にピアノが置かれ、曲によっては、出演者たち自らがピアノを弾いて、弾き歌いをしていたり…と、音楽寄りの舞台でした。

 とにかく、60年代のアメリカンポップスが好きな方にはお勧めのミュージカルです。ほんと、楽しくてすごいのよ。日本では無名なミュージカルですが、実になかなかすごいミュージカルですよ。

蛇足 ソニー・ピクチャーズがこのミュージカルの映画化の権利を買ったそうです。まあ、権利を押さえただけで、まだ具体的な製作には取り掛かっていないそうですが、もしも映画になったら、楽しいなあって思います。

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2020年10月15日

新型コロナウィルス対応のオペラって…ありゃナシだな

 割と最近は、毎年のように見せていただいている、昭和音楽大学の大学オペラを見てきました。演目は「ドン・ジョヴァンニ」でした。今年の特徴は、新型コロナウィルスに対応したオペラ上演なんだそうです。

 まず最初に、全体的な感想を言えば、年々、音楽的な精度は高くなっているように感じられます。歌っている歌手にしても、合唱にしても、オーケストラにしても、レベルが少しずつ高くなっているように思われます。もちろん、時折は演奏にキズが見えないわけではないのだけれど、そんなモノよりも全体の満足度の方が印象深いです。

 つまり、音楽の演奏としては、ほぼ及第点以上の出来で「さすが、昭和音楽大学!」と言いたくなります。

 で、今年の目玉の新型コロナウィルス対応のオペラ上演ですが…まあ、実験としてはアリだけれど、実演としては無しだなって感想です。チケット代は格安なので、とてもコストパフォーマンスの良い優れた上演だと思います。

 そして、新型コロナウィルス対応のオペラ上演としては、よく考えられていると思います。

 まず、オーケストラピットを使用不能にして、オーケストラピットに蓋をして、その部分も舞台にします。大道具は使用しません。大道具を使用しない事で、舞台の奥の奥まで舞台として使用します。そうやって広くて奥行きのある舞台を確保したところで、その舞台中央にオーケストラを配置します。

 確かにあの狭いオーケストラピットにオーケストラを配置しては三密回避は無理ですね。なので、舞台中央の広々したところにオーケストラを配置します。そうする事で、オーケストラの各メンバーの間隔を若干広くする事ができますので、それでなんとか三密を回避しているのだろうと思われます。

 歌手たちが動き回る舞台は、オーケストラの前の部分(ここを舞台Aと仮に呼びます)とオーケストラの後ろの部分(舞台B)とオーケストラの横の部分で舞台AとBをつなぐ回廊的な舞台…まるで舞台上に2つの舞台をつなぐ花道ができたようです。ここを仮に舞台Cと呼びますと、当日の舞台は、まるで“コ”の字のような形(実際には“コ”の字の線対称で、舞台AとBをつなぐ花道は右側でなく左側)になります。

 舞台Aはほぼ、オーケストラピットの蓋の部分で、舞台Bは、本来なら大道具の裏になり、使用しない大道具を置くスペースなんだろうと思います。で、さらに舞台Bは2メートルばかり高くなっていて、舞台Bとオーケストラの境目には、数枚の幕がいつも垂れ下がっています。

 まず、中央にオーケストラが配置されている構造は、演奏前は「まるでオーケストラが主役見たいだな。きっとオペラが始まっても、オーケストラがガチャガチャ動く事で目立ち、オペラをぶっ壊すんじゃないか」と思っていましたが、実際に演奏が始まると、オーケストラはまあまあ大人しくて、全然気になりませんでした。ただ時折、指揮者の動きがうるさいなあとは思いましたが…まあ、気にしなければ気にならない程度でした。

 ソロ歌手たちは、主に舞台Aで歌い、舞台Bでは合唱が歌います。舞台Bの手前に常に幕(薄い幕[紗幕]や厚い幕[スクリーン])が下がっていて、合唱の飛沫からオーケストラのメンバーを守っています。また舞台と客席の間も5列ほど空列が続いて、舞台Aからの飛沫から観客を守っています。

 さらに、オーケストラメンバーは可能な限りマスクをし、歌手たちは必ずフェイスガードを付けます。そして、歌手たちは適度な距離を離れて演技をし、絶対に接触しません。

 大道具を使わない代わりに舞台Bとオーケストラの間の幕が、合唱が出てない場面ではスクリーンになり、何やらイタリアっぽい動画を映し出していました。

 衣装は着ません…と言うか、男性ソリストは皆タキシード、女性ソリストはドレスで通します。劇中で着替えることはありません。合唱は男女ともに上下黒のパンツスタイルです。まるで演奏会形式のオペラのようです。

 大道具を使わない、オペラ的な衣装を着ない…のは、大道具を動かしたり、オペラの最中に着替えたりして、舞台裏が混雑するのを避けるためのようです。

 とにかく、よく考えているんです。新型コロナウィルス対策としては「出来ることはなるべく行いました」という感じになってます。その努力はよく分かるし、何としてもオペラを安全に上演したいという、関係者の皆様の強い願いはひしひしと感じます。

 でもね、観客の立場で言えば「こんなオペラなら、もういいや」って感じです。なぜなら…、

1)フェイスガードはダメです、絶対。これで歌手の声がくぐもり、変な響きも付いて、声の音色がかなり悪くなり、オペラが汚れます。特に女声への影響は顕著です。歌手の声が聞きたいのに、声が汚くなるフェイスガード着用はダメダメです。歌としてのオペラは、フェイスガードで決定的にダメになります。

2)衣装はきちんと着よう。このオペラは、声のバリエーションが少ないのです(男はたいていバリトンで、女はみんなソプラノ)。女性はドレスでもそれぞれ色が違うのでマシですが、男性はみな同じ色の同じ形の服装で、おまけに声まで同じ。もう、区別付きません。だいたい、ドン・ジョバンニとレポレロが同じ服装って…オペラじゃないでしょ、これ? 騎士長の娘と村娘が同じようなドレスってのも…いかがなもの? さらに死者で石像なのに、生者と同じ衣装を着ているってのも…どうなの? 衣装がみんな同じなので、誰が誰なのか、本当に分かりにくくなり、鑑賞の妨げにすらなっています。衣装を着ていないと、誰が誰だか分からなくなります。演技だけで人物の個性を出せるほどの演技力があれば別ですが、それを学生はもちろん、日本のプロのオペラ歌手にだって求めるのは酷というものだと思います。

3)きちんとお芝居をしよう。いちゃいちゃする男女はベタベタと互いを触り合うものです。愛情深い娘は、父が死にそうならば、その頭を抱くものです。殺したい相手に銃を向けるなら、中距離から銃を向けるのではなく、至近距離まで近づいてから銃を相手に押し付けるものです。そんな当たり前のお芝居が出来ないのなら、芝居をしない方が分かりやすいです。中途半端な演技は、見ていて謎です。かえって状況を分かりづらくします。それならしない方がマシです。

4)大道具の代わりに動画? ありえないでしょ? せめて、プロジェクション・マッピングなら分かります。でも、歌の内容とは特に関係のない動画をダラダラ流されると、歌の邪魔にしかなりません。せめて歌の内容とリンクした動画ならば良しだけれど、関係の無い動画は、ほんと邪魔です。それなら、大道具も動画も無しの方が良かったです。

結論)せっかく音楽の部分が上出来なのだから、このオペラを演奏会形式でやれば、とてもとても良かったと思います。舞台の奥がオーケストラで、手前が歌。歌は、ソロに限らず、合唱も歌う人だけが舞台に出るようにすれば、舞台の上はそんなに混まないと思います。フェイスガードは外して、観客との距離を十分に取れば、特に問題はありませんが、それでも観客が不安を感じるようならば、舞台の一番前に飛沫予防の紗幕を張りましょう。紗幕は声的には、フェイスガードよりもずっとずっとマシだと思います。とにかく、フェイスガードは絶対にいけません。オケのメンバーが歌手と同じ舞台じゃ嫌だと感じるなら、オケと歌手たちの間にも紗幕を張りましょう。

 こんな形式のオペラしか上演できないのなら、新型コロナが落ち着くまでは、オペラの上演は全部演奏会形式でもいいんじゃないの? 中途半端なことをされるくらいなら、演奏会形式の方がずっとずっといいんじゃないの? 私は、そう思いました。

 オペラにはいろいろな要素があるとはいうものの、やはり最優先にすべきなのは、音楽でしょ? その音楽をダメするような上演は、一時的には良くても、長期的に見れば、客離れしか引き起こさないよ。少なくとも、私は「こんなオペラはもう嫌だ、見たくない」と思ってますから。

 一生懸命に舞台を勤めていた学生さんたちが可哀想に感じました。

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2020年09月17日

メトのライブビューイングで「アンナ・ボレーナ」を見てきた その2

 昨日はオペラ本編の話をしないうちに、記事の分量が多くなってしまったので、やむをえず記事を分割いたしました。今回は、本編に関する記事です。

 さてさて、この「アンナ・ボレーナ」というオペラは、極めてマイナーで、滅多なことでは上演されないオペラです。と言うのも、歌える歌手が限られているからです。どの役も、めっちゃ難しいので、それだけの歌の上手い歌手を揃えるのが大変なんだそうです。なので、一時期はどこの歌劇場でも上演されなかったわけです。昨今はオペラ歌手全体のレベルが上がり、この難曲も歌える歌手がぼちぼち出てきたので、少しずつ上演されるようになったという事です。ちなみに、メトですら、この2011年の公演が初上演だそうですから、その上演の難しさは推して知るべしです。

 めったに上演されないオペラですが、中身は実に充実した面白いオペラです。なにしろ、あのドニゼッティの出世作ですからね、つまらないわけないです。

 ストーリーは、ヨーロッパ人なら誰でも知っている「アン・ブーリン事件」だし、音楽は捨て曲無しの充実さ。こりゃすごいです。

 このオペラは、歌手の声とその技量を楽しむオペラです。声のサーカスを見ているかのようで、ストーリーがよく分からなくても、代わる代わる歌う歌手たちの声と歌唱テクニックにうっとりしていれば、あっという間に4時間経ってしまうというわけです。

 なので、このメトの上演でも、歌手の声と歌唱テクニックにうっとりしているうちにオペラが終わってしまいます。それぐらい、歌手の粒が高いレベルで揃っているんです。

 このメトの上演は、常識的に考えるなら、ほぼ百点満点の上演と言えるでしょう。今「常識的に考えるなら」と書いたのは、私個人の意見はちょっと違うからです。

 私の意見としては、主役のネトレプコに問題があるなあと感じています。

 ネトレプコは、めっちゃ上手な歌手です。テクニック的には、ほんとすごいです。なんの破綻もありません。おまけに(多少太ってますが)美人だし、演技も抜群です。ほぼ超人です。でもね、私、ネトレプコの声が好きじゃないです。

 ネトレプコの声って、ソプラノ・ドランマティコ・ダジリタという種類の声じゃないかって思います。この声種の特徴は、低音も高音も無理なく出せて、コロラトゥーラも得意って声ですね。つまり、どんな役でも歌えるスーパーな声の持ち主って事です。

 「アンナ・ボレーナ」を得意としていたマリア・カラスもソプラノ・ドランマティコ・ダジリタでしょうし、「アンナ・ボレーナ」を最初に歌ったジュディッタ・パスタもソプラノ・ドランマティコ・ダジリタだと言われています。

 だから、ソプラノ・ドランマティコ・ダジリタであるネトレプコが「アンナ・ボレーナ」を歌うのは当然だし、しかるべきだと思うのですが、なんか違うなあって私は思うのです。

 と言うのも、劇中で、アンナとセイモーとスメトンの三人が歌う三重唱があるのですが、この時、まるでメゾソプラノの三重唱のように聞こえるんですよ。それってダメでしょ? 少なくとも、他の二人と比べて、アンナの声には、ソプラノとして、メゾソプラノよりも声に輝きがないとダメって私は思うのです。

 歌うだけでも大変なアンナ役なのに、さらに声の輝きまで求めるなんて、贅沢すぎる要求だとは思いますが、全体が素晴らしいだけに、私的にはそこが残念なのです。

 「アンナ・ボレーナ」のアンナ役には、幅広い音域の歌手が求められています。だからソプラノ・ドランマティコ・ダジリタの声が必要だというのは理解します。

 問題は、声質の好みの話になります。

 ソプラノ・ドランマティコ・ダジリタの声は、ソプラノ(明るい響きのある声)で、ドドランマティコ(重く力強い声)で、ダジリタ(コロラトゥーラが大得意)って事でしょ? つまり“明るくて力強い響きのある声”って事になります。確かに、マリア・カラスの声って(美声では無いけれど)そんな感じの声だよね。

 で、ネトレプコの声です。彼女の声って…あんまり明るくないよね。特に低音域を歌っている時は、ほぼほぼメゾソプラノの響きになっているような気がします。だから、ソプラノとメゾソプラノの三重唱が、メゾソプラノだけの三重唱のように聞こえてしまうわけです。そこが残念だし、そこが問題だと感じています。

 ソプラノ・ドランマティコ・ダジリタの歌手が歌う役って、音域の広い役がそうであって、それは「アンナ・ボレーナ」のアンナだけじゃないです。代表的なところで言えば「ノルマ」のノルマとか「椿姫」のヴィオレッタなどもそうです。ノルマは母性が強いので、太めの声で歌われる事も多いですが、ヴィオレッタは商売女なので、派手目な声で歌われる事が多いです。つまり、ソプラノ・ドランマティコ・ダジリタの声と言っても、色々あるって話です。少なくとも「アンナ・ボレーナ」に関しては、メゾとの二重唱や三重唱があるのですから、低音域の声質が明らかにメゾよりも明るい歌手が歌うべき役だと…私は思っています。

 そこがこの上演での問題だと私が感じている事ですが…たぶん、ほとんどの人は、そこに問題を感じていないでしょうね。むしろ、スター歌手であるネトレプコの出演を喜んでいる人の多いんだろうなあ。

 というわけで、このメトの「アンナ・ボレーナ」は、私以外の方には、チョーお勧めです。いや、私も、自分の声の好みを押し殺せば、全然OKなんだけれど、趣味のオペラ鑑賞なのに“好みを押し殺す”のも、何か変な話ですよね。

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2020年09月16日

メトのライブビューイングで「アンナ・ボレーナ」を見てきた その1

 アンコール上映で、2011年シーズンの「アンナ・ボレーナ」を見てきました。スタッフ&出演者等は以下の通りです。

指揮:マルコ・アルミアート
演出:ディヴィッド・マクヴィカー

アンナ・ボレーナ:アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
ジョヴァンナ・セイモー:エカテリーナ・グバノヴァ(メゾソプラノ)
エンリーコ国王:イルダール・アブドラザコフ(バス)
リッカルド・ペルシ:スティーヴン・コステム(テノール)
スメトン:タマラ・マムフォード(メゾソプラノ)

 この作品は、作曲家ドニゼッティの「チューダー朝三部作」の一つで、イギリスのチューダー朝(あれこれスキャンダラスな王朝だったようです)をネタにして書いた、3本のオペラのうちの一つです。ちなみに、あとの2つは「マリア・ストゥアルダ」と「ロベルト・デヴェリュー」です。

 この「アンナ・ボレーナ」は、アン・ブーリン事件をネタにしています。人名は変えられているので、下に書いておきますね。

アン・ブーリン -> アンナ・ボレーナ
ジェーン・シーモア -> ジョヴァンナ・セイモー
ヘンリー8世 -> エンリーコ国王
リチャード・バーシー -> リッカルド・ペルシ

 これでイギリス史に詳しい方は「ははん」と思われることでしょう。私にはなんのこっちゃって感じですが。

 ちなみに、オペラには名前だけで登場しない「アラゴンのお方」は“キャサリン・オブ・アラゴン”の事です。元スペイン王女で、ヘンリー8世の最初の妻です。アン・ブーリンの前にヘンリー8世の奥さんだった人です。ヘンリー8世はアン・ブーリンと結婚するために(ってか、キャサリン・オブ・アラゴンと離婚するために)ローマ・カトリックと袂を分かち、イギリス国教会を作ったと言われています。なにしろ、ローマ・カトリックでは離婚は認められないからね。それにしてもすごいなあ。

 で、ヘンリー8世とキャサリン・オブ・アラゴンの子がメアリ1世(ブラディ・メアリという二つ名があります)で、ヘンリー8世とアン・ブーリンの子がエリザベス1世(こちらには処女王という二つ名があります)なんです。

 そしてヘンリー8世亡き後、1代(エドワード6世)はさんで女王となったメアリ1世は、カトリック復古を推し進め、イギリス国内に宗教的な対立を生み出してしまいました。で、これを収めたのが、エリザベス1世って事になります。

 そのエリザベス1世に対して、ブラディ・メアリではないメアリ1世(スコットランド女王。スコットランド王ジェームズ5世とメアリ・オブ・ギーズの娘)というのがいて、イングランド女王であるエリザベス1世の正当性を認めずに権力闘争を起こしてしまいます。で、負けちゃって、その晩年の時代をオペラ化したのが「マリア・スチュアルダ」です。

 で、最後に歴史の勝者になったはずのエリザベスの晩年のドロドロな私生活をオペラにしたのが「ロベルト・デヴェリュー」なんですね。

 ちなみに、エリザベスの跡をついで、イングランド王になったジェームズ6世は、実はマリア・スチュアルダのメアリ1世の子であり、イングランド王のついでにスコットランド王にもなっちゃって、イングランドとスコットランドの統一王になり、その後も子孫が繁栄して、今のイギリス王家につながっていきます。

 そうなると、メアリ(もちろんブラディじゃない方)とエリザベス、どっちが勝ったんだか分かりません。

 ちなみに、チューダー朝とは、ヘンリー8世の父親、ヘンリー7世からエリザベス1世までの時代を言います。ずばり、オペラ化された時代ですな。

 ちなみに王朝とは男子直系による家族で王を引き継いでいくやり方で、男系が途絶えて(女性が王になると男系が途絶える事が多いです)他家から養子を迎え入れたり、女性王の子が次代の王になると、王朝が変わります。

 日本の天皇系はずっと同じ王朝(かな? 家系図を見ると必ずしもそうとも言えないような気がしないでもない。例えば継体天皇とか後小松天皇とか後花園天皇とか光格天皇とか…ねえ)なので比較できませんが(王朝ではありませんが)徳川将軍家で言えば、

@本家徳川家 徳川家康(初代)〜徳川家綱(4代)
A館林徳川家 徳川綱吉(5代)
B甲府徳川家 徳川家宣(6代)〜徳川家継(7代)
C紀州徳川家 徳川吉宗(8代)〜徳川家治(10代)
D一橋徳川家 徳川家斉(11代)〜徳川家定(13代)
E紀州徳川家 徳川家茂(14代)
F一橋徳川家 徳川慶喜(15代)

 ってな感じで養子を親戚から迎えていますので、王朝(?)が変わってます。つまり、徳川家の場合は男子直系が途絶えてしまうたびに、親戚から男子を養子に迎えて将軍職を繋いでいったのです。ま、そもそも日本には“王朝”という発想はないし、みんな“徳川家”なので、親戚を含めた大家族で将軍職を守っていったとも言えますが。

 あれ、オペラ本編に入らないうちに、こんなに書いてしまいました。ううむ、オペラ本編については、明日にします。しばし待たれよ。

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posted by stone at 04:00| Comment(4) | 歌劇

2020年09月15日

ドミンゴのバリトン歌唱について

 皆さんは、プラシド・ドミンゴというオペラ歌手をご存知でしょうか? 御年79歳で、かつては三大テノールの一人として、オペラ界でブイブイ言わせていた、いわゆる“リビング・レジェンド(生きる伝説)”ってタイプの大歌手です。ちなみに、79歳だけれど、今でも現役のオペラ歌手&指揮者です。

 最近の話題としては、昔起こしたセクハラ事件を最近掘り起こされて、それでアメリカのオペラ界から追放されてしまうというスキャンダルを起こしてます。アメリカ人はセクハラには厳しいからね。もう二度とメトでは歌えないんだそうで、ちょっと残念です。

 それはともかく、ドミンゴは、かつては飛ぶ鳥落とす勢いの大テノール歌手だったわけです。それが70歳を迎える頃から、バリトンの役を歌うようになったわけです。今回は、そんなかつての大テノール歌手が、最近ではバリトン役ばかりを歌うようになったので、それについての記事です。

 さて、一般的には「ドミンゴはテノールからバリトンに転向した」と言われています。実際、一度は(2010年頃)「バリトン転向宣言」をして、バリトン歌手を名乗るようになったそうですが、どうも最近(2015年頃)は、また御自分の事をテノール歌手であると言い出して、今はテノール歌手のまま、バリトン役を歌っているというスタンスを取っているようです。

 つまり、今は「バリトン歌手に転向したからバリトン役を歌っている」のではなく「テノール歌手だけれどバリトン役を歌っている」という事にしているようです。まあ、こんなふうに言っているのには、彼なりの言い訳のようなものが(たぶん)あるんだろうなあって思います(が、そんなことはどうでもいいと私は思ってます)。

 そもそも、ドミンゴという歌手は、極めてレパートリーの広い歌手なんです。卓越した歌唱力に加えて、優れた言語能力を併せ持った、天才的な歌手なので、若いときから、様々なテノール役を歌ってきました。声に合わない役(例えば「愛の妙薬」のメモリーノとか、「ドン・ジョヴァンニ」のドン・オッターヴィオとか)ですら、なんとか歌いこなしてしまうくらいのテクニックを持っている人なので、本当に声が全く合わなくて歌えない役以外の、数多くのテノールの役を歌ってしまった人なんです。常に新しい役を求めている、貪欲な歌手なんだと思います。

 そんな彼だから、おそらくバリトン役を歌うことは、かつてワーグナー・テノールに挑戦したのと同じような感覚なのかもしれません。ドミンゴがワーグナー・テノールに挑戦した時も、当時の世間はアレコレ言ってたのを思い出します。

 で、昨今のドミンゴは、加齢によって高音が出づらくなった事(そもそもドミンゴは高音が苦手なテノールでした)もあって、バリトン役を歌うようになったと言われています。それに、ドミンゴはデビュー当時はバリトンだったわけだしね。ある意味、原点回帰なんです。

 さて、そんなドミンゴのバリトン歌唱ですが、ワーグナー・テノールに挑戦した時以上に世間の風当たりはキツイようです。曰く「あれはバリトンの声ではない」「歌に深みが欠けている」「ドミンゴの歌を聞くくらいなら、もっと別の本物のバリトン歌手の歌を聞くべきだ」とかね。

 私は、そんな世間の声の言い分については、正解だと思ってます。オペラと言えども、クラシック音楽であって、基本的に再生芸術なんです。作曲家が想定した声で歌うのが筋というものですし、そういう意味では、ドミンゴのような声でバリトン役を歌うのは、作曲家の想定には無いだろうと、断言できます。

 なので、クラシック音楽&オペラファンとしては「ドミンゴはバリトン役を歌うべきではない」と、私も思わないでもないです。

 実際の音源で比べてみましょう。曲はヴェルディ作曲の「椿姫」のバリトンの名アリア「プロヴァンスの海と陸/Di Provenza il mar, il suol」です。まずはお手本として、名バリトンの誉れ高いディミトリー・ホロストフスキーの歌唱でお聞きください。

 では、我らがドミンゴの歌唱です。
 こういうふうに比べてしまうと、やはりドミンゴは声が違います。バリトン役を歌うべきではない…って言えるかもしれません。上手いんだけれど、バリトンとしての深みが足りないのよね。ちょっと違うかなって気がします。

 でもね、悲しいかな、私はドミンゴファンだったりするんです。

 ドミンゴの歌うバリトン役は、クラシックファンとしての耳で聞けば、全然物足りないし、やっぱり間違っていると思います。でもね、ドミンゴファンとしての耳で聞けば、実に素晴らしいし、絶品だと思うんですよ。もう、ブラボーって何度も叫びたいくらいに良いんですよ。

 「もうさあ、テノールとかバリトンとか、どうでもいいじゃん。ドミンゴは“声種:ドミンゴ”って事で、いいじゃん」って気分にすらなってしまいます。実際、歌は超絶上手いし、表現力だって十二分にあるし…ただ、いわゆる典型的なバリトン声ではない(ってか、やっぱりテノール声だよね)ってだけの話じゃん。もう、そんな小さな事(え?)にこだわるの止めようよ。

 って考えてしまうわけです。ちょっと、脳みそが傷んでますね。

 歌曲って、どんな声種の歌手が歌ってもいいんですよね。もちろん、作曲家は、ある特定の声種を想定して作曲しているのだけれど、その想定された声種以外の歌手が歌ってもいいのが歌曲なのです。

 ならば、オペラも歌曲のような感覚で、歌えるなら、指定された声種以外の声で歌ってもいいじゃん…という、おおらかな気持ちになれないかな? というような、ムチャな考えすら持ってしまいかねないほど、ドミンゴのバリトン歌唱って見事なんです。

 正直に言っちゃえば、ドミンゴのバリトンって、ある意味ゲテモノなのかもしれませんが…それで喜んでいる人が世界中にいるというのも、事実なのです。なら、そんなファンのために、ドミンゴのバリトン歌唱があっても良いと思いますよ。

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posted by stone at 04:00| Comment(8) | 歌劇

2020年08月24日

メトのライブビューイングで「タイス」を見てきました

 夏になりました。例によって、メトのライブビューイングのアンコール上映を見てきました。まず、今年の一発目はマスネ作曲の「タイス」です。

 そもそも今回の上演は、2008-2009年シーズンのもので、まだプラシド・ドミンゴがテノールだった時代に上演されたものです。スタッフ等は以下の通りです。

指揮:ヘスス・ロペス・コボス
演出:ジョン・コックス
タイス:ルネ・フレミング(ソプラノ)
アタナエル:トーマス・ハンプソン(バリトン)
ニシアス:ミヒャエル・シャーデ(テノール)

 なぜ、いきなりドミンゴの話が出てきたのかというと、今回のMCがドミンゴだったからです。しかしドミンゴって英語が下手だよなあ。今まで、そんなふうに思った事はなかったのだけれど、彼にはMCはちょっと重荷だったようです。だって彼はメキシコ人だもの、スペイン語ネイティブな人だもの、英語は外国語だもの、そりゃあ英語が苦手でも仕方ないよね。やはりMCは英語圏の方がいいかな?なんて思いました。

 それはともかく、歌劇「タイス」です。

 このオペラは、あまり有名ではないオペラです。実際、めったに上演していません。まず日本で生で見ることは難しいでしょうね。何しろメトですから、やっと2度目の上演で、それも前回から30年だか40年だか経過してしまったと言うくらい、滅多にやらないオペラなんです。

 実際に聞いてみると、なかなか音楽的に充実していて、決してお蔵に入るようなオペラではありません。それでも滅多に上演しない理由として…

1)とにかくソプラノパートが難しい
2)主役男性がバリトン
3)宗教を取り扱っている
4)エロ系オペラである

 …が考えられるようです。

 1)の、とにかく「ソプラノが難しい」は、皆さん、クチを揃えて言いますね。「歌えるソプラノがいないんだ」そうです。難しくて、歌える歌手が限られるならば、そりゃあ世界各地で上演…ってわけにはいきませんね。

 2)「主役男性がバリトン」と、3)「宗教を取り扱っている」と表裏一体の問題かもしれません。このオペラの主役であるタイスは(架空の異教である)ビーナス教の神殿巫女であり、男性側の主役であるアタナエルはキリスト教の修道院で修行中の神父さん(聖職者はだいたいバリトンです。これオペラの約束事ね)です。つまり、異教対キリスト教という構図のオペラであり、オペラの中で、神父であるアタナエルは堕落してしまうのですが、それは真面目なクリスチャンからすると受け入れられないストーリーかもしれません。それが予測できるゆえに、劇場支配人的には、あまり上演したくない演目なのかもしれません。ドミンゴもマスネの作品は好きだけれど、このオペラは(ニシアスというテノール役があるにも関わらず)相手役がバリトンだから歌わないと言っちゃうくらい、スターテノールの協力も得づらいんです(つまり客が呼べない)。やっぱり劇場支配人的にはキビシイよね。

 そして4)のエロ系オペラですからね…。品行方正なオペラのお客様が目をそむけたくなるようなオペラは、そりゃあ無理ってもんすよね。

 今回のメトの「タイス」は、1)はルネ・フレミングですから問題ありません。4)は演出で巧みに回避しています。2)は仕方ないにせよ、3)の神父の堕落も演出で目立たなくしてあります。という訳で、今回のメトの「タイス」はかなりお上品な出来となっていて、皆さん、安心して見られるという出来になっています。ほんと、お薦めよ。

 私は、バルバラ・フリットーリがタイスを演じる上演のブルーレイを持っていますが、こっちは、普通にエロよ。フリットーリはさすがに脱ぎませんが、いわゆるモブのダンサーの方々は、男女問わず、褌一丁でほぼ全裸。女性は生乳をプルンプルンさせて随所で激しく踊ってます。そういうオペラなんです。なんか、オペラ見ているんだか、おっぱい見ているだか、分からなくなるくらいに、たくさんおっぱいが出てきます。

 私は見ていないのですが、エヴァ・メイがタイスをやっている上演では、主役タイスであるメイ自身が生乳出しちゃうそうですからね。そういうオペラなんですよ。

 だって、タイスって役は、異教の神殿巫女なわけで、普通の日本語で言えば「売春婦」ですからね。タイスの同僚の皆さんも売春婦なわけで、そりゃあエロにもなります。

 メトは、そのエロを裸には頼らずに、衣装で表現します。フレミングは肌は出しませんが、本当によく考えられた衣装を着ることで、高級売春婦の雰囲気を醸し出します。これは演出の勝利ですね。別に「タイス」に生乳が必須ではないわけですからね。

 メトは露骨なエロを封印したため、却って「タイス」のストーリーが分かりやすくなっています。やっぱり、おっぱいがあれば、おっぱい見るよね。ストーリーなんて、どっかに飛んでいっちゃうよね。でも、おっぱいが無ければ、真面目に真剣にオペラ見るもの。おかげで、フリットーリの「タイス」ではよく分からなかったストーリーも、メト版ではよく分かりました。結構、マジで宗教(ってか「救い」がテーマ)を取り上げているストーリーじゃん。

 このオペラは、品行方正で堅物な神父の人生と、ナンバーワン売春婦の人生が、ある瞬間に交わり、売春婦は神様に救われて品行方正で堅物な修道女になり、神父はタイスの女性としての魅力に囚われ、なんとか彼女を自分のモノにしようと思うのだけれど、結果的に神を捨て信仰を捨ててしまう…というお話なんだよね。なんかねー、分かるんだよなあ、刺さるんだよね。そういう人を結構たくさん見てきたからね。

 メトの「タイス」は、メト上演のオペラの常として、たぶん、初心者向きだと思います。音楽を楽しみたい、ストーリーを理解したいという人は、まずこの上演だと思います。ただ、このフレミング版は、日本語字幕付きのDVDになっていないのが残念です。日本語版があれば、皆さんにお薦めしちゃうんですけれどね、残念な事に英語版しか無いんだよね。あと、エロが無いの当然として、メトではダンスもほとんどありません。純粋に音楽劇として仕上がっています。

 それもあって、この「タイス」の音楽は実に良いです。特に有名なのは、歌ではなく、第二幕の間奏曲として演奏されるヴァイオリン独奏の「瞑想曲」なんだけれど、これはただのインストの曲として聞いても美してくて素晴らしい曲なんだけれど、オペラの中で聞くと、実に感動します。と、言うのも、この曲は、異教徒であったタイスが、キリスト教信仰に目覚める心の動きというか、信仰の獲得と言うか、神様に救われる様を音楽として表現した曲なんですよ。だから、この曲の前後でタイスの人格がコロっと変わるんです。そういう宗教的に強いメッセージ性を持った曲なのです。

 私、この曲を聞き終えた時、映画なのに、思わず拍手しちゃいました。こんな経験は初めてです。それくらいに感動してしまいました。

 「タイス」は良いオペラです。エロがあっても無くても、良いオペラです。エロ無しのメトの「タイス」も素晴らしいのだけれど、個人的には、エロがたくさんある方が、もっと良いかも(笑)。

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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 歌劇