2020年01月28日

映画「キャッツ」を吹替版で見てきた

 ネット(特に海外)では、だいぶ不人気な映画ですが、私は楽しめました。点数をつければ、100点満点の70点ぐらいかな? まあ、若干の不満はありますが、それはそれで楽しく見れました。

 ちなみに私が見たのは、吹替版の方です。ですから、字幕版の方がどうなっているのかは知らない事。その他のキャッツとしては、日本の劇団四季での上演版と、映像版(1998年にロンドンで収録)の2つを知っている事。で、この2つをまとめて言う時は舞台版という言い方をします。という前提で、以下の記事を書きます。

 まず、舞台版と比べると、映画版には、カットされた歌やシーンがあった事と、新たに付け加わった歌やシーンがありました。まあ、これ自体は、映画化されたミュージカルにはよくある話で、媒体の違いもあるので仕方ないと思います…が、しばしばカットされた部分が好きな人もいたりします。

 私に関して言えば「けんかネコ ランパスキャット」の歌とシーンがカットされた事は、まあ仕方ないと諦める事ができます。でもね「劇場ネコ ガス」は、シーンは残されたものの、歌の部分は全部セリフになってしまっていたのが、とても残念です。ガスの歌のメロディーって、なかなかいいメロディーなんだよねえ…。劇団四季版だとガスのシーンの中に、グロールタイガーのシーンが挿入されるわけで、そのグロールタイガーのシーンって、私はとてもとても大好きなんだけれど、そのシーンもまるまるカットされました。まあ、映像版でもグロールタイガーのシーンは無かったし、これが入ると、ストーリーの流れが悪くなると思うので、カットは仕方ないとはいうものの、個人的にはほんと残念なんです。

 歌が一部セリフになっていて残念と言えば「ネコの名前の付け方」と「ネコに話しかける方法」の2曲はかなりの部分がセリフに置き換わっていました。うーん、ちょっと許せない感じがします…。

 ネコたちのキャラクターが舞台版と映画版で異なっているのも、まあ仕方ないとは言うものの、その変更が納得できないのもあるわけで、私的には、映画版では主人公になったヴィクトリアが白猫ではなく、薄いヒョウ柄のネコになっていたのは、かなり残念です。やっぱ、ヴィクトリアは白猫でしょ? あと、舞台版では堂々とした魔術師ミストフェリーズが、映画版ではおどおどした小心者になっていたのは、ミストフェリーズ大好きな

私としては、やっぱり残念でした。

 おそらく、多くの人が問題視するだろう、長老デュトロノミーがオス猫からメス猫へ変更された事は、私はすんなり受け入れました。ただ、舞台版のデュトロノミーは、立派な声でたくさんの曲を歌うキャラなのですが、映画版ではほとんど歌わず、セリフばかり言っていたのが残念です。もっと、デュトロノミーに歌わせてほしかったですよ。

 些細な事ですが、ネコたちが、しゃべる(つまり人格を持っている)ネズミやゴキブリを食べるのは…ちょっとイヤでした。それも、踊り食いだよ。ちょっとグロいよね。

 画面が常に揺れていて、なんか落ち着きがないのが気になりました。また「キャッツ」はダンスミュージカルなので、ネコたちは力強いダンスを踊るんですが、そのダンスがあまり感動的じゃないんですよね。おそらく振り付けに問題があるのではなく、ダンスシーンの撮影に問題があるんじゃないかと思います。つまり、監督さんはストーリーを語るのは得意だけれど、ダンスを見るのはあまり好きではないのかもしれない…って思いました。

 以上が、私にとってのマイナス点です。

 一方、プラス点もあります。

 舞台版には主人公がいません。そのため、ややもするとストーリー展開が散漫になっている印象がありますが、映画版にはヴィクトリアという主人公がいます。そのため、キャッツの世界に入りやすくなるし、ストーリー展開も分かりやすくなっています。

 海外では不評だった、ネコのデジタルコスチューム(つまりCGね)だけれど、私は全然OKでした。あれをネコとしてみれば、グロテスクだし、夢に出てきそうなくらい気持ち悪いのだろうけれど、人間として見れば、全身タイツで猫耳付けて踊るダンサーのようなもので、全然気になりません。

 敵役としてのマキャビティーの扱いも良かったと思います。

 ヴィクトリアの歌う新曲には期待していなかったのですが、案外、良い曲だったので、得した気分でした。

 と言う訳で、私的には70点の評価になったわけです。でも、最初に書いた通り、これはこれでアリだと思うし、私は楽しめましたよ。ロイド・ウェバーが書いた音楽に変わりはありませんからね。で、この映画で「キャッツ」に興味が持てたら、ぜひ劇団四季の「キャッツ」を見て欲しいと思います。私にとって、劇団四季の「キャッツ」は、ほぼ100点満点ですからね。地方に住んでいて、劇団四季の舞台を見れない人は、1998年制作の映像版を見るといいです。この映像版は、私にとって90点なんです。マイナス10点は、グロールタイガーのシーンがカットされている事と、画質が古くて荒い事かな?


 さて、映画の出来とは別に、吹き替えに関して書きます。

 ミュージカルは一般的に、上演される土地の言葉に訳して上演されるのが一般的ですから、今回の「キャッツ」も吹き替えで見るのが、まあ当然と言えば当然ですし、私もそのつもりで吹替版で見たのですが、かなり後悔しています。と言うのも、吹き替えの出来が、正直、あまり良くなかったのです。少なくとも、ディズニー映画の吹き替えと比べちゃうと、てんでダメなんです。

 とにかく、言葉が聞き取れないんですよ。私は内容を知っていますから、このシーンではこんな事を歌っているに違いないという先入観があって、なんとか歌っている歌詞を推測する事ができましたが、初見の人だと、どれだけ歌詞を聞き取る事ができるのかしら? そもそも歌手の技量が低くてきちんと歌えていないのか、作詞家の腕が悪くて歌詞がダメなのか、音響監督の腕が悪くて歌を聞き取りやすく録音できなかったのか、その両方なのか、あるいは全部なのか。とにかく、歌詞の聞き取りに関しては、かなり厳しかったですね。改めて、ディズニー映画のミュージカル吹き替えのレベルの高さを感じましたし、劇団四季の歌手たちの技量の高さを確認してしまいました。

 歌詞がロクに聞き取れなかったので、ミュージカルの山場で歌われる「メモリー」も全然感動できませんでした。あのシーンは、必ず胸アツになるんですが…この吹替版だと、そこまで感情が沸き立ちませんでした。

 これから映画版「キャッツ」を見に行く人は、字幕版の方が良いかもしれません。たぶん、字幕の方なら(歌詞はオリジナルのままですから)胸アツになれるし、泣けるかもしれません。

 それにしても、吹き替えを作る時に、定評ある劇団四季の浅利慶太の歌詞を下敷きにして日本語訳を作ればよかったのに…なぜ、そうしなかったのかな?

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2020年01月14日

映画館で、ロイヤル・オペラの「ドン・パスクワーレ」を見てきた

 標題の通り、ロイヤル・オペラの「ドン・パスクワーレ」を見てきました。

 「ドン・パスクワーレ」はドニゼッティの作品です。音楽は最高なんだけれど、ストーリーは実にクズでダメです。今回の上映版では、設定を現代に置き換えたもので、どうなんだろうと思ったものの、まあ、細かい部分はアレコレ辻褄が合わないし、不自然だけれど、大筋としては、アリな感じがしました。つまり、細かいところに目をつぶれる寛容さがあれば、現代劇に置き換えても、まあ良しって感じのストーリーです。

 ただ、現代劇に置き換えると、登場人物たちのクズな部分が直球で表現されてしまうので、見ていて、実に切なくなります。ほんと、私のような老人が見ると、実に後味悪いんですよ。ほんと「ドン・パスクワーレ」って、老人を馬鹿にしたオペラですからね。この演出だと、主人公のドン・バスクワーレ」は、若者たちに散々にからかわれて、いたぶられた挙げ句、家と財産を取られて、老人ホームに送られてしまう(つまり“ジジ捨て”だね)んだから、なんともやるせないです。実に悲しい物語です。ジャンル的には喜劇なんですが、ちっとも笑えません。

 だいたい、甥のエルネストなんぞは、ジジイの財産を当てにするくらいなら、まずは汗水たらして働けよ!と言いたい気分です(エルネストは、いい年して、ドン・パスクワーレに養われている無職野郎なんですよ!)。そもそも、ヒロインのノリーナは後妻業だし、マラテスタに至っては、ただの美人局です。もう、クズを通り越して、犯罪者集団じゃん。これじゃあ、笑えなくても仕方ないよね。

 なので、演出とか、そもそものストーリーとかは、見る人を選びますが、音楽は絶品なのは間違いないです。

  指揮:エヴェリーノ・ピド
  演出:ダミアーノ・ミギエレット
  ドン・パスクワーレ:ブリン・ターフェル(バリトン)
  ノリーナ:オルガ・ペレチャッコ(ソプラノ)
  エルネスト:イオアン・ホテア(テノール)
  マラテスタ:マルクス・ヴェルバ(バリトン)

 ほんと、音楽は最高でした。歌手たちは、演技も良いし、歌声は実に抑制が効いていました。ベルカント・オペラなんですから、もう少し、歌い飛ばす系の人がいても良いかな?と思いましたが、まあこれはこれでアリでしょうね。そういう意味では、演劇寄りの上演なんだと思います。この上映は、最初に見るべき演出ではないと思いますが、これはこれでアリな演出です。

 とにかく私、この上映を見て、その足で楽譜屋に行って、ヴォーカルスコアを買ってしまったくらいですから(笑)。あれこれ、歌ってみたい曲がたくさんあるんだよね。それくらい、音楽は絶品ですって。

 今回は日比谷で見てきたのですが、今まで“TOHOシネマズ 日比谷”で上映していたロイヤル・オペラですが、今回からは“TOHOシネマズ シャンテ”に上映館が変更になりました。はっきり書いちゃうと、シャンテは映画館としては、小綺麗にしているものの、作り的に昭和な感じがして、とても残念な映画館でした。次回もシャンテで上映するなら、あれこれ準備をして、覚悟を決めて行かないといけないかなって思いました。今後も、シャンテで上映するなら、もう少し料金を安くしてもいいんじゃないかなとも思いました。“TOHOシネマズ 日比谷”と同じ料金ってのは、解せないよ。

 もっとも、お客さんは驚くほど入っていませんでした。ほんと、ガラガラだったのよ。シャンテって、それなりにキャパのある大きめな映画館なのに、勿体ない感じがしました。“TOHOシネマズ 日比谷”の方が、もっと小さなキャパのスクリーンがあるので、そっちの方がふさわしかったんじゃないの?と、思わないでもないです。

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2019年12月02日

メトのライブビューイングで「マノン」を見てきました

 「マノン」です。プッチーニ作曲の「マノン・レスコー」ではなく、マスネ作曲の「マノン」です。ちなみに、フランスオペラです。

 実は、プッチーニのものも、マスネのものも、原作は同じ、アベ・プレヴォーによる小説「ある貴族の回想と冒険」の第7巻「マノン・レスコー」です…が、登場人物もマノンとデ・グリュー以外の人物は何かしら異なるし、ストーリーも似ているようで、どこか違います。ちなみに、原作小説はあちらでは有名な作品なので、この二人以外の作曲家もオペラにしていますし、映画化やバレエ化、ミュージカル化等もたびたびされています。それくらい有名な原作です。

 プッチーニとマスネの関係に絞って書けば、マスネの方が16歳年上だし、作品もマスネの方が9年早く発表しています。で、マスネの「マノン」は当時から大人気で、つまり、プッチーニの方が後追いです。

 両者の違いは…と言うと、使用言語以外だと、マスネの方はストーリーが連続していて、よく分かりますが、プッチーニの方は場面と場面が飛んでいて、その間のストーリーも特につながりが強くありません。まあ、プッチーニの方は「原作は有名だから、当然、ストーリーはみんな知っているよね」という前提がありそうです。音楽的には、マスネの方がオシャレで上品ですが、プッチーニの方は、いかにもヴェリズムって感じで、音楽は激しいです。あと、上演時間がマスネは約3時間でバレエ付き。プッチーニは2時間で映画並みと言った違いもあります。

 それらはさておき、メトの上演ですが、実に素晴らしかったですよ。

 指揮:マウリツィオ・ベニーニ
 演出:ロラン・ペリー
 マノン:リセット・オロペーサ(ソプラノ)
 デ・グリュー:マイケル・ファビアーノ(テノール)
 レスコー:アルトゥール・ルチンスキー(バリトン)

 とにもかくにも、マノン役のオロペーサがとてもとても良かったです。この上演は、オロペーサを見るための上演であったと言っても、過言ではありません。

 オロペーサは実に美人です。マノンという女性はファム・ファタールですから、美人が演じないと説得力の無い役ですが、その点、オロペーサは適役です。さらに言えば、美人の上に(童顔なので)可愛くもあり、ほんと適役です。声も若々しくて、演技力も抜群で、本当にマノンという役がぴったりです。

 ただ、ちょっとだけ気になったのは、彼女、おへそから上はスレンダーなのに、実に見事な下半身デブなんですよ。お尻とか太ももとか、そりゃあダイナミックなのよ。実に不思議な体型だなあ…と思っていたら、彼女、実は10年ほど前までは体重が95Kgもある、ウルトラデブだったそうですが、それを55Kgまで落としたんだそうです。なぜ、そんな事をしたのか…と言えば、太っている事が理由でオーディションに落ちまくったからなんだそうです。

 実際、彼女はアメリカ人で、メトの養成所出身なのですが、養成所を出ても全然役がもらえずに、なぜ自分は役がもらえないのかと関係者に尋ねたところ「それだけ太っていてはダメだよ」と言われてしまい、そんな馬鹿な!と思って、ヨーロッパに活動場所を移しても、やっぱり太っている事が原因で役がもらえず、そこで一念発起してダイエットをしてやせたところ、仕事がバンバン入るようになったんだそうです。で、やせて売れっ子になったので、この度、メトに里帰りとなった…という事なんだそうです。

 ちなみに、彼女のダイエット方法は…マラソン。まあ、日本流に言えばジョギングなんでしょうが、とにかく走って走って走りまくったんだそうです。売れっ子になった今でも、毎日のように走っているんだそうです。走ることで体重を維持しているそうなのです。しかし、走っている割には、なぜ下半身だけが太り続けているんだろ? 走っていたら、むしろ下半身からやせそうなんだけれど…。

 ちょっと前まで、オペラ歌手は太っているのが当たり前だったのに、世の中って、変わるんですね。ちなみに、メトで大活躍しているデボラ・ヴォイトは、ロイヤル・オペラを太り過ぎという理由で解雇された事があるそうです。で、ヴォイトは、その契約解除金で胃のバイパス手術を受けて、やせて、イギリスでも役をもらえるようになったんだそうです。うーん、太っているオペラ歌手ってのは、もはや時代遅れなんでしょうね。

 メトの上演の話に戻ります。

 オロペーサのマノンがあまりに素晴らしいので、ついつい他の人たちの事を忘れてしまいがちですが、その他の歌手たちも、水準以上の歌唱と演技で、本当にスキのない上演でした。ルチンスキーが演じるレスコーは、実にクズっぽくって面白かったです。ただ、私的に気になったのは、テ・グリューを演じていたファビアーノが高音のppを全部ファルセットで歌っていたのが、気になりました。「ファルセットで逃げんなよ〜」と厳しい事を思ってましたが、たぶん、そんなところを気にするのは私くらいだろうなあとも思いました。

 誰が演じていたのか分かりませんが、もてない君であるギヨーの小悪人ぶりもよかったし、プゼット、ジャポット、ロゼットの女声3人組も実にコケティッシュでよかったです。私の好みで言えば、テ・グリューの親父さんは、もう少し威厳がある方が好きです。

 この上演は、おすすめですね。DVDになったなら、購入しても損しないと思いますよ。


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2019年11月13日

劇団四季の「ライオンキング」を友人たちと見てきました

 標題の通り、先日、男友達たちと劇団四季の「ライオンキング」を見てきました。一緒に行った友人たちは、普段はミュージカルはおろか、映画すら見ない。劇場なんて行った事はなく“○○鑑賞”と言えば、家でビールを飲みながらの、スポーツのテレビ中継を見るくらいの人たちです。昨日はサッカー、今日はラグビー、明日は野球…ってな感じで、特に思い入れのあるスポーツとかチームとかは無いようですが、とにかく、ほぼ毎日、なんらかのスポーツ中継を見ているという人たちです。

 そんな彼らを、だまくらかして(笑)ミュージカルに連れて行った私です。彼らの中から、一人でも二人でも、ミュージカルファン、できればそこを入り口に、オペラファンが生まれやしないかという、邪な考えでの行動だったわけです。

 劇団四季の「ライオンキング」の公演は、いつもながらの安定の素晴らしさです。有名な歌手はいないけれど、公演のレベルは日本トップクラスだよね。なので、今回は「ライオンキング」の素晴らしさには触れません。だって、素晴らしいのが当たり前の劇団四季の公演に、何をか言わんやって事でしょ?

 それよりも面白かったのは、私が連れて行った友人たちの感想です。

 始まる前は、本当にワクワクなんですよ。私なんて、劇場とかホールとかに慣れちゃっているせいもあって、特別な気持ちにはならないのですが、彼らは劇場に到着するだけで、すっごく興奮しているんです。ほんと、特別な場所にやってきた…ってカラダで感じているようなのです。劇団四季の劇場なんて、今回やってきた夏劇場に限らず、どこも安普請で、豪華さのかけらもなくて、別に感動するポイントなんて、探しても見つからないのになあ…なんて、私は思うんだけれど、彼らは見るもの聞くもの、すべてに大興奮なんですよ。

 そう言えば、劇場って、ハレの場だもんな。

 ちなみに、一応、彼らにはドレスコードを守らせて、カジュアル禁止令を出しておいたんです。いわゆる平服ってヤツを強制したんです(簡単に言えば「ネクタイしてこい!」)が、それも影響あるかな。だって、スポーツ観戦とか音楽ライブとかなら、ネクタイなんてしないじゃない。TシャツだってOKじゃない。それなのに、ミュージカルでは(私に言われたせいもあって)Tシャツ禁止どこか、ネクタイ着用を義務付けられたわけで、それだけでなんか特別な感じがして、興奮しちゃったのかもしれません。

 あ、ちなみにオペラはともかく、ミュージカルは、Tシャツで見に行ってもかまわないっちゃあかまいません。ただ、Tシャツで行くと、周りから浮くけれど…ね。そんなわけで、ミュージカルで平服着用は私の個人的な趣味です。

 さて、座席は一階中央の一番良い席を確保しました。コンクールなら審査員が座る場所ね。彼らの初ミュージカルをベストな場所で鑑賞できるように配慮したわけです。私の好みで言えば、砂かぶりのもっともっと前の席が好きなんですが、さすがに入門者に最前列でのミュージカル鑑賞はキツイだろうって考えたわけです。

 ちなみに、劇場内では飲食禁止というのは、私には常識ですが、彼らには初耳だったようで、ビールを飲みながらミュージカルが見られない事に、不満を言ってたヤツもいました。確かに、スポーツ観戦なら、酒飲みながらでもOKだよね。

 ミュージカルが始まりました。「ライオンキング」って、ビジュアル的に反則的なミュージカルって事もあって、友人たちは大喜びです。やはり、初心者に見せるなら「ライオンキング」はベストです。ウォーっとか叫びながら見てました。

 前半が終わって休憩に入ったところでの彼らの感想は「…腰が痛い(涙)」でした。一時間近くも身動き取れずに椅子に座り続けるのが、彼らには相当辛かったようです。え? そんな事で音を上げるの? って、私には信じられない気がしました。この程度で音を上げていたら、ワーグナーのオペラなんて、絶対に見れないじゃん!

 とにかく、まだ、もう一時間あるから、腰回りのストレッチをよくしておくように指示を出しました。あと、休憩時間中に、トイレに行かせて、飲みたいヤツはビールでもワインでも売店で販売しているから、ロビーで飲み終えてから戻ってこいと言っておきました。私自身は(眠気防止のために)ペットボトルのブラックコーヒーを一気飲みしておきました)。

 そうそう「マイクを手に持っていないけれど、マイクはどこにあるの?」という質問が出ました。そうか、世間の人は、ミュージカルマイクってヤツを知らないんだな。なので「かつらの両耳のあたりに超小型マイクが仕込まれているんだよ」と教えておきました。

 あと「伴奏はカラオケだろうけれど、歌は生歌?」という質問も出たので「原則的に歌は生歌だけれど、一部、演技をしながらとかダンスをしながらでは歌えないような難しい歌は、事前に録音されていて、それに合わせてクチパクしている時もある」と答えました。まあ、そうだろうねという返事でした。

 後半が始まり、そしてミュージカルが終わりました。

 ミュージカルを見終えた彼らの感想は…「納得できない!」でした。何が納得できないのかと言えば「なぜシンバは、父親の思い出と会話したくらいで、故郷に戻って、王位奪還を目指したのか? そこが納得いかない!」と言うわけです。彼らが言うには、まずシンバは王位奪還の前に、自分自身に王としての資質とか適正とか覚悟とかがあるかって事を考えないのかとか、われ彼の兵力差を考えないのかとか、それ以前に、相手の事をほとんど知らないまま、なかば特攻状態で襲撃するなんて、正気な沙汰とは思えないとか…エトセトラエトセトラ。

 言われてみれば、まあ、その通りなんだけれど「あなたたちはミュージカルに、物語としての整合性を求めるんだ!」と思ったのです。私なんて、ミュージカルを見る時には、ストーリーなんて、ほぼほぼ気にしないよ。私が見るのは、歌とダンスであって、ストーリーなんて、歌とダンスのきっかけを与える舞台装置のひとつぐらいにしか思っていないんだけれど、彼らにとっては、歌よりも、ダンスよりも、何よりも、ストーリーが大切で、ストーリーを見ていたわけで、だからストーリーに納得いかないと、もう思考はそこで止まっちゃうわけです。

 ちなみに「納得できない」に対しての私の答えは「原作に当たるアニメでも、そのあたりは、特に触れていないから、考えなくていいんだよ」ですが、それに対する彼らの返答は「アニメが原作だからダメなんだ!」でした。おお、この人たち、天下のディズニーアニメに喧嘩売っているよ。

 帰りは、売店でお土産のグッズをたくさん買っていましたよ。家で待っている奥さんや娘さんたちへのお土産のようでした。そうか、ミュージカルを見て、お土産としてグッズを購入するって発想は、私にはなかったなあ(汗)。

 もしかすると、私は、相当スレた客なのかもしれません。ならば今後は、そういう自覚を持っていないとダメだろうなあと思った次第です。


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2019年11月12日

今年はオペラ公演ではなく、ガラ・コンサートだったんです

 今、イタリアのトリエステ・ヴェルディ歌劇場が日本中でオペラ公演をしています。例年ならば、当地にもやってきてオペラ公演をしていたはずですが、当地に関しては、今年はオペラ公演は無しで、歌手が三人だけやってきて、アリア・ガラ・コンサートをしました。

 なぜオペラをやらないのか…? 当地では色々な噂が流れていますが、とにかくやらないのです。ああ、残念。私は、地元のホールで、ヨーロッパの歌劇場が行うオペラ公演をとても楽しみにしていたのですが、やらないものは仕方ないです(涙)。

 で、オペラ公演(今年は、ラモン・ヴァルガスを連れて「椿姫」をやっているそうです)の代わりに、行われたガラ・コンサートは「オペラアリアとナポリ民謡のすべて」と題されたコンサートで、前半はオペラアリアを、後半はナポリ民謡を歌ってくれました。

 出演してくれた歌手は以下のとおりです。

ソプラノ:アドリアーナ・イオッツィア(★)
テノール:ブラゴイ・ナコスキ(●)
バリトン:フランチェスコ・ヴルタッジョ(◆)

 ちなみに、ピアニストはロベルト・モレッティ氏で、司会者兼通訳で朝岡聡さんが出演されていました。

 当日のセットリストは以下の通りです。

第一部
  ロッシーニ「俺は町の何でも屋〜セビリアの理髪師」(◆)
  ヴェルディ「女心の歌〜リゴレット」(●)
  プッチーニ「私のお父さん〜ジャンニ・スキッキ」(★)
  ビゼー「闘牛士の歌〜カルメン」(◆)
  ヴェルディ「不思議だわ!…花から花へ〜椿姫」(★●)
  ヴェルディ「燃える心を〜椿姫」(●)
  ヴェルディ「乾杯の歌〜椿姫」(●★)

第二部
  ファルヴォ/フスコ「彼女に告げて」(●)
  カルディッロ「つれない心」(◆)
  トスティ「マルキアーレ」(★)
  ディ・カプア「オー・ソレ・ミオ」(●◆★)
  デ・クルティス「帰れソレントへ」(◆)
  コットラウ「サンタ・ルチア」(●)
  ディ・ステファノ「フニクリ・フニクラ」(●◆★)
  ガスタルドン「禁じられた歌」(★●)
  カリファーノ/カンニオ「恋する兵士」(◆●)
  モドゥンニョ「ヴォラーレ」(●◆★)

アンコール
  「ふるさと(日本語)」(●)
  「ヴォラーレ」(●◆★)
  「オー・ソレ・ミオ」(●◆★)

 で、コンサートそのものは、普通に良かったです。生演奏ならではの傷も多少ありましたが、それはご愛嬌って事でネットに書きませんが、まあ、それも含めて、私はたっぷり楽しみました。

 ちなみに、客の入りは…全体の座席の3割程度かな? これ、絶対に赤字だよね。オペラですら7〜8割程度しか入らず(おそらく)赤字なのに、いくら出演者数の少ないガラ・コンサートだからと言って、こんな入場者数では、やっぱり赤字だよねえ…。これじゃあ、来年は、オペラどころかガラ・コンサートもやってもらえないかもしれない…。昔は当地のオペラ公演って、満員が当たり前だったけれど、どんどんオペラに来るようなお年寄りが亡くなってしまい、オペラを見るお客の数が減ってしまったんだよね。やれば赤字なら、主催者的にはやれないだろうけど、そこはチケット代を上げてでもやって欲しいなあっと思ってます(当地のオペラ公演は、都会よりもだいぶチケット代が安いんだよ)。 それにしても、お年寄りの現象は、オペラ公演のみならず、地元のクラシック系音楽公演にあれこれ影響を与えています。いや、まじで、ほんと、ヤバいって!

 それはさておき、その程度の事なら、普段ならわざわざ記事にしない私なのですが、実は今回歌ってくれたテノールのナコスキ氏について書きたいので、記事にしてアップします。

 さて、ナコスキ氏は声の軽いテノールです。ググったところ「オテロ」のカッシオとか「ドン・ジョバンニ」のドン・オッタービオとか「椿姫」のアルフレッドとか「トゥーランドット」のポンとかが持ち役の、主役系も脇役系もやれる、軽めのテノール氏のようです。

 この人の歌い方が、実に独特で個性的で、それに驚かされました。

 普通、テノールという人種は、目立ちたがり屋で他人の注目を集めたがる傾向があります。ですから、やたらと高い音を歌いたがるし、そんな高い音は、声を張って歌うし、それも苦悶の表情を浮かべながら「すっごい大変な事をしてますよ」アピールも忘れません。

 それがテノールの標準、デファクト・スタンダードです。

 なのに、ナコスキ氏は、高音を顔色変えずに歌っちゃいます。声は張りません。苦悶の表情なんて、絶対にしません。それどころか音量すら増やしません。最初っから最後まで、軽くてフワッとした声で、高い音も低い音も、軽々と歌っちゃいます。

 なので、彼の歌を聞いていると、どの歌も簡単に聞こえちゃうんです。実際は、かなり難しい歌を歌っているにも関わらず、ごくごくサラっと歌っちゃうんです。

 驚きました。こんなに自己主張をしない、全然目立たないテノールさんなんて(たぶん)始めて見ました。こういう歌い方もアリなんだなっと、目からウロコがボロボロと何枚も落ちました。

 ナコスキ氏の歌唱を聞いて、Y先生のご指導を振り返ってみると、急にアレコレがつながっていきました。もしかするとY先生は、私をこのナコスキ氏のようなタイプのテノールに育てたいのかもしれない…と思いました。

 ナコスキ氏の声は極めて軽いです。でも、全然不快ではありません。軽く歌っていますが、基本の声量はかなりあるので、軽く歌っても、全然聞こえます。声は張らないので、声に凄さはありませんが、声はクリアで滑舌が良いです。実にテクニカルでなんでも器用に歌っちゃいます。こういうタイプのテノールは、日本には少ないし、世界でも主役クラスのテノールはこういう歌い方をしません。

 おそらく、ナコスキ氏は、大きな舞台では脇役を、小さな舞台では主役をやる、歌劇場では便利に使われているテノールなのではないかと思います。例えば、今回の「椿姫」公演では、ヴァルガス氏がアルフレッドを歌う時は、ナコスキ氏は脇役テノール(ガストーネ子爵とかジョゼッペとか)を歌い、ヴァルガス氏がお休みの時は、ナコスキ氏がアルフレッドを歌う…なんて事をやっていそうです(調べたら、実際にやってました)。

 主役も脇役もこなさなければならないため、テクニックはちゃんとしていないといけないし、なんでも歌えるのは、そのせいではないかと思うのです。

 ナコスキ氏の歌唱を生で聞けて良かったです。こういうテノールもいるんだなって思いました。ナコスキ氏の歌唱を参考に、盗める所は盗んで、少しでも歌が上達できたらいいなあと思いました。


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2019年11月11日

帝国劇場で「ラ・マンチャの男」を見てきました

 少し前の話になりますが、このままお蔵入りさせるのも、もったいない話なので、アップします。

 実は先日、久しぶりに日比谷の帝国劇場に行き、ミュージカル「ラ・マンチャの男」を見てきました。

 演出/セルバンテス/ドン・キホーテ/アロンソ・キハーナ:松本白鸚
 アルドンザ/ドルシネア:瀬奈じゅん
 サンチョ:駒田一
 旅籠の主人:上條恒彦
 カラスコ博士:宮川浩
 神父:石鍋多加士

 言わずと知れた松本白鸚を見るためのミュージカルであり、松本白鸚(前松本幸四郎、元市川染五郎)の元気な姿が見られれば、それ以上の文句を言っちゃあならないミュージカルです。で、実際、松本白鸚はお元気でした。

 それにしても松本白鸚は、今年で77歳ですよ、立派な御老体です。「ラ・マンチャの男」は演じ続けて、今年で50年だそうですし、上演回数も1300回を超えたそうです。すごいね。こうなると、彼が死ぬまで「ラ・マンチャの男」は他の人が演じられませんなあ。まるで、森繁の「屋根の上のバイオリン弾き」状態ですな。

 「ラ・マンチャの男」というミュージカルそのものは…まあ、芝居寄りのミュージカルですね。キラーソング「見果てぬ夢」はあるものの、音楽を聞くためのミュージカルとは思えませんし、ダンスにも見るべきシーンはありません。役者の芝居を見るミュージカルなので、昔から日本人受けをして、今年50年になったんだと思います。あまりミュージカルを好まれない方にも良いかもしれません。上演時間も、たったの2時間(もちろん、休憩はありません)で、映画と変わりませんし…ね。

 松本白鸚の「ラ・マンチャの男」を見られて良かったと思ってます。年齢を考えると(ごめん)、次があるかどうか、分からないものね。「ラ・マンチャの男」の松本白鸚を見るのは初めてですが、松本白鸚の舞台は今までにも何度か見ていますが…やっぱりだいぶ衰えたなあと感じます。なので、彼がお元気で舞台で演じているだけで、それだけで有り難い…そう思う次第なのです。とにかく舞台で演じている時は、まだまだお元気なのですが、舞台が終わって挨拶をされている時(つまり、素になっている時)は、見るからに聞くからに“ザ・老人”って感じだもの。つまり、舞台では、相当に頑張って演じている様子です。あと、何年続けられるのかしら?

 「ラ・マンチャの男」と言えば、ピーター・オトゥール主演の映画も有名ですし、作品そのものを楽しみたいなら、映画版で十分かもしれませんが、舞台には舞台の味があります。映画と舞台は別物と思った方が良いかもしれません。実際、舞台の方が、音楽の分量が多めだしね。
 久しぶりに行った帝国劇場は、あれこれ変わっていました。一階ロビーにあった売店は撤去され、ロビーが広く感じられました。トイレも改装されていました。男性用のトイレは小規模になり(妻が言うには)女性用のトイレが大幅に拡大されたそうです。まあ、今や、ミュージカルの客なんて、ほとんどが女性だから、女性用のトイレはたくさん用意しないといけないよね。


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2019年10月09日

大学オペラを2日連続で見てきた

 芸術の秋ですね。標題のとおり、大学オペラを2日連続で見てきました。

 まず最初は、東京芸術大学の奏楽堂で上演された、モーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」です。こちらは「藝大オペラ」という事で、出演者の方々の経歴は何も書かれていなくて分からないのですが、おそらくソリストは全員、芸大の大学院のオペラ専攻の学生さんたちではないかと思われます。ちなみに合唱は学部の3年生です。

 今回、チケットを購入するのが遅れ、私がゲットした座席は、正面席だけれど、かなり舞台から遠い座席でした。どれくらい遠いのかと言うと、歌手の動きは分かるけれど、顔は目鼻が付いている程度しか分からないほどの遠さです。オペラグラスを持ち込めばよかった…と後悔したほどでした。ですので、オペラも全体はよく見えましたが、細かな演技とかは、まるで見えない…と言った感じです。

指揮:佐藤 宏充
演出:今井 伸昭
フィオルディリージ:山原 さくら(ソプラノ)
ドラベッラ:上久保 沙耶(ソプラノ)
フェッランド:岸野 裕貴(テノール)
グリエルモ:外崎 広弥(バリトン)
デスピーナ:橋 慶(ソプラノ)
ドン・アルフォンソ:後藤 駿也(バリトン)

 まず、特筆すべきは、演出の素晴らしさです。広い奏楽堂の舞台を上手に狭く使ってました。モーツァルトのオペラって、舞台が広くない方が良いと、私は常々思っていますが、こんなふうに狭く使うと、本当に良いですね。さらに、この狭い舞台を、手前と奥で使い分けていて、その分、場面転換も素早くて、良かったと思います。この演出は、十分、お金の取れる演出だと思いました。

 歌手の皆さんは、芸大で優秀な成績を修めている方々ですから、悪いはずはないのですが、残念な事に、今回、私はかなり後ろに座ってしまったために、色々と分かってしまいました。

 何が分かったのかと言うと、3人のソプラノさんたちが、極めて素晴らしい歌手である事です。とにかく、歌が上手いだけでなく、発声が実に見事なのです。それに若くて、たぶん美しい(遠目なのでよく分からないのよ)。なので、この三人と共演している方々が見劣りしてしまうのですよ。具体的に言えば、男性歌手たちです。たぶん、この人たちも一人ひとりで見れば、優秀な歌手なのでしょうが、この女性陣と共演すると、あれこれ不足が見えちゃうんですね。とにかく、モーツァルトオペラなのに、アンサンブルオペラなのに、バランスが悪いんですよ。いやあ、残念。

 あと、残念と言えば、合唱がパワフル過ぎたのが残念かも。なんか、モーツァルトと言うよりも、ワーグナーっぽい力強さがあってね。全然、シャレオツじゃなかったのが残念です。ま、これは悪いというよりも、私の趣味に合わなかった…って事なんですがね。一人ひとりが歌えるんだから、合唱の人数は1/3程度で十分だよ。

 翌日は、昭和音楽大学のテアトロ・ジーリオ・ショウワで、モーツァルトの「フィガロの結婚」を見てきました。こちらは、最前列のやや右側の、とっても良い座席で見させていただきました。

指揮:ニコラ・パスコフスキ
演出:マルコ・ガンディーニ
アルマヴィーヴァ伯爵:岩美 陽大(バリトン)
伯爵夫人:肖 マ怡(ソプラノ)
スザンナ:木村 有希(ソプラノ)
フィガロ:田村 洋貴(バリトン)
ケルビーノ:遠藤 美紗子(メゾソプラノ)
マルチェリーナ:下倉 結衣(メゾソプラノ)
バルトロ:王 弘宇(バス)
バジーリオ:佐佐木 雄一郎(テノール)
ドン・クルツィオ:高畑 達豊(テノール)
バルバリーナ:垣生 奈々保(ソプラノ)
アントーニオ:菅生 悠太(バリトン)

 こちらの出演者は多岐に渡り、昭和音大の大学院生もいれば、すでにプロとして活躍されている卒業生や交流している中国の上海音楽学院の生徒さんもいます。私が見なかった日には、韓国の芸術総合学校の生徒さんが出演していたようで、色々なバックボーンを持った人たちが共演していました。ちなみに、こちらの合唱は学部の四年生を中心に、その他の学年の方々も参加しているようです。

 フィガロの結婚って、普通に上演されているバージョンでは、あっちこっちのアリアやレチタティーヴォがカットされているのが普通なのです。でも、今回のオペラでは、勉強のための上演といった側面があるためか、ほぼほぼカットなしでした。だから…正直、退屈です。いやあ、演じる方はレチタティーヴォがあんなに長いと大変なのは分かるけれど、見ている方は、さすがにイヤになります。何度も何度も睡魔に襲われました。

 まあ、普段は聞けない、マルチェリーナやバジリオのアリアを聞けたのは収穫だったけれど、聞いてみれば、別になくてもいいかなって程度の脇役アリアでした。でも、歌うには大変な難曲だよなあ…。苦労の跡が感じられました。

 指揮者さんが外国の方で、おまけにすっごい大柄な人だったので、脇から上がオケピの上にはみ出していました。振り回す腕は丸見えだし、スキンヘッドはピカピカ光っているし…。序曲の間は、指揮者さんが気になって気になって、これはオペラどころの騒ぎじゃないなあ…と諦めていたのですが、いざオペラが始まったら、指揮者さんは視界の外だったので、全然気になりませんでした。でも、指揮者のすぐ後ろの席だったら、すごく気になったでしょうね。幕間の時にオケピを覗いたら、指揮台が何段にも積み重ねてありました。あれ、普段は背の低い日本人指揮者のためにあんな感じで雪舟しているんだろうと思いましたが、大柄な外国人指揮者が振る日は、あれだけの指揮台は取り外しちゃえばいいのに…と思いました。とにかく、指揮者は客席から見えないようにしないと…ねえ。

 こちらも女性歌手の皆さんが素晴らしかったです。特に、伯爵夫人を演じた上海のソプラノさんは、実に素晴らしかったです。

 素晴らしいのに残念だったのは、伯爵役のバリトンさんでした。歌唱は素晴らしいし、演技も文句ないし、イケメンなんだけれど…童顔なんですよ。なので、どうしても、伯爵が小僧にしか見えないんです。容姿だけなら、むしろケルビーノをやった方がお似合いなくらいに、小僧なんです。すごく残念でした。あれだけの高身長でイケメンで若々しいなら、テノールだったら引く手数多だろうなあって思っちゃいました。でも、バリトンなんだよね。テノールならば童顔は、むしろ長所だけれど、バリトンだと演じる役の幅が狭まるよね。あれでは、これからが心配です。才能があるだけに勿体ないですよ。もっと老けメイクを頑張って、イケメンな老け顔にしないとダメだよなあ…って、強く思った次第です。歌手の皆さんは、自分でメイクをするのが普通のようですが、音大では舞台メイクの方法は教えないのかしら? あるいはいっそ、ハイバリトンのようなので、テノールに転向してみるのも、いいかもね(って無責任な発言でごめん。でもテノールなら成功しそうだよね)。

 あと、演出が昭和でした。最近のフィガロの結婚って、かなり演劇的で緻密で細かな演出が流行りじゃないですか? ところがこちらの演出は、私が若い時に見たような、いかにも昭和な感じのする(ごめんなさい)雑な演出でした。さすがに、これはナシだよなあって思いました。学生たちの勉強のためにするなら、そこはきっちりと今どきの演出にした方が、勉強になると思うんだけれどなあ。

 あと、こちらも合唱がパワフルでした。歌う側からすれば、一曲入魂なんだろうから仕方ないんだけれど…ね。

 今年の秋の大学オペラは、この2つしか見られなかったのですが、他の音楽大学でも興味深いオペラ公演がやられているんですよね。ああ、私に自由な時間がもっとあれば、関東地方…と言わず、日本中の音大をはしごしまくって、大学オペラを制覇してやるんだけれどなあ…。ああ、残念。

 大学オペラって、衣装や舞台装置がしっかりしているし、出演もみな上手だし、若くてピチピチしているし、何と言ってもチケット代が安価だし、良い事づくしで私は大好きです。なんと言っても、これから世の中へ出ていこうとする有望な歌手を、いち早く見られる事は、オペラファンとして、うれしい事だしね。これからも頑張って上演し続けていってほしいと思います。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 歌劇

2019年09月26日

メトのライブビューイングで「アイーダ」を見てきました

 またもや、アンコール上映で、メトのライブビューイングの「アイーダ」を見てきました。今回見たのは、2018年上演版です。つまり、昨年のバージョンですね。メトでは何度も異なるキャスティングで「アイーダ」をライブビューイングしていますので、上演年の確認は大切です。

 で、私が見た上演のスタッフはこんな感じでした。

指揮:ニコラ・ルイゾッティ
演出:ソニヤ・フリゼル

アイーダ:アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
アムネリス:アニータ・ラチヴェリシュヴィリ(メゾソプラノ)
ラダメス:アレクサンドルス・アントネンコ(テノール)
アモナズロ:クイン・ケルシー(バリトン)
ラムフィス:ディミトリ・ベロセルスキー(バス)

 演出はメトの定番のフリゼル版ですから、特に文句はありません。安心して見ていられます。

 さて、今回の上演ですが、これのコメントって…難しいなあって思いました。すごく良いパフォーマンスであると同時に、かなり残念なパフォーマンスでもあって、お勧めしたい気分とお勧めするべきではないという理性が、私の中でせめぎ合っています。

 正直言うと、アイーダ役を歌っているネトレプコは、実に素晴らしいです。どれくらい素晴らしいのかと言うと、ネトレプコが嫌い&苦手で、彼女のパフォーマンスはすべからく下方修正しがちな私から見ても、手放しで絶賛できるくらいに、ネトレプコのアイーダは素晴らしいです。素晴らしすぎます。アイーダだけに着目するならば、この上演は誰にでもお勧めできるし、お勧めするべきだと思います。

 でもね、オペラって主役だけでやっているわけじゃないんだよ。ネトレプコがあまりに素晴らしすぎるために、他の共演者たちとのバランスが全然取れていないのよ。それで、舞台を見ていて、なんともむずかゆい気分になるんです。周りの歌手たちだって、決してヘボでもヘタでもないんだけれど、なんだろ…いわゆる“格下感”がプンプンに出ちゃうんです。

 例えば、アムネリスを歌ったメゾのラチヴェリシュヴィリは、昨今、メトで一押しの若手メゾで、多くの作品で主役を歌っていて、本来なら何の不足もない人なんでしょうが、ネトレプコの隣で歌うと、ちょっとばかり足りない…そこはかとない格下感が出ちゃうんです。ああ、残念。

 でも、まだアムネリスはマシな方です。ラダメスを歌ったテノールのアントネンコは、ちょっとどころではなく、かなりの格下感をダラダラと垂れ流しています。共演者というよりも、引き立て役って感じになっています。これはこれでアリなのかもしれませんが「アイーダ」というオペラは、プリマドンナ・オペラではないので、私的にはかなり残念です。

 唯一、アモナズロを歌ったバリトンのケルシーだけは、ネトレプコと対等に丁々発止しておりました。ですから、第三幕の二人の二重唱は、なかなかの見どころでしたよ。

 合唱はいつもながら見事なものでしたが、オーケストラは若干ドライブ感が不足しているというか、音楽の推進力が足りない感じがしました。そのせいもあって、第二幕のバレエシーンでは、ダンサーの動きの切れが今ひとつに感じてしまいました。

 おそらく、ネトレプコがあまりに素晴らしくて、そのネトレプコの水準に、共演者たちやオーケストラが届いていないために、見ていて不足や格下感を感じてしまうのです。ネトレプコが大した事なければ、たぶん、バランスも取れて、これはこれで満足する上演になったのだろうと思います。だって、冷静に考えてみれば、共演者たちもオーケストラも、メトでなく、他所に持っていけば、上場の出来だろうと思うからです。

 これだけ主役ソプラノが素晴らしいと、返って罪作りだね、

 というわけで、オペラはプリマドンナだと思っている人にはお勧めな上演ですが、オペラは総合芸術だと思っている人にはお勧めできない上演だと、私は思いました。

 私の個人的願望を言えば、指揮を音楽監督のネゼ=セガンにして、アイーダはネトレプコのまま、アムネリスをザジック、ラダメスをカウフマンにしたものを、ぜひメトの舞台で見てみたいと思いました。


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posted by stone at 04:00| Comment(0) | 歌劇

2019年09月10日

メトのライブビューイングで「セヴィリアの理髪師」を見てきました

 ただ今、メトのライブビューイングは、アンコール上映真っ最中です。

 今回の私は、2007年に上映された「セヴィリアの理髪師」を見てきました。2007年と言えば、メトのライブビューイングが始まった年であり、まだまだ番組フォーマットも固まっていなかったのでしょうね、今とはあれこれ違っていました。

 序曲部分のために、簡単なアニメーションが作成され、そこでタイトルや歌手たちの紹介をしていました(そんな手間のかかる事は今ではやっていません)。インタビューは、番組プロデューサーや劇場支配人等の裏方のエライさんが行っていました(今はホスト役の有名歌手たちがやっています)。幕間はひたすら客席を映していました(今は舞台裏の映像を流していて、これが結構面白いです)。

 この「セヴィリアの理髪師」はその年の最後から2番目の上映作品だったので、次回作の紹介はもちろんやっていましたが、次年度の作品の紹介はありませんでした。今なら、この時期だと、もう来年度のラインナップが決まっていて、次年度の演目紹介があるのですが、まだ最初の年だった事もあり、次年度やるかどうかも発表できなかったのでしょうね。

 さて、オペラ本体の話に入ります。

指揮:マウリツィオ・ベニーニ
演出:バートレット・シャー

ロジーナ:ジョイス・ディドナート(メゾソプラノ)
アルマヴィーヴォ伯爵:ファン・ディエゴ・フローレス(テノール)
フィガロ:ピーター・マッテイ(バリトン)
バルバロ:ジョン・デル・カルロ
ドン・バジリオ:ジョン・レリエ

 ロッシーニ歌いのディドナートとフローレスが揃ったスター公演です。いかにもメトっぽい舞台で、これが悪いはずがありません。実際、とてもよかったよ。

 それにしてもスター歌手ってすごいね。歌が上手なだけでなく、舞台にいるだけで衆目を集める力をもっているわけで、実に華がある存在です。オペラそのものを楽しむなら、必ずしもスター歌手は必要ではないかもしれないけれど、スター歌手が出演している舞台は、味わいが1つも2つも違うねえ…。こりゃあチケット代が多少高くなっても見に行きたくなりますね。

 実際の話、メトのライブビューイングは出演歌手の違いでチケット代は変わらないけれど、ロイヤル・オペラのライブビューイングは、スター歌手が出演すると、チケット代が割増になるんだよね。ちなみに、メトの場合は、スター歌手の出演ではなく上演時間がむやみに長くなると(具体的にワーグナーの楽劇などの場合)チケット代が高くなります。一般のオペラだって上演時間は、普通の映画の倍近い時間がかかりますが、ワーグナーの楽劇の場合は、3倍近い時間がかかわるわけで、映画興行的に考えるなら、ワーグナー作品の上映は、チケット代割増でも仕方ないかなって思います。

 それにしても「セヴィリアの理髪師」は捨て曲がないね。キラーソングが惜しげもなく歌われ続けるね。そして、それら一曲一曲がやたらと難しいので、まるで曲芸を見ているような気分になりながら、歌を聞いちゃいます。歌謡性と技巧性の両立とは…やっぱりロッシーニって作曲家はすごい作曲家です。

 舞台装置は扉を多用していて、いかにも演劇的ですが、舞台上に大きな反響板がないので、歌う歌手的にはかなりつらいかもしれません。まあ、観客的には問題ありませんがね。

 そうそう、舞台装置と言えば、まるで宝塚の舞台のような張り出しがあって、オケピの前でもお芝居が行われて、実に面白かったです。オペラではあまり見ない舞台なので、ほんとビックリしちゃいました。

 それにしても、このアルマヴィーヴォ伯爵が『フィガロの結婚』の伯爵になるのかと思うと、なんか感慨深いものがあります。月日は彼をあのような俗人に変えてしまうわけなのですね。

 やっぱ、スター歌手が出演している舞台は、ほんと、楽しくていいねえ。


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posted by stone at 05:00| Comment(0) | 歌劇

2019年09月03日

メトのライブビューイングで「フィガロの結婚」を見てきた

 只今、東京・名古屋・大阪・神戸では、メトのライブビューイングのアンコール上映というのがやっています。で、東京は、ドナルド・キーン氏追悼という事で、キーン氏お勧めのオペラを推して上映しています。で、そんなわけで私はキーン氏お勧めの「フィガロの結婚」を見てきました。

 私が見てきたのは、2014年上演版の「フィガロの結婚」でした。キャスト等は次の通りです。

指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:リチャード・エア

フィガロ:イルダール・アブドラザコフ(バス・バリトン)
伯爵:ペーター・マッテイ(バリトン)
スザンナ:マルリース・ペーターセン(ソプラノ)
伯爵夫人:アマンダ・マジェスキー(ソプラノ)
ケルビーノ:イザベル・レナード(メゾソプラノ)

 特にスーパースターがいない舞台でしたが、アンサンブル系のオペラは、むしろ目立つ人がいない方が良いので、こんな感じの上手い歌手ばかりで固めた上演も、メトっぽくはないけれど、なかなか良い感じです。

 この上演の一番の見どころは、リチャード・エアの演出なんだと思います。舞台セットは回り舞台で、物語の進行に合わせて、ぐるぐる回っていくので、芝居の進行が実にスムーズです。そもそも「フィガロの結婚」はオペラにしては、割と脚本がまともな部類に属します(だから日本人受けするんでしょうね)。で、不足部分を演出で補う事で、演劇とし見ることができるレベルにまで引き上げるわけです。

 それにしても、最近のオペラ歌手には俳優としての資質も求められるわけで、色々大変ですね。ほんの少し前までは、オペラ歌手なんてのは、舞台の中央で棒立ちで歌い、演技力なんて、ほとんど求められなかったのにねえ…。今や、すべての歌手たちが、ドミンゴやカラス並の演技力が求められるわけで、厳しい厳しい。でも、見る側からすれば、それもまた楽しいわけです。

 デブの棒立ち演技なんて、見ててつまらないもんね。

 という訳で、歌はもちろん、演技にも引き込まれながら見ていました。で、私的には伯爵に共感しながら見ちゃったわけです。

 いやあ、伯爵。可哀想…。あの人、あの時代的には普通のオッサンだよね。ちょっと欲張りで、ちょっと浮ついただけの、ただのオッサンでしょ? それなのに、部下たちに良いようにあしらわれて、からかわれて、恥かかされて…。扱いがヒドすぎない? とマジで思ってしまったくらいです。

 共感はしないけれど、感心して見ていたのが思ったのが、ケルビーノ。こういう少年って、いるよなあ…って見ていました。演出のせいか、演技のせいか、ケルビーノという人物にしっかりと血が通っていました。ただ、残念だったのは、着替えのシーン。ケルビーノは少年のはずなんだけれど、胸が豊かすぎて…あのシーンは、ちょっと白けちゃいました。オペラ歌手だから胸を潰すわけにはいかないんだろうけれど、大きな胸は女性の記号だからね、演出家は、そのあたりにも気を配って演出を考えてほしかったなあ…なって思いました。ほんと、あのシーンさえなけれど、もっと芝居に集中できたのに…と思った次第です。

 あと、ほんの端役だし、演じていた歌手の名前も分からないのだけれど、バルバリーナがなかなか良かったんですよ。バルバリーナは、おそらく十代前半くらいの年齢で、ケルビーノに片思いをしている少女で、基本的には「フィガロの結婚」の中では、ほぼほぼストーリーには関わってこない娘です。第四幕の冒頭で、伯爵から預かったピンを無くしちゃうくらいの役割しかなく(アリアもその部分に付いてます)、そのシーンがカットされていても、たぶんオペラは成り立ちます…って程度の役なんです。

 で、このバルバリーナちゃん、演じていたのは東洋人(おそらく中国系の歌手でしょう)で、立派な白人であるスザンナちゃんの従姉妹としては「???」なんだけれど、実におキャンな小娘で、ケルビーノ同様「こんな子、いるよねえ(笑)」と微笑んでしょうくらいに、いい感じの娘でした。

 それと、普通の演出では、ただの意地悪ババアとして演じられがちなマルチェリーナも“恋する(ちょっと年増な)乙女”として演じられていたのは、メウロコでした。ただ、演じていた歌手は、従来どおりのイメージの“太ったオバサン”メイクだったのが残念だったかな? こういうキャラクターにするんならば、伯爵夫人のような美魔女系のイメージで演じた方が良かったんじゃないかと思いました。

 バジオリとか、バルトロとか、クルツィオとか、アントニオとかのオジサン脇役たちは、テンプレートなキャラクターで、これは演出変えてもどうにもならなかったのかな?って感じでした。

 フィガロやスザンナ、伯爵夫人などの主役三人組は、より快活になっていたし、スザンナは、お転婆というか、ちょっとはしたない感じになっていましたが、たぶん年齢設定が若い(十代後半ぐらい?)であるなら、まあ、あんな感じだよね。ただ、演じている人が十代には見えないのが、ちょっとキツイです。

 主役三人に関しては、仕方ないにせよ(実年齢はともかく)もう少し見た目が若々しい方が良いなあと思いました。と言うのも、役として設定されている年齢が、この三人とも、かなり若いのではないかと思われるからです。よくオバサン設定されがちな伯爵夫人だって、たぶんまだアラサーの貴婦人だと思うんですよ。白人って老けて見えがちなので、ほんと、仕方ないんだろうけれど、若い役を演じるなら、若く見えるように、メイクとかもっと工夫してもいいのになあ…って思った次第です。

 というわけで、普通のお芝居として見ても、それなりに楽しめる「フィガロの結婚」でした。歌に関して書かなかったのは、みんな水準以上だったからですよん。


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posted by stone at 05:00| Comment(0) | 歌劇