2019年09月03日

メトのライブビューイングで「フィガロの結婚」を見てきた

 只今、東京・名古屋・大阪・神戸では、メトのライブビューイングのアンコール上映というのがやっています。で、東京は、ドナルド・キーン氏追悼という事で、キーン氏お勧めのオペラを推して上映しています。で、そんなわけで私はキーン氏お勧めの「フィガロの結婚」を見てきました。

 私が見てきたのは、2014年上演版の「フィガロの結婚」でした。キャスト等は次の通りです。

指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:リチャード・エア

フィガロ:イルダール・アブドラザコフ(バス・バリトン)
伯爵:ペーター・マッテイ(バリトン)
スザンナ:マルリース・ペーターセン(ソプラノ)
伯爵夫人:アマンダ・マジェスキー(ソプラノ)
ケルビーノ:イザベル・レナード(メゾソプラノ)

 特にスーパースターがいない舞台でしたが、アンサンブル系のオペラは、むしろ目立つ人がいない方が良いので、こんな感じの上手い歌手ばかりで固めた上演も、メトっぽくはないけれど、なかなか良い感じです。

 この上演の一番の見どころは、リチャード・エアの演出なんだと思います。舞台セットは回り舞台で、物語の進行に合わせて、ぐるぐる回っていくので、芝居の進行が実にスムーズです。そもそも「フィガロの結婚」はオペラにしては、割と脚本がまともな部類に属します(だから日本人受けするんでしょうね)。で、不足部分を演出で補う事で、演劇とし見ることができるレベルにまで引き上げるわけです。

 それにしても、最近のオペラ歌手には俳優としての資質も求められるわけで、色々大変ですね。ほんの少し前までは、オペラ歌手なんてのは、舞台の中央で棒立ちで歌い、演技力なんて、ほとんど求められなかったのにねえ…。今や、すべての歌手たちが、ドミンゴやカラス並の演技力が求められるわけで、厳しい厳しい。でも、見る側からすれば、それもまた楽しいわけです。

 デブの棒立ち演技なんて、見ててつまらないもんね。

 という訳で、歌はもちろん、演技にも引き込まれながら見ていました。で、私的には伯爵に共感しながら見ちゃったわけです。

 いやあ、伯爵。可哀想…。あの人、あの時代的には普通のオッサンだよね。ちょっと欲張りで、ちょっと浮ついただけの、ただのオッサンでしょ? それなのに、部下たちに良いようにあしらわれて、からかわれて、恥かかされて…。扱いがヒドすぎない? とマジで思ってしまったくらいです。

 共感はしないけれど、感心して見ていたのが思ったのが、ケルビーノ。こういう少年って、いるよなあ…って見ていました。演出のせいか、演技のせいか、ケルビーノという人物にしっかりと血が通っていました。ただ、残念だったのは、着替えのシーン。ケルビーノは少年のはずなんだけれど、胸が豊かすぎて…あのシーンは、ちょっと白けちゃいました。オペラ歌手だから胸を潰すわけにはいかないんだろうけれど、大きな胸は女性の記号だからね、演出家は、そのあたりにも気を配って演出を考えてほしかったなあ…なって思いました。ほんと、あのシーンさえなけれど、もっと芝居に集中できたのに…と思った次第です。

 あと、ほんの端役だし、演じていた歌手の名前も分からないのだけれど、バルバリーナがなかなか良かったんですよ。バルバリーナは、おそらく十代前半くらいの年齢で、ケルビーノに片思いをしている少女で、基本的には「フィガロの結婚」の中では、ほぼほぼストーリーには関わってこない娘です。第四幕の冒頭で、伯爵から預かったピンを無くしちゃうくらいの役割しかなく(アリアもその部分に付いてます)、そのシーンがカットされていても、たぶんオペラは成り立ちます…って程度の役なんです。

 で、このバルバリーナちゃん、演じていたのは東洋人(おそらく中国系の歌手でしょう)で、立派な白人であるスザンナちゃんの従姉妹としては「???」なんだけれど、実におキャンな小娘で、ケルビーノ同様「こんな子、いるよねえ(笑)」と微笑んでしょうくらいに、いい感じの娘でした。

 それと、普通の演出では、ただの意地悪ババアとして演じられがちなマルチェリーナも“恋する(ちょっと年増な)乙女”として演じられていたのは、メウロコでした。ただ、演じていた歌手は、従来どおりのイメージの“太ったオバサン”メイクだったのが残念だったかな? こういうキャラクターにするんならば、伯爵夫人のような美魔女系のイメージで演じた方が良かったんじゃないかと思いました。

 バジオリとか、バルトロとか、クルツィオとか、アントニオとかのオジサン脇役たちは、テンプレートなキャラクターで、これは演出変えてもどうにもならなかったのかな?って感じでした。

 フィガロやスザンナ、伯爵夫人などの主役三人組は、より快活になっていたし、スザンナは、お転婆というか、ちょっとはしたない感じになっていましたが、たぶん年齢設定が若い(十代後半ぐらい?)であるなら、まあ、あんな感じだよね。ただ、演じている人が十代には見えないのが、ちょっとキツイです。

 主役三人に関しては、仕方ないにせよ(実年齢はともかく)もう少し見た目が若々しい方が良いなあと思いました。と言うのも、役として設定されている年齢が、この三人とも、かなり若いのではないかと思われるからです。よくオバサン設定されがちな伯爵夫人だって、たぶんまだアラサーの貴婦人だと思うんですよ。白人って老けて見えがちなので、ほんと、仕方ないんだろうけれど、若い役を演じるなら、若く見えるように、メイクとかもっと工夫してもいいのになあ…って思った次第です。

 というわけで、普通のお芝居として見ても、それなりに楽しめる「フィガロの結婚」でした。歌に関して書かなかったのは、みんな水準以上だったからですよん。


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2019年08月28日

東京音楽コンクールを見てきました

 今年も、上野で行われた東京音楽コンクールの声楽部門を見てきました。

 暑い日差しの中、まずは二次予選を見に行きました。ここ数年見ているのですが、なぜか知らないけれど、今年は観客数がすごく多かったです。毎年、割とスカスカな客席なのですが、今年は実にびっちりとほぼ空席のない状態でした。当日券も開場前に販売中止になっていたし…。だれか有名歌手さんがコンクールに出場していたのでしょうか? それともファンがたくさんいる歌手さんが出場していたのでしょうか?

 開場前に並んでいた時に、そばにいた見知らぬ方が「大勢いるなあ…。シニアパワーだな。年寄りばっかり…。暇つぶしにはもってこいだな」と大きな声で言ってましたが、声楽コンクールなんて、暇つぶしにするほどに面白いモンかね? 会場に入ったら、そばの席のシニアなカップルの男性の方が「ボクは今日で3日連続だけど、今日は混んでるね」とか言ってました。音楽コンクールは3日連続で行い、最終日が声楽なんですね。この人は、3日連続ここに来ているってわけです。もっとも、その割には音楽には詳しくないみたいで、連れの方に曲の説明とかをあれこれレクチャーされていました。連れの方は、声楽は好きみたいだけれど、コンクールは初めてだったみたいです。

 今年の二次予選の出場者は10名で、例年とくらべるとやや人数が少なめって感じでした。で、その10名の内訳は、ソプラノ4名、テノール4名,バリトン2名という,例年とくらべると男臭い…というか、テノールばっかりじゃんという構成でした。通常、テノールなんて、せいぜい1人か2人、年によってはいない年もあるのに、今年は4名とは、テノールの当たり年だね…なんて思ってみていました。

 出場者の方々は、一次予選を突破してきただけあって、どなたも水準以上の実力者であって、あまり実力差を感じませんでした。素人耳には「あとは好みの問題かな?」って思うほどでした。

 本選出場者を妻と予想したところ、ほぼ妻の予想した方々が本選出場を決めました。私はテノール4人全員が本選出場と思っていました(笑)が、そんな事はありえませんでした。実に残念です。

 ちなみに本選出場者は以下の通りです。


小川 栞奈(ソプラノ)

前川 健生(テノール)

竹下 裕美(ソプラノ)

工藤 和真(テノール)

井出 壮志朗(バリトン)


 テノールさんが2名も本選出場となったので、テノールさんたちを応援するために、行く予定のなかった本選を見に行くことにしました。

 本選は夜だったので、仕事帰りに行きました。さすがに本選のお客さんは若者や現役世代の方も多くて、シニアパワーは十分に発揮されていませんでした(笑)。それでも大ホールの(一階部分だったけれど)八割方は埋まっていたような気がします。いやあ、大入りですよ。

 で、歌唱が始まりましたが、二次予選のピアノ伴奏と本選のオケ伴奏では、だいぶ勝手が違うみたいでした。オケはだいぶ抑え気味に演奏していたようだけれど、それでも歌手が負けちゃっている事が多々ありました。あちゃーって感じです。残念残念。

 なので、観客の一人として聴衆賞の投票があるのですが、誰に入れるべきか大いに悩みました。出演者の皆さんは人生を掛けて真剣に歌っているわけだし、その真剣さは伝わってきましたが「この人、すごい!」と思わせる方がいなかったんですよ。二次予選の時にも感じましたが、今年は出演者の皆さんたちに、差がないんだよねえ…。

 本選の結果は以下の通りでした。


第1位 該当者なし

第2位 工藤 和真(テノール)

第3位 井出 壮志朗(バリトン)

聴衆賞 工藤 和真(テノール)


 私も妻もまさか1位が無しとは思いませんでしたし、この結果にビックリしましたが、結果的には納得しました。だって1位にふさわしい人がいたら、迷わずに聴衆賞に投票できたものね。ちょっと残念。

 それにしても1位がいないって、ほんとビックリ。余計なお世話だけれど、各部門のコンクールは毎年開催されるわけじゃないので、今年声楽は1位がなかったわけだから、来年は声楽部門の審査はあるのかな? ちょっと心配になりました。


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2019年08月06日

メトのライブビューイングで「サムソンとデリラ」を見てきた

 メトのアンコール上映で、見逃していたサン・サーンス作曲の「サムソンとデリラ」を見てきました。

指揮 マーク・エルダー
演出 ダルコ・トレズニヤック

デリラ エリーナ・ガランチャ(メゾソプラノ)
サムソン ロベルト・アラーニャ(テノール)
大祭司 ロラン・ナウリ(バス・バリトン)
ヘブライの長老 ディミトリ・ベロセルスキー(バス)
太守アビメレク イルヒン・アズィゾフ(バリトン)

 まず演出は伝統的な演出をよく踏まえていて、見ていて安心しました。また衣装等舞台関係は、抽象的であったり派手であったりと、全然リアルでは無いけれど、舞台なのだから、これくらいでいいやと思いました。変にリアルを追求して、地味で質素になってしまっても観劇の喜びが失せてしまいますからね。

 ただ、クライマックスシーンでは、きちんとサムソンが神殿の柱を倒して神殿を大崩壊させて欲しかったなあと思いました。今回の舞台の上には柱がなく、大きな神像があったので、この像を倒すのかと思っていたら、そうではなく、何やら不思議なパワーで人々を倒すという描写になっていたので、これではサムソンが怪力男ではなく、魔法使いになってしまい、聖書の設定とは違うなあ…と思ってしまいましたが、ケレン味は足りませんが、芝居的にはこれでもいいんだと思いました。

 第3幕のバレエシーンは、なんとも醜悪で猥雑な感じがして、忌み嫌うべき異教の宴会をよく表現していたと思いますが…見ていて、あまり愉快なモノではありませんでした。もちろん、それを意図しているわけだから大成功なんでしょうが、やっぱり舞台では醜悪なものではなく、美しいものが見たいよね。

 美しいと言えば、デリラを演じたガランチャは美しくて妖艶でした。この人、カルメンでもはまり役だと思いましたが、デリラもなかなか良いです。デリラは、ハニートラップを仕掛ける人だから、美人で妖艶じゃないとダメなんだよね。その点、ガランチャは合格です。もちろん、歌唱的には何の問題もありません。

 サムソンを演じたアラーニャは最高ですね。サムソンの歌唱って、声をひけらかして歌い切るというタイプの歌が並んでいるわけですから、この役を演じるには、声が艶っぽくって美しい必要があります。パワフルなだけではダメだし、かと言って、歌っている時はずっと歌っているので、パワーは必要だし、歌詞はフランス語だし…なんとも歌う歌手を選ぶ役だなあと思いました。以前は、ドミンゴがよく歌っていた役ですが、アラーニャもなかなかにはまり役だと思いました。

 「サムソンとデリラ」と言えば、第2幕で歌われるメゾ(デリラ)のアリア「あなたの声に私の心は開く」が有名ですし、よくこの歌だけを取り上げてコンサート等で歌われる事が多いです。私も単独で聞くことが多く、めったにオペラでは聞かないのですが、実はこの歌はアリアではなく二重唱なんですよ。メゾ(デリラ)とテノール(サムソン)の愛の二重唱なのです。アリアとして歌う時の、サビの「サムソン、サムソン、愛している」という歌詞は、実はテノールが歌う部分で本来の歌詞は「デリラ、デリラ、愛している」となっています。また、メゾは1番と2番を同じメロディで歌いますが、テノールは1番は歌いませんが、2番はメゾとは全く違ったメロディをメゾに重ねて歌います(だから二重唱なんだよね)。メゾは美しいアリアが乏しいからね…だからこの美しい二重唱をアリアに改変してコンサート等で歌うんだなあ…と思いました。

 まあメゾは美しいアリアが乏しいので分かりますが、美しいアリアが豊富にあるソプラノも「椿姫」の「乾杯の歌」をしばしばアリアとしてコンサートなどで歌ってますよね。あの曲も実はれっきとした二重唱で、テノールとソプラノがほぼほぼ対等に歌うのですが、それをソプラノ一人で歌ってアリアにしちゃっているわけです。ソプラノは歌うべき曲がたくさんあるんだから、何も二重唱をアリア化して歌う必要もないのになあ…と思ったりします。

 閑話休題。このオペラは当初オラトリオとして作曲されたという逸話があります。確かに第1幕を見ると、音楽的にはほぼほぼオラトリオであります。演技無しでも歌だけでストーリーは進んでいくし、ソロ歌唱よりも合唱の方が多く歌っている印象だし。まあ、本当にオラトリオとして作曲されたのかどうかは私には分かりませんが、第1幕は聖なるシーンなので、オラトリオ様式が適切だったんだろうなあっと思いました。ちなみに、第2幕は妖艶で俗なシーンなので、実にオペラオペラしています。第3幕は、フランスのグランド・オペラってこんな感じなんですと言わんばかりに、ゴージャスな仕上がりになっています。なので2幕3幕を見ていると、全然オラトリオではありません(当たり前か)。
 それにしても、メトの舞台はよく出来ていると思いました。このオペラって、案外危ういオペラなんだよと思っています。と言うのも、このオペラには舞台の華となるソプラノがいないんですよ。あの「カルメン」だって、ミカエラというソプラノが出演するのに、この「サムソンとデリラ」にはソプラノがいないのです。まあ、合唱団にはいますが、ソリストにはソプラノがいないんですよ。つまり、うっかりすると、華のない地味な舞台になりがちなオペラなのです。

 その上、デリラがブスやデブだと面白くないし、サムソンが強いだけの声のテノールだと一本調子だし(実際、声の強いテノールが演じる事が多いのです)、舞台演出もリアルっぽくやるとつまんなくなるし…。で、実際、ブスデブのメゾに一本調子のテノールがリアルっぽい演出でやっている上演だってあるわけで、そういうのは、実に面白くないです…ってか、「サムソンとデリラ」というオペラは、そういうつまらない上演の方が多いような気がします。そこへ行くとメトはお客を喜ばせるツボをよく心得ていると思います。やっぱり、ソプラノがいない分、華のあるメゾを起用しないとオペラが成立しないよね。

 それにしても、メトの合唱団って、めっちゃ上手だよね。

 

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2019年06月27日

「アラジン」を見てきた

 ここで言う「アラジン」は、只今絶賛上映中のディズニーの実写版映画の「アラジン」の事です。ちなみに私は、劇団四季のミュージカル版「アラジン」は見たことがありますが、オリジナル(?)のディズニーアニメ版の「アラジン」は見たことが無い事を白状しておきます。

 というわけで、私の「アラジン」のイメージはミュージカルだし、ディズニーアニメって、ミュージカル仕立てのモノも多いので、当然、今回の実写版「アラジン」もミュージカル映画だと思って見に行きました。結果は…まあ、ミュージカルだったかな? ただ、あんまり歌っていなかった印象があります。ストレートプレイがかなり多いミュージカル?だったような気がします。

 なので、音楽に期待して見に行くと、ちょっぴりガッカリするかもね。

 ちなみに私が見たのは、字幕版だったので、話題のプレミアム吹替版についてはコメントできませんが…字幕版で思ったのは「ウィル・スミス、歌、上手〜い」って事。アラジンとジャスミンの俳優さんは、そもそも歌える人をキャスティングしているだろうから、歌が上手くて当然だけれど、ジニー役のウィル・スミスは、ウィル・スミスありきのキャスティングだろうから、彼の歌の能力って、期待していなかったのだけれど、彼、歌がめっちゃ上手じゃない? すげーな。あんまり上手すぎて、歌はダブルの人が歌っているんじゃないかと邪推しちゃいます(ほんとはどーなんだろ?)

 キラーソングである「A Whole New World」は、普通に良かったですよ。まあ、この曲は「アラジン」の挿入歌と言うよりも、今や普通にスタンダード・ナンバーになってる曲だから良くて当然か。

 で、映画そのものにはあまり期待していなかったのですが、実際に見て、感心したのが、映画ならではのスケール感とか、アクションやダンスとか、特撮(CG)の部分です。

 いやあ、劇中の世界が広い広い。たぶん、オリジナルのアニメ版も世界が広いんだろうけれど、私が知っている「アラジン」はミュージカル版だから、所詮舞台の上なんだよ、そこと比べると、目がくらむばかりに世界が広いんです。

 ミュージカル映画だから、ダンスはフィーチャーされて当然だけれど、そのダンスが実にキレキレなんですよ。あれ、本当にリアルに踊っているの? と思ってしまうくらいに、みんなキレキレなダンスを踊るんです。実際、どうなんでしょうね? あれはリアルなダンスなの? それとも特撮仕掛けのダンスシーンなの?

 アクションシーンは、当然CG&スタント満載なんだろうけれど、実に手に汗握る迫力です。ほんと、目が喜びまくるアクションシーンの連続なんです。イアーゴと空飛ぶ絨毯の空中戦なんて、ほんと、すごいよ。

 そうそう、舞台が王宮だから、あれこれゴージャスでカラフルなんだけれど、実写だと、本当にゴージャスでカラフルに見えるからすごいよね。

 ちょっぴり残念だったのは、オウムのイヤーゴが年寄り鳥だった事かな? CGとリアルなオウムをダブルで使っていたんだろうけれど、オウムの年齢が分かる人なんて少ないんだから、もっと若くてキレイなオウムを使って欲しかったかな…。虎のラジャーは、実に見事で立派な虎だったけれど、あれはきっと100%完全にCGだったから、あれだけ立派になったんだと思う…ってか、リアルな虎を俳優さんたちと同じステージには立たせられないよね。

 アラジンとジャスミンの俳優さんは、実にアラジンとジャスミンでした。イメージどおりだよね。ウィル・スミスのジニーは…やっぱり、チャラ男バージョンのウィル・スミス…かな? ウィル・スミスってアクの強い役者さんだから、役が彼に引き寄せられちゃうんだよなあ。まあ、あのジニーに関しては、好き嫌いがあるかも?

 私、正直な話、あまり期待せずに見に行った「アラジン」だけれど、期待していなかった分、満足しました。うん、面白い映画でしたよ。ミュージカル映画としてみると、ちょっぴり寂しいけれど、普通のファンタジー映画として見るなら、まあ上質な映画だと思いました。

 なので、しばらくしたらまた実写版を見てもいいかなって思うけれど、だからと言ってアニメ版を見たいとは思わないんだよね。アニメ版のあの絵柄が、私を遠ざけるんだよね。だから、あの頃のディズニーアニメって、良作が多いという評判だけれど、どれもこれも実は見ていないんだよね。

 あ、「美女と野獣」だけは、仕事がらみでアニメ版を見たっけ。で、アニメ版を知っているから、実写版は期待しなさすぎて見なかったんだけれど、「アラジン」の実写版がこんなにおもしろいなら「美女と野獣」の実写版を見なかった事に、いまさら後悔している私なのでした。

 今年の夏休みは「ライオンキング」の実写版が公開されるんだよね。ふふふ…。

蛇足  やっぱり、アラジンという若者には共感できないなあ。主人公がコソドロってのが、この物語の大きな欠点だと私は思います。貧しい行商人とか、雇い止めされたばかりの青年とかじゃ、いけなかったのかしら?

 

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2019年06月18日

ロイヤル・オペラ・ライブで「ファウスト」を見てきた

 グノー作曲の「ファウスト」を映画で見てきました。演奏していたのは、ロイヤル・オペラ(コヴェントガーデン)です。映画のオペラと言えば、今まではメト中心な私でしたが、今年は案外、ロイヤル・オペラを見る回数が多くて、自分でもビックリしています。

 さて、今回の上演のスタッフは、以下のような感じでした。

指揮 ダン・エッティンガー
演出 デイビット・マクヴィカー

ファウスト:マイケル・ファビアーノ(テノール)
メフィストフェレス:アーウィン・シュロット(バリトン)
マルグリート:イリーナ・ルング(ソプラノ)
ヴァランティン:ステファン・デグー(バリトン)

 ちなみに、マルグリートは、本来はディアナ・ダムラウが歌う予定でした。キャンセルされちゃって代役の歌手さんが歌ったわけですが…ダムラウを見たくないわけではありませんが、別にルングさんでも十分でした。そもそも、マルグリートって役は、そんなに主張の強い存在感のある役じゃないし、スターが演じなくても十分と言えるし…ねえ。

 で、ファウストというオペラそのもののの感想ですが、なんでしょう…まるで高級旅館の夕食のようなオペラでした。とにかく、ご馳走感あふれるオペラです。さすが、フランスグランドオペラですね。すべてのソリストにキラーソングのアリアはあるし、合唱も重唱も豊富にあるし、バレエもたくさんたくさんあるわけです。五幕にある「ワルプスギスの夜」なんて、独立したバレエ演目としてやれるレベルのバレエ曲だよね。

 で、どの曲も水準以上なので、オペラを見終わると、もう満腹です。19世紀に大流行した理由も分かります。

 このオペラの欠点は…あえて言えば…長い事かな? なにしろ五幕ものだからね、休憩抜きの演奏時間だけで3時間越え! 休憩時間を入れれば…なかなかの演奏時間になっちゃうでしょ? 普通に30分の休憩を4回入れれば、それだけで+2時間だもの。ほぼワーグナーオペラ並の時間になるわけで、忙しい現代人向けではないのかもしれません。その上演時間の長さ以外には目立って大きな欠点のない名作オペラなのでした。

 作曲家はグノーだし、ストーリーはゲーテだもん、悪いわけないよね。後は演出家次第だけれど、今回の上演のデイビット・マクヴィカーの演出って、ゴージャスで分かりやすくて私は好きです。彼の演出って、どことなくゼフィレッリの演出に通じる部分もあって、いいよね。

 歌手はみんな水準以上で良かったですが、特筆すべきは、ネトレプコの元旦那のシュロットですね。ヨーロッパで悪魔役をやるというのは、我々日本人には分からない“何か”があると思うのですが、なんとも肝の座った悪魔を演じていました。すげえよ。

 それにしても、ストーリーには救いがないねえ。メフィストフェレスは悪魔だからクズなのは当然として、主人公のファウストも陰キャの上にクズなんだよね。クズ二人組に食い物にされちゃうのが、世間知らずな小娘であるマルグリートなわけで、マルグリート可愛そう過ぎます。妊娠させられて、心を病んで、子どもを殺して、監獄入り…だよ。悪魔と関わると、ロクなことがないわけです。ま、そもそもカタルシスの開放なんて無いストーリーだからこそ、最後の最後に神様が登場してマルグリートを救っちゃうんだけれど、これって19世紀的にはアリなんだろうけれど、21世紀の日本人にとっては「???」なわけで、まあ無いよね。

 まあ、オペラのストーリーって、救いのないバッドエンドが多いんだけれど(それが悲劇ってヤツなんだろうね)その中でも、なかなかに後味の悪いのが、ファウストかもしれませんね。

 ちなみに、今年の9月に、ロイヤル・オペラが日本にやってきます。その時の上演演目が「オテロ」と「ファウスト」です。来日公演に持ってくるほどの自信演目ってわけですね。ちなみに、来日公演ではファウストを歌うのはグリゴーロです。グリゴーロが陰キャのクズを演じるのはどうかと思うけれど、声的には適役ですね。ま、私は行きませんが(笑)。だって、高いんだもの。S席が約6万円だよ。二人で行けば12万円。12万円支払うなら、オペラ鑑賞ではなく、女房と二人で温泉旅行に行きたいですって。

 

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2019年05月27日

ロイヤルオペラのライブで「運命の力」を見てきた

 ロイヤルオペラ(コヴェントガーデンのこと)では、映画館での上演を“ライブビューイング”ではなく“ライブ”という言葉を使っているんだけれど、普通日本では“ライブ”って、生で直接コンサートを見る事を言うんだよね。事前に収録したものを映画館で見るのは“ライブ”とは言わないわけで、そこんとこ、関係者の皆様には考えていただきたいなあ…と思ったり思わなかったりします。

 まあ“ライブ”って“生中継”のつもりで使っているのだろうけれど(実際、日本以外では生注意らしいし、以前イオン系で配給されていた頃は生中継だったらしいけれど…東宝系に配給が変わってからの)日本じゃあ生中継じゃないし、日本語の(カタカナ語の)“ライブ”には生中継って意味は無いし…。最近は“ライブ中継”なんて言葉も見聞きしますが、まあせいぜいそんなところだよね。

 と、表題を書くのに悩んでしまったので、ついついグチが出てしまいました。

 それはさておき「運命の力」です。

指揮:アントニオ・パッパーノ
演出:クリストフ・ロイ

レオノーラ:アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
ドン・アルヴァーロ:ヨナス・カウフマン(テノール)
ドン・カルロ:ルドヴィク・テジエ(バリトン)

 この「運命の力」というオペラは、ヴェルディの中期〜後期にかけての作品で、音楽的には充実したピカイチの作品ですが、上演機会には恵まれない、ちょっぴりマイナーな作品になっています。でも、音楽的にはピカイチなんですね。ほぼ、捨て曲はありません。オペラ全曲での演奏はあまりありませんが、序曲やアリアなどは取り出して演奏されるチャンスもあり、オペラファンなら結構聞き知っている音楽だったりします。実際、とても聴きごたえのある面白いオペラです。

 特に今回の上演は、主人公の二人にスターを迎えた事もあり、本当にお薦めです。これ、DVDで発売されるのなら、マストアイテムになると思いますよ。

 オペラ好きにはたまらない公演ですが、じゃあ万人向けのオペラなのかと言うと、そうでは無いし、上演機会が極端に少ない理由も分かるオペラが、この「運命の力」なのです。

 まず、お話が分からないのです。これ、致命的ですね。登場人物たちの説明がオペラ内で圧倒的に不足しているうえに、幕が変わるたびに時が飛び、登場人物たちの立場が代わります。おまけに、お話はシリアスっぽいのに、実は荒唐無稽だし、ご都合主義だし、ストーリーなんて無いものと思わないと、とても見ていられません。それくらいに分からないストーリーのオペラなのです。これじゃあ、上演されなくても仕方ないです。

 おまけに劇場にとって、このオペラを上演するのは、かなりの負担になるんだろうなあと思いますし、それゆえに上演されづらいんだろうなあとも思いました。

 だって、ちゃんと歌えるソリストが11人も必要なんだよ。普通のオペラでは、ソリストなんて5〜6人いれば十分なのに、このオペラはその倍のソリストが必要なのです。ギャラが掛かって仕方ないよね。おまけに合唱団とバレエ団は、そこそこ大規模に必要だし…。ああ、人件費がかかりそう。

 さらに言うと、このオペラは場面が7つあるのですが、それがほぼ全部別の場所なので、ト書きに忠実に舞台を作るなら、大道具のセットが7つも必要なのです。たいていの歌劇場では、構造上、大道具なんて3セットしか用意できません。メトのような大劇場でも5つが限界。7つのセットなんて…どないせいいうねん、って感じです。

 つまり「運命の力」というオペラは、音楽だけが突出して素晴らしいオペラであって、その他は金食い虫の上に、訳わからない感じになってます。ざっくり言えば「とても美しくて残念な駄作オペラ」という範疇に入ると思います。

 それをロイヤルオペラは頑張って上演したんだよ、そこを私は評価したいです。

 まず、歌手に関しては…ギャラを支払えるの?ってくらいに頑張ってます。ソリスト11人、皆、実に達者な歌手を揃えています。主役二人は大スターだしね。それも声と役が実にピッタリと合っている二人を選んでいます。今の時代、確かに「運命の力」をやるなら、この二人が一番の適任でしょうね。それくらい、歌手に関しては充実した公演になっています。ほんと、音だけなら、永久保存版ですよ。

 金のかかる大道具(舞台セット)に関しては、演出が頑張って、たった1つのセットですべてを乗り切っています。もちろん、あっちこっち無理はあるんだけれど、その無理の中でとても頑張っていると思います。でも、こうでもしないと、現実的には難しいだよねえ…。

 分からづらいお話も、演出家が頑張って、分かんないところは演技や映像で補って、なるべく観客に分かりやすくしています。それでも限界はあるものの、この演出は、まあお薦めかなって思うくらいです。

 ただ、根本のストーリーそのものは、やっぱりダメですね。

 このオペラのテーマって「魂の救済」なんです。いかにも19世紀的なテーマですが、そのテーマが、教会批判という辛口のオブラートに包まれて表現されています。ですから、ぱっと見だと、ただの教会批判のオペラに見えてしまいます。これじゃあ、西洋社会じゃあ受け入れられないよね。

 そのオブラートの部分を剥ぎ取って「魂の救済」に目を向けても…現代社会に生きる我々には、どうなんでしょう?ってテーマじゃない。今の人たちって、そこまで魂の救済なんて求めてないしね。そうなると、やっぱりお話は無視して、音楽だけを楽しむしか無い…って結論になります。

 でも、その音楽が絶品なんですよ。ほんともう、素晴らしいったらありゃしないんです。そんな、色々と残念なオペラだったんですよ、運命の力って。

お知らせ 明日はココログのメンテがあるので、念のためにブログはお休みします。明後日以降も、メンテの具合によってはお休みしますので、別にブログが更新されなかったとしても心配しないでくださいね。よろしく。

 

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2019年04月16日

ロイヤル・オペラ・ライブで「椿姫」を見てきた

 私がブログを休んでいる間に上演終了してしまったのだけれど、先日見てきた、ロイヤル・オペラ・ライブの「椿姫」に関して書いておきたいと思います。それにしても、メトのライブビューイングは見逃しても、夏にアンコール上映があるから、たとえ上映期間中に見逃す事があっても、お盆休みに再び見るチャンスが与えられるけれど、ロイヤル・オペラ・ライブは、その手のアンコール上映がないので、一度見逃したら、もう見るチャンスがないのが残念です。一部の作品はDVD化されるのかもしれないけれど、大半の上演に関してはDVDにもならないので、もう見る事はできません。残念です。

 さて、この上演には2つの見どころがあります。一つは、名演出の誉れ高いリチャード・エアの演出である事。もう1つが、プラシド・ドミンゴが(バリトンとして)出演している事、です。

 まず、リチャード・エアの演出だけれど、これは今年で25年続いている演出で、その25年前の上演(ゲオルギューの出世作)のDVDが、かつて発売されていました。今は、中古(アマゾンなら、マーケットプレイス)でないと入手できませんが、興味のある方はどうぞ。

 この演出は、かなり良いです。椿姫は数多くの異なった演出があり、どの演出もなかなか良いものが目白押しなのですが、この演出は、かなり私好みで気に入りました。

 エアの演出の特徴は、21世紀に入ってから、オペラ演出の常識とも言われる“読み替え”が一切無い事です。楽譜に書かれている事が、そのまま舞台上で表現されています。これはとても良いと思いました。特にオペラ初心者が見るなら、こういった演出で見てもらいたいものです。

 もう1つの特徴が、リアル志向である事です。これは演劇志向と言ってもいいかもしれませんが、オペラ的な夢々しさを取り除き、映画や演劇を見ているような、地に足の着いた演出がされています。

 例えば、ヴィオレッタは結核なので吐血するわけですが、舞台上(特に3幕)にはヴィオレッタが吐血したと思われる痕跡が舞台上に残されています。また、ヴィオレッタは病気の性質上、よく咳をするはずですが、今まで見た他の椿姫では、ヴィオレッタが咳き込むシーンなんて見たことはありません(だいたい、オペラ歌手にとって、咳というのはノドを痛める行いですから、舞台はもちろん、日常生活でも咳をしないように、極力努力している方がほとんどです)が、この上演では、ヴィオレッタは折りに触れ、咳き込みます。さらに病床で寝込んでいるヴィオレッタはスッピン(に見える化粧かな)です。考えれば、そりゃあそうで、ベッドで死にかけている患者が、きちんとメイクしている方が可怪しいのです。

 という訳で、私はこの演出がとても気に入りました。

 ここで、キャスト等を書いておきます。

指揮 アントネッロ・マナコルダ
演出 リチャード・エア

ヴィオレッタ:エルモネラ・ヤオ(ソプラノ)
アルフレード:チャールズ・カストロノボ(テノール)
ジェルモン:プラシド・ドミンゴ(バリトン)

 音楽面の話をすると、ドミンゴの歌唱について触れないわけにはいきません。

 私はドミンゴが大好きです。テノール時代はもちろん、バリトン時代のドミンゴも好きです。だいたい、ドミンゴに関しては言えば、テノールとかバリトンとか、そんな事はあまり関係ないのかもしれません。ドミンゴほど、数多くのキャラを感じた歌手はいません。自分のレパートリーというものを固めずに、常に新しい作品、新しい登場人物を歌い続けてきました。テノール時代だって、軽めの役から重厚な役まで、歌ってきたわけで、そんな彼だから、バリトンの役を歌うのは、ある意味当然なのです。そして、ドミンゴはあくまでもドミンゴだから、どんな役を歌うときも、いつもの彼の声で歌ってきたわけで、当然、バリトン役もいつものあの声で歌っちゃうわけです。

 今回は、テノールのカストロノボがやや重いテノールだった事もあって、例によって、ドミンゴとカストロノボの声のコントラストは、あまりありませんでした。むしろ、アンサンブルで歌うと、テノールのカストロノボの歌唱よりも、バリトンのドミンゴの声の方が浮き上がって聞こえるほどです。ドミンゴは、バリトンと言えども、かなり声が軽いですからね。声の軽重で言えば、テノールのカストロノボよりもドミンゴの方が声が軽いと思いました。まあ、ある意味、こんな声の軽いバリトンを使っちゃうのは、キャストミスとも言えますが、ドミンゴ見たさで集客されるわけだし、ドミンゴの歌が聞きたいという人がまだまだたくさんいる以上、これはキャストミスではなく「まあ、そういうモノだ」って事になるのだと思います。

 結論から言ってしまえば、ドミンゴはバリトンではなく、あくまでもドミンゴなんです。つまり「プラシド・ドミンゴ…声種:ドミンゴ」って事になるんだろうと思います(笑)。

 で、そんなドミンゴですが、歌っている様子を見ていると、なんとも苦しげでした。全身全霊を使って、全力で歌っていました。そんな役柄じゃないのに…。もしかすると、体調が悪かったのかもしれませんが、なにしろ、かなりの御老体(78歳!)ですからね。お達者でいらっしゃるだけでも大変なのに、長時間の舞台をこなしているのですから、そりゃあもうビックリポンですって。もう、オペラの舞台は、体力的に厳しいのかもしれません。ドミンゴのお元気な舞台姿を見られるのも、もう長くはないかもしれません。

 主役の二人の歌唱は…私的には、ちょっと残念でした。いや、立派に歌っていましたよ。ただ、慣習的に歌われているバリエーションは避けられていたようで、あくまでもヴェルディの譜面通りの歌唱だったのが…実に実に、残念なわけです。やっぱ、スパンと抜けた高音を響かせてほしいじゃん。私は単純にそう思っただけです。それを除けば、とても良くて上手な歌唱でした。さすがに世界に配信される歌手さんたちだけありますって。

 あと、残念なのは…別に人種差別のつもりはないのだけれど、黒人歌手が貴族の役って、どうなの? 読み替えなしの演劇路線な舞台だっただけに、舞台は見た目重視で、貴族は白人キャストで固めてほしかったというのが本音かな? オペラはヨーロッパ文化だからね、黒人や東洋人が白人の役をやるのは無し…というのが、私の個人的な考えです。ま、偏見と言われれば、その通りなんですがね。

 とても良い上演だっただけに、もう見られないのは残念ですね。

 

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posted by stone at 03:30| Comment(0) | 歌劇

2019年03月21日

ロイヤル・オペラ・ライブ「スペードの女王」を見てきた

 イギリスのロイヤル・オペラ(いわゆる“コヴェントガーデン”)のライブ・ビューイングを見てきました。演目はチャイコフスキー作曲の「スペードの女王」です。

 「スペードの女王」…まあ、めったに上演されないオペラです。日本じゃまず生の公演は見られません。世界レベルでも、なかなか厳しいようです。なにしろ、ロシア語のオペラですから…ロシア語で歌える一定水準以上の歌手と合唱団を集めるのが大変なのです。おそらく、ロシア語圏以外では、本当に稀にしか上演されないオペラだと思います。

 で、そんな珍品オペラである「スペードの女王」ですが、オペラとしては、かなり良いです。音楽は美しいし、アリアも聴きごたえあるし、重唱も素晴らしいです。もしもこのオペラがロシア語でなく、イタリア語…いやいや、ドイツ語かフランス語で作曲されていたら、もっと普通に上演されていた事でしょう。それぐらいに、素晴らしい作品だと思います。

 じゃあ、このロイヤル・オペラのライブビューイングを見に行くべきかと言うと…少なくとも、この公演は、止めておいた方がいいと思います。お勧めしません。

 何がダメなのかと言うと、演出がダメなのです。

 この演出、日本人向けじゃないわ。というのも、この上演を楽しむには、以下の高いハードルをすべてクリアしている必要があります。

 1)原作のプーシキンの小説を熟知している事。
 2)チャイコフスキーの生涯について知っている事。
 3)歌劇「スペードの女王」のオーソドックスな演出に飽きている事。

 これら3点をクリアしている日本人って、なかなかいないでしょ? 私も1)と3)は満たしていません。なので、今回の上演は、楽しめなかったし、未だに「???」であるし、色々とモヤモヤしています。

 これ、たぶん、ヨーロッパの上流階級で若い時からオペラをたっぷり見ているような人たち向けの演出だと思います。

 なにしろ、この上演では、舞台の上には最初っから最後まで、チャイコフスキーがいるんですよ。もちろん、本来、このオペラにはチャイコフスキーなんて登場しません(当たり前。椿姫の舞台上にヴェルディがいたら可怪しいでしょ?)。でも、この上演では、演出家のアイデアにより、チャイコフスキーが出ずっぱりなんです。本来いないはずの人が舞台にいるので、それだけで、オペラのストーリー進行が分からなくなります。おまけに、このチャイコフスキーをやっている歌手が、時々エレツキー公爵という役になります。このエレツキー公爵というのは、ヒロインであるリーザの婚約者で、そのリーザを主人公であるゲルマンに取られちゃう人であり(つまり、ねとられ)、そのゲルマンを、ラストシーンの賭博場での賭博で負かせて死に追いやる人でもあります。同じ人が同じメイクのまま舞台上で、チャイコフスキーとエレツキー公爵に入れ替わるわけだから、ほんと、分かりづらいのです。

指揮 アントニオ・パッパーノ
演出 ステファン・フアハイム

ゲルマン:セルゲイ・ポリャコフ(テノール)
リーザ:エヴァ=マリア・ウェストプロック(ソプラノ)
チャイコフスキー/エレツキー公爵:ウラディミール・ストヤノフ
伯爵夫人/スペードの女王:フェリシティ・パーマー(ソプラノ)

 おそらく、このオペラそのものが劇中劇であるという演出なんだろうと思います。

 このオペラは、作曲家であるチャイコフスキーが「スペードの女王」というオペラを作曲しながら、そのストーリーや音楽を妄想し、その妄想の中に自分が入り込んでしまって、登場人物たちの感情の動きに、自分の人生のアレコレを重ねてしまい、苦悩し、最後には精神的に死んでしまうというお話なんだろうと思います。ああ、分かりずれー!

 だいたい「スペードの女王」というオペラの中にも、モーツァルト風の劇中劇(たぶん、本来はバレエシーンだけど、ちゃんとバレエをやらないのです)があるわけだし、入れ子が三重になっているようなオペラなんです。なんかなー。

 という訳で、演出にはアレコレ言いたい事はありますが、歌手の皆さんは、なかなか素晴らしいです。私は、セルゲイ・ポリャコフというテノールが気に入りました。ほんと、素晴らしいテノールです。彼、実は代役なんですよね。本当はアレクサンドルス・アントネンコというテノールがゲルマンを演じるはずだったのですが、風邪をひいてお休みで、急遽入れ替わったそうです。代役にしては、本当に良い歌唱&演技でした。

 しかし、こんなに馴染みのないオペラを、こんな分かりづらい演出で見なければならなかったのは、実に不幸だったと思います。

 このオペラ、メトでやらないかな? メトだったら、日本人にも分かりやすい演出で上演してくれると思うんだよ。音楽が美しいだけに、分かりやすい演出で見たいものです。ああ、残念でした。

 

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posted by stone at 03:30| Comment(0) | 歌劇

2019年02月26日

メトのライブビューイングで「アドリアーナ・ルクヴルール」を見てきました

 チレア作曲の「アドリアーナ・ルクヴルール」というオペラは、めったに上演されないマイナーな作品です。めったに上演されないのには、色々な理由があるのでしょう。

 私は今まで「ストーリーが分かりづらくて楽しめない」ために上演の機会に恵まれないのではないか…と思っていました。実際、DVD等で見るこのオペラは(日本ではまずリアルな上演は見れません)本当にストーリーが分かりづらいです。その理由は、舞台上のあっちこっちで同時に色々な人が全く別の事を話していて、ストーリーの全体像が掴みづらい事と、実話(当時は有名なスキャンダル)を元にしているので、台本が「当然、この話は知っているよね」という前提があって、あっちこっちストーリーが端折られいたり、人物紹介もせずにあれこれ人々が登場してくるため、元の話(スキャンダルの事ね)を知らない上に、字幕で見る我々日本人には、ほんと、分かりづらいオペラである…という私は思っていました。実際、分かりづらいしね。

 で、今回のメトの演出なのですが、その辺のストーリーの分かりづらさを、うまく整理して、分かりやすく上演してくれています。これ、ほんとオススメです。

 舞台のあっちこっちで行われている会話は、あっちこっちではなく、一箇所にまとめて、場面がドンドン入れ替わることで、それを実現している演出なので、見ている方は、どこを見ないといけないのか迷うという事がありません。また、黙役の人たちがしっかり演技しているので、セリフが説明不足の部分は、そういう人たちの演技で補われているので、すんなりストーリーも頭に入ってきます。

 さすがメト!と感服しました。やっぱりメトのオペラは初心者に優しいです。

 配役等は以下の通りです。

指揮 ジャナンドレア・ノセダ
演出 デイヴィッド・マクヴィカー

アドリアーナ・ルクヴルール アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
マウリッツィオ ピョートル・ベチャワ(テノール)
ブイヨン公妃 アニータ・ラチヴェリシュヴィリ(メゾ・ソプラノ)
ミショネ アンブロージョ・マエストリ(バリトン)

 歌手の皆さんは、誰もが歌唱演技ともに水準以上でした。マウリッツィオを演じたベチャワは、君主でありながら、実に恋に悩むチャラ男でいい味を出していましたし、悪女というか自己中女のブイヨン公妃を演じたラチヴェリシュヴィリは、本当に嫌な女を演じていました。二人ともスゲーな。

 主役のアドリアーナを演じたネトレプコは、歌唱も感情がたっぷり入っていたし、演技も迫真もので、かなり良かったのですが…ただ私、ネトレプコが好きじゃないので、オペラに没入できなかったんだよね。

 ネトレプコは上手いソプラノだし、全然不足なんて無いんですよ。単なる私の好みの問題で、ネトレプコが好きじゃないだけで、それだけでオペラが楽しめないなんて…ああ、実に贅沢な悩みです。

 でも、好き嫌いって、趣味の世界では大切ですよ。だって、趣味って嗜好品だもの。

 ネトレプコをディスるつもりは全然ありません。単純に私の好みではないだけです。なので、ストレプコが舞台に出てくると、それだけでガッカリしちゃう私がいます。なんかねー、ネトレプコって好きじゃないんだよね。

 ちなみに、私がネトレプコのどこが気に入らないのか言えば…彼女の声なんです。声が嫌いって、決定的でしょ? なので、今後もずっと好きになれないと思うのです。ですから、メトのライブビューイングだと、ネトレプコって、よく出演してくる(おそらく、今のメトのトップソプラノはネトレプコだろうし…)のですが、彼女が主演ってだけで、ちょっぴりゲンナリしちゃう私なのでした。

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2019年02月13日

メトのライブビューイングで「椿姫」を見てきました

 先日、メトのライブビューイングで新演出の「椿姫」を見てきました。

 演出が全く変わりました。「椿姫」の時代設定は、このオペラが作曲された当時…つまり、このオペラは現代劇なんです。なので、舞台化する際の時代設定としては、

1)オリジナルの時代設定である19世紀に設定する
2)現代劇である点を重視して、上演される時代(つまり、今)に設定する。

 の、だいたい2通りが考えられるのですが、今回の演出は、時代設定を18世紀に設定したのだそうです。つまり、通常の演出での時代設定とは逆ベクトルの、時代を思いっきり遡上した設定なのですが、これがいいんですよ。

 なぜ、18世紀の時代設定が良いのかと言えば、舞台が華やかで豪華になるからです。舞台って、原則的に、時代設定が、昔に遡れば遡るほど派手になり、逆に、現代に近づけば近づくほど、日常的になって地味になるものです。

 なので「椿姫」の時代設定が100年遡れば、それだけあれこれ派手になるんです。これ、大切です。だって「椿姫」って、パリの社交界のお話であって、なるべく豪華絢爛で夢々しい事が大切じゃないですか?

 時代が古めに設定されるとあれこれ派手になる…具体的に言うと、衣装が派手になります。装飾やら刺繍やらが派手派手になります。小道具も細かな細工の入った派手なモノになります。大道具(舞台装置)だって何やらゴテゴテと絢爛になります。良いでしょ?

 ただ、そうやって派手派手になると、お金がかかります。昨今のオペラハウスはどこも金欠だし、歌手たち(とりわけスター歌手たちの)ギャラは、本当に高いものです。なので、どこもなるべく経費をかけないようにオペラ上演をしたがります。まあ、その結果、オペラの舞台が現代に近づけられてきた(その方が経費が掛からないからね)わけです。

 例えば「椿姫」は3幕ものですが、場面としては4箇所あります。本来ならば、4つの大きくて豪華なセットが必要だし、それに合わせた舞台衣装も必要です。合唱が使われるので、合唱団のメンバーの衣装だって必要だし、衣装に合わせてカツラも必要だろうし、小道具だって…となるわけです。

 そこで、おそらく費用削減のためでしょうか? 今回の演出では、基本的な舞台セットは一つだけで、それらを多少アレンジすることで、4つの場面を表現しています。

 とは言え、基本的には一つの舞台セットですから、舞台中央にあるヴィオレッタのベッドは、最初っから最後まで、ずっと出っぱなしです。左奥にあるピアノも出っぱなしだし、右側にあるソファセットも出っぱなしなので、気になると言えばなります。

 そうやって舞台セットを一つにして、大道具にかかる費用を削減した分、衣装は凝っているようで、合唱団員まで含んで、皆さん、派手な衣装を着ていました。やっぱり、オペラはこうでないとね。少し前までメトで上演していた演出(デッカー版)だと、大道具も簡素だったし、衣装もヴィオレッタ以外は、黒の普段着っぽい衣装で、本当に地味な舞台でがっかりしたものです。

 まあ、昔々のゼッフィレッリが演出した派手派手な舞台には太刀打ちできませんが、今回の演出は、なかなか頑張っていて、私は大変気に入りました。

指揮 ヤニック・ネゼ=セガン
演出 マイケル・メイヤー

ヴィオレッタ ディアナ・ダムラウ(ソプラノ)
アルフレード ファン・ディエゴ・フローレス(テノール)
ジョルジョ・ジェルモン クイン・ケルシー(バリトン)

 演出以外の話をすると、今回の公演が、メトの新音楽監督である、ヤニック・ネゼ=セガンの、初制作作品なんだそうです。

 ネゼ=セガンって、まだ42歳なんだそうです。若いね。ぜひ、メトに新しい風を吹き込んでほしいと思います。それにしても、ネゼ=セガンの指揮って、揺らすねえ…。これは好き嫌いが出るかも…私は好きだけれど、これをあざといと受け取る人もいるかもねえ…。

 歌手の皆さんは、頑張っていましたね。ヴィオレッタを演じていたダムラウは、歌はもちろん、演技も相当頑張っていました。ただ、1幕のアリアの最高音のEsは回避していました(残念)。それ以外は、ほぼ満足です。

 テノールのフローレスは…声が全然ヴェルディっぽくなくて、好き嫌いが分かれそうです。彼の声だと、アルフレードは情熱的な青年ではなく、偏執的な青年に感じられてしまうのですよ。フローレスがインタビューで「アルフレードは、いわゆるストーカーでしょ」と発言していますし、まあアルフレードには、確かにそういう部分もあるけれど、そこが強調されてしまうと、ちょっと違うかなって思うわけです。フローレスの甲高い声だと、アルフレードの、恋に狂った部分ばかりが強調されてしまうわけで、いわゆる従来よくある熱血漢で単細胞なアルフレードを求めている人には「???」な声だなって思いました。

 私の個人的な感想で言えば、フローレスは大好きなテノールだけれど、アルフレードは…無いなあって気がしました。まあ、好き嫌いの問題です。

 父ジェルモンは…普段よく聞く「椿姫」とは、あれこれ違っていたような気がします。おそらく、使用した楽譜が違うのかな? バリトンパートは、従来版とは、あれこれ違って聞こえたんですよ。もし、違う楽譜を使ったのなら、バリトンさん、ご苦労さまでした…って感じです。テノールも若干違っていたけれど、あれはたぶんアドリブだな(ぼそっ)。

 バレエは…ダンサーたちの化粧がグロかったけれど、バレエそのものはダイナミックで、好きだな。合唱はいつもながら、メトの合唱はすごいなあって思いましたよ。あと、ビックリしたのは、黙役だけれど、アルフレードの妹が舞台に登場した事。色々な「椿姫」を見たけれど、妹が登場する舞台は、これが初めてかもしれない(汗)。

 メトの演出は、一時はよその歌劇場と同じく、現代化の方向に走っていましたが、昨年あたりから、かつてのメトの演出同様、古典的な演出に戻りつつあるのは、私的にはうれしいです。やっぱりメトは、保守的で、初心者に優しい演出でお願いしたいです。濃いめのファン向けの尖った舞台は、ヨーロッパの歌劇場にまかせてくれた方がいいと、私は思うのでありました。

 ただの私のわがままなんだけれどネ。

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posted by stone at 03:30| Comment(0) | 歌劇