↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
2020年10月05日
シネマ歌舞伎で「月光露針路日本 風雲児たち」を見てきました
2020年03月02日
新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」の後編を見てきたよ
↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
2020年02月27日
書き落としていたシネマ歌舞伎
↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
2020年02月17日
新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」を見てきた
↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
2019年12月15日
ワンピース、スター・ウォーズ、風の谷のナウシカ
↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
2019年10月03日
歌舞伎のDVD
↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
2015年12月03日
シネマ歌舞伎で「ヤマトタケル」を見てきました
今年から隣町の映画館でシネマ歌舞伎を上映するようになったので、時折見に出かけている私です。シネマ歌舞伎は月イチで上映します。今月は、スーパー歌舞伎の「ヤマトタケル」を上映していました。
スーパー歌舞伎とは何かと言うと、新作歌舞伎の一種で、歌舞伎の約束事ばかりにとらわれず、ミュージカルやストレートプレイの良い所も取り入れた“今っぽい歌舞伎”ってヤツです。演出も今っぽいし、セリフも現代語ですから、歌舞伎に慣れていない私なんかは、通常の歌舞伎上演よりも親しみやすかったりします。
私が見てきたのは最初のスーパー歌舞伎である「ヤマトタケル」でした。初演は1986年でしたが、2012年に新橋演舞場で演じられたものを見ました。
ストーリーとしてはヤマトタケル伝説を舞台化したもので、なかなか面白かったですよ。もちろん、歌舞伎なんだけれど、よく出来た日本語ミュージカルでもありました。芝居も衣装も化粧も派手で、全然リアルじゃなくて、そこがすごく夢々しくてよかったです。
脚本と演出は、先代の市川猿之助こと二代目市川猿翁で、スーパー歌舞伎を考えて作り出した張本人さんです。
主役のヤマトタケルこと小碓命(おうすのみこと)を演じたのは、四代目市川猿之助(昔の亀治郎)で、小碓命の兄である大碓命(おおうすのみこと)も演じていたので、一人二役であり、第一幕の小碓命と大碓命の乱闘シーンは、影武者との入れ替わりやら早着替えやらの連続で、なかなかおもしろかったです。あと、最後の最後に、お約束の宙乗りがあります(やっぱ、猿之助と言えば宙乗りだものね)。
帝を演じていたのが、香川照之こと九代目市川中車でした。ちなみに映画の冒頭で、市川猿之助と市川中車の舞台挨拶(たぶん襲名披露)の映像が付いてました。
私が特に目を見張ったのは、兄橘姫(えたちばなひめ)と、みやず姫の二役を演じた市川笑也です。この人、女形なんですが、私が今まで生の歌舞伎の舞台で見た女形や、シネマ歌舞伎で見た女形とは、ちょっと違うんです。
女形というのは、男性俳優が女性役を演じるもので、男が女を演じるわけですから、色々と無理があるわけで、その無理さが歌舞伎鑑賞で大きな妨げになると私は思っています。
私もこれまで、あまり数は多くないのですが歌舞伎を見ていて、芝居に夢中になっていても、女形が出てくると、途端に気持ちがスーーーと引いてしまっていました。だって女形って、違和感バリバリなんだもん、不気味なんだもん、気味悪いんだもん。いくら女の衣装を身につけて、所作を女っぽくしても、見た目はどうしても男性だし、声も男性だし、何をどうしても男性なのに、それを女性として認識しろって、そりゃあ無理だよね。でも、その無理を強いられるのが歌舞伎なんだと諦めていました。
ところが兄橘姫を演じていた市川笑也は全然違うんですよ。映像の中の彼女は、女形ではなく、すっごい大柄な女性(笑)に見えるんですよね。なので最初は、普通の歌舞伎ではなく、スーパー歌舞伎だから、女優さんを使っているのかな?と思ってしまったくらいです。まあ、映画ですからアップのシーンがあって、その時に首筋を見た時に、女の首筋ではなく男の首筋だったので「ああ、やっぱり女形が演じているんだ」と思ったものですが、舞台などでアップで見られない状況だったら、最後の最後まで疑心暗鬼にかられたまま「女形なの? 女優なの?」と悩んでいたかもしれません。それくらい、女性に見えたんですね。
なぜ、そう思ったのか? それはおそらく、声です。演じている時の声が、男性のファルセットでもなく、甲高い男の声でもなく、オカマの声でもなく、本物の女性の声のように聞こえました。男性でも、女性ホルモンを投与すると、こんな感じの声になるわけですが…まさか、女性ホルモンを投与しているとか(笑)。まあ、それくらい、耳で聞くと女性だったわけです。声が女性だったので、カラダつきが男性っぽくて、所作が女形女形していても、女性に見えちゃったわけなんです。
演技にとって、声って大切なんだな。
このスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」は、もうすぐ上映が終わってしまいますが、先代であり、この演目の脚本&演出家である三代目市川猿之助が主演したモノがDVD化されていますので、興味がある方は、そちらでご覧になれます。
四代目と三代目、演じ方がどう違うのか、私も興味があります。
↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村
2015年07月23日
シネマ歌舞伎「春興鏡獅子」を見てきました
…と言っても、別にいつものように「春興鏡獅子」のお話をしたいわけじゃありません(ちょっとはしますが:笑)。
実は、先の三連休の最終日に、隣町の映画館に「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)」を見に行こうと計画をたてたわけです。歌舞伎なんて(映画であれ実演であれ)なかなかに行けないし、ましてや有名な演目を狙っていくというのは難しいわけですし、先日シネマ歌舞伎で見た「京鹿子娘二人道成寺」が良かった事もあって、それで三連休のお楽しみとして「春興鏡獅子」に辿り着いたわけです。
「春興鏡獅子」とは、いわゆる「鏡獅子」と呼ばれる、割りと有名な歌舞伎の演目です。
で、その「春興鏡獅子」は、映画館で朝一発目に上映されるんです。一日一上演で、一週間限定なんです。まあ、そのあたりは、メトのライブビューイングの上演なんかと一緒ね。配給会社も松竹だから、そういうシステムはほぼ同じなわけで「まあ、そんなもんだよね」と思いながら、映画館に行ったと思って下さい。
まずはその旅程(笑)から失敗がありました。実は、隣町の映画館、我が家からバスで一本なんですね。家のすぐそばにあるバス停からバスに乗って、10分少々で映画館に着きます。バス停すぐ近くだから、バスが来る直前まで家で涼んで、バスが来る頃を見計らってバス停にいけば、すぐにバスに乗れるし、バスはたいていスカスカで涼しくて目的地まで座っていけるわけです。なのに…うっかり駅まで行っちゃいました。駅まで徒歩約10分。真夏の炎天下を10分も歩くんですよ。普段はなんでもない道のりでも、この季節では汗が吹き出します。で、駅に着いて10分程度電車を待って、電車に乗れば、隣町だからすぐだけれど、まず座れることはなくて…なんかしんどい思いをして、時間を余計にかけて、映画館に行ったわけです。まあ、運賃がバスより電車のほうが若干安い事は救いですが…。
で、全身から汗が吹き出ている状態で、映画館に着きました。映画の上演まで30分ほど余裕をもって到着しました。それなのに…すでに満席でチケットが買えないって、どーゆーこと?
終了! なにしろ、1日に1回しか上演しないんだから、アウトですよ。なんかもう、呆れちゃいました。そこで慌ててググったところ、そこから東京に行けば、「春興鏡獅子」が見られることが分かりました。チケットも事前にネットで購入すれば確実に入手できるけれど、これから、わざわざ東京まで時間とお金をかけて、シネマ歌舞伎を見に行く? 最初っから東京で見るつもりだったら、全然平気だけれど、隣町で見るつもりだったから、余計にかかるお金と時間を、シネマ歌舞伎を見たいというモチベーションとを天秤にかけた結果…ウチに帰って、オペラのDVDを見るという結論に達しました。いやあ、連休の最終日なのに、半日つぶしてお出かけするのを避けたかったわけです。それやっちゃったら、今週のお仕事に差支えが出るって思ったわけです。
で、ウチに帰って、1991年にコヴェント・ガーデン王立歌劇場で上演されたドホナーニ指揮による、ベートーヴェンの『フィデーリオ』を、うっかり見たわけです。いやあ、楽聖ベートーヴェンが作曲した唯一のオペラ、クソつまんねー(笑)。やっぱ、ベートーヴェンはシンフォニーに限るよな(涙)。
で、なんか色々とむしゃくしゃした私は、翌日仕事に行って、あれこれ調整して、平日に休みを取って、リベンジを決行したわけです。
と言うわけで、平日に映画を見に行く事にしました。ちょっとやっている事がダメ人間っぽくて、うしろめたい気持ちもありますが「有給は労働者の正当な権利だ!」と心の中で何度も唱えて出かけたわけです。
今度はちゃんとバスに乗りましたよ。チケットも事前にネットで購入しました。上演30分前に映画館に着きましたよ。チケット売り場で「ええ〜、もうチケット、売り切れなんですかー!」とビックリしているオバちゃんたちのグループに、ちょっぴり同情しながら、劇場の中に入りました。
売り切れだけあって、空席無し。歌舞伎、すげー。メトのライブビューイングなら、どんなに混んでいても、空席はありますし、それ以外の普通の映画だって、滅多なことじゃあ、売り切れ&満席にはならないものです。それなのに空席無し。当然、私の隣にも人が座ります。シネマ歌舞伎、なめたらアカンぜよ。
まあ、左隣りは妻だから良し。問題は右隣の赤の他人のオジイサン。すっごく体温が高い。まるでヒーターのように発熱しているんです。この人、なんでこんなに発熱しているの? 劇場内は強めの冷房が入っていて寒いくらいなのに、私、カラダの右半分だけ、汗が止まりませんでした。
でも、満席なんだから、文句は言いません。シネマ歌舞伎見れるだけでラッキーです。
肝心の「春興鏡獅子」ですが…十八世中村勘三郎の最後の「春興鏡獅子」とあって、悪いはずがありません。胡蝶の精を踊った、片岡千之助と中村玉太郎の二人の子役もなかなか良かったです。とにかく、途中、衣装替え(と化粧替え)のために、子役の二人の演舞を挟んで、約1時間、勘三郎が踊りまくるだけの「春興鏡獅子」。いやあ、すごかった。ネットで予告編を見つけたので貼っておきます。これこれ、私が見たのは、これなんですよ。
「京鹿子娘二人道成寺」「春興鏡獅子」と、シネマ歌舞伎は連続して舞踊ものも見たので、次はもう少しストーリーのあるお芝居モノを見たいなあって思ってます。でも、その前に、そろそろメトのライブビューイングのアンコール上演が始まるんだよね。そっちはそっちで、楽しみ楽しみ。
↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村
2015年06月10日
シネマ歌舞伎で『京鹿子娘二人道成寺』を見てきた
Y&F先生のコンサート終了後、その足で、隣町の映画館に出向いて、シネマ歌舞伎で『京鹿子娘二人道成寺(きょうかのこむすめににんどうじょうじ)』を見てきました。
シネマ歌舞伎と言うのは、オペラのライブビューイングのようなもので、歌舞伎座などの劇場での演技を映画として収録したものを、それを映画館で見ると言うものです。あるいは、週末の夜にNHKで放送される歌舞伎の舞台中継を映画館で見るというイメージの方が、より近いかも。とにかく、映画館で歌舞伎を見るというわけです。
ライブビューイングとは違って、月替りで(割と定期的に)上演しています。上映期間は原則的に一週間(これはオペラと同じ)。ただし、映画館によって、一日に2〜3回上演するので、オペラと違って、割と見やすいです。あと入場料も、今回の『京鹿子娘二人道成寺』は1000円と、えらく安かったけれど、その他の演目は、たいていは2100円です。一般映画(1800円)よりは割高だけれど、メトのライブビューイングの3600円と比べると安い安い。
私は以前から、シネマ歌舞伎に興味はあったものの、近所で上映しているわけでもなく(オペラと違って)わざわざ遠方まで見に行くほどの情熱もなかったので、見に行かなかったのだけれど、今年から隣町の映画館での上映が始まったので、オペラ同様、歌舞伎も見ることにしたわけです。シネマ落語も近所でやってくれれば、見に行くのに…。
ちなみに、シネマ歌舞伎も、メトのライブビューイングも、配給は同じ松竹ですが、配給の規模と上演回数は全然違います。歌舞伎の方が、上映する映画館が圧倒的に多いですし、一日に上映する回数も多いです。まあ、オペラよりも歌舞伎の方がファンが多いという事ですね(納得)。
私が見に行ったのは、記事の冒頭にも書きましたとおり『京鹿子娘二人道成寺』です。漢字の羅列が目にきついですが、いわゆる、能で有名な『道成寺』です。お寺の鐘に女性の亡霊が取り付いて、蛇の姿になって大暴れをする…という、アレです。
ただし、今回私が見たのは、能バージョンとは異なる歌舞伎バージョンだし、その歌舞伎バージョンも、通常版とは異なる『娘二人』バージョンなんです。
まず同じ『道成寺』であっても、能バージョンと歌舞伎バージョンでは、どう違うのか?
能バージョンには、きちんとしたストーリーがあって(当然だけれど)起承転結がしっかりしたお芝居なんです。しかし歌舞伎バージョンの場合は、ストーリーがあるんだかないんだか、よく分かりません。と言うのも、歌舞伎の場合、とにかく“踊る踊る踊る”わけで、全編ストーリーそっちのけで踊りまくっています。さらに言えば、歌舞伎バージョンでは、ストーリーの途中で、舞台は終わっちゃいます…ってか、ストーリー的に落ちに行く前に終わっちゃうんです。いいのか、それで!
つまり、能バージョンが芝居なら、歌舞伎バージョンはダンスショーなんです。
さらに言えば、歌舞伎バージョンでも、通常の『京鹿子娘道成寺』では主人公(つまりプリマ)は一人なんですが、私が見た『京鹿子娘二人道成寺』では“二人”という言葉がはさまっている事から分かるように、主人公を二人の役者が演じます。シネマ歌舞伎では、坂東玉三郎と尾上菊之助の二人の名優が、白拍子花子という一人の役を同時に演じているわけです。
主人公は一人なのに二人で演じる…ちょっと分かりませんよね。
実は、基本的に主人公の花子を演じているのは、尾上菊之助なんですね。だから、踊っていないシーンでは、花子は一人しかいません。それがダンスシーンになると、どこからともなく、もう一人の花子が現れてきて、ペアダンスを踊るんですよ。つまり、芝居のパートでは一人で演じ、ダンスのパートは二人で踊る…という事になっています。
二人でペアダンスを踊る…これがなかなかすごいんですね。寸分違わぬシンクロされた動作で踊ってみたり、シンメトリーになって踊ってみたり、全く違ったダンスをしたり…。本来は一人で踊る道成寺ですが、二人で踊る事で、ダンスの幅がウンと広がって、見応えが増すってわけです。
また、ダンスがすごい。歌舞伎のダンスですし、女形のダンスですから、いわゆる日本舞踊なんです。だから、アクロバチックな動きなどはありませんが、とにかく、踊る踊る踊る。結構な運動量なんですよ。
また、めまぐるしく衣装を替えます。この衣装が、実にダンスに不向きな振り袖(笑)。それも実に美しい(けれど、たぶん重い)衣装なので、目が幸せになります。
なんだろうね、この興奮は。とにかく、頭を空っぽにして、ダンスを楽しむ歌舞伎、それが『京鹿子娘二人道成寺』ってわけです。そういう意味では、歌舞伎素人の私にも、十分楽しめました。
蛇足…と言うわけではないけれど、邦楽のオーケストラと言うか、歌舞伎で音楽を担当している方々の演奏も、なかな見応え聴き応えありました。楽器編成など、細かい事はよく分からないけれど、見た感じでは、歌手と、三味線と、笛と、太鼓と…あと何があったかな? 歌はソロもあれば、合唱もありました。ほぼ全員、男性高音歌手(!)。まあ、発声法が違うのでテノールという言い方はできませんが、実に興味深かったです。
ちなみに、DVDでも販売されています。
シネマ歌舞伎、面白かったので、また、見に行こうと思ってます。次は何を見ようかな? とにかく私は、オペラと違って、歌舞伎はあんまり詳しくないので、基本的な演目から見ていこうと思ってます。
そうそう、シネマ歌舞伎を見て思った感想を最後に書きます。
シネマ歌舞伎、さすがに選ばれた演目だけあって、歌舞伎そのものは、すごいんですが、単純にそれだけですね。映画館での上映ですから、音響もバッチリだし、画面も大きくて迫力はあるけれど、これではちょっとねえ…と思いました。
なぜ、解説を加えないのかな? って思いました。これじゃあ、映画にする意味、ないよね。
例えば、白拍子の主人公が一生懸命に踊っているけれど、そのダンスの種類とか意味とかストーリの中での役割とか、字幕でいいから解説があると良かったのになあ…って思いました。はっきり言って、見てるだけじゃ、よく分からないです。分からないと楽しくないよね。
それに役者がセリフを言っている場面に、字幕を入れた方が良いよね。あのセリフ回しを、聞くだけで分かる人しか相手にしていない限り、歌舞伎ファンは絶対に増えないよ。
今年の正月に息子くんを連れて歌舞伎を見に行ったけれど、彼の感想は「何を言っているのか分からないから、歌舞伎はつまらない」だもの。今回のシネマ歌舞伎だって、誘ったけれど断られたもの。今どきの若者には、歌舞伎の言葉なんて、外国語のようなものだからね。テレビから時代劇も消えてしまった21世紀だよ。耳で聞いただけじゃあ(歌舞伎で使っている)江戸言葉なんて、言葉として認識できないわけだ。だから、字幕は必要だと思う。役者が言ったセリフそのままか、あるいはいっそ、現代語訳を表示しても良いかも(マジです)。
息子くんはオペラは字幕が出るから好きだけれど、歌舞伎は字幕が無いからダメって言ってますよ。こういう無名の高校生の素直な感想を、関係者の方々は肝に命じた方が良いと思うわけです。
とにかく、見ているだけじゃあ、私でも、分かりづらかったです。私は事前にwikiを見て予備知識を入れておきましたが、そうでなくても楽しめるようにするのが、エンタメって奴でしょ? 歌舞伎座に行けば、音声解説があるんだから、ああいった情報を必要に応じて、画面にインサートするだけで、歌舞伎に慣れていない人々も楽しめるようになると思うんだけれど…シネマ歌舞伎、ちょっとお高くとまっているようで、もったいないです。
それと、わざわざ映画館に足を運んでいるのだから、そこに映画館ならではの“付加価値”って奴が欲しかったね。メトだと、舞台を終えたばかりの歌手のインタビューとか入るでしょ。別に歌舞伎にライブ感はいらないけれど、見どころ解説みたいなモノがあるとよかったのにね。これじゃあ、NHKのテレビ放送(舞台中継)の方が楽しいよ。あと、スタッフのインタビューとかもあるといいよね…あれ、結構面白いんだよ。
私はメトのライブビューイングを見慣れているせいか、シネマ歌舞伎のフォーマットが残念で残念で仕方ないです。せっかくコンテンツが良いのに、その提示方法がイマイチなんだよなあって思うわけです。料理に例えれば、食材はいいのに、料理人の腕がイマイチって感じかな。もう一工夫するだけで、だいぶ違うと思いました。
頑張れ、シネマ歌舞伎。
↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村
2015年01月20日
新春浅草歌舞伎に行ってきました
先日…と言っても、まだまだお正月気分が抜けなかった頃の話ですが『新春浅草歌舞伎』を見に、浅草の公会堂に行ってきました。
夜の部だったので、演目は『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)[五段目&六段目]』『猩々(しょうじょう)』『俄獅子(にわかじし)』の三本立てでした。主な出演者は、尾上松也さん、坂東巳之助さん、中村米吉さん、中村児太郎さん、中村隼人さん、中村種之助さん、中村歌昇さんでした。
この『新春浅草歌舞伎』というのは、若手メンバーだけで上演するものなんです。若者たちによる一生懸命な舞台はいいですね。お一人を除いて、皆さん、平成生まれだそうですから、ほんと、青年たちが一生懸命に頑張っていたわけです。
もっとも、平成生まれの若者揃いとは言え、彼らは皆、梨園の御曹司たちですから、ほぼ“年齢=芸歴”なわけですか、皆さんどなたも芸歴20年超えなんですよ。そう考えると、色々とすごいなあって思うわけですよ。私が彼らぐらいの年齢の時は、やっと学校を卒業したばかりの、社会人的には単なる“ペーペー”だった事を考えると、いやはや、頭が下がります。
『仮名手本忠臣蔵[五段目&六段目]』とは、忠臣蔵の一部ですが、いわゆる私たちがよく知っている“忠臣蔵”のお話ではありません。いわゆる“おかると勘平”の物語です。詳しくは、ネットでググってみてください。
今回、座席はあまり良くなく、2階席だったのですが、芝居を見るには、特に不自由はありませんでした。ただ、舞台から遠いせいか、観劇の緊張感も薄くて、休養たっぷりで臨んだはずなのに、時折意識が消失してしまったのは、失敗です。
しかし、これだけ遠くから舞台を見ていると、女形が全く自然に見えるから不思議です。平土間の、比較的舞台から近い席で歌舞伎を見ると、女形がどうしても不自然と言うか、男が女を演じている事を意識してしまう私なのですが、2階席という、遠くの席から見ていると、女形の役者が、女性に感じられるのだから不思議です。骨格だって、声だって、男丸出しなんだけれど、それらが距離があると気にならず、誇張された女らしい動作がよく伝わり、なかなかに艶っぽい女性に見えるんだから不思議です。
歌舞伎は、あまり舞台近くで見るものではないのかもしれません。考えてみれば、昔の舞台小屋なんて、薄暗かったわけで、舞台がよく見えなくて当然という環境で生まれた女形という役者なんだから、遠くの客席からよく見えないくらいの距離で見る方が良いのかもしれません。
それと、遠方からだと舞台の全景が見えるのも面白いかもしれません。
歌舞伎って、実にリアルからは離れた、夢々しい芝居なんだなって思いました。歌舞伎では、演じている人(と言うか、セリフを言っていたり踊っていたりする人)以外は、皆、止まっているんですね。舞台の近くとか、テレビ中継やDVDだと、演じている人しか見えないから、他の人が何をやっているかなんて気にしませんが、舞台の全景を見ていると、演じていない人は、演じている人の芝居を邪魔しないように、皆さん、石のように固まって止まっているんですね。なかなか、面白いです。
で、演じている人の動作も、実に全然リアルではなく、動きそのものは、かなりの誇張があるし、いちいち見得を切る(決めポーズを取る、あるいは、ストップモーションを入れる)わけだし、なんか芝居と言うよりも、アニメでも見ているような気分になります。
実際、歌舞伎の成立を考えるならば、人形浄瑠璃(人形劇の一種)を人間が演じるようになったのが歌舞伎という説(異説も、もちろんありますよ)もあるくらいですから、役者の動きがどこか非人間的(それゆえにアニメを連想させるわけだけれど)なのも納得です。
とにかく、役者の動き一つ取っても、型とか様式美というものをヒシヒシと感じますね。若い時は、そのファンタジーっぽいところが苦手でしたが、年を取ってくると、そういう型や様式美ってヤツに心惹かれるようになってくるのだから、年を取るのは楽しいのです。
それにしても、今回は『仮名手本忠臣蔵』の中間部だけを見たわけだけれど、ぜひ通し狂言(ストーリーを最初から最後まで連続して見せる事)で見てみたくなりました。でも、それはなかなか難しいですね。歌舞伎って、なかなか通し狂言の上演をしてくれませんからね。
それと、今回は見ていて「歌舞伎ってオペラに似ているなあ…」とも思いました。もちろん、違いもありますよ。一番の違いは、女形の有無。次は、オペラでは役者は歌手であって歌いますが、歌舞伎では役者はダンサーなので踊るという違いです。
ですから、オペラでは役者は踊りません。踊りは、専門のバレエダンサーが行います。歌舞伎では役者は歌いません。歌は、専門の太夫(歌手の事です)が担当します。でも、大きな違いはそれくらいで、音楽で劇が進行する点や、芝居が歌とダンスで成り立っている点や、恋愛モノ、それも悲恋モノがレパートリーの中心である点。大衆に愛されて現代まで生き残っている伝統演芸ある点などが共通しています。
それに発生した時代もほぼ一緒なんだよ。大きなユーラシア大陸の西の端で生まれたのがオペラで、東の果て生まれたのが歌舞伎なんだと思います。
『猩々』と『俄獅子』はダンスでした。『猩々』は、種之助さんと隼人さんの二人で踊るデュエット・ダンスだったのですが、これがまあ、実に見事なものです。バレエが飛んだり跳ねたりするダンスなら、歌舞伎のダンス(日本舞踊ですね)は、なめらかな動きと見得を切るダンスなんだなって思いました。飛んだり跳ねたりするのも大変ですが、なめらかに動くのも大変だなあって思いましたよ。あんな動き、私には到底出来ないもの。さらに見得ですが、これもまた不思議なポージングで止まるものですね。まるで“ジョジョ立ち”みたい…と言うか、ジョジョ立ちって、一種の見得なんでしょうね。それを言い出すと、魔法少女や変身ヒーローたちの(変身とか必殺技とかの)バンクシーンも、ありゃあ、見得だね。『俄獅子』の方は、その他の方々総出の、実に派手派手で賑々しい、いかにもお正月っぽい群舞でした。しかし、女形って下駄はいたまま踊るんだね。すごいなあ。
この歌舞伎、実は妻がチョイスした観劇であって、私はさほど乗り気では無かったのですが、いやいや、見て驚いた。実に楽しかったですよ。
蛇足 しかし、息子くんには難しかったらしくて、アイツは最初から最後までつまらなそうにしてました。実際、感想を聞くと、やっぱり「つまらなかった。何を言っているのか、ちっとも分からないだよ」だそうです。そう言えば、彼が物心ついた時には、すでに時代劇ってジャンルは死滅した後で、彼には江戸言葉やそれに類するような言葉に親しみがないんですね。彼には外人並にイヤホンガイドが必要だったのかもしれません。
↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村